水面に映る月   作:金づち水兵

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クソだるい月曜日の朝、ばっちり目が覚めました。


95話 ミッドウェー海戦 その5 ~現在と過去の狭間~

「呉は何をしていたんだ!!!」

「ひっ!?」

 

大隅副長伊豆見広海(いずみ ひろうみ)中佐の怒号。続く打撃音。叩きつけられた机の悲鳴は顔面蒼白で飛龍からの緊急電を伝えに来た横須賀鎮守府通信課の下士官を震え上がらせる。伊豆見の怒り、机の嘆き、兵士の怯え。“空母機動部隊、実質的に壊滅”の報で静まり返っていたMI攻撃部隊司令部が置かれている大隅司令室に3つの感情が伝播する。一人で俯き、上官や同僚、部下と深刻な表情を突き合わせた将兵たちが一斉に伊豆見へ視線を集中させる。それでも、彼の激高は収まらない。

 

「なんのために意気揚々と潜水艦を派遣したんだ! 布哇泊地機動部隊を見過ごすしたばかりか、別動隊の所在まで掴めないとはあいつらはバカンス気分なのか!? ピクニック気分か! 全く持って理解できん!」

「いえ・・・その・・・あの・・・・」

「我々が決死の覚悟で作戦遂行へ向けて邁進しているというのに、いいなぁ! あいつらはお気楽で!」

「っ・・・・・・・」

 

ただ報告にきただけにもかかわらず、司令部幹部からの視線を一身に受け、なんの不運か自分に一切落ち度がなく全く持って関係ないことで怒鳴られる下士官。さすがの理不尽に見ていられなくなり、頭に血が上っている伊豆見を制止した。

 

「伊豆見副長、そこまでです。彼はこちらの所属。呉に失態とは全く持って関係ありません。お気持ちは重々理解しますが、これでは彼に酷すぎます」

「あ・・・・・・いや・・・」

 

指摘を受けようやく我に返ったのか、自身の行いを反芻しばつが悪そうに視線を泳がせる。

 

「・・・・すまなかったな。報告、ご苦労だった」

 

それだけいうと先ほどまでの剣幕が嘘のように、落ち着いて椅子に座る。下士官はあっけに取られていたが、「下がってくれ」というと安堵の色を隠さずに退出していった。「失礼しました」の後、扉の閉まる音が響く。

 

それを境に再び重苦しい静寂が司令室の支配者に舞い戻ってきた。伊豆見に集中していた視線が今度はMI攻撃部隊指揮官の百石へ向けられる。彼らは無言で今後の対応を求めていた。

 

「接敵までどれぐらいかかる見込みだ?」

 

身体にまとわりつく沈黙を払いのけ、正面左翼に座っている通信課長江利山成永(えりやま なりなが)大尉に尋ねる。

 

「飛龍の通報から考察しますと、おそらく一時間後には接敵すると思われます」

「1時間か・・・・・」

「はい。1時間です・・・・・・」

 

ため息交じりに唸る第3統合艦隊首席参謀田所昭之助大佐。本能的に拒絶したくなる情報を拒絶させないために、あえて江利山はもう一度事実を告げる。田所は作戦実施にあたり、第3統合艦隊との連絡役として大隅の司令室に留まっていた。

 

「なら、もう打てる手は1つしかありませんな」

 

猶予のなさに吹っ切れたのか、緒方は妙にサッパリとした表情で作戦策定時に検討したとある対処策を示唆する。その瞬間、田所が俯いていた顔を即座に上げたものの、何も言わず再び俯いた。何か言いたそうにはしていたが、この案には田所に代表される第3統合艦隊司令部からも同意が示されていた。さすがの彼らもここまで切迫した状況を前に“逃げる”などといった妄言は吐かなくなっていた。

 

最小限の犠牲で、あわよくば敵に大損害を与えられる作戦。

 

緒方が示唆した対処策は既に司令部要員全員に知らされている。緒方が肩を落とす田所から視線を切り替えたのを合図に、田所を除いた司令部要員がこちらへ視線を向ける。

 

百石は口内に溜まった唾を飲み込み、喉の調子を整えると緒方が示唆した指揮官としての判断を伝えた。

 

「我がMI攻撃部隊は現在の進路を維持しつつ、対処案“ア号”を発動。第3統合艦隊は航空母艦出穂同航空隊以下、総力をもって敵水上打撃部隊を襲撃、殲滅するものとする。第3統合艦隊はただちに出穂航空隊を全力出撃。作戦行動を開始せよ。・・・・・・・異議は?」

 

正面の右翼、左翼に座っている各員の顔を見回す。田所を含めて、異議は出なかった。

 

「攻撃後の動向については逐次、下令する。総員、準備にかかれ!」

『はっ!』

 

力強い返事が木霊すると要員たちは一斉に立ちあがり、司令室から姿を消し、副官や部下など待機していた将兵と顔を突き合わせる。気だるげな様子で最も遅く立ち上がった田所はぶつぶつと他人には聞こえない独り言を呟きながら、司令室の最奥に設置してある第3統合艦隊との直通電話を手に取る。この電話は司令部としての大隅司令室の機能を整えるものであり、直通電話といっても作戦や随伴艦の相違によって接続先は変わる。今次作戦においてこの直通電話は第3統合艦隊司令部が置かれている出穂艦橋につながっていた。

 

そのような彼の後ろ姿を緒方と共に眺めていると出入り口のドアが激しくノックされた。

 

「し、失礼します!」

 

慌ただしく入室してきたのは、先ほど伊豆見から場違いな怒号を浴びた通信課の下士官だった。彼があからさまに怯えながら、こちらへ駆け寄ってくる。

 

「どうした?」

「島根からの緊急電です!」

「読んでくれ」

「はっ!」

 

彼は右手の小さな紙きれに視線を落とす。しかし、このころには彼の存在が司令室全体へ広がり、伊豆見も含めて再びその身に視線を集結させていた。

 

「発、呉鎮守府司令長官三雲幾登(みくも いくと)。宛、MI攻撃部隊総指揮官、百石健作提督。当鎮守府所属の伊58が12月22日5時49分ごろミッドウェー諸島の南方、98海里において、戦艦を主力とする敵艦隊を発見。動向に細心の注意を払われたし。・・・・・以上であります」

 

電文を読み上げた時と、終了を伝えた時の口調があまりにかけ離れていると感じたのは気のせいだろうか。彼の気まずそうな顔を、そして大きなため息を吐き続ける司令部要員を見るとそれが事実であることに気付いた。

 

「おい。今日は何日だ?」

 

抑揚のない声色で伊豆見が控えていた航海長に尋ねる。

 

「えっと・・・。ミッドウェー時間で12月24日。瑞穂時間では23日になります」

「そうだよな。俺の勘違いじゃないよな・・・」

 

そして。

 

「あいつらは2日間何してたんだぁぁぁ!!! 今更送られても遅いんだよ!!!」

 

再び激高し、その場で地団駄を踏む。下士官は再来の予感に身を強張らせていたが、さすがの百石もこれには脱力感を禁じ得ず、緒方と共に眉間を抑えるしかなかった。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 

所狭しと壁に沿って設置された、通信機器の数々。傍を駆け抜けたり、机につきペン片手に聞こえてくる音声や符号に耳を立てたりしている将兵と同等の大きさを有するものもあれば、事務机に収まるものまで多種多様。彼らは24時間休むことなく当直の将兵たちと連携し、自艦と他艦の架け橋を果たし続けていた。

 

いくら電動とはいえ機械の宿命である排熱によって、いつもは外気温より一段階高い室温に悩まされているのだが、今この瞬間、室温は適温を遥かに下回り絶対零度を目前とするまで降下していた。身体的温度はいつも通り、冬に弄ばれている室外と比較して幾分温かい。しかし、身体的温度と無縁ではない精神的温度は外界のどこかにいる冬将軍も裸足で逃げ出してしまうほど凍えていた。

 

それに耐え、必死にこれ以上の寒冷化を招かぬよう平常通り任務に励む将兵たち。その背中に努力をあざ笑うかのような凄まじい怒号が突き刺さった。

 

「この恥さらしがぁぁぁ!!!」

「うぐっ!!」

 

聞こえただけで不快感を惹起するぐぐもった激突音に、有機物が無機物に倒れ込み思わず不安感を抱かせる雑音。ただならぬ気配が立ち込めるが、それでも当直の将兵たちは自身の仕事に専念する。怒号が事実を歪曲した理不尽極まりないものなら、彼らも声を上げるなりドスを利かせるなり行動に映っただろう。しかし、今回は怒りを爆発させ、1人の少尉を殴り飛ばした呉鎮守府参謀部長山下智侑(やました ともゆき)中佐には絶対的な“激高する理由”があった。

 

山下の怒りを物理的に左ほほへ受けた少尉は呻くことも、頬をさすることも、ましては反抗的な態度を示すことなく、瞬時に立ちあがり、山下の前へ歩み出る。彼の左隣には顔を強張らせた一等兵曹が、山下の傍らには眉を垂らす通信課長川田友臣中尉がいた。

 

「まことに・・・・まことに申し訳ありませんでしたぁぁぁ!!!」

「謝って済むことか! あん!? 貴様らがしでかしたことの重大性は貴様らが一番よく分かっているだろうがぁぁぁ!!!!!!!!!!」

 

山下は再び少尉の頬へ突撃しそうになる左腕を寸でのところで抑え込み、胸に溜まった鬱憤を言葉に変換して放出する。それはいくら必死の形相で頭を下げられようとも、収まりはしなかった。

 

山下がここで呉鎮守府通信課に所属する将兵2人へ怒鳴り散らしている理由。ことの発端はつい1時間前。MI攻撃部隊旗艦の大隅から“敵別動隊発見及び戦闘不可避”の緊急電が送られてきたことに始まる。

 

布哇泊地機動部隊とは別行動をとる戦艦を主体とした深海棲艦の水上打撃艦隊。この存在を呉鎮守府はMI攻撃部隊がミッドウェー諸島を攻撃した頃合いに伊58の緊急報告で把握。事態の深刻性を鑑み、即座にMI攻撃部隊へ通報したはずだった。しかし、MI攻撃部隊が敵水上打撃艦隊の存在を把握したのは伊58の発見から2日も経過した本日。飛龍が放った彩雲による目視偵察の結果だった。

 

「どういうことだ!? 大隅に打電したんじゃなかったのか!?」

 

通信課及び島根航海科からは大隅に打電し、打電を受諾した旨の返信も受信したと参謀部長である自身はおろか現在島根の通信を一手に指揮している通信課長川田友臣中尉にも報告されていた。にもかかわらず、この事態である。川田が調査を行った結果、偶然と初歩的な人為ミスが重なった不祥事であることが明らかになった。

 

当時、通信室ではMI/YB作戦の発動中ということもあり大隅を含めた各艦、各地上部隊、各艦娘からの通信が舞い込み、加えて呉鎮守府の意思や決定を他艦へ伝達する業務もあり、多忙を極めていた。その折、MI攻撃部隊との通信を担当していたのは1等兵曹。彼が山下の意向を受け、大隅に敵別動隊発見の急報を打電した張本人。しかし、大隅からの返信はなかった。訝しがっていた時にちょうど当直交代の時間となり、1等兵曹は大隅の件を当直士官であった少尉に報告し、退室。ところがこの時少尉に提出された通信履歴の順番が間違っており、あたかも先ほどの通信に大隅が返信したかのような構成になっていた。本来ならここで報告を受けた少尉は疑問に思い、1等兵曹を追いかけて事情を正すなり、1等兵曹の次にやって来た2等兵曹に再び大隅へ打電させるなりの確実性を期さなければならなかったが、少尉は「あいつの勘違いだろう」と多忙を極めていたこともあり一人で早合点。2等兵曹には「大隅とは連絡がついたから」と言って別の業務を指示。「大隅から返信を受諾」とこちらに報告した。

 

だが実際、大隅はおろか高いマストを持つ鞍馬(くらま)すら島根の緊急電を捉えることはなく、MI攻撃部隊は別動隊が自分たちへ向かっているとは夢想だにせず、作戦を遂行していた。

 

この些細なミスと思い込みが、艦娘を含めた約6000名の人命を風前の灯に変え、海軍の長期的な戦略、ひいては瑞穂に房総半島沖海戦の“再来”をもたらしかねない、いくら贖罪を重ねようとも償い切れない大失態につながった。

 

通常艦隊が深海棲艦と砲火を交えればどうなるか。海軍はいやというほど屍を晒され、思い知ってきた。例え、技術力、経済力、財政力の全てを結集し、瑞穂の国力を結実させた統合艦隊であろうとも、結局のところこの運命には抗えない。少なくとも呉と横須賀、軍令部は承知していた。

 

山下もまさかこのような正念場にこれほど天に見放された事態に陥ろうとは、日本世界のおけるMI作戦中、アメリカ海軍空母の呼び出し符号を赤城が傍受しなかった不可解を並行世界証言録から知っていたものの思いもしなかった。

 

 

時勢の展開次第では“役立たず”を飛び越え、“仲間の首を絞めた穀潰し”の烙印を押されるだろう。だが、一義的な原因は彼らにあった。

 

「一体何をしているんだこのような時に! 多忙だったことは理解している。だが、非常時に任務を着実に遂行できてこその軍人だろう! 貴様らは海兵団で、田浦の通信学校で何を学んできたんだ!」

 

MI攻撃部隊壊滅の危機感が怒号の蛇口を開き続ける。些細なミス。偶然の重なり。誰がどこかでほんの少しでも行動していれば、偶然がほんのわずかばかり歯車のかみ合わせを違えていれば、このような結果は起きなかった。今となっては喉から手が出るほど欲しいその道が明確に見えるからこそ、後悔と怒りが収まらない。

 

「山下参謀部長・・・・」

 

こちらの説教を見守っていた川田が意を決したように声を上げる。何事かと視線を向ければ、後悔と葛藤のあまり獣のように顔を皺だらけにしている御年25歳の川田がいた。その鬼気迫る形相に思わず、言葉を失った。

 

「今回の失態は通信課、ひいては彼らを指揮監督する立場にある自分の責任です。まことに申し訳ございません」

 

彼は腰を90度折り曲げ、つむじをこちらに向ける。こうされるのは今日だけで2回目だ。

 

「もし今後もご指導されるのであれば、小生もお加えください。拳で悟れとおっしゃるなら、彼らではなく私に。彼らには私からきつく言い聞かせますので・・・・・」

「中尉・・・・・・」

 

呉鎮守府幹部の中では最年少、最下位だった川田。部下に自身と同じ中尉はおろか、父親にも匹敵するほどの年齢の兵士がいる中で舐められないよう、そして命令に信頼を抱いてもらえるよう彼は同じ年齢の若者が東京や大阪で遊び歩いているのを尻目に奔走してきた。特権階級意識が高く、自分たち以外を見下す傾向が強い、海軍兵学校・海軍大学校を経た海軍通信学校高等科卒業組でありながら、彼はエリート意識を垣間見せることはなかった。

 

その彼の、重大な過失を侵した部下への庇いだて。失態を侵した2人も意図的だったわけでない。彼はそこをくんでいるだろう。

 

彼の姿勢を甘いと見る視線。

彼の姿勢を温情に厚いと見る視線。

 

その交差は異様な沈黙を島根の通信室にもたらした。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

目まぐるしく動き回る風防ガラス越しの世界。常時変化する重力。真夏にもかかわらず厚着をしなければたちまち凍えてしまう気温。身を預けている機体に急機動を強いるたびに甲高い唸り声を上げる発動機。機関銃発射把柄(はへい)を握るたびに全身を痙攣させる小刻みな振動。

 

狭い搭乗席が私室になってから、学生を脱した一人前のパイロットとしてこの機体が相棒になってから、見慣れた景色。感じ慣れた感覚。

 

しかし、薄気味悪い笑みを浮かべながら追ってくる人智を超えた存在を、火煙を胴体から吹き出しながら墜ちていく味方機を見た瞬間、日常への帰還を望む邪念が現実に消滅させられた。

 

「中尉! 後ろを取られています! 回避を! 回避をぉぉ!!」

 

僚機無線から声の裏返った絶叫が聞こえてくる。

 

「はぁ・・・・はぁはぁ・・・・・はぁ!」

 

視界の隅をかすっていく橙色の小さな光。蒼空を切り裂いていくそれの果てに、無残に撃墜さる自機が見えた。

 

「っ!?」

 

暴走する心臓に触発され胃の内容物と弱音をぶちまけそうになる嘔吐感を必死に抑えながら、操縦桿を前後左右に倒し、ペダルにかける力を微調整し、もはやだれのものか分からない大空を乱舞する。

 

「俺しか残ってない! 俺しか! ・・・第102飛行隊第5小隊! 祖国瑞穂の空に栄光を刻まんとす!」

「このタコ焼き風情がぁぁぁぁぁ!!!!!!」

「絶対に艦娘だけはやらせるな! 彼女たちは俺たちの・・・瑞穂の希望だ!」

「くっそ! 中山がやられた!」

 

スイッチを入れたままの隊内無線から悲痛な声が途切れることはない。時間の経過とともに減っていく声が、仲間たちの置かれた状況を如実に物語っていた。

 

「う・・・・・・っ。田中・・・・田中・・・・・・」

 

水色の空から青色の空へ眼前の景色が移行した瞬間、先ほどその青色の中に溶けていった仲間の顔が浮かんだ。

 

3機いた、自分の部下。今となってはもう1機しかいない。

 

だから、そもそも邪念が望む日常の再会など不可能なのだ。2機は永遠に自分の元から、消え去ってしまったのだから。

 

「隊長・・・・・。ここでくたばることは俺が認めませんよ!!!」

 

前方から見慣れた影が猛スピードで現れる。影の思惑を看破した一瞬、思考が停止した。

 

「こらぁ! 桃谷! そんなことしたら・・・・・」

 

視界の隅をかける光。それは空気だけでなく、大切な部下さえも引き裂いた。雑音を吐き出した後、沈黙する僚機無線。

 

「あ・・・・・・・・・」

 

飛び散るプロペラ。紅蓮の炎を吹き出す発動機。もはや空の守護者たる力を失った金属の塊が自機とすれ違う。

 

「桃谷・・・・・」

 

発動機から流れる黒煙によって搭乗席は見えない。

 

「桃谷・・・・」

 

 

 

「・・・・・・・・・!」

 

どこからともなく声が聞こえてくる。ぐぐもっていて何を言っているのか分からない。

 

 

 

 

惰性で飛行した後、30式戦闘機は故郷の地上へ突入していく。

 

 

 

 

「つ・・・・た・・い!」

 

小刻みではなく、ゆったりと体が揺れる。

 

 

 

 

 

そして、どこまでも続く大海原に水柱を巻き起こした。

 

「あ・・・・あ・・・・。も・・・桃谷ぃぃぃぃぃ!!!」

 

 

 

 

そこで。

 

 

 

 

筒路(つつじ)大尉!」

「んはっ!!」

 

意識はいつまでもまとわりついてくる過去から、行先が決まっていない現実へ引き戻された。

 

「んは・・・っは・・・はぁ・・・はぁ・・・・・。ここは?」

「大丈夫ですか? 筒路大尉?」

 

見慣れた武骨な天井に、特段の感慨も浮かばない硬めの布団。自分の顔を心配そうに見つめる、茶色の飛行服を着た士官。「ここは」の問いなどはなから不要であった。自身がなぜここでこうしているのか。理由が分からなければ即刻軍病院へ直行だ。

 

「そうだった。そうだった。横になろうとしたんだった・・・・・」

「筒路大尉、本当に大丈夫ですか? どうやらうなされていたようですし、顔色も芳しくありませんよ?」

 

おそらく梯子に登っているのであろう。部下の桜野伸吾(さくらの しんご)中尉が二段ベッドの上段であるにもかかわらずベッドの脇から顔を覗かせている。度重なる質問への無視が彼の不安を増長させているようだった。ここは航空隊の士官が寝泊まりする出穂士官用居住室。二段ベッドが壁際に2つ設置された6畳ほどの部屋で、他に私物用の狭いロッカー人数分。机はない。現在、出穂航空隊が置かれている状態を知っているため、誰かほかにいるのかと探す気力も湧かなかった。出穂航空隊搭乗員、偵察員全員は搭乗員待機室に集合していた。

 

「俺はなんともない。・・・・それより、どうしたんだ? お前が来たってことは何か動きがあったんだろう?」

「・・・・・・・・」

 

無言で目を細める桜野。この言葉が彼の気持ちを逆撫ですることは分かっていた。しかし、心情の吐露は自身の置かれている地位が許しはしなかった。

 

「まもなく飛行隊長が来られます」

 

それだけで、桜野がここへやって来た理由はおろか今後待ち受けている自身や桜野を含めた出穂航空隊の未来が察せられた。

 

それだけいうと、やれやれとため息をつきながら桜野は梯子を下りていく。

 

「すまんな、桜野・・・・」

 

一瞬で空気に溶けそうなほど弱々しい言葉を天井に向かって呟く。それが休憩の終わりと言わんばかりに素早く起き上がるとベッドから降り、吊るしてあった上着を羽織ると待っていた桜野を横目に居住室の扉を開ける。

 

室内の静寂から一転。燃料や応急対処用の角材、医薬品、食糧などが所狭しと並べられ、依然に比べてより一層通りづらくなった廊下を下士官が右に左に表情をこわばらせながら駆けている。桜野を伴いその間を縫うようにして、搭乗員待機室へ向かった。

 

 

 

 

 

 

「いいか!? もう一度確認するぞ!!」

 

これから発艦する航空機の先を越すように約217mの飛行甲板を絶好調で駆け抜ける風。聴覚に風切り音を、嗅覚に視界の限り広がる大海原の香りを速達。総勢137名に向かって吠える偉丈夫で肌を浅黒く焼いた男の声をかき消そうと画策するが、彼の声帯は自然の意思をも屈服させ、自らの言葉を全員に届ける。

 

彼は54機の常用機を誇る出穂航空隊を指揮する飛行隊長山口弘毅(やまぐち ひろあき)少佐。“深海棲艦を撃沈してこそ艦攻隊員”と今回の作戦を非難した艦攻隊員を一喝した血の気の濃さで名を轟かせる猛将だ。

 

山口は全員に見えるようMI攻撃部隊と深海棲艦水上打撃艦隊を図示した黒板を両手で胸の高さまで掲げる。そして、要所要所で黒板に抱えている記号を指し示しながら、先ほど搭乗員待機室で説明された作戦のおさらいを開始した。

 

「敵艦隊と当艦隊の接敵まで後30分。先ほども説明したが、本作戦は我々が主役ではない。あくまで彼らが主役である」

 

そういうと山口は雁首を揃えている隊員たちの後方を指さす。ここにいる全員、山口が何を指しているのか把握しているため、彼の顔を直立不動で見続ける。輪形陣の中心で航行する出穂の左舷側遠方には35.6cm連装砲4門を有する瑞穂史上最大の戦艦、薩摩型3番艦紀伊が左舷を警戒するように航行していた。

 

「我々は特定海域に敵を誘引させる脇役だ。艦戦隊は通常爆弾、艦攻隊は航空機雷と特殊焼夷弾を持って、敵の進路を妨害。特定海域に敵が進出後、紀伊が燃料気化砲弾を撃ち込み、敵を殲滅、もしくは無力化する。これにあたり・・・・・・・」

 

“出穂航空隊の総力を持って、敵水上打撃艦隊を襲撃、殲滅する”

 

百石の明確な方針が伝達された時、航空隊には言葉では言い表せないほどの衝撃が駆け抜けた。中でも敵の濃密な対空砲火の真っ只中に飛び込み直接攻撃を仕掛けることになる艦攻隊では絶望を通り越し、百石をはじめMI攻撃部隊司令部で幅を利かせる横須賀鎮守府への罵詈雑言の嵐が吹き荒れた。

 

「上は一体俺たちの命をなんだと思っているんだ! 結局俺たちは捨て駒かよ!」

「深海棲艦とやりあって、まともに勝てるわけがない。あんな小さな的にどうやって爆弾やら魚雷を当てろっていうんだ!?」

「百石といい横須賀は俺らの立場を何も分かってない! 懇切丁寧に撃ち落とされにいけだぁ??? ふざけんな、くそが!」

「慣れ過ぎなんだよ、人死(ひとじ)にに! いっしょくたにされたら、たまんねぇんだよ!」

 

艦攻隊員が放った暴言の一礼である。自分より遥かに階級の高い軍人、加えて司令部を非難し、あまつさえ罵倒することは本来ならば許されない。しかし、この場にいた山口でさえも彼らを怒鳴りつけることはしなかった。

 

航空機が深海棲艦とやりあえばどうなるか。それは身をもって知っている。だが空中戦だけでなく、通常兵器の劣勢は対艦攻撃任務であっても顕著だった。瑞穂海軍は大戦勃発初期、各航空基地に配備されている中翼単葉、主脚固定式の20式攻撃機、24式爆撃機で数度本土へ接近した深海棲艦への対艦攻撃を実施したことがある。結果はぐうの音も出ないほどの全滅。全長100m越えの艦船にすら命中させることが困難であるにもかかわらず、相手は人間と同等の大きさ。空中戦における機銃と異なり、爆弾や魚雷などをそもそも命中させることは不可能だった。

 

“あの百石提督がこんな愚策を考案するものか?”

 

山口からMI攻撃部隊司令部の意向が伝えられた時、率直に疑問を感じた。横須賀において百石健作提督の評判はすこぶる良く、房総半島沖海戦後は横須賀航空基地に足を運び、自分たち生存組を激励してくれたこともある。横須賀鎮守府司令長官という立場上、深海棲艦との戦闘の最前線に立ち、房総半島沖海戦における横須賀航空隊第101、102航空隊、第5艦隊の壊滅も至近で目の当たりにしている。

 

航空隊の怒りに触れ、艦橋へすっ飛んでいった第3統合艦隊航空参謀森本喜市中佐は戻って来た後、その感慨が正しかったことを示した。百石は全滅覚悟で運に任せた攻撃を行う考えは微塵も持っていなかった。

 

“あえて航空機による直接攻撃を避け、被弾の危険性を負ってまでも戦艦及び重巡洋艦の主砲で迎撃する”

 

説明を受けた後、現有戦力を最大限有効活用できる作戦と判断した艦攻隊員たちは一挙に鎮静化。昨日3機の33式艦上偵察機を“はるづき”に撃墜され、9名の戦死者を出している偵察隊の隊長である先任分隊長吉岡実大尉が賛意を表明したことで、一挙に最善を尽くす流れに落ち着いた。

 

「再度の作戦説明は以上である! 何か質問は?」

 

自然をも屈服させる強靭な声が止む。その隙に一瞬だけ視線を上方、艦橋脇の見張り台に向ける。そこにはこちらを険しい表情で見下ろす第3統合艦隊司令官安倍夏一中将と参謀長の左雨信夫少将、出穂艦長の有賀友憲大佐がいた。通常なら安倍と有賀から短い訓示があるのだが、今回は早急な発艦が要求されているためなかった。

 

山口は殺意すら籠っていそうな鋭い視線で137人を見回すと再び屈強な声を張り上げた。

 

「此度は誘引任務とはいえ、れっきとした実戦であり、敵の防空圏内に突入する。これまで行ってきた訓練ではない!! そのことを魂に刻み込め!! 日ごろ培ってきた訓練の成果が存分に発揮できることを期待する!!!」

 

迫真の気合いが宿る敬礼。それに覚悟を込めて、答礼する。

 

「総員、発着位置につけ!!!」

 

裂帛の号令と共に180度回れ右。全速力で駆けていく部下の背中を負い、足を全力稼働させて後部甲板に待機している愛機へ駆け寄る。

 

プロペラを適度に回転させ、木製甲板の上でリズミカルな音を奏でる15機の30式戦闘機乙型。その後方には胴体下部に特殊焼夷弾を抱え込んだ32式攻撃機乙型が艦尾の海面を遮るほど規則正しく並べられていた。

 

30式戦闘機乙型とは2030年に制式化され、先の房総半島沖海戦にて白玉型深海棲艦航空機、通称“タコ焼き”と善戦した30式戦闘機の艦上型である。陸上基地に配備される陸上型の丙型とは異なり着艦に必要な着艦フックを装備し、空母エレベーター幅及び格納庫内空間を考慮して翼端が50cm短縮された上で、主翼に折りたたみ機構が採用されている。それら以外の外観、性能、武装は丙型と相違ない。

 

多数の機体が撃ち落とされた房総半島沖海戦の教訓を受け、30式戦闘機には防弾性能を向上させた丙一型の開発が持ち上がっている。搭乗席や燃料タンクなどの防弾板を厚くし防弾性能の向上を図ると機体の重量が増し、運動性能が低下する。これを防ぐため丙一型には重くなった機体でも丙型や乙型と同様の運動性能を発揮できる新型高出力レシプロエンジンが搭載予定である。だが、開発予定はあくまで陸上型の丙型。今のところ、艦上型の乙型に強化の話は上がっていない。

 

操縦席で各種機器の点検作業をしていた愛機の機体付き整備員松野猛虎(まつの たけとら)一等水兵に敬礼すると、すぐには乗り込まず部下たちが自機に乗り込むのを見守る。艦戦隊を任された先任分隊長の務めだ。

 

房総半島沖海戦横須賀湾沖航空戦において、横須賀航空隊第102飛行隊第7小隊で唯一生還し、同航空戦を生き残った11人の中の1人である元第7小隊長筒路喜人(つつじ よしと)大尉は同海戦後出穂航空隊に異動。艦戦隊隊長である先任分隊長を務めていた。

 

“深海棲艦航空機、しかもあのタコ焼きと正面切ってやり合い、生き残った搭乗員”として、房総半島沖海戦を凌いだ第101、102航空隊搭乗員はその後一躍英雄となり、海軍内では航空部隊であろうが、水上部隊であろうが、地上部隊であろうが知らぬ者はいないほど名を轟かせていた。筒路も例外ではなく、房総半島沖海戦後中尉から大尉へ一階級昇進。また、航空部隊の中でも生え抜きエリートの集合体である空母航空隊への異動が命じられ、異例にも艦上戦闘機隊隊長である先任分隊長に任命された。本来ならこのポストは将来の航空部隊指揮官を目指し海軍兵学校から飛行学生を経て搭乗員になったいわゆる江田島組の椅子である。筒路は兵学校出身ではなく一般大学卒業生に用意されている中級士官養成を目的とした飛行予備学生出身。高校卒業後、士官として過酷な教育・訓練を受けてきた江田島組からは“ぼんぼん”と卑下されがちで、空母航空隊に所属する飛行予備学生出身者はごく一握りだった。大半は飛行学生出身者か高校卒業後搭乗員・偵察員だけを夢見て突き進んできた航空練習生だ。

 

自分に務まるのか。辞令を受けてから、そして異動直後から現在に至るまでこの自問は消えない。あの日、自分は3人の部下を失った。そして、所属していた部隊は壊滅した。ただ運が良かっただけで生き残った、艦攻隊の江田島組曰く“死にぞこない”。だが、そのような自分を飛行学生出身である桜野伸吾中尉をはじめ、艦戦隊の部下たちは信頼してくれている。

 

今は栄えある艦戦隊先任分隊長としての責務を全うする。次々と外されているタラップを眼前に再度決意を固めると松野に視線を合わせ、力強く頷く。自らタラップを駆けのぼる。

 

「試運転終わり! 結果良好!」

 

レシプロエンジンが駆動中でも聞こえるよう松野が叫ぶ。それを確認し、もはや私室といっても過言ではないほど慣れ切った操縦席を交代。座席の座り具合、操縦桿やブレーキの聞き具合を自らの手で再点検。その間に松野は手持ちのウェス(布)で忙しなく風防ガラスを磨く。

 

結果は松野の言った通り、良好だった。タラップに乗っている松野に向け笑顔でグッドサインを決める。

 

「武運長久をお祈りします! 頑張ってきてくださいね! 分隊長!! 横須賀航空隊の意地、見せて下さい!!!」

 

磨き終わった松野が耳元で叫ぶ。松野は轟音や死の可能性など微塵も感じさせない満面の笑みを浮かべる。いくら誘引が任務とはいえ自分たちが下手を打てば、第3統合艦隊は危機的状況に陥ることになる。

 

この身が背負っているのは部下たちの命だけではない。そして、あの日の情景に精神をすり減らしている場合ではない。

 

「おう! 見ていろ!」

 

 

松野の機体に応えるよう、こちらも笑顔を浮かべる。それを見届けると松野は飛行甲板に降り、他の機体付き整備員共にタラップを持って機体から離れていく。風防を閉め、前方の何もない飛行甲板を直視する。艦戦隊先任分隊長であるため、自機が発艦機の最前列だ。

 

飛行甲板前方で待機する飛行科兵曹長は赤白2本の旗を持って、待機状態。白旗を振れば発艦開始の合図だ。先ほどの作戦説明では出穂が増速し、合成風力を生み出している旨も伝えられた。機体の揺れ方、兵曹長が持っている旗の動き方から見るに既に発艦に必要な風力は満たしている。いつ、白旗が意思を持ってはためいても不思議ではない。艦橋見張り台や指揮所には安倍以下多くの士官が航空隊を見つめている。

 

そして。

 

「・・・・っ」

 

兵曹長は風に吹き飛ばされないよう飛行甲板に踏みとどまり、大きく白旗を振った。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~

 

 

 

風と共にただ海面しか存在しない世界を駆け抜ける断続的な砲声。そして、着水音、炸裂音。それらは複雑怪奇な波紋を広げ、時には激突し合い、時には融合し、時にはすれ違い、世界を振動させていく。間接的物理現象である波紋はそうだったが、波紋を発生させている張本人たちの姿勢は極めて一貫している。

 

すれ違うことも、手を取り合うこともない。ただ、ひたすら。

 

「このぉぉぉ!!!」

「ふんっ!? これだから、腑抜けはっ!!」

 

唯一の中口径砲填兵器であるMk45 mod4 単装砲を撃ち続けていた。

 

「ちっ!」

 

FCS-3A 多機能レーダーが捉えた砲弾の機動、速度情報から被弾可能性ありと判断した警報システムの警報音が鳴り響く中、急減速・面舵を同時に行い、自身とほぼ並走しているはるづきから放たれたMk45 mod4 単装砲弾を間一髪のところで回避する。彼我の距離は1kmを切っている。これではSSM-2Bは使用できない。ほんの1秒前までいた場所に爆音を伴いながら大きな水柱が発生し、滝のようにざわめきながら崩れ落ちていく。足に一瞬だけ痛みが走るが気にしない。

 

直撃弾はなくとも度重なる至近弾の破片や衝撃波によって、ゆっくりと蝕まれていく艤装と体。しかし、気にしない。気にする余裕もない。相手は自身と同じあきづき型特殊護衛艦。知識も、能力も、装甲も。一撃=死という現代艦の宿命も同等。

 

みずづきがはるづきの至近弾を受けているように、はるづきもみずづきの至近弾を食らっていた。彼女も人間味のない純白の肌の各所を赤く切り刻まれ、艤装も傷付いている。

 

だから、集中力は常に現実へ。同等である以上、勝負の分れ目は精神力だ。

 

「っ!?」

 

お返しと言わんばかりに、波しぶきを一瞬で水蒸気に変える砲身が何度目か分からない咆哮を行う。迫力では長門たち戦艦と話にならないものの、一見地味に感じる火煙はその実、この世界で最高の命中精度を誇る。

 

弾庫に眠っていた時間と比較して、本当に一瞬の飛翔時間。その過酷な運命にめげることも、ぐれることもなく多目的榴弾は大気中を音速一歩手前の速度ではるづきに突進し・・・・。

 

 

 

虚しく、左舷に水しぶきをあげた。

 

 

 

「やっぱり、不規則な動きをする相手には分が悪いか。・・・・技術の限界だな」

 

難しい顔をして腕を組む、ではなく、声のみでその表情がつい浮かんでしまうほど唸るショウ。彼は現状においてさすがにみずづきと交わした“勝手にメガネに出てくるな”という言いつけを守り、姿を現さず声で存在を保っていた。

 

その声が語る現実。みずづきはそれに苛立ちながら、次射を放つ。

 

「レーダー、光学照準機器と連携した射撃統制装置をもってしても、意思のある存在を前にしては所詮プログラムに基づいた計算でしかない。予測など困難。イコール、命中精度も・・・・・」

「んなこと分かってる!! 御託並べてると舌噛むわよ!!! いいから、黙ってて!!!」

 

AIに噛む舌がないことは分かっていたが、叫ばずにはいられなかった。向かってくる灼熱の砲弾。それが今まで以上にはっきりと視界に捉えられた。脳がFCS-3A 多機能レーダーにも引けを取らない速さで対処策を検討、決定する。

 

主機を急停止。惰性で航行しながら、スケール選手のように体を回転。首元を容赦ない“死”が掠める。後方で生じる水しぶき。もろに頭から海水をかぶるが、お構いなしに主機を起動。ガスタービン特有の甲高い駆動音を伴って、疾走を再開する。CIWSが恨めし気に佇んでいるが、短所が装弾数の少なさではこの長期戦においてやすやすと使えない。

 

回避した直後、通信機から聞きたくもないいやらしい声が流れてきた。

 

「ひゅ~~~。お見事! その動き、もう人間じゃないね」

 

睨みを利かせているみずづきとは対照的に、常時笑顔を張り付け命の取り合いに快楽を感じているようなはるづき。舌なめずりを境に、その狂気がさらに深まった。

 

「やっぱり、あんたも私と同じじゃない!!!」

 

黒を基本として流れ出る血のような赤い不規則なラインを引いた禍々しいMk45 mod4 単装穂が主人の意思に応え、一際大きい咆哮を轟かす。

 

「この感覚、その雰囲気。ただの人間にしてはおかしいと思ってたけど、そう・・・そうなのね」

「だから、なんだっていうのよ! いくら、どうなろうと私はみずづき! あきづき型特殊護衛艦! そして、第53防衛隊隊長を拝命し、故郷を! 居場所を! 仲間を! 守るために闘う海防軍人!」

 

はるづきは精神攻撃のつもりで“わざわざ”この事実を引っ張り出したようだが、あいにく踏ん切りはついていた。なにより、深海棲艦の細胞が入っているこの体だからこそ、人間の純粋な反射速度では対応できず、機械に依存する現代の戦闘に食らいつけていた。

 

だから、そのようなこと屁でもない。

 

「例え同じであろうとも、あんたとは何もかも違う!!!」

 

砲撃の報復、加えて言葉に込められた意思の強さを示すため、引き金を引く。はるづきからの砲撃はこちらの蛇行航行に惑わされ、明後日の方向で浪費と化していた。

 

「どうして! どうしてよ!! なんで・・・なんであんたはそんな姿になってんのよ!! ねぇ! どうして!?」

 

あきづき型特殊護衛艦の能力を持った深海棲艦が“はるづき”だと分かってから、常に抱え込んできた疑問。正真正銘、本気の命の取り合いをしているさなかに、甘いと言われるかもしれない。

 

それでも、これだけは聞いておきたかった。以前の彼女を知っているが故に。幾重にも飛び交う砲弾は長らくその機会を与えてくれなかったが、声を発せられる状態で絶好の機会が訪れた。

 

「なんでよ! はるづき!」

 

だから、ここぞとばかりに“そうなってしまった”理由を問う。理解不能すぎて、涙が出てきた。

 

しかし。

 

 

 

 

 

 

 

「そりゃ、こうなるでしょ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

この世全ての音を吸い尽くして自分の支配下に置く、どこまでも深く黒い怨嗟。世界が変わった。幻覚ではない。勘違いでもない。身を置いている世界が明確に別次元へ移行した。

 

もちろん、悪い方へ。地雷を踏んだ。この例えが生易しく慈悲に溢れていると感じてしまうほど。全身を強烈な悪寒が駆け抜ける。

 

「えっ?」

 

はるづきの顔にはもう“快楽におぼれる”笑顔はなかった。

 

「なんで、あんたこそ・・・・・・・・分からないのよぉぉ!!!」

「っ!?」

 

防衛産業の屋台骨を支える大手電機メーカーが製造したあきづき型の通信機ですら音切れを起こすほどの絶叫。艦外カメラで視認したはるづきの顔は阿修羅や般若を通り越し、まさしく船の怨念と語られた深海棲艦の形相に一変していた。

 

はるづきは吠えながら、Mk45 mod4 単装砲を射撃。同時にCIWSで水平射撃を行ってきた。彼我の距離が1kmであるため、この身は十分毎分4500発を誇る光弾の懐だ。命中を期待しない牽制射撃を行いつつ、右へ左へ、前へ後ろへMk45 mod4 単装砲及びCIWSの砲身を睨みながら、必死で海上を舞う。

 

「あんな腐り切った世界に、存在も、人生も、努力も全部否定されて! 大切な存在を全て奪われた! こんな理不尽を強いられた・・・・誰だってこうなるでしょうが!!!」

「くっ!?」

 

砲撃は回避したものの、左腕がCIWSから伸びてきたタングステンの触手に絡み取られる。向かい風を受け、弾けた血が左肩全体を真っ赤に染めた。

 

「あんただって、知ってるんでしょ!? あの世界の闇を! 私たちが翻弄されてきた歴史の、あの戦いの正体を!!」

「っ!? なんでそれを!!」

「あの偽善者が何の策もなく、のうのうとくたばるようなタマでないことは昔から知ってる! 何度も会って来たんだもの! どうせ、その艤装に細工でもしていたんでしょ!?」

 

これも深海棲艦の勘なのだろうか。彼女は大まかにこちらが置かれている立場を把握していた。しかし、その事実よりも言葉から導き出された看過できない推論が全意識を炙った。

 

「偽善者って・・・・あんた、知山司令のことを!!!」

 

怒りに任させて、Mk45 mod4 単装砲の引き金を引く。当たらなくてもいい。外れて構わない。艦載砲をはじめ武器には相手を殺傷する以外に、自己の明確な意思を伝達する存在意義がある。はるづきにはいくら蔑まれても、罵られても決して変わることのない不変の意思を示したかった。

 

知山は偽善者でも、己が悲願成就のため無実の人々を生贄にした暗部の構成員でもない、と。

 

「まだ、信じてるのあいつのこと!? あいつは日本を地獄絵図にした連中の一味よ! 数え切れないほどの女子から未来を、その命をも奪いとり、眼前で人間がもがき、苦痛に絶叫しても顔色1つ変えなかった、人外の化け物よ!」

「違う!! 違う違う違う違うっ!!! 確かに知山司令は私たちに嘘を付いてた、裏の顔を持ってた。でも・・・・・」

 

“みずづき?”

 

自分の名前を優し気に微笑みながら呼ぶ、彼の顔が浮かんだ。

 

「知山司令は知山司令だった!! 私が知ってる知山豊と変わらない・・・私の大好きな人だった!!」

「分からない・・・・・・・」

 

そう声を震わせ、日本刀のような鋭さを視線に宿した瞬間、声と砲口が吠える。

 

「分からない・・・分からない、分からない!! どうして、真実を知っても・・・・あんたは正気でいられるのよ!! 私にはあんたが分からない!」

 

前方に立ち上る水柱。真正面から豪快に突っ込み、全身が海水で現れる。それでも瞳にははるづきしか映さない。

 

「中国との戦争も! 丙午戦争も! 深海棲艦との戦争も全て、大日本皇国なんていう中二病的妄想のための行程だった!! そんなしょうもないもののために、父さんも、母さんも、おにぃもおねぇも死んだっ!! ふざけるな!!!!」

「なっ・・・・」

 

ここへきて、お互い年月の経過ではあり得ないほど変わり果て、しまいには並行世界に来て初めてそれを知った。

 

「はるづき・・・あんた」

 

自らの境遇。日本では軍内であろうと一般社会であろうと、全ての人間が地獄の中で苦しみ、一言では語り尽くせないほど多くのものを失ったため、そして何より日本全国に広がる廃墟などいまだに地獄の渦中であることをはっきりと明示する残骸がひしめいているため、悲惨な記憶と夜明けが訪れない絶望を呼び起こす過去の話はご法度。できる限り、触れない、聞かない、話さない暗黙の了解が存在していた。

 

それは艦娘学校でも同様だった。由良基地で共に後期課程の訓練を受けていたみちづきは例外中の例外だ。

 

「家族は・・・みんな・・・みんなっ!! 大好きだった故郷の仙台も一面の焼け野原になったっ!! それでも受け入れようとした。身勝手で自己都合しか考えない人間という存在も、そいつらが生み出す果てしない理不尽を許容する世界もっ。だって、抗っても仕方ないじゃん。そこらへんにいる女子高校生じゃ、無力だったんだから。でも・・・・・でも・・・・・」

 

はるづきの声が震える。悲しみによるものか。虚しさによるものか。怒りによるものか。はたまたすべてを内包しているのか。

 

おそらくすべてだと直感が言った。いつの間にか、はるづきからの砲撃は止んでいた。そして、自身も。

 

「あの世界は、あの世界の寛容さで自己中を貫いている連中はっ。この私の命をゴミを捨てるみたいに奪い去ったっ」

「!?」

 

その言葉は容易に表皮を突破し、心に突き刺さった。

 

「そして、私がこの命よりも大事にしていた後輩を・・・・・“ながなみ”をあいつらは・・・」

「ながなみ?」

 

はるづきの唇から人間と変わらない赤い血が湧きだし、切り裂いた空気に乗って後方へとび散っていく。それでも震える歯は唇を噛み続ける。

 

“ながなみ”という艦娘。その名前は同期で、同型艦であるおきなみやはやなみから聞いたことがあった。なんでも“このご時世ではめったにいないほどの天真爛漫な子”であったとか。

 

「ながなみをあいつらは・・・・・かもしれないという可能性で、蚊を殺すように・・・・・・始末した」

「っ・・・・・・・・」

 

彼女の声。表情。雰囲気。あまりの痛々しさに、いくら地獄を見続けてきたみずづきでも目を逸らしたくなる。慣れることと何も感じなくなることは違う。そして、“あいつらならやりかねない”と心構えがあったとしても、この身は他人の不幸を、苦しみを、悲しみを無感情で眺めることはできなかった。

 

「笑っちゃうよね。真実を知った可能性があるってだけで、救国委員会のメンバーだった私たちの上官に殺されたなんて。本当に・・・・・・・・」

 

笑おうとしたのだろうか。はるづきの顔が引きつる。だが、彼女は笑えなかった。

 

「ここまでされて、我慢できるわけない。何もかも奪われた・・・・・。絶望の果てに掴んだ一筋の希望まで・・・・・。・・・・・・この()()に!!」

 

聞き覚えのあるしおらしい口調は終了。最後には再び怨念が籠った。

 

「復讐してやる。滅ぼしてやる。こんな理不尽を許容し矯正(きょうせい)しない世界も、いくら悲劇を繰り返そうと学ばないサルも全部・・・・全部!!!」

「ちょっと待ちなさいよ!!!!」

 

彼女の行動原理は砲弾を腹部に撃ちこまれたあの時の会話で把握している。それでも声を上げずにはいられなかった。

 

この世界は美しく、尊い。自分が命を懸けて守るに値する存在。そう決意したのだから。

 

「私たちに理不尽を敷いたのは地球!! この世界じゃない! この世界は関係ない! 八つ当たりなんてもってのほか。あんた自身がっ、幸福と笑顔にあふれていたあの頃までの生活をぶち壊したお上と同じことを、この世界でしてどうするのよ!!!」

「正論なんて吐き気がする。・・・・・憎らしいからしょうがないじゃない。この世界は地球と同じようにサルがいながら、世界大戦もなく、民族浄化もなく、お偉方がどす黒い野望を抱えることもなく、艦娘なんていうびっくり仰天の存在によって平穏を保ってる。自分たちで未来を切り開こうともせず。憎らしくて、妬ましくて、もう・・・・・頭が狂いそう!!!!!」

 

激しく頭を掻きむしる。振りかぶられた頭から複数の血飛沫が舞う瞬間をみずづきは見逃さなかった。電池が切れたように突如、動きを止めるとゆっくりこちらへ視線を向けてくる。頭皮から血を滴り落しながら。

 

「それにここのサルも、地球のサルと同一。いずれはこの星そのものを巻き込んで盛大に散るに決まってる。ここで滅ぼしてあげることが、未来において私のような存在を生み出さないために、この星と全ての生命にとってのベスト。・・・・・()()で意気揚々と国民が苦しんでいる様子を眺めている老害をいたぶる準備運動にはもってこいよ」

「はるづき・・・・・・・」

 

人類をサルと蔑むはるづき。その論理でいえば、自身もサルになってしまうことを彼女は分かっているだろう。それでも、高度な知性を有する生命体とは認められない様子。自分自身すら内包した存在をここまで蔑むほど、堪えがたい苦痛と理不尽をこの手で生み出した人類そのものを彼女は許せない。

 

「そして、あんたも、よ。みずづき。連中の身勝手で辛酸を幾度も舐めさせられ、モルモットとされていたにもかかわらず、それを知ってもなお、この世界に希望を見出すあんたを私は許せない。目障りで目障りで仕方がない。あんたの絶望にまみれた死に顔をもって、悲願の成就への第一歩にする。でも・・・・・・・・・」

 

そこではるづきは「ふっ」と久しぶりの快楽を含み、鼻で笑った。

 

現在位置から約100km。ちょうどMI攻撃部隊が航行しているポイントに突然現れる、複数の対空目標。FCS-3A多機能レーダー対空画面に光点が瞬いたタイミングとはるづきの意味深な笑みは全く同時だった。

 

「まさか・・・・・・・」

「みずづき・・・・・これは」

 

これまで沈黙を守っていたショウが深刻な雰囲気を帯びた声を上げる。偶然では片づけられない一致を前にして、1つの推測が数々の思考を押しのけて奥底から付き上がってきた。にわかに先ほどCIWSによって削られた腕が痛みだす。レーダー断面積と光点の大きさから追加反応は艦娘及び深海棲艦の航空機ではなく、人が登場している通常の航空機であること、そして出穂に搭載されている30式戦闘機を筆頭とした艦上機であることが確認された。

 

発艦した艦上機はそれぞれ編隊をくみ、一目散に特定の方向へ飛行していく。これだけの動向を見れば、もはや推測ではない。事実への最後の一押しを行ったのは、悪寒と怒りを惹起する不気味な笑みを深くし、海面へ向けられていたMk45 mod4 単装砲の砲身でこちらを睨んでくる・・・・・はるづきだった。

 

「第一歩はあんたじゃなくて、非力で傲慢で身勝手で、“私たち”の前には虫けら同然のサルどもかもしれないけど」

 

「ひひひ・・・・あはははははははっ」と体をくねらせて、爆笑する。あまりの外道ぶりに緩んでいたMk45 mod4 単装砲を握る右手に力が入る。

 

はるづきはみずづきと同じく、世界に、国家に翻弄された被害者。

はるづきは艦娘学校時代の同級生。

はるづきには闇へ墜ちてしまう所以も、世界を憎む理由もある。

 

だが、自分たちを翻弄した“悪”と一切の関係がない世界の住人を、嫉妬で無差別に殺して良い訳がない。もし、説得しても無理なら・・・・その時は。長門たちと別れた時の決意が再浮上してくる。

 

“お前はただもんじゃない。自分の心を、自分の想いを信じるんだ。それによって築かれた道はきっと・・・・・・きっと・・・・輝きにつながっているはずだ”

 

夢の中だったが知山はそう言ってくれた。そして、それは不思議と知山自身の言葉に思えた。

 

だから、みずづきは決めた。

(知山司令。私は自分の心を信じて・・・・・・はるづきを止めます!)

 

眼球に力を集中し、はるづきを睨む。

 

この世界において神の御業とも受け取られる連続的な砲声が再開される前の、一時の静寂。太陽はいまだ上昇を続けているが、すでに天井が見えていた。

 




近頃は南洋などで続々と旧日本海軍時代の艦艇が“発見”されていますが、この頃舞鶴港がある若狭湾で「呂500」とみられる潜水艦が「発見」されたようです。戦後73年が経過しましたが、こういうニュースを聞くと昔、自分の故郷である日本が戦争をしていたという事実を再確認させられます。若狭湾(舞鶴)には何度も足を運んだことがあるのでなおさら・・・(今さら何言ってんだ、ですけどね・・)。

それと直接、本作に関係することではありませんが・・・。6/18(月)、大阪府北部を震源とする最大震度6弱の地震が発生しました。この地震では、運悪く5名の方が亡くなられました。哀悼の意を表するとともに、被災者の皆様にお見舞いを申し上げます。読者の皆様の中にも、強い揺れを感じたり、被害にあわれた方がいるのではないでしょうか。

あの震災から7年。この国に住む以上、地震と無縁でいられることはできません。本作では2017年に南海トラフ巨大地震(西日本大震災)が発生し、その後の日本と世界の岐路になったとの設定を採用しています。先日、土木学会は阪神淡路大震災などを参考に、南海トラフ巨大地震が発生した場合、20年間で最悪1410兆円の経済的な被害が生じるとの、にわかには信じがたい想定を公表しました。

設定のような事態にならないことを祈るばかりですが、地震は天災です。人間にはどうしようもありません。ただ、もし起こった場合、負傷したり、命を落とす可能性は減らすことができます。少しづつでもいいので、様々な備えを行っていきましょう。

その前に、まず作者自身が家具の固定なりをしなければけませんが・・・。

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