この世界、おばさんにはちょっとキツイです。   作:angle

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いよいよ主人公のバイト先決定です。


FILE.13 定期収入は恐ろしい ~江戸川コナン誘拐事件~

5月7日(土)

 

 

初めて被害者の命を救うことができた、カラオケボックスから一夜明けた朝。

私はいつものように朝食と朝風呂のあと、洗濯機を回しながら洗剤類が入ったバケツ(ブ○ーダイヤと印刷されている。物持ちよすぎだろうちの母親!)の中身を確認してみた。

いやさ、もしかしたらおしゃれ着用洗剤が入ってるかもしれないと思ったんだよね。

でも、襟汚れ用洗剤とか柔軟剤や漂白剤はあったけれど、残念ながら求めるものは入っていなかった。

 

 

という訳で、洗濯物を干したあと、スーパーが開くのを待って私は買い物に出かけることにしたんだ。

 

 

エコバッグは母が使ってたのが3、4枚あったから、適当なのを1枚選んで財布を持って。

いざ、家を出たところで、向かいの奥さんとばったり会ってしまったんだ。

……工藤有希子さん、帰ってたんですね。

ああ、もしかしたら今日と明日が江戸川コナン誘拐事件の日だったりするんでしょうか?

 

 

「あら、愛夏ちゃんお久しぶり」

「お久しぶりです」

 

 

さて、以前の私が彼女とどの程度の付き合いがあったのかは知らないけれど。

引きこもり少女だった“高久喜愛夏”がそんなにコアな付き合いをしていたとは思えないので、一度頭を下げたあと、普通に通り過ぎようとした、んだけど……。

……まあ、そう簡単に逃がしてくれるわけがないよな。

 

 

「この間はありがとう。家の掃除をしてくれたみたいで」

「いえ。こちらこそお仕事ありがとうございました」

「聞いたわ、愛夏ちゃん、学校を休学してアルバイトをしてるんですって?」

「はい。一年ほど引きこもっちゃったので、いまさら1年生というのも恥ずかしいので」

 

「じゃあ、今後もお願いできないかしら? 我が家の管理。なんだかうちの新ちゃん、事件でしばらく家を空けてるみたいだから」

 

 

今日が江戸川コナン誘拐事件の日なのだとすると、彼女はおそらく現時点で、工藤新一を外国に連れていくつもりなんだろうな。

そうなればとうぜん工藤邸は空き家になる訳で。

まあ、いずれにしろ今後も空き家同然なのだから、この提案は理にかなっていると言えるだろう。

 

 

「ええ、まあ、たまに掃除に通うくらいなら」

「ありがたいわ。それじゃあ、週に1回、お掃除と空気の入れ替えをお願いすることで、月4万円でどう?」

 

 

え? お金払うつもりですか?

週に1回の掃除じゃたいしたことはできないし、時間とかも決めないんじゃ、私がさぼっててもぜんぜん判らないじゃないですか。

 

 

「あの、だったら、時給とかの方が」

「大丈夫よ。愛夏ちゃん真面目だから、ちゃんと4万円分の仕事はしてくれるでしょう? 私、こう見えて人を見る目はあるのよ」

「はあ……」

 

「決まりね。それじゃ、今月の分の4万円。あと合鍵も渡しておくから、よろしくね」

「え、ちょっと」

 

 

そう、私に財布の中から4万円と鍵を手渡して、有希子さんは隣の阿笠さんの家へと入ってしまった。

……どうするんだよコレ。

確かに私にとっては、毎月の定期収入があるのは嬉しいけどさ。

でも、こんなに簡単にお金と鍵を預けるとか、有希子さん、いつか悪い人に騙されたりしそうで怖いんですけど。

 

 

とりあえず一度家に戻って、お金を財布に、この物騒な合鍵をなくしそうにない茶箪笥の引き出しにしまっておく。

こりゃ、うちの戸締りも今までみたいに適当にはできないな。

(玄関の鍵は忘れないけど、ベランダとか窓とかは開けっ放しの時も多いし)

私はもう一度自宅の戸締りを確認して、改めて家を出て買い物に出かけた。

 

 

歩いて5分ほどにあるスーパーは初めて来るのだけれど、それほど広くはないので迷うようなこともなく。

最初に目当てのおしゃれ着用洗剤をかごに入れて、そのあと野菜コーナーから順番に売り場を回っていった。

とりあえずカレーの材料だけど……ジャガイモとか玉ねぎとかニンジンとか、ぜんぶ袋売りで一人分には多すぎるんだよな。

(まあ、使い切るまで作り続けてもいいんだけど)

とりあえず量が少なそうなのを一袋ずつ選んで、キャベツを一つと、あとひき肉としゃぶしゃぶ用の薄切り豚肉と、肝心のカレールーをかごに入れて会計を済ませた。

 

 

スーパーでは多少探索もしたけど、それでも1時間は経ってなかったはずなんだけど。

家の前まで帰ってきたら、阿笠さんとなぜか眼鏡をかけたおばさんが、ちょうど家を出てくるところだったんだ。

……変わり身早すぎだろ!

阿笠さんは私に気付いて、笑顔で挨拶してくれた。

 

 

「やあ、愛夏君。買い物かね?」

「はい」

「紹介しよう。コナン君のお母さんで、江戸川文代さんじゃ。文代さん、彼女は向かいに住んでいる高久喜愛夏君で、コナン君の友人なんじゃよ」

「まあ、そうでしたの。いつもコナンがお世話になってます。わたくし、コナンの母で、江戸川文代と申しますの。お会いできてうれしいわ」

 

「……はい」

 

 

顔も、体形も、姿勢も、声やしゃべり方も、ぜんぜん違う。

さすが元女優さんだと思わずにはいられない。

私はなんとなく呆然としてて満足に受け答えられなかったのだけど。

二人ともあまり気にならないようで、さらに話しかけてきたんだ。

 

 

「そうじゃ、愛夏君。時間があるなら、文代さんを毛利探偵事務所まで案内してもらえんか?」

「あ、ええ、かまいませんが」

「実は文代さんは、コナン君を引き取りに来たんじゃよ。愛夏君もしばらくコナン君とは会えなくなるじゃろうから、一緒に行ってお別れをしておきなさい」

「はい、判りました。では、荷物を置いてきますね」

 

 

家に帰って、買ってきたものを冷蔵庫に詰めておく。

たぶん食材を長持ちさせる詰め方なんてものもあるんだろうけど、とりあえずは放り込むだけだ。

慌てて戻ると、前の道に一台の車が停まっていて、運転席から文代さんが顔を出していた。

 

 

「お待たせしました」

「いいえ。では、お願いしますわね」

「はい」

 

 

助手席に乗って、阿笠さんに一礼して走り始める。

案内とはいっても、彼女はすでに毛利探偵事務所の場所は知ってるはずだから、曲がり角で時折声をかけるくらいでいいだろう。

 

 

「さっき阿笠さんにお伺いしたんですけど、コナンは愛夏さんにはずいぶんなついてるようですのね」

「あ、はい」

 

 

まあ、なついているというよりは、絡まれてると言った方が正解なんだけど。

 

 

「どう? うちのコナンちゃん、いい子に過ごしてたかしら?」

「はい、とっても聡い子で、公共の場で騒いだりするようなこともありませんし、とてもいい子にしてたと思います」

「そう。ならよかったわ。私たちもとつぜんの事故で、あの子のことは心配してましたのよ。よそ様にご迷惑をおかけしてるんじゃないかって」

「私は、そんなに関わることもありませんから」

 

 

ああ、なんかけっこうつらいな、この会話。

彼女は私に、江戸川コナンの母親という存在を印象付けたくてやってるんだろうけど。

ぜんぶカラクリが判ってる私には単なる茶番にしか見えないんだこれが。

 

 

小学一年生の江戸川コナンという少年のことを頭の中で捏造しながら話すこと5分、やっと毛利探偵事務所に到着してくれました。

 

文代さんを先導して階段を上がり、毛利探偵事務所のドアを指し示す。

文代さんがノックをすると、出てきたのは蘭さんで。

私に一瞬視線を向けた蘭さんは、文代さんが名乗ると、うれしそうな笑顔に変わっていったんだ。

 

 

「来た! 来たわよコナン君!!」

「え?」

「ほらあそこに、あなたのお母さんが!」

 

「…………え?」

 

 

瞬間的に現実を受け止められなかったのだろう。

笑顔のまま固まるのは無理もない。

 

必死に抵抗するコナン君を、なんとか言いくるめて連れて帰ろうとする文代さん。

援護射撃とばかり、私も笑顔でお別れを言った。

 

 

「コナン君、お母さんが迎えに来てくれて、よかったですね」

「愛夏姉ちゃん! この人ぼくのお母さんなんかじゃないよ!」

「お母さんですよ、間違いなく。……しばらく会えなくなりますが、元気で頑張ってくださいね」

「違うよ。……愛夏姉ちゃん、信じてよ」

 

 

いやだって、お母さんだしねぇ。

コナン君の訴えを笑顔で黙殺していると、やがて味方はいないと理解したのか、それともなにか決心したのか。

コナン君は文代さんの車に乗り込んで、私たちも走り去る二人を見送った。

 

そのまま私は毛利探偵と蘭さんに挨拶をして、帰ろうとしたところで、珍しく毛利探偵に声をかけられたんだ。

 

 

「おい、愛夏。オメーにちょっと聞きてえんだが」

「はい、なんでしょうか」

「オメー、パソコンは使えるか?」

「はい、多少は」

 

 

なにしろオタクの必須アイテムだし。

パソコン歴はかれこれ17年くらい? キーボード歴ならワープロ時代も含めて30年近いですよ。

まあ、表計算ソフトでマクロを組めと言われたらちょっと困るかな、って程度だけど。

 

 

「実はな、最近、この名探偵にぜひ仕事を依頼したいって声が増えてるんだが」

「お父さん、ずっと手書きの調査書を出してきたんだけど、実はあんまり字が上手じゃないのよ。だからパソコンを買おうって話が出てるんだけどね」

「蘭! 余計なことは言うんじゃねえよ!  ―― つまりだ、オレはこの名探偵を頼りにして押し寄せる多くの依頼に対応しなきゃならないんだが、そうなるとどうしても人手が足りなくてな。ついでに事務員を雇おうとも思うんだが、蘭がオメーがいいんじゃねえかって」

 

「だって、どうせだったら知ってる人の方が心強いじゃない。その点、愛夏ちゃんだったら真面目だから信用できるし。最初はそんなに仕事もないだろうから、暇な時だけでも構わないし。ね、お父さん?」

「ああ。さしあたって明後日の午前中までに調査報告書を1通作りてえんだ。パソコンは今日中に用意する。オメー、明日1日で報告書作れねえか?」

 

 

報告書か。

私は元事務員だから、そういう仕事ならけっこう得意だ。

報告書って、毛利探偵が手書きで作ってるくらいだから、たぶんそんなに枚数もないよね。

だったらたぶん2、3時間もあれば作れるんじゃないかな。

 

 

「ちなみに、報告書って、何枚くらいあるんですか? 手書きの状態で」

「1枚だが?」

「え? そんなの、たぶん15分もかかりませんけど……」

 

 

蘭さんを見ると、そっと目をそらす。

……彼女、キーボードあんまり得意じゃないのか。

私の頃はなかったけど、最近は学校でもパソコンを教えてるって聞いてるけど。

 

 

「オ、オレはな、事件の報告は口頭でするんだ! 依頼人と直接会ってだな ―― 」

「あ、はい。毛利探偵の推理ショーが真骨頂だというのはよく存じてます。報告書はあくまで補助ということですよね」

「おう! その通り!」

「判りました。では明日の午前中にでも伺います。9時ごろでいいですか?」

 

 

まあ、今回は仕事というより、友達にパソコンを教えに行く、って感じになるのかな?

そのくらいだったら事件に巻き込まれることもないだろうし(名探偵は誘拐中だし)、たぶん大丈夫だろう。

 

 

 

徒歩で自宅へと戻ると、私はさっそくおしゃれ着の洗濯を始めた。

 

 

まずは買ってきた洗剤の説明書きをじっくりと見る。

水2リットルに対してキャップ半分とのことなので、いつも飲んでるペットボトルで水を量って。

お風呂で使ってる洗面器に水を張って、まずは中のTシャツから。

何度か押し洗いと濯ぎを繰り返したあと、ネットに入れて40秒ほど洗濯機で脱水、こちらは素材が割としっかりしていたので針金ハンガーで吊るして干した。

 

 

上のカーディガンはけっこう伸びやすそうな素材なので、Tシャツと同じ手順で洗ったあと、新聞紙とバスタオルを敷いた上に広げて平干しだ。

最後のスカートは皺になりやすそうなので、脱水時間を若干短くして、手でたたいて広げたあと洗濯ばさみで吊るして干すことにした。

 

 

うん、これが今の私の精一杯だな。

もしもこれでヨレヨレになったとしても、これ以上のことはできなかったと諦めることにしよう。

(3回着たから1回1万6千円でレンタルしたってことで……とはとても思えないなぁ畜生!!)

 

 

 

洗濯のあとは昼食の支度にとりかかった。

 

まずは買ってきたキャベツをはがしながら洗って、葉の部分は3センチ角くらいに、太くなってるところは厚めにスライスして。

お湯を沸かしてまずは太いところを放り込んで、そのあとしゃぶしゃぶ肉を箸ではがしながら入れていく。

途中でキャベツの葉の部分を追加しながら肉をしゃぶしゃぶにしていって、パックの半分くらいを入れたところで火を止める。

あとは残ったキャベツをお皿にあけて、ゴマダレをかければ完成だ。

 

 

昨日炊いたご飯を一つレンジで解凍してお茶碗に盛って。

肉とキャベツは程よく火が通ってるし、なんにも手を加えていないから予想通りのシンプルなお味。

うん、このくらいならさほどめんどくさくないし、その割に達成感もあるから、自炊も続けられそうだよね。

この次はもやしとピーマンあたりも追加して、ポン酢味を試してみてもいいかもしれない。

 

 

使ったお鍋とザルと包丁、お茶碗とお皿と箸を洗って。

午後1時、私は鍵とマスクとスカーフを手に、工藤邸のお掃除に向かった。

 

 

前回掃除してからすでに3週間くらい経ってるから、最初の掃除はできるだけ早い方がいいだろうと思ったんだ。

時給千円とするとだいたい40時間掃除しないといけない計算になるから、今日5時間やったとしてあと4、5回は通わないとならないんだよね。

まあ、ベストは1日8時間で月に5回ってところかな?

とりあえず今日のところはあまり時間もないし、窓全開で掃除機をかけたら終わりってことでいいだろう。

 

 

夕方6時までを目安に掃除機をかけて。

少し時間が余ったので、失礼して台所をのぞいてみると、こちらは工藤新一がちゃんと処理したのか冷蔵庫は空っぽで電源も切ってあった。

(いや、もともとジュースとか以外入ってなかった可能性もあるな。彼が自炊してたとは思えないし)

 

水回りの拭き掃除をしたところで程よく時間切れ。

開けていた窓をぜんぶ閉めて、戸締りをしつこく確認したあと、自宅に戻って今度は夕食の支度にとりかかった。

 

 

ジャガイモと人参と玉ねぎは皮をむいて適当な大きさに切って。

うちで一番大きな鍋にひき肉を入れて軽く炒めたあと、水と野菜を入れてひたすら煮る。

野菜に箸を突き刺して、火が通ってることを確認したら、今度はカレールーを割り入れて。

こげないようにかき混ぜながら弱火で煮込んでいると、だんだんとろみが出てきていい感じになってきた。

 

 

これ、何日分くらいあるのかな?

あんまり残ると食中毒が怖いから、フリーザーバッグでも買ってきて冷凍しておいた方がいいかもしれない。

 

 

100グラムのご飯を解凍して、具だくさんのカレーをたっぷりかけていただく。

うん、さすが市販のルーをそのまま使っただけあって、普通の家庭の味に仕上がってるな。

ひき肉もいい感じに旨味が出ていておいしいし。

袋入りの野菜がまだ半分くらい残ってるから、この次はこれにコーンの缶詰でも入れたらさらにおいしくなりそうだ。

 

 

 

さて、今頃コナン君、廃屋で誘拐犯とともに緊張の一夜を過ごしていたりするんだろうか?

ま、とりあえず、元気で頑張ってくださいませ。

 

 

 

 

5月8日(日)

 

 

名探偵コナンの世界にトリップしてから今日でちょうど1か月。

相変わらず私は、毎日仕事探しの日々を送っております。

 

 

 

昨日の夜、寝る前にちょろっとだけ就職情報サイトをのぞいてみたところ。

高校生可能なアルバイトで、ピザ屋と寿司屋の配達の仕事を見つけてしまいました。

 

 

それまでぜんぜん考えたことがなかったんだけど、16歳って原付の免許が取れる年齢だったんだよね。

私が通ってた公立高校は、県の条例かなんかで高校生のバイク免許取得が禁止になってたから、私が卒業前に最初に取得したのも普通自動車免許だったんだ。

原付免許持ってたらこのバイトできるじゃん!

という訳で、朝のお風呂を待っている間、私は原付免許についてネットで調べてみたんだ。

 

 

免許取得には特に教習所なんかに通う必要はなくて、試験場で筆記や実地の試験を受けるだけで簡単に取れるらしい。

最初に住民票と写真を用意して、試験場でお金を払ってまずは筆記試験。

これに合格すれば次は実地試験で、最後に講習を受けたあと即日免許が交付される。

料金はぜんぶ合わせても1万円もかからないくらいだから、これは早めにとっておいた方がいいかもしれない。

 

 

残念なことに今日は日曜日で、試験場は平日しか開いてないみたいだから。

私は明日以降、できるだけ早いうちに免許を取ることにして、お風呂のあと昨日の一晩寝かせたカレーと100グラムご飯、付け合わせにキャベツを一枚はがしてザク切りにしたもの(福神漬けの代わり)を添えて朝食にした。

 

 

大鍋の方はそのままだと場所を取るから、中身を深皿に入れ替えていくと、ちょうどお皿4つで大鍋が空になって。

そのまま粗熱を取ったあとラップをかけて、スカスカの冷蔵庫で保管することにしました。

朝と夜で食べたらあと4食で丸2日間、そのくらいだったらたぶん冷蔵庫で十分だよね。

(まだ時期的に傷みやすいというほどじゃないと思うんだ)

私はカレーは好きだし、毎食カ○リーメ○トでも十分なくらい食に対してはこだわりがないから、こういう無茶も簡単にできちゃったりするんです。

 

 

大鍋を洗ったあと、一息ついて。

昨日の一張羅を見てみると、かなり気を遣ったからかTシャツとカーディガンの方はどうにか大丈夫そうだった。

スカートはやっぱり若干皺になってるけど……これはアイロンをかけるべきなのかな?

(裏地があるからけっこうめんどくさそうだ)

とりあえずもうちょっとだけ放置しておいて、気になるようだったらアイロンも使ってみることにしよう。

 

 

そんなこんなでいい時間になったので、私は家を出て、毛利探偵事務所へと向かうことにした。

と、家を出たところで今度は阿笠さんにバッタリ。

大きな荷物を抱えて車に運び入れているところでした。

 

 

「おお、愛夏君おはよう」

「おはようございます。ずいぶん大きなお荷物ですね」

「これはあれじゃ。今朝までかかってようやく完成した試作品での。これから依頼主に届けるところなんじゃよ」

「そうでしたか。お気をつけて行ってらしてください」

 

「愛夏君はお出かけかね?」

「はい、毛利探偵事務所まで。昨日ちょっとした仕事を受けまして」

「ほう、それはよかったの。頑張ってきなさい」

「はい。では」

 

 

段ボールからちらっとのぞいているのは衣服のようなものに包まれた機械っぽい何かだ。

これで大男に変装するのか?

なんか絵面だけだとほんと、いい大人が寄ってたかって小学生をいじめてるみたいだよな。

(それにしては舞台装置や特殊メイク技術が豪勢すぎるけど)

とりあえず巻き込まれなかったことに感謝します。

 

 

毛利探偵事務所について、一歩中に入って、私は絶句してしまいました。

 

 

「……なんで、段ボールなんですか?」

「そりゃオメー、うちは誰もパソコンなんか判らねえからな」

「買ったお店でセットアップのサービスくらいあったと思うんですけど」

「金取るんだろ? だったらオメーを待ってた方がいいじゃねえか」

 

「……」

 

 

……まあ、いいよ、やるよ。

このくらい、説明書を見れば誰でもできるように書いてあるんだから。

しかし、せめてパソコンラックの組み立てくらいやっといてくれてもいいじゃないか。

これ、午前中に終わってくれるとはとても思えないなぁ。

 

 

「ごめんね愛夏ちゃん」

「いいよ。新しいパソコンとか、それだけでワクワクするし」

「私はドキドキだよ。なんか変なことやったら壊れそうで」

「ふつうに扱うだけならそう簡単に壊れたりしないから大丈夫だよ」

 

 

まあ、あなたの場合、物理的に壊せそうな技術は持ってるけどね。

とりあえずこれからはパソコンの近くでは暴れないように注意してください。

 

 

パソコンの設置場所を決めて、ラックを組み立てて。

その上に本体とキーボードとモニターと、あとプリンターを乗せていく。

説明書きを見ながらそれらをコードでつないでいって。

(まだインターネットにはつながないらしい)

電源を入れて初期設定を済ませるころにはすでにお昼近くになっていた。

 

 

「愛夏ちゃん、お昼、ポアロで取るけど何がいい?」

「あ……お任せで」

「じゃあサンドイッチにするね。お父さんもそれでいいよね」

「おお」

 

 

お昼、昨日のしゃぶしゃぶ肉がまだ残ってるんだけどな。

ま、いっか、あれは明日のお昼ご飯にしよう。

(やっぱり今のライフスタイルで3食自炊は危険だな。これからはちょっと考えるか)

 

 

お昼を食べながら休憩して。

バックアップを取ったりいろいろ設定を済ませたころにはすでに午後2時を過ぎていて。

やっと文書作成に取り掛かれる、と思ったところでコナン君と文代さんが毛利探偵事務所にやってきました。

 

 

「ええっ! また息子さんを預かるんですかーー!?」

「ええ……。どうしてもこの子がここを離れたくないというもので……」

「しかしですなァ、奥さん」

 

「これがこの子の養育費ですわ!」

「え?」

「御入り用の時はどうぞお好きなだけ」

 

 

ちょっとだけ気になったのでちらっと覗いてみると。

名義はなんと阿笠博士でした!

……江戸川コナン名義かと思ってちょっと期待したんだけどな。

(昨今、公的証明書がなければ通帳なんか作れないからね、まあ仕方がないか)

でもそれならどうやって江戸川コナンを外国に連れていくつもりだったんだろう??

 

 

まあ、たぶん、優作氏も有希子さんも、コナン君に断られるのはほとんど確信してたんだろう。

そうじゃなかったらコナン君名義のパスポートくらい用意してただろうし、パスポートがあれば江戸川コナン名義の通帳も作れただろうから。

 

 

「愛夏さん」

「あ、はい」

「これからも、コナンのいい相談相手でいてくださいね」

「はい、私でよければ……」

 

「それと、 ―― お仕事、あまり頑張りすぎなくていいからね」

 

 

……え?

 

 

文代さんの最後の言葉は、私の耳元で小さく言われたもので。

そのあとウィンクした文代さんは、私にはもう一人、別の人の面影を感じさせた。

……もしかして、昨日出会った二人の女性が同一人物であることに、私が気づいてるってバレてる……?

 

 

お、恐ろしすぎます工藤一家!!

頼みますからこのまま沈黙してとうぶん日本には帰ってこないでくださいお願いします!

 

 

 

にこやかな笑顔で帰っていく文代さんを見送って。

事務所に増えたパソコンを覗き込んでいたコナン君が、ぼそりと話しかけてきた。

 

 

「ねえ、愛夏姉ちゃん。もしかしてこれから愛夏姉ちゃんがこのパソコンでお仕事するの?」

「はい、どうやらそうなりそうです。まだ専門の事務の人を雇うほどではないみたいなので」

「ていうことは、ここにある会計ソフトとかも、愛夏姉ちゃんが使うの?」

「……」

 

 

……いや、まさか、そんなはずは……!

でも、誰もパソコンが使えないはずの事務所で、それなりに高額な会計ソフトを買ったってことは ―― 。

 

 

「あ、そうだお父さん。愛夏ちゃんのバイト代も決めなきゃ」

「ああ、そうだな。会計事務なんかだと相場はどんなもんなんだ?」

「私も詳しくは判らないけど、たぶん時給千円から千五百円くらいかな。能力で優遇って感じみたい」

「だったら最初は千二百円にしておくか。 ―― 愛夏、オメー、それでいいか?」

 

 

いやいや会計事務って……!

このいかにも今までドンブリ勘定してましたな事務所で、会計事務を一手に引き受けることがどれだけの労力だと思ってるんだよ!!

 

 

「いえ、あの、私じゃさすがに会計とか……」

「なんだよ、オメー、パソコンできるって言ってたじゃねえか。報告書も会計も変わらねえだろ? だからぜんぶオメーに任せることにしたんだよ」

 

「……あの、この事務所、一応税理士の人とかいるんですよね?」

「ああ。昨日うちが会計ソフト入れるって連絡したら泣いて喜んでたな。そのうちいろいろ説明に来るそうだから、そいつの対応も頼むぞ」

 

 

……無知って恐ろしい。

ていうか、つまりもう私が会計事務をやることは決定事項で、外堀も埋まってるってことじゃないですか!!

 

 

あああああ、判りましたやりますよ!

時給千二百円でたんまり稼いでやります!!

 

 

「……判りました。よろしくお願いします」

「こっちこそよろしくな」

 

「うれしい! 愛夏ちゃんがうちで働いてくれるなんて。ね、コナン君もそう思うよね?」

「うん! ぼくも愛夏姉ちゃんが一緒でうれしいな!」

 

 

はいはい、私もうれしいですよ。

なんかこれから私の事件遭遇率が急上昇しそうで、涙が出るくらいうれしいです。

 

 

 

さて、そうと決まったら会計事務の勉強もしなきゃだな。

私が今までやってた会社の事務と、個人事業の事務とじゃ勝手が違うだろうし。

まあ、多少は今までの45歳スキルが活かせそうで、それだけが救いではあるけれど。

 

 

 

ところで肝心の毛利探偵の調査報告書なんだけど。

さすが口頭での報告がメインと言い切るだけのことはあって、調査日時と調査場所、それと自分がそこで何をしたかということしか書いていなかった。

(調査の報告というより必要経費の報告書みたいなものだった。よく今までこれで通ってたと思うよ)

そのまま清書してもほとんど意味はないので、毛利探偵に私の目の前で依頼人に対する報告を口頭でしてもらい、多少の脚色を交えて調査書っぽくまとめておいた。

 

まあ、今の段階だとこれが精一杯かな。

でも毛利探偵はけっこう感激してくれたみたいなので、まあ良しとしよう。

 

 

「意外な才能だな。オメー、これからもオレの報告書、作ってくれねえか?」

「いいですけど……」

「けど、なんだ?」

「従業員を雇うのは私が初めてなら、雇い主としていろいろやらなければならない手続きがあると思うので、そのあたりはお願いしますね」

 

「お、おう、任せろ」

 

 

……不安だ。

でもまあ、これでも立派な社会人なんだから、自分で調べて役所やハローワークへの手続きくらいならどうにかやってくれるだろう。

 

 

 

さて、この報告書の提出先が丸グループの会長さん宅で、内容が奥さんの浮気調査だってことは、明日起こるのは骨董品コレクター殺人事件で決まりってことで。

 

どうやら明日あたり生理も来そうだし、私は巻き込まれないように家でじっとしていることにします。

 

 

 


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