5月10日(火)
最後のカレーと、残り2つのうち1つの100グラムご飯で朝食にした朝。
時間がない中どうにか洗濯を終わらせて、8時半の10分前に毛利探偵事務所へと出勤しました。
「おはようございます」
「おお、おはよう。じゃああとは頼んだ」
オイ! なにいきなり消えようとしてるんだ毛利探偵!
「待ってください。仕事の指示がなければ困ります」
「電話番だよ電話番。昨日言ったろ」
「はい、ですからその指示です。まずは電話がかかってきた場合、メモして折り返し電話でいいですか?」
「ああ、それでいい」
「次に来客の時ですが、帰りは何時ごろになりますか? それによってお客様が待つか一度帰るか決めると思いますので」
「あー、たぶん1時には帰れる。もしかしたら少し遅くなるかもしれん」
「判りました。それ以上遅くなるようでしたらご連絡ください。来客用のコーヒーなどはどこにありますか?」
「隣の部屋にある。てきとうに使って構わねえから」
「了解しました。あと、私はお昼はどうすればいいですか? お昼休みも事務所にいた方がいいでしょうか?」
「ああ、そうだな。ポアロに出前を頼んでここで食ってくれ。会計はツケがきくからそれでもかまわねえ」
「ありがとうございます。では、気をつけて行ってらしてください」
「……ああ、行ってくる」
めんどくさそうな顔をしながらも、ちゃんと指示を出してくれたので、私は笑顔で毛利探偵を送り出した。
まあ、従業員を雇うのは初めてだって話だからな。
それまで家族だけでなあなあでやってきたんだから、慣れてないのも仕方がないんだろう。
さて、改めて事務所の中を見回してみる。
窓際に毛利探偵の事務机と、その上に電話とメモ帳。
中央部に応接用のソファとテーブルがあって。
入口近くに食器棚とポット、急須なんかが置いてある。
私が使うパソコンは書類棚の近くだ。
たぶん掃除は毎日蘭さんがしてるんだろうけど、さすがに事務所を閉めたあとのようで、朝ではなさそうだから。
私は掃除用具入れのロッカーからぞうきんを取り出して、固く絞ったあと拭き掃除から始めた。
だいたいどんな職場でもそうだと思うんだけど、一人の人が掃除してると、どうしても偏りが出てくるんだよね。
(テーブルの上は毎日拭くけど、椅子の足はぜんぜん拭かないとか)
私はそんな、蘭さんがふだん手を付けないあたりを中心に、30分くらいかけてあちこち掃除をさせてもらったんだ。
雑巾の汚れに満足感を覚えつつ掃除を終えると、いよいよパソコンに向かって会計ソフトの勉強だ。
とはいっても、そんなに難しいものじゃないので、試しにいろいろ打ち込んでみて流れをつかむくらいだけど。
うん、ソフトの使い方自体は大丈夫そうだな。
あとは実際のデータを打ち込んでみて、印刷とか書類整理とかをしてみれば、どうにかなりそうな感じだ。
やっぱり、いちばん手間がかかりそうなのが、調査報告書の作成か。
でもこればっかりはてきとうに練習で、って訳にいかないからな。
このパソコンはコナン君が見る可能性もあるものだから、架空の報告書なんか作って保存して万が一コナン君に見られでもしたらまた私が疑われることにもなりかねないし。
早くも暇になってしまったので、私は自分のケータイを取り出して、ネットで仕事探しを始めた。
え? もちろん仕事探しは継続しますよ?
だって、毛利探偵事務所の事務だけで、1か月の目標達成ができるとは思わないですから。
工藤邸の管理だっていつ打ち切られるか判らないし、たとえ継続できたとしても、残りの6万円を毛利探偵事務所で稼ぐには50時間ほど働く必要があるし。
今日も、例えば1時半まで働けばちょうど5時間だけど、この暇な事務所でそれを月に10日続けるというのはけっこうハードルが高いと思うんですよ。
ともあれ、肝心の電話番の方は2件ほどかかってきたので、折り返しの連絡先を聞いてメモしておいた。
その後しばらくは何事もなく過ごしていたのだけれど。
昼近くになってかかってきた、3件目の電話が、けっこう問題だった。
「はい、毛利探偵事務所です」
『毛利はいるか』
「ただいま外出しております。折り返しお電話いたしますので、恐れ入りますがお名前とご連絡先をお知らせいただけますか?」
『……いつ帰ってくる』
「午後には帰る予定です。少し遅くなるかもしれませんが」
『……麻生圭二だ。そう伝えれば判る』
「かしこまりました。麻生圭二様からお電話があったと、毛利に伝えておきます」
電話が切れたあと、ぶわっと冷や汗が出てきた。
麻生圭二、って、ピアノソナタ『月光』殺人事件のキーワードだよ!!
私はメモ帳に、『11:48 アソウケイジ様より電話』と書いて、少し落ち着くために、思わず毛利探偵の机の周りを探してしまった。
(いや、さすがに思いとどまったけどね。せっかく1か月禁煙できたんだから、ここで吸うとこの先よけいにつらくなりそうだし)
とりあえずお昼の時間になったので、ポアロが混み出す前に電話をかけてサンドイッチとメロンソーダを注文しておいた。
(なんか、メロンソーダの上に乗ったチェリーが無性に食べたかったんだよ)
注文が届くまでと、届いたあとにかけて、私はピアノソナタ『月光』殺人事件について思い出していた。
このお話、確か満月の夜に事件が起きるはずで。
毛利探偵事務所には新聞が届いているので、今日の月齢を確認すると12.3。
ということは、13日の金曜日の夜が満月ということになる。
その前の天下一夜祭殺人事件が起きるのが、明日の11日だとして。
1泊して帰ってくるのが12日だから、日数的にも単行本掲載順的にもぴったり合う。
……回避、可能だといいなぁ。
なんか電話を受けた時点で、回避の可能性がほぼ絶望的な気がして、それ以上は思考停止することにする。
毛利探偵が戻ってきたのは、予定よりも少し早く、1時ちょっと前だった。
「おかえりなさいませ」
「ああ、会計ソフトの勉強はできたのか?」
「はい。あとは税理士さんに細かいところを確認すれば何とかなりそうです」
「そうか。……電話は3件か。旭さんは猫探しの件だな。……アソウケイジ?」
「はい、そう言えば判るとのことでした」
おもむろに、毛利探偵は机の引き出しから、マンガにあったあの脅迫文じみた手紙を取り出した。
……あんなところにあったのか。
煙草を探してうっかり引き出し開けなくてよかった。
「そういうの、多いんですか?」
「ああ、最近ポチポチな。……いたずらだと思って放っておいたんだが」
「そんな感じではなかったですね。午後には戻るとお伝えしましたので、またかかってくるとは思いますが」
「……オメー、今週の金曜日の予定は?」
「予定はありますが」
「なんとかならねえか?」
……こういう時、簡単に嘘をつける性格ならよかったんだけど。
「……まあ、原付免許を取りに行くつもりだったので、ずらせないこともないです」
「じゃあ出勤だ。金曜日から土曜日にかけて、泊りがけになるかもしれねえから、そのつもりでな」
「いちおう理由をお伺いしても?」
「オメーはオレの調査報告書を作るのが仕事だろう? そのたびにいちいちオメーに調査内容を話すのが面倒なんだよ。だったら一緒に調査に行っちまった方が早ェだろうが」
ああ、先日の丸さんの浮気調査報告書が面倒だったのか。
こりゃ私、また自分で自分の首を絞めたな。
「判りました。ちなみに、明日の旅行は予定通りでいいんでしょうか?」
「ああ。蘭たちの学校が終わるころだから、3時半くらいに事務所に来てくれ」
「すみません、なんか、私の分まで旅行の費用を出していただいて」
「いいんだよ。子供はよけいな遠慮なんかすんじゃねえ。黙って大人に養われてりゃいいんだ」
確かに、毛利探偵が言うとおり、16歳は子供だよな。
でも私、実質あなたより年上なんですけどね。
(確か毛利探偵って38歳くらいの設定だった気がするし)
しょうがない、7歳年上の私が、可能な限りあなたを守ってあげますよ。
仕事は1時半までで終わりで、5時間(昼休みを抜いた4時間で計算かな?)の労働となった。
工藤邸の掃除と同じく、こちらもテキストのベタ打ちで仕事時間をメモしておく。
いちおう給料日を聞いたら、20日締めの月末払いにしてくれるらしいから、こんなのでもつけておけば稼ぎの目安になるからね。
(ということは、今日が10日だから今月はあと10日しか仕事のチャンスがない訳だ。やっぱりほかにも仕事を探さないと)
さて、金曜日からの出張はどういう扱いになるんだろうか?
とりあえず、今月は園子さんの3万円と工藤家の掃除4万円とで計7万円稼いではいるから、出張の計算方法によっては目標10万はなんとかなりそうなんだけどね。
まだ原付免許代を出そうとすると足りないから、来週早々に免許を取りに行って今月中にデリバリー系の職に就くのが最善だろう。
今朝でカレーのストックがなくなったので、今日の夕食のために再び買い物に出た。
さすがに3日間朝晩とカレーを食べ続けたら飽きてきたから、今度はフリーザーバッグを買って冷凍することにする。
そのほか、カレーに入れるコーンの缶詰と、少し残ったキャベツを野菜炒めにするのにもやしも買って。
カレー用のひき肉を少し野菜炒めに回して、もやしとキャベツと玉ねぎで炒めたあと、今日はそれと最後の100グラムご飯で夕食にした。
夕食のあとはストックのカレー作り。
うちのお鍋で約6食分ということが判ったので、今夜煮込んだあと明日小分けにして冷凍すればいいかな?
そういえば100グラムご飯ももうないから、お米も炊いて冷凍しておかないと。
……うちの冷蔵庫、もともと家族二人しかいなかったからあんまり大きくないんだけど、スペースは大丈夫だろうか……。
料理のレパートリーが限られてる私では、始めてみたはいいけどなかなか自炊の壁が高くて。
早くも挫折しそうだったりします。