この世界、おばさんにはちょっとキツイです。   作:angle

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めちゃくちゃ長くなってしまいました。


FILE.16 故郷は近く、でも遠く ~天下一夜祭殺人事件~

5月11日(水)

 

 

今日は午後から旅行の予定なので、朝風呂の前に炊飯器にといだお米を入れておいて、お風呂のあとに火をつけて。

炊き上がったご飯を小分けにして、今度はぜんぶ100グラムにしておきました。

出来上がった16個のご飯を冷凍庫に詰めていく。

それでスペースの半分は埋まらなかったので、この分だと昨日作ったカレーを詰めてもなんとかなりそうでほっとしたよ。

 

 

カレーの方もフリーザーバッグに詰めて冷凍庫で保管、半端に残ったご飯とカレーとカ○リーメ○トで朝食にして。

うん、お味もなかなかだし、これはこれで手軽な保存食ってことでバッチリだね。

あとは我が家の20年選手の冷蔵庫がとつぜん壊れたりしないことを祈るだけだ。

(買い替えの話が出てからすでに数年経ってるんだよね。こんなことになるならさっさと新しいのを買っておけばよかったよ)

 

 

冷蔵庫もこの20年で進化してるからね、うちのは冷凍庫が上にあるけど、最近では上下逆になってるタイプも多いし。

たぶん長い目で見たら電気代なんかも節約できたりするから、早めに買い替えた方がお得だったりするのかもしれない。

(ていうか、自炊するために冷蔵庫を買い替えるくらいなら、そもそも自炊をあきらめるのがものぐさ女子です)

 

 

 

そんなこんなでお昼までまた少し時間が余ったので、工藤邸の掃除に向かうことにした。

先日からの水回りシリーズの続きで、3回目の今回はトイレ掃除。

工藤邸のトイレは1階と2階の2箇所あるので、まずは屋敷の窓を全開にしたあと(これだけでも5分以上かかる)、2階のトイレから始めた。

 

 

職場のトイレなら個室5分もかけないのだけれど、少し丁寧目に拭き掃除をして。

便座のカバーやタオルなんかはまた時間があるときにでも洗濯することにして、約20分くらいかけて磨き上げていった。

それが2箇所で40分、雑巾を洗って窓を閉めればちょうど1時間でおしまいだ。

うん、このくらいの手間ならちょっとした空き時間にできるから、時間がないときにはこの手でいくことにしよう。

(でも今月分がまだ30時間以上残ってるから、いずれは時間をかけて庭の草取りなんかもしないとだけどね)

 

 

 

夕食は旅館の食事できっと豪華になるので、お昼はカ○リーメ○トで済ませることにした。

 

 

食事中にも考えてたんだけど。

実は私の地元がもともと埼玉だったから、以前この天下一夜祭殺人事件についていろいろ検証したことがあるんだよね。

祭りの会場がどこだろうとか、毛利一家が泊まってる旅館がどこで、どういうルートで行ったのか、とか。

祭りの場所が特定できたら面白いだろうと思って始めたんだけど、その時はけっきょく結論が出なかったんだ。

 

 

まず、原作に名前が出ているのが、“桶山ホテル”と“桶山駅”だ。

桶山ホテルは犯人と被害者が宿泊していた場所で、周囲の様子が割と都会に描かれていることから、この2箇所は私が知る現実世界の“桶川駅”及び駅近くにあるビジネス系のホテルじゃないかと推測できる。

桶川駅はJR高崎線にある駅で、上野までは40分前後くらいで行けるので、東京のベッドタウンとして埼玉ではそれなりに栄えてる方だと思うからさほどおかしくはないだろう。

 

 

一方、そこから車で40分くらいのところにあるお祭り会場。

文字が描ける程度の高さの山が3つ並んで見えるということは、秩父に近い方だと思うんだけど。

毛利探偵たちが泊まっている旅館がその近くだとすると(マンガで旅館の浴衣らしいものを着ているのでたぶん徒歩でさほど遠くないだろう)、実は東京から直接秩父方面に行く路線が通ってるんだよね。

つまり、事件解決後に祭り会場近くの旅館に戻って泊まった毛利探偵たちが、わざわざ事件の翌朝に遠く離れた桶山駅で横溝刑事たちに見送りを受けるという事になり、マンガのラストシーンがかなり不自然な状況になるんだ。

 

 

まあ、遠回りするなりして桶川駅を通って秩父方面に行くことも不可能じゃないけど、時間もお金もかかるしね。

そんな訳で、その時けっきょく私は、この謎の解明に至ることはなかったんだ。

 

 

事件のことがまったく気にならない訳じゃないけど、私はむしろ今回そっちの方が気になってたりする。

あの時、地元民の意地のようにいろいろ検証したことの答えが出るかもしれないのだから。

まあ、この世界の埼玉が、私が知る埼玉とまったく同じということはありえないから、解明してみれば「なーんだ」と思うだけの真実かもしれないけど。

 

 

食後は旅行かばんに荷物を詰めて。

(この旅行かばんも、確か勤続10年の記念品かなんかでもらったあとあまり使ってなかったんだけど、最近はなんだかんだ活躍してるよな)

パソコンで天下一春祭りのサイトを予習して時間をつぶしたあと、ちょうどいい時間になったので毛利探偵事務所へと訪れた。

蘭さんは自宅の方で旅行の準備をしているということで、でもさほど待つこともなく荷物を持って階段を下りてきていた。

 

 

「お待たせ。じゃあ行きましょうか」

 

 

なんか、蘭さんの荷物が一泊にしてはものすごく大きい気がするんだけど。

若い女の子って、あんなに荷物が大きくなるものなのか?

 

 

「蘭姉ちゃん、ずいぶん重そうな荷物だね」

 

 

コナン君も疑問に思ったのか、私の代わりに訊いてくれた。

 

 

「ほら、明日の学校の支度も入ってるから。教科書は学校に置いてきちゃったんだけど、制服がね」

「え? 蘭姉ちゃん、明日学校行くの?」

「うん、行くわよ。だって近いから朝出れば十分間に合うから。その代わり、旅行の荷物はお願いね、お父さん」

「ああ。……ったく、仕方ねえなぁ」

 

 

さすが化け物毛利蘭、旅行で一泊したその日に出席するのか。

……ていうか、先日思わず学校行けよとか思ってしまってすみませんでした!!

 

 

 

東都環状線から埼玉方面の路線に乗り換えて。

風景はしだいに都心の雑踏から遠ざかって。

私が知る、地元埼玉の空気が漂ってくるような気がした。

景色そのものに見覚えはないんだけど、なんとなく、ああ地元なんだ、って思えるような雰囲気になってきたんだ。

 

 

―― たぶんここは、私が知ってる埼玉県じゃない。

だからきっと私が知る風景なんてものは存在してなくて……。

 

 

電車はトータルで1時間もかからずに桶山駅へと到着した。

 

 

「じゃあ、みんな、はぐれるんじゃねえぞ」

「はーい。コナン君、お父さんのあとについていくんだからね」

「うん、わかった」

「……」

 

 

そのまま毛利探偵は駅の改札を出てしまって。

旅館のパンフレットを片手に駅前通りを歩き始めたから、私にはようやく目指す旅館が桶山駅近くにあることが理解できたんだ。

 

 

「あの、蘭さん」

「ん?」

「旅館、って、この近くなの?」

「うん、そう聞いたよ。桶山駅から歩いてすぐだって」

 

「どうしてこんなところなの?」

「さあ、お父さんが決めたから、理由はよく判らないけど」

 

「なんかね、桶山にあるから、山の近くだろうって、おじさん言ってたけど」

 

 

……なるほど、つまり単なる勘違いだった訳だ。

それまでいろいろ検証していた分、私はなんだかぐったり疲れてしまった。

 

 

「す、少なくとも、山の近くじゃなさそうね」

「おじさん大丈夫かな?」

 

 

平日夕方の桶山駅は学生や買い物客で混み合っている。

そろそろサラリーマンも仕事を終えて雑踏に加わり始める頃だろう。

 

目当ての旅館は駅からかなり近かったらしく、その歴史あるたたずまいは都会的な周りの風景とぜんぜん溶け合ってはいなかった。

 

 

「おお、ここだな。 ―― すみませーん、予約した毛利ですが」

「はーい、ようこそおいでくださいました。毛利様4名様ですね。さっそくお部屋へご案内いたします」

 

 

毛利探偵は気づいているのかいないのか。

美人のおかみさんに笑顔を向けられて上機嫌であとをついていく。

私も、気づいていないならそれでいいかな、と思い始めていて。

もしもお祭りに間に合わなくて、犯人の笹井と出会わなければ、私が事件に巻き込まれることもなくなるってことに気付いたから。

 

 

おかみさんが案内してくれたのは洋室で、女性と男性と二部屋に分かれて泊まることになった。

 

 

「お夕食は6時ごろからになりますので、よろしければそれまでお風呂にでも行ってきてください」

 

 

旅館の建物からちょっと離れた場所にあるお風呂は、銭湯の小型版のような感じで、温泉などではなく本当にふつうのお風呂だった。

 

 

「なんだか、いろいろ予想外だったね」

「うん。でも、たまにはこういうのもいいかな。なんか、都会の真ん中にあるオアシスみたいで」

「ふつうに車の音とか聞こえるもんね。……お祭りって確か夜8時からだったけど、お父さん判ってるかな?」

「お祭り自体はもうやってると思うけどね。天の字が灯るのが8時で、20分ずつずれて下と一に火が付くから、9時までに行ければ一の端っこくらいは見れるかもね」

 

「愛夏ちゃん詳しいね。じゃあ、ここからだとどのくらいで会場まで行けるかとか判る?」

「車だったら小一時間、電車だともっとかな。まあ、食事が終わってからでも間に合うよ、たぶん」

「だったらいいんだけど」

 

 

いや、私はこのまま毛利探偵を夕食の時に酔いつぶして、車に乗れないようにしちゃいたいくらいなんだけどね。

……まあ、それをやったら、事件を解決する人がいなくなって、犯人が逮捕されずに終わることになるかもしれないからしないけど。

 

 

広めのお風呂でくつろいで、備え付けの浴衣に着替えて食堂の前を通ると、すでにテーブルには同じく浴衣姿の毛利探偵とコナン君がついて私たちを待っていた。

 

 

「おう、早く座れ! おかみさん、ビール!」

「ダメよお父さん! これからお祭り行くんだから!」

「いいじゃねえかちょっとくらい」

「ダーメ! お祭りが終わるまで飲ませないからね!」

 

 

旅館の夕食はてんぷらとかお刺身とか、いわゆる旅館の伝統的な夕食で。

とくに変わった食材もなく、安心してゆったりと食べることができた。

そんな食事が終わる頃、ようやく毛利探偵がおかみさんに声をかけたんだ。

 

 

「おかみさん、これから天下一春祭りへ行きたいんだが、ここからだとどう行けばいいんですかね?」

「え? お客さんたち、天下一さんへ行く予定だったんですか? そうと知ってれば夕食を早めにしたんですけど」

 

「……は?」

「そうですね、ここからだと、車を使って4、50分くらいでしょうか。今地図を印刷してきますから」

 

 

ここでようやく毛利探偵は自分の勘違いに気付いたらしい。

呆然としていたけれど、おかみさんが地図を持って戻ってきたあと、ようやく我に返ってまくし立てていた。

 

 

「あの! この近くにレンタカーの店はありますか!?」

「え、はい、旧道の向こう側のちょっと右へ行ったあたりに」

「お前たち! すぐにレンタカー屋へ向かうぞ!」

 

「えー? 私たち浴衣なんだけど!?」

「そんなの車に乗っちまえば気にならねえよ! それより早くしろ! 時間がねえんだよ!」

「わ、判ったから。……んもう、おとうさん、いつもこうなんだから」

 

 

私たちは部屋に戻ってひとまず私はいつものかばんを持ったあと、毛利探偵のあとについてレンタカーのお店へと向かった。

……まあ、恥ずかしいのは今だけだし。

(たとえ周囲を仕事帰りのサラリーマンたちが闊歩していようとも)

毛利探偵が言うとおり、車に乗ってしまえば気にならないし、祭り会場はみんな似たような恰好だろうし、帰りは夜だから真っ暗だし。

でも、なるほどな、お祭りでみんなが浴衣姿でいたのには、こんな経緯があったんだ。

 

 

これでもいろいろ考えたんだよ。

お祭り会場から事件現場の桶山ホテルまでは警察の車に乗ったんだろうから、解決後は祭り会場近くの旅館に送ってもらったとして、そのあと再び桶山駅に戻ったのはどうしてなのか、とか。

もしかして推理ショーのあとに毛利探偵だけ桶山ホテルで寝ちゃったから、荷物を取りに(あと浴衣を返しに)蘭とコナンは片道40分を警察の車で往復したのかな、とか。

 

 

まさか、泊まった旅館が桶山駅近くで、なおかつ時間がなくて浴衣を着替えられなかったとは……!

やっぱり、マンガを読んでるだけじゃ判らないことは様々あるなあ。

 

 

 

借りた車にはナビがついていたので、私が目的地入力を引き受けて。

その流れで助手席に座ったので、コナン君の隣には座らずに済んだ。

 

 

「愛夏、オメー、カーナビまで判るのか?」

「このくらいならカンでいけますよ。毛利探偵も慣れればすぐ判るようになります」

 

 

まあ、私の車のカーナビとあんまり操作が変わらないから判るだけだけどね。

数年前に取り付けた当初は、車屋さんに教わらなければさっぱりだった45歳です。

 

 

「左上に出てるのが到着する時間か?」

「そうですけど、あまりあてにはならないですよ。そんなことより前見て運転してください」

「お、おう」

 

「愛夏姉ちゃん、あてにならないって?」

「今はまだ帰宅ラッシュの時間帯ですからね、機械だからそういうのがあまり考慮されてないんです。あと、祭り会場付近はふだんよりも混雑してる可能性もありますから」

「そうなんだ。愛夏姉ちゃん詳しいね」

「なにしろコナン君より3倍近く生きてますからね、いろいろあるんです」

 

 

いや、彼はもう17歳になったはずだから、そろそろ3倍は盛りすぎかもしれないけどね。

ともあれ、こういう細かいところも彼にとっては状況証拠になってるんだろうな。

 

 

祭り会場は方角的には秩父方面で間違いなかったんだけど、出不精で地理に疎い私にはそれが私の知る世界のどのあたりに該当するのかは判らなかった。

この祭りのために特設されたらしい、ただの広い空き地の駐車場に指示に従って車を停めると、そろそろ文字の点火が始まるのだろう、集まった人たちも何となく盛り上がっているようだった。

 

 

「けっこう人が多いな。おいコナン、はぐれるんじゃねえぞ」

「うん、大丈夫だよ」

「チッ、めんどくせえ。……蘭、あれを買ってこい。迷子札代わりだ」

「うん、判った」

 

 

毛利探偵が指さしたのはいろいろな動物をかたどった風船の屋台で、蘭さんは嫌がるコナン君を連れてお店まで行ってしまう。

やがて戻ってきたときには、コナン君は浴衣の帯にウサギの風船をくくりつけられていた。

 

 

「やだこれ、恥ずかしいよ」

「なんでよ、すごくかわいいのに」

 

「ねえ、愛夏姉ちゃん、これ取って?」

「いいと思いますよ。人ごみは子供には危ないですし、それがあれば目印になりますから」

 

 

風船がちょうど大人の目線あたりになるから、危険回避の意味はけっこう大きいと思うんだよね。

さすが子育てを経験してるだけのことはあるな毛利探偵。

おそらく蘭さんが子供の時にも、こんな風に彼女を守ってあげていたんだろう。

 

 

やがて8時の合図とともに、山の方が明るくなって。

数秒で山の中腹に炎でかたどられた天の文字が浮かび上がっていた。

 

 

「おおー!」

「きれい……」

 

 

うん、すごいな。

環境破壊とかいろいろ言いたいことはあるけど、確かにきれいだし、これはこれでありかもしれないと思う。

 

 

ケータイのカメラで1枚だけ山の写真を撮って。

短い文章を添えて、ユキさんとヨーさんにメール送信しておいた。

 

 

とりあえず被害者が死んだ時刻が過ぎた。

この犯罪自体は、防げる方法がまったく判らないから、考えることすらしなかったんだけど。

(ホテルの名前は判るけど、被害者は有名人だから、無関係の他人が部屋の場所を教えてもらうなんて無理だろうし)

40分後、ちょうど一の文字が灯った頃に、加害者は原作通り蘭さんに声をかけるのだろうか?

……この会場に数千人以上もいるだろう観光客の中から、わざわざ蘭さんを選ぶように。

 

 

お祭りでテンションが高い蘭さんを先導者に、手を引かれたコナン君と、私と毛利探偵がうしろをついて露店を回っていく。

夕食のあとだったから食べ物系は軽いものだけで、なつかしさについ綿あめとチョコバナナなんかを買ってしまった。

そういえばチョコバナナなんてものが流行り出したのもたぶん、私が高校生くらいの時だったかな?

それ以前だと串ものはあんず飴とかリンゴ飴とかフランクフルトとかで、飴系があまり得意じゃない私は綿あめと焼きトウモロコシばっかり食べてたような気がする。

 

 

射的や金魚すくいなんかを流しているうちに、下の文字の点火があって。

2枚目の写真を撮ってメール画面を見ると、ユキさんからの返信メールが届いていた。

……彼氏の写真?

毛利探偵の横顔を撮って一緒に送信しておいた。

 

 

「ん? なんだ?」

「いえ、友達にちょっと」

「なんだ、撮る前に言え。かっこいい角度とかあるんだよ」

「失礼しました」

 

 

ユキさんからの返事は、不倫はよくないよー、で。

最後の一の写真は3人並んだところを撮って送ることにしよう。

 

 

下の文字が点いたあとは割とすぐに天の文字は消えてしまって。

なるほど、文字の点火が20分おきなのは、できるだけ長い時間文字を灯しておくためと、あと文字が消えてる時間を作らないためなのか。

いろいろ考えられてるなぁ。

まあ、こういう祭りだったから、殺人のアリバイ作りに利用されちゃったりするんだけど。

 

 

「愛夏姉ちゃん!!」

「はい!」

「どうしておじさんなの!? ぼくでいいじゃない!!」

 

 

声に驚いて見るとうしろに怒った様子のコナン君がいて、手にはなぜか私のケータイが……!

私、さっきちゃんとかばんの内ポケットに入れたよね??

オイオイ探偵のモラルどこ行った!?

 

 

「……あの、ジョークですから」

「わかってるよ! でもちゃんと訂正しておいて」

「……判りました。写真撮りますからケータイ返してください」

 

「蘭姉ちゃん、ぼくと愛夏姉ちゃんのツーショット写真撮って?」

「うん、了解」

 

 

やり取りを見ていた蘭さんが苦笑いでケータイをコナン君から受け取る。

……ああもう、好きにしてください。

そのままだと同じフレームに収まらないので、コナン君の隣でしゃがんで笑顔を作って。

彼はそれがちょっと不満だったみたいだけれど、蘭さんがカメラを向けるとこちらも笑顔を作っていた。

 

 

蘭さんに返してもらったケータイでユキさんとヨーさんにメール送信。

タイトルは「間違えました」で、本文は「ラブラブです」だ。

いったいどこのバカップルだと言わずにはいられない。

 

 

「愛夏ちゃん、コナン君どうしたの?」

「友達に彼氏の写真と言われて、毛利探偵の写真を送ったら、それが気に入らなかったみたいで」

 

「え? 愛夏ちゃんてもしかして年上趣味?」

「……そうなのかな。……うん、そうかも」

 

 

だって、見た目同年代の高校生とか、子供にしか見えないから。

(45歳ならそのくらいの子供がいて不思議じゃないし……というかむしろ普通だ)

20代の中頃にはもう、アイドルグループの男の子なんかがカッコいいからかわいいに変わってた気がする。

 

 

「お、お父さんはダメだからね! ちゃんとお母さんという人がいるんだから!」

「うん、大丈夫、判ってるしあれはジョークだから」

「もう、愛夏ちゃん大人っぽいからすごく心配。ぜったい年上受けするタイプだもん。いろいろ優秀だし」

「大丈夫だから。毛利探偵は美人好きで、それにちゃんとお母さんのこと愛してるはずだから」

 

 

なんで私が毛利探偵と不倫疑惑されなきゃならんのだ。

これからはたとえジョークでも毛利探偵をネタにするのはやめよう。

 

 

「あれ? 私、愛夏ちゃんにお母さんのこと話したっけ?」

「ううん、今聞いた。そういえば蘭さんのお母さんて何してる人なの?」

「弁護士だけど、今は別居してて。……でも、どうしてお父さんがお母さんを愛してるって?」

 

「あのさ、目の前の人が自分に興味があるかどうかくらい、見てれば判るよ? それに毛利探偵が美人好きなのもあからさまだし。女の勘が、あれは本命がいるな、って。だったら相手は蘭さんのお母さんくらいでしょ」

 

「……愛夏ちゃん、ほんとに大人だよね」

 

 

いやまあ、ほんとに大人ですから。

ていうか、私ほんとに最近、嘘をつくスキルだけが磨かれていく気がするよな。

 

 

毛利探偵とコナン君は、話を聞いてたのかそうじゃなかったのか、こちらに背を向けて並んで立っていて。

……まあ、聞こえてたんだろうな。

どんな顔で聞いてるのか興味はあったけど、ひとまずそっとしておいてあげよう。

 

 

「そろそろ一の字の点火が始まるかな。愛夏ちゃん、また写真撮るよね」

「うん。今度は3人並んだところを撮らせてほしい」

「ヨーコさんに送るの?」

「うん」

 

「え? ヨーコちゃん!? 愛夏オメー、ヨーコちゃんのアドレス知ってるのか!?」

「……教えませんよ」

「そこをなんとか……!」

 

「いい男は、努力する姿をさりげなく見せるものですよ。そういう姿に女はグッとくるんです」

「……」

 

 

心当たりがあるのか、毛利探偵は言葉を飲む。

そうこうしているうちに時間が来て、文字の両端から火がともって、すぐに中央で一緒になって一の字が形作られた。

 

 

「あ、ついたついた! 最後の「一」の文字が!」

「おーっ!」

 

 

蘭さんはその後コナン君に、いまさらながらこの天下一春祭りの趣旨を説明していて。

……今年の豊作を祈願、って、5月にやる祭りとしてはどうなんだろ?

(いや、意外に都会っ子の私には田植えのこととかよく判らないけど)

春祭り、という名前も5月にしてはちょっと遅すぎな気もするし。

なんかこの世界、いろいろおかしなことになってる気がするのは私だけじゃないと思う。

 

 

 

そのとき ――

 

 

「ふー、間に合った……」

 

 

ずっと、来なければいいな、と思ってたあの人が。

うしろから聞こえた声に思わず振り返ると、息を切らせた色黒の男が、ちょうど蘭さんたちのうしろあたりに立っていたんだ。

 

 

「すみません、1枚撮っていただけませんか?」

「あ、いいですよ!」

「じゃあ、あの「一」の字をバックに、このカメラで……」

 

 

蘭さんは男から使い捨てカメラを受け取って。

1枚撮ったあと、男が書いたという本を受け取って、いろいろ話をしていた。

……まあ、写真だけだと多少弱いから、蘭さんたちは万が一の時のための証言者、ということなんだろうけれど。

蘭さんって、ぱっと見だけだと優しくて親しみやすい雰囲気があるから、こういう厄介なのに絡まれやすいんだろうな。

(その証拠に、ほぼ同時に振り向いた私は一切絡まれてないし)

 

 

「この辺もいいですね、もう2、3枚お願いできますか?」

「あ、じゃあ先に、私たちのも1枚撮ってもらえませんか?」

「ええ、もちろんです」

 

「愛夏ちゃん、せっかくだから撮ってもらおう? 一の文字をバックに、4人で」

 

 

それまで傍観者というか、通行人のような振りをしていたのにいきなり振られて驚く。

慌ててカメラを起動して笹井さんに手渡すと、ちょっと困ったような笑みを浮かべた。

 

 

「すみません、どれを押せばいいんでしょうか?」

「あ、このボタンです。画面を見ながらカメラを合わせて、ボタンを押したらあとは何も押さずに返してください」

「判りました。……どうもデジタル系は苦手でしてね、すみません」

「いえ」

 

 

まあ、最近は使い捨てカメラより、デジカメやケータイを使う人の方が多いからね。

使い捨てカメラを持ってきた理由としてその言い訳をあらかじめ用意していたんだろう。

(デジカメだと加工ができちゃったりするから、証拠として採用されるか微妙なところだし)

 

 

4人並んで、コナン君をフレームに入れるために蘭さんがうしろから抱き上げて。

戻ってきたケータイの写真のコナン君は、真っ赤になって口をつぐんでいた。

……うん、これは永久保存決定だな。

 

 

その後、笹井さんは数枚の写真撮影を蘭さんに要求して。

本をもらってしまったからか、蘭さんもとくに嫌がらずにその要求にこたえていた。

間に雑談をはさみながら、笹井さんも加わって5人で露天周りをまわっていたところ。

そろそろ一の字も消えそうだな、というあたりで、蘭さんがシャッターを押すと同時に笹井さんの背後に横溝刑事らしい男性が立ったんだ。

 

 

「え?」

 

「笹井宣一さんですな……? 自分は埼玉県警の横溝と申します!! 今竹智さんの件でちょっと聞きたいことが……」

「は?」

 

「け、警察……?」

「ん? はて? あなた、どっかでお会いしたような……」

 

 

そう、口をはさんだ毛利探偵を横溝刑事はまじまじと見つめて。

 

 

「あのー……今竹になにかあったんですか?」

「殺されたんですよ!! あなたが彼と泊まっているホテルの部屋でね!!」

 

「な!?」

 

 

 

そのあと ――

 

いちおう簡単にアリバイをということで、笹井さんは8時にはこの会場にいて、8時40分頃に私たちと会ったという話をして。

詳しい事情を聞きたいからと、なぜか私たちまでが桶山ホテルへ来るように言い使ってしまいました。

いやまあ、判ってたことではあるけどさ。

私たち4人は毛利探偵のレンタカーで桶山ホテルまで行って、現場にいた若い刑事さんに頼んで、レンタカーはお店に返してもらうことができた。

(免許持ってたら私が返しに行ってもよかったんだけどね。若返ったのがせめて18歳だったらなぁ、免許証も残ってただろうから、そのままバックレられたのに……)

 

 

さて、桶山ホテルの部屋では、とうぜんのことながら射殺死体が横たわっていました。

……見なかったけどね。

アリバイ証言のためだけにきた私なんかが確認する必要なんかないし。

まあ、毛利探偵とコナン君の二人は積極的に死体を調べに行っちゃいましたけど。

 

 

一通り調べ終わったのか、写真の現像が終わるまでの待ち時間に、コナン君が私のところへとやってきた。

 

 

「愛夏姉ちゃん、なにか判った?」

「なにか、って?」

「現場の変なところとか」

 

「ぜんぶ変ですよ。今竹さんが歯を磨いている最中に殺されたんだとして、銃声が聞こえたあとすぐに男が逃げたとすると、部屋を物色したのは今竹さんがまだ生きている時ってことです。いくら洗面所で歯を磨いてたと言っても、不審者に隣でごそごそされたらいくらなんでも気が付きますよ。だったら犯人は、同じ部屋に泊まってたあの人しかいません」

 

 

そのくらいは、探偵じゃなくても、並みの想像力があれば気が付くことだからね。

むしろなんで犯人がそれに気づかなかったのかの方が不思議だわ。

(職業は想像力が必須な作家なんだし。……なるほど、だから売れないのか)

 

 

別に部屋なんか物色しないで、今竹さんの財布だけ頂戴して逃げればよかったのにさ。

(でもこれじゃ物取りに取られたのか本人がたまたま財布を落としたのか判らないか。別にそれでもいいような気がするけど)

 

 

じゃなかったら、最初から今竹さんを脅すなり騙すなりして縛ってから部屋を荒らして最後に殺すとか。

……あ、そうか、歯を磨いてたからそれができなかったんだ!

口を粘着テープかなんかでふさがないと騒がれるから、けっきょく殺して逃げるしかなくなるもんね。

 

 

ほんと、この原作よくできてるわ。

 

 

「でも、証拠がないよ」

「そうですね。凶器や物証はたぶん、すでに川かなにかに捨てたあとでしょうし」

「そうだね。……ねえ、愛夏姉ちゃんは、あの写真の証拠って何だと思う?」

 

 

さて、どう答えるか。

ていうか、こういう聞き方をしてくるってことは、私がある程度未来予知に近いことをしてるって。

そっち方面に彼の思考が傾いてるからなんだろう。

 

 

「アリバイですよね。……彼が8時に祭り会場にいた証拠なら、ふつうに考えたら天の字じゃないですか?」

「天の字? でもそれだけじゃ8時から8時20分までの間に会場にカメラがあった証拠にしかならないよ」

「ほかの人に頼んだりもできますか。じゃあ、本人も映ってないと。蘭さんが撮った写真、すべて本人も入ってましたから、証拠にするならきっと同じようにしますね」

 

「でも、それだったら本当に、アリバイが成立しちゃうよ」

「等身大の立て看板でも置きましょうか? 夜だから案外ごまかせるかもしれませんよ」

「ぼくだったら小さい写真を手前に置いて撮るかな。あんな人が多いところで、等身大の写真の写真を撮ってるなんて、すごく目立つもん」

「でも、いずれにしてもかなりの練習が必要ですよ。指が入ったりフラッシュで変な光り方をしたり。事前に練習できる日なんて限られますから、やっぱり本人が入って直接写真を撮った方が現実的ですね」

 

「事前に練習……。事前に本番、か」

「本番、ですか?」

「あの使い捨てカメラには日付が入らないから、たとえ1年前の写真でもわからないよ」

「すごいですね、コナン君。もしもこれが1年以上前からの計画殺人なら、私でもそうすると思います」

 

 

どうだろう、うまくごまかせてるといいんだけど。

まあ、たとえごまかせてなかったとしても、それはそれでいいんだけどね。

彼が私の秘密を自分の力で暴いてくれるなら、私はその方がいいんだから。

とりあえず私は、彼が起こしてきたアクションに対して、全力でごまかすだけだ。

 

 

やがて現像されてきた写真には、私とコナン君が想像したとおり、天の字と本人が写っていた。

 

 

「こりゃ、笹井さんが8時25分よりも前に祭り会場にいたのは間違いない。アリバイ成立ですな」

「いえ、毛利探偵。自分にはどうしてもこの男が犯人に思えてならないんですよ。彼がやっていることは、まるでアリバイを作っているようじゃないですか」

 

 

うん、横溝刑事の感覚は正しい。

その調子で頑張ってこれからも私のふるさと埼玉を守っていってください。

 

 

そのあと、コナン君が笹井さんに、自分の荷物を確認しなくていいのかと問いかけて。

どうやら横溝刑事がさらに笹井さんを疑うよう、仕向ける作戦に出たみたいだ。

ま、このあたりも原作通りなんだけどね。

そしてそのあと、出版社の編集者の人が来て、殺された今竹さんの原稿の代わりに笹井さんの原稿を受け取ったのも、原作と同じだった。

 

 

コナン君の意見で旗色が悪くなって帰ろうとする笹井さんを、なんとか引き留めようとする横溝刑事。

その時、毛利探偵がふっと椅子に倒れ込んで。

テーブルに肘をついた姿勢を取らせて写真を並べるコナン君を、私はそっと横目で見守っていた。

どうやら今回は毛利探偵がいるから、私に眠りの小五郎をさせる気はなかったらしい。

 

 

「預かりますよ」

「え? ……うん、ありがと」

 

 

コナン君の腰ひもに着いた風船を外して、ドアの取っ手あたりに縛り付けておいた。

これで彼も落ち着いて推理に専念できるだろう。

 

 

「まったくだ……。君にはがっかりだよ、横溝刑事」

「も、毛利さん……」

「せっかくオレが、君に手柄を挙げさせるために黙っていたというのに……。犯人の仕組んだ、あんなアリバイトリックの写真が見抜けんとは……」

 

「そ、それじゃあ!!」

 

 

「ああ、小説家今竹智氏をこの部屋で銃殺したのは、君の隣にいる、笹井宣一だ!!」

 

 

そのあと、自分が無実であると言い募る笹井さんの熱弁を、すべて毛利探偵は理論でねじ伏せていって。

写真の件についても、1年以上前に撮られたものである可能性を示唆したあと、原作とは違って風船に邪魔されはしなかったけど、原作通り横溝刑事に任せた。

きっとコナン君も、横溝刑事のことはある程度信用できたんだろうな。

写真を見比べて、手首の日焼け跡に気付いた横溝刑事が問い詰めると、やっと笹井さんは自分の犯行を自供した。

 

 

 

 

「 ―― ねえ、お父さん、起きてよ!」

「諦めて置いていく?」

「こんな殺人現場に置いてったら、警察の人に迷惑よ。……でもどうしよう」

「じゃあ、ちょっと男の人に手伝ってもらって、下まで運ぼうか。あとはタクシーに乗せて旅館まで行ければ何とかなると思うよ」

 

「そうね。じゃあちょっと頼んでみようか」

 

 

そうして蘭さんが、現場にいた刑事さんに声をかけると、タクシーを呼ぶまでもなく県警の車で送ってもらえることになって。

ありがたいことに旅館でも部屋まで運んでもらえたから、私の中では埼玉県警の評価はうなぎのぼりだったりする。

 

 

「お父さん、推理のあと眠っちゃうあの癖、なんとかならないのかな?」

「そうなんだ。私は初めて見たけど」

「最近けっこう多いのよ。たぶん、ふだん使わない頭を使って糸が切れちゃうんだと思うけど」

「まあ、推理するのとかって、かなり精神力を使うからね。私もやってみるまで判らなかったけど」

 

「そういえば愛夏ちゃんも推理クィーンだったもんね」

「それやめて。もう二度とやるつもりないから」

「なんでよ、まるで新一みたいにかっこよかったのに」

 

 

部屋の中で眠る準備をしながら、蘭さんと話していた。

蘭さんの中では、推理する人=工藤新一という図式がすでに出来上がってるんだろうな。

 

 

「じゃあ、私、明日早いから、悪いけどもう寝るね」

「うん。私はまだ早すぎるから、ちょっとだけ散歩してくるから」

「じゃあ、おやすみ」

「おやすみ」

 

 

部屋に鍵をかけて、旅館の建物からお風呂がある庭に出る。

そこで少しだけ埼玉の空気を堪能していると、ふいにケータイが振動して、工藤新一からの着信があったんだ。

……もしかして、コナン君の部屋の窓から、私がここにいるのが見えたのかもしれない。

 

 

「はい」

『オレ、工藤だけど』

「はい、高久喜です」

 

『今電話平気か?』

「少しなら大丈夫です」

『あの、さ。オメー、また事件に巻き込まれたって聞いて』

 

 

……コナン君、君だってさっき部屋に戻ったばかりでしょう?

部屋に戻ってすぐに工藤新一に電話で事件の報告をしたとでもいうつもりなのか?

ケータイ持ってないコナン君が、こんなに早く工藤新一に連絡できたりしたら、勘のいい人ならおかしいって感じると思うよ。

 

 

「……今回は、ご遺体も見ませんでしたし、特には」

『そうか。まあ、無事だったならなによりだけど。それに、今回はコナンの相談にも乗ってくれたって。その、ありがとな』

「いいえ、たいした力にはなれなかったと思います」

 

『そうでもねえよ。オメーの助言が的確だったって、コナンも喜んでたから』

「それならよかったです」

 

 

まあね、原作という正解を知ってるから、ある程度的確にならざるを得ないのは仕方ないっていうか。

あんまりそらしちゃってコナン君の推理を正解から引き離すのも問題っていうか。

 

 

『それと、オメー、毛利探偵事務所で働き始めたんだって?』

「はい。まだ臨時のバイトですが」

『すげぇ優秀だって聞いたけど』

「たまたま毛利探偵や蘭さんの不得意分野が得意だっただけで、……私がとくべつ優秀な訳では……」

 

 

『あの、さ、もしオレが……』

 

 

そのあと、続きを言わないまま、少しの沈黙があって。

やがて続きを待っていた私の耳に、少し調子が変わった工藤新一の声が飛び込んできた。

 

 

『あー、まあその話はいいや! とにかく仕事がんばれよ!』

「あ、はい。工藤さんも頑張ってください」

『おう! じゃあな!』

 

 

……。

……相変わらず唐突に切れるなぁ。

ていうか、けっきょく何が言いたかったんだろう?

 

 

相手の態度を見れば、自分に興味があるかくらいはすぐに判る。

電話だと判りにくいけど、でもまったくの無関心じゃないことは確かだ。

そのくらい、女として45年も生きてれば判っちゃうんだよ。

 

 

ああ、着信拒否したくなってきた。

(前回、傷つくからやるなと釘を刺されてしまったので、ギリギリまではやらないけど)

ものぐさ女子の本能が叫ぶんだよ、面倒ごとは回避しろ、と。

 

 

ケータイの時刻を確認すればそろそろ真夜中に近い。

蘭さんはもう寝ついただろうから、私ももう寝よう。

なんか今日も1日疲れたわ。

 

 

 

 

5月12日(木)

 

 

朝、いつものアラームで目を覚ますと、隣の蘭さんもゆっくりと目を開けたところだった。

 

 

「愛夏ちゃん、今何時……?」

「5時だよ。ごめん起こしちゃって」

「……ううん、もう起きなきゃ。私、みんなより少し早い電車で出るから。愛夏ちゃんはゆっくりしていってね」

「うん」

 

 

ていうか、毛利探偵とコナン君とじゃ、帰りの電車の中とかなにを話していいのか判らないよ。

できれば私も蘭さんと一緒に帰りたいところだったりする。

 

 

蘭さんと一緒に着替えて(彼女は学校の制服だ)食堂へ行くと、すでに朝食の用意はできていて。

どうやら蘭さんは自分の朝食を早くしてくれるよう、事前に旅館に話していたようだった。

ということはとうぜん、私の朝食はない訳で。

仕方ない、私は毛利探偵たちと一緒に帰ることにしよう。

 

 

「少しお待ちいただければすぐにご用意いたしますので」

「ありがとうございます。……蘭さんは先に食べてていいよ」

「じゃあ、お先にいただくね。……うん、やっぱり旅館の朝食っておいしい」

 

 

それはたぶん、自分で作ってないからだよ。

蘭さんの料理を食べたことがある訳じゃないけど、私自身も自分が作ったご飯って、やっぱりなんか味気ないから。

(まあ、もともと料理が下手だとも言う)

 

 

さほど待つこともなく私の朝食も並んだんだけど、その頃には蘭さんはあらかた食事を終えていた。

 

 

「食べ終わったらすぐに出ちゃう感じ?」

「うん、できればお父さんたちにも挨拶していきたいけど、まだ寝てそうだから」

「ラッシュの時間に重なるから気をつけてね」

「ありがとう。愛夏ちゃんたちも気をつけて帰ってね」

「うん」

 

 

さて、毛利探偵は何時ごろ帰る予定なのかな。

あんまり遅いと明日の出張の準備ができないから、たぶん午前中のうちには出ることになるだろうけど。

 

 

食堂で蘭さんを見送って。

私も食事を終えて部屋に戻ったけれど、隣の毛利探偵たちはまだ起きていないみたいだった。

まあ、まだ朝の6時半だから無理もないよな。

 

 

 

しばらくの間、私はケータイを見ながら時間つぶしをしてたんだけど。

ふと、埼玉とはまたしばらくお別れなんだな、なんてことを考え始めちゃって。

近いんだからいつでも来れるし、定職に就いてる訳じゃないから時間もそれなりにあるんだし、今回みたいにたまに泊まりに来ることだってできるんだけど。

出不精の私がきっかけもなく1時間電車に揺られるなんて、この先何年後になるか判ったものじゃないんだ。

 

 

私はケータイで地図が見られるサイトを検索して、埼玉県の、自分が以前住んでたあたりを調べてみた。

場所自体は桶川駅から数駅東京方面に戻ったところで電車を降りて、徒歩だと1時間余り、車で15分余りくらいだ。

つまり、ここ桶山駅が元の世界の桶川駅に対応しているなら、今回はチャンスだったりするんだ。

でも、近隣の地図を表示してみても道の形からかなり違っていて、ケータイの小さな画面では元の自分の家がどのあたりなのか、特定することはできなかった。

 

 

行ってみようか。

さすがにレンタカーを借りるのは無理だけど、駅前にレンタサイクルのお店があるかもしれないし、なんならタクシーを使ってもいいし。

そう思ってだいたいの見当をつけた駅名でレンタサイクルを検索したら、こちらはなかったので諦めることにして。

でも、バス路線でたとえば見覚えある地名とかも出てくるかもしれないから、一度調べてみるのも悪くないよ。

 

 

そうこうしているうちに朝の7時を過ぎたから、私は隣の部屋へ行ってみることにした。

コナン君はすでに起きて支度を始めていて、でも毛利探偵はまだ眠ってる。

……コナン君、あの麻酔針、ちょっと強力すぎやしませんか?

まあ、一瞬で眠らせなければ意味がないのは判るけど、そのあとなかなか目覚めないのはちょっと問題だと思うんだけど。

 

 

「おじさん、起きて! 愛夏姉ちゃんが来たよ!」

「毛利探偵、そろそろ起きませんか? 朝ご飯の準備ができてますから」

 

「どうする? 愛夏姉ちゃん」

「できればさっさと起きてほしいですね。ちょっと相談したいこともあるので。 ―― 毛利探偵! 殺人事件です!!」

 

 

そう、耳元で怒鳴るように言うと、毛利探偵はピクッと反応して。

次の瞬間にがばっと身を起こして、きょろきょろとあたりを見回した。

 

 

「なんだ!? 事件か!?」

「はい、朝食の用意ができてるみたいです。私はすでにいただきましたので、お二人も早めに食べてきてください」

「……は?」

「おじさん、旅館に迷惑だから、早く朝ごはんにしよう? ……あと、おじさん、パンツ見えそう」

 

 

ああ、寝てる間に浴衣がはだけて確かに見えそうになってますね。

視界に入ってはいてもぜんぜん意識にのぼってこなかったのは、やっぱり45歳ゆえということで。

 

 

「じゃあ、私は部屋にいますので、支度ができたら呼んでください」

「あ、ああ。……蘭はどうした?」

「とっくに出かけましたよ。荷物はまとめてありますので、あとで持って帰ってあげてください」

「……判った。……悪かったな」

「いいえ」

 

 

なにを謝られたのか判らないまま、あいまいに返事をして部屋をあとにする。

 

 

部屋に戻って何気にテレビをつけると ―― さすがに有料じゃなかった。残念 ―― 昨日の事件がニュースになっていた。

そういえば横溝刑事たちは毛利探偵を見送りに来るのかな、などと考えていると、隣の部屋からケータイの着信音が聞こえてきて。

テレビの音量を抑えると、漏れ聞こえてくる毛利探偵の声に横溝刑事の名前が混じっていたことから、相手が警察関係者だと判る。

どうやら本当にあのシーンも再現されるみたいです。

 

 

けっきょく駅で待ち合わせのような形になってしまったので、そのあと毛利探偵は急いで支度をして、どうにか朝の9時ごろには旅館を出ることができた。

駅ではいかつい刑事たち数人が改札前で待っていて。

その中でもひときわいかつい横溝刑事に案内されて、毛利探偵は無事帰りの電車に乗ることができました。

 

 

「いやー、犯人の笹井を無事逮捕できたのも、あなたのおかげです毛利探偵!!」

「は、はあ……。犯人? 笹井? 事件?」

 

 

もちろんマンガでの蘭さんのセリフはスルーです。

 

 

「犯人が笹井だけに……『ささいな事件』なんちってー! ワッハッハッハッ!!」

 

「は、ははっ」

「はははは……」

 

 

電車の発車メロディが刑事たちのうつろな笑い声をかき消して。

上機嫌な毛利探偵を乗せたまま、列車は静かに発進していきました。

まあ、私は一緒に乗って、向かいの席に座ってる訳なんですが。

 

 

「毛利探偵、実はちょっとお願いがありまして」

「おう、どうした?」

「実は私、埼玉に親戚がいるんですけど。ここから近いので、帰りに寄っていきたいと思うんです。なので次の駅で別行動させてもらえませんか?」

「ああ、そりゃ構わねえが」

 

「ありがとうございます。もちろん明日の出張に影響は出ないようにします。という訳で、明日は何時ごろに出勤すればいいでしょうか?」

「ああ、まだ決めてねえんだ。決まったら電話する。多少朝早くても大丈夫か?」

「はい、問題ありません。ちゃんと今日中に帰りますので、夜にでもお電話いただければありがたいです」

 

「そうか。気をつけてな」

「はい、お二人もお気をつけてお帰りください。このたびはほんと、旅行に誘っていただいてありがとうございました」

「まあ、最後は事件になっちまったがな」

「それでも楽しかったですから」

 

 

そんな会話を交わしたあと、ちょうど次の駅に着いたので、私は荷物を持って電車を降りて。

私は一度改札付近まで戻って、路線図を確認してから再びホームへと降り立った。

そのまま次の電車が来るのを待つつもりだったんだけど……。

 

 

「愛夏姉ちゃん」

 

 

うしろから声をかけられて、振り向いたらそこに、リュックを背負ったコナン君がいました。

ソッコー毛利探偵のケータイに電話を掛けたのは言うまでもありません。

 

 

 

私はコナン君を次の電車に乗せて、どこかの駅で待ち合わせた毛利探偵に引き渡したかったのだけど。

毛利探偵が乗った電車は途中から快速に変わるもので、すでに乗換駅は出発してしまったあととのことで、けっきょく東都環状線の乗換駅まで降りられないんだよね。

つまり、コナン君をこの駅まで迎えに来てもらうとしたら往復で1時間以上も待たなければならないということで。

(もちろん私が連れていってもここに戻ってくるのに同じだけかかることになる。だったらそのまま諦めて帰るよ)

さすがに事件と旅行で疲れているアラフォーの毛利探偵にそこまでの無理は言えず、けっきょく私がコナン君を毛利探偵事務所まで連れて帰ることになりました。

 

 

ていうか、コナン君、ほんとは一人で帰れるんだけどね。

(中学生なら微妙だけど高校生なら余裕だと思う。ちなみに出不精の私は中学2年生まで電車に一人で乗れなかったり)

 

 

「まあ、ついてきてしまったものはしょうがありません。諦めて一緒に帰りましょう」

「え? どうして? 親戚のおうちはいかないの?」

「実は場所があいまいなんです。だからちょっと迷うつもりでいたので、さすがにコナン君を付き合わせる訳にはいかないんですよ」

「そんなの平気だよ! ぼく元気だもん。ちょっとくらいなら歩けるよ!」

 

 

「以前歩いた時には、徒歩1時間15分かかりました。道を知っていてそれだけかかる距離ですよ。迷いながらだったらどのくらいになると思いますか?」

「……わかんない」

「はい、私にも判りません。なので今日のところは帰ります。今度また、機会があったら来ることにします」

 

 

ホームのベンチでそんな話をしたあと、お互いに黙ったままやってきた電車に乗り込んで。

列車のドアの近くに立って、流れていく風景をじっと見つめていた。

 

 

見覚えはぜんぜんないのに、でも懐かしい風景。

たぶんちょっとした思い込みはあるんだと思うけど。

でもここは、この世界での私のふるさとなのは間違いなくて。

 

 

目当ての駅に到着した時、私は思わず駅のホームを見回してしまった。

もしかしたら、ほんの少しでも、どこかに面影があるんじゃないかと思って。

 

 

知らない発車ベルを遠くに聞きながらドアが閉まるのを待つ。

そのときだった。

いきなり腕を引かれて、たたらを踏んだ私は、思わず電車から降りてしまったんだ!

 

 

「え?」

 

 

目の前で電車のドアが閉まって。

慌てて周りを見回すと、私の腕を掴んでいたのはコナン君だった。

……よかった、少なくともはぐれなくて。

 

 

「愛夏姉ちゃん、やっぱり行こう!」

「え?」

「行きたいんでしょう? ぼくがいなかったら行くつもりだったんでしょう? だったら行こうよ! ぼく、ちゃんとついていくから!」

 

「……」

 

「ほら、行くよ!」

 

 

コナン君に腕を引かれて歩き始める。

……もしかして、というかやっぱり、コナン君を心配させちゃったんだろうな。

私あの時、いったいどんな表情で風景を見つめていたんだろう。

 

 

カードを持ってない私は自動改札に切符を通して改札を出て。

うしろからコナン君がついてくるのを確認しながら、目指す方へと歩いていった。

……なんとなく、面影はあると思うんだよね。

たぶんここが、私が知る駅に対応するこの世界の駅なのは間違いないと思う。

(じっさい何年も来てなかったので、現実問題このくらい変わってても不思議はないんだけど)

 

 

駅の2階から高架を渡って、ひとまずいくつかあるバス停の路線をすべて確認した。

私が住んでいたのは団地で、5階建ての棟が一所にいくつも建っていたから、その名前が付いたバス停は必ずあると思ったんだ。

でも、見た限りではぜんぜん載っていなくて。

もう一度高架に戻って、今度はタクシー乗り場へ行くことにした。

 

 

「場所、わかったの?」

「判りませんでした。なので、今度はタクシーで見覚えある場所を探してみることにします」

「……ぼくがいるからだよね。ごめんなさい」

「違いますよ。歩いて探すつもりは最初からありませんでしたから」

 

 

さすがにね、たとえ見つかったとしても、往復2時間以上歩く気はなかったですよ。

すでに目の前に停まっていたタクシーに乗り込んで、私はまず元の世界の場所を告げた。

 

 

「○○団地までお願いします」

「……すみません。それは何市にあるんですか?」

「市内だって聞いたんですけど、ありませんか? ○○団地」

「ないですね。××団地なら駅の逆方向にありますが」

 

「じゃあ、たぶん聞き間違えたんだと思います。すみませんが、ちょっと私の言うとおりに走ってみてもらえませんか? 一度来たことがあるのでたぶん覚えてると思うんです」

「はあ、それはかまいませんが」

「よろしくお願いします。じゃあ、まずは国道へ出て ―― 」

 

 

タクシーにはナビがついていたので、私は表示される地図を頼りに、道を指示していった。

国道から信号を数えて、左折。

そのあとの道は少し下り坂になってるはずなんだけど、この世界ではそんなことはなくて。

道が予想外に左へ大きくカーブしたので、適当なところで右折してもらって。

そのまましばらく行くと高架が見えてくるはずなんだけど、それもなかったから、またおおよその距離を進んだところで左折してもらった。

 

 

本当だったら見えてくるはずの団地群。

でもそんなものはぜんぜん見えてこなくて。

行き過ぎたのか、それとも早く曲がりすぎたのかと思って、何度か頼んで迷走してもらったんだけど。

けっきょく私は私が以前住んでいた場所を特定することはできなかったんだ。

 

 

 

違うんだね、やっぱり。

ここは、私が住んでいた世界なんかじゃない。

私が知ってる風景なんて、ここにはぜんぜんない。

―― 私は、この世界に独りだ。

 

 

「どうします? この先は隣の市になりますけど」

「……すみません、戻ってください」

「判りました。どこまで戻りますか?」

「最初の駅まで戻ってください。ちゃんとタクシー代はお支払いしますから」

 

「……了解しました」

 

 

ふっと力を抜いて背もたれに身体を預けると。

隣でコナン君が、心配そうな表情で私を見ていた。

私はちょっとだけ笑みを浮かべて。

 

 

「すみません、やっぱり判らなかったです。せっかくコナン君がついてきてくれたのに」

 

 

コナン君はすぐには返事をしてくれなくて。

じっと私を見つめていたから、私は思わず目をそらしてしまった。

 

 

 

……ダメだ、あの目は。

あんな目を向けちゃだめだ。

 

その目は、私は、見なかったことにするから。

 

 

 

「親戚の家なんかじゃ、ないよね」

 

 

やがてコナン君の声が聞こえてきたから、私はほんの少しだけ安心した。

 

 

「親戚の家ですよ。……母の、家で、……以前、私が住んでいた家でもあります」

 

 

こういう状況で、嘘は簡単に見破られそうだから。

私はできるだけ嘘にならないように、でも適度に誤解できる余地を残しながら、そう返事をした。

 

 

「それ、愛夏姉ちゃんが4歳の時まで住んでた家?」

「え?」

「あ……」

 

 

私が驚いたのももちろんだけど、コナン君も、自分が失言したことに気付いたようで。

私が驚いたのは、私が今のあの団地に引っ越してきたのが41年前、4歳の時だったからだ。

そして今6歳(7歳かな?)のコナン君は、今16歳の私が4歳の時のことなど知っているはずがないから、失言したことに気付いたんだろうけれど。

どうやらこの世界の“私”も、4歳の時にあの家に引っ越してきたのは同じだったらしい。

 

 

「誰かに聞きました? 私が4歳の時に引っ越してきた、って」

「……うん、阿笠博士と、新一兄ちゃんに」

「お二人とも、そんな昔のことをよく覚えてましたね」

「ちゃんと覚えてたよ。……でも、愛夏姉ちゃんは4歳の時の家なんて、覚えてる訳ないよ。辿り着けなくてあたりまえだよ」

 

「……そうですね。あたりまえですね」

 

 

なんか、都合よく誤解してくれたみたいだから。

私はもう、それで通すことにしてしまった。

 

 

 

駅でタクシー代の4千円を払って、少し休むために、コナン君は私を駅近くの喫茶店に引っ張っていった。

……元の世界でも確か、ここに喫茶店があったんだよね。

もっとも店の名前も内装もぜんぜん違ってたと思うけど。

 

 

階段を上がって二階、喫茶店の狭いテーブル席に落ち着くと、コナン君は勝手にコーヒーを二人分注文してしまった。

店の中は程よく空いていて、声が聞こえるほど近くには誰も座っていない。

コナン君は、注文したコーヒーが来るのを待ってから、ようやく話し始めた。

 

 

「ねえ、昨日のツーショット写真、見せてくれる? ぼくまだ見てなかったでしょ?」

 

 

ちょっと予想外で驚いたんだけど、私は素直にケータイを取り出して、画像を呼び出したあと、ケータイをコナン君の方へと向けた。

 

 

「ちょっと借りるね」

 

 

ケータイを取り上げて、コナン君は素早い動作でボタンを押していく。

……さすが、生まれた時からケータイが身近にある世代だ。

ボタン操作に危なげがない。

ていうか……。

 

 

「なにをしてるんですか?」

「新一兄ちゃんのアドレスに送ったんだよ。ぼく、新一兄ちゃんのメールアドレス知ってるんだ」

 

 

な、なにを勝手に送ってるんですか!?

そりゃ、あなたが工藤新一のアドレスを知ってるのはあたりまえというか当然というか、よく判ってますけど。

でも、私のケータイから送ったってことは、つまり工藤新一に私のメールアドレスがバレた、ってことじゃないですか!!

私これから、工藤新一の電話攻撃だけじゃなくて、メール攻撃まで受けることになるんですか!?

 

 

「……コナン君、少なくともそういうことは、相手に断ってからやるべきだと思いますよ」

「なにかまずかった?」

「判らない振りでごまかさないでください。私、工藤さんに自分のアドレスを教えていいなんて、一言も言ってませんから」

「つまり、ダメだった、ってこと? 愛夏姉ちゃん、新一兄ちゃんのこと嫌いなの?」

 

「嫌いではないですけど。……苦手ではありますから。私は、同世代の男の人とか、あまり親しく付き合いたくないんです」

「……」

 

 

なんか、これを機にコナン君に、愚痴をぜんぶぶちまけちゃいそうな誘惑にもかられたんだけど。

頭の中でいろいろシミュレーションしてたらなんだかコナン君がかわいそうになってきて。

こんな、たかが中卒フリーター女のために彼を悩ませてしまうのも悪い気がして、けっきょくそこまではしないで済んだ。

代わりにちょっとだけ釘をさしておくことにする。

 

 

「以前、なんですけど。……私、友達からのメールで、パニック障害のような症状を起こしたことがあるんです」

 

 

これは45歳の私が30代の頃に実際に経験したことだったりするんだけど。

コナン君には、私が中学の頃か、もしくは引きこもり中に体験したことのように聞こえただろう。

 

 

「目の前が真っ暗になって、心臓がドキドキして、頭の中に騒音がガンガン響いてくるんです。私、そのあとしばらく、メールを開けなくなっちゃいました。だから今でも、メールはちょっと怖いんです」

 

「……今でも?」

 

「はい、まだちょっと怖いですね。読むのもですし、人に送るのも怖いです。もしも自分のメールを読んだ人が、かつての私のような思いをしたら、と思うと、なかなか気軽に送れないです」

 

「……」

 

「なので、工藤さんにも伝えてもらえませんか? 私がメール恐怖症だって」

 

「……新一兄ちゃんは、そんな変なメールは送らないと思うよ?」

 

「そうですね。でも、メールってほんとに怖いんですよ。送った本人が意図した内容とはぜんぜん違うものを、受け取った側は感じることがあるんです。それだったら、まだ声という情報がある分、電話の方がマシです。本当だったら、表情が判る分、ちょくせつ会うのがいちばんなんですけど、なかなかそういう訳にもいかないでしょうから」

 

「……新一兄ちゃん、忙しいから」

 

「はい、なので、私にメールを送ったとしても、返事は期待しないで欲しいんです。受け取るよりも送る方が数倍怖いので」

 

「じゃあ、新一兄ちゃんから送るのはいいの?」

 

「いいですよ。基本的に返事はありませんから、ほんとに送るだけになりますけど、それでいいなら」

 

「うん、わかった。新一兄ちゃんにはそう伝えておくね」

 

「はい、よろしくお願いします」

 

 

ま、そうは言うものの、私のメール恐怖症自体は、もうほとんど治ってたりするんだけどね。

(さすがに10年くらい経ってるからね、そういつまでも引きずってはいられませんよ)

ただ、私は長く生きてる分、普通の16歳よりもトラウマが多くて、若者特有の傍若無人に付き合うのはかなりきつかったりして。

コナン君の好きなサッカーで例えるなら、大人ルールで戦ってる選手の中に、平気でボールに手で触れたりボールを持ったり投げたり持ったまま走ったりする選手が混じってるようなものだったりするんです。

 

 

まあ、それが工藤新一の魅力の一つなんだとは思うけどね。

おばさんにはちょっと眩しすぎるというのか、鋭すぎるというのか、うっかりしてると刺し殺されそうな恐怖を感じるようなものだったりするんだ。

 

 

「あの、さ」

「はい」

 

「愛夏姉ちゃん、昨日蘭姉ちゃんとしゃべってた時、言ってたよね。目の前の人が自分に興味があるかどうかくらい見てれば判る、って」

 

 

……やっぱり聞いてたのか。

しかし、コナン君がこう言ってきたということは、次にくる言葉はきっと ――

 

 

「じゃあ、ぼくの気持ち、わかってるんだよね? ぼくが愛夏姉ちゃんのこと、どんな風に思ってるのか」

 

 

そう、言葉を切ると。

もう私が答えるまでは何も言わないぞとばかり、コナン君はじっと私を見つめて動きを止めた。

 

まあ、さっきタクシーの中で見せた“あの目”よりはマシだけど。

ちょっとあれはほとんど二度と見たくないと思うようなたぐいのものだったから、あれをしないでくれただけでもずいぶん気が楽ではある。

 

 

「……判ってる、つもりではありますけど。……私はその気持ちに、応えることはできないです」

 

「どうして? ぼくが子供だから? ……違うよね。きっと、ぼくが子供とか大人とか関係なく、愛夏姉ちゃんはそうなんだよね」

 

「はい、私はたぶん、人を心から信じることができない人なんだと思います」

 

 

それが判るのに30年くらいかかったんだけどね。

判らないまま私に付き合わされた彼氏の方々には、今となってはほんとに申し訳なかったと思う。

 

 

なんか、以前に読んだ夢小説かなにかだと思うんだけど。

“愛することは許すこと、愛されることは信じること”って言葉があった。

 

 

私は、人を許すことはできるけれど、人を信じることはできない。

だからたぶん、私は人に愛されること、その愛情を信じることができないんだろうな、なんてことを漠然と思ったんだ。

 

 

たとえ私に愛情を向けてくれる人がいたとしても、私はその愛情を信じられない。

そして、自分の愛情を信じてくれない人に、変わらぬ愛情を注ぎ続けることなど、普通の人にはできない。

 

 

私とまともな人間関係を結ぼうとしても、ただ疲れてしまうだけなんですよ、江戸川コナン君。

私は君に、そんな思いをさせたいなんて、微塵も思っていないんです。

 

 

「愛夏姉ちゃん、ぼくは、愛夏姉ちゃんに信じてもらいたいよ。……ぼくのこと、信じてくれない?」

 

 

まあ、私がほんとに16歳だったら、まだ可能性はあったかもしれないけど。

45年も人を信じずにここまで来ちゃったんだから、いまさら変わるのはちょっと無理だろうな、と思う訳です。

 

 

「……君には、この先、もっとたくさんの出会いがあって、その中にはきっと、君を心から信じてくれる、素敵な女の子なんかも ―― 」

 

「そういう話じゃなくて! ぼくはただ、今、愛夏姉ちゃんと一緒にいたくて……」

 

 

やっぱり大人の逃げ口上は通じないか。

ほんと、思春期の少年ほど厄介なものはないと思うよ。

 

 

「……なにかが、愛夏姉ちゃんのことを苦しめてるんだ。その何かが何なのか、ぼくは知りたい。ねえ、ぼくを信じて打ち明けてよ。話して欲しいんだ、ぜんぶ」

 

 

……あれ?

なんか話がかみ合ってなくないか……?

 

 

「……ぼくを、信じてよ」

 

 

とりあえず修正だ修正。

 

 

「無理ですよ」

「どうして?」

「話して、信じてもらえるような話じゃないんです。君自身が、その答えに辿りついてくれないと」

「たとえどんな話でも愛夏姉ちゃんの話なら信じる。……そう、言っても?」

 

 

「……じゃあ、一つだけ、ヒントを出しましょうか。……コナン君は、私が何歳くらいに見えますか?」

 

 

コナン君は、一瞬、訳が判らないというような表情を見せて。

そのあと、いぶかしみつつも、私の問いに答えてくれた。

 

 

「16歳、じゃないの? ……見た感じはもうちょっと上に見えるかもしれないけど。……そういう話じゃない?」

 

「私には、コナン君は……そうですね、思春期真っ只中の、17歳くらいに見えます」

 

「……!!」

 

「コナン君から見て、私は何歳くらいに見えますか?」

 

 

平然と彼を17歳だなんて言っちゃったけど。

……内心はガクブルですよ。

もしも彼がルール無視で問い詰めてきたら、あるいは拉致監禁でもしてこようものなら、博士のメカに対抗するだけの手段なんか私にはないんだから。

 

 

「君の中でその答えが出たら、その時は話します。ぜんぶ話すかどうかは答え次第ですね。……それでいいですか? コナン君」

 

 

コナン君は茫然として、でも頭の中ではいろいろなことが計算されてるんだろうけれど、表面的にはただ茫然としているようにしか見えなかった。

まあ、今までの経緯というか、多少の付き合いがあるから、一足飛びに私を黒の組織の一員だとか疑うことはないと思うけど。

……ないよね?

 

 

とりあえず、今帰ればギリギリお昼までには帰りつけるので。

私は喫茶店の会計をして、まだ黙ったままのコナン君に声をかけて、お店をあとにした。

 

駅で次に到着した電車に乗り込んで、来た時とは違って途中2回ほど乗り換えて、米花駅に到着したのがお昼頃。

そのまま毛利探偵事務所に向かおうとした私に、コナン君が声をかけてきたんだ。

 

 

「愛夏姉ちゃん、お昼食べて帰ろう? ぼくもうおなかすいちゃった」

 

 

これは、まだ私に何か話したいということなのかな?

だったらまあ、応じない訳にはいかないだろう。

 

 

「じゃあ、毛利探偵に連絡しますね」

 

 

私が毛利探偵に電話して、今米花駅にいることと、お昼を済ませてから帰ることを伝えたあと、コナン君の案内で米花駅周辺の洋食のお店に入ることになった。

 

 

コナン君がハンバーグ定食、私がお子様ランチを注文して。

(いや、お子様ランチって、子供がいてなおかつその子が頼まないときしか食べられないからけっこうレアなんだよ)

運ばれてきたプレートの、チャーハンに刺さった旗とかゼリーに描かれた動物とかにニッコリしていると、コナン君があきれたように話しかけてきた。

 

 

「今の愛夏姉ちゃん、小学生にしか見えない」

「じゃあ小学生かもしれませんね。でも、お子様ランチってけっこうお得なんですよ。あまりカロリーが高くなくて、いろんな味が楽しめて、お値段もそこそこで。まあ、ふだんは食べられないので、コナン君には感謝してます」

「……そんなことで感謝されてもあんまりうれしくないよ」

 

 

それはたいへん失礼いたしました。

コナン君も、ある程度開き直っちゃえば、それなりに小学生を楽しめると思うんだけどね。

 

 

「愛夏姉ちゃんはドラ○もんも好きだよね」

「はい、理想の男性ですね」

「……そういう“好き”なの?」

 

「あんなに頼りがいがあって、いつも一生懸命で、心優しくて、なにがあってもぜったいにの○太君を見捨てないんですよ? あんな人が彼氏だったら最高だと思うんです」

 

「……」

「まあ、共感してくれる人は今までいませんでしたけどね」

「……愛夏姉ちゃん、変わってる」

「よく言われます」

 

 

最近は真面目と言われることの方が多かったけどね。

っていうか、45歳くらいになると、周りも遠慮してその手の意見は言ってくれなくなってたんだけど。

(上司に対して「変わってますね」と言える若手社員はなかなかいないと思う)

 

 

「ハンバーグ少し食べる?」

 

 

見れば私の方はもう少しで食べ終わるところで、コナン君はまだ半分以上残っていた。

 

 

「もういいんですか?」

「あと少しは食べるけど、もともと大人一人前は無理だから。愛夏姉ちゃんはそれじゃ少ないでしょ?」

「そうですね、じゃあ少しいただきましょうか」

 

 

そうして、江戸川コナンと食事のシェアという、トリップ直後なら気絶してたかもしれないシチュエーションを体験してしまったり。

思えばほんと、私コナン君に慣れたよなぁ。

まだ手をつないだりとかの物理的接触は無理そうだけど。

(あ、でも爆弾の時に全身で抱きしめちゃったな。まああれは、そういうのじゃなかったし)

 

 

「ねえ、新一兄ちゃんとかは?」

「何がですか?」

「彼氏にするの」

「 ―― ッ!」

 

 

よかった、あらかた飲み込んだあとで!

 

 

「どう思う?」

「……ムリです」

「なにが無理なの? 新一兄ちゃん、別に悪い人じゃないと思うよ? 頭も運動神経もいいし」

 

 

自分のことなのによく言うなオイ。

さすが自信家工藤新一!

 

 

「あの、蘭さんにも以前訊かれたんですけど。……コナン君は、蘭さんの気持ちは、ご存知ですよね?」

「……うん、知ってる」

「私は、工藤さんには蘭さんしかいないと思ってるので」

 

「でもそれ、愛夏姉ちゃんの気持ちじゃないよね?」

「私の気持ちですよ。私は厄介ごとには関わりたくないんです。それに、他人のものにも興味はないです」

 

「……まだ、他人のものじゃないよ」

「それでもです。私は蘭さんと争うようなことはしたくありませんし、そんなに工藤さんに関心もありません。何度か電話で話したことがあるだけで、どういう人かもよく知りませんし」

 

 

なんか遠回しになっちゃってるのは、訊いてきてるのがコナン君で、なおかつ工藤新一本人だからだ。

目の前に本人がいて、自分をどう思うのか訊かれたのだったら、私もズバリと言えたのだと思う。

でも本人に告白された訳じゃないのに振る訳にもいかないし。

 

 

あとから思えば、私はこの時にちゃんと、工藤新一を振るべきだったんだと思う。

それができなかったのは、やっぱり私の中に、彼に嫌われたくないという気持ちがあったからなのだろう。

 

 

「ねえ、愛夏姉ちゃんはさ、将来のこととかどう考えてるの?」

 

 

コナン君が話題を変えたので、私は幾分ほっとしながら答えた。

 

 

「今はとにかく仕事を探して、いい就職先を見つけたらそのまま就職します」

「見つからなかったら?」

「そうですね、来年あたりから、大学受験の準備を始めて、進学します。それで卒業後にどこかの企業に就職しようと思います」

 

「高卒認定試験を受けるの?」

「はい、それで18歳になった年に大学を受験してみて、まあ、落ちた時にはまた考えますけど」

 

「じゃあ、その時は新一兄ちゃんの事務所に就職したらいいよ。その頃にはいくらなんでも新一兄ちゃん、戻ってきてると思うし」

 

 

思いがけないことを言われて、私は思考が停止してしまった。

 

というのも、彼らが高校を卒業して、就職や進学をする姿なんか、私は想像もしたことがなかったからだ。

 

 

「……愛夏姉ちゃんは、新一兄ちゃんと仕事をするのは嫌?」

 

 

って、思考停止してる場合じゃない。

ちゃんと答えないと。

 

 

「……ええ、まあ……その時に、工藤さんにその気があったら、ぜひお願いしたいですけど」

「じゃあ決まりだね」

「それはコナン君が決めることじゃないでしょう」

 

「……うん、そうだね。新一兄ちゃんが決めることだもんね」

 

 

―― 将来のこと、江戸川コナンが工藤新一に戻る日は必ず来るって、私は信じてるけど。

でもそれがいつになるのかは、私には判らない。

私が読んでた夢小説の設定では、この世界は1年がループしてるって考え方が主流だった気がするけど。

来年の春、蘭さんたちはちゃんと高校3年生になってるんだろうか……?

 

 

 

コナン君との食事を終えて、私は彼を毛利探偵事務所へと送っていった。

すると、毛利探偵は事務所を開けていて、暇そうに新聞を読んでいたところだった。

 

 

「ただいま帰りました。ご迷惑をおかけしました」

「いや、こっちのセリフだ。うちの坊主が迷惑かけて悪かったな」

「いいえ、私の方こそ、あちこち連れまわして遅くなっちゃいましたから」

 

「どうせコナンのヤツがうろうろちょろちょろしてたんだろ。……まあいい、明日なんだが、朝5時半頃に事務所へ来てくれるか?」

「はい。予定は一泊でいいんですよね?」

「ああ。それと、あいつらもつれていくからな、そのつもりでいてくれ」

「判りました。では明日朝5時半に伺います」

 

「ああ、頼むな」

 

 

まあ、原作でも毛利蘭と江戸川コナンは一緒だったからね。

明日が平日の金曜日だってことには目をつぶっておきますよ。

 

 

 

帰ってから、私はまた急いで洗濯をして。

洗濯機が回っている間に部屋の中を捜索して、なんとか手帳らしきものを探し出した。

明日からの私の役割は、毛利探偵の調査を記録して、調査報告書を作ることだからね。

……まあ、原作通りに進んじゃったら、報告書を提出する先の人物はいなくなっちゃうんだけど。

 

 

とにかく、この2日間はあまりに濃すぎて45歳にはかなりきつかったから。

ストックのカレーで夕食を食べたあと、私はそのまま万年床で眠りについた。

 

 

 


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