この世界、おばさんにはちょっとキツイです。   作:angle

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男性読者様にはちょっと表情に困るような表現があるかもです。


FILE.2 女たちは人知れず戦う ~アイドル密室殺人事件~

4月10日(日)

 

 

おはようございます、というか……眠れませんでした。

 

 

 

毎朝恒例、無意識に煙草を探して溜息をつく。

禁煙3日目、もともと禁煙するつもりなんかさらさらなかった私は、早くもくじけそうになっていた。

……吸いたいなぁ。

でも昨今、この姿でコンビニに行けば間違いなく証明書の提示を求められるだろうから、なんとか気を散らしつつ諦めるしかないのかもしれない。

(ていうかその前に煙草代月2万円のムダ遣いが怖い)

 

 

嗚呼、現実逃避がしたいよぉ。

夜の間くらい仕事のこととかお金のこととか、ほんとはなにも考えたくないのに。

現実逃避がしたくてブ○ーチの○護オチ夢小説とか読んでても、気がつくと考えてるのは原作沿いコナントリップのこと。

つまり、今の私にとってそれは現実って意味で……。

 

 

とにかく、この世界で生きていかなきゃならないんだから、まずは仕事を探さないと。

結論は出てるんだから悩む必要なんかないんだよほんと。

 

そう思って、眠れないままネットの就職情報サイトにアクセスしたら、意味不明のキャッチフレーズの羅列に翻弄されて訳が判らなくなりました。

(今の若者はあれを見てやりたい仕事がすぐに見つかるのか? そうなのか??)

昔のパッと見てすぐ判る求人広告が懐かしいよ。

どうやら自分、45歳にしてすでに現代に生きる人間じゃなくなってるらしいです。

 

 

そんなこんなで、現実逃避も仕事探しも上手くいかなかった日曜日の朝。

とりあえず朝風呂を浴びて、いつものように長い髪を1つ縛りにして、出かける支度が整ったのが朝の8時半ごろ。

まだちょっと早いかな、と思いつつ阿笠博士を訪ねると、満面の笑みで迎えてくれました。

 

 

「おお、愛夏君じゃないか! 谷さんのお屋敷はどうだったかね?」

 

 

はい、ごめんなさい、初日でクビになりました。

上記を少しだけ丁寧な言葉に直して話し頭を下げる。

だって、せっかく世話してもらったのにそれをふいにした訳だから、社会人としては紹介してくださった阿笠さんにはちゃんとお詫びしておかなければならないからね。

 

 

「そうか、残念じゃったがまあ、気にすることはない。また次を頑張ればいいんじゃからのォ」

「本当に申し訳ありませんでした」

 

 

お部屋で食後のコーヒーをごちそうになりながら経緯を話すと、謝り倒す私とは逆に阿笠博士は笑顔で私を慰めてくれた。

 

 

もともとそれほど長居するつもりはなかったから、猫舌の私が飲み頃になったコーヒーを飲み干して腰を上げかけたその時。

 

突然だった。

 

 

「博士ー! いるかー!? ちょっと聞いてくれよ ―― 」

 

 

呼び鈴もノックもなくいきなり玄関の扉が開いて、眼鏡の少年が駆け込んできたのは。

 

 

「しん……コ、コナン君!? コナン君じゃないかね!」

「え? ……愛夏……お姉ちゃんがどうしてここに……」

 

 

まさか私がいるとは思ってなかったんだろう。

焦りまくったらしい2人がピタッと動きを止めて、私自身も突然のことに固まってしまって、3人の間に沈黙が流れる。

 

だって、朝っぱらから生コナンだよ!?

昨日は事件のショックとかもあって実はちゃんと顔を見合わせたりなんかしてなかったけど、今はまだ午前中。

昼間の明るさの下で生コナンとか、この一瞬で心臓が止まらなかったのが不思議なくらいじゃん!!

 

 

「……じゃ、私はこのへんで」

 

 

はい、ヘタレですみません。

立ち上がり、後ずさり、玄関で靴を踏んで転びかけドアに頭をぶつけながらも、どうにか2人が復活する前に博士の家をあとにすることができました。

(いやマジでやめてください朝から生コナンとか心臓つぶれるしつかヨダレ垂れてないよねヤバいよマジでヤバいよ)

 

 

にしても今日だっけ? 蝶ネクタイ型変声機って。

博士が新一の幼児化を知ったのも昨日の夜のはずだから、こんなに早く変声機が出来上がる訳ないし、これは原作には描かれてないコナン君の日常、ってことでいいのかな。

 

 

 

少しの間部屋で落ち着きを取り戻し(こういうときに煙草がないのがほんとにキツイ)、私は今日も周辺の散策&仕事探しのために家を出た。

 

 

ネットの就職情報が私の感性に合わない ―― だけだと信じたい ―― ことが判ったので、たぶんこの世界のこの時代にもあるだろう就職情報雑誌と、お店なんかの入口に貼り出されたスタッフ募集ポスターを求めて駅の方向へ向かった。

この手のポスターはファーストフードやファミレス、コンビニなんかではけっこう見かけるけど、もともと私は事務職で接客とかやったことがないから、そういうのはできれば後回しにしたいんだよね。

という訳で、ちょうどよく開店してくれた駅前通りの本屋に客1号として飛び込んで、初めての本屋の配置に戸惑いつつも就職情報誌を手に入れることができて。

どこか静かな所でお茶でも飲みながら見ようかな、と再び歩いていたとき、なぜか私に声をかけてくる人がいることに気がついた。

 

 

「あれ? 愛夏ちゃん? 愛夏ちゃんよね?」

 

 

16歳の私よりも少し年上くらいに見える女の子だった。

女子大生、かな?

もちろんこの世界、私自身が知り合いと呼べる人は一切いないんだけど、阿笠博士や毛利蘭のように向こうが一方的に知ってる知り合いはたくさんいるのだろう。

 

 

「はい、そうですけど」

「覚えてない? 私ユキ、昔ピアノ教室で一緒だった」

 

 

あ、はい、ピアノ教室、通ってました……35年くらい前まで。

確か始めたのは小学校上がる前で、10歳くらいのときに当時の先生が辞めちゃったから、私もやめたんだよね。

まあ、もともとそんなに好きじゃなかったから、練習しないでよく母に怒られてたんだけど。

 

今はどうなのか知らないけど。

昔の、私が通ってたピアノ教室って、自宅にピアノ持ってる生徒の家を借りて開いてたんだ。

そこに先生が来て、近所の子供が来て、1人30分くらいずつ個人レッスンを受ける。

だから生徒同士の交流はあまりなかったんだけど、みんなレッスンの10分か15分くらい前に来るから、順番が前後の子とは多少交流があったかもしれない。

 

 

「すみません、覚えてないです」

「そっか、愛夏ちゃんまだ小さかったもんね。見た目は私と同じくらいに見えたんだけど、4歳下だって聞いて驚いた覚えがあるよ。変わってないよねー」

「はあ」

 

 

どうやら人違いとかじゃなくて、ほんとに私の知り合いらしい。

教室には基本的に小学生までの子供しかいなかったから、彼女が4歳上なら私が2年生の頃くらいの知り合いなのかな?

だったらまあ、覚えてないで通しても問題ないだろう。

 

 

「ねえ、せっかく会ったし話しよう。少しくらいなら平気でしょ? 私も待ち合わせ早く来すぎちゃって」

「え? あ、でも」

「いーのいーの、彼女たぶん遅れてくるから。それに待ち合わせの相手ってヨーちゃんだし。さすがにヨーちゃんは覚えてるよね?」

 

そうまくしたてながら、ユキさんと名乗ったその人は私の背中を押しながら歩き始めてしまう。

うん、たぶん悪い人じゃない、それは間違いないと思う。

ただ、ちらっと目に入った彼女の手提げバッグの中に、ファイルや資料っぽいものが覗いてるのが気になるくらいで。

(大丈夫だよね? それになにか買わされそうになったら逃げられるくらいのスキルは過去の痛い経験とともに持ってるし)

 

 

「あの、誰ですか? ヨーちゃんって」

「ほら、渡辺先生がきてくれてたおうちの子で、一度発表会に出たこともあるヨーちゃん。ほんとに覚えてない?」

 

 

発表会のことはうっすらと記憶にあるけど、でも出てたのはヨーちゃんじゃなくてチエコちゃんだった、と思う。

まあ、私が知ってるチエコちゃんがこの世界にいる訳ないんだけど。

もしかしてこの世界、私の記憶と少しでも整合性を取ろうとしてくれてるのかもしれないな。

……判らないけど。

 

 

「えーと、ひらひらした衣装がすごくきれいでかわいかったってくらいしか」

「うんうん、あの時のヨーちゃん、すごくかわいかったよね! 今もすごくきれいだけど。 ―― あ、そこ、そこの喫茶店でヨーちゃんと待ち合わせしてるの。愛夏ちゃんも行こ?」

「え? でも迷惑なんじゃ」

「大丈夫大丈夫。あ、返信来た。ほら、ヨーちゃんも嬉しいすぐ会いたいって書いてあるよ」

 

 

いつの間に。

若い子のメールスキルにはいつも驚かされるな。

 

 

ユキさんが選んだのは喫茶店の最奥、表からは観葉植物が目隠しになって、誰がいるのかなにをしてるのかほとんど判らないような4人掛けだった。

大丈夫……だと思おう。

 

 

「これからすぐ出るって書いてあったから、あと30分くらいかな。ヨーちゃん、ちょっとヤバいくらい悩んじゃってて。昨日も2時間くらい電話につきあったんだけどね。大きい声じゃ言えないんだけど、なんかヨーちゃん、かなり危ない系のストーカーにあってるみたい」

 

 

ストーカーか。

幸い私はあったことがないけど(ていうか私が若い頃はまだそんな言葉すらなかった)、今じゃ社会問題になってるくらいだもんね。

悪質なのも多いし、私なんかが思ってるよりも被害に遭ってる人は多いのかもしれない。

 

ユキさんは昨日の夜にヨーちゃんと話した内容に織り交ぜて、自分が今大学生であることや、日曜日は両親が家にいて落ち着いて勉強もできないんだ、なんてことを話してくれて。

私も近況を振られたから、とりあえず両親が亡くなったことと、高校へは行かずに今はバイトを探していることなんかを話した。

 

 

「そっか。愛夏ちゃんもいろいろ苦労したんだ」

「ん、まあ、それほどでもないですけど」

「私もまだ親のスネかじりで何にもできないけどさ、でもなにかあったらいつでも言って。愚痴を聞くくらいならできるから」

「ありがとうございます」

 

 

たぶんユキさんはほんとにいい人なんだろう。

ヨーちゃんという人も、こんなユキさんだから、安心して愚痴をこぼしたりできるんだろうな。

 

 

「ヨーちゃんね、今までも仕事でいろんな人と会ったけど、ほんとに心から信頼できるのって仕事を始める前に出会った人だけなんだって。なんとなくわかるかなー、あの世界って、同業者同士で足の引っ張り合いとかしてそうだよね-?」

「……あの」

「ん?」

「ヨーさん、って、どんな仕事してるんですか?」

 

 

ふつうの質問、だと思うんだけど。

目の前のユキさんは、まるで想定外とでもいうように目を見開いて絶句して。

 

 

「あ、あの、私変なこと ―― 」

 

 

その時、私の背後に人の気配があって、その声が降ってきたんだ。

 

 

「ごめーんユキちゃん、遅くなって。あれ? あなたが愛夏ちゃんね?」

 

 

振り向いた私が見たのは、長い髪を帽子で隠そうとして、でもそれでも隠しきれない輝きを放つアイドル、沖野ヨーコその人だった。

 

 

 

彼女が私の隣へ座って、飲み物を注文して、ユキさんも交えてあいさつを交わしている間、私は呆然と目の前のアイドルを見ていた。

思い出した。

これ、眠りの小五郎初登場の話だ。

確か単行本1巻のラストあたりの。

 

 

ていうか、なんで私、アイドルに「愛夏ちゃん」なんで親しげに呼ばれてるの……?

 

 

「愛夏ちゃん?」

「あー、ヨーちゃんごめん。私、ヨーちゃんが沖野ヨーコだって言わなかった。っていうか、愛夏ちゃんが知らないと思ってなかった」

「え? そ、そうなんだ。……私の知名度もまだまだってことかな?」

「いや違うでしょ。沖野ヨーコを知らないんじゃなくて、昔通ってたピアノ教室の友達がアイドルになってることを知らなかっただけだから。ほら、愛夏ちゃんまだ小さかったし」

 

 

「そういえばそうよね。愛夏ちゃんって、見た目は大人っぽかったけど、実はまだ小学校入りたてくらいだったのよね。聞いて驚いたからよく覚えてるわ」

 

「そうそう私も。愛夏ちゃん私のこともはっきり覚えてなかったんだよ。あの頃けっこう可愛がってたと思うんだけどなぁ」

 

 

 

沖野ヨーコが知り合いだってことにも驚いた。

でも、それより私は、原作の流れを思い出すのに必死だったんだ。

だって、この話って確か、ヨーコちゃんの昔の彼氏が部屋で自殺しちゃう話だったから。

しかもその原因になった出来事は誤解というか、うしろすがたがそっくりだった人に拒絶されたからで、本当だったらその人は死ぬ必要なんかまったくなかったから。

 

 

「愛夏ちゃん、どうしたの? 表情暗いよ? もしかして二日目?」

 

 

いやいやユキさんどうしてそこでそういう話に……

ん? あ、でもあながち外れてもいないかも。

 

 

「そういえばそろそろです。たぶん今日か明日くらい」

「すごいね、私なんか来てからじゃないと判らないのに」

 

 

そりゃあね、かれこれ30年以上もつきあってますから、身体の感じで判っちゃうんですよ。

 

 

「ヨーちゃんは?」

「私は仕事柄体調管理してるから。でも、前に4人でやってた時は不思議だったな。だっていつの間にかみんな一緒に来るようになって ―― 」

 

 

ああ、若い女性と一緒だと引きずられるから、4人が4人ともお互いに影響しあってたんだろうね。

私はずっと周りに若い女性がいない環境にいたんだけど、昨日は久しぶりに若い女性(毛利蘭)と近づいたから、私も思ったよりさらに早く来る可能性もある。

まあ、今だって若い2人に囲まれてるし。

なんかちょっと眠いのも、もちろん寝不足もあるだろうけど、そのせいもあったんだと思う。

 

 

2人の話題は目下の心配ごと、ストーカーの話になって。

家に帰ると家具の配置が変わっていたり、隠し撮り写真が送られてきたり、無言電話がかかってきたり。

夜道で誰かに追いかけられたのが昨日の夜で、逃げ帰ってすぐにユキさんに電話をかけたらしい。

その時の恐怖を思い出したのか、隣のヨーコさんは両腕を抱きしめてぶるっと身震いした。

 

 

「それで? 山岸さんはなんて言ってるの?」

「とりあえず信頼できる専門家に相談に行こうって、今調べてくれてる。鍵の方も下手な業者には頼めないからそれも調べるって」

「なんか頼りないなぁ。そもそも合鍵なくすとか、マネージャーとしてどうなの?って話だし」

「彼だけのせいじゃないから。それに監視されてる感じは鍵をなくす前からだしね。私も山岸さんも、今は誰も信じられなくて。信じられるのはユキちゃんと、愛夏ちゃんくらいなものよ」

 

「え? 私は別に」

「ううん、愛夏ちゃんがまじめな子なのは知ってるもの。 ―― 仕事を始めて、生活が変わったら、仲がよかった人たちはどんどん離れていったの。当時付き合ってた彼にもふられた。変わらなかったのはユキちゃんくらい。……でも、私が有名になったとたん、また手のひらを返したように私に近づいてきて」

「ヨーちゃん……」

「藤江君だって、今さらヨリを戻したいって言われても信じられない。私がいちばん支えて欲しかった時に傍にいてくれなかったのに」

 

 

……まあ、そうだよね、女としては。

私はその藤江さんがマネージャーに言われて仕方なく別れたことは知ってるけど、そのあとヨーコさんが苦しんだ時間は本物だ。

苦しんで、自分を責めて、女としてのプライドを傷つけられて。

その時間の中でヨーコさんは藤江さんへの感情に決着をつけたのだから、今さら元の関係に戻るなんてことはできないのだろう。

 

 

「ねえ、ヨーちゃんにストーカーしてるのって、その元カレなのかな?」

「ううん。はっきりは言えないけど、彼は今のマンション知らないと思う。引っ越してからは一度も会ってないし。引っ越す前も、ちゃんと会って話がしたい、って態度だったから」

「そういえば社会人だって言ってたもんね。それじゃあ平日の昼間にマンションに侵入とか無理か。だいたい仕事中にマネージャーの鍵を盗んだ人がいるとしたら、それってどう考えても仕事仲間のうちの誰かだよね」

「……あんまり考えたくないけど、そうとしか思えないよね」

 

 

今、ヨーコさんにストーカーをしてるのは、藤江さんじゃなくて別の人だ。

 

でも、藤江さんはけっきょく勤めている会社を辞めて、すべてをなくす覚悟でヨーコさんの家にやってくるくらいには追い詰められてしまっている。

せめて彼をヨーコさんと話させてあげることはできないだろうか?

彼が最終的にどの道を選ぶにしても、誤解したままよりはずっと納得がいく結論が出せるはずだ。

 

 

「あの、ヨーコさん」

「愛夏ちゃん、お願い、できればその呼び方は……」

「あ、すみません。……ヨーさん、でいいですか?」

「さんづけも敬語もいらないんだけど。それで? なに?」

 

「あの、念のために確認なんですけど。……ヨーさんは、藤江さんとヨリを戻す気はないんですよね?」

「あたりまえじゃない! あの時ヨーちゃんがどれだけ傷ついたと思ってるの!?」

「あ、判ってます。私も女だから、ヨーさんがすごく傷ついたのも判るし、すぐには許せないし、これからその人を心から信頼してつきあうことなんてできないのも判ります。だからあくまで念のための確認なんですけど」

 

「……そうね、たとえばだけど。彼の気持ちがあの頃と変わってなくて、そのことが納得できたとしても、私自身はもう、あの頃には戻れない。あんなに純粋な気持ちで彼に恋することはできないと思う」

 

 

 

その、ヨーコさんの言葉と表情で、私はもう、ヨーコさんの中に彼への未練がまったくないことがよく判った。

それまでヨーコさんが彼から逃げ回っていたのは、気持ちが揺れたことに戸惑って、とかそういうことじゃなく、純粋に彼の態度に恐怖と嫌悪を感じたからだったんだろう。

 

 

「そりゃそうだよ。自分をふった男のことなんかいつまでも引きずっててもしょうがないもん。でも愛夏ちゃん、どうして今さらヨーちゃんにそんなこと訊くの?」

「あ、え、その。……もし、よかったらなんですけど。私、ヨーさんが彼と話すのに、立ち合ってもいいかな、って」

「え? 今更じゃない? ヨーちゃんだってもう会いたくないから引っ越したんだし」

「そうなんですけど。……彼はとにかく、ヨーさんと話がしたいって、そう言ってるんですよね? でもヨーさんが話し合いに応じずに逃げてたのは、その人にひとりで会うのが怖かったからなんじゃないですか?」

 

「……」

「思ったんですけど、その藤江さんていう人、なんだかものすごく危険な感じがするんです。このまま追い詰めちゃったら危ないような、そんな感じです。だから、ひとりで会うのが嫌なら、私、一緒に会います。ヨーさんにとっては終わった関係ですけど、でも彼にとってはきっと違うから」

 

 

なんか上手く話せないのはいつものことなんだけど。

これは私が彼の未来を知ってるから思うことで、今の2人にとってはけっこうどうでもいいことなんだって、2人の態度を見て気がついた。

そりゃそうだよね、ヨーさんが今悩んでるのはストーカーの実行犯についてであって、引っ越したあと押しかけてこなくなった元カレのことなんて関係ないんだ。

むしろ今こんなことにかかずらってる余裕なんかないって思ってるだろう。

 

 

「あ、すみません。……よけいな事でした、よね?」

「ううん、ありがとう。……愛夏ちゃんの気持ちは嬉しいし、もしもそういう機会があったらお願いしたいけど、今はストーカーの方で頭がいっぱいだから。こっちから連絡付けてまで会う気はないかな。ごめんね」

「いいえ、私の方こそすみません。話の腰を折るような真似をして」

 

 

もう黙ってよう。

 

ヨーさんも、彼が自殺したらもしかしたら後悔するかもしれないけれど、たとえ話ができたとしてもそれがいい方向に転ぶとは限らない。

もしかしたらもっと悲惨なことに ―― たとえば、ヨーさんに危害が加えられたり、そういうことになる可能性だってあるんだから。

 

 

「ううん、でも、愛夏ちゃんが私のことを想って言ってくれたのはすごくよく判ったよ。ほんとにありがとう。やっぱり愛夏ちゃん、いい子だったね」

「でしょ? 私も愛夏ちゃんはまじめで優しくていい子だと思ってた」

「そんなことないですよ。やめてください……」

「てれないてれない。でさ、愛夏ちゃんがいい子だって判ったところで、ちょっとした提案があるんだけど ―― 」

 

 

ユキさんが話した提案というのは、なんと私がヨーさんの家に泊まり込むことだった。

ヨーさんが仕事の間はお留守番をして、とにかく家を空けないようにする。

そうすればたとえ合鍵を持ってる犯人がいたとしてもチェーンロックで入れないし、ヨーさんとは違う声で電話に出れば無言電話もなくなるかもしれないし。

夜の間も一緒にいれば少しはヨーさんも安心して眠れるようになるだろう。

 

 

「私は助かるけど、でも愛夏ちゃんにも学校があるんじゃない?」

「いえ、私、実はここ1年くらい引きこもってたので、学校へは行ってないんです」

「それにアルバイト探してるんでしょ? このさいだからヨーちゃんが愛夏ちゃんのこと雇っちゃいなよ。どうせ専門家に相談するとか言ってたんだから、愛夏ちゃんのアルバイト代くらい出せるよね?」

 

 

私はもちろん、ヨーさんからバイト代をもらうつもりなんかなかったけれど。

 

でも、その方がヨーさんも気兼ねなく私を家に入れられるのならばと、その提案を受け入れた。

ヨーさんもなぜか私を信頼してくれているようで、私に悪いという以外はむしろ喜んでくれて。

 

 

もしかしたら、私はこの事件を未然に防ぐことができるかもしれない。

私が沖野ヨーコのマンションにいて、池沢ゆう子の侵入を防ぎ、訪ねてきた藤江氏を招き入れて毛利探偵の立会いのもとヨーさんと話をさせることができれば。

 

それでは池沢ゆう子の行為は止まらないかもしれないけれど、私が彼女の来訪を証言すれば、少なくともそのあと警戒することができる。

なによりヨーさんを安心して眠らせてあげられる。

 

 

 

このときこの瞬間、私は忘れていたんだ。

もうすぐ私に、あの悪魔のような数日間が訪れるということを。

 

 

 

 

 

 

「ごめんね、私も一緒に行ってあげたいんだけど、レポートの締め切りが近くて。しばらくここでやってるから、なにかあったら連絡して」

 

そう言ってユキさんが喫茶店のテーブルに広げたのは、レポート用紙と作成のための資料らしきものだった。

どうやらあの手提げ袋の中身は、忙しくて時間に遅れがちなヨーさんを待ってる間にやろうと思ってた勉強の道具だったらしい。

ユキさん、あなたの方が私よりもずっと、まじめで優しくていい子だよ。

 

 

 

 

ヨーさんとタクシーに乗ってついたところは、ひときわ大きくそびえたつ高級マンションだった。

タクシーに乗ってる間も嫌な感じはしてたんだけど、降りてエレベータに乗る頃にはなじみある嫌な感触までしてきて。

どうやらここのタイミングで例のお客さんが来てしまったみたいです。

 

 

「愛夏ちゃん、どうしたの? 車に酔っちゃった?」

「あ、いえ、そっちは大丈夫なんですけど。……ついたらトイレ貸してもらえますか? なんか来ちゃったみたいで」

「ええ、もちろん。もしかして愛夏ちゃん重い方?」

「……はい」

 

 

今までの経験では、いくつかのパターンがあるんだけど。

最悪なことに今回は重い方のパターンで、しかも若返ったことがさらに拍車をかけてるらしい。

……思い出したよ、私、年をとってからだいぶ軽くなってきたんだよね。

30代後半あたりからはわりと軽めの痛み止めでふつうに行動できたんだけど、それこそ20歳前後の頃なんか、よっぽど強い薬を飲まなければ丸1日くらい動けないこともあったんだ。

 

それでも10代の頃はまだそこまでじゃなかったように思ってたんだけど。

40代の痛みに慣れてた今の感覚では、16歳のこの痛みでも正直言ってきつかった。

ヨーさんが部屋のかぎを開けて、中は出かけた時となにも変わってなかったようでほっと一息ついたあと、私をトイレまで案内してくれた。

 

 

「私のが棚の上にあるから使って。今薬持ってきてあげるから」

「あ、病気じゃないんでお構いなく」

「つらさは判ってるから。私もけっこう重いときがあるから、薬もそろってるし。中で待ってて」

 

 

洋式のトイレに座ると、ほっとしたと同時に痛みが襲ってくる。

ヤバい、これほんとに最悪のパターンだ。

こうなっちゃうとしばらくトイレから動けなくなる。

ほどなくしてドアをノックする音が聞こえたから、私はなんとか手を伸ばして、座ったまま(もちろんパンツも下ろしたままだけど変なものは見えないように隠して)ドアを開けた。

 

 

「ほんとに大丈夫?」

「あ、はい、なんとか。すみません気を遣わせちゃって」

「いいのよ。薬、あるたけ持ってきたんだけど、アレルギーとか大丈夫?」

「はい、そういうのはないので」

「これが一番強い専用薬で、あとの二つはふつうの痛み止めだけど、こっちが眠くなるのでこっちが眠くならない方。ベッドは使ってかまわないから少し眠った方がいいわね。あと、電話のところにチラシがあるから、おなかがすいたらピザでも頼んで」

 

 

ああ、そういえばタクシーで話した時に言ってたっけ。

昼過ぎからなにかの収録があるから出かける、って。

 

 

「判りました。薬飲んだら少し寝させてもらいます」

「お水、足元に置くわね」

「はい。ほんとにすみません。こんな時に」

「ううん、こっちこそごめんね。じゃあ、私出かけるけど、戸締りだけは気をつけて」

 

「はい、了解です」

 

 

ちょっとおどけたふうに笑顔を見せると、ヨーさんも笑顔を返してマンションを出ていった。

 

 

私は少し迷った末、とりあえずいちばん強いという専用薬を飲むことにした。

今日はトロピカルランドの翌日で、さすがに事件が起きるのが今日だとは思えないから。

まあ、池沢ゆう子さんが部屋を荒らしに来るかもしれないから、ドアチェーンは掛けておかないとやばいと思うけど。

 

 

ところが、薬を飲んでしばらくしたあと、あろうことか私はトイレの中で眠ってしまったんだ。

 

 

 

 

気がついたのは、ドアをドンドン叩く音と、私の名前を呼ぶ声を耳にした時だった。

 

 

「愛夏ちゃん! 愛夏ちゃん!」

 

 

目が覚めた私は、すぐにトイレのドアをたたき返した。

 

 

「すみません、すぐに出ます」

「愛夏ちゃん、無事なのね!?」

「はい、すみません。眠っちゃったみたいで。すぐ出ますので」

 

 

話しながら支度をしてやっとドアを開けると、なにやら熱風とともに嫌な匂いがして、その次の瞬間に私の胸にヨーさんが泣きながら飛び込んできたんだ。

 

 

「愛夏ちゃん! 無事でよかった……!」

「……ヨーさん?」

「え? 高久喜さん?」

 

 

ヨーさんの様子に驚きつつ声に顔を上げると、そこにいたのは毛利蘭、江戸川コナン、毛利小五郎探偵の3人と1人の男性で。

辺りに漂う血の匂いは、明らかにさっきまでトイレで嗅いでいたのとは質が違うと判った。

まさかと思って部屋の方を見ると、そこには荒らされたあとと血まみれで横たわる1人の男の姿が ――

 

 

「……!」

 

 

なんで!?

だってこの事件、確か新一がコナンになってから3日くらいあとのはずじゃん!

どうしてコナン誕生の翌日にこの事件が起きてるの!?

 

 

「愛夏お姉さん、いつからトイレにいたの?」

 

 

コナン君が視線を合わせずに聞いてくる。

その声でわれに返ったのか、毛利探偵も。

 

 

「まさか、あんたがやったのか?」

「え!? 毛利さん、愛夏ちゃんは違います! 愛夏ちゃんのはずないです!!」

「いやおかしいでしょう! 我々がくるまで彼女はこの家でこの男と2人きりだったんです! どう考えてもまず疑われてしかるべきだ!」

「愛夏お姉さん、答えてよ。いつからトイレにいたの?」

 

 

いったい何時間眠ってたんだ、私。

この位置からだと窓の外は見えないけど、たぶん今はもう夜だ。

ヨーさんの部屋に来たのがちょうどお昼ごろだと思ったから、下手したら6、7時間もトイレにいたことになる。

そんなの、ふつうの人ならまず信じられない。

 

 

それに、ドアの外では部屋が荒らされて人が1人亡くなったんだ。

同じ家の中にいて、それに気づかないなんてあり得るだろうか。

いやじっさい私は気付かなかったんだからあり得ないことはないんだけど、でもそんなの信じられる訳がない。

 

 

「高久喜さん、答えてください。あなたが今日ここへきてからの行動を」

 

 

毛利探偵の鋭い視線を、私は見返すことができなかった。

 

 

「……ヨーさん……ヨーコさんと昼過ぎにここへ来て、そのあとトイレに入りました。彼女に薬をもらって飲んで、そのままトイレで眠ってしまって、気がついたらヨーコさんに起こされて」

 

 

毛利探偵が絶句してるのが判る。

もちろんコナン君や蘭さんも。

私だって、自分のことじゃなかったらとうてい信じられないだろう。

 

 

「毛利さん、彼女が飲んだのは強い痛み止めで、飲むと頭がぼーっとして眠くなる成分が入ってるんです! 愛夏ちゃんが眠っちゃったのはそのせいだと思います! 愛夏ちゃんはなにもしてません!!」

 

 

でもヨーさんは信じてくれた。

ほとんど初対面と言っていい、ただ10年くらい前に少し関わったことがあるだけの私のことを。

 

 

「……まあいいでしょう。話は警察が来てからゆっくり聞かせてもらいましょう」

 

 

そう言って毛利探偵が死体を調べに行ってしまったから、私はしがみついたままのヨーさんを促して、できるだけ死体から離れたソファに座らせた。

 

 

「ごめんなさい愛夏ちゃん。まさかこんなことになるなんて」

「ヨーさんが悪いんじゃないです。私の方こそ、ちゃんと起きてればこんなことにならなかったんです」

「ううん、それより愛夏ちゃんが無事でほんとによかった。だって、もしかしたら犯人とはち合わせてたかもしれないでしょう?」

 

 

違う、私がちゃんとドアにチェーンを掛けていれば、少なくとも彼はここで死ななくてすんだんだ。

私が“今日事件は起きないはずだ”と思い込んでさえいなければ。

 

 

「あの、高久喜さん、ヨーコさんと知り合いだったの?」

 

 

訊いてきたのは蘭さんで、そのうしろにコナン君がいるのも見えた。

 

 

「愛夏ちゃんとは子供の頃、同じ先生にピアノを教えていただいてたんです。……蘭さん達もお知り合いみたいですけど」

「あ、私は高久喜さんとは同じ中学の隣のクラスで」

「ぼくは昨日初めて会ったんだよ。ね、愛夏お姉さん?」

 

 

目が笑ってません、コナン君。

毛利探偵に指を突き付けられるのもそうとう怖いけど、こうして江戸川コナンに疑われるのもかなり怖いことが判った。

 

 

「そういえば高久喜さん、体調悪いの?」

「病気じゃないから。今日、初日で」

「……あ、それで痛み止め」

「お昼に飲んだきりならそろそろ薬が切れてるんじゃない? 無意識でしょうけど、愛夏ちゃん、さっきからおなか押さえてるし」

 

「……トイレに置きっぱなしでした。もしよければもう1錠もらってもいいですか?」

「遠慮しないで。私が持ってきてあげるから、ここに座ってて」

「すみません。お願いします」

 

 

話の内容に察しがついたのか、途中からコナン君は死体の周りを調べに行ってしまったようだった。

その様子を見ながら考える。

 

 

池沢ゆう子はけっこう日常的にこの部屋を訪れてたみたいだから、藤江氏がくるタイミングによっては事件が原作よりも早く起こることはあるかもしれない。

でも、それがたまたまヨーさんが毛利探偵に相談しに行った日にぶつかる確率は、いったいどのくらいになるんだろう。

いや、そもそもこの世界って、偶然とかたまたまでコナンが事件に遭遇する確率がものすごく高いんだ。

むしろコナンの都合で世界が動いていると思った方が正解なのかもしれない。

 

ということは、今朝阿笠博士のところでコナン君に会ったのは、もしかしたらほんとに蝶ネクタイ型変声機イベントだったのか?

ていうか、コナン今日ちゃんと変声機持ってるよね??

もしもあのイベントがまだだったら、今日眠りの小五郎が誕生しなくなる可能性があるじゃん!

 

 

……私のせいじゃないよね?

そうじゃないといい。

私が今日、この部屋へ来たから、この事件が起きたんじゃなければいい。

私が物語を変えようとしたからじゃなければ ――

 

 

そんなに長く待つこともなく、ヨーさんに薬を手渡されて飲み終わった頃、目暮警部がやってきた。

たがいに名乗りあったあと、まずはヨーさんが今日私が部屋に来た時から遺体発見のいきさつを警部に話していた。

 

 

「では、あなたがこの部屋に帰ってきたときには、もうこの男は殺されていたと」

「は、はい」

「そして、その時一緒に居合わせた探偵が……」

「この毛利小五郎であります、警部殿!!」

 

 

満面の笑顔でそう言う毛利探偵を横目に、目暮警部が溜息をつく。

そういえば最初はこんな態度だったっけ?

まあ、この先も眠る前はこんな態度だった気がするけど。

 

 

「そして、留守番をしているはずの女性の姿が見当たらないことに気がつき、部屋中を探しまわったあなたは、トイレの鍵がかかっていることに気づいてドアをノックしたところ、彼女が出てきたと」

「はい、そうです」

 

「で、あなたは」

 

 

そう言って、目暮警部は私の方に向き直る。

 

 

「彼女が部屋を出る時に置いていった薬をトイレで飲み、そのままトイレの中で眠ってしまって、彼女が帰宅してドアをノックするまで事件には全く気がつかなかったと」

「……はい」

 

 

うん、自分で言ってても思うよ、あまりに説得力がなさすぎる、って。

でもそれが本当なんだからどうしようもないじゃない。

 

 

「しかし、この部屋暑いですなー。いつもこんなにヒーターを強く?」

「いえ、こんなに強くは。愛夏ちゃんがいたので出かける前にスイッチだけは入れていきましたけど」

「そりゃー妙ですな……」

 

「妙なのはそれだけじゃないですよ、目暮警部。わずかですが、死体の周りにぬれた跡があります。そして、死体のそばのこのイス。こんなに荒らされた部屋の中で、なぜかこのイスだけ立ってる。さらに、暑すぎるこの部屋。死亡推定時刻を狂わせるためなのか……いや、まてよ。それなら死体を水につけた方が……」

 

 

……めちゃくちゃ違和感なんですけど、コナン声で新一口調の長ゼリフ。

ていうか、これってふつうに蘭が気づくよね?

やっぱり固定観念ていうか、人間の身体が縮んだりするはずないって思い込みがあるから判らないのかな。

 

 

コナン君が毛利探偵に殴られたあと、警部がヨーさんに凶器と死体の確認をする。

その時マネージャーさんが足を滑らせて死体の上に倒れ込んで。

死体が握ってた髪の毛を抜き取ったところも原作のままだった。

もちろん、コナン君がそれを確かめたところも。

 

 

「窓には、鍵がかかってるし、ここは25階。となると、入口はあの玄関のドアただ一つ。そして、凶器からは、ヨーコさん以外の指紋は発見されなかった。つまり犯人は……この部屋の主のあなたか、ずっと部屋にいた愛夏さんしか考えられない」

 

「そ、そんな、愛夏ちゃんは人殺しなんかしません! もちろん私だって」

「そうですよ、警部殿!! ヨーコさんは、わざわざ私に依頼を……」

「フン……依頼主が犯人というのは、よくあることだ……」

「しかしですねー」

 

「愛夏さん、あなたはどうなんですか?」

 

 

目暮警部の言葉に、部屋にいる人達がいっせいに私に注目する。

ヨーさんや蘭さんはたぶん違う。

でも、それ以外の男性陣が一番疑ってるのは私だ。

 

 

「ヨーコさんが出かけてから帰ってくるまで6時間以上、トイレの中で眠っていたというあなたの証言は、明らかに不自然だ。しかも部屋の中がこれだけ荒らされたのなら物音もしたはず。刺殺事件があったのならなおのこと、まったく目を覚まさないなんてことはあり得ない」

 

「ですから愛夏ちゃんは薬を飲んで……」

「でもヨーコさん、あなたは彼女が薬を飲んだところを見ていないんでしょう? だいたい愛夏さんはなぜトイレで薬など飲んだんだ。いったい何の薬を」

「そ、それは……」

 

「生理痛の薬です」

 

 

さすがに、20歳そこそこの女の子にこれを言わせるのは酷だ。

気がついたら口を開いていた。

 

 

「私がヨーコさんに連れられてマンションに到着したのとほぼ同時くらいに生理が始まったんです。ヨーコさんにすぐにトイレに案内してもらって、便座に座ったとたんに痛みで動けなくなってしまって。ヨーコさんは、私のアレルギーなども心配して、薬を3種類用意してくれました。私は中でも一番強い薬を飲んだんですが、薬を用意したあとすぐにヨーコさんは仕事に出かけたのでどれを飲んだのかは見ていません。私も、まさかこんな事件が起こるなんて思ってませんから、催眠作用のある薬を飲んでも問題ないと思ったんです。毎月来る生理ですけど、その時々によって痛みが強く出たり出血量が多かったりと様々なパターンがあって、今回は特に痛みがひどかったので ―― 」

 

「よく判りました! もうけっこうです。判りましたから」

 

 

目暮警部が私の言葉を遮るように言った。

まったく、あなたが言わせたんだからせめて最後まで言わせなさいよねっ。

さすがに男性陣はばつが悪かったようで、コナン君が合い鍵の話を持ち出すと、毛利探偵も誤魔化すようにマネージャーが犯人だと言いだした。

 

 

「あの、ヨーさん」

「……愛夏ちゃん。ごめんね、言いづらかったでしょ?」

「いえ、それほどでもないです。それより、あの薬、3つとも警察の人に渡してもいいですか?」

「うん、それは構わないけど。でもどうして?」

「念のためです」

 

 

 

たぶん、事件はコナン君が原作どおりに真相を暴いてくれる。

でも万が一、ヨーさんが犯人にされかけた時のために、証拠隠滅ができない今の状況で薬を調べておきたかったんだ。

ヨーさんは私がどの薬を飲むのか予想できなかった。

その状況で、催眠作用のない薬がその中に入っていれば、私を薬で眠らせてその隙に男を殺すつもりだったんじゃないかという疑いはなくなるだろうから。

 

 

原作どおり池沢ゆう子のイヤリングはソファの下に落ちていて、さりげなく見ていた私は、コナン君が変声機を使うのも確認できた。

すぐに彼女が現場に呼ばれて、コナン君があたふたしながら彼女の不自然な行動を警部達に気づかせるのも原作通り。

ここでヨーさんは、今までのストーカー行為がゆう子さんの仕業であることを知る。

そして、死体の身元が判ると、ヨーさんは彼が元カレであることを告白した。

 

 

「死体の顔を見た時、はっきり彼だと判りましたが。彼のことは、マネージャーの山岸さんに口止めされていたので、つい……。でも、なぜ彼がここで殺されていたかは、私には……。教えてください! 彼を殺したのはいったい、誰なんですか!?」

 

「だ、誰っていわれても……」

 

 

その時、ちょっと不気味な笑い声を洩らしたのは毛利探偵で。

 

 

「フッフッフ……今度こそ……今度こそ……判ったぞ!! 犯人は……マネージャーの山岸、きさまだ!!」

 

 

山岸さんに人差し指を突き付けた毛利探偵は、これが正しい推理ならばものすごくかっこいい一場面なのかもしれないけれど。

いちど間違いでこれをやられた私にとっては恐怖を呼び覚ますポーズ以外のなにものでもなかった。

 

 

煙草に火をつけ死体の写真を手に自信たっぷりの推理を披露する毛利探偵から目をそらすように、私はコナン君の動きを追っていた。

ああ、なるほど、マンガを読みながらいつも、どうしてコナンの行動がバレないのか不思議だったんだけど。

今、室内にいるみんなの視線は毛利探偵に集中していて、なおかつ身体が小さい子供のコナンのことなんか誰も気に留めていないんだ。

コナン君はけっこう堂々とテーブルの灰皿を蹴飛ばしてたんだけど、誰も気付くことはなく、灰皿が後頭部に当たって気絶した毛利探偵のうしろで彼の声で話し始めた。

 

 

「 ―― と、いいたいところだが……実は、そうじゃない」

 

 

毛利探偵はマネージャーさん、ヨーさん、ゆう子さんが犯人としては不自然な行動をとっていたことを指摘して。

 

 

「じゃあ、犯人は愛夏さんかね?」

「いいえ、それも違います。もしも彼女が何かのはずみで男を殺してしまったのだとしたら、なぜ“寝室で寝ていた”と言わなかったんでしょうか。催眠作用がある薬を飲んでいて、しかも昨夜ほとんど眠れていなかった彼女が、ひとたびベッドに入ればぐっすり寝入ってしまうのはごく自然なことです。どう考えても“トイレで寝ていた”よりは信憑性がある。高久喜さんがそう言わなかったのは、トイレで寝ていたのが本当のことだったからです」

 

 

あれ? 毛利探偵(inコナン君)、今変なことを言わなかったか……?

私が昨日ほとんど寝れてないって、なぜ判ったんだ工藤新一!

 

……あ、判るかそりゃ。

だって工藤新一だもんね。

昨日はそうとう夜遅く帰ったことも知ってるし、今朝は博士の家で顔を合わせてる訳だから、顔を見ればそのくらいのことは判るって。

 

にしても、昨日ちょっと同じ現場ですれ違ったくらいの、通行人に毛が生えた程度でしかない私のことまで観察してるなんて、いったいどこまで注意深く周りを見てるんだ名探偵って話だよ!

 

 

原作どおり、毛利探偵は藤江さんが自殺したこと、ヨーさんを愛していた気持ちが絶望と憎しみに変わって罪を着せようとしたことを話して。

マネージャーさんが彼に頼んで別れてもらったことを告白、さらに藤江さんが記していた日記が見つかると、目暮警部も納得したようで解決ムードが漂った。

 

これでヘアブラシから藤江さんの指紋が見つかれば、事件はほぼ解決ということで。

 

 

「愛夏ちゃん、今日はほんとにごめんなさい」

「そんな、謝らないでください。ヨーさんはなにも悪くないんですから」

「お詫びと言ってはなんだけど、あ、もちろんバイト代はちゃんと払うけどね」

「それこそいいですよ。けっきょく私、すべきことはなにもできなかったんですから」

 

 

そう、ドアにチェーンを掛けるっていう、たった一つこんな簡単なことすら私はできなかったんだ。

それなのに留守番としての報酬をもらっていいはずがない。

 

 

「じゃあさっきまでのバイト代については置いといて。今夜なんだけど、一晩だけ泊りのバイトしてもらえないかな?」

「……ええ、私にできることなら」

「ありがとう。実はね、今晩はこの部屋に寝れないから、マネージャーがホテルに部屋を取ってくれたんだけど、こんなことがあったあとだから独りでいたくなくて。……お願い愛夏ちゃん、一緒に泊まってくれないかな? もちろんホテル代は出すから」

 

 

……そっか、マネージャーさんは男だから一緒の部屋って訳にはいかないし、ユキさんはレポートの追い込みでたぶん来られないだろうし。

(彼女なら事情を話せば自分の都合なんか顧みずに駆けつけてきそうだけど)

こんな、元カレが自分の部屋で自殺した夜に、ひとりでなんかいたくないよね。

 

 

「判りました。私でいいならご一緒します」

「ありがとう! じゃあ、下に車待たせてるから」

 

 

そう、ヨーさんに手をひかれて、あれよあれよという間に部屋から連れ出されてしまった。

もちろん、そんな私のうしろ姿をじっと見つめている視線があったことには気づかずに。

 

 

 

 

タクシーがついたのは米花ホテルで、ほぼ100パーセント間違いなく、ヨーさんが私が帰る時のことを心配して選んでくれたのだと判った。

そういえば、のちにコナン君が誘拐されたとき、偽黒づくめの男達の取引場所になるのがここだったな、なんてことを思いながら見まわしてみる。

うん、まあ、とくにこれといって特徴のない普通のホテルだよね。

(こういういい方が正しいのかは判らないけど)

通されたのは比較的上階で広めのツインで、さすがにスイートとかじゃなかったのにほっとしたところだったりする。

 

 

私は朝風呂なのでヨーさんにお風呂を譲って、備え付けの浴衣(一応あった)に着替えると、その間に届けられたルームサービスでやっと夕食にすることができた。

 

 

「お疲れさま」

「はい、お疲れさまです」

 

 

ヨーさんの白ワインと私のブドウジュースがチンと音を立てる。

私、煙草は吸うけどお酒は飲まないので、ここで未成年扱いされるのはそれほど問題はない。

 

 

「けっきょく12時過ぎちゃったわね。愛夏ちゃん、体調大丈夫?」

「はい。いただいたお薬で何とか乗り切れそうです」

「明日はチェックアウト時間を延ばしてもらってるから、お昼くらいまで寝てても大丈夫だからね」

「ありがとうございます。ヨーさんはお仕事ですか?」

 

「うん。10時から収録だから9時には出ちゃうかも。でもいろいろ訊かれそうでユーツだなー」

「あ、そういえばさっきユキさんからメールが入ってたんですけど。ニュース見て心配してたみたいなんで返信してあげてください」

「え? ほんとに? ……あ、ウソ、15件もきてる。他の知り合いのもあわせてだけど」

 

 

ユキさんとは今日の午前中に会ったときにアドレス交換したんだけど、もともと私のケータイにはメールがまったく来てなかったから、今回のユキさんのメールが着信第1号になった。

もちろんその時ヨーさんとも交換したから、この2人がこの世界での私の初友、ってことになるのかな?

 

 

昼食抜きの私のおなかも満たされて、そろそろ食事も終えようかというとき、ヨーさんがぼそっと言った。

 

 

「私、やっぱり藤江君とちゃんと話すべきだったのかな。……愛夏ちゃんが言った通り」

 

 

藤江さんがあんな形で自殺したんだから、やっぱりどうしたって後悔が残る。

というより、身近な誰かが死んだら、それがどんな形でも多かれ少なかれ後悔は残るんだ。

私にはそれをどうしてあげることもできない。

でも。

 

 

「私、昼間はあんなことを言いましたけど、むしろ話さなくてよかったと思いました。毛利探偵や残された日記の話を聞いて」

「……ほんとうに?」

 

「はい。だって藤江さん、ヨーさんに罪を着せようとしたじゃないですか。ふつう好きな人と引き離されて、その人にも冷たくされたからって、殺人の罪を着せようなんて思いませんよ。ほんと、会ってたら何されてたか判らないです。やっぱりヨーさんの会わないって選択の方が正しかったんです」

 

「そう、かな?」

「はい、ぜったいそうです」

 

 

こうして少しでも行動を肯定すれば、ほんの少しでも、心が軽くなるというのなら。

 

私は何度でも断言するよ、あなたは正しい、って。

 

 

 

 

 

 

翌日、私が目覚めたのは昼近くで、すでに部屋の中にヨーさんはいなかった。

でも、昨日の出来事が夢じゃないことを示すように、テーブルには1つの封筒とお土産のケーキが置かれていた。

 

 

 


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