この世界、おばさんにはちょっとキツイです。   作:angle

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事件はほぼ出てきません。


FILE.3 名探偵は追及する ~赤鬼村火祭殺人事件~

4月11日(月)

 

 

アイドルスター沖野ヨーコさんとホテルの同じ部屋に泊まるという、ファンならこのまま死んでも悔いはないほどのラッキー体験をした日の午後。

お土産のケーキを手に帰宅した私は、そのまま阿笠博士の家を訪ねた。

 

 

「おお、愛夏君。今日はどうしたんじゃ?」

「あの、ケーキをいただいたんですけど、1人では食べきれなくて。賞味期限があるので消費を手伝っていただけないかと」

「そうかそうか、そういうお手伝いなら大歓迎じゃ。さ、入りなさい」

 

 

ヨーさんは私が1人暮らしだって知ってるから、それでも5つものケーキをくれたのはきっと、親しい人と一緒に食べなさい、って意味だと思う。

でも私の親しい人って、この阿笠博士くらいしかいないんだよね。

ここに哀ちゃんがいれば「またこっそりメタボって」って言われちゃうんだろうけど、彼女と博士はまだ出会ってないし。

今のうちにメタボっちゃうのはどうか許してもらうことにしよう。

 

 

「ソファに座っててくれ。コーヒーがいいかのォ?」

「はい」

 

 

リビングのテーブルにケーキの箱を置いて何気なく博士の動きを追う、と、つい見えてしまったのだ。

シンクに積み上げられた洗い物の食器の山が。

おそらくあそこにちらっと見えてるのは、昨日ここへ来た時にごちそうになったコーヒーのカップだろう。

 

 

「なんか、お忙しそうですね」

「いや面目ない。さいきん面白い研究を始めてしまっての。ついこういうことがあとまわしになってしまうんじゃよ。さて、コーヒーカップはどこかのォ」

「あの、私、あとでお手伝いしますから。こっちのティーカップで紅茶とかいかがですか? ちょうどティーバッグ持ってるんです」

 

 

そう、私がかばんから紅茶のティーバッグを二つ出すと、博士も納得してくれたらしい。

ちょっと大きめのカップ二つにセットすると、ケトルにお湯を沸かして注いでくれた。

 

 

ちなみにこのティーバッグは、泊まったホテルに置いてあったものだったりする。

こういうのってつい持ってきちゃうんだよね。

ヨーさんにはそういう習慣がなかったようで、残ってた彼女の分ももらってきちゃったんだ。

 

 

博士が言うおもしろい研究って、きっとコナン君が使うメカのことだ。

蝶ネクタイ型変声機はけっきょく一晩で完成させちゃったんだよね。

(どうしてこんなに事件が早く起こるのかは判らないけど)

確かこの次はキック力増強シューズだから、今はこのメカの研究に没頭しているところなのだろう。

 

 

「ところで愛夏君、昨日は大変な事件に巻き込まれたようじゃのォ」

「あ、よくご存じですね。私の名前はニュースでは出なかったはずですけど」

「今朝しん……コナン君が来てくれてのォ。事件のことを話してくれたんじゃよ。愛夏君が巻き込まれたことも含めて」

「そうでしたか。阿笠さんはコナン君と親しいんですね」

 

「あの子はワシの親戚の子じゃからの。小さい頃からよく知っておるんじゃ」

 

 

まあ、今でも小さいけどね。

というツッコミは、心の中だけにしておこう。

なんか昨日のコナン君の奮闘ぶりを見ていたら、小バカにされまくる高校生探偵がかなり気の毒に思えてきたから。

 

 

「愛夏君もちょうどあのくらいの頃だったかの。ワシの研究室によく遊びに来てくれたのは」

 

 

初耳です阿笠博士。

 

 

「すみません。あまり覚えてないです」

「そうなのか? 愛夏君はロボットが好きで、ワシが作ったものをたいそう喜んでくれたんじゃが」

「そうでしたか。私、実はあまりもの覚えがいい方じゃないみたいで。子供の頃のことはほとんど覚えてないんですよ。逆に覚えている人の方が不思議というか」

「……まあ、それも人それぞれということなのかの」

 

 

あまり突っ込まずにいてくれるのは正直ありがたい。

(まあ、目の前の人間がこういうこと宣言したらふつう気を遣うだろう)

大人な対応に感謝します阿笠博士。

 

 

「話は違うが、新しい仕事はもう見つかったのかね?」

 

 

……実は、昨日眠る前にちょっとだけ買った就職雑誌を見てみたんだけど。

職種の希望もなにもなく年齢だけでチェックしていくと、ほとんどコンビニと飲食店のホールスタッフしか残らないことが判りました。

しかも学生可、高校生可って、高校行ってない16歳も当てはまるのかな?

もしだめならまったく残らないことになるんだけど。

 

 

「ハッハッハッ、そうそう急には無理か」

「……ですね」

 

「じゃあ愛夏君、ワシのところで明日1日だけのバイトをしてみんか?」

「阿笠さんのところで、ですか?」

「見ての通り、最近忙しくてのォ。台所もじゃが、洗濯掃除も滞ってしまっておるんじゃ。そんな時間があったら研究を一歩でも進めたくての。明日1日、ワシの家の片付けと洗濯、お願いできんじゃろうか?」

 

「え? そんなの、別にお金をもらわなくても言ってくださればいつでもやりますよ」

「いやいやそういう訳にはいかんじゃろ。仕事でもなければ、愛夏君にワシのパンツなどとても洗わせられんよ」

 

 

阿笠さんにはお世話になってることもあるし、1日くらいならタダでしてあげてもいいって思うけど。

でもさすがに16歳の女の子に下着を洗濯してくれとは頼めないよね。

(女も45歳にもなれば独身でもさすがにそのへんの恥じらいはないけど)

阿笠さんも、私が家政婦をやろうとしてたことを知ってるから、仕事でならと思ってこの提案をしてくれたんだろう。

 

 

「判りました。明日1日、私を阿笠さんのところで雇ってください。よろしくお願いします」

「こちらこそよろしく頼むぞ、愛夏君」

「はい」

 

 

私も、この労働がキック力増強シューズの開発に少しでも役立つと思うとなんか嬉しいわ。

ていうか阿笠博士、哀ちゃん来てからまさか彼女にパンツの洗濯とかさせないよね。

 

 

ひとしきり博士と談笑したあと、家に帰った私は、とりあえず自分の分のたまった洗濯をした。

(明日1日できないことを考えると、今日やっとかないと着替えがなくなることに気づきました)

その合間にレポート用紙を1枚破って、明日1日の計画を立てる。

さいわい天気はよさそうだから、午前中はお布団干しと洗濯の合間に洗い物をして、午後はお掃除ってことでいいかな。

ほんとは朝のうちにお掃除しちゃう方がいいらしいけど、それだと1日じゃ終わらなくなりそうだし。

 

 

 

4月12日(火)

 

 

そんなこんなで翌日の朝8時、朝食にいつものカ○リーメ○トを食した私は、マスクとスカーフを手に阿笠博士の家へと向かった。

 

 

「おはようございます、阿笠さん」

「おはよう愛夏君。愛夏君はもう朝食は済ませたのかの?」

「ええ。よろしければさっそく始めさせてもらいたいんですけど」

「そんなに焦らんでもいいんじゃが。では、まず軽く家の中を案内しよう」

 

 

そう言って、博士はほんとに簡単に部屋の紹介と、してほしいことを案内してくれた。

最後の地下室で博士は立ち止まる。

 

 

「ワシは今日1日ここで研究をしておるから、なにかあったら声をかけてくれればいい。どうじゃね? 大丈夫そうかね?」

「はい、おおむね大丈夫です。午前中はお布団干しと洗濯と洗い物をしますけど、なにか注文はありますか?」

「いや、愛夏君の好きにしてくれてかまわんぞ」

 

 

そう言ってくれたので、私はまず洗濯機の場所へ行って、積み重なっている衣類を全自動の中へ放り込み始めた。

(昨日一瞬「二槽式だったらどうしよう」なんて思ったんだけどね、ちゃんと全自動でした。まあ、二槽式が使えない訳じゃないけど)

そのあと寝室からシーツをはぎ取って、マットと掛け布団を持ってベランダへ行く。

台所で洗い物をしてるうちに1回目の洗濯が終わって、2回目をセットして再びベランダへ。

洗濯物を干していると、眼下に玄関から小さい人影が飛び込んでくるのが見えた。

 

 

「はーかーせー! いるかー!?」

 

 

コナン君、もしかして毎朝博士のところへ通うのが日課になってないか?

確かコナン君が小学校へ通い始めるのは、キック力増強シューズの完成と同時くらいだったから、今はまだ平日でも暇でふらふら遊び歩いてるんだろう。

(いや、これはちょっと失礼か。たぶん毛利探偵の事務所で黒づくめの男の情報が入るのを待ってるんだろう。……暇だけど)

 

 

それからまた少し経ったとき、前の道路に宅配の車が停まって。

何気に見てたらどうやら我が阿笠邸に向かっている様子。

慌てて仕事を中断して降りていくと、呼び鈴が鳴ったから返事をしながらドアを開ける。

思った通り博士への届け物で、「阿笠」とサインして受け取ると、大きさの割には軽いかな、という荷物だった。

 

 

たぶん地下にはコナン君がいるのだろう。

話を聞いたらまずい ―― というか、彼らに私に聞かれたと思わせたらまずい ―― ので、階段の上から大声で声をかけた。

 

 

「阿笠さーん! お荷物が届いたんですけど、お持ちしてもいいですかー?」

「おお、愛夏君、すまんのォ。持ってきてくれるかの?」

「はーい!」

 

 

ひと抱えよりも少し大きいので、慎重に階段を降りていく。

研究室の扉は開いていて、中には思った通り博士とコナン君がいた。

どうやら作業台にあるのはキック力増強シューズらしい。

ということは、もしかして今日完成したってことなのかな?

 

 

「ありがとう愛夏君。この台に置いてくれるか?」

「はい。これ、大きさの割に軽いですね。なにか注文されたんですか?」

「いやいや、実はこのコナン君が今度1年生に転入するんでな。ランドセルを買ったんじゃよ」

「んなっ……!」

 

 

嬉しそうに箱を空ける博士の隣には、なにか文句を言おうとして、でも私がいるせいで言えないまま口をパクパクさせるコナン君。

うんうん、なかなかいいシチュエーションですよナイス阿笠博士!

そういえば私、最初の頃よりずいぶんコナン君に慣れたような気がする。

 

 

「これこれ、そんなに嫌そうな顔をするでない。君もいつまでもふらふらしとる訳にはいかんじゃろう」

「いや、だけどっ」

「君は今6歳なんじゃ。6歳といえば小学1年生なんじゃよ? 他の子供はみーんな行っとるんじゃ。コナン君だけ行かない訳にはいかんじゃろう?」

 

 

これ、原作のセリフでは確か「中身が高校生でも外見は小学1年生、学校に行かないと怪しまれる」って感じだったよね?

私がいるせいでセリフが変わってるのがなんかすごく新鮮だ。

 

 

「わあ、ピカピカで綺麗ですね」

「おお、思ったより手触りもいいのォ。コナン君、ちょっと背負ってみんか?」

 

 

いや博士、それはさすがに悪ノリが過ぎますよ。

外見は小学1年生でも中身は高校生なんですから、他人がいるところでそれはさすがにプライドが許さないでしょう。

(ま、いずれは背負わなきゃならないんだけどね)

 

 

「じゃ、私は仕事に戻りますので。この段ボールも片付けておきます」

「ああ、そうか。じゃあ頼んだぞ」

「はい」

 

 

再び段ボールを持って階段を上がっていく。

リビングまで戻って箱を潰したあと、ひとまずキッチンカウンターの隅にでも立てかけておいて。

他のごみもそのあたりにまとめて、洗濯干しに戻ろうと振り返った瞬間、私は全身を硬直させて立ちつくしてしまった。

 

 

……すみません、ぜんぜん慣れてなんかいませんでした。

私のうしろに無言で立ってたコナン君が目に入ったらもう駄目です息もできませんです。

 

 

「愛夏姉ちゃん、なにしてるの?」

 

 

なんだろう、どうしてだろう、コナン君のまっすぐな視線はいつも怖い。

誰も、私以外、彼の視線を怖がるそぶりを見せる人なんかいないのに。

 

 

「あ、あの……お洗濯に……」

 

 

どうにか足を動かし、彼の脇を通り過ぎようとしたその時。

小さなコナン君の手が、私のシャツの裾をつかまえた。

 

 

「なんで、愛夏姉ちゃんがお洗濯するの?」

「なんで、って。……私が阿笠さんに頼まれたから、です」

「ふーん」

 

 

答えたのに、コナン君は手を放してくれなくて。

仕方なく、私は言葉を続けた。

 

 

「阿笠さんは、研究が忙しいそうです。時間がないので、私が雇われました」

 

 

そうです君のためのメカを作るのに阿笠さんは忙しいんですだから私が代わりに家事をやってるんです。

子供じゃ判らなくても、中身高校生の工藤新一になら判るでしょう?

 

判ったらどうかその手を放してください。

私を仕事に戻らせてください。

 

 

私がちらっと、コナン君が掴んでるシャツの裾を見たことは、彼にも判ったのだろう。

少し目線を外したあと、再び彼は私をまっすぐに見上げた。

 

 

 

「愛夏姉ちゃん、ぼくのこと嫌い?」

 

 

 

……なに、それ。

なんで高校生探偵工藤新一が、ただの一介の中卒フリーター女にそんなこと訊くんだ……?

 

 

お、落ち着け。

彼は工藤新一だけど、江戸川コナンでもある。

そして私が訊かれてるのは、江戸川コナンを嫌いなのか否かだ。

 

江戸川コナンは工藤新一にとって虚像の人物。

工藤新一は江戸川コナンになるにあたって、より江戸川コナンらしい人物になるために演技をしている。

 

つまり、私はこの虚像の江戸川コナンが、私に対してこう訊きたくなるような態度をとってしまっているんだ。

私の態度が、虚像である江戸川コナンの心を傷つけるような。

 

 

「ごめん、なさい。……君のことを嫌いなんじゃなくて……」

 

 

いやむしろ好きだけど。

好きな人ほど私はうまく付き合えない。

それをどう、この虚像の江戸川コナンに伝えればいいのか、私には判らない。

 

 

「……人が、苦手っていうか……」

 

 

子供が、と言いかけたのを慌てて人に言い替える。

 

 

「でも、阿笠博士にはふつうだよ、愛夏姉ちゃん」

 

 

そうだよ、こう返されるなんて判り切ってるじゃないか!

 

 

「……阿笠さんは……大人、だから」

 

 

―― そう、私が言い終えた瞬間。

江戸川コナンは一瞬だけ、すごく傷ついたような表情を見せた。

 

 

……これじゃさっき何のために「子供は苦手」って言葉を回避したのか判らないじゃないか自分!!

 

子供じゃダメ、大人じゃなきゃダメ、その言葉がどれほど工藤新一を傷つけるか、私は知ってたはずなのに。

 

 

 

けっきょく私は、コナン君の手が緩んだのをいいことに、その場から逃げだした。

その日、コナン君が再び私の前に現われることはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

要するに、私の態度が問題だったんだろう。

初めてコナン君を見た時、私はほとんど目を合わせることもできなかったし、言葉も交わさずにただ硬直していた。

それは私にとってはただ“あこがれの人のすぐ近くにいてテンパってる”状態だっただけだけれど、相手にとって解釈は違っていた。

 

工藤新一が演技する江戸川コナンは、自分が私に嫌われているのだと思った。

そして本体である工藤新一は ―― たぶん何とも思わなかっただろう、ただ、自分には関わりのない女が子供に対して変な態度をとっている、というだけで。

 

 

でも、江戸川コナンにとって私は、阿笠博士と比較的親しく、毛利蘭とも知り合い以上の関係になる可能性がある。

つまり、嫌われたままでいてはいけない人物だった。

だから彼は私に尋ねたんだ、ぼくのことを嫌い、と。

 

 

この言葉を、私は彼に二度と言わせてはいけない。

なぜなら、私はさっきも彼の問いについての答えを探せなかったし、今でも答えは見つからないのだから。

 

再び同じ問いを投げかけられたとき、私は彼を傷つけずにいられる言葉を返すことができないのだから。

 

 

 

 

昼食は阿笠さんと一緒に宅配ピザを頼んで。

3時のおやつはすっ飛ばして夕食時、広すぎる家の掃除に一区切りつけて、私は再び阿笠さんと食卓を囲んだ。

 

 

「阿笠さん、食事はいつも店屋物なんですか?」

「なかなかそっちまで手が回らんでのォ。男やもめの独り暮らし、わびしいもんじゃよ」

「ぜんぜんそんな風には見えないですけど。好きなことを好きなだけやって、人生楽しんでるように見えます」

 

 

ああ、なんとなく、私が阿笠さんに感じてる親近感みたいなもの、その正体が見えた気がする。

たぶん実年齢が近いのも関係あるんだろう。

私は彼に結婚して家庭を持つ以外の幸せを感じて、それでもいいんだと自分を肯定してほしいと、いや自分で自分を肯定したいと思ってるんだ。

 

 

「それを言うなら、隣のご夫婦にワシは勝てる気がせんがの」

「……工藤さんですか?」

「ああ。ひとり息子を日本に置いて世界を飛び回っておる。そういえば、さっき新一君から電話があってな。しばらく事件で手が離せないらしいんじゃが」

 

 

……電話?

いや午前中ここへきたばっかりでしょ江戸川コナン君が。

電話というのは私に対する方便で、おそらくその時にコナン君がなにか話していったことを言ってるんだろう。

 

 

「愛夏君がうちの掃除を請け負ってくれている話をしたら、新一君が、ぜひ自分の家も掃除してほしいと言ってきての」

「……は?」

 

 

って、心の声で済ますつもりが思わず口に出ちゃったよ!

だって、さっきあんな会話したばっかで、なんでそういう展開になるワケ!?

いやいや、工藤邸を掃除することと、さっきのこととはぜんぜん何の関係もないけどさ。

 

 

「もちろん都合のいい時でかまわんし、なにぶん広い家だから1回に数日かけてもいいそうじゃ。朝8時から夜8時、途中休憩を2時間入れて日給1万出すと言ってるが、どうじゃね?」

 

 

ええっと、正味10時間で1万円てことは時給千円。

例えば4日働いたとすると4万円。

工藤新一はしばらく帰ってこないし、沖矢昴がくるのもまだそうとう先だから、働きによってはこの先再度依頼を受けられる可能性もある。

確か原作では毛利蘭がときどき掃除に通ってるってことになってたけど、彼女だってふだん部活と家事と育児 ―― は失礼か ―― で忙しい訳だから、引き受ければ彼女の負担を減らすこともできる、かも。

 

 

でも、なんで私なんだろう?

私は虚像の江戸川コナンを態度で傷つけて、加えて本体の工藤新一を言葉で傷つけた、彼にとっては迷惑な女でしかないというのに。

 

 

「引き受けてくれんか?」

 

 

あ、でも、そういえば黒の組織が工藤邸を見張ってる可能性があるんだっけ。

そんなところに毛利蘭や他の身近な人を近付けるよりは、あまり工藤新一と接点のない私の方が都合がいいのかもしれない。

逆に下手な業者とかだと背後に黒の組織が絡んでる可能性もあるし。

 

 

「判りました。ちょっと広くて大変そうですけど、喜んでやらせていただきます」

「そうか、引き受けてくれるか。ではさっそく新一君に連絡しておこう。いつから始めるかね?」

「今日の勢いで明日から始めます。あ、でも、自分の洗濯もあるので、もしかしたら1日くらい間を空けるかもしれませんが」

「それは構わんじゃろう。ワシが鍵を預かっておるから、明日の朝取りに来なさい。その時に軽く屋敷の中を案内しよう」

「はい」

 

 

工藤邸かぁ。

原作でもあんまり出てこないから、興味はあったんだよね。

噂の本棚とか、ナイトバロンシリーズとか。

休憩時間中なら読んでも大丈夫かな?

 

 

帰り際、阿笠さんが渡してくれた封筒の中には、1万円札が1枚入っていて。

そんなにもらえないと遠慮したのだけれど、1日拘束したのだからと取り合ってはくれなかった。

んまあ、博士はこう見えてけっこう稼いでるみたいだから、遠慮する必要はないのかな?

(乗ってる車がしょっちゅう壊れるから貧乏っぽい印象があるけど、それもお金持ちのこだわりのビートルに乗ってるからだし)

私もこの年になれば引き際はわきまえてるので、最後はありがたく受け取ることにした。

 

 

博士も、娘にこづかいでもやる気分なのかもしれないな。

って、確か博士は52歳の設定だから、実年齢は7歳しか違わないんだけどね。

むしろ嫁にもらってください阿笠博士!

(いや、彼にはフサエ・キャンベルさんがいるからじっさいは無理だけど)

 

 

 

 

4月13日(水)

 

 

そんなこんなで翌日水曜日。

私は、コナンファンならあこがれの場所、工藤邸に入ることになりました。

 

 

いやいやすごいね、広いね、豪華だね。

高級そうな花瓶とか何気なく置いてあるし、なんと本物の暖炉がある部屋なんかもあるし。

ただでさえ天井が高いのに噂の書斎は2階まで突き抜けててめちゃくちゃ広い!

そこにぎっしり推理小説とか……いったいどんだけ稼いでるんだよ優作氏。

 

 

「掃除用具は一通りそろってるそうじゃが、必要なものがあったら買ってもらって構わんぞ。レシートさえあれば食費も必要経費でOKじゃ」

「あ、はい」

「……どうしたんじゃ? 愛夏君」

「あ、いえ。……あまりに広くてどこから手をつけてよいものやら。ひとまず道具はあるものでやってみます。ありがとうございます」

 

「なにかあったら遠慮なく声をかけるんじゃぞ」

 

 

そう言って、阿笠博士は帰っていった。

 

 

……とりあえず、掃除機をかけながら各部屋をチェックしていこう。

ほんとは棚のほこりを落としてからの方が効率がいいんだけど、どうせ掃除機1回じゃ終わらないから、先に床のほこりだけでも取っちゃうことにする。

 

業者が使うような大きい掃除機を2階に運んで、コンセントを探しながら廊下、部屋と順番にかけていくんだけど……。

明らかに数日じゃきかないほこりが積もってる部屋があるってことは、工藤新一、使ってない部屋はほとんど掃除してなかったってことなんだろう。

 

 

そういう部屋は棚のほこりも軽く掃除機で吸い取って、順番に巡っていくと2階に新一の私室らしいドアが……!

……とうぜんかかってますよね、鍵。

さすが、江戸川コナンになっても抜かりはないです工藤新一。

 

 

午前中いっぱいを掃除機に費やして。

お昼はどうしようかな、と思っていると、阿笠さんが陣中見舞いに来てくれました。

 

 

「今日は出前は休みのところが多くてのォ。よかったらポアロにでも行かんか?」

「あ、いいですね。じゃ、戸締りしてきます」

 

 

数か所窓を開けたままだったので、それを閉めて玄関に鍵を掛けてから阿笠さんについていく。

ポアロって、まだ行ったことないけど、毛利探偵事務所がある建物の1階の喫茶店だよね。

ということはつまり、ようやく私は毛利探偵事務所がどこにあるのか判るんだ。

もちろん蘭さんは今日は学校だろうけど。

 

 

「阿笠さん、コナン君は今日から学校ですか?」

「そのはずじゃよ。確かまだ授業は午前中までで、給食を食べたら帰ってくるようじゃが」

 

 

1年生って5時間目ないんだっけ?

それともまだ4月だから?

はるか昔すぎて、自分の時がどうだったのかまったく記憶にないわ。

 

 

ポアロは工藤邸から徒歩10分程度の場所にあって、見上げると2階の窓には『毛利探偵事務所』の文字。

……なんかちょっと感動した、かも。

工藤邸もある意味感動だったけど、こっちはもろコナンの生活圏、ってイメージだからね。

 

お昼時のポアロは近所の会社に勤めてるらしい人たちで多少混んではいたけれど、そろそろ昼休みも終わるのか座れないほどじゃなかった。

注文を済ませて見まわす。

毛利探偵も昼はほとんど外食なんだろうけれど、今日はここには来ていないみたいだった。

 

 

「愛夏君は毛利君とも知り合いだったかな?」

「はい、毛利探偵と蘭さんには、偶然2回ほどお会いしました」

「毛利君が依頼された事件に巻き込まれたんじゃったな」

「はい」

 

 

そう、確か2回ともそうだった。

偶然、とは言ったけど、確かに偶然以外のなにものでもないんだけど、でも本当にそうなんだろうか。

私は夢小説ネームでトリップしてきた人間なんだ。

最初に部屋で感じたトリップのルールのようなものが、こういうところにも存在するかもしれない。

 

2回なら、まだ偶然ですまされる。

でももしもこれが3回になったら ――

 

 

「蘭君は新一君とも仲が良くての。まあ、元は2人の母親同士が友人だったからなんじゃが。それでワシも毛利君達のことは昔からよく知ってるんじゃよ」

「そうでしたか」

 

 

まあ、原作読んでるから、阿笠博士が毛利一家とそれなりの付き合いがあるだろうってことは知ってるけどね。

ていうか、阿笠さんはさっきからいったいなにが言いたいんだろう。

 

 

 

「愛夏君は、今まで蘭君のことはまったく知らなかったのかの?」

 

 

え? もしかしてそれが疑問だった、とか?

いやだって隣のクラスだったんでしょ?

私の性格なら、たとえ同じクラスだったとしても一度も話したことがない人の1人や2人いると思うし。

だいたいあの時の毛利蘭の態度だって私とちゃんと話すのは初めてって感じだった。

 

 

「クラスが隣だったらしいんですけど、私の方はぜんぜん」

 

 

合ってるはずだ、これで。

中学の時、私の友達といえるのはバレー部で一緒だった子たちだけだったから。

空手部の毛利蘭とは接点がない。

 

 

「新一君と仲が良かったのに?」

「え? 誰がですか?」

「蘭君じゃよ。登下校はよく新一君と一緒だったんじゃ。本当に蘭君のことはまったく知らなかったのかね?」

「……はい」

 

 

なにか問題あったんだろうか。

どうして阿笠さんはこんなにしつこく訊いてくるんだろう?

 

 

「そうか。……新一君も気の毒にのォ」

 

 

阿笠博士のその言葉は、私の返事を期待して言われたものではなかったので、私はなにも答えなかったけれど。

……意味が判りません。

なんで、私が毛利蘭を知らないと、工藤新一が気の毒なんですか?

 

私と工藤新一、近所に住んでたんだから顔見知りではあるだろうけど、それ以上の接点なんてないよね?

私の性格ならいくら近所に住んでたからって、男の子と親しく遊んだりはしないはず ――

 

 

ていうか、私には生まれてから16年、ここでしていた生活があったのか?

名探偵コナンのマンガは、私がトリップしてきたのとほとんど同じ時間軸から始まっているけど。

その登場人物、ううん、もっと言えばこの世界に存在するすべての人たちには、彼らが生きてきた過去があるんだ。

とうぜんその過去は“私”にもあって……。

 

 

でもその“私”は私がトリップしてきた時には既にいなかった。

私は“私”がどうなったのか、判る範囲で知るべきだ。

 

 

昼食は阿笠さんがおごってくれちゃったので、私はお礼を言って、再び工藤邸の掃除へと戻る。

汚れがひどい部屋はあとまわしにして、廊下や共用部分の拭き掃除をしながらずっと考えていた。

 

 

トリップしてから今日まで、私はとにかく自分のこれからの生活のことばかり考えていて、過去のことには目を向けてなかったんだ。

あの時の私は、ただ漠然と「私が世界に溶け込めるように関わってそうな人の記憶が捏造されてたりするのかな?」なんて思ってて。

この世界の過去に私が知らない“私”がいるかもしれないなんて考えもしなかった。

 

 

私がこの世界へトリップする前、ここで16年間生活していたのは“私”だった、はず。

でも……その“私”はいったいどうなったんだろう。

私がこの世界へ来た時、ここで16年過ごしてきた“私”は、いったいどこへ行ってしまったんだろう。

 

 

 

「愛夏姉ちゃん」

 

 

あたりが夕闇に包まれて、部屋の中も薄暗くなり始めた時。

背後から声をかけられて、私はうしろを振り返った。

見上げる少年の眼鏡は光っていて目の表情が判らない。

 

 

「コナン、君……?」

 

 

玄関には鍵を掛けたけれど1階の窓はところどころ開いている。

それ以前に彼は家主なんだから家の鍵を持ってるはずだ。

それについて尋ねれば言い訳はすでに用意してあるんだろう。

でも問題は、江戸川コナンがなぜここに来たか、だ。

 

 

彼が工藤新一ならくる理由はある。

自宅なのだからいつ帰ってきても不思議はないし、掃除のために雇った私がきちんと仕事をしているか監視する権利もある。

でも、江戸川コナンがここにくる理由なんてないのに。

 

 

「愛夏姉ちゃんに訊きたいことがあるんだ」

 

 

およそ小学生らしくない、低い声だった。

まるで犯人を追いつめている時のような。

 

 

「ねえ、愛夏姉ちゃんは、どうして何も訊かないの?」

 

 

……ああ、もしかして、これってかなりヤバい展開かも。

 

 

「だって愛夏姉ちゃん、見てたよね? ぼくが灰皿を蹴飛ばしておじさんの頭に当てたところ。それとぼくがゆう子さんのイヤリングを見つけた時も。あの時いた捜査員の誰もソファの下なんか見てなかったって、愛夏姉ちゃん知ってたよね?」

 

 

探偵の目を持ってすれば、子供のコナンが大人の声を出しているのを見て何も言わない女は、立派な不審者だ。

なにかを知ってる、なにかを隠してると白状してるのと同じこと。

たぶんコナン君が阿笠さんを通じて私に自宅の掃除を頼んだのも、私にこれを訊きたかったからなのだろう。

 

 

名探偵、マジ怖いわ。

もちろん彼が私にこれを訊くのは、自分の身に危険があるかもしれないと思ってるからなんだろうけど。

 

 

「愛夏姉ちゃんは、いったい何に気づいてるの? どうしてぼくになにも訊かないの?」

 

 

私はようやくかすれた声を出した。

 

 

「……だって、私が訊ねて、答えを聞いちゃったら……今度は私が答えなきゃいけなくなるから」

 

 

“撃っていいのは撃たれる覚悟がある奴だけ”ってのはちょっと違うかもだけど。

私には彼の秘密を知る覚悟なんかない。

もちろん実際は知ってる訳だけど、なぜ私がそれを知っているのか、彼に教える覚悟なんかないから。

 

 

私は別世界からトリップしてきた、ほんとは45歳のおばさんだ。

そんなこと、彼に知られて信じてもらう覚悟も、信じてもらえずにさらに不審者扱いされる覚悟も、私にはまったくない。

 

 

「それが、愛夏姉ちゃんがぼくを避ける原因?」

 

 

どう思ったのかは知らないけれど、再びコナン君が訊いてくる。

いや、そもそも私は自分がコナン君と ―― 工藤新一と対等につきあえる人間だなんて思ってない。

たとえ同じ空間にいても、別世界の人間、っていうのは確かに存在するんだ。

 

文字どおりの意味だけじゃない。

工藤新一や毛利蘭はあちら側の人間で、私ごときでは近づくことすらできないってことを、私は知ってるから。

 

 

「だったら……ぼくが愛夏姉ちゃんの秘密を暴いたら、もう答えない訳にはいかなくなるよね」

 

 

私の沈黙を肯定と取ったのか。

目の表情は相変わらず眼鏡の向こうで見えなかったけれど、口元に笑みを作りながらコナン君は言った。

……キミ、もしかして子供の演技をする気、ないですか?

 

 

その時だった。

 

 

―― ピンポーン

 

 

昼間阿笠博士がきたときにも聞いたから間違いない、この家の玄関の呼び鈴だった。

 

 

「新一ー! 帰ってるのー!?」

 

 

ドンドン、とノックの音に混じって蘭さんらしい女性の声が聞こえてくる。

窓があいてたからだろう、工藤新一が帰っていると思ったらしい。

私はその場にコナン君を置いて玄関までかけていった。

 

 

「はい、今開けます」

 

 

正直言って助かった。

あのままコナン君に問い詰められてたらどうなってたか判らないから。

ちょうどいいからコナン君を引き取ってもらおう。

 

 

「え? ど、どうして高久喜さんが……?」

「あ、はい。阿笠さんに頼まれたんです。この家を掃除してほしい、って」

「そ、そうだったんだ。……で、あの、新一は……?」

「おうちの方は帰ってないです。しばらく家を空けるから、という話でしたけど」

 

「……そう。……ていうか、高久喜さん、どうして敬語?」

「あ……」

 

 

ど、どうしてだろう??

 

 

「それはそうと、コナン君が」

「え? コナン君?」

「うん。……困ってたの。連れて帰ってもらえる?」

 

 

耳元で小さく言うと、私の子供が苦手という話を疑いすらしていないらしい蘭さんは、ひとつ頷いて家の中へと入っていく。

ほどなくして戻ってきた時には、片手でコナン君の手をしっかりと握りしめていた。

 

 

「さあ、コナン君。愛夏ちゃんにご挨拶して」

「……おじゃましました」

 

 

嫌々、という感じでふてくされながら、視線を合わせずに言う。

いちおうそれで彼女は満足したのだろう、コナン君が玄関に座って靴を履いている間に、近くに寄ってきた蘭さんが私に話しかけてきた。

 

 

「ごめんね。コナン君にはよく言い聞かせておくから。……どうやらコナン君、愛夏ちゃんのことが好きみたい」

 

 

最後の方は耳打ちするような感じだった。

もちろんその声はコナン君にも聞こえているだろう。

つか、いつの間に私は高久喜さんではなくて愛夏ちゃんになったんだ?

 

 

「よく言っておくけど、もしもまた邪魔しにくるようだったらいつでも電話して。あ、まだ番号交換してなかったっけ」

 

 

あれよあれよという間に毛利蘭のケータイ番号をゲットしてしまう。

……できればあんまり彼女とは関わりたくないんだけど。

でも、そもそもこの世界にトリップさせられた時点で、私が毛利蘭や江戸川コナンと関わることは決められてしまっているような気がする。

 

 

「それと、もし新一が帰ってきた時も ―― 」

 

 

 

2人を玄関で見送って、掃除を再開させながら、私は再び考えていた。

 

もしもこの世界にいる人達の私に関する記憶が、最初に私が思ったような「トリップが不自然じゃないように捏造された記憶」じゃなく、「この世界の高久喜愛夏が存在したことによって蓄積された記憶」だったとしたら。

なんだかんだと私に絡んでくる江戸川コナン ―― 工藤新一と高久喜愛夏との間には、なにか関わりがあったんじゃないだろうか?

 

 

たぶん、元の“私”が工藤新一と関わろうとしなかったこと、それは間違いないと思う。

でも、今までの江戸川コナンを見ていると、ただの顔見知りという範疇ではおさまらないような行動を取っている気がするんだ。

 

 

 

ともあれ、江戸川コナンが起こしてきたアクションに、私は沈黙するしかない。

なぜ私は彼になにも訊かないのか。

その問いに答えるためには、私は自分がトリップしてきたことを話さなければならなくなる。

なぜなら、毛利蘭と違って工藤新一とそれまでほとんど関わったことがなかった私が、一目で江戸川コナンの正体を看破することはあり得ないのだから。

 

 

 

その日、きっちり8時まで仕事をした私は、阿笠さんに工藤邸の鍵を返してすぐに自宅へと戻った。

たぶん休憩2時間の中には夕食の時間も含まれていて、食費が必要経費になるならとうぜん夕食代も出してくれるつもりだったのだろうけれど、私はわびしく朝食用のカ○リーメ○トをかじる。

明日は1日かけて書斎の掃除をするつもりだけど ―― 他人の家よりまずは自分の部屋をどうにかしろって感じだよなぁ。

(忘れてるかもしれないけれど、私の部屋は大量のマンガとかその他でとても他人を呼べるような代物じゃないのです)

以前ここにいたはずの“私”の痕跡を探すならよけいにどうにかしないとまずいだろう。

 

 

 

まあ、そのあたりはそのうち考えよう。

 

 

 

4月14日(木)

 

 

という訳で、翌日の木曜日。

 

 

その日はコナン君が訊ねてくることもなく、毛利蘭が乱入することもなく、昼は阿笠博士の家でうな重(私も大好きだ!)を取ってもらって。

夜、自宅で何気なくテレビをつけたら、あのニュースが飛び込んできたんだ。

 

 

赤鬼村火祭のやぐらの中から、根岸正樹(42)の遺体が発見されたという、原作2巻の最初の話、保険金殺人事件のニュースが。

 

 

 

 

4月15日(金)

 

 

どうやら今回、私は事件に巻き込まれずに済んだようです。

 

 

「博士ー! カセットテー……プ……」

 

 

ちょいまち!

私が阿笠さんと早めの夕食を取ってるタイミングを見計らったように、なぜコナン君が阿笠さんの家に飛び込んでくるんでしょうか?

 

 

「……愛夏姉ちゃん」

「どうしたんじゃ、し……コナン君?」

「あ、うん。……博士、カセットテープ、持ってたよね? 小さくて録音もできるヤツ」

「なんじゃ、貸してほしいのか?」

「うん……」

 

 

ああ、2人ともやりづらそうだ。

テープはたぶん犯人の阿部豊の自白を取るために必要なんだろう。

昨日ニュースを聞いたあと話の全貌は思い出してはいたけれど、原作にないところでこんなやり取りがあったとは、さすがに想像もつきませんでしたよ。

 

 

「待っておれ。確か研究室の方に……」

 

 

そう言いながら阿笠さんが奥に行ってしまうと、私とコナン君の間には何とも言えない気まずい空気が流れていた。

 

 

しかし、このデジタル時代にカセットテープですか。

(まあ、原作が描かれた時にはまだ主流の録音機器だったからね)

たぶん原作に登場してる証拠品がカセットテープだからなんだろうけど、一方でケータイやスマートフォンはふつうに普及してるみたいだし、この世界は矛盾に満ちていると思う。

 

 

「あ、それじゃ、私は仕事に戻りますので」

 

 

気まずさは持ち前のスルースキルで黙殺してたけど、そろそろ仕事に戻らなければいけないのも確かで。

そう言って席を立ったその時、コナン君が私の袖口をがしっとつかまえた。

 

 

「愛夏姉ちゃん……」

 

 

目を伏せて、肩を落として、小さなコナン君がますます小さく見える。

……なんですかこの愛らしい生き物は……!

子供、嫌いだけど、嫌いだけど……でも、悔しいけど私、姪っ子が生まれた時は正直な話ほんとに可愛いと思った。

まるでその時と同じ、コナン君が、すごく、可愛い。

 

 

「愛夏姉ちゃん。……ぼくを、嫌いにならないで……」

 

 

……オイ、工藤新一。

君はいったいどこまで演技派なんだ?

それとも……ほんの少しでも、この演技の中に真実が含まれてるとでもいうのか……?

 

 

いやあり得ないだろう。

彼は確かに16歳で、45歳の私から見ればほんの子供でしかないけど。

ひとりで組織と対峙して、いきなり周りの人間関係から置いてきぼりを喰らって、阿笠さん以外の人の前ではずっと江戸川コナンを演じ続けなければならないのはものすごいストレスだろうけれど。

でも、よく知りもしない私なんかに弱みを見せるような、そんなかわいげのある性格じゃなかったでしょう君は。

 

 

「……嫌いじゃ、ないですよ」

 

 

ほだされた、のかな?

たぶん違うと思う。

私だって、子供は苦手だし中でも江戸川コナンは超苦手だけれど、大好きな彼に嫌われたいなんて微塵も思ってないから。

 

 

 

その後、阿笠さんが戻ってきたところで私は再度工藤邸に入って。

無事に仕事を終えたあと、夜のテレビで阿部豊が逮捕された事を知った。

 

 

 




主人公、事件に関わらないの巻、でした。
今後はこういう回が増えていくと思います。
1話1話は事件のタイトルで区切っていきますけどね。
(なので1話の長さもこれからバラバラになっていきます)
ちなみに事件タイトルはアニメ準拠です。


 

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