4月26日(火)
昨日早めに布団に入った私は、熱の影響もなくたいへんすがすがしい朝を迎えることができました。
さすが16歳、45歳の時とはやっぱ基礎体力が違うよね。
年齢による衰えももちろんあったんだろうけど、あの疲れの原因の一つは常習していた煙草にあったんだろうと思う。
今でも無性に吸いたくなるし、この世界で20歳になったらやっぱり吸い始めるような気はするけれど、今は日本の法律に素直に従っておくことにします。
ケータイの目覚ましで起きだした私は、昨日できなかった旅行の荷物の整理と洗濯を始めた。
その間にお風呂を沸かして入って、残しておいた最後の下着を身に着ける。
今日は天気もよさそうだし、9時になったら警察に電話して、事情聴取の予定を組んだあとできれば旅行のお土産を配りに行きたいよね。
ま、谷家のお手伝いの佐伯さんに買ったのはお菓子だから早い方がいいけど、ユキさんとヨーさんは期限のないものにしたので、さほどあわてる必要はなかったりする。
(とくにヨーさんはいつ会えるか判らないからね。二人ともすごく忙しそうだし)
そんなこんなでいつものシャツとGパンに着替えて朝食の恒例カ○リーメ○トを食していると、ケータイに阿笠さんから電話がかかってきたんだ。
『やあ、愛夏君。体調はどうだね?』
「昨日はお世話になりました。おかげさまで熱も下がって、ほぼいつも通りに復活しました」
『それはなによりじゃ。ところで、今朝少し時間があるかね?』
「はい。大丈夫ですが」
『悪いんじゃが、一度早いうちに我が家へ来てほしいんじゃ。それほど時間は取らせんでの』
「判りました。じゃあ、8時ごろに伺いますね」
『待っとるぞ』
そんな会話を交わして、その後身支度して阿笠さんの家を訪ねると、阿笠さんはリビングでいつものコーヒーを入れてくれた。
「実は昨日、新一君に頼まれてのォ。愛夏君はまた新一君に仕事を依頼されたそうじゃの」
「はい。詳しい話は聞いてないんですが、29日に工藤さんが招待されたガーデンパーティーに出席してほしいそうです。たぶん工藤さんの名代で、ということだと思うんですが」
「わしが聞いた話だと、毛利君親子とコナン君も出席するそうじゃ。まあ、仕事というより、愛夏君に純粋にパーティーを楽しんでほしいということじゃと思うぞ」
……そうなのか?
だったら別に、私が行く必要はないよね。
(むしろできればそういうめんどくさいところへは近づきたくないってのが本音だったりする)
「それじゃ、今からでもお断りしてもいいでしょうか?」
「ちょ、ちょっと待ちなさい愛夏君! すでに一度引き受けたんじゃろう? 一度引き受けた仕事をキャンセルするのはさすがにどうかと思うぞ?」
「……はい、そうですね。すみません」
そんなどうでもいいような仕事ならキャンセルしてもどうってことないような気がするけど。
社会人としては、阿笠さんが言うことも間違ってはいない。
こういうのは私の信用にも関わることだから、今回は言われた通りちゃんと仕事として受けるべきなのだろう。
……どちらかといえば、私の工藤新一に対する信用度の方が少し下がったけど。
(ま、そんなの関係なく工藤新一のことは大好きだけどさっ)
「パーティーの開始は午後3時半からで、場所は毛利君たちが知っているから、待ち合わせをして一緒に行けばいいじゃろう。当日着ていく洋服代は必要経費で新一君が負担するそうじゃ。そのほかに報酬と交通費として1万円。帰りの時間までは判らんが、まあ夜になることはないじゃろう」
「あ、あの、さすがに1万円はもらいすぎだと思います。交通費だってそんなにかかると思えませんし」
「この1万円の中には当日履いていく靴の代金が入ってるそうじゃ。洋服はサイズさえ判れば誰でも買えるが、さすがに靴までは用意できんからな」
「え? 服ってレンタルなんじゃ……」
「通販で買ってプレゼントすると言っておったよ。という訳で、わしが今日愛夏君を呼んだのは、服のサイズを選んでもらうためなんじゃよ」
そう言って阿笠さんはテーブルに、婦人服のサイズ表(通販雑誌かネットの画面あたりからコピー印刷したらしい)を何枚かこちらに向けて広げてくれた。
……意味がわからん。
なんでそうまでして、工藤新一は私をそのパーティーとやらに出席させたいんだ?
だって通販で服を用意するとか、手間も時間もお金もかなりかかるでしょ。
(たぶん工藤新一のことだから、1枚の金額が3ケタの生産国さえ怪しい量産品なんかじゃないだろうし)
もしかして、水面下では原作にない何かが進行していて、私が知らない黒づくめ男たちの情報とかそういうのがあったりするのか?
自宅の掃除のときもそうだったけれど、工藤新一が黒づくめ対策に私の存在を使いたいというのなら、私はそれでもかまわないんだ。
そもそも私がこの世界に来たことでさえ疑問ばかりで、世界が私にどんな役割を期待しているのかも判らないのだから、もしも毛利蘭が被るはずの被害を最低限に抑えるための盾として使い捨てられるのだとしても、それはそれで納得できる。
もっと言えば、私が知っている名探偵コナンの原作と、この世界とが本当に同じものかどうかさえ判らないし。
(だいたい原作より事件の頻度が高いってのも相違点としてあるしね)
私はなにかの原因でずれてしまったこの世界を原作世界に戻すために、神様的な何かから呼ばれた可能性だって否定できないんだ。
だから、この世界の主人公である工藤新一の思うとおりに流されるのは、私の在り方としては間違ってないって思うんだけど。
「あの、せめて、買っていただいた洋服は使用後、相応の値段で引き取らせてもらえませんか?」
阿笠博士は私の言葉に、ちょっと苦笑いのような表情を見せて。
「まあ、愛夏君ならそう言うじゃろうとは思ったがのォ。新一君がどう答えるかは保証できんぞ。それでもいいなら話してみるが」
博士もある程度私の性格は判っていたようで、消極的ながら私の提案を受け入れてくれた。
阿笠さんが渡してくれたサイズ表から自分の服のサイズを選んで印をつけたあと、家に帰った私は警視庁に電話をした。
電話に出たのはなんと高木刑事で、どうやら私の事情聴取は彼が担当してくれるらしい。
ちょっと驚いたけど、高木刑事はコナンのマンガではほとんど脇役筆頭級の大活躍をしてる人だからね。
(今の時点ではまだ名もない一刑事だったはずだけど)
じっさい事件のことを訊かれてもたいした話はできないだろうけど、ちょっとだけ警察へ行くのが楽しみになってきたところだったりします。
警視庁へ出向くのは午後4時ごろに決まったので、それまでは当初の予定通りお土産行脚に向かうことにした。
まずは谷さんのお屋敷に電話をして、佐伯さんの予定を確認する。
弥生町行きのバスの時間を確認したあとはユキさんとヨーさんにメールして。
学生のユキさんは平日は大学があるので、土日の予定を確認してからまたメールするという返事をもらったあと、バスに乗り込んで無事谷さんのお屋敷を訪問することができました。
お屋敷にはほかのお手伝いさんたちもそろっていたから、私はお土産を渡しつつ、少しだけ佐伯さんと話をした。
「このたびは、お仕事を紹介してくださってありがとうございました」
「いいえ、事件のことを聞いて心配していたの。高久喜さんは大丈夫だった?」
「ええ、……まあ」
「その様子だと大変だったみたいね。話せるなら話してほしいけど、思い出したくないこともあるでしょうから、あえて聞かないでおくわ」
愚痴なら聞くけど興味本位では訊かないと言ってくれる。
ほんと、この人と知り合いになれたことは、私にとっては一つの財産だ。
「でも、お仕事を紹介していただいたことはほんとに感謝してるんです。またなにかあったらぜひ声をかけてください」
「そうね、私も心掛けておくわ。籏本さんも高久喜さんの仕事自体には満足されてたから、私も自信もって紹介できるしね」
「そう言っていただけて本当にありがたいです。次があればその時も全力で頑張りますから」
まあ、この先も無職が続けば、って条件はあるけどね。
今後無事に就職できたら佐伯さんにはきちんと報告しよう。
佐伯さんとも個人的な連絡先を交換して、谷家を辞したあと。
バスで米花デパートまで行った私は、あまりくだけすぎていないサンダル(今の若者の言葉では違う言い方をするんだろうけど思い出せません)を一足と、ムダ毛処理に必要な品をいくつかそろえた。
工藤新一が用意する服がどんなものかは判らないけど、そのあたりは最低限準備しておかないとヤバいからね。
(電話の内容はあんまり覚えてないけど、うっすらとスカートと言われたような記憶があるし)
ほかにも下着やらなにやらをいろいろと見繕って、一度帰って洗濯物を取り込んだあと、再びバスに乗って警視庁まで辿り着いた。
午後4時、対応してくれた高木刑事は、さほど広くない会議室のようなところへ私を案内してくれた。
「高久喜愛夏さんですね。今回、籏本家の臨時雇いの家政婦として、結婚式からの帰りのチャーター船にご家族と一緒に乗ったということで間違いありませんか?」
「はい、間違いないです」
「では、その時の高久喜さんの行動を、調書として記録させていただきますので、ご協力をよろしくお願いします」
実は私は若い頃、交通事故の被害者として、警察で調書を作ったことがあったりする。
まあ、事故自体はたいしたことなくて、ケガもほとんどしなかったから実質被害は乗ってた自転車がゆがんだくらいだったんだけど、それでも病院の診断書をとったり調書を作ったりはちゃんとしたんだよね。
そんなことを思い出しながら、高木刑事に促されるまま、事件当日の自分の行動を言葉にしていく。
とりあえず事件そのものは解決していて、私が新たに疑われるようなことはなかったけれど、被害者のうめき声を聞いたいきさつを話すときにはやっぱり少し緊張した。
話はほとんど終えて、それを高木刑事がきちんとした文章に起こしていたとき、ふいに会議室の扉が外からノックされたんだ。
「ちょっとすみません」
私に断って高木刑事が部屋を出ていく。
外での話はほとんど聞こえなかったのだけど、一つだけやけにはっきりと「米花美術館」という単語が耳に飛び込んできて。
あれ? もしかして今日が「美術館オーナー殺人事件」の日だったりしたのか!?
確か昨日も「月いちプレゼント脅迫事件」が起きてたはずだったから、連日休みなく事件に巻き込まれてることになるぞ毛利一家!
「高久喜さんすみません。ちょっと別件で出なければならなくなったので、続きはまた後日でもよろしいですか?」
「はい、私はかまいませんけど」
「できるだけ早くご連絡します。連絡先だけ教えてください。あとで必ずご連絡しますから」
私は自分のケータイの番号を高木刑事に教えて、迎えに来てくれた女性警察官に案内されて警視庁をあとにした。
帰宅した私は、スリープ状態のノートパソコンを起動して、テキスト画面を開いて。
今まで遭遇した事件を時系列順に打ち込んでいった。
今日は4月26日で、私がトリップしてきたのが4月8日だったから、まだ19日しか経過してないのに「ジェットコースター殺人事件」も含めるとすでに9つもの事件が起こってる。
この頻度は明らかに異常だ。
しかも、事件そのものは単行本の掲載順で起きてるから、順番以外の日付や曜日なんかはけっこうめちゃくちゃなんだ。
(一部ぴったり合ってる時もあるんだけどね、それがなおさら怖かったり)
蘭さんやコナン君は普段学校に通ってるのに、なぜか平日に泊りがけで旅行に行ったりしてるのはいったい何なんだろうか?
原作順で行けば、次に起こるのは「新幹線大爆破事件」だ。
毛利探偵が遠方の結婚式に出席するため、蘭さんとコナン君を連れて乗った新幹線で、黒づくめの男たちが起こす事件。
もちろん平日に結婚式をする人がぜんぜんいない訳じゃないけれど。
まだまだ考えはぜんぜんまとまらないけれど。
私はテキストファイルに、この先で起こる事件を夜までずっと書き続けていった。
私のケータイに蘭さんからの電話が入ったのは、夜も10時になってからだった。
『愛夏ちゃん、遅くにごめんね。今大丈夫?』
「うん、大丈夫だけど」
『んもう、新一ったら、こんな夜遅くに電話してくるんだから。そのせいで愛夏ちゃんにも迷惑かけちゃってほんとにごめん』
「なにか緊急の用事だったの?」
『実は明日、京都で結婚式に出席する予定があってね、帰りも一泊してくるし丸二日連絡が取れそうにないから。愛夏ちゃんも聞いてるでしょ? 29日のこと』
ああ、そうですか、すでに明日「新幹線大爆破事件」が起こるのは決定事項ってことですか。
明日が水曜で明後日が木曜だってことは突っ込まない方がいいんだろうな。
「本当に私なんかが一緒に行っていいの?」
『あたりまえじゃない。それで、当日はタクシーを呼ぶ予定だから、3時くらいまでにうちの事務所に来てくれる?』
その蘭さんのタクシーという単語で、私は初めて蘭さんたちと出会ったあの日のことを思い出していた。
地獄か天国か、思わずその場で昇天しそうになった、後部座席に三人川の字で座ったあの時間のことを。
「それはいいんだけど」
「わかってる。今回は愛夏ちゃんが一番奥で、その隣に私が座るように誘導する。でも失敗したらごめんね。コナン君、ほんとに愛夏ちゃんのことが好きみたいだから」
私のことが好きというか、名探偵が行動不審な私を疑ってるっていうのが真相なんだけどね。
もしかしたら今回のガーデンパーティーも、工藤新一扮する江戸川コナンが、私の行動を見極めるのが目的だったりするのかもしれない。
電話のあと、私は再び、テキストファイルに目を落としたけれど。
けっきょく私の疑問が解消されることはなかった。