ゆくちーと 作:めざめたいパワー
もう夜も遅い時間だ。ポケモンジムという施設自体は今は閉まっているが、イリアが普段暮らしている居住スペースは外からでも明かりがついているのが窺えた。
イリアがごそごそと懐から取り出した謎の機械を、扉のすぐ隣の壁に設置されていた変な盤に掲げると、ぴー、と音が鳴った。イリアはそれから取っ手に手をかけて、がちゃりと扉を開ける。
俺が興味深そうに見上げていたのに気がついたのだろう。イリアは盤に掲げていた機械を、今度は俺によく見せるように差し出してきた。
「これはポケナビって言ってね、中には私の個人情報が保存されてるの。これがなきゃこの扉は開かないんだよ。私の家って実は人間にとっては結構重要な施設だったりもするから、こうやって特定の人間しか入れないように徹底してるんだ」
「ポケナビ……ゲームでもあったな、そんなの」
「えへへ、まぁ、ポケナビって名前だったのは初代だけで、最新機種のこれのほんとの名前はポケナビじゃないんだけどね。でも初代の呼び方が馴染み深いから、どんな人の間でもポケナビって呼ばれてるんだ」
要するに携帯電話みたいなものなんだろう。ただ個人情報が内包されてるだけなわけがないし、地図だとかいろいろ便利な機能もあるに違いない。
もしかしたら、ポケモン図鑑の機能だってあるのかもしれない。仮にあるとすると……もう、その機能はユクシーに向けられたのだろうか。
ユクシーの名前を知っていてメロンパンなんて呼ぶはずがないから、おそらくは試していないか、試した上でわからなかったか。イリアは俺に会った時も試そうとしなかったので、どちらかなのかは本当にわからない。
こういう時にイリアと会話さえできればいいのだが……いや、イリアとできなくても、その状況を知っているポケモンがここにはいるじゃないか。
「なぁ。ちょっといいか、ププリン」
ジムの居住スペースの中に入り、イリアの隣を歩きながら、その腕に抱かれているププリンを見上げた。
「ケチート? どうかしたのです?」
「さっきイリアがポケナビがどうこうって言ってたけど、ポケナビにはポケモン図鑑の機能があるんじゃないか? それってユクシーに試してみたりしたのか?」
「ああ! それですか! もちろん試してみたのですよ? 炎を操ることが得意なポケモンだったら料理人など、ポケモンの性質がわかればどんな人が飼い主なのかとかある程度確率の高い推測ができるようになるものですから! まぁ、メロンパンの探し人はポケモンだったのですけど」
試してみたのか。それで、結果はどうだった?
そう問いかけようとしたが、言いたいことはわかっていると言わんばかりに、ププリンはそのまま言葉を続けてくれた。
「図鑑をそこのメロンパンに向けてみた結果なのですけど、ずばり『未確認』! でした! つまりですね、要するになにもわからなかったということなのです!」
「未確認……そうか」
それが聞けて、ほっとした。
さっきイリアのポケナビは最新機種だと言っていた。それでユクシーの正体がわからなかったということは、どんな図鑑をかざしたところで無駄に違いないはずだ。
「ケチートはある程度ポケモン図鑑について知っているみたいですが、そもそもですね。ポケモン図鑑は初め、まっさらな状態から始まるのです」
「あぁ、それは知ってる。いろんなポケモンに図鑑を向けたり捕まえたりして、それで項目を埋めてくんだろ?」
「その通りなのです! でもそれは、あくまで『ポケモン図鑑の製作者が用意した説明文が解除される』だけなのです」
「……なるほど。ユクシーはその製作者とやらが観測できていない、少しも研究できていないポケモン。だからなにもわからない
「ざっつらいとなのです!」
この世界は確かにポケモンの世界ではあるが、ゲームのそれとはやはり少し違うようだ。
ゲームあれば、たとえ伝説のポケモンであろうと情報が解禁される。捕まえなければ名前くらいしかわからないけれど、この世界ではそれすらないらしい。
いや、そもそも見たこともない伝承にしかいないポケモンを、実物をただ捉えるだけで解析しろという方が無理な話か。この世界が現実だということを、俺は今一度認識し直すべきだ。
「教えてくれて助かった。ありがと、ププリン」
「いえいえなのですー」
そうこうしているうちに、イリアの案内で居間だという場所のすぐ前までたどりついていた。
イリアが扉を開けると、途端にその顔が喜色満面に変わった。
「おねえちゃーん! ただいまー!」
「ただいまなのです!」
この居住スペースに入った時からそうだったが、居間だというこの場所は、前の世界での一般的な家庭のそれとまったく相違なかった。
シックなデザインの絨毯が敷いてあり、広々としたスペースには四人用のイスと机が置いてある。部屋の端にはテレビや観葉植物があり、柔らかそうなソファやクッション、毛布などが転がっていた。
この空間は台所とつながっているようで、視線を横に向ければ、さまざまな食器を飾った食器棚や水道、電子レンジなど、生活に欠かせない定番の家具や器具が目に入る。
その台所で包丁を片手に野菜を切っていた一人の女性が、イリアとププリンの元気な声に反応して顔を上げた。
「あ、おかえりなさい二人とも。イリア、今日はずいぶんと遅かったわねー、って、あれ? なんでそんな黒焦げに……それに、その子たちは?」
「く、黒焦げなのは気にしないで?」
ブロンド色のロングヘアに、どことなく無邪気な雰囲気をたたえた桃色の瞳。背や体格の違いはあれど、顔の作りはイリアとよく似ていて、一目で二人が姉妹だとわかるほどだ。
その女性の視線が俺とユクシーに向けられたのを感じて、ぺこり、と頭を下げた。
「えっとねおねえちゃん、こっちはケチートで、上に乗ってるのがメロンパンちゃんだよ!」
「……いや、うん。それでいいけどさ」
なにか釈然としない気持ちになってしまうのはしかたがないことだろう。
「二人ともその、ちょっといろいろ事情があるみたいでね。もうこんな時間でもあるでしょ? うちで泊めてあげようと思って」
「あぁ、そういうことね。私はてっきりイリアがいつものハイテンションに任せて無理矢理お持ち帰りしてきたのかと」
「私はそんなことしないよっ! もう、お姉ちゃんったらー」
いや半分くらい合ってるぞ。
「それで、その子たちが……」
イリアの姉だという人物は料理の手を止めて、俺の方に歩いてくる。
おとなしくその場で立ち止まったまま待っていると、イリアの姉は俺の前でしゃがみ込み、俺とユクシーに目線を合わせてきた。
「二人とも、初めまして、だね。私はイリアの姉で、フィリアって言うの。よろしくね」
「あ、はい。よろしくお願いします。俺はクチートで、こっちはユクシーです」
俺の言葉はわからないだろうが、きちんと言葉にして、もう一度軽く頭も下げておく。前の世界での俺の年齢からしても年上なので、敬語にもしておいた。
俺が挨拶を返したことは伝わってくれたようだ。フィリアと名乗った女性は、イリアのそれと似た無邪気さを前面に押し出した満面の笑みを浮かべる。
「うん。イリアは変な呼び方をしてたけど、あなたはケチートじゃなくてクチートだね。その上の子は……うーん。間違いなくメロンパンじゃないのはわかるんだけど……」
フィリアはクチートというポケモンのことを、イリアと違ってきちんと知っているようだった。
よかった。イリアもププリンもケチートとしか呼んでくれないし、ユクシーはそもそもしゃべらないしで、このままずっと正式名称で呼ばれなかったらどうしようと思っていたところだ。
俺がしょうもないことでフィリアへ割と高い好感度を覚えている間に、ふとユクシーが片方の手を明後日の方向へ向けていることに気がついた。
どうかしたのか、と問いかけようとした時に、それは巻き起こる。
ユクシーの手が向いていた方向にあった机の上から、メモ帳とペンがふわりと浮き上がる。イリアやフィリア、ププリンもそれに気がついたようで、皆の視線が集まっているそれらは、ふよふよとゆっくりユクシーに近づいてくる。
そしてメモ帳とペンがユクシーのすぐそばまで来ると、ユクシーは勢いよく片手をぐるんぐるん動かし始めた。それに呼応してペンがひとりでにメモ帳になにかを書き込み始める。
「これは……名前かしら。もしかして、あなたのお名前?」
フィリアの疑問に、ユクシーがぶんぶんと首を縦に振って『そうだよ!』と肯定する。
正直なところ、このアホユクシーが文字をご存知だったことに驚愕の念を隠し切れないのだが、そういえばユクシーって知識の神だったなと今更ながら思い出す。いつもはどちらかと言うと恥識の神だからすっかり忘れていた。知識の神なら人間が使う文字を知ってても不思議じゃない。
……なんかすごい集中線が引いてあるのが気になるが。
「えっと……うーん」
メモ帳に書かれたものがユクシーの名前だと見抜いたフィリアだったが、しばらくすると困ったように眉をしかめ出した。
ちなみに俺はこの世界の文字は読めない。街中を歩いている時にこの世界の字を目にする機会があったが、なんか古代文字みたいだなーと言った感じでまったく読み取れなかった。
とは言え、ユクシーが書いたこれはこれまで見てきたその文字に似た感じに見えるが……フィリアはなぜこんな反応なのだろう。
「ごめんね、その……ちょっと字が下手すぎて、読めないや」
あぁ、そういうことか。
がーんっ、なんて擬音が聞こえそうなくらいユクシーがショックを受けていたが、逆に俺はちょっぴり安心していた。
どこかで抜けてるからこそのユクシークオリティだ。なんか変な安心の仕方だが。
「お姉ちゃん、私にも見せて見せてー!」
「いいけど……イリア読めるの?」
「ふっふっふ、お姉ちゃんはこんな言葉を知ってるかな? 百聞は一見にしかず!」
「知ってるけどそれここで使うような意味のことわざじゃないわよ」
フィリアに代わってイリアがメモ帳の字を注視すると、ほうほう、なんてわかったような声を出し始めた。
「イリア、もしかして読めたの?」
「もちろんだよ! なんたって百聞は一見にしかってるからね!」
「読めてるふりじゃなくて?」
「ちゃ、ちゃんと読めてるよっ! もう、少しは妹を信頼してー!」
百聞は一見にしかずって、イリアの中では『とりあえず見ればわかるかもしれない』って感じの意味なんだろうなってことはなんとなくわかった。
イリアは膝をつき、未だショックが抜け切れず項垂れているユクシーと目線を合わせると、自信満々そうに無邪気な笑顔を浮かべた。
「あなたは『コワツー』だよね! 私はちゃんと読めたよ!」
……似てるけど読めてないぞ。
ユクシーはイリアの発言に絶望したかのように、ぺたんっと大顎から滑り落ちた。そしてすぐに起き上がると、『クチートぉ、なぐさめてぇー!』って感じに胸の中に泣きついてきた。とりあえずよしよしと背中をさすってあげる。
ユクシーを通じた筆談で人間と擬似的に会話できるかもしれないなんてちょっぴりだけ思ってもいたのだが、うん、これ無理だな。しょせん『ゆびをふる』並みに淡い希望だったか。
「あ、あれ? 違った?」
「メロンパン、元気出すのですー。あれだけ字が下手なのは、むしろもはや才能の域なのですよー」
「ププリン、それフォローじゃなくてトドメだ」
ユクシーはもう『クチートだけがわたしの味方なんだぁー!』って感じにぎゅっと抱きついて離してくれない。なんか、ここで頭でも撫でてやればさらに好感度が上がりそうだな。言っちゃなんだけど、ちょろい。
結局、フィリアに文字盤を作ってもらって、一つ一つの文字をユクシーに指し示してもらうことで、イリアたちに俺とユクシーの正しい名前を覚えてもらうことに成功した。
ちなみに文字を指差して名前を伝える時、文字を指し示せるのはユクシーしかいないとか言ってやったら、落ち込んでいたのもどこへやら、ものすごいドヤ顔で頑張ってくれたりもして。
『えっへん、これがわたしの真の実力なのだ!』と褒めてほしそうに胸を張るユクシーを眺めて、あいかわらずちょろいなぁ、と俺は内心呆れていた。