東方月紅夜~Guardian of sorrow spirit~ 作:酔歌
Google+で連載していた「東方月紅夜 第二話」の内容をほぼそのまま投稿しています。
ゆっくりと瞼を開けば、布団の中だった。ほのかに薬香のようなにおいと、目の前の襖から零れた日光が、不思議と眼を癒してくれた。体をゆっくりと起こせば、布団が和室の隅にあることに気付いた。五分くらい瞬きと欠伸を繰り返していると、ただ一言だけが浮かんだ。
「ここ、何所だ」
なんだか意識がふわふわしていたから、一度立ち上がった。すると、何故か紫色よりも少し濃い、言うなれば色の長髪が顔を包んだ。訳が分からず、脊髄反射で謎の髪をかき上げたところで、ようやく感づいた。これは〈俺の髪の毛〉だと。
翌々思い返してみれば「ここ、何所だ」の一言の時点で、声色が全く違っていることに驚くべきだろう。腕を触り、首を撫で、頬をつねったところで、扉が開き女性が入ってきた。どこかで見たことのあるような服装。紅白入り乱れた色相で構成されたその服は、どこか民族的で、どこか佳愛らしかった。
「あ、起きたのね」
そういうと見知らぬ彼女は湯呑を、部屋中央に設置されている背の低い机の上に置いた。
「えっと……」
「博麗霊夢。この神社の巫女よ」
作り笑いのような笑顔には、どこか悪童の心情が混濁しているように思えた。
とにかくここが神社だということが分かったが、博麗の神社なんて聞いたことも見たこともないから、尋ねようと思った、が、そもそも自分の正体すら掌握できていないから、言葉に詰まった。
「えっと……貴女の名前を教えてくれるかしら」
少し俯いて必死に自分の名前を探した。だが、いくら深い深い脳の海を潜っても、自分の名前が出てこなかった。ただ、たった三つの言葉だけが浮かんできた。偽名ではあるが、自分の名前はそれにしておくことにしようか。
「ひ、ヒナギです」
「ヒナギ……ね。まあ初対面だもの」
ファーストネームで言ったつもりだが、苗字のみだと取ったらしく、少し落胆の表情を見せた。なので、小声で「ごめんなさい」と補った。すると彼女は、初対面相手だと思えないようなことを言った。
「敬語禁止。今から友人。その方がヒナギにとっても私にとっても、話しやすいわ」
何とも言えないが、妙に馴れ馴れしいと思った。ひとまず何を質問しようか考えた。今不思議に思っていることは大体……三つか。異様に長い髪。聞いたこともないような、俺にとって異様に甲高い声。そして、さっきから左腕に抱えた違和感――布団から起き上がって始めて目視できたが、包帯が二~三周巻かれている――この三怪のうちどれを話そうか。
考える時間なんてそうそうないから、とりあえず左腕の包帯のことについて聞くことにした。
「じゃあ、れ、霊夢。この包帯って……」
霊夢が目を丸くした。
「ああそれ…………貴方を医者を連れて行ったのよ。そうしたら左腕と右足に…………切り傷。切り傷があったのよ」
霊夢は時々言葉に詰まりながら回答した。俺の気を使ってくれているのだろうか。
「傷が深かったから、貧血の強めのやつが起こったのよ。そう医者が言っていたわ」
霊夢はそういうと、茶を一口含んだ。
「……そうだったのか」
彼女が立ち上がり、襖へ向かった。
「それじゃ、私は行かないというか余計というか。そんな一言を追加した。
「夏だから暑いけど」
そういうと彼女は外へ出た。障子から見える影がスッと外へ消えていった。とりあえず腕を挙げ、凝った肩を伸ばした。茶を飲んだら部屋を見渡し、衣服を探した。外に出るとしても、この寝間着ではどうしようもないだろう。探すと、机の後方に箪笥があることに気が付いた。恐る恐る引いてみると、たった一つの衣服のセットが折りたたまれていた。
着替えてみると、薄朱色のオーバーオールのような服とスカートのセットのようで、襟が付いていた。神社にあるまじき服装のようではあるが、由緒正しい制服のようにも感じた。ひとまずそれに着替えることで、俺の外出は可能になった。
神社の賽銭箱付近の階段まで廊下を歩き、綱を潜ると柱に大きな箒が寄りかかっていた。だけれどそんなことには目もくれず、出てきた言葉はやっぱり「何所だ、ここ」だった。ここは神社だから、当然鳥居から本殿への道のりは人道となっているが、それ以外は辺りを見渡してみたって、あるのは草木が漂っているだけ。ただ、俺には見たことのない異様な空間だったから、突っ立っていた。突っ立っていたら鳥居の中から妙にデカい帽子が一つ、ひょこっと顔を出したと思ったら、も一つ顔を、いや本当の顔を見せた。黒と白を織り交ぜた、霊夢の赤白と対をなすような白黒の、金髪の少女だった。彼女は真っ先に本殿入り口まで向かってくるかと思ったら、大声で叫んだ。
「おい! 霊夢! 箒返せ!」
衝撃にあっけをとられ、俺は少し距離を置いた。だがその数秒後に、柱に大箒が立てかけられていることに気付き「あっ箒」とあほを出した。
霊夢は今、ここにいない。だからそれを伝えないといけないから、弁解をした。
「あ、霊夢は今、いない」
彼女はまた「なんだ」というような顔をしたと同時に、「なんだ」と言った。
「……ところでお前、誰? 見たことのない顔だけど、ここら辺の奴じゃないな」
「ここら辺の奴というか……」
言葉に詰まりそうになったが、これは説明することを余儀なくされた。露出した廊下に座り、ここまでの出来事を話した。霊夢が知っているかは分からないが、彼女には記憶がないことを伝えた。特に意味はないが。
「時々そういう奴いるからな。大抵は無法者になってどっかの家の築地の下で死んでるんだけど」
「築地の下?」
「そう。前、香霖堂……って言っても分からないか。よくわからない物ばっかり売っている、古本屋みたいな外見の売店があるんだけど、そこで『羅生門』って本が売ってたんだ。その本の一節に「築地の下で死ぬ」って表現が出てくるんだ」
彼女は無駄にぺらぺらと自慢のように話し始めた。聞いたこともないような本の名前と、ただ聞いたことを伝えているきくらげのようなことばかり話していた。
「貴女はレアだね。霊夢に助けられて。ある意味名前以外知らないのもレアだけど」
本の話は嫌いではない。記憶の片鱗にはその経験が焼き付いているのかもしれないが、今は何とも言えない。ただ、その自慢話を永遠と聞いている自信はなく、俺は名前を訪ねてみることにした。
「あ、私は霧雨魔理沙だぜ」
妙に男らしい口調で話していた彼女こと霧雨魔理沙は、話をよく聞いてみると「魔法使い」だという。驚くというか呆気に囚われるというか、そんな気分は、なぜか起こらなかった。
「俺はヒナギ……としか覚えていない」
「まあそう卑屈になるなって。そのうちパッと思い出すさ」
霧雨魔理沙とは妙に話しやすい印象を持つ。彼女が男らしい口調だから、俺と同じような境遇を再現しているような気がするのだ。
「……ありがとう。男なのに、少女に慰められていたら格好悪いよな」
彼女はなぜか十秒ほど沈黙した。
「ん? 待てよ。お前男だろ?」
「えっ。いや。男だけど」
すぐに勘違いの要因に気が付いた。今、心は男で、体は女になっているわけだ。だから、魔理沙にとって俺は女で、俺にとっては男なわけだ。
「……やっぱり、女に見える?」
「女にしか見えないぜ……すっごい衝撃」
魔理沙が顔を近づけて見詰め、その後ニヤッと笑った。
「お前本当に男かよ」
手を叩きながら笑われ小恥ずかしくなり、手を少し上げ反論した。
「俺は男だ。勘違いするな」
その言葉は褒めているのかけなしているのかよくわからなかった微赤面した顔を手で覆い、小さくため息をついた。
「いや失敬失敬。私には小股の切れ上がった女に見えたのさ。ところで、どこで寝泊まりするつもりなんだ?」
「ここらあたりに宿泊できる場所はないのか? 神社があるなら人里もあるだろうし」
「あるにはあるが、いっその事霊夢に泊めてもらうのはどうだ?あれでも優しいやつだぜ」
「巫女が、自称雄の色女を泊めると思うか?」
魔理沙が両腕を曲げ、「無いな」と続けオチが付いた。だけれど俺は苦笑いするしかできなかった。