No.1 日は高くも月は低く
息が白い。
走っているのに、肺の奥が冷たくて、酸素が足りない。
――急がないと。
理由が分からない。
でも「遅れたら終わる」だけは、骨の髄まで染みついている。
視界の端で、誰かが笑った気がした。
可愛い声だった。何かを見送る声。
振り向いたのに、そこには誰もいない。
代わりに、雨音だけが残っていた。
*
道が塞がっている。
暗い森の入口で、獣の目がいくつも光っていた。
「どうして、こんな――」
言葉が途中で切れた。
耳の奥がキィンと鳴って、吐き気がこみ上げる。
遠くで、何かが“鳴った”。
鈴にも似て、でも鈴ではなくて。
誰かが呼ぶような、機械が命令するような、嫌な音。
獣たちが一斉に動く。
俺は走る。
足場の悪い森を、息を引き裂きながら。
*
白い煙が見えた。
焦げた匂いが喉にまとわりついて、咳が止まらない。
――建物が燃えている。
眩しい。熱い。
炎の向こうで人が叫んでいる。
避難している人々の顔が、恐怖で歪んでいる。
俺は中へ入ろうとして、誰かに止められた。
でも止まれない。
何かを探している。
名前を呼んでいる。
その名前が口から出そうになるたびに、舌が凍って出てこない。
*
割れる音。
銃声。
金属が叩きつけられる音。
誰かが「外だ!」と叫んだ。
俺はテラスへ出る。
そこにいたのは――
ひとり、立っている人。
その後ろに、怯えている小さな影。
そして、フェンスに縋りつくように、もうひとつの影。
魔獣の群れ。
俺は叫んだ。
声がひび割れて、喉が痛い。
走る。
殴る。
撃つ。
踏み込む。
間に合え、間に合え、間に合え。
*
助け出した。
……助け出したはずだった。
腕の中に、ずっしりとした重さがある。
熱を奪われたように、冷たくて。
呼びかけても、返事がない。
揺らしても、返事がない。
「おい……」
目の前が滲んだ。
拳が震えて、床を叩いた。
硬い音だけが返ってくる。
誰かが俺の名前を呼んだ。
止める声だった。
でも止まれない。
認めたくない。
*
霧の中を、俺はまた走っている。
足元が見えない。
前も見えない。
それでも走る。
何かを取り戻すために。
何かを、見つけるために。
……見つけないといけない。
ミツケテ
ワタシヲミツケテ
「…ハッ!……?…夢…か?」
そこで、目が覚めた。
心臓が痛いほど鳴っていて、手のひらが汗で濡れていた。
夢だったはずなのに――
焦げた匂いだけが、まだ鼻の奥に残っていた。窓から照りつける日差しが顔にあたりとっさに腕で覆った。
遮った暗闇の中、ロイドは自分の状況を思い出した。そうだ、疲れから来る眠気が温かな日差しで後押しされて、寝てしまったのか。
「あんた、大丈夫かい?」
「ずいぶんと魘されておったようじゃが…」
「えっと、あーうん。すみません大丈夫です」
順応した目を対面に向ける。クロスベル行の列車に乗った際に偶々対面席だった老夫婦だ。
「あなた、悪夢でも見ていたかのようにうなされていたわよ?」
「ああ、座席から落ちないか少し心配したぞ」
「悪夢……?」
確かに、夢をみていたような…だめだ、思い出せない、何か大切な何かを見ていたような…。
「大丈夫かい?そうだ、これをお飲み美味しいから」
「おお、婆さんの作るレモネードは格別じゃぞ、冷やしておったから眠気にも良く効くじゃろう」
「あっ、どうもいただきます」
慌てて受けとったコップの中身を口に含む。冷たい感覚が口の中で広がる。その冷たさに頭も冷え、少し感じた眠気も吹き飛びスッキリと出来た。
「…ふぅ、ありがとうございました。おいしかったです」
「フフッ、それは良かったわ」
「そうじゃ、お前さんは帝国人には見えんがクロスベル出身なのかね?」
「はい、用事があってしばらく外国で暮らしていたんだけど、クロスベルの方に戻ることになって」
3年前のあの後から叔父の家で暮らしながら警察学校に行き、警察官になるために動いていた。そして、クロスベルでの配属が決定した事で3年振りに故郷に帰って来た。
「ムム、そうか、ならば今のクロスベルの状況を見たら驚くかもしれんな」
「ええ、此処2〜3年で急速に変わって来ましたものね」
「外国にいても《クロスベルタイムズ》は取り寄せたり、何度か列車で通り過ぎる時に見たりしたけどやはりですか」
「うむ、《クロスベルタイムズ》を読んどったのならわかるかもしれんが、元々貿易がさかんな州だったクロスベルに隣国共の進出が此処数年で盛んになったのだ。《クロスベルタイムズ》も良い記事を書くのだがな、政治問題には深くまで切り込んでくれんのじゃ」
「そうだったんですか……」
「もう、お爺さん!そろそろやめましょう。…ごめんなさいね、この人政治に少しうるさいのよ」
「いえ、勉強になりますので」
ふと、時計を見る。それなりに眠っていたようで到着時刻はもうすぐだった。久しぶりのクロスベルはもうすぐだ。
セシル姉やエルからクロスベルの状況だったりを聞いていたが、問題視される事も多く有るみたいだな。兄貴、3年で自分なりに出来る事をやって来たよ。兄貴が生きてた頃よりもクロスベルは変わったかもしれないけど、俺は兄貴みたいにやってみせるよ。だから、しっかりと見ていてくれ。
~クロスベル市・駅前通り~
「やっぱり変わったな、この景色も……」
3年前と見る角度は変わらないはずなのに、見える景色に面影はあれどまるで別の所にいる感じがする。道を歩く人の数も前と比べ数倍に増えていそうだ。
「そうじゃろ?高層の建物も増えて、ずいぶんと厳つい感じになった」
「それに、ほら、車も増えたんですよ」
お婆さんの指す方には、立派なエンブレムを輝かせた車が何台も往来していた。
「うん、前の時は此処まででは無かったな」
「帝国人が増えて、帝国の車が我が物顔で往来しとるとも言われておるな」
「お爺さん、そんな刺々しく言う物では無いですよ」
「じゃがの…」
「はいはい、ロイドさんもこの後予定が有るのでしょう?此処で立ち止まるよりも歩きましょう?」
「あ、はい、そうですね!」
お婆さんに急かされる形で、俺と老夫婦は中央広場に向かう。この後の予定時刻は14時で、今は13時だ。予定ではもう少し早い時間だったが、途中の列車にてトラブルが有り時間がずれてしまったが、まだ許容範囲内だ。
~クロスベル市・中央広場~
「中央広場もずいぶん様変わりしたなぁ。前は此処もこんなに車が走っていなかったのに」
「そうじゃろ、最近ではそれも少し問題視されておっての。ほれ、此処が広いと言っても車との距離が近いじゃろ?それに車の方も減速なぞそうせんからの、子供達なんかがぶつかりそうにもなった事が有るのじゃよ」
確かに、車の通り道と人の歩く場所は分けられているように見えるが、それでも車と人の距離が近い。子供やご老人が歩くには危険に感じられる。
「そんな、警察は?速度の規制なんかはされたんじゃ」
「…一応の注意喚起は行っていたの。あまり効果も無いようじゃがな」
「そうですね、最近では帝国の車を取り締まっている姿も見てませんね」
「そうなんですか!?」
「そうじゃな、遊撃手もそこの所に深くは踏み込まんからの、警察にはしっかりとしてほしいものじゃな」
…兄貴の頃に比べて、街だけじゃなく組織にも変化があったのだろうか。俺はこれからに少しの不安を感じた。
その後、老夫婦は東通りに向かうとの事で俺は西通りに向かう為、別れる事になった。老夫婦は東通りに住んでいるとの事なので落ち着いたら伺おうと心に決め、俺と同い年だと昔言われた鐘を横目に歩き出した。
~クロスベル市・西通り~
「個々は住宅の数が増えてるな」
広場からそのまま歩き、西通りに到着する。西通りはあまり目立った変化はないが、道に連なる建物の数が増えている様に感じた。
「ん?…おっ!ロイドじゃないか!」
「えっ?」
歩いていると突然後ろから声をかけられた。振り向くと、エプロンを来た青年が箒を片手に此方に手を降っていた。
「……オスカーか?」
「おう、久しぶりだな」
声をかけて来たのは幼馴染のオスカーだった。以前の姿から背も伸びていて、すぐには気が付かなかった。
「久しぶりだな、……もしかして、オスカーの後ろのお店って」
「おう、俺の店だ!」
そこには『ベーカリーカフェ《モルジュ》』と書かれた店があった。思えば微かに美味しそうな匂いが漂っていた。
「また、買いに来いよ。割引位してやるよ」
「ああ、また来るよ」
少し背を伸ばしていた親友に別れを告げ、再び歩き出した。西通りでの目的は本来はこちらだった。オスカーの店を過ぎて『アパルトヘイト《ベルハイム》』に向かった。
「個々は変わりないな」
3年前のままの姿に少し心が落ち着く物がある。変わらない通路を進み、階段を下りて突き当たりのドアの前で止まった。
「……」
トントンっとドアを小突き、ドアの前で待った。
「はい?…あらまあ、ロイド君、帰ってきたのね」
「はい、お久しぶりですレイテおばさん」
久しぶりのレイテさんは相変わらず元気そうだ。
「フフ、そうね3年前ですものね。あなた〜ロイド君が帰ってきたわよ〜」
レイテさんがマインズさんを呼びながら部屋に戻って行った。その後、マイルズさんを連れて戻って来た。
「おお、おかえりロイド君」
「はい、ただいまです。お二人共元気そうで良かった」
「フフ、ロイド君も元気そうで何よりよ」
元気そうな二人に部屋の中に導かれ、俺は久方ぶりのノイエス家に足を踏み入れた。3年前に比べて導力機器が増えてはいるが匂いや雰囲気は変わっていない、懐かしいあの頃のノイエス家だった。
「向こうでも元気に過ごしていたのかね?」
「はい、叔父さんにも良くして貰いましたから」
「良かった、ガイ君の事もあったし、心配してたのよ。…でも、立派になったはね。3年前に比べて、背も伸びて」
「そうだな、あの頃から大人びた子だったが、更に立派に大きくなった」
「ハハ、なんだか恥ずかしいですね。…ええ、警察学校に入ってからみっちりと絞られましたから」
「フフ、エルちゃんが嫉妬しちゃうわね」
「…?」
「まあ、エルもあれで成長しているからな」
「そうですね…」
その後も十分程話を続け、3年の間の話を聞いたり話たりした。
「そういえば、警察では何処の部署に配属になったんだい?」
「えっと、ですね……」
マイルズさんからそう聞かれて、俺は懐にしまっていた1枚の封書を取り出した。
ーロイド・バニングス殿ー
クロスベル警察本部、特務支援課への配属を命ずる。指定の日時に警察本部へ出頭せよ。
ークロスベル警察・人事課ー
警察学校を卒業する俺に届いたこの封書、最初はクロスベルでの勤務に喜んだのだが、特務支援課という聞き慣れない部署についての疑問が尽きず、どうにも喜び切れない物だった。
「ふむ、特務支援課か、…私も聞かない部署だな。図書の記録にも無かったと思う」
「そうね、私も聞いた事は無いわね。ガイ君からもそんな話聞いて無いわ」
「…そうですか、警察学校のカリキュラムでも聞かない名前だったので、気になっていたんですが、……クロスベルでも聞かないのか」
「…まあ、せっかく帰って来たんだ、暗い気持ちで行くよりも新しい部署なんだ位の明るい気持ちで行った方がいいだろう」
「……そうですね、そう思う事にします」
「あら、ずいぶん話こんでしまったわね、時間は大丈夫かしら?」
レイテおばさんの発言でとけいを確認すると、13時半になる位だった。そろそろ、急いだ方が良いだろうか。
「そうですね、そろそろ行こうと思います」
「ああ、初日から遅刻は大変だ」
「気をつけて行ってらっしゃい」
「はい、行ってきます」
「ええ、今度は食事会でも開きましょう」
「仕事、気をつけてな」
「はい」
二人に見送られ、俺は《ベルハイム》を出て住宅街に向かった。
~クロスベル市・住宅街~
クロスベル警察本部のある行政区に向かう為、途中に住宅街を経由する際に、その街並みの変化が目に入った。
「ここも変わっているか」
人の入れ替えがあったのか、雰囲気が少し違っていた。歩いている横を様々な人とすれ違ったが、帝国や共和国などの人も住んでいるようだ。
「……あっという間だったか」
時計をみると針が40分を指していた。おばさん達との話が長かったのかなと思いもしたが後悔はしていない。ただ、予定としては少し見積もりが甘かったかもしれない。
「大聖堂に行こうと思ってたんだけどなぁ」
これから大聖堂に行って、警察本部に行くでは少し時間が足りない。
「…また、今度行こうか」
教会の建物を少し見て、歓楽街に向かった。
~クロスベル市・歓楽街~
「ここは華やかになったな」
カジノやホテルが並び、歓楽街という名前にふさわしい賑わいを見せていた。
「前から賑やかだったけど凄いな」
一番賑わっていたのは目の前のアルカンシェルだった。警察学校でも噂を聞ける位なので相当だとは思っていた。けれど実物を見ると改めて圧倒される気分だった。
「本番の公演は見た事は無んだよな、それは凄いんだろうなぁ。エルと兄貴は見たことあるんだっけか、自慢してたな」
感想はすごかった、らしい。エルの語彙に期待してはいないけど兄貴も似たような感想だった。セシル姉はそれに微笑みながらキラキラしていたと残している。
~クロスベル市・行政区~
「さて、ここか…。」
歓楽街を抜けた先には行政区、そして警察本部がある。今日から俺が働く所であり、兄貴のいた場所。
「…良し、初出勤と行きますか!」
自然と拳を握り、気合いを入れた。一度の深呼吸の後、本部のドアを手で押した。
所内は少し固い雰囲気を出しているが、人は少なかった。目の前のカウンターに座っている女性と奥に一人いるだけだった。とりあえず、受付嬢らしき女性に話かけた。
「こんにちはー。ようこそクロスベル警察へ。本日はどのようなご要件で?」
「あ、いや、……今日から此処で働かせて貰うロイド・バニングスです。宜しくお願いします」
「あ、そうだったんですか。……ロイドさん。……ロイドさん」
「えっと、どうかしましたか?」
名前を聞いた受付嬢がいきなり眉を潜め考え出した。俺の名前をつぶやいているが、何かやらかしただろうか?少しして、受付嬢は顔を上げた。
「あっ、ロイドさんって、もしやお姉ちゃんが――」
「おー来たか」
何かに気がついた様子の彼女が話している時に、ひとりの男性が話に割り込んできた。
「あーこいつは俺が連れてくわ」
「――言ってって、あ、セルゲイ警部。……わかりました。では、彼に着いて行ってっちゃってください!」
「え゛っ?」
突然の事に驚き変な声がでた。
「ほらいくぞ、何呆けてる」
「えっ?は、はい」
驚いてる間に男性は歩いていた。慌てて男性の後に着いて奥に向かった。
「ここだ、入るぞ」
男は無言でしばらく歩き、一つの部屋の前で止まった。どうも此処は、会議室のようだ。
「おう、最後の一人が揃ったぞ」
遠慮なくドアを開け、男は中に入る。行為を見つつ後に続いて、中に入ると様々な背丈の3人の男女がいた。
「よう、遅かったな待ってたぜ」
机に足を載っけていた背丈の高い男が足を下ろし、手を上げながらこちらに声をかけてきた。
「お前が早いだけだ」
「前の所から近いのが悪い」
男の軽口に男はつっこんだが男は軽く返すだけだった。。
「……」
「……」
女性2人は先ほどから何も喋らないが呆れているのが何となくわかった。
「まあ、いい。ロイド、空いてるとこに座れ」
「はい」
着席すると男性はボードの前に立ち、話出した。
「よし、じゃあまあ、お前ら自己紹介しとけ、最初はロイドからな」
「はい」
いきなりな指名だったが、大切な事の為しっかりやろうと、ボードの前に行こうとしたが、男性にその場でしろと言われたので、席を立ち自己紹介をはじめた。
「俺の名前はロイド。ロイド・バニングスです。」
やり直して、やり直した、少女は
「……ゥ」
真夜中でも光が消え無いクロスベル市を見下ろす影は闇に紛れるように消えていった。
「此処がクロスベルね!ようやくついたわ」
「エステル、あまり大きな声を出さないで」
「何によぉ、文句あるわけ?ヨシュア」
「いや、周りの人に迷惑だからね」
旅行鞄を手に持った二人組は言い争いながら歩いて行った。
「個々が、クロスベル…」
「私は《銀》これも仕事…」
夜のとばりに包まれるクロスベル、集まりつつあるこのクロスベル市にまた、1人訪れた。見ていたのは空に浮かぶ低い月のみ……。
導かれた風はクロスベルに何を運んだのか、それを知る者はまだ目覚めていない。