☆おそ松さん、妹設定
〜プロローグ〜
松野松莉は、松野家の長女である。
といっても、末っ子長女というもので。
「松莉ー、お馬さん見に行こうぜー!」
満面の笑顔で現れたのは、兄のおそ松。
「見に行くんじゃなくて、賭けに行く、でしょ?」
苦笑いで返したところに、気取った声が割り込んだ。
「ヘイ、マイリトルシスター、二人で空に近付かないか?」
サングラスをかけたもう一人の兄が柱にもたれて立っている。ギターを抱えているのを見れば、今の言葉の直訳は「一緒に屋根に登って歌おう」が正解だろう。
「カラ松兄さん…」
どうして自分の顔がデカデカとプリントされたタンクトップなんか着てるの。という間もなく、
「松莉、ハローワークに付き合ってくれない?」
一見真面目そうな、でも先の二人とほぼ同じ顔の、これまた兄が顔を出した。自意識がライジングしている。
「……」
気が付けば部屋の片隅で膝を抱えている、ぼさぼさ頭の兄。そうかと思えば、
「松莉ぃー、キャッチボールしよう!」
キャッチボールと言いつつバットを担いでハッスルハッスルしている兄も出てきた。
「松莉ちゃん、パンケーキ食べに行かない?」
最後の兄が顔を出した。トド松の笑顔はしかし、他の兄たちがいるのに気付くとあからさまに曇ってしまう。
「なんだ、みんないたの?」
「さっきまでは私一人だったんだけど」
松莉も部屋を見渡して苦笑いする。あっという間に人口密度が異常に高くなってしまった。
「松莉ちゃん、僕と出かけようよ」
「いやいや、松莉はこの俺とだな…」
「マッスルマッスルー!」
迫ってくる、兄の顔×6。
そう、松莉の兄は六つ子の兄弟。
困ったことに全員ニートの、ダメな成人たち……。
だけど妹には甘くて、いつも松莉を巡って?本気のケンカが始まってしまう。
(モテモテだけど……リア充とはいえない、かも……)
殴り合いに発展しそうな6人をなだめつつ、困ってしまうような、でもちょっと嬉しい、そんな松野松莉の日常であった。
〜一松兄さん〜
日に日に凶暴さを増してゆく太陽だが、西に大きく傾いた今時分ならかなりマシだ。
足元はサンダル、ジャージのポケットに手を突っ込んで、背中を丸めたいつものスタイルで気怠く歩いていた四男・一松は、ふと足を止める。
その半開きの目には、川原で猫と遊んでいる、妹の姿が映っていた。
なんて偶然だろう。ここで松莉にばったり会うなんて。しかも猫も一緒とは。
土手を下りて近付くが、こちらに背を向ける位置でしゃがみ込み猫と戯れている松莉は気付いていないようだ。
別に驚かそうというつもりでもなく、何と声をかけるか考えあぐねているうちに、すぐそばまで来ていた。
3人の兄だったならば、もしくは2人の弟でも、躊躇なく大きな声で松莉を呼ぶのだろうけどー。
手を伸ばしかけて、急に触ったりするとびっくりさせるかと躊躇する。口を開きかけたその瞬間に、妹が振り返ったから、一松は無言で口をパクパクさせてしまった。
「一松兄さん」
微笑んで松莉は、振り向きがてら立ち上がった。
「……気付いてないかと思った」
慌てる顔を見られた気恥ずかしさに、斜め下に視線を逸らす。
「うん、気付かなかったよ」
あっけらかんと返して、抱っこした猫に目線を落とす。一松もつられて見た。猫のくせにメガネをかけている。いつものあの猫だった。
「でも、何となく一松兄さんが来るような気がしてた」
猫からの連想なのだろうが、一松には嬉しかった。他の兄弟ではなく、自分を思い出してくれたことが。
口元を緩ませ、猫の頭を撫でる。思い出してジャージのポケットを探ると、くしゃくしゃになった煮干の袋が出てきた。この間、長兄に食べられてしまって以来、隠し持つことにしていたのだ。
松莉と一緒にしゃがみ込むと、手ずから煮干を与えてみる。お腹が空いていたのか、猫は喜んで食いついた。
「良かったねー、おいしいのもらえて!」
猫の頭を撫でる、松莉の白い手。むき出しの腕…。
そろそろと視線を上げ、妹の横顔を盗み見る。
夏の始まりの太陽も、今日はもうじきに姿を隠してしまうだろう。その最後の光を差し込まれて、松莉の背後に広がる川面がちらちら輝いている。まるであまたの鏡のかけらを散らしたみたいに。
そして、松莉の笑顔も光に彩られている。一松は胸の奥からのため息を吐いた…気取られぬよう、ごくごく静かに。
松莉といるのは、楽しいし楽だ。何でも許してくれるし、ペースも分かってくれるし、無言でも空気が重くはならないから。
一松が他人と接するときに壁となることごとくが、松莉との間では溶けてなくなってしまう。それは得がたい幸せだった。
『彼女なんて出来なくてもいい……松莉がいれば』
心のつぶやきのはずが、耳に聞こえた。しかも自分の声ではない。一松は心底おののいて目を見開いた。いつの間にかメガネの猫が膝の上に乗っかっている。
…エスパーニャンコ? 薬はとっくに切れているはずなのに。
それよりも…聞かれてしまった、松莉に。秘めておくべき心の声を。
固まった一松の膝の上から、松莉が猫を抱き上げた。
『私も、彼氏はしばらくいらない』
ニャンコが語る、これは松莉の気持ち。
『だって、お兄ちゃんが6人もいるから』
「……」
目を上げると視線が合って、松莉はにっこり微笑んだ。
一松は微笑み返すなんて器用なことは出来ない。眩しさから目を反らすように再び下を向いてしまう。
「あっ、私、そろそろ行かなきゃ」
いそいそと立ち上がる松莉から、猫を差し出され、戸惑いつつも受け取った。
「バイトか」
「うん。ちょっと暇あったから遊んでたんだけど、いつの間にかこんな時間」
松莉は偉い。実家から大学に通いつつ、アルバイトもしている。自分たちとは大違いだ。
「気をつけてな…終わるころ、迎えに、行くから…」
『夜道を一人で歩かせられないからな』
これは聞かれても大丈夫な本音だ。
松莉を迎えに行く係を巡っては毎回壮絶な争いが繰り広げられるのだが、結局全員でゾロゾロとバイト先まで行くのが常だった。
「ありがと。行ってきまーす」
ひらり手を振り身を返す。そうして松莉は、太陽と反対の方向に軽く駆け出した。
土手を上りきるとそこで振り向き、大きく手を振ってくれる。一松も小さく振り返した。
やがて姿が見えなくなると、なぜだか胸が苦しくなる。
松莉には呆れられて当然だ。こんな兄たちで。特に自分は…人と交われないこんな性格の兄なんて。
それなら軽蔑してくれたらいいのに。虐げ蔑んでくれたらいい。
『そうされたい』
そう、それはむしろ願望。
それなのに、松莉は優しい。さっき一緒に遊んだような、この平穏がとこしえに続けばいいとも思う。
『嫌われたくない』
想いは真逆だが同じ甘さで、同時に一松の胸を満たしてゆく。
そこに何ら矛盾はないのだった。
急に川の音が一段高くなった気がする。周りの風景も少しオレンジ色がかってきた。
背を丸めたまま、猫の頭を撫でる。
『…寂しい』
エスパーニャンコの声は、拾う者もなく足元にこぼれた。
「おーい一松!」
「こんなとこにいたの、一松兄さん!」
「これから飲みに行くよー、早く早く!」
やいのやいの、5人分の声が響く。
「…チッ…」
振り向きもせず、一松はますます背を丸めた。
「いなきゃいいのに、あいつらなんて」
松莉を独り占めできないし、あいつらがいるせいでロクでもない自分でもこのままでいいと思ってしまう。しかも金もないくせに飲みに行くとは(いつものことながら)。
『でも、あいつらがいないとぼくはダメだ…』
はっとして腕の中の猫を見下ろす。本当の心を告げる不思議な生き物を、ぎゅっと抱きしめた。温かさと鼓動が伝わってきて、いつか一松の表情も和らいでいた。
「ヘイブラザー、カモーン!」
これにはちょっと殺意が芽生えたけど。
猫を抱いたまま、のろのろ振り向く。兄弟たちが思い思いに手を振ったり声を出したりしている。
四男はゆっくり土手を上って、兄や弟のもとへ向かった。
今日も酔っ払い6人で松莉を迎えに行くことになりそうだ。