松野松莉の日常   作:かづな

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台風の日

『台風10号は、勢力を増して関東地方に…』

テレビでは黒いコートを着たレポーターが、可哀想なことになりながら決死の中継をしている。

リアルタイムで雨風酷く、松野家もガタピシと今にも倒壊しそうな勢いだ。

「うわー、今光ったよ!」

六男のトド松が、思わずそばにいたすぐ上の兄にしがみつく。

「うぉー、カミナリさんだー!」

十四松は対照的で、普段と違う雰囲気に、興奮気味ではしゃいでいた。

「お前らヘソ隠しとけよー」

長兄が自分の腹をぽんと叩いてニヒヒと笑う。

「停電とかならなきゃいいけど…」

三男チョロ松が心配そうに呟くと、ちょうどゴロゴロゴロ…と激しい雷鳴が轟き、またトド松を怖がらせ、十四松を喜ばせた。

「松莉はまだ帰らないのか…」

次男の珍しくシンプルな言葉に、兄もすぐに同調した。

「遅いよな」

「おかしいよ」

トド松が急に十四松から離れ、スマホをさくさく操作し始める。

「一時間半も前に、今から帰るって言ってたのに」

妹からのメッセージをみんなにも見せる。それだけの時間があればいつもならとっくに帰っているはずなのに。

「こんな中寄り道か? トッティ早く帰れって送ってみろよ」

「それより電話してみる」

ところが電話が繋がらない。6人の兄たちは騒然とし出した。

「こんな台風の中、どこにいるんだ?」

「どこかで雨宿りしてるならいいけど…」

「でも連絡もよこさないって…」

「……」

それまで部屋の隅で膝を抱えていた四男が、ぽそりと口を開いた。

「…もしかしたら…」

 

ものすごい雨と風、そして雷。傘なんてもうとっくに壊れた。レインコートなんてものもなく、ぐしゃぐしゃだ。バッグと一緒にずぶ濡れになりながら、松莉は狭い路地でうずくまっていた。

ことさら雨風を避けるためにここに来たわけではない。台風はこんな路地にもあまねく猛威をふるっており、降りしきる雨が暴風によって松莉の全身に打ち付けられ続けている。まともに目も開けられない中、松莉はうずくまった太ももの上に置いた箱を改めて抱き直した。

ここから一歩も動けない。間が悪いことに携帯の充電も切れてしまった。

泣きそうになりそうな気持ちを、膝の上のぬくもりを抱くことで立て直す。

寂しい。辛い。怖い。でも守ってあげなきゃ。私しかいないんだから。でも冷たい。寒い。助けて…。

際限なく浮かぶ様々な気持ちは、いつしかたった一つの言葉に集約されていった。

「兄さん…」

口にしたら涙が溢れた。

温かな涙は、冷たい雨と一緒になって頬を流れた。

「松莉!」

空耳だろうか。

「松莉、大丈夫か⁉︎」

いくつかの声といくつかの足音が重なる。

「兄さん…」

安心したら力が抜けた。

 

「一昨日、猫に赤ん坊が生まれたのを、松莉と見に行ったんだ」

抜け駆けはズルいぞという兄弟たちの視線を、一松は見事に黙殺した。

松莉はとても喜んで、『可愛い』を連発していた。この暴風雨の中、小さな猫たちを心配して行ったとしてもおかしくはない。

 

一松の推理は見事に当たっていた。

彼らの大事な妹は、猫のすみかたる細路地でじっと子猫たちを守っていたのである。

「もう大丈夫…」

紫のレインコートに身を包んだ4番目の兄が、そっと子猫たちの入った箱を受け取った。

「松莉ちゃん、ずぶ濡れ…」

黄色のレインコートの十四松は、妹の姿にさすがにいつものテンションにはなれず、持ってきたオレンジ色のレインコートを広げて松莉に着せてあげた。

「早く帰ろう」

赤いコートの長兄が松莉のバッグを持ち、青の次兄がおんぶをしてくれる。

「家まで少し辛抱だ、リトルシスター」

渡されたタオルを目に当てて、カラ松兄さんの背中に体を預ける。

涙がとめどなく流れた。

安心と嬉しさから溢れる涙だった。

 

家ではチョロ松兄さんとトド松兄さんが留守番をしながらお風呂の用意をしてくれていた。

猫のことは一松兄さんに任せ、何はともあれお風呂だ。

『風邪ひいたら大変だから、ちゃんとあったまるんだよ』

「はーい」

おそ松だ。わざわざ声をかけに来てくれたのは嬉しいが、お風呂中なので少し遠慮が欲しいところだ。

『松莉ちゃん、着替えここに置いとくからね』

「あ、ありがとうトド松兄さん」

『松莉ちゃん、背中流してあげるー!』

「じっ自分で出来るから大丈夫、十四松兄さん」

…6つ子たちに遠慮を求めるのが間違っていたようだ。

湯船に浸かり、深く息を吐く。

体の芯から温まり、さっきとは打って変わって幸せな気分になっていた。

 

お風呂から上がると、兄たちの部屋に連れて行かれ、ソファに座らされ、温かいココアを供された。至れり尽くせりだ。

「こんな天気の中外にいるなんて…風邪ひいたらどうするの」

チョロ松兄さんの小言が始まってしまう…と思ったら十四松兄さんが割り込んだ。

「大丈夫大丈夫松莉ちゃん! 風邪引いてもぼくが治してあげマッスル!」

「だから! 十四松化した松莉なんて絶対見たくねぇんだって!」

松莉としてもそれは想像したくない。

「ほら…」

三匹の子猫たちがソファに連れてこられた。一松が綺麗にしてくれたのだろう、毛並みも揃った可愛い子猫たちだ。

「ありがとう、一松兄さん」

にぃにぃ鳴く小さなぬくもりをそっと抱っこして、撫でた。ふわふわだ。

「…こいつら心配だったのは分かるけど…お前に何かあったらどうするんだよ」

ぼそぼそと、一松は言った。

「リトルシスターは優しすぎるんだ…その女神のような心は尊い、だが…」

「黙れクソ松」

延々続きそうなのを蹴り飛ばすことで断ち切って、一松は妹を見据えた。睨んでいるとしか思えない目で。

「自分のことも守れねぇのに、中途半端な情なんかで、向こう見ずなことして…」

そこまで呟いて押し黙る。松莉が悲しそうな目で見上げてきたからだ。

一松兄さんなら分かってくれると思ったのに…そう訴えている気がして、いたたまれず一松はその場を去った。襖を開けて部屋を出て行ったのだ。

「あっ一松兄さん、待ってー」

すぐ十四松がドタバタと後を追う。

「一松兄さん…」

「十四松が行ったから大丈夫だよ」

「みんな物凄く心配したんだよ、松莉ちゃん」

一松の言葉はどうしても無愛想で冷たく聞こえてしまう。そこでトド松は優しい声でフォローをした。

「…ごめんなさい…」

目を落としたまま、松莉は手元の猫を撫で続ける。

「私、自分一人で動いておいて、心の中ではきっと兄さんたちが来てくれるって…助けてくれるって、甘えてしまってた…」

確かにあのときはいてもたってもいられず、夢中で路地に走っていた。だけどその裏付けに、無意識の甘えがあったのだと気付かされた。

「こんな迷惑かけちゃって…」

ふわふわを撫でる手が止まる。肩を落とした松莉を囲む兄の輪が小さくなった。

「何言ってんだ、お兄ちゃんに甘えていいんだぞ!」

「むしろ甘えてくれスィートシスター!」

上の二人が無条件に言い募る。

「でもそういうことなら、先に言ってくれよ。甘えるのいいけど、それより頼ってくれたら」

いつものへの字口で、最後にチョロ松は「ね」と笑顔を向けた。

「そうだよ松莉ちゃん、何のために兄さんがいると思ってるの」

松莉にしか兄さん風を吹かせられないトド松は、少し威厳を見せるように言って聞かせる。

「トド松、さっきはあんなに雷を怖がってたクセに」

「あっそれ言わないでよおそ松兄さん!」

兄の威厳はあっという間に崩れたが、その場は笑いに包まれた。

一緒に笑いながらも、松莉は一松のことが気にかかる。その手の中に、命のぬくもりがあった。

 

次の日は台風一過で打って変わって大晴天、松莉は一松兄さんに誘われて、一緒に子猫たちを元の路地に戻しに行った。

一松は、野良猫を可愛がる。こういった猫の溜まり場に出掛けたり、今では家に遊びに来る友達も増えた。

だけど飼おうとはしない。

責任を持ちたくないのだろう。面倒だからといった意味ではなく、兄の昨日の言葉から、自分がこんな状態なのに大切な命の責任を負えないと思っているのだろうと松莉は理解していた。

「時々来るからね」

箱を置くと、猫たちはにゃーと鳴く。後ろ髪を引かれる思いだ。

「松莉」

隣に屈んだ兄の口から、低い声がこぼれた。

「…ありがと…助けてくれて…」

「うん…」

松莉は微笑む。3番目の兄の言葉を思い出して付け加えた。

「今度からは一人で行かないから…頼るから」

「う、ゴミの俺なんかに頼られても、困るんだけど」

まさかの返答。でもこの兄らしい。松莉は声を立てて笑った。

それからしばらく、一松兄さんと一緒に猫たちと戯れた。

 

END




昨日台風が来たので急に思いついて書きました。
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