Fate/Meltout -Epic:Last Twilight- 作:けっぺん
それが信長が地獄を討っていた目的だったのだと、今理解した。
手を伸ばす信長。キャスター・ナルはそれに対して何を言うこともなく、ここに来た時から変わらない笑みでその様子を眺めている。
「……信長様」
聖杯を抱える腕の力を僅かに強めるメルト。
彼女が何を言う代わりに、光秀が口を開く。
目を細め、視線を動かした信長は、無言のままに光秀に先を促した。
「別れた後、騎願地獄、術懐地獄、狂宴地獄を討伐。敵対する意思を見せなかった剣牢地獄も自刃。対し、術懐との戦いの折、ナガレもかの地獄の打倒に尽力し、討ち死にいたしました」
「そうか。あやつらしからぬ蛮勇よ。それが儂への忠義によるものか――は、最早聞き出せぬこと。今更問うまい」
光秀は淡々と、これまでの状況を信長に伝えた。
ナガレ――居士の名前が出たとき、段蔵が小さく反応を示したのを、本人自身気付いたかどうか。
信長が死した仮初の臣下を評すると、光秀は続ける。
「残るは槍克地獄。一騎のみであれば敵とは言えませぬ。ゆえに――」
「いや、その必要はない。言ったじゃろう。役目は終わりだと」
あと一人。槍克地獄たる李書文さえ倒せば、恐らくこの時代の異常は取り払われる。
それは信長にとっても望むべくものである筈なのに、信長はその進言を切って捨てた。
「甘い。甘いなあ光秀。お主は何をするにも聊か甘すぎる。溢れるまで杯に水を注ぐ阿呆が何処にいるか」
小さく笑う信長に対して、光秀は無表情。
「光秀。お主であったな。地獄の討伐を進言したのは」
「……は」
「惜しいな、光秀。儂のところにこやつが来なければ、うまく行ったかもしれないものを」
キャスター・ナルを指す信長。
――一つ一つ、パーツが繋がっていく。
何故信長が地獄を討っていたか。その理由は――
「なるほど。テメェが事の黒幕ってか」
「ええ、まあ、それなりに。私これでも悪魔ですので。悪魔らしく人を振り回してみたりとか」
「いやしかし、驚いたぞ光秀。お主がここまでの謀を……とはな。何時からじゃ?」
金時の怒りを飄々と受けるナル。
二人の様子を鼻で笑い、信長は再び光秀に問うた。
光秀が計画していた何事かは、信長に知れていた。
破綻した己の策謀。それを明かした“悪魔”に何を思ったか、無表情のままに光秀はナルに僅か目を向け、そしてすぐ、信長に戻す。
「この地に杯が降りて間もなく。その悪魔めの奸計に、自ら踏み込みました。全て――全て、信長様のためにありますれば」
「そうか。見上げた忠誠心じゃな光秀。その結論が叛意でなければ褒美の一つでもくれてやったのじゃが」
「――――なんですと?」
その、決定的な一言。
やはり特異点においても運命はそう帰結し、この地にて歴史に刻まれる逆徒は誕生する。
信長自身から言い放たれた言葉は驚くべきものである筈なのに、それを受け入れる準備はすぐに整ってしまう。
氷の男は主の看破に、その表情を崩した。
何を言っているのか、という――怪訝の表情に。
「儂を凌駕し、何をするつもりかなど考えんでもわかるわ。じゃが、許そう。杯は満ちた。これきりじゃが――それを儂への貢ぎ物と判断し、それ以上は問わんでやる」
「ッ、ぁ――!?」
「メルト!?」
突如として、メルトが弾き飛ばされ、その手にあった聖杯が浮き上がる。
咄嗟にメルトを優先し、受け止めた時には、既に聖杯は信長の手にあった。
「ご苦労じゃったな、槍克」
「いや何。地獄として呼ばれた故かな、この果てを終いまで見届けたくなったまでよ」
姿を現した、六合大槍を肩に掛けた初老の男。
最後の地獄――槍克地獄、李書文。
彼もまた、信長の傍に付き、此方への敵意を滲ませた。
「七つにて孔を穿てば、道を外しし奇跡の顕現。その数七に至らねば、この世に湧き出ずる地獄の権化。光秀――お主の命、まだ惜しい。お主を繋ぎ止めるためにも、これを使わせる訳にはいかぬのよ」
「っ――お待ちください信長様。七つを満たさねばその杯は扱えませぬ」
これは――今すぐ止めなければならない。
状況整理もままならないが、信長にあの聖杯を持たせていてはならないと、直感が告げている。
「いえ、それはありません。国を背負える人間力があるならば、十分です。でなければ、最初から私も唆したりしませんし」
光秀の進言を切って捨てたのは、キャスター・ナルだった。
彼と、今の信長。二人にサーヴァントを相手に出来る力はない。
だが――李書文が現れてしまった。
此方の数が多くとも、彼を突破するのは一筋縄ではいかない。少なくとも――信長がその一歩を踏み出すより早くことを終えるなど、不可能だった。
「光秀。お主に今一度命ずる。儂の覇道を見届けよ。京を燃やす狼煙の火。その先に待つ天下まで」
「行けません、信長様!」
悲鳴のような光秀の声を意にも介さず、信長は手に取った聖杯をナルに渡した。
己より強大な力を得られる聖杯――それを持ち、策謀を胸に秘めていた光秀を、しかし信長は許した。
だというのに、光秀には安堵はない。それどころか、瞳には恐怖があった。
何故ならば――その杯を、信長自身が使おうとしていたから。
それは膨大な野心ゆえか。それとも、あの悪魔を名乗る男に唆されたのか。
或いはその両方――と考えている間にも、ナルはその杯を浮かせ、さらに二つをそこに呼び出した。
「ッ――ハクの……!」
一つ、僕の右手。
シャドウサーヴァントに断たれ、茨木に奪われたそれを、ナルは聖杯に放り込む。
「蘭丸さん……!」
一つ、少女と見紛う、信長の小姓たる少年。
既にその命はなく、ぐったりとした彼の体を動かし、杯を胸に抱かせる。
「それでは、私も力を扱うとしましょう。たった一つ、私がサーヴァントとして行使しうる力を」
聖杯が起動する。僕の手と蘭丸を取り込み、強く、強く輝く。
「生身の人間、そして魔術回路。欲望の根源と奇跡の建材。その二つの上にこそ私は成り立ち、妄想は現実を超え肉を得る。浅ましき人の強欲より生まれた夢。我が存在を証明するは、ここに編まれし無限の心臓。即ち――」
キャスター・ナルは宣言する。
その宝具の真名。
そして、己の真名そのものでもある概念の名を。
「――――『
――マックスウェルの悪魔。
十九世紀半ば、数学者ジェームズ・マックスウェルによって提唱された思考実験、その中で仮定された悪魔。
熱力学第二法則を否定し、理論上は第二種永久機関を実現しうる存在。
その仮定の悪魔を討つべく、数多の数学者がこの理論に挑み、敗れてきた。
そんな、人によって生み出され、人に敵対することで人を進歩させてきた反英雄。
であれば、その悪魔がサーヴァントとして召喚されるという可能性は、決してゼロではない。
たった一つの役割しかこなすことの出来ない、徹底的に縛られた存在。
戦う力は持たず、悪魔としての行動以外の全てを許されない、人の欲望の権化。
「……概念の、英霊」
「ええ。ゆえに何千回斬ろうとも、私は死にません。否定されていませんからね。私を殺しうるたった一つの手段は、完全な理論を以て私を否定すること。月に観測なんてされたら溜まったものではないので、歪みを集めて通信は断たせていただきました」
キャスター・ナル――マックスウェルは、駆動を開始した宝具の下で人差し指を立てつつ、己の打倒手段を開示した。
その悪魔は、剣や槍で殺される存在ではない。
何故ならば、彼の仮定された世界には剣も槍も存在しないからだ。
悪魔を倒す手立てはたった一つ。
「悪魔は存在しない」という完全な理論により、悪魔の存在を否定することだけ。
ピエールを横目で見る。視線を交わした彼は、苦い表情で首を横に振った。
マックスウェルの悪魔は、仮定の成立から一世紀以上を経た二十世紀末に否定され、倒された。
その知識はあるが、そこまでだ。
彼を倒しうるまでの完全な理論を、僕は構築することが出来ない。
概要だけでは完璧な否定とはならない。
勿論、都合よくこの場に否定の材料が整えられた数学参考書が存在する筈もない。
この時代において、彼を倒すには、恐らく月との通信を取り戻すしかない。
そうすれば、彼を観測した時点で否定までの全てが月から引き出され、彼は消滅するだろう。
「それで……その宝具が」
「然り。私という存在の実証。無限のエネルギーを生成する疑似的な永久機関。汲めども尽きぬ果てなき力――即ち、天下人の証になります」
聖杯を中心として輝く球体は、膨大な魔力を表出している。
これぞまさしく、世界最高位の魔力炉。
世界さえ変え得るほどの魔力を無尽蔵に提供する、究極の炉心だった。
「さて。それでは始めましょう。貴女ならば呑まれることもない。我らが王となるに相応しき人よ、この悪魔の甘言に乗るとあらば――天下は貴女のものです。織田 信長」
「なりません! 信長様、貴女は人のままに天下を取らねばならない! その領分を踏み越えるなど、それは最早――!」
そこまで叫び、光秀は突然に言葉を止めた。
気付いたのだ。信長が一切、それを躊躇う素振りすら見せていないことに。
気付いたのだ。そもそも彼女は何年も前から、人ならざる者を名乗っていたことに。
「光秀、忘れておったのか」
「信長様……っ」
「儂ははじめから――魔王であったわ」
光秀に憐れむような表情を僅か向け、光に触れた。
――そして、その瞬間、世界を焼く炎は黒に染まった。
世界は色を失い、空と同じ墨へと変わっていく。
「これは……!」
「ヤベェ……マジモンじゃねぇかこりゃあ……!」
無限の心臓が放っていた光は黒に呑まれ、消えた。
己の所有者を認め、その力を引き出すことを始めたのだ。
その背からは、黒炎が延々と噴き出る。
両脇に、それぞれ巨大な手が出現する。
骨が炎を纏ったようなそれは、何処か、地獄の鬼を連想させた。
その頭上に浮かぶ、巨大な髑髏は瞳に光ならざる白を灯し、口からは己と同じ黒色の炎を零している。
衣服は燃え落ち、一糸纏わぬ体を守るように、周囲に展開されているのは数えるのも馬鹿馬鹿しいほどの火縄銃。
この時代で出会ってから、これまで彼女が持っていたものとは違う。神秘を宿し、サーヴァントすら撃ち抜ける代物だ。
「これぞ我ら……いえ。私の真の目的。ここに我らが王は降臨した」
サーヴァントとは違う。
ああ――この雰囲気は、二つ目の特異点で最後に立ちはだかった肉塊に酷似している。
それは、この国の天下を取るというだけでは過剰すぎる力。
それこそ世界を焼き滅ぼすというほどの目的でもなければ決して必要ではない。
英霊ですら及ばないそこに手を伸ばした信長は、世界の破壊者として変貌した。
「かの名は『第六天魔王波旬』。この世、この時代を焼き尽くし、平和の楔を断つ人理の焼却者です」
「信長、さ――――」
主の変貌を信じられないと、名を呼ぼうとした光秀。
しかし、一発の銃声がそれを遮った。
一瞬の閃光は光秀の首を掠め、彼方へと飛んでいく。
そして着弾地点を中心とした数メートルをこの世から削り取り、跡形もなく消滅させた。
耐久に秀でたサーヴァントであっても、アレが直撃すれば一溜りもあるまい。
「――命が惜しい輩は疾く失せよ。これよりは、一中劫を苦に浸す無間の地獄」
彼女にとって、最後の警告。
こうなることとは思わなかった。
しかし、間違いなく――彼女は、信長はこの時代最後にして最大の敵となった。
彼女と槍克地獄、そしてマックスウェル。
三人全てを倒さなければ、この時代は修復されまい。
であるならば、やるしかない。
世界の敵へと変じてしまった信長に、真っ向から対峙する。
オペレーターの――カズラの援護は受けられないが、それでも可能性が無くなった訳ではない。
これまでの特異点にも、規格外の敵はいた。だが、いずれも突破し、ここまで来た。
ならばここでも同じように、全力を以て撃破するまでだ――!
という訳で、四章のラスボス降臨です。
そしてキャスター・ナルの真名も判明。
帝都聖杯奇譚にて登場したキャスター、マックスウェルの悪魔です。
否定する理論さえ分かっていれば一般人でも容易く倒せるサーヴァント。
しかし今回においては「完全な否定の証明」を出来る者がいないため、倒せないサーヴァントとなっています。
光秀の真意等については、もう少しお待ちください。