逸見、戦車道やめるってよ   作:暦手帳

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水瀬さつきは憧れている

 

 水瀬さつきにとって、戦車道はつまらないものだった

 

 中学生となり、たまたま入った学校が女性のたしなみと言われる戦車道の有名な学校だったらしく友人に連れられて入部することになった

 経験は無かったが、将棋とか囲碁などといったボードゲームはいままで負けた事が無い程度には強かったため戦略等には自信があったし、なにより両親が熱心に進めてきたことが決定打だった

 

 入部して直ぐにその学校では戦車に慣れさせるために紅白戦が行われる

 不安そうな同級生達の中で一人だけ一切動じる様子の無い私の様子が目に付いたのか、コーチがいくつか質問を投げ掛けてきた

 簡単な質問だったが全てを答えるとコーチは期待してるなんて言い残して観客席の方へ立ち去っていった

 

 事前に軽い説明はされたものの、新入生を4人で組ませてチームを作った所で意見が纏まるわけもなく、私以外の人がポジションを奪い合うのをただ見詰めていた

 私のポジションは操縦手になった

 余ったのがそれだったからだ

 

 いざ、戦車を動かしてみると想像していたより簡単に、手足のように動かすことが出来たことには驚いたが私よりも周りが唖然としていた

 

 

 紅白戦が終わった後、コーチに君は天才だとべた褒めされた

 10年に一人の逸材だなんて持ち上げられたけど、悪い気はしなかったし、なにより、そういうものなのか、なんて思って、じゃあ優勝目指してみようかな、なんて軽く考えた

 

 気が付いたら中学戦車道三連覇

 凄い事を成し遂げたんだろうとは思ったが、そんな実感は無かった

 努力はしたが具体的に何を目標にしていたのか分からない、ああ、いや、大会の優勝は目指していたけれど

 

 神童なんて言われて、インタビューが来て、誰も彼も私を持ち上げようとしていた

 西住まほ、島田愛里寿と並ぶ天才などと書かれていたが、そんな人達私は知りもしない

 

 誰もが私を誉め称える

 誰も私の醜い部分を見もしない

 誰も私を、見てくれていなかった

 

 

 

 

 

 逸見隊長が私の前に現れたのは、そんな時で

 敗軍の将が何の用だとせせら笑う周りの隊員を私は止めることもせず、心底興味がないものを見るような目で逸見隊長を一瞥した

 

 王者黒森峰の失墜は他の隊員が話してるのを小耳に挟んだことがあったし、黒森峰の人が色んな中学に足を運び勧誘に奔走していると言う話は笑いのネタだった

 重なる敗北に焦った黒森峰が有望な人材の勧誘を行うのは、確かに理にかなってはいるものの見境のないその姿は滑稽で無様にしか見えなかった

 

 王者の名も落ちたものね、なんて誰かが言った

 恥ずかしくないのかと、喜色を含んだ声で

 まるでドブネズミだと、吐き捨てるように

 

 聞くに耐えない誹謗中傷に、けれど彼女は顔色ひとつ変えない

 私達の一人ひとりをじっくりと眺めてから、鼻で笑った

 

『なんだ、やっぱり優勝したくせに全然満足出来てないんじゃない。』

 

 いっそ涼しげに、私達の暴言の数々を流してそんなことを言い切った逸見隊長の姿は当時の私にとって不愉快なものでしかなかった

 

 分かったようなことを言うな、知った口を聞くな

 そんな言葉に出さない怒りを気取られないように、何時ものように仮面を被る

 

 いきり立つ隊員達を片手で制すと、瞬時に隊員達は口をつぐむ

 

『黒森峰の隊長さんは嫌味を言って回るのが仕事ですか。負けた相手にも散々嫌味を言ってたみたいですけど、まだ懲りないんですね。私ならそんな悠々とはしてられないですけどね。』

 

 嘲笑を含めた私の言葉に、周りの隊員が合わせるように笑い声を上げる

 心を折ってしまいたい、その涼しげな顔を歪ませてやりたい、怒りに震えてくれればと思う

 

『負け犬で、惨めで、情けない、可哀想に。安心して下さい、もう誰も黒森峰に期待なんてしてませんよ。』

 

 どれだけ言っても形の整った柳眉をほんの少しも動かさない逸見隊長に業を煮やした私は、矛先を変えた

 

『ああ、勿論、貴方の気持ちも分かりますよ隊長。役に立たない部下ばかりで訓練しても意味がないって分かったんですよね。ろくに動けない奴等を訓練するより、役に立つ新人を訓練した方が合理的ですものね。』

 

 その瞬間、強烈な怒気が私達に襲い掛かった

 

『ひっ!?』

 

 暴風のように吹き付ける熱を伴った強烈な怒気にへらへらしていた隊員達が顔を強張らせ、私は目を見開いて咄嗟に身を竦ませた

 

 私の望んでいた筈の彼女の怒りは、歪ませたいと思っていた澄ました顔を能面のような表情に変えさせた

 細めた瞳は淀み、ドロドロとした憎悪が熟成されたような狂気的な光を灯している

 こんなもの、たかが学生の身で纏って良い空気ではなかった

 

 逸見隊長から溢れる殺気にも似たなにかに私の頭の中にある危険信号がガンガンとうるさいくらい警鐘を鳴らす

 殺される、本気でそう思った

 一歩踏み込んできた逸見隊長に干上がった喉から小さく悲鳴が上がる

 それでも、全身が金縛りにでもあったように動くことができない

 ただ、あっという間に距離を詰めてくるその悪魔のような姿に幼子のように震える事しか出来なかった

 

 手を伸ばせば容易く届く距離

 薄く裂けるように口が弧を描いて悪魔が手を伸ばしてくる

 思わず、ぎゅうっと目を瞑てしまう

 

 こんな悪魔と向かい合う覚悟なんてしていなかった

 怖い、怖い怖い怖いこわい

 こんな人がこの世に存在するなんて知らない

 私はただ私の前に現れた不愉快な人を追い払おうとしただけで

 こんな、こんな事望んでいなかった

 そんなつもりなかった

 

 誰か、助けて

 誰かーー

 

 

 

 

『バカね、そんなに怖がるなら最初から挑発なんてしなきゃいいのに。』

 

 

 

『ひっ、あえ…。』

『あ、ちょっと、泣くほどじゃないでしょう。…ごめんなさい、大人気なかったわ。』

 

 急に掛けられた優しげな声に恐る恐る瞼を持ち上げてみるとしかめっ面のまま困ったように眉尻を下げた逸見隊長の顔がすぐ近くにあった

 伸ばされた手は私の眉尻に溜まった涙を優しく拭ってくれる

 

『す、すいません、私も口が過ぎました…。』

『もう怒ってないから、落ち着きなさい。ほら、涙を拭いて。』

『泣いてない!泣いてないですし!』

 

 逸見隊長に差し出されたハンカチを奪い取り、目元を隠す

 目元の水分を拭い、乱れた髪を整え、早鐘のような心臓を落ち着ける

 もう大丈夫だ、いつも通りの私に戻れた

 

 慌てて体裁を整えて、逸見隊長に向き直ると逸見隊長はいつの間にか他の隊員達と何事かを話し、からかうように笑っている

 隊員達も先ほどまでの張り詰めた表情が解れ、少し不機嫌そうにしながらも、逸見隊長と話を続けていた

 

『それで!ほんとに何の用なんですか!』

 

 ちょっとだけ、疎外感を感じた私は声を張り上げて逸見隊長の前に立つ

 驚いたように目を丸くした逸見隊長は一瞬、言葉を選ぶように視線を下に向けてから私に向き直った

 

『貴方達の活躍、見させて貰ったわ。』

『へえ、なら普通に勧誘って訳ですか。』

 

 最初程の嫌悪感は気が付くと無くなっていたが、やっぱりただの勧誘でしかないと知って、自分でも分からない失望を感じる

 逸見隊長に勝手に何を期待していたのだろうかバカみたいだ

 無意識に声色が低くなった自分に驚きながらも、表情には出さないよう心掛ける

 

『まあ…、場合によっては勧誘しようと思っていたんだけど。一番の理由は貴方達が不満そうな顔してたから気になったのよ。』

『私が…不満そう?』

『気が付かなかったの?貴方達みんな、不満そうだった。』

 

 後ろにいた隊員達に目を向けると、大なり小なり思っても見なかったことを言われたように驚きを表していた

 

『そんなこと、ちょっと見ただけの貴方が分かる訳無い…。』

『…分かるのよ、そういう顔をしてた人が近くにいて、私もそんな時期があったから。』

 

 自嘲するように微笑む

 

『気が付けなくて、後悔して、もうどうしようもなくて、そんな経験があったから、一度貴方達に会わなくちゃいけないって思ったの。』

『…。』

 

 もう過去の事なんて言うけれど、その顔はいまだに辛そうで見てるこっちが苦しくなった

 逸見隊長は一度強く目を瞑り、先ほどまでの真剣な表情に戻して私達を見詰める

 

『で、今貴方達に会ってみて、やっぱりこのまま知らんぷりはしたくないから、一つだけ言わせて頂戴。貴方達はお互いがお互いに遠慮しあってるの、信頼してる筈なのに胸に突っ掛かった悩みを打ち明けられてないわ。』

 

 だから、と言って好戦的な笑みを浮かべる

 

『言い合いになっても、殴り合いになっても良いからしっかりと話し合う事。それだけで、その気持ちが悪い蟠りが解決してしまうこともあるんだから。』

『話し合うのが…足りなかったって言うんですか。』

『違うわよ、貶し合いが足りないって言ってんの。』

 

 神妙な顔付きでお互いを見詰め合う中で、逸見隊長はじゃあ、と言って私達に背を向けた

 考えさせられるような事だけ言ってそのまま帰ろうとする逸見隊長の姿に何とか引き留めようと慌てて肩を掴む

 

『ちょっ、それだけですか!?』

『はぁ?甘えんじゃないわよ、後は自分達で解決しなさいよ。私は充分助言したわよ。』

『そうじゃなくて、勧誘は!?』

 

 その時の私の表情がよほど必死だったのか、逸見隊長は笑いを溢した

 

『あんまりにも拒絶されたものだから、言いたいこと言って帰ろうと思ったんだけどね。』

 

 けどまあ小梅に怒られるし、とぼやくと私達に向き直る

 

『ウチは貴方達が言うように今、地に落ちているわ。』

 

 逸見隊長が着ている制服に付いている今は落ちぶれた黒森峰の校紋を指先で撫でた

 その行為は今考えると逸見隊長にとって、何かを懺悔する行為であり決意の象徴であったのだと思う

 

『翼を失って空を飛べなくなった鳥は二度と空を飛ぶことは出来ない。』

『失ってしまったものを取り戻すことはきっと出来ないけれどそれでも前に進まなきゃいけないなら。』

『私は泥塗れになっても、この体が擦り切れても歩む事を止めないわ。』

 

 ああ、違う、違うんだ

 私の戦車道は、こういう人の近くで

 

『黒森峰を必ず勝利させる。そのために貴方達が必要なの。』

『だから、私と一緒に来なさい。不安も不満も何一つ、持たせないわ。』

 

 不器用な誘い言葉は実利を整然と並べられた勧誘よりも、ずっとこの胸に熱を灯して

 この人に着いていきたいと、この人が見る景色を隣で一緒に見ていたいと、そう思った

 

 

 

 

 

 

 

「じゃあ、後で様子を見に行くから」

「はい、お待ちしています。」

 

 堅いわね、と笑いながら去っていく逸見隊長の背中を見えなくなるまで見送ってから隊員達が準備をしているだろう車庫へ向かう

 

 あの大会を終え、逸見隊長を始めとする3年生の方々は黒森峰戦車道を引退し、それぞれがそれぞれの進路への準備に入っていた

 そんな中で逸見隊長は僅かな時間を縫って私達のサポートに入ってくれている

 

 逸見隊長は自身が余計な世話をしてると思っているようだが隊長職としての雑務の量は中学の時とは比べ物にならず、正直ありがたかった

 逸見隊長がどこの大学を目指しているのかは教えて貰っていないが、黒森峰をここまで立て直した功績は無視できないものだし、加えて勉学も優秀であるため、どの大学からも喉から手が出るほど欲しい人材の筈だ

 

 

 そう言えば、前黒森峰の隊長…、逸見隊長の前の隊長が戦車道で有名な大学で活躍していると聞いたことがある気がする

 そこに入る確率も高いだろうか等とつらつら考えながら隊員達が待つであろう車庫の前までたどり着いた

 

 いずれにしても、私のやることは一ミクロンだって変わり無い

 逸見隊長から受け継ぐ黒森峰戦車道を全国三連覇させて、その後も連覇を続けさせれるような土壌作りと後輩達の育成

 やらなければならない事は山のようだけど、逸見隊長の宣言通り、ここに来てからつまらないなんて感じることは無い

 

 頼りになる先輩や同輩と作戦を立てるのが楽しい

 これから入ってくる後輩達への指導を考えることが楽しい

 戦車を動かすのが楽しい

 討論を交わすのも楽しい

 全てが全て、心地いい

 

 私はいつの間にか戦車道が大好きになっていた

 

 

 ふと思うことがある

 あの中学三連覇をした後のあの時

 私達の前に逸見隊長が現れなかったらどうなっていたのだろうと

 

 どうにもならなかったかも知れないし、今より良い未来があったのかもしれない

 けれど、今この場所に居られて良かったとそう思う

 

 だからこそ、3年生が戦車道を引退することに少なくない動揺がある

 この先、どうなっていくのか、今が幸せだから反比例するように先の不安が募っていく

 

 中学生の頃に比べて弱くなったと思う

 知識も技術も経験も、あの時に比べて大幅に向上した部分しか無い筈なのに

 周り頼ることを

 勝利への執念を

 泥にまみれることを

 学んでしまった私はきっとあの頃よりも弱くて

 それでも良いと思えてしまう私は、もうあの頃のようには戻れないだろう

 

「責任…取って貰いますからね。」

 

 出来ることならどこまでも、逸見隊長に着いていきたい

 でも、私は出来る後輩だから

 任されたことは完璧にやりきって見せる

 連覇もする、勝てる土壌も後輩達の育成だって、目を見張るような結果を挙げて見せる

 

 だから、この出来る後輩を手放さないで欲しい

 この先々、大学でもプロリーグでも後輩であることを許して欲しい

 そのためなら頑張れる

 

「よし、頑張ろう。」

 

 意識を切り替える

 

 私はここの隊長だ

 隊員達に不安等抱かせない、私事は切り離す

 

 目の前の扉を開け放つ

 そこには、予想通り隊員達が集まっていて

 

 

 

 大混乱の様相を見せていた

 

 

 

 「はぁ!?」

 

 思わず声が漏れる

 2年の先輩方も、中学生の頃から一緒に戦車道をやっている隊員達も揃って大混乱

 頭を抱えてうずくまるものや号泣するもの、茫然自失といったものまでいる

 

 そんな集団の中心に居るのは、大学受験の勉強で忙しい筈の赤星先輩で

 光の消えた目のまま、後輩達に揺さぶられている

 そんな中、中学生の頃からの仲間達が私に気が付いたようで慌ててこちらに近付いてくる

 

「おいおいおいおい、お前知ってたのかよ。やべぇよ、衝撃ニュースじゃんよ。」

「あはは、嘘ですよね?嘘なんですよね!」

「ちょっと、落ち着きなさいよ。だらしない。私現状を何にも理解してないんですから、説明を。」

「だから!逸見元隊長の話!」

「はあ、逸見隊長が?」

 

 掴みかからんばかりに、肉薄してくる彼女達に呆れたような視線を向ける

 なんだと言うんだ、訓練前にこんなに騒ぎ立てて

 話を聞いた後に全員に罰則として走らせてやろうか

 

「逸見隊長、高校で戦車道やめちゃうんだってさ、マジヤバイ!」

「…は?嘘も程々にしなさい、流石に怒りますよ。」

「あは、嘘だよね!小梅先輩が勘違いしてるだけだよね!」

「いやいやいやいや、マジでさ。西住流も大会前に破門にしてもらったらしくてさ。」

「え…。」

「実情に詳しい西住流の人に確認したら破門はほんとらしいのさー。」

 

 ………………

 

「あ、倒れた。」

「白目剥いて泡吹いてる、超ヤバイ!」

「いやいやいやいや、ほんとにやばいじゃん!?」

「あはっ、女の子がしちゃいけない顔してる。…他の人が見ないように隠してあげよっか。」

 

 


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