ゼロと底辺を結ぶ銀弦   作:ゆにお

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五話 トリステイン城下町

 全裸の女が学園に降り立ったその日から数日後の虚無の曜日。

 その部屋は周囲の喧騒とは隔絶され、静謐とした空気が流れていた。

 そこはトリステイン魔法学院の中ではごく一般的な女子寮の一室。

 唯一違うのは年頃の少女の部屋と言うにはあまりに殺風景で無味だった。

 香水や化粧品の香りの変わりに漂うのは少しカビっぽい本の匂い。

 それもそのはず、図書室や資料室と見紛うほど、その部屋には本の山が積み上げられていたのだから。

 

 本を捲る音以外にその部屋に響くものはない。

 まるで時を刻む針のように定期的に、そして静かに響き渡る。

 『雪風』のタバサの名で知られる彼女はこの時間が好きだった。

 メガネの奥で青く輝くその瞳を煌めかせて、彼女は本の世界へと没入している。

 彼女は物語が愛した。

 その手には小さい頃母がよく読んで聞かせてくれた英雄譚、イーヴァルディの勇者があった。

 その内容を諳んじることができるほどに読み込んだ今でさえ、決して色あせぬ魅力が存在している。内容はなんということはない。ハルケギニアの物語群の中では少し異質で、魔法も使えない人間が剣ひとつで巨悪に立ち向かうという物語。

 その物語を構成する要素は簡単に三つ。勇者、怪物、姫だ。

 怪物からお姫様を助け出す勇者の冒険譚。長らくハルケギニアの民に愛されたその冒険譚はいろいろなシリーズが出版されている。

 ときに怪物は強大なドラゴンであったり、悪魔であったり、悪徳領主だったりと枚挙に暇がない。

 けれどそのどれもが最後にはハッピーエンドで終わる。

 きっと自分は現実とは異なった優しい結末が好きなのだとタバサは考える。

 開いたページで、物語は佳境に入り、勇者が姫を救出して幸せになった様子がそこに描かれていた。

 そしてタバサはそっと背表紙を閉じ、本の世界から現実へと帰ってくる。その表情は少しの寂寞感が尾を引いていた。

 自分は助けを待つ姫でいるわけにはいかない。自分が動かなければ何も変えられないことを痛感している。

 伯父王に対する殺意は未だ色あせる事はない。だが、それを実行するには一つの困難を乗り越えねばならないのだ。

 もうあれからどれほどの月日が流れただろうか。あの白いスーツで着飾った深淵の怪物をいったいどうすれば倒す事ができるのかと考えて、身体が震えてしまう。それは生物が本能的に有する恐怖という感情。

 ジモリーと名乗った彼は掛け値なしの怪物だ。最初の出会い以来、度々顔を合わせてきたが、彼を知れば知るほど、倒す方法が見出せなくなっていく。

 最強と評されるエルフの伝承すら霞むほど恐ろしい存在。

 そんな時不意に、コンコンとドアがノックされ、タバサは一瞬だけ身を竦ませた。

 

「タバサ! いるんでしょ。開けてちょうだい!」

 

 切羽詰ったような甘いその声は快活に響く。

 それを聞いてタバサは胸をそっと撫で下ろした。数少ない友人キュルケの声であった。

 恋に奔放で少し自分勝手な彼女。

 他人のことなど我関せずを貫く彼女の性格は自分とはずいぶん方向性が違うのだが、昨年に起こったちょっとした事件がきっかけで友人になった。

 また面倒ごとでも持ち込んできたのかとタバサはその人形のような表情に少しだけ苦笑を滲ませる。

 入室の許可を待たず、自分の部屋のドアノブが一人でにガチャリと音を立てて回った。きっと彼女が『アンロック』の魔法を使ったに違いない。

 

 

「タバサ! 今から出かけるわよ! 早く仕度をしてちょうだい!

 

 キュルケが部屋に飛び込んでくるなりそう言った。

 本を読み終えてひと区切りついたけど、今日は本の海に沈むと決めていたのだ。

 無表情に見えるタバサはかすかな渋面で答える。

 

「虚無の曜日」

 

「わかってる。あなたにとって虚無の曜日がどんな日だか、あたしは痛いほどよく知っているわよ。でも、今はね、そんなこと言ってられないの。恋なのよ! 恋!」

 

 それでもタバサは首を振る。

 

「そうね。あなたは説明しないと動かないのよね。ああもう! あたしね、恋したの! でね? その人があのにっくいヴァリエールと出かけたの! あたしはそれを追って、二人がどこにいくか突き止めなくちゃいけないの! 分かった?」

 

 予め用意していたかのようなキュルケの怒涛の説明に、タバサは首を振った。自分が付いていく必要性をキュルケの説明から見出せなかったからだ。

 

「出かけたのよ! 馬に乗って! あなたの使い魔じゃないと追いつかないの。助けて! というか、、なんか最近のヴァリエールには一人で会うのはちょっとって言うか、身の危険を感じるのよ。ヴァリエールに怯えるのは複雑だけど、とにかくそんな感じ」

 

 そういってキュルケはタバサに泣きついた。

 タバサはようやく頷いた。

 

「ありがとう! じゃ、追いかけてくれるのね!」

 

 小さく首を振り同意を示す。タバサも対象には少し興味があった。

 ケイツという、よく分からない魔法を使うハシバミ草に興奮する変な人というのがタバサの中での彼の人物像だ。

 けれどタバサは系統魔法でも先住魔法でもないよく分からない魔法を使う敵を一人知っている。

 彼を観察すれば何か分かるかも知れなかったからだ。

 

 窓を開け、タバサは口笛を吹いた。

 ピューッという甲高い音が青空に吸い込まれていき、それから窓枠に手をかけ、飛び降りる。

 地面に落下するより早くタバサの身体を受け止めるものがいた。

 大きな翼を羽ばたかせ、タバサの使い魔であるウィンドドラゴンが力強く飛翔する。

 キュルケもタバサ同様にドラゴンの背に飛び乗ると目を輝かせて言った。

 

「いつみても貴方のシルフィードは惚れ惚れするわね」

 

 キュルケの言葉に気をよくしたドラゴンがきゅいっと一鳴きする。

 

「どっち?」

 

 タバサの簡潔な問いにキュルケはあっ、と返事に困る。

 

「ごめん、わかんない。慌ててたから」

 

 タバサはそれでも文句を言わず、シルフィードに命じた。

 

「馬二頭、食べちゃダメ」

 

 主人の命令にシルフィードは短く一鳴きすると上昇気流を器用に捉えて大空へと舞い上がった。

 高空へとのぼりその視力で馬を見つけるつもりなのだ。

 草原を走る馬を見つける事など、この風竜にとってはたやすいことであった。

 タバサは再び、本の世界へ没入する。涼やかに風を切りながら読書を楽しめるシルフィードの背中は、使い魔を召喚してから増えた新しい楽しみの一つだった。

 

 

 

 トリステイン城下町をルイズとケイツは歩いていた。馬を駅舎に預け門をくぐる。

 今日、ルイズはちょっとした計画を練っていた。

 最近、自分の使い魔が平民達にちやほやされて崇められて調子に乗っていると思った。ここは一発、主の懐の深さを見せるため、何か適当に下賜して感激させ、あらためてご主人様の偉大さを理解させよう。

 隣を向けば、苦痛に顔を顰めるケイツがいる。

 

「あんたほんとダメね。そんなに私に罵られたいのかしら。その歳になっても馬に乗れないなんて一体どんな生活をしてきたのよ」

 

 ルイズは思わずため息を漏らす。

 

「魔導士には転移魔法が存在する上に、地獄では交通網が発達している。意志を持つ乗り物など非効率極まりない。悪鬼どもでさえ、より便利な乗り物を有しているというのに、この魔法世界は情けない事だな」

 

 自分の不得手を覆い隠すようにケイツは尊大に吐き捨てた。

 乗り物に習熟を要するのは世界を隔てたとしても同じ事、ケイツは地獄での移動に一時期はバイクを使っていた。

 同じ要領で馬にも乗れると考えていたケイツに思わぬ盲点が待ち受けていた。

 バイクは乗り主をナメたりはしないという点で、馬と大いに異なる。

 本能的に序列を悟った馬はケイツを散々振り回した。どうやら格下に跨られるという事に不満を抱いたらしい。

 四苦八苦しながらも、なんとか街にたどり着いた時、ケイツは疲労でボロボロだった。

 ルイズは苦笑を浮かべてケイツを叱咤する。

 

「どうみても情けないのはあんたの方だからね。きゃっ、ちょっとあんた相似弦繋がないで!」

 

 腰痛と疲労を癒すために、健康なルイズに銀弦を伸ばす。

 肉体的被害は皆無なのに、心を汚されたような気分になったルイズが思わず仰け反った。

 

「無駄だ、相似弦は相似魔導士にしか切れぬ。そもそも娘には害がないのだから別に良いではないか」

 

「害がないって……あんたね。あんたに似てる認定されることは立派な実害だと思うの」

 

 ひどい言われようには慣れっこだ。苦虫を噛み潰したような複雑な表情を浮かべてケイツは治癒を終える。

 それはそれとして、新しい町並みというのはいつでも新鮮なものだ。

 ケイツもいろんな世界や町を旅した(逃げ回った)がその文化や風土を落ち着いて眺めるというのは久しぶりかもしれない。

 無秩序に発展していった東京の町並みと比較する。規模は比べるまでもなくあちらの方が圧倒的に大きいが、少なくともトリステインの町並みは洗練されていて統一感があり、特有の魅力があった。一つの文化というものがしっかり根付いていた。

 文化的教養はないにも関わらず、ついついケイツの目が町並みを追ってしまう。

 

「こら、キョロキョロしないの。スリが多いんだから! あんた、上着の中の財布は大丈夫でしょうね?」

 

 ルイズは従者であるケイツにそっくりそのまま財布を持たせている。

 もちろんその中にはぎっしりと金貨が詰まっていた。

 

「心配無用だ。この私がスられるわけがなかろう。その手の相手に対する知識は十分ある」

 

 何を隠そうケイツこそがスリ集団の親玉だったのだから、この時ばかりは説得力に溢れていた。

 ≪相似大系≫は似たもの同士に魔力を見出す魔法大系。

 つまり、画一的な形を取る通貨や、その財布などを操作元にして奪い取る術を心得ているのだから、その奪い方を知るという事は守り方についても精通することになる。

 

「そう、まあいいけどね。取られなければ」

 

 もう関心がなくなったと言わんばかりにルイズは歩き出す。

 ケイツも遅れぬように人ごみを掻き分けてルイズに追いすがった。

 休日の王都というだけあって、なるほど確かに人は多い。

 だが――

 

「狭いな」

 

「え?」

 

 人が多いという理由もあるが、何よりも人口密度に対して道幅が狭いとケイツは感じた。

 ルイズがケイツの言葉に驚いたように振り向く。

 

「道が狭いと言ったのだ」

 

「狭いってこれでも大通りなんだけど」

 

 ケイツは改めて街道を見渡す。幅は五メートルもなく、そこを大勢の人々が行き来するしている。

 ケイツの活動拠点はアメリカと日本だ。共に近代化の過程で大きな成長を遂げた国。

 町並みも文化性を重んじたつくりよりというより、効率と効果を優先したものになっている。

 そんな国々と比してやはりトリステインの町並みは華はあれど、利便性に欠けていると感じてしまう。

 熱の冷めた表情を浮かべているケイツにムッとしたのだろうか、ルイズが加えて説明をする。

 

「ここはブルドンネ街。トリステインで一番大きな通りよ。何よ、何か文句でもあるわけ?」

 

「いや、そんな事はない」

 

「なら黙ってついてきなさい」

 

 そう言ってルイズが歩みを進める。

 

「待て」

 

 大通りから外れわき道に入ろうとしたルイズをケイツが呼び止めた。

 

「何よ?」

 

「どこに行こうとしている」

 

「どこって……目的地よ」

 

 ルイズは困惑する。

 ケイツはばつの悪そうに頭をかきながら言った。

 

「世間知らずの貴族の娘では仕方がないが、そう易々と裏通りに踏み込まないほうがいいぞ。そういうところには決まってガラの悪い奴らがたむろっているのだからな」

 

 ルイズが向かおうとしていた先は細い裏路地だった。

 曲がりに差し掛かった途端、すえた匂いが鼻につく。

 汚水や汚物がそのまま野ざらしになっており、不潔な獣匂も混じっているように感じる。

 過去の記憶を刺激されて、ケイツが不快気に顔を歪ませた。

 

「そんなこと分かってるわよ。だからあまり来たくなかったの。ピエモンの秘薬屋の近くだからこの辺なんだけど」

 

 今更何言ってんのと言わんばかりに呆れた表情を見せるルイズ。

 どうやら世間知らずの貴族のご令嬢とはずいぶんお転婆だったらしい。

 嫌悪感を垣間見せながらも歩みを止めない。

 要らぬ杞憂だったようでケイツもルイズの後へと続く。

 それから、一枚の銅の看板を見つけ、ルイズが嬉しそうに呟いた。

 

「あ、あった」

 

 声につられて視線を上げると剣の形をした看板がケイツの目にも飛び込んでくる。

 武器屋らしい。

 ルイズは石段を登り、羽扉を開けて、店の中へと足を進めた。

 

 店の中は昼間だというのに薄暗く、ホコリ臭い。

 店の奥で、パイプを咥えている五十がらみのおやじが胡散臭げにこちらに視線を向けている。

 仄かに灯るランプに照らされてあちらこちらに乱雑に積み上げられている剣や槍。

 申し訳程度に飾られてある少数の貴重品と思しき武具がその店の質を物語っていた。

 店主と思しきパイプ親父がルイズの紐タイ留めに描かれた五芒星に気付く。

 途端にパイプを放し、取り繕ったようにへりくだりながら声をかけてきた。

 

「貴族様、貴族様。うちはまっとうな商売をしてまさあ。お上に目をつけられるようなことなんか、これっぽっちもありませんや」

 

「客よ」とルイズは気のない返事で答える。

 

 店主は大げさに驚いたような素振りをして「こりゃおったまげた。貴族様が剣を! おったまげた」などと言ってみせる。

 怪訝そうにルイズ眉根を寄せた。

 

「どうして?」

 

「いえ、若奥様。坊主は聖具をふる、兵隊は剣を振る、貴族は杖を振る、そして陛下はバルコニーからお手をおふりになる、と相場は決まっておりますんで」

 

「使うのは私じゃないわ。従者よ」

 

「忘れておりました。貴族の従者も剣を振るうようで」

 

 露骨に愛想笑いを浮かべながらもみ手をする店主がケイツをじろじろと眺めた。

 

「剣をお使いになるのはこの方で?」

 

 ケイツはケイツで勝手に剣を物色していた。

 正直なところケイツは既に剣を持っているのでさしあたって必要としているわけではなかった。

 だが、仮にもケイツは剣士だし、未知の魔法世界にどんな剣があるのか気を惹かれないと言えば嘘になる。

 童心に返ったようなケイツをみながらルイズが店主に言い放つ。

 

「わたしは剣のことなんかわからないから、適当に選んでちょうだい」

 

 店主はいそいそと奥の倉庫へと消えていった。

 彼は聞こえないように小声で呟いた。

 

「……こりゃ鴨が葱をしょってやってきたわい。せいぜい高く売りつけることにしよう」

 

 しばらくして一メイルほどの長さの細剣を持ってやってきた。

 いわゆるレイピアと呼ばれるそれは突くことに特化した武器である。

 片手で扱うもので、短めの柄にハンドガードがついていた。

 

「そういや、昨今は宮廷の貴族の方々の間で下僕に剣を持たすのが流行っておりましてね。その際好まれるのがこういう剣でさ」

 

 確かに、細身の刃は洗練されており淡い光を湛えている。

 柄には精緻な細工が刻まれていて貴族好みしそうだとルイズは納得した。

 けれど、同時に疑問がわきあがる。

 

「下僕に剣を持たせるのが流行っている?」

 

「へえ、なんでも、最近このトリステインの城下町を、盗賊が荒らしておりまして……」

 

「盗賊?」

 

「そうでさ。なんでも『土くれ』のフーケという、メイジの盗賊が、貴族のお宝を散々盗みまくってるって噂で。貴族の方々は恐れて、下僕にまで剣を持たせる始末で。へえ」

 

 ふーんとルイズは盗賊には興味が無かったので話半分に聞きながら細身の剣を見つめた。

 確かに綺麗な剣だけど細い、というのがルイズの感想だ。

 ケイツはもっと大きな剣を持っている。

 

「もっと大きくて太いのがいいわ」

 

 店主はケイツを見た。長身ではあるが、身体は細い。

 長い逃亡生活で慢性的な栄養不足のケイツは頼りなさげに映った。

 

「お言葉ですが剣と人には相性ってもんがございますんで」

 

「もっと大きくて太いのがいいって言ったのよ」

 

 反論を打ち消すようにルイズは言葉を重ねた。

 もはや店主は何も言わずあらためて奥の倉庫へと消えた。

 その際に小さく「素人め」と呟いたのは誰の耳にも入らなかった。

 

 今度は立派な剣を油布で拭きながら、現れる。

 

「これなんかいかがですか?」

 

 見事な剣だった。ルイズの身長ほどあろうかという大剣。柄は両手で扱えるように長く、立派な拵えだ。

 華美に宝飾され、キラキラと眩しい。ルイズはそれが貴族に相応しい名剣だと思った。

 

「気に入ったわ。おいくら?」

 

 ルイズの問いに店主は答えず、もったいぶったように説明を付け加える。

 

「なんせ、こいつを鍛えたのはゲルマニアの錬金魔術師シュペー卿で。魔法がかかってるから鉄だって一刀両断でさ。ごらんなさい、ここにその名が刻まれているでしょう? おやすかあ、ありませんぜ?」

 

 お高いぞと店主の態度が語っていた。ルイズは負けじと胸を張る。

 

「私は貴族よ」

 

「では、エキュー金貨で二千。新金貨なら三千でさ」と淡々と言い放つ店主の言葉にルイズは顔を顰める。

 

「立派な家と森付きの庭が買えるじゃないの」

 

 あまりのぼったくり価格にルイズが呆れた。

 だが、店主も下がらない。さもルイズが世間知らずだといわんばかりに露骨に肩をすくめる。

 

「名剣は城に匹敵しやすぜ。屋敷で済んだら安いものでさ」

 

「新金貨で、百しかもってきてないわ」

 

 商人の駆け引きなんて、貴族のルイズにはわからない。

 あっさりと財布の中身をばらしてしまい、店主は話にならないといわんばかりに手をひらひらと振った。

 

「まともな大剣なら、どんなに安くてもも相場は二百でさ」

 

 自らの無知っぷりが露呈してしまい、ルイズの顔が羞恥の赤に染まった。

 

「何だ、娘は文無しなのか」

 

 そんなところにケイツの嘲笑じみた囁きが届いたものだからルイズはより一層激昂する。

 

「何よ、馬鹿なこと言わないで! ちょっと手持ちが足りないだけよ。家に行けばそのくらいいっぱいあるんだからね!」

 

「言わせて貰うが、そのような剣は私には必要がないぞ。相似魔導士には物の大小など瑣末な問題なのだ」

 

 『相似』であることが魔法資源であるのだから、極論すれば尖ってさえいれば剣として使える。

 むしろ小さいものを操作元に使ったほうが捜査対象により大きな力の比重をかけることが出来るので好都合である。

 もちろんルイズにはそのようなことはわからない。

 ケイツが解説しようとしたその時、第三者の声が埃っぽい武器屋に響き渡った。

 

「――そこのマヌケっぽい兄ちゃんには棒っきれがお似合いだ!」

 

「なんだと?」

 

 ケイツが侮辱されてその声の主を探す。しかし人影はない。声がした方向には乱雑に剣が積み重なっているだけであった。

 

「わかったらさっさと家に帰りな! おめえもだよ! 貴族の娘っこ!」

 

「失礼ね!」

 

 矛先が自分にも向いてルイズもまた怒り狂った。

 再び聞こえてきた声に目を凝らす。しかし相変わらずその方角には乱雑に剣が積み込まれているだけで誰もいなかった。

 

「こっちだよ、間抜け!」

 

 今度こそ声の主を理解した。剣の柄の部分がカタカタと口のように動きしゃべっているのだ。

 

「なるほど、剣が話していたのか」

 

「やっと気付いたか! この節穴!」

 

「やい、デル公! てめぇ、お客様に失礼なこと言うじゃねぇ!」

 

 店主が頭を抱えながら飛び火を恐れるように叫んだ。

 どうやらこの剣一癖も二癖もあるような頑固な剣らしい。

 

「お客様? 剣に振り回されそうなガリガリのおっさんがお客様? ふざけんじゃねえよ! 耳をちょん切ってやらぁ! 顔をだせ」

「それってインテリジェンスソード?」

 

 当惑したようにルイズは尋ねる。

 

「そうでさ、意思を持つ魔剣、インテリジェンスソードでさ。いったい、どこの魔術師が始めたんでしょうかねえ、剣をしゃべらせるなんて……。とにかく、こいつはやたらと口は悪いわ、客にケンカを売るわで閉口してまして……。やいデル公! これ以上失礼があったら、貴族に頼んでてめえを溶かしちまうからな!」

 

「おもしれ! やってみろ! どうせこの世にゃもう、飽き飽きしてたところさ! 溶かしてくれるんなら、上等だ!」

 

 売り言葉に買い言葉で熱くなっていく店主と剣を尻目に、ケイツは大して驚いた様子もなく言葉を話す剣の方向へと歩みを進める。

 数多の魔法大系の中には魔法構造物を形成し、まるでそれが生きているかのように振舞うものはたくさんある。

 であれば、この魔法世界にも、そのようなものがあっても驚くに値しなかった。

 骨ばった擦り切れが目立つその手でしゃべる剣をつまみあげる。

 

「なんだ、テメ! きたねぇ手でさわんじゃねぇ! って、オメー……」

 

 口の悪い剣のわめきが急に止まった。

 急に黙った剣を胡散臭げにケイツは眺める。

 

「おでれーた。見損なってた。てめ、『使い手』か」

 

「『使い手』だと?」

 

「ふん、自分の実力も知らんのか。まあいい。てめ、俺を買え」

 

 ケイツは当惑する。正直言っていらないのだが、人(モノ?)に必要されることに飢えているので悪い気はしない。

 窺うようにルイズの方を向く。

 

「え~~~~。そんなのにするの? もっと綺麗でしゃべらないのにしなさいよ」

 

「しかしだな……」

 

「なんだよ! 俺を買って損はねぇぞ! 買ってくれ! 買ってくれえ!」

 

 最早駄々っ子へと変貌しつつある剣にルイズは呆れ果てた。

 

「あれ、いくらすんの?」

 

「あれなら、百で結構でさ」

 

「安いじゃない」

 

「こちらにしてみりゃ、厄介払いみたいなものでさ」

 

 店主は手をひらひらと振りながら、せいせいすると言いたげである。

 

 ルイズはケイツに財布を出すように命令する。

 財布を受け取ったルイズはカウンターに中身をぶちまけて、金貨がじゃらじゃらとこぼれた。

 店主は丁寧に金貨をつまみ上げ枚数を数えると、頷いた。

 

「どうしてもうるさいと思ったら、こうやって鞘に入れればおとなしいくなりまさあ」

 

「俺はデルフリンガー様だ! 覚えておきやがれ!」

 

 カタカタとけたたましくしゃべる自称デルフリンガーと剣の鞘をケイツに押し付ける。

 「毎度」という店主の声を背中で聞きながら、ルイズとケイツは店を後にした。

 買い物を終えたルイズ達の足並みは軽やかで、トリスタニアの雑踏の中へ溶けていった。

 

 そんな二人を見つめるふたつの影があった。キュルケとタバサである。

 キュルケは路地の影から二人を見つめると、唇を悔しげに噛み締めた。

 

「ゼロのルイズったら……、剣なんか買って気を飛行としちゃって……。あたしが狙ってるってわかったら、早速プレゼント攻撃? なんなのよ~~~ッ!」

 

 キュルケは地団駄を踏んだ。タバサは一仕事終えたといわんばかりに自分だけの世界へと没入している。

 

「こうしちゃいられないわ! 私達もいくわよ」

 

 ルイズが過ぎ去ったのを確認するとキュルケはタバサを引きずるようにして歩き出した。

 行き先はルイズ達が買い物をした武器屋だった。

 

「おや! 今日はどうかしてる! また貴族だ!」

 

 武器屋の店主が目を丸くして驚く。

 

「ねぇご主人――」

 

 キュルケはマイペースでそんな店主の前へと詰め寄り、艶やかな仕草で自慢の赤い髪をかきあげた。

 色気が服を着て歩いているようなキュルケを前に、店主は頬を赤らめる。むんむんと熱波になって押し寄せてくるかのようだ。

 

「――今の貴族が、何を買って行ったのかご存知?」

 

「へ、へぇ。剣でさ」

 

「なるほど、やっぱり剣ね……。どんな剣を買っていったの?」

 

「へぇ、ボロボロの大剣を一振り」

 

「ボロボロ? どうして?」

 

「あいにく、持ち合わせが足りなかったようで。へぇ」

 

 キュルケはそれを聞いた途端に手を顎の下にかまえ、おっほっほとお嬢様笑いをする。

 勝った! 勝利を確信した。

 

「貧乏ね! ヴァリエール! 公爵家の名が泣くわよ!」

 

「えっと、若奥様も、剣をお買い求めで?」

 

 商売のチャンスだとばかりに店主は身を乗り出した。

 今度の貴族はどうやら、さっきのやせっぽっちと比べて、胸も財布の中身も豊かなようだ。

 

「ええ、みつくろってくださいな」

 

 主人は手もみしながら奥へと消えた。持ってきたのは先ほどルイズに見せたのと同じ大剣。

 シュペー卿の銘を打った立派な大剣だった。

 

「あら、綺麗な剣じゃない」

 

「若奥様、さすがお目が高くていらっしゃる。この剣は、先ほどの貴族様が所望したものですが、お値段の加減がつりあいませんで。へえ」

 

「ほんと?」

 

 キュルケが店主の言葉に色めき立つ。それもそのはず、ヴァリエールの娘が買えなかったものを手に入れるというのは、ライバルであるツェルプストー家のものとして勝利の証に他ならないのだから。

 

「さようで。何せこいつを鍛えたのは、かの高名なゲルマニアの錬金魔術師シュペー卿で。魔法がかかっているから鉄だって一刀両断でさ。御覧なさい。ここにその名が刻まれているでしょう?」

 

 ルイズ達の時と同様に、すっかり定番となったセールストークを店主はなぞる。

 キュルケは満足そうに頷いた。

 

「おいくら?」

 

「へぇ、エキュー金貨で三千。新金貨で四千五百」

 

「ちょっとお高くございません?」

 

 キュルケの眉がつりあがる。

 

「へぇ、名剣は釣り合う黄金を要求するものでさ」

 

 キュルケは考え込み、そして店主を値踏みするように見る。

 そして、おもむろに身体をカウンターの上にのせ、ゆっくりと店主のほうに近づけていった。

 

「ご主人……ちょっとお値段が張りすぎじゃございませんこと?」

 

 キュルケがそっと店主の顎の下を手でなぞる。美女の柔手の感触に浮かされて店主は息が詰まりそうになった。

 押し寄せるような色気が店主を苛む。

 

「へぇ、ですが名剣は……」

 

 なんとか理性を保ち、口上を繰り返そうとしたところにキュルケが左の足をそっとカウンターの上で持ち上げた。

 スカートの中からチラリとのぞく太もも部分に目が釘付けになった。

 

「お値段、張りすぎじゃ、ございませんこと?」

 

 キュルケはここぞとばかりに攻め立てた。相手の理性が揺らぐその隙を逃すようではツェルプストーの女として名折れというものだ。

 

「さ、さようで?? では新金貨四千……」

 

 キュルケがさらに膝を持ち上げその角度を狭めていく。見えそうで見えない絶対領域を造り出した。

 

「いえ! 三千で結構でさ!」

 

「はぁ、それにしても暑いわね……」

 

 熱に潤んだ流し目で店主の瞳を捉えながら、キュルケは胸元のボタンに手をかける。

 

「シャツ、脱いでしまおうかしら……。よろしくて? 店主」

 

「おお、お値段を間違えておりました! 二千で! へえ!」

 

 キュルケの手が一個目のボタンを外し、第二ボタンへとかかる。

 第二ボタンに一度視線を落として、そして店主の顔をみた。

 

「千八百で! へえ!」

 

 第二ボタンを外すと、はちきれんばかりの胸が服越しにたゆんと揺れる。

 第三ボタンに手をかけて、再び店主の顔を見た。

 

「千六百で! へえ!」

 

 どうやらキュルケのボタン一つの値段は二百らしい。ボタンを外す手を一度止めた。

 店主がお預けをくらった犬のような情けない顔になると、キュルケはくすりと小さく微笑んで、今度はゆっくりと丁寧にスカートの裾を摘む。

 絶対領域すら徐々に侵して行くその最中、固唾を飲んで成り行きを見守る店主がゴクリと喉を鳴らしたその時。

 キュルケはスカートを持ち上げていた手をピタリと止める。

 

「もう一声」

 

「あ、ああ……」

 

 店主の理性が色香で決壊しそうになっていた。

 もはや瞳はスカートの裾から背ける事が出来ず、生唾が口の中にたまっていく。

 

「千で! 千で結構でさあ!」

 

 キュルケはニヤリと微笑んだ。この辺が手の内どころか?

 そう考えたところで、ふと先日の広場での出来事が脳裏をかすめる。

 あの時感じた敗北感、ここで引いてはツェルプストーの名折れではないか。

 自分には更なる一歩を踏み出す意志こそが必要なのかもしれない。

 すっかり男を魅了した女王様気分になっていたのも手伝って、キュルケは更なる一歩を踏み出してしまった。

 

 この後の事はあえて語るまい。

 キュルケは結局、ルイズがデルフリンガーを買った価格と同じ値段でシュペー卿の剣とやらを手に入れた。

 後に入ってきた客が武器屋の店主が血溜まりの中で倒れ伏しているのを目撃したことで、事件へと発展しそうになったが、どうやら事件性はないということで片が付いた。

 なぜならば、その店主の顔はとても幸せそうに鼻血にまみれていたのだから。


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