サイト君、がんばる   作:セントバーナード

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第14話 エレオノールその2

 

 

 

 エレオノールが来てからサイトの日課は、おおよそ次のようになった。

 

 早朝=鍛錬▽午前=講義と伝授▽午後=領内視察及び業務▽夕食後=自由時間

 

 朝、昼、夜食はエレオノールと囲む。マナーとともに、ハルケギニアでのことわざやサロンで飛び交う詩や芸術論などを仕込まれる。夕食時には、水代わりにワインが出されるが、その評価やラベルから得られる醸造元の知識、産地によって違うヴィンテージイヤーなどを学ぶこともあった。

 

 

 サイトに比べてエレオノールは暇すぎるように思えるが、そうではなかった。

 

 

 午後は、昼前にサイトから得た異世界の知識をまとめるほか、サイトが求める情報収集のため、実家や王都に書物や文献を送らせる手はずで忙しかったのだ。

 

 

 

 

 それには訳があった。二人がそれぞれ認め合った後、サイトからエレオノールに申し出があったのだ。

 

 

 

 「おれの知識は、この世界では危険なものです。時代が変わるまでエレオノールさん一人でとどめておいてほしいのです」

 

 

 その話は、世界の形状から始まった。「世界は球形である」とのサイトの話をエレオノールが冗談とばかりに相手にしなかった。

 

 「では、ハルケギニアの反対側にいる人は、コウモリのように洞窟や木にぶら下がるしかないわね。そうでないと、落ちてしまうでしょうから、空に」と笑った。

 

 

 そこで予想外だったのが、合わせて笑うべきサイトが深刻な顔をしたことだった。

 

 「アルビオンは空中三千メールに浮かぶ島です。あの島から下界を眺めても地平線と水平線の向こうから先は何も見えません。世界が平面ならどこまでも見通せないとおかしくありませんか?」

  

 エレオノールの心拍数が高まった。

 

 

 サイトはさらに続けた。

 「アルビオンに限りません。あの島より高く登った船乗りは、そこから見る世界の果てが丸く、カーブしているのを知っているはずです。どうして、誰もこのことを問題にしない、あるいは、しなかったのでしょう」

 

 エレオノールはブルブルと震え始めた。

 

 

 

「ハルケギニアの東に、長年戦ってきたエルフの地があることは誰もが知っています。でも、その東にあるという国については、詳しい情報は何もない。さらに、ハルケギニアの海の南側は? 西は? 北は? どうして、この世界には、いつまでたっても地図ができないんでしょう?」

 

 エレオノールの顔は青を通り越して、土気色に変っている。自分の依って立つ地面が根底から崩れ始めた気がしたのだ。呼吸の頻度は通常の倍ほどにもなっていた。過呼吸の一歩手前である。

 

 

 

 そして、サイトがとどめを刺した。

 

 「ハルケギニアには、この地から人を出させない、もしくはこの世界以外のことを知らせないようにする禁呪がかかっているのではありませんか?」 

 

 椅子から転げ落ちるエレオノールを支えたのは、右側から伸びてきた少年の左腕だった。

 

 

 「その考えは異端だわ!!」と叫ぶエレオノールに「ええ、そうかもしれません」と応えたサイトの声はあくまで冷静だった。

 

 

 

 「聞いてください」と続けたサイトの話は、エレオノールにとって衝撃的だった。

 

 サイトのいた世界では、かつて全宇宙の中心がチキュウで太陽や星々はその回りを回っていると考えられていたこと、だが、観測や数式を用いて、チキュウが太陽を回っていることを証明した科学者がいたこと、その科学者は宗教者によって「異端」とされ、火あぶりの刑で殺されたこと、彼の跡を継いだ科学者はもっと厳密に証明したが、その発表は彼の死ぬ間際まで数十年にわたって秘匿されたことーーなどを悲しそうな顔で説明した。

 

 

 「野蛮だわ、学問への冒涜よ!」と叫んだエレオノールだが、直前に自分が口にしたことを思い出した。 そして「そうね、ハルケギニアも同じかもしれない」とうつむいた。

 

 

 

 「だからこそ、おれが話すことは、時が来るまで胸に秘めてほしいんです。姉さんを、ルイズを悲しませたくないんです」

 

 

 そして、二人はこの世界全体にかけられているかもしれない禁呪の可能性、サイトの知識を秘密にするという固い約束を交わしたのだった。

 

 

 

 

 

 

 それからサイトが提供する情報は、禁呪が解けたようなエレオノールにとって目が回るものばかりだった。

 

 

 サイトの住む世界には魔法がない。その代わりを科学と技術が担っているという。

 

 人間を含めてすべての生物の体は、細胞と言う小さな小さな箱のような存在で出来上がっていること、一つ一つの細胞の中には遺伝子と呼ばれる設計図が組み込まれており、この設計図によって生き物は体の一部を直したり、必要な物質を作り出したりしていること、サイトの世界の学者は、ある生き物の設計図を取り出して、別の生き物の細胞に組み込むことで、薬や新たな物質を作り出すようになっていること。

 

 ロケットと呼ばれる乗り物は、すでに月(サイトの世界では月は一つしかない)まで人を送り出していること、もっと遠くの星まで無人のロケットが往復し、その星の土を持ってきたこともあること、そのスピードは五を数える間に、トリステインなら東の端から西の端まで通り過ぎるほどであること。

 

 硫黄や鉄、金などすべての物質を細かくしていくと、最後には原子と呼ばれる存在になること、この原子も、陽子と中性子、電子という構成要素に分かれること、これら構成要素も実はさらに細かい素粒子と呼ばれる粒に分類されること。原子には百ほどの種類があり、これらを組み合わせてできる物質があること。水や炭酸、塩がそうだという。

 

 質量はエネルギーに転換されること、太陽がさんさんと輝き続けるのは、その内部でこの転換が休みなく続いているためであること、この仕組みを応用した兵器が作られ、十万人を超える人々を一度に殺したことーーなどなどである。

 

 

 

 これらを一つでも公に言い出せば、王家だろうが、高位の聖職者だろうが、今のハルケギニアでは異端に問われることは間違いなかった。サイトの話すことすべてを鵜呑みにするほどエレオノールは単純ではない。ないが、その理由や仕組みをも説明されると否定できないとの結論に達するのは、彼女が学者として論理的思考を身に着けていたからである。

 

 

 さらに言えば、もし、サイトの世界とハルケギニアが戦端を開けば、あっという間に滅ぼされるのはハルケギニアの方であることも確信せざるを得なかった。サイトの母国でさえ、人口は一億三千万人という。トリステインのおよそ百倍である。先の科学力で武装された軍隊と接触したら、スクエアクラスのメイジでも、もっと言えば、最強のエルフで組織された部隊だろうが、瞬殺されるしかない。妹ルイズはなんという世界の少年を呼び出してしまったのか。あらためて身震いするほどだった。

 

 

 

 

 サイトがハルケギニア全体にかかる禁呪に考えが及んだのは、碇シンジの世界で知ったことが契機となっていた。

 

 命の実を手にする使徒と命の実をあきらめた代わりに知恵の実を得た群体の人・18番目の使徒リリン。二つの実はトレードオフの関係にあった。

 なら、この世界は? 魔法を与える代わりに、ハルケギニアだけに人の活動範囲をとどめようとする契約があったのではないか? 誰によって? 一番可能性が高いのは、始祖ブリミルか。この地の魔法の根源は彼に帰する。では、なんのために? だが、それについての情報は限られており、なんらの判断を下すことはできなかった。

 

 

 自分の持つ知識をさらしたサイトだが、エレオノールにも黙っていた仮説があった。

 この世界のおかしさである。見たこともない幻獣が生息するが、見たことがないだけでサイトにはその知識があった。

 ドラゴン、ワイバーン、サラマンダー、マンティオコア、グリフォン、ヒポクリフ…。亜人であるヴァンパイヤ、オーク鬼、ゴブリンもそうだ。すべてサイトがいた地球で言い伝えられた、または考えれられたものばかりである。地名、人名もそうだ。アルビオン、ガリア、ゲルマニアはいずれも古代と中世ヨーロッパそのまま。まるで、地球人類の思考を投射したかのようなこの世界。

 サイトには、ハルケギニアとは、光が当てられた地球の影のような存在、もしくは地球の不完全コピーにしか感じられなかったのである。もちろん、この考えをエレオノールが知れば「馬鹿にするな」と怒り出しそうだが。

 

 

 

 

 

 

 一方で、サイトがエレオノールに求めた知識、情報は主に人文科学方面に集中した。

 自然科学は一部の医療分野を除いて、地球より遅れていることは自明だった。なら、この世界で自分の課せられた責任、役割を確認するには、社会の、文化への知識が何より必要だと思ったのだ。地理・歴史はもちろん、ハルケギニアにおける法制度、政治システム、統治の根拠(これは王家の存立にもかかわる微妙な問題をはらんでいた)。さらに、ブリミル教における教義、ここにはサイトが危惧する「異端」の範疇も含んでいる。これらの知識を整理分類しない限り、自分が進むべき方向は分からないと考えたサイトだった。

 

 

 博識とも言えるエレオノールもその場ですべてに応えるだけの知識はなく、エレオノールはそのつてを使って、書籍、文献集めに精を出さざるを得なかった。サイトの為に働くのが決していやではなく、楽しい作業であったのは、彼女にとっての幸せだった。

 

 

 

 かくして、教師と生徒役をテーマによって交替する美女と少年の授業はしばらく続くことになった。

 

 

 

 

 で、エレオノールは「姉さん」と呼ばれることに抵抗がなくなっており、本人もいつの間にか「サイト君」と呼びかけるようになっていた。 

 

 

 

 男性に伍して背伸びを続けてきたエレオノールだが、謙遜という美徳を知った彼女は聡明さがさらに引き立つ美女に変身していた。険が取れたのである。

 

 

 今なら、バーガンディ伯爵も「もう無理」ということは絶対になかっただろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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