サイト君、がんばる   作:セントバーナード

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久しぶりに更新します。


第28話 馬車

 

 

 

 

 頭を軽く下げてシャルロット女王を王宮に送り出したイザベラは、碇泊するお召し艦リシュリューの前でサイトを待った。

 

 VIPだけに許された緋毛氈。艦長はじめ軍の指揮官が歩くことは許されない。タバサの後、このレッドカーペットを踏んで来られるのは、賓客サイトしかいなかった。だが、サイトにしてみたら、言われるままにフネを降りて紅いルートを歩いてきたら、目の前にガリアの副王が仁王立ちしていたという感じである

 

(ここは片膝を着いて挨拶するんだったよな)

 

領地オルニエールでは家庭教師となったエレオノールから日々、王宮儀礼を学んでおり、自分が果たすべき作法は心得ていた。何せ、副王の周りをガリア政府の高官及び軍関係者がずらりと取り囲んでいる。ここで「トリステインのシュバリエはなんて礼儀知らずだ!」などと言われて、禄を賜ったアンリエッタに恥をかかすわけにはいかない。

 

 

3メールほど前で立ち止まり、片膝を着こうとした瞬間、イザベラの怒声が響いた。

 

「おお、くさい!!」

 

左手の手のひらで鼻を覆う青髪の美少女。その瞳はサイトの左上方をにらんでいる。視線の先にはで舷側に照明をともして闇に浮かび上がるリシュリューがある。

 

サイトは思わず、右腕を持ち上げてウインドパーカーの袖に鼻を近づけてクンクンとかいでしまった。確かに消火作業中、煙を浴びたし、たっぷり汗もかいた。気を失い、魔剣が森の中に誘導着陸させてくれた後は大量のススも降り注いできた。これだけの距離があってイザベラににおうのなら、よっぽど自分はくさいんだろう。だが、いきなりのごあいさつに少々面食らったのも事実だ。実際、艦上では、タバサはそんなことは一言も口にしなかった。逆に跪くのを免除され、厚い感謝をされたのだ。それがリュティスに着いた途端にこれ。元々が気短なサイト。イザベラの発言に、機嫌も斜めになりかけた。

 

 

 

 ところが、

 「サイト様は山脈大火を消し止めた救国の英雄であるぞ。王都リュティスが灰になるのをたったお一人で食い止めてくださった恩人であるぞ。ガリアは感謝しても仕切れないほどの大恩があるのだ。そのサイト様に、いかに艦上と言えど、お体をぬぐう程度の心遣いもお前達にはできないのか!」。青髪からのぞいたおでこが辺りを睥睨する。

 

 話の急転換にサイトはついて行けない。

 

「いや、フネでは俺の凍傷の治療をしてもらうのが最優先だったので、そんな暇はとてm…」という、サイトの小声の反論というか弁解はイザベラのさらなる怒声でかき消される。

 

 

「お前達は、古今無双の武勇を持ち、片手で大火を、嵐をも鎮める神の左手ガンタールヴ・サイト様が我が祖国ガリアのためにそのお力の一端をお貸しくださったのか分からないのか!!」

「しかも、獅子奮迅の御働きをなされる最中、ひどいおけがをなさったとも聞く。そのお方にこのような仕打ち。ガリアの副王としてわらわは恥ずかしく、サイト様に申し訳なくて涙が出てくるわ」

「よいか。サイト様はおけがが本復なさるまでガリアが最高の賓客としておもてなしする。これは女王陛下とともにわが王家ができる最大の償いじゃ。心せよ」

 

 

イザベラは最初からサイトに聞かせるつもりで演説をぶったのではない。

ガリアの主だった者に、賓客サイトの扱いは王家専権事項。政府高官の口出し、諸侯の横やりは決して許さない旨を宣言したのだった。周りの者は、シャルロットが帰還した後、緋毛氈の上でイザベラと密談をし、二人とも不敵というか、腹に一物も二物もありそうな笑みを口元に浮かべていたのを目の当たりにし、背中に粟立つモノを感じていた。女王と副王が堅いタッグを結んでいるのは明らかだった。もとより、シャルロット女王が異国のシュバリエサイトに執心しているのは公然の秘密で、この件で反論、異論を挟むことはその者の政治的破滅を意味した。

 

 

ここまで話したイザベラはサイトの前で腰をかがめて右足を後ろに引き、深く頭を下げた。ガリア副王のこの作法は儀礼上、ロマリアの高位神官を除けば、トリステイン、そして今は滅んだアルビオンの王にしかあり得ない。小声ながら周囲がざわめく。

 

「サイト様、プチトロワをご自分の家とお思いになり、お使いください。小さな館ではございますが、シャルロット女王、ご母堂ブランシュさま、そして私めが住まいといたすところ。ガリアの名うての医師も控えておりますれば、ご回復まで心置きなくご滞在いただきとう存じます」

 

プチトロワは、崩壊したグラントロワとともに、王家の絶対的プライベート空間の位置づけとして認識されていた。侍従、女官、警備の者など家臣は多数いるが、そこに客人として招かれた者はいない。周囲のざわざわは大きくなったが、イザベラは気にする風もない。「では、館まで案内させて戴きます。こちらの馬車にお運びください」

 

 

いろいろとあった夏の短夜は、そろそろ終わろうとしていた。中天の星は今もきらめいているが、明るみかけた東の空ではもう見えなくなっている。

 

訳も分からぬまま、車中の人となったサイト。上席に座らされ、ベンチシートの左にはさも当然のように青髪の副王が座す。馬車の後部デッキは腕利きの花壇騎士団員二人が立つ。王家の馬車の前後、両脇には騎乗のメイジが併走する。

 

 

車内にはマジックライトの淡い光。その光にイザベラの横顔が浮かび上がる。その頬は、初めて意識することになった異性、サイトの隣にいることで少し上気していた。

 

(サイト様はどのようにしてあの大火をお収めになったのですか?) (私は残念ながら他国のことはよく知りません。御領地オルニエールはどのような場所なのでしょう) (トリステイン魔法学院では、シャルロット女王と懇意にされた由、学院では女王はどのようなご様子だったのでしょう) 

 

会話の糸口を見つけたいのだが、どのように切り出したらいいのか分からない。その一方で、(あーっ、ドキドキが収まらない。この鼓動をサイト様に聞かれたらどうしよう)との恥じらいや(この方はエレーヌの思い人。私は決して恋してはならない方)などの自己規制で心が悲しみに染まる。

家臣に一方的に命令するのとはまったく別の状況に、明晰な頭脳はショートしてしまっていた。ガリア王家の嫡流であることを証明する美貌は、晴れたり、曇ったりし、時には眉間にしわが寄ったりした。

 

 

 

イザベラが一人百面相をしているうちに、馬車はプチトロワに到着した。サイトと会話し、親しくなる絶好のチャンスを無駄にしてしまったことは明白だった。悔いから顔がゆがむのを止められなかった。

 

馬車から降りたプチトロワの玄関口で、先に下車し、振り返ったイザベラと正対したサイト。車中でイザベラの苦しそうな表情を横目で見ていたサイトは言わざるを得なかった。

 

「くさくて申し訳ありませんでした。こちらではシャワーを使わせてもらっていいですか?」

 

 

「えっ? あの、違うの。違うんです」

 

こぼれたミルクは皿には戻らない。ここに至って自分の発言と表情が、自分の想いとはまるっきり逆の誤解を招いていることをイザベラは悟ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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