サイト君、がんばる   作:セントバーナード

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第三章 百合の間

 女王の目の前で倒れ込んだサイトは、王宮内の最上級の客間に運び込まれた。アンリエッタの厳命だった。

 体、特に頭を揺らさないように細心の注意を払って、レビテーションでゆっくりと動かされ、ベッドに横たえられた。水魔法に長けた名うての王家侍医団がディテクト・マジックやヒーリングなどさまざまな呪文を口ずさみながら、サイトの体を隅から隅まで探る。

 

 

 アンリエッタは、広い広い王宮内の準公務室である百合の間にいた。サイトが流行り病だった場合のことを考えると、国家そのものとも言える女王をサイトから引き離すのは当然だった。実際、幼少時代のアンリエッタも父王が病床にある時は、見舞い程度の短時間しかそばにいることは許されなかった。そのことをよく知っているアンリエッタは客間という名の病室を離れざるを得ず、百合の間に居場所を移した。数ある部屋の中から、この部屋を選んだのは、私室では客間から遠すぎること、公式の部屋では、煩瑣な作法無しでは部屋を飛び出ることがかなわなかったからだ。

 

 約3時間後、5人の侍医は診立ての協議を終え、代表して侍医長のバナクホーフェンがアンリエッタの前に進み出た。

「陛下、シュバリエ・サイトの容体について報告いたします」。バナクホーフェンは、王家が信頼する名医。その貢献から子爵に叙されている。不測の事態があっても動じない姿勢は、現場での長年の経験で培われたものだ。その初老の男が言った。「心臓、脳ほか各部位には損傷、炎症もなく、なんらかの病気にかかっている徴候は見つけられません。防御反応であると考えますが、体温、脈拍などの基礎代謝は、生命を維持するぎりぎりのところまで低下しています。この昏睡状況が長く続けば、生命力旺盛なシュバリエ・サイトといえども、3日ほどが限界かと。手を尽くしていますが、意識の回復の見込みは残念ながら……」。昏睡は、コントラクト・サーヴァントによる衝撃と考える以外にないが、練武場での一連の流れを知っているバナクホーフェンはアンリエッタを傷つけるだけと分かっているだけに、あえて口にはしなかった。「サイト殿へのお知り合いに今のうちから声を掛けておくのがよろしいか、と」。

 

 「ご苦労様でした。引き続きシュバリエ・サイトへの治療継続を命じます」。椅子に座ったアンリエッタがマホガニー製の黒光りする机の前から震える声で侍医長をねぎらった。この場に及んで「何が何でも絶対に救命せよ」と無茶を言うほど愚かではない。王家侍医団が最善の努力を重ねてきたことは、侍医長の顔を見れば分かる。わずか数時間で、バナクホーフェンの頬はこけ、目の周りは黒ずんでいた。各種魔法の使いすぎで精神力が枯渇したのだ。

 

 サイトの主、ルイズとティファニアへの連絡には、最速の風竜が用意され、腕利きの竜騎士がまたがって魔法学院に向かった。続いて二人を乗せて王都に連れ出すための龍篭もトリスタニアから飛び立った。

 

 

 「私のせいだわ…、自分の想いを通すわがままで、サイトさんをこんなふうにしてしまった。サイトさんまで失ったら、私はもう生きていられない…」

 

 王の責務たる各種書類へのサインはじめ、各種公務は滞っていたが、この日ばかりは、マザリーニも何も言わなかった。マリアンヌが女官を引き連れて、部屋を訪れた。サイトが倒れて以来、アンリエッタが一杯のお茶も口にしていないことをボルト侍従長から聞き、食事に誘いだすためだ。

 「アンリエッタ、あなたまでが倒れては、それこそ回復した時にサイト殿が悲しむことになるでしょう。すでに夕方、昼食というのには遅くなりましたが、とりあえず、一緒に食事を取りましょう」。マリアンヌは最愛の夫を亡くしている。娘を慰めるのに、自分の辛い経験が役立つことの不運を呪った。しかも、娘はいとこウェールズに続いて二人目だ。ウェールズとは互いに一国の皇太子、皇太女という立場で結婚ははなからかなわぬことをある程度覚悟していたから、サイトを失う衝撃はそれ以上かもしれぬ。

 

 

 母の誘いとあれば、アンリエッタも無碍にはできなかった。侍従に、サイトの容体についての報告が寄せられれば、すぐに知らせるよう頼み、百合の間を後にした。

 

 

 

 

 ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールとティファニア・ウエストウッドが竜駕籠でトリスタニアに到着したのは、翌朝になった。本来、王宮に入るのには正門から幾つもの関門があるのだが、女王の命ですべてフリーパスだった。

 学院で二人は、オールド・オスマンらとともに竜騎士から即席の報告を受け、竜駕籠が来るまでの間に旅支度を整え、竜駕籠が到着するやすぐに飛び乗った。カーゴの中には、なぜかシェスタも蒼い顔をしながら座っていた。「私は…、私は女王陛下からサイトさん付きのメイドを言いつけられました。主人であるサイトさんのもとに向かうのは当然かと思います」。主人という言葉だけを強く、はっきり口にしたことに、ルイズはイラッとしながらも、あえて言い返さなかった。ここで、何かを言うと、涙がこぼれてしまいそうだったからだ。実際、隣のテファはもう泣いている。「サイト、サイト、サイト…」とうわごとのように繰り返しながら。

 

 病室では、具無しのポタージュだけで朝食を終えたアンリエッタがベッドの横に椅子を置き、サイトの右手を両手で握っていた。見舞いは昨日同様、短い時間しか許されておらず、その間だけでもサイトを両手で感じていたかったのだ。

 

 

 病室に入ったルイズたちは、アンリエッタの前でひざまづき、臣下の礼を取った。「ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール及びティファニア・ウエストウッド、王命によりまかり越しました」。アンリエッタに飛びかかりたいほどの思いを抱えていても、王宮内とあれば、そのルールに従うしかない。公爵家の三女に生まれついた時からしつけられたマナーは何よりも優先された。また、王宮内の席次では、アンリエッタの従妹ではあっても無位無官のティファニアより、女官に任じられているルイズの方が上になる。平民のシェスタは名前も呼ばれない。背後で平伏していても最初からいないものとして扱われるしかなかった。

 

 

 二人、いや三人に泣いて謝りたいのが偽らざるアンリエッタの本音だが、王の立場はそれを許さない。椅子に座ったままで儚げな笑みを浮かべ「よく来てくれました。ルイズ・フランソワーズ、そしてティファニア。我が伴侶、シュバリエにして水精霊騎士隊副隊長のサイト・シュヴァリエ・ド・ヒラガ・ド・オルニエールをどうぞ見舞ってやってください」。まこと、宮廷作法の模範となりそうなやり取りだったが、この少女らの内に込めた本当の感情を知る者は広いこの客間にいる30人ほどの貴顕の中でも、隅に控えたアニエスら数人しかいない。

 

 

 侍従に促され、アンリエッタは客室を出て行った。お付きの女官、護衛の者たちもそれにつき従う。サイトのそばに残ったのは、学院から来た3人と侍医らだけになった。最初に動いたのは、典礼やマナーに束縛されないシェスタだった。ベッドに横たわるサイトに飛びつき、「サイトさん、サイトさん」と泣き叫んだ。続いて、ルイズ、ティファニア。「許さないんだからね、早く目を覚ましなさい。これはご主人様の命令なんだからね」。ティファニアは二人にベッドのサイトを取られたため、アンリエッタが先ほどまで握っていた右手を取り、自分の頬に当てた。アンリエッタのぬくもりが残っていたはずだが、その温かみもどんどん失われていくのが余計悲しい。少女三人の狂おしいまでの悲しみぶりは、見かねた侍医が「容体に差し障ります。お控えください」と注意するまで続いた。

 

 

 

 

一方で、サイトの昏睡は、南に位置する大国ガリアとの摩擦も引き起こしていた。

 

 

 

 


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