「タバサ、どういうことなんだ!」
意に反した叙爵式の後、宮殿にある応接室カクタスの間で、サイトは声を荒げた。
正面の壁に写実的なサボテンの絵が掛けられた室内に控える護衛の騎士や侍従らは、ガリア王に対するあまりに非礼、無礼な態度に気色ばんだ。だが、成ったばかりとは言え、相手はオルレアン公爵であるシュバリエ・サイトである。そこを子爵や男爵クラスがとがめるのは逆に身分をわきまえないとも言える。
サイトは先ほどタバサから付けられたばかりのマントを外して長いすの脇に置いている。
そのガリア王は「サイトは、私をそしてわが国を救ってくれた英雄。その恩義に対して礼をするのは王と言うよりも、人として当然」とすました顔で答える。
「俺がいつ領地が欲しいと言った? 勝手にガリアの貴族になんぞしないでくれ!」
あまりの物言いだが、周囲はこめかみに青筋を立てながらも耐えている。
ここで割って入ったのが、タバサの隣に座るイザベラだった。
「サイト様、オルレアンをあなたに賜ったのはそれなりに訳があるのです。聞いてもらえませんか」
「副王殿下、これはあなたの差し金ですか?」
「差し金だなんて人聞きの悪い。昨日、サイト様には、エレーヌからささやかなプレゼントを差し上げるとお伝えし、ご了解いただいたはずです。そして、私のことはリザで結構です」
「オルレアン領のどこがささやかなんですか! 副王殿下」
実際、ラグドリアン湖を挟んでトリステインと接するオルレアン領は、ルイズの実家ヴァリエール公爵領よりも広かった。
ここで一瞬、イザベラが眉間に皺を寄せたのは、サイトの激高ぶりが気に入らなかったからか。それとも自分への呼称がそのままだったからか。おそらく両方だろう。
「サイト様は領地の大小で人を評価するような方だったのですか?」
「オルレアンは、シャルロットの思い入れ深い場所。それをサイト様に賜ったのです。オルレアンは、非業の死を遂げた叔父シャルルの領地だったことをご存知のはず。その思い出の地、父の旧領を、サイト様にこそ守ってほしい、というのがシャルロットの心からの願い。それをそのように拒まれたら、シャルロットがあまりにもかわいそう」
ここで下を向いたイザベラが白いハンカチを出して、両目尻をそっとぬぐった。もちろん嘘泣きである。だが、誰が見ても泣いているとしか見えない。その迫真の演技に、サイトの気勢がそがれる。もともと美人の涙にはとことん弱いのだ。
「いや、でも、トリステインで年金と領地をもらっている身としては、アンリエッタ女王陛下にも顔向けできないというか…。今のオルニエールだけでも音を上げそうなのに、あんな広い領地をもらってもとても手が回らないというか…」。語尾がだんだん小さくなる。
「ええ、それは承知しています。父ジョセフの企みで、シャルロットが領していたオルレアンの屋敷には不名誉紋を付けられ、何の開発もできなかった土地です。領民の多くも離れてしまい、公爵領と言っても今は名ばかり。ゆえにサイト様の手を煩わせないように当分の間は王家が管理して参ります。代官はじめその他の者もガリアが責任を持って手配しましょう。サイト様にはその実入りだけを受け取っていただければ、と考えています」
イザベラは「当分の間」という言葉に力を込めた。
「それに、ガリアにもトリステインにも、両国に領地を持つ貴族はたくさんいます。婚姻、相続、贈与などによるものですから、それを王家が禁止するわけにもいきません。トリステインはそういう貴族を罰するのですか?」
情感たっぷりでありながら理知的に、そして一方的に言いくるめられるのは、ルイズやアンリエッタ、シェスタ相手では考えられないことだった。なんとか、オルレアンを返上したいと頭を巡らせるのだが、いい反論が出てこない。(隣にエレオノール姉さんがいてくれたら)と思わずにはいられなかったサイトである。
「…では、では、トリステインに帰ってよく相談してから返答する、と言うのは…」
「サイト様は、ガリアにトリステインとの間にトラブルをつくろうとおっしゃるの? この宮殿、しかも臣下多数が見守る鏡の間で、ガリア王が口にした領地の下付を、他国の命令で返上されたとあっては、ガリアの、わが王家の威信は地に落ちます。これを理由にトリステインといらぬいさかいが起きるやもしれません」
「うーん」
ハルケギニアに来てから、国同士の戦争を身をもって体験してきた。自分が原因で新たな紛争の種をまくようなことは絶対に避けたい。この思いは変わらない。不測の事態を起こさないようにしながら、ガリアの公爵になることをも拒むにはどうしたらいいか。ルーン効果で多くの知識が流れ込んでいたサイトだが、このような政治絡み、人間関係の連立方程式を解くような解答は浮かんでこなかった。
一方、サイトを前に無表情を続けているシャルロットは、滔々と流れるイザベラの話術、詐術に舌を巻かざるを得なかった。
こちらの思い通りに相手を動かす。敵が動く方向に罠を張る。数十手先まで読んで絡め取っていく。父シャルルと伯父ジョセフは、国内でほかに相手がいないほどのチェスの名人だったそうだが、やはり血は争えない。人の扱いにおいて希代の名手となることを約束づけられた従姉は、まだ十代後半だ。
(イザベラ、恐ろしい子)とタバサは思うのだった。
サイトをオルレアン公にすると女王と副王の2人で決めたのは一昨日。
トリステインの宰相マザリーニが即位祝いのため馬車でリュティスに向かっている、との報告が寄せられていた。名目上、断るわけにはいかない。だが、「サイトを取り戻せ」というアンリエッタの意向を汲んでの来訪であるのは丸分かりだ。サイトをずっと引き留め、一緒にプチトロワで暮らし続けることが不可能なのは分かっていた。だからこそ、今後もサイトとの間に太い絆をつくっておくことが急務であった、それもあの枢機卿がこちらに来るまでに。
領地を下付してガリアの貴族にしてしまうことは、以前から想定済み。その領地をどこにするかで、若干の時間を要した。つき合いの長いシャルロットはともかく、イザベラはここ数日しかサイトを知らない。知らないが、トリスタニアの大使館から報告された「シュバリエサイト調査報告書」を読み、おおよその輪郭は掴んでいた。
ハルケギニアの者なら誰でも「末代までの栄誉」と泣いて喜ぶであろう叙爵、領地の拝領を、遠い世界から来たサイトが断りそうなことは予測できた。実際にアーハンブラ城に幽閉されていたシャルロットを救い出すために、領地とマントをトリステイン王家に返上したことも分かっている。だとすると、サイトを言いくるめる理論構築が必要だった。
それが、シャルロットゆかりの地であるオルレアンだった。
オルレアンの下付には、2人には別の思惑もあるが、互いに口に出さなかった。
オルレアンは代々、王にごく近い血族に与えられる地。その領地の格は他の公爵とは比べものにならない。もし、オルレアンを拝領した者がガリア王家の者ではないのなら、その者こそが王家の婿にふさわしい者である、ということは常識の部類だ。
シャルロットは(オルレアン公にして、シャルロット・エレーヌ・オルレアン女王の王配・サイト。政務はイザベラに丸投げする。なんなら、王冠もイザベラに押しつけてしまう手もある)と夢想していた。
イザベラはイザベラで(私は第二夫人だからオルレアンに住んで、いろいろ領地管理の仕事を手伝いながら、時々、サイト様をリュティスのエレーヌの元へ送り出す。時々ね)と計画していた。
互いの腹の内を知ったら、女王と副王の、青髪の従姉妹同士によるとっくみあいの喧嘩が見られそうではあった。