サイト君、がんばる   作:セントバーナード

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第五章 ルーン

 

 

 とりあえず、この夜はサイトを一人で安静にさせることが侍医団からの強い要請だった。立場上、母国と隣国の君主に対して、そうそう言えることではないが、医師という職責が背中を押した。何せ、患者は昏睡から回復したばかり。脈拍、呼吸、体温はいずれも平常値に戻っているが、再発する可能性は皆無とは言い切れない。できるだけ刺激を与えないに限る。もういちど昏睡に陥っても、医師団には手の打ちようがないのだ。

 

 

 「そうですわ、姫様。サイトのことを考えれば、いつも通りにさせるべきです」。侍医団の方針に真っ先に賛成したのは思わぬことにルイズだった。彼女の普段の言動からすれば反論するのが当然のようだが、彼女なりの深い思惑があった。「で、学院でも、オルニエールの館でも私の隣にいつも寝かせています。何せ、私の使い魔ですから。おほほほほ。皆さまはどうぞお引き取りください。今晩は私が見守ります」。やっぱりルイズだった。思惑はあまり深くはない。

 「じゃあ、私も一緒ですね、ミス・ヴァリエール」とシェスタ。その笑顔には決して出し抜かせないぞ、との決意があふれていた。

 先ほどまでの憔悴ぶりが一掃され、戦う顔になったアンリエッタがルイズに挑む。「あら、ルイズ。勘違いしているようですが、サイトさんは私の使い魔にもなってくださったのです。それに、学院に出した竜騎士から、コントラクト・サーヴァントで私の伴侶になることを聞きませんでしたか。やはり、ここは将来の妃が病み上がりの夫を支えるべきでしょう」。

 使い魔と主人の関係では、ティファニアも二人と同じ立場のはずだが、気の優しい彼女は火花散る争いについて行けず「あうあうあうあう」とうめくだけだった。

 

 劣勢に立たされたのがシャルロットだった。彼女には使い魔契約はなく、しかもここはトリスタニアの王宮。言わば、敵地だ。このままではまずい。冷静に考えを巡らせた彼女は一度は捨てた「サイト強奪作戦」に活路を見いだした。「サイトは私にとって、ガリア王国にとっても恩人。聞けば、今回の昏睡の原因は不明のままだとか。ガリアは、治癒魔法には長年の蓄積がある。決して、トリステインの医療水準を貶める考えはないが、ここは暖かなリュティスで静養に努めるべき。幸い、私が乗ってきた船には、王族専用の医務室が付属している」。

 四人は「このちっちゃいの、両用艦隊を動かしたのは最初からそのつもりだったのね。油断も隙もないわ」と心の中で悪態を吐く。アンリエッタは、にこやかな笑顔で「過分なお申し出に感謝します。ですが、サイトは私のシュバリエにして、当国騎士隊の副隊長。本人も決して他国に渡るのを良しとしないでしょう」。

 

 

 

 「ここは私が」「では私も」「いえいえ私が」「あうあうあうあう」「やっぱりリュティスへ」ー。

 壮絶な堂々巡りは、青筋をこめかみに浮かべたバナクホーフェン侍医長が「皆様方、どうぞお引き取りを」と一喝するまで止まらなかった。

 

 

 

 

 頭上で繰り広げられる「女の戦い」をよそに、サイトはシンジのこと、赤く染まった地球のことを考えていた。

 聞けば、アンリエッタとのキスの後、自分は三日間昏睡していたという。ならば、夢かとも思うが、リアリティがありすぎた。サキエルから始まる数々の怪物と人類との死闘、エヴァ初号機に握りつぶされて落ちる渚カヲルの首、ネルフ本部で殲滅戦を展開する戦略自衛隊…。いずれも血しぶきが自分の顔にかかるようにまざまざと思い出される。加えて、体にも異変を感じていた。ルイズに召喚される前はただのアキバ好きの高校生。こちらに来てからはガンダールフの力で身体能力が飛躍的に向上した。たが、頭脳は全く別だった。いまだハルケギニアの文字さえ解しない。

 

  しかし、今はなぜか、とてつもない量の知識が大脳皮質に刻まれていた。授業で苦手だった微分積分どころではない。線形代数やローレンツ方程式まで理解できるようになっていた。シュレーディンガーの波動方程式、碇ユイの専門だった形態形成上生物学理論までもが頭の中にあった。「魔法の力で人間が宙に浮く。固定化だの、錬金だのも物理法則から完全に外れている。一般相対性理論や量子力学を駆使しても、これらの現象を解明するのは不可能だ。この世界では、重力、電磁気力、弱い力、強い力の自然界に於ける四つの力以外に未知の力が存在するとしか考えられない。重力子、光子、ゲージ粒子以外のなんらかの粒子がメイジの精神力を媒介にして隆起し、対象物と交換されているのだろうか。待てよ、そうならば、ハルケギニアでは量子が粒子と波以外にも、なんらかの形状を取りうる蓋然性まで考慮に入れる必要があるな」。サイトは確実に賢くなっていた。だが「まあ、いいや。めんどくさいことは明日に回そう」。根っこの部分は変わっていなかった。

 

 

 

 

 やむなく少女たちがこの部屋を引き上げる。トリステイン、ガリア両国のお付きの者もホッとした表情で付き従う。だが、部屋を出る寸前、ルイズが歩を止め、ギギギとサイトの方を振り返った。「駄目よ、あんたも出るの」とベッドの隅に向かって吠えた。ベッドの死角からしぶしぶ立ち上がった影が「でも、私は勅命によるサイトさんのメイドですし。体を拭いたり、髪をくしけずったり、あれやこれやのお世話をしなければ」。(2人だけになってしまえばこっちのもの)というシェスタの陰謀を見破ったルイズは「その言い訳は今回ばかりは効かないわよ、ここにいらっしゃる姫様もお許しにならないわ」。腹黒メイドの野望は天敵の虚無によって潰えた。

 

 

 

 

 

 

 

 やっと静かになった病室。侍医団が用意した食事が目の前にあった。三日間動いていなかった胃腸への負担を考えて、出されたのはミルクに浸されたオートミール。流動食だった。食器とスプーンを取ろうとして、サイトは初めて気が付いた。右手のうちには「ADAM」、左手には「LILITH」の文字が刻まれている。

 

 

 

 

 「おれもいらないんだけどな、これ」とつぶやいたサイト。赤い世界のシンジを少しだけ恨んだ。

 

 

 

 

 

 


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