「ずいぶん大きくなったわねぇ」
雪麗が珱姫の大きくなったお腹を撫でながら言った。言い方ははもう冷たくないが、表情は相変わらず少しも変わらない。
「ええ、時々元気が良すぎてお腹を蹴ってくるんですよ」
それに答える珱姫の表情は期待と愛で満ちていた。
「名前はもう決めてるの?」
「いえ、まだ男の子か女の子かも分からないですし、それに名前は妖様が考えるって言ってましたので」
「……多分ロクな名前になんないと思うけど」
あからさまに苦そうな顔をして呟いた雪麗の声は、珱姫には届いてはいなかったらしく、珱姫は笑顔で自分のお腹を撫でていて、その表情はもう既に母の顔だった。
まだ春の匂いが残る初夏、奴良組の屋敷の屋根の上に一つの影があった。影は立派な瓦をあしらった屋根に腰をおろし、ゆっくりとひなたぼっこを楽しむ様に寝転がった。
「んーっ! やっぱりお天道様の光は最高だぁ……」
そんな太陽の光に当たるのが好きそうなことを言う少女、詩翠は今にも眠ってしまいそうだった。しかし日焼けした後等は一切無く、むしろその肌は純白を思わせる程に白かった。
「もうすぐ産まれるんだよね……私の兄弟が……男の子かなぁ、女の子かなぁ……女の子の方が、良い……なぁ……」
あまりの陽の気持ち良さに、そのまま詩翠は眠りに落ちてしまった。
何時間眠ったかは分からない。その安眠から詩翠を覚醒させたのは赤ん坊の泣き声だった。
「産まれたぞー!」
「元気な男子じゃ!」
「めでたい! こりゃめでたい!」
「今宵は宴だ! 酒を持って来い!」
詩翠の寝ぼけた頭でもすぐに理解できた。そう、産まれたのだ、弟が。まだ予定より一月も早いが、奴良組に後継ぎが産まれたその夜は、朝までどんちゃん騒ぎが続くだろう。
何人かは歌い、何人かは踊り、そりゃあもう皆祭り気分であった。
本家の者達が一通り赤子の顔を見終えると、最後に詩翠が順番がやっと回ってきた。
珱姫が抱き、隣でぬらりひょんが珱姫と息子の様子を交合に見ながら、とても幸せそうだった。
「可愛いね。大きくなったら父様みたいにスカした感じの見た目になるのかな?」
「おい、そりゃどういう──」
「それはそれで、かっこいいですよ」
ぬらりひょんが反論しようとすると珱姫が言葉を被せ、惚気てきた。するとぬらりひょんも、
「そうだろうとも。なんせワシは……ん? 珱姫、それはそれでってどういう意味じゃ?」
珱姫を見ながら問うが、珱姫はぬらりひょんの方を見ず、我が子の方だけを見ていた。それにぬらりひょんは苦笑いを浮かべることしか出来なかった。そのまましばらく可愛い弟の顔を眺めていると、珱姫が詩翠に提案をしてきた。
「良かったら抱いてみます?」
「えっ!?」
意外だったのか、珱姫の提案に素で驚く詩翠の表情は普段の彼女からは到底見えない貴重なシーンだった。
「無理無理! 落としたら大変だよ!?」
両手を体の前でブンブンと振って拒否する詩翠だが、余計に抱かせたくなったのか珱姫は積極的に攻めてきた。
「大丈夫ですよ! こうして頭を支えて、もう片方で体全体を支えて……」
などと言いながら詩翠の腕に赤子を半ば押し付ける形で抱かせていた。
「どうですか?」
赤子を抱くのは初めての詩翠にとって、まず落としてはならないという責任感が働き、ただ抱いているだけで何も感想なんて言える状況ではなかった。
「……」
そのまま固まってしまい、結局珱姫に引き取ってもらうまで一寸も動けずにいたのだった。
宴も最高潮のところに来て、突然ぬらりひょんが立ち上がり妖怪達の注目を集めた。
「さぁて、そろそろ名前を発表するかのぉ!」
「いよっ!」
「早く聞かせてくだされー!」
それを聞いた妖怪達は煽るように名前を聞いてきた。
「では……言うぞ」
──ゴクリ……。
意味の分からない静寂が部屋を包むと、珱姫と雪麗はソワソワしたように、それ以外はワクワクしたようにぬらりひょんを見る。
すると背中に隠していたのか、巻物の様な物を取り出し、自分の前に突き出して、
「行くぞ……ッ!」
無駄に顔をキメ、一気に巻物を広げながら高らかに言ってのけた。
「今日からこいつは、奴良……鯉伴じゃあ!」
「「「おおぉぉぉぉお!!」」」
これまた勢いだけで妖怪達は歓声をあげるが、大半のモノ達は酔っていて良く分かってない様子だ。
「奴良……鯉伴」
珱姫が呟くように言う。それに気付いたぬらりひょんは膝を折り、珱姫に近付いて言った。
「ワシがぬらりひょん。そしてコイツはワシとお前の血を半分ずつ受け継いでいる。だから、ぬらり、はん。じゃ。どうだ?」
「正直どんな名前になるのか怖かったんですが、凄く素敵だと思います!」
目を輝かせながら珱姫はぬらりひょんの方を見る。雪麗の方も安堵の表情で台所へ戻って行った。
「なんだ……案外普通じゃない」
なんて呟きながら。
その日の宴は朝まで続き、最終的には酒飲み合戦になり、最後にそれが詩翠の独り舞台になったのは、本家のモノ達も驚いていた。
────明かり一つ無い夜の森の中、持っている提灯が無ければ目の前も見えない山道を商人であろう人物が歩いていた。
「はぁ……今日中にこの山を越えないと取引に間に合わん。急がないと」
時間がないのか、早足で山道を歩いていると森の中から幼い女の声が聞こえてきた。
「あの……」
ビクッと身体を震わせ、慌てて後ろを振り向くと十歳くらいの美しく長い金髪を持ち、蒼い瞳を持つ異国の少女が裸足に白いワンピースで立っていた。
「女子? ……異国人か?」
「日本語は、覚えた」
少々カタコトだが、言葉は通じるようだ。
「どうした? こんな夜遅くに山で何してるんだ?」
「母とはぐれ、迷った」
「迷った? そりゃ大変だったな。どこから来たんだ?」
「……分からない」
「こりゃ困ったな……じゃあ俺について来るか? 次の町まで連れてってやるよ」
すると少女はパァッと笑顔になり、男に寄ってきた。そこで初めて気付いたのだが、足がドロドロで結構傷が目立っていた。それを見てしまうと男もさすがに可哀相に思ったのか、「おぶってやろうか?」と尋ねるとまたもや少女が笑顔になったので、その笑顔に負け、おぶって少し歩いたところで首に痛みが走った。
振り向くと少女が自分の首に噛み付いていたのだ。
「お、お……おま……」
振り払おうとしたが段々と力が抜け、ついには立てない程になっていた。
膝を着いたくらいで少女の口が首から離れ、少女が呟くように耳元で囁いた。
「貴方に恨みは無いけど、人間も身勝手だから、こっちも好き勝手にさせてもらうよ」
そう言って再び男の首に噛み付き、しばらくすると男は力尽き、その場に倒れ込んだ。
「ふぅ……やっぱり中年は不味い。日本は人間以外にも化け物みたいなモノもいるし……女子供は美味しいんだけどね」
倒れ込んだ男を見下ろしながら流暢な日本語で少女は言った。
「さ、て。日が昇る前にもっと東に行きますか。目指せ江戸~お~」
蒼い瞳を真紅に染めながら全くやる気の感じられない声で少女は男の亡きがらをそのままに東を、江戸の方へと闇に消えて行った。
その後ろ姿はどう見ても十五、六歳の姿だった……。
完全に更新速度が落ちました……。
それはさておき(置くな!)、まさかお気に入り件数が60件を超えていて作者自身が驚いています。いや、本当に嬉しい限りなんですけどね。
お気に入りしてくれてるってことは、楽しみにしてくれてるって事ですよね……?
少々長くなりそうなので、この辺で。
これからも頑張っていきますので、どうぞご贔屓に。
でわでわ!