鯉伴が生まれて少し経った頃、珱姫は体調を崩してしまい、その日はぬらりひょんが鯉伴を見る事となった……のだが、これまで子供とは縁もゆかりもなかったのだろう。抱くのは肩に担ぎ、おしめも代えることが出来ないというダメっぷりを存分に発揮している魑魅魍魎の主を定位置になったのか詩翠が屋根の上でひなたぼっこをしながら見ていた。
「育児に関してはダメダメだね。まぁ私も多分出来そうにないけど……」
そんな父を眺めていると、いつ来たのか鴉天狗が詩翠の後ろで膝をつきながら話し掛けてきた。
「詩翠様、報告です」
そんな堅苦しい言葉遣いに怪訝そうな顔をしながら、驚いた様子もなく詩翠は鴉天狗の方を向いた。
「だから敬語はやめてってば。私も敬語使ってないんだし」
そんな事を言って聞いてくれる鴉天狗ではない。堅物は聞いてないフリをしてそのまま報告を続けた。
「言われていた西の方の捜査ですが、最近はこれといった妖怪の動きや人間の争いも起きてないそうです」
「……そっか」
もう鴉天狗の言葉遣いには諦めたという様な表情で詩翠はまた父と弟の方を見た。牛鬼がなにか騒いでいた。
「ですが気になる情報が一つ」
「なに?」
目線はそのまま、鴉天狗の方は振り向かない。
「ここ二十年で九州から中国地方、近畿にかけて血液が無い人間の死体が相次いで見つかっているそうです」
それでも詩翠は視線を移さず、質問した。
「それは人間だけ?」
「いえ、中には多少なりとも妖怪が混じってるそうですが、最近は人間ばかりです」
「(母様とは関係無い……?)分かった、ありがとう」
「では、失礼します」
最後の言葉に視線を向けると、もう鴉天狗の姿は無かった。
「相変わらず早いな~」
苦笑いを浮かべると、また視線をぬらりひょんに移して、しばらく見るとひなたぼっこを再開するように寝転がった。
いつの間にかまた眠ってしまったのか、詩翠は意識を覚醒させたが目を開けなかった。涼しい風と、太陽の温もりが無いことを身体で感じて今が夜だと予想する。そして星を見ようと目を明けようとした瞬間、自分の目の前にナニかがいると分かった。それは今まで感じたことの無い存在……つまり詩翠の知らないモノが目の前にいる。それも文字通り「目の前」、吐息が聞こえる程近い。しばらく狸寝入りを決めていても何もしてこないことから、こちらを観察しているのかと思う。何かしてきたら反撃に出ようと静かにしていると、その沈黙を破る第三者が現れた。
「貴様! 詩翠様に何をしている!?」
声で分かった。蓮だ。
これで詩翠も寝たふりをやめて、注意が蓮に行ってる隙にソイツから離れて距離を取った。
初めて見る。長くて美しい金髪に蒼い瞳、一目で分かる。異国人ということが。
「……誰?」
詩翠は自分の隣に蓮が来るのを待ってから、そう問うた。すると少女は詩翠を逃した時に崩した体勢をゆっくりと余裕たっぷりに整えながら返答した。
「相手に名前を尋ねる時は、まず自分からではない?」
「何寝ぼけたことを……!?」
蓮が反論しようとしたが途中で言葉が出なくなった。詩翠は気付いていたが、蓮もようやく気付いたようだ。
「畏が……感じられない?」
詩翠も蓮も畏を人一倍に感じられるのだが、目の前の少女は明らかに人間ではないのに畏を感じられなかった。
「私は、詩翠。あなたは?」
「……まぁ、エレガントではないけれど特別に教えてあげる。私はミュウレイト・ヴァン・マーガレット。次はこちらから質問、貴女は何モノ?」
態度、言葉遣い、どれをとっても上から目線の少女……ミュウレイト・ヴァン・マーガレットは片手を腰に当て、更に高慢な態度で詩翠に問う。その態度に蓮が牙を向けようとしたが、詩翠の制止によって止められた。
「相手が何モノか尋ねる時は、まず自分からじゃない?」
次は詩翠がそっくりそのまま返した。その返答を聞いて少しキョトンとしていたミュウだが、やがてクスクスと笑い出した。
「貴女、面白いね。良いわ、私はヴァンパイア」
「う゛ぁん……ぱい、あ?」
上手く発音出来ないのかカタコトで詩翠が復唱するが、全く言えていない。そもそもヴァンパイアがどういう存在なのか知らないし、そんな種族も聞いたことが無い。
「そう、ヴァンパイア。で、貴女は?」
相手の正体が分かったは良いが、結局聞いても自分がそれを知らなければ意味が無い。そんな相手に自分の正体をみすみす明かすのはどうかと思ったが、相手が言った以上自分も言わなきゃいけないと思った詩翠は歯痒いながらも言った。
「……鬼だよ」
「鬼……ねぇ」
どうやら向こうも鬼がどういう存在かは分かっていないようだ。
「ねぇ、ヴァンパイアなんて聞いたことないんだけど……それより……あー、ミュウでいい?」
なるべく代名詞で他人を呼ぶことを好まない詩翠にそう聞かれたミュウレイトは目を見開き、一瞬だけ怒った様な顔をしたが、直後に笑いはじめた。
「貴女、本当面白いね! 私をファーストネームで呼ぶなんて! 私の国じゃ私をマーガレットや悪魔以外で呼ぶ奴なんていなかったのに」
「……ねぇ」
若干引いてる詩翠が、まだ笑ってるミュウに恐る恐る声をかけた。
「あー、ごめんごめん。別にミュウで良いよ」
「じゃあミュウ、どうして私を見ていたの?」
「美味しそうだなぁと思って」
刹那、蒼い瞳を真紅に染めて恐怖すら覚える笑顔でミュウが言い放った瞬間、蓮の反応は早かった。その言葉を聞くやいなや詩翠の前に立ち、ミュウを睨みつけた。
「おー、怖い怖い。そんなに睨むなよ、駄犬が」
そう。ただ睨まれ返されただけ。ただ睨まれ返されただけなのに蓮は蛇に睨まれたカエルの様に身体が強張り、動けなくなってしまった。
「美味しそう……?」
詩翠には効いていないのか、平然と問い掛ける。
「あぁそうだよ。貴女の血が、ね」
「血?」
「私達ヴァンパイアの生きる為に必要不可欠なモノさ……ま、
「ふーん、血、ねぇ……それはそうと蓮を駄犬呼ばわりしたのは謝ってくれるの?」
次は詩翠がミュウをその黄色い瞳で強く睨んだ。
「へぇ、謝らなかったら?」
「力ずくでも構わないけど?」
どういう存在かは分からないが、ヴァンパイアと鬼の殺気の飛ばし合いのど真ん中にいる蓮にとってはたまったものではない。何分経ったか分からないが、体感時間1時間程経ってやっとミュウが折れた。
「良いわ今回は貴女に免じて謝ってあげる。ごめんね。けど次割り込んで来たら……分かるよね?」
またあの笑顔で蓮と詩翠を捉える。すると、屋敷の中からぬらりひょんが屋根に上がってきた。
「なんじゃいなんじゃい、詩翠の妖気と感じたことのない
「だったら良いんだけどね」
ぬらりひょんの登場により現状が一変した。ミュウは舌打ちをし、少し悔しそうな顔をした。
「詩翠、だっけ? 次会う時は貴女の血を貰うわ」
そんな表情は一瞬で、また普通の笑顔に戻り、なんとミュウは煙りのように姿を消した。それを目の前で見た蓮、詩翠、ぬらりひょんは唖然とした表情でミュウが消えた所を何度も確認した。しかし、これといって何も見つからず、結局ヴァンパイアという存在がどういうモノで、彼女が何を考えているのか全く理解出来なかった。
後に、江戸では血液が抜き取られた人間の死体が連続で見つかり、これ以上被害が出ないように詩翠達と奴良組は次の日から犯人捜索に乗り出した。
それはどう考えても人間が犯人だとは思えなかったからだ。