「あれ? なんで武器捨てたの?」
ミュウが詩翠の行動を怪訝そうに見る。
「私ってさぁ、お酒で酔わないんだけど」
いきなり何を言い出すかと思えば、あまりに唐突なカミングアウトにミュウどころか周りの妖怪達までも不思議そうな視線を送って来る。
「……何言ってんの?」
「でもさ、一つだけ酔うお酒があるんだ」
そして持っていた瓢箪の蓋を外し、一口だけ何かを飲んだ。飲み終えるとすぐに蓋を閉め、ミュウに向き直った。その顔は、ほのかに赤らんでいた。
「それ……お酒?」
いきなりの詩翠の変化にミュウが戸惑いながら問う。
「そうだよ……ヒック」
「「「!?!?」」」
周りにいた全員が驚いた。詩翠のしゃっくりに。よく見ると赤らんだ頬だけではなく、目は少しトロンとしていて、更にしゃっくりまで……酔っているのは誰が見ても一目瞭然だった。
「本当はもっと酔った方が、力出せるんだけど……ヒック。これくらい少し酔った方が自分で制限も効くし、意識もハッキリしてるから良いんだけ……ヒック。ど、こんな姿見られたくないから、あんまり使いたくないんだよねぇ……ヒック」
結構長く一緒にいた蓮達も詩翠のこの翠を見たことがないようだ。あんぐりと口を開けて呆然としていた。
「……舐めてるの?」
ミュウが睨みながら言う。しかし、それに臆するどころか、何も感じてない様に詩翠は返答した。
「いやいやぁ、これでも……ヒック。本気だよぉ……ヒック」
プツン……と何かが切れる音がした。
「なら、すぐに殺してあげる!」
怒った様に怒鳴りながらミュウは羽を羽ばたかせ、再び空に飛んだ。
しかし、飛べたのは一瞬だけだった。
羽ばたいて五メートル程の高さに達した時だった。ミュウの体を縛り、そのまま地上に物凄い勢いで引かれる。
「!?」
一瞬何が起こったのか分からなかったが、ミュウはすぐに気づいた。
「瓢箪か!」
詩翠の手にあった瓢箪の先端部分で縛られている綱が伸び、ミュウの腹部に絡み付いて縛り上げたのだ。
そのまま、なす術なくミュウは地面にたたき付けられた。
「くっ……」
「ふっふっふ、これでもう飛んでも意味が無いってことに気づいたよねぇ?」
わざとらしく笑いながら詩翠はミュウに問い掛け、どういう仕掛けなのか、瓢箪の綱をミュウから解いて自分の手元に瓢箪を戻した。まるでゴムの様に。
するとゆっくりとミュウは立ち上がり、詩翠を強く睨みつける。
並の妖怪ならその視線だけで固まってしまうだろう。しかし今の詩翠は睨まれてることに全く気にしてない様子で、緊張感すらない。
「……じゃあ地上で戦ってやるわ!」
半ばキレ気味でミュウが言うと、ミュウの姿が一瞬ブレて消えた。
「おい! どこ行きやがった!?」
周りの妖怪が当然の疑問を投げかける。
「速いわね、もう詩翠の隣にいるわ」
その疑問に雪麗が答える。
「ほぅ。お前も見えてるんじゃの?」
雪麗の発言にぬらりひょんが笑いながら感嘆の意を示した。
「これで終わり!」
再び肉眼で見えるようになったミュウは詩翠の目の前に姿を現した。右手を振りかざして詩翠が反応するより早く詩翠の首筋を、その鋭く尖った爪で射抜いた。
直後、ベチャッと肉が落ちたような音が響いた。
周りの妖怪達と蓮達が詩翠の方を見た。ぬらりひょん以外は。
「ん~……? 今何かした?」
見ると詩翠には傷一つついていない。
「……ちっ」
舌打ちをしたミュウは右手が無くなっていた。下に落ちた肉片はミュウの右手だった。
「ちょっ!? どういうこと? あんな一撃食らって傷すらついてないなんて!」
雪麗がもっともな疑問を口にする。
「あいつの母親はな、昔『西南の鬼』と呼ばれてたやつじゃ」
「「!?」」
ぬらりひょんの言葉に近くにいた牛鬼と雪麗が驚いた様子でぬらりひょんの方を見た。
「西南の鬼って……あの?」
「どのことを言ってるのか分からんが、多分お前が思ってる奴だな」
ぬらりひょんが答えると、牛鬼はゆっくりと詩翠の方に視線を移し、補足した。
「『その拳に砕けぬモノ無し、その身体に防げぬモノ無し』と言われた近接戦最強の妖怪……"翡翠"」
「そうじゃ、しかしその桁外れの強さは酔っとる時にしか発揮出来んらしくての、しかも酔える酒が一種しか無いそうじゃ」
ぬらりひょんが何故か誇らしげに言う。
「それが、あの?」
「そうだ。あの瓢箪に入っとる"鬼殺し"という酒なんだが……どういう仕掛けか、あの瓢箪は無限に"鬼殺し"を生成する訳の分からん瓢箪じゃ」
ぬらりひょんが解説している内にミュウの右手はもう再生していて、詩翠に切り掛かっていた。
しかし、それら全ての攻撃を避けるでもなく無効化し、詩翠は余裕の表情を現していた。
「くっ!」
いくら攻撃しても詩翠には通じず、逆に自分が傷つく一方のミュウ。まぁすぐに回復するのでそれほどダメージは無いのだが、やはり痛いものは痛いのか、ミュウは攻撃する度に顔を歪めていた。
するとミュウは後ろに飛び退いて詩翠と距離をとった。
「なら……これで!」
すぐにミュウは右手を空に翳し、紅い球体を作り出した。これはさすがにヤバいと思ったのか、ぬらりひょんが動こうとするが、詩翠が手で制止させた。
ミュウは力一杯右手を振り抜く。その行動に沿って紅い球体はビームと化し一直線に詩翠に向かっていった。
「こんなモノ使っても私には……!?」
途中まで余裕の表情だった詩翠だが、ビームが目の前に来た瞬間に目を見開いて驚いた表情に変わっていた。
間一髪の所で左手で弾き、なんとか軌道を変えて空の彼方へ飛ばしたが、弾いた左手の甲は火傷を負った様に赤くなり、煙りがたっていた。
「近接がダメなら……」
と言ってミュウは自身の周りに無数の真紅の魔法陣を詩翠に向けて展開させた。
「!?」
今まで見たことの無い文様と物理でない遠距離攻撃に驚愕の表情を隠せない詩翠。それは周りの妖怪達も、ぬらりひょんも同じだった。
「魔法で!」
ミュウが叫ぶと同時にその魔法陣から先程と同じ様な攻撃が無数詩翠に向かって飛んでいった。
「これは……ちょっとキツイかも!」
驚きながらも動くことを忘れず、詩翠は地面を殴った。すると詩翠の目の前に土の壁が三重になって地面から飛び出した。
しかし、そんな土の壁など始めから無かったかの様に無数のビームの速度は落ちることは無かった。
最期の壁が呆気なく壊され、目の前にビームが来た瞬間、思わず詩翠は目を閉じてしまった。
しかし、いつまでたっても痛みや衝撃が来ないので恐る恐る目を開けてみると、目の前にはぬりかべになって詩翠の盾になっている黒がいた。
「詩翠様、俺より前に行かれると守れない……じゃ……ない、ですか……」
変身を解いて人型に戻ると黒は言葉紡ぎながら力無く倒れてしまった。すぐに詩翠は黒の元に駆け寄り、頭を抱き抱えた。
「黒! 黒! しっかりして!」
もう酔いは覚めたようで詩翠は必死な表情で黒に訴えかける。
「詩翠様……怪我は……?」
「私なら大丈夫! ほら、怪我なんてない」
「そう……良かっ、た……」
そう言って黒は微笑みながら目を閉じた。
「……っ! 黒ぉぉぉ!」
詩翠の涙が黒の顔に何粒も落ちていく。
「あーあ、私の射線上に出てくるから」
ミュウは笑いながら挑発的に言ってくる。
詩翠はゆっくりと黒を地面に寝かせ、瓢箪に手をかけた。
そして、何の躊躇いもなく蓋を開けて豪快に飲みはじめた。
「おいおいおい、ありゃあ周りが見えてないぞ」
ぬらりひょんが自暴自棄になり始めた詩翠の元に寄り、瓢箪を詩翠の口から離した。
「やめとけ、冷静になれ詩翠」
言われた詩翠はぬらりひょんを一瞥して瓢箪を離し、ゆらゆらとミュウの方へ歩み始めた。
「おい! 詩翠!」
再びぬらりひょんが詩翠に近付き、肩を掴んで詩翠を振り向かせた。
すると詩翠はぬらりひょんを強く睨みつけ、威圧した。瞬間詩翠の周りの地面が軽く沈み、油断していたぬらりひょんも吹っ飛ばされそうになった。その黄色い双眸に翡翠を思わせながら。
「離して、父様」
唖然としていたぬらりひょんは、詩翠の言葉に何も言えずに従ってしまった。
そしてまた詩翠はミュウの方を向いた。詩翠が振り返るのとぬらりひょんが我に返ったのは同じだった。
その二人が見たのは、先程の魔法陣の三倍はある魔法陣を展開していたミュウだった。
「今度こそ殺してあげる!」
ミュウの声と同時に魔法陣から真っ赤な球体が現れ、その球体のまま詩翠の方へ向かっていった。
「消し炭にしてあげるわ!」
「おいおい! そんなもんやられちゃあ、ここら一帯吹っ飛んじまうぞ!?」
高笑いしながら言うミュウに、ぬらりひょんは焦りながら言うが、球体は止まらない。それでも詩翠はミュウの方へ歩きだす。
そして、球体を目の前にして詩翠は両手を広げ、球体を……受け止めた。
「はぁ!?」
周りの妖怪達、ぬらりひょん、蓮と咲も驚いたが、一番驚いて声をあげたのはミュウだった。
「なんで!? なんでよ!? なんで消し炭にならないのよ!?」
その当たり前の質問に、球体を受け止めながら詩翠は答えた。
「決まってるでしょ? 私が貴女をこれっぽっちも畏れてないからですよーっだ!」
「……」
詩翠の怒った子供の様な言い方に一同沈黙。
「こんなモノぉぉぉ……」
そして詩翠はゆっくりとその球体を、持ち上げ始めた。
「な、なにコイツ……めちゃくちゃじゃない!」
「要らなぁぁぁぁあい!」
と大声を出して空へ放り投げてしまった。
そしてパンパンと手に付いた汚れを払うかの様な仕草をして、ミュウの方へ向き直る。
「そういえば、不死身だったっけ?」
「そ、そうよ! だからいくら私に攻撃しようが……」
「じゃぁあ……死ぬまで殺してあげるね?」
「!?」
語尾にハートがつきそうな詩翠のトロッとした笑顔と言葉にミュウは背筋が凍った様な気がした。
すぐにここから逃げよう。そうミュウが思った時、この戦いに終止符をうつモノが顔を出した。
「!?」
先程とは別の意味でミュウは怯えた表情を表した。太陽……。そう夜明けだ。
「あーあ、夜が明けちゃったよ……ん?」
日差しが眩しいのか、詩翠は片手で目に影を作りながら言うと、ミュウの変化にも気が付いた。
ミュウ自分を抱きしめるようにして縮こまって怯えていた。家屋の影でまだ日の光りはミュウに届いていないが、誰が見ても何に怯えているかは分かった。そしてその姿に戦意が無いことも。
「ミュウ……貴女」
「良かったわね……これで私は死ぬわ。不死身のヴァンパイアの弱点の一つが太陽の光よ……」
「貴女が死んでも黒は返って来ない……けど、貴女を許すことも出来ない」
「まぁ今まで沢山殺してきたし……ここが潮時なのかもね」
「もっと違う形で出会えてたら……」
「無理ね。人間を襲う私と人間の味方をする貴女。どう会ってても結果は同じよ」
「でも……」
「どうしても結果を変えたいなら私がヴァンパイアになる前の二百年前に戻るしかないわね」
皮肉を言うミュウに詩翠はもう何も言えなかった。
そして、とうとう太陽がミュウの頭に差し掛かる。すると太陽が当たってるところだけ、ジュ~と音を出しながら煙をあげる。
「あぁ……アイリス……今、私も逝くからね」
そう言って空を一瞥し、ミュウは目を閉じた。後は、太陽の光で灰になる。……はずだった。
「黒!?」
詩翠の驚いた様な言葉にミュウは目を開く。すると自分が大きな影に光から守られてることに気付いた。
振り向くと、真っ黒のぬりかべが立っていた。
「貴方……どうして……」
ミュウには二つの疑問が浮かんだ。何故コイツは死んでないのか、そして何故、自分を助けているのか。
「俺には聞こえる。あんたの心の声が……あんた、ずっと泣いてたろ? ずっと妹さんに謝りつづけて、ずっと……一人ぼっちは嫌だって」
ミュウはいつの間にか流れ出した涙を片手で拭いながら答えた。
「貴方、ぬりかべでしょ? なんで分かるの……」
「全部は聞こえない。その人が強く思ってて、誰かに聞いてほしいことしか聞こえない」
ぬりかべで表情までは分からないが、笑っているの確かだった。
「ほぅ、別に人間じゃなくても血ならいいんだな?」
「……っ!? また聞いたな!?」
「おいおい、聞いてほしいことしかって言ったろ? あんたが俺に聞いてほしかったんだろ……てかもう限界だ……」
そう言うと黒は人型に戻り、膝に手をつきながらミュウにまだ影を作っている。
「俺が死ぬ前に俺の血を飲んどけよ……そしたら、しばらくはいけるんだろ?」
「噛み付いたら貴方も私と同類になる……だから……」
それを聞いた黒は思いついたように言葉を重ねた。
「それじゃあ俺が同類になってやるよ。そしたら、もう孤独じゃないだろ?」
「……っ! 貴方は……私が欲しい言葉を次々と」
「だから、お前が言わせてるんだよ」
「後悔……」
「しない」
「なら、貴方に永遠をあげる」
そう言うとミュウは黒を押してまだ影がある家屋の塀に押し付け、首筋に噛み付いた。
「おい鴉天狗、でかい日傘を二本持ってこい」
ぬらりひょんが鴉天狗に言うと五秒後にはもう日傘を持って来ていた。相変わらず速い。
ミュウが黒から牙を抜くと、黒は気を失っていた。詩翠が近付き、鴉天狗から渡された日傘をミュウに渡した。
「悪いね、貴女の下僕貰って行くよ」
日傘を受け取りながらミュウは笑いながら言う。
「下僕じゃない、仲間。それに、黒が決めたことだから私は何も言わない。ミュウ、黒を頼むね」
「言われなくても。まぁ彼が私を独りにさせてくれないらしいし」
笑いながら、そしてほのかに頬を赤らめながらミュウが言った。
「人間は襲っちゃダメだよ。それじゃあ……蓮」
「はい」
詩翠が何を言いたいのか察知した蓮は狛犬に変化してミュウ達の前に立った。
「乗れ、山まで送ってやる」
「すまないね」
光が当たらない様に黒を乗せ、そしてミュウも乗る。
「それじゃあ詩翠ちゃん、またどこかで……あと、あ、ぁ……ありがと」
「全部黒の顔に免じてだから、じゃあね、ミュウ。黒をよろしく」
詩翠が言い終わると、蓮は二人を乗せて行ってしまった。
「さーて、終わったことじゃし……詩翠、さっきの父親に対して脅迫したことについてじっくり話し合うかの?」
ビクッと身体を震わせて、冷や汗をダラダラ流しはじめる詩翠。
「いや、あれは……その……」
急いで言い訳を探すが焦って言葉が出てこない。
「さ、帰るか」
ある意味恐い笑顔で詩翠の肩をポンポンと叩いてぬらりひょんは言う。目が笑ってない。
「ごーめーんーなーさーい~~~(泣)」
詩翠の声が朝の江戸に響き渡り、ぬらりひょんに首ねっこ掴まれて奴良組本家へと帰って行った。