ある日の早朝、珱姫とぬらりひょんが夫婦になってしばらくのこと。
「詩翠さん、入っても良いですか?」
閉めた引き戸を挟んで廊下から聞こえた丁寧な口調の声の主は珱姫だった。
その声で目を覚ました詩翠は正直もう少し惰眠を貪りたかった思いを払拭し、重い瞼と上体を起こして精一杯の声で返事をする。
「どうぞ」
返事を返すと扉が開かれ、珱姫が現れた。
そこで気付いたのだろう。詩翠が完全な寝起きであることに。
「あ、ごめんなさい! 起こしてしまいましたか?」
すごい勢いで謝られた。それもそうだろう。
詩翠の顔はいかにも怒ってますよーと言わんばかりで、安眠を邪魔した張本人をムスッと見ていたからだ。
だが本当に怒っている訳ではない。ただ、寝起きで上手く顔を作れないだけだ。
「別に……で、用件は?」
寝癖でボサボサになった髪を手櫛で直しながら、若干冷たい言い方で尋ねる。
「あ、あの……私達も一応親子になったので……その……」
「なに?
まだ言い方は冷たい。はたから見れば確実に忌み嫌っている様にしか見えない。
「そ、そうじゃなくて……その、もうちょっと仲良くなれたら、なんて」
それでも屈せずに笑顔を続けながら言う珱姫は健気だと思う。
「(何でこの人の笑顔は
素直にはなれなかった。珱姫が翡翠に似ていなければこんな感情を抱くこともなかっただろうに……。
「ごめんなさい。私、ちょっと出かけてくる」
そう言って詩翠は寝巻の白い着物に羽織りだけ着て、そのまま珱姫が入ってきた扉とは逆の方向の扉を開け、眩しい太陽の光に目を細めながら、縁側から朝の江戸へ出て行った。
「あっ……」
珱姫が声をあげる頃にはもう詩翠の姿は見えなくなっていた。
「布団くらい片付けないとダメですよ……」
珱姫は詩翠が片付けずに置いて行った布団を片付けると、名残惜しそうに詩翠の部屋を後にした。
「あー……ダメだ……絶対嫌われた」
縁側から出てってすぐの塀の向こうに寄り掛かり、詩翠はうなだれていた。
「あんなこと言うつもりなんて微塵も無かったのに……」
なにやら先程の自分の言動に嫌気がさして落ち込んでいる様だ。
「ちょっとぶらつこう……」
心機一転をはかるために、人間に化けるやり方を本家のモノに教わった詩翠は角を隠し、髪を黒くして早朝の江戸の町の散歩を楽しむことにした。
早朝と言えど町は栄えていた。そこら中に"祭"と書かれた提灯がぶらさげられ……
「……祭、……祭!」
それを見た詩翠は先程までとは打って変わり心を踊らせた。
「(これだ……これを珱姫さんとの仲直りに使おう!)」
思い立ったらすぐに行動した。家に戻り、早速ぬらりひょんを探した。珱姫だけを誘うのはまだ抵抗があったからだ。
「父様!」
断りもなくぬらりひょんの部屋の扉を勢い良く開けると朝っぱらから狒狒と酒を呑んでいたぬらりひょんが目を丸くしてこちらを見た。
「な、なんだ詩翠?」
「祭! 今日は祭に行こう! 皆で!」
「お、おう。分かった」
その返事を聞くと詩翠は満面の笑みを浮かべた。
「絶対だからね!」
そう言って部屋から出て行った。
扉がピシャッと閉められ、残された二人はしばし呆然としていたが、やがて顔を見合わせた。
「のう、総大将」
「なんじゃ、狒狒」
「いつもの落ち着いた詩翠より今の明るい方が大分可愛かっ……」
「言うな、ワシもそう思っとった……カラス!」
ぬらりひょんが一言言うと鴉天狗はどこからともなく一瞬で現れた。
「はい、何でしょう?」
「本家全員に伝えろ、今日は……祭じゃ!」
「蓮! 咲! 黒!」
次に詩翠が向かった先は蓮達の部屋だった。初めて見た詩翠のハイテンションと満面の笑みに一瞬驚いてはいたが、そこはあえて三人とも突っ込むことはなかった。
「今日は祭に行くよ!」
そう言ってすぐにまた部屋を後にした。
「「「……」」」
三人もまたしばし呆然としていたが、始めに口を開いたのは黒だった。
「い……い、今の詩翠様も良いいいいぃぃぃぃい……っでぇ!」
叫んだ瞬間に咲にがら空きのボディに一発くらっていた。
「うるさい。ちょっと明るくなっただけで何はしゃいでんのよ? ねぇ、蓮……?」
蓮の方を見ると、頬を赤らめながら俯いていた。
「(…………ダメだこいつら)」
そう心底思った咲だった。
時間というものはあっという間に過ぎて、時は夕刻、奴良組の面々も祭へと繰り出した。
もちろん詩翠の思惑通りに珱姫も一緒にだ。
「妖様、祭って何ですか?」
今まで箱入りだったためか珱姫は何かと世間知らずであって、祭も知らない様だ。
「祭ってのはな、皆で騒いで踊って楽しむ人間の行事じゃ」
「まぁ! それは楽しそうですね!」
そんなことを言ってる間に周りはどんどん人が多くなっていき、通りは完全に人であふれていた。
これはイカンと思ったぬらりひょんははぐれないように珱姫の手を掴もうとしたが、今の今まで隣にいた珱姫は既に人混みにのまれ、迷子になっていた。
「!? 珱姫ぇ! ……のぉわ!?」
叫んでみたものの、ぬらりひょんも人の波に流され、組の皆は散り散りになってしまった。こうなってしまえばぬらりひょんの畏も役には立たなかった。
通りから少し外れた小さな神社に珱姫の姿はあった。人混みにもみくちゃにされ、手を膝につきながらゼェゼェと息を切らしていた。
「大丈夫?」
その心配の声は珱姫に向けられていた。息を切らし、今にも座り込んでしまいそうな珱姫に声の主は手を差し延べた。
「ええ……ありがとうございます。詩翠さん」
珱姫は差し延べられた詩翠の手をとり、姿勢を正した。珱姫を人混みの中から救出し、ここまで連れて来たのは詩翠だった。
「お礼はいいよ……あと……詩翠で、いい」
通常の夜なら表情までは見えないが、今日は祭。夜と思わせない町の光が詩翠の顔を照らし、頬を赤く染めるとこまでハッキリと見えた。
それを見た珱姫は嬉しさのあまり、目から少量の涙を流しながら満面の笑顔になっていた。
「……!?」
詩翠も一瞬、つられて笑顔になったがナニカに気付き、鋭い目つきで後ろを振り返った。
「? どうしたの……」
「静かに! あの祠にナニかがいる……」
気付いていない珱姫の言葉に言葉を被せ、詩翠は祠から目を離さない。すると祠の扉が突然開き、黒いナニかが珱姫を狙って飛んできた。
「くっ!」
詩翠の反応は早かった。先程まで人間の少女の姿に化けていた詩翠だが、ナニかが珱姫の前に着く前までには頭に角を生やし、見事な黒髪にメッシュの様な白髪を持った詩翠の本当の姿に戻っていた。
「やらせない……ッ!」
飛んできたモノに対し、完璧なまでのタイミングでアッパーをくらわせていた。
それは殴られた衝撃で飛んできた方とは逆の方向に飛ばされた。
それ以降は静かなもので、祠にも何も感じなかった。
「……え? 終わり?」
本人が一番驚いていた。何段階かに分けて奇襲が来るものだとばかり思い込んでいたからだ。実際は先程の小さな飛来物のみで、そのあとは警戒してても何も変わらなかった。
「終わった……みたいですね」
「うん……。祭に、もどろっか」
「ええ!」
珱姫は半ば強引に詩翠の手をとった。いきなり引かれ、詩翠は一瞬よろける。
「わわっ! そんな慌てなくても!」
「楽しいことはすぐに終わってしまいます! 早く楽しみましょう!」
詩翠は手を引かれながら、やれやれといった様な笑顔で珱姫に引かれるがままに祭の人混みに戻って行った。
「(これじゃあどっちが子でどっちが親か分かんないよ)」
その日の夜は次の日の朝まで町中の人々が騒ぎに騒いで、夜に静寂が訪れることはついに無かった。
奴良組の面々もまた、そうだった。
※これで書置き分は終了しました(早ぇぇ……)
次の更新は明日かもしれませんし、違うかもしれません……。
でも更新するときはAM11時にします。すみませんm(__)m
でわでわ。