後に提督は語る。
「あの時の天龍が今までで一番怖かった……」
と。
川内の顔を傷つける直前までぐらいの力で鷲掴みにした天龍は、それほどの勢いで2人を引き剥がし、そのまま提督の手を握って歩き始める。ずっと、無言のまま。
「て、天龍?」
食堂に向かう途中で、提督は意を決して自分の右手を恋人繋ぎで逃げられないようにしている彼女に声をかける。
無視されるかも……とも考えていたが、声をかけてみた直後にピタッと急に止まり、提督は少したたらを踏んでから彼女の近くに止まる。
「なあ」
「な、なんだ?」
「良いよな?」
「はっ?」
急な同意を求める言葉に提督が戸惑っているのも気に止めず、ゆっくりと全身で振り返る。
「っ!?」
振り返った天龍の顔を見た提督が感じたのは寒気。
大きな右目は半分くらいに細められ、その中の金色に輝く瞳は廊下の灯りに不気味に照らされている。口元は下弦の月のように釣り上げられ、やんちゃで快活という雰囲気はどこかに消え去り、代わりに妖艶さと何かが全面に出ていた。
元々の川内以上の豊満な体をもつ天龍は躊躇うことなく
、そして顔を赤らめる事なく、固まっている自分の司令官に近付きーー。
「何をしている?」
その声が聞こえた時、提督はすぐに誰の声か思い当たったが、しかしその確信は出来なかった。
なぜなら。
「球磨さんか」
特徴的な語尾が無く、装甲のように平坦だったから。
「川内にも言ったが、それは違反だ」
「俺もさっきそれを思い出したよ」
「……毒されてたみたいだクマ」
相槌を打った天龍を見て1つ小さく溜め息をついた球磨は、ごくごく自然に提督の横に、もちろん天龍とは逆の方に立ち、提督の腕をとる。
「さて、行くクマ」ニヤリ
「ああ」ニヤリ
普通ならピンク色のはずなのに。
それなりにある球磨と結構ある天龍に挟まれながら歩く提督は、食堂に着くまでずっと寒気が続く。
「……あれがこの時代の常識なのか?」ボソッ
「うーん。この鎮守府の、かな」ボソッ
そんな川内と出雲の会話も聞こえるはずもなく。
「ズルイ」
重要な所からLEDに変わってきている照明の1つから見えるその光景を見て、川内と同じような服を着た少女が一言呟いた事も知るはずもなく。
『…………』
食堂の長机の上に置かれた傷がついたスマホを食い入るように見つめる8つの瞳のその鋭さも、もちろん知る事など出来なかった。
「……またか」
「またです」
そして、神戸の提督の執務室であった会話も、また。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
イギリス産まれの出雲型装甲巡洋艦。
日露戦争より前に完成し、太平洋戦争まで生き残っていた船の1つである出雲はその型のネームシップであり、この型は2隻しか作られず、その後はイタリア産まれアルゼンチン育ちの春日型、日本産まれの筑摩型と鞍馬型と続く。その次に日本がイギリスから手に入れたのがーー。
「ヘーイ! 出雲さんネ! 金剛型戦艦のネームシップの『金剛』でーす! 私を作ったヴィッカースとあなたを作ったアームストロングは合わさってるから、従姉にあたるネ!」
「出雲よ。確かにそうなるわね」
握手をかわし、いつの間にか鎮守府にあった を新人と飲みあう姉の隣には妹もいた。
「は、初めまして! 金剛型戦艦2番艦の『比叡』です! 横須賀で作られました! 気合入れてお願いしますっ!」
「はい、よろしくね。……『榛名』と『霧島』は徳島かしら?」
「イエース! よく連絡も取り合ってるネ!」
「金剛と比叡がいて、榛名と霧島がいない。そして名簿を見る限り2つの例外を除けば……」ブツブツ ハッ!
「……やっぱり気付きましたか?」
「ええ。けど、これは……近畿の地名の場所の名を冠した艦娘しかいないのは、大本営の許可がいるはず」
「普通なら出ないネ。妖精さんが望んだものじゃなかったら」
気紛れ者の妖精の望み。
産まれた時に流れ込んできた記憶と、神戸で読んだ資料から妖精の事や重要性はわかっていたが、なるほど彼女達の望みとなれば人間は逆らえないだろう。
「ここの提督も妖精の望みかしら?」
「それは違います。
「……偶々、ね」
少しだけ3人の空気が張りつめるが、金剛がちらりと提督の方を見てからとりなしたので、彼が気付く事は無かった。
その提督はと言うと、長机の真ん中の席に座り、左右をギリギリまで自分に身を寄せていた天龍と球磨、正面を川内、その左右を龍田と北上のグループの中にいた。
「ほら、この明石の蛸、美味しいぞ」
「私は唐揚げだね」
「球磨は餃子だクマ」
「お、おう」
積極的に話しかけてきているのが執務室の3人で、それに他の艦娘達も乗っていたら言うことなしなのだが……。
『…………』
前
たまらず、提督は呼び掛ける。
「き、北上」
右斜め前の北上に。
提督の呼び掛けに彼女だけではなく、龍田の箸も止まり小さく舌打ちしたのは球磨には聞こえていたが、もちろん無視する。
「ん~、なに?」
「いや、妙に不機嫌そうだったからな」
「龍田さんや提督の後ろの大井っちのように?」
「……ああ」
後、多摩と木曽、それに神通と那珂もな……とは言えなかった。
「まあ、長姉が提督に甘えてたから、妹としてちょっと寂しい気分になったからだよ」
「……なるほどな。そういえば3人とも長姉だったな」
「逆でしょうに」ボソッ
「……?」
提督は耳に入った呟きの音源は最後までわからなかったが、もしわかってたらここ1ヶ月で一番驚いたかもしれない。
「大井姉さん」ボソッ
「何?」ボソッ
「皿とフォークがお釈迦になりそうだぞ」ボソボソ
そして、その会話も提督に聞こえる事は無かった。