少年はすっかり荒れ果ててしまったかつての学園都市をただひたすらに歩いていた。
一体どれだけの人がこの世界から消えたのだろう。何人?何万人?いや、何億人?
俺はそんな世界で果たして生きていけるだろうか。いや、生きてなどいけないだろう。
現状では食料も飲み物も持ち合わせていない。いずれ餓死してしまうのがオチだ。
思い起こせば大したことのない人生だった。
不良生徒のパシりにされたり、クラスでは無視され続けたり、ロクでもない人生でもあった。
だが、
しばらく歩くと、少年は一本の大木がある場所に辿り着いた。その大木はいわばこの学園都市のシンボルだ。と、少年は大木のたもとで誰かが座っているのに気がついた。
「……? 誰だ?」
少年は一歩、また一歩と近づいていく。すると、三歩目を進んだあたりでその誰かが動いた。
ゆっくりと立ち上がり、じっと少年のほうを見つめる。
少年は思わず足を止めた。
得体の知れぬそれはゆっくりと少年のほうへと近づいてきた。
「な、なんなんだよぉ!?」
少年は思わず逃げるように走った。何故か底知れない恐怖を感じたからだ。
「────!」
と、ふいに少年は左胸に激痛が走るのをを感じた。それは立っていられなくなるほどの痛みだった。少年は思わず地面に倒れこんでしまう。息ができなくなるほど苦しい。見ると、地面に血が広がっていく。それもわずかではなく大量だ。
「……なん……だ、これ……!?」
「あなたは知りすぎてしまったの」
と、誰かの声が聞こえた。それは少女と思われるものだった。
「……知り……す……ぎた……!?」
「だから、私の手によって抹消されなければならない」
その声の主が言い終わるよりも先に少年の左胸に再び激痛が走る。
「ぐぁ……!」
少年の意識はどんどん薄れていった。もう終わりだ。少年はそうとさえ思い始めていた。
「……いてぇ……ものすごく……いてぇ……」
「安心して。 すぐにその痛みから解放されるわ」
その言葉を最後に少年の意識は途切れた。
********
「……夢……か……」
健吾はゆっくりと体を起こしていく。夢の中の出来事のはずなのに左胸がズキズキと痛む。汗もタラリと流れていた。
「……夢にしては妙にリアルだ……」
と、彼の考えを遮るように携帯の着信音が鳴り響いた。規則的に鳴るその機械音は健吾自身が設定したにもかかわらず彼は疎ましく思っていた。
「……もしもし……」
『もしもしッ? 健吾、なにやってんの? 今日はアンタも日直でしょ? 早く起きなさいよ!』
聞きなじみの声が健吾の耳に響き渡る。健吾は思わず携帯を耳から遠ざけた。幼なじみの
「……あぁ、うん……。 悪い……」
『……? どうしたの? なんかあった?』
葵が心配そうな感じに訊いてきた。だが、その声はいわゆるアニメ声で、健吾にとっては本当に心配しているのか疑いたくなるものだった。しかし、彼女にしつこく訊き続けられそうな気がしたので健吾は答えておいた。
「いや……なんでもないよ……」
『そう? ならいいんだけど』
「すぐ準備するから先行っててくれないか?」
『…………うーーん…………分かった! じゃあ、先行ってるから!』
ここで電話は切れた。ツーーツーーという無機質な音が耳元で響く。健吾は急いで制服に着替えた。そして、鞄を手に部屋を出た。と、部屋を出てすぐのところに八つ下の妹の
「あ! お兄ちゃん、おはようなのです!」
「おう、唯華。 おはよう」
「これから学校に行ってくるのですか?」
唯華はキラキラした目で訊いた。唯華は病気がちな体質で小学校には通っておらず、ホームスクーリングを受けている。学校に対する憧憬の念は強い。
「ああ。 唯華も勉強頑張れよ、理科の成績がイマイチなんだろ?」
「……そ、それは! そんなことはないのです!」
「ハハ。 じゃあ、行ってきます!」
「あ、行ってらっしゃいなのです!」
唯華の見送りで健吾は家を出た。
健吾らが暮らす
「おっす、健吾!」
健吾は通学途中に親友の
「うーーっす!」
健吾は耳につけていたイヤホンを外しブレザーのポケットにしまい込む。
「小鳥遊は?」
「んーー? ああ、先に行ってもらった」
「そっか……」
なんだか気になる口ぶりだった。健吾は訊く。
「どしたよ?」
「え? ああ! いやあ、なんでもねえよ」
「なんだよ、それ」
「まあ、気にすんなよ」
「…………そか。 分かった!」
健吾はこれ以上訊かないことにした。いくら親友とはいえ、訊いていいこととダメなことがある。今回のは後者のほうだ。
「夢?」
今朝見た夢について話した健吾に、一輝は訊き返した。
「ああ。 まあ、ただの夢だとは思うんだけどさ、それが妙にリアルだったんだよ」
健吾は、夢のことについて真面目に話していることに少し恥ずかしさを感じていた。
「…………それって、予知夢……じゃねえの?」
「予知夢?」
「ひょっとしたら、夢の中で見た女の子にこのあと出会ったりして……」
「……だとしたら最悪だけどな……」
そんなことを話しているうちに、二人は学校に着いた。
健吾らのクラスは校舎三階の一番奥にある。そのクラス以外の生徒はほとんど立ち寄ることのない立地だ。健吾と一輝は教室に入る。
「あ! おはよう、一之瀬くん、相川くん!」
と、二人に話しかけてきたのはクラス委員長の
「おう、おっす!」
「うーーっす!」
二人はいつもの調子で答える。
「ねえねえ、二人とも聞いた? 今日うちのクラスに転校生が来るんだって!」
「へぇーー。 そりゃあ初耳だ」
健吾はそう答えた。
「でもさ、今って七月じゃん? この時期に転校生って珍しくね?」
「そういえばそうだよね? でも、それって人それぞれでしょ? いろいろ事情があるんだよ」
「そ、そうなのかな」
「それよりもさ、転校生って男の子かな? 女の子かな? 私は女の子がいいなぁ!」
「……どうしてだよ?」
健吾が訊くと、さくらは満面の笑みを見せた。その笑顔に、健吾は思わずドキッとする。
「それは、ヒ・ミ・ツ!」
「……な、なんだよ、それ?」
「おーーい! 健吾ーー!」
と、健吾を呼ぶ声がした。見ると、葵がなにやら大量の書類らしきものを持って教室の入り口付近に立っている。
「日直、日直ーー!」
「あ、悪い! すぐ行くーー!」
健吾は急いで葵のもとへ向かった。
「これ、急いで職員室にいる
そう言うと、葵はその大量の書類を健吾に手渡す。
「じゃあ行くよ!」
「あ、ああ……」
言われるままに健吾は葵とともに職員室へと向かった。
「みんなに転校生を紹介する」
担任の橘先生の言葉にクラスの男子生徒たちが歓喜の雄たけびを上げる。
「静かに。 じゃあ、入ってくれ」
橘先生の指示でその転校生が教室に一歩足を踏み入れる。その瞬間、男子生徒たちのテンションは最高潮に達した。金髪のロングヘアをたなびかせてその転校生は橘先生の隣に立った。
「じゃあ、自己紹介して」
橘先生がそう促すと、転校生は黒板に自身の名前を書き記す。
「東堂ノアです……。 よろしくお願いいたします……」
「────!」
転校生が喋った瞬間、健吾はハッとした。
「……この声……。 まさか……」
「東堂の席は……一之瀬の隣だな」
橘先生は健吾の席を指さす。
「はい……」
そう言うと、彼女は健吾の席がある教室後方へと歩いてきた。健吾は思わず身構える。
「これからよろしくお願いします……」
健吾のもとまで来ると彼女は礼儀正しく挨拶をした。
「……あ、ああ……よろしく……」
健吾はそう返したが、彼女への警戒は解かなかった。
「彼女がそうだってのか?」
一輝が昼食用に買ってきたという数袋のパンを手に訊いてくる。健吾と一輝は昼食を食べるために屋上へと階段を上っていた。
「ああ、たぶん。 声がそんな感じだった」
「でもさ、警戒しすぎるのもよくないんじゃねえか? まだ正確には分からねえんだろ?」
「ああ。 勘ぐられるのも厄介……だよな」
階段を上り終えた二人は屋上へ通じるドアを開ける。そこにいる生徒はまばらでとても静かだ。
「あれ? 新堂!」
健吾は屋上を取り囲むように設けられた安全柵にもたれかかるさくらに気づいた。
「あ、一之瀬くん、相川くん!」
「新堂がここにいるなんて珍しいな」
「え? あ、うん……。 そうだったね」
「……どうした?」
「あ、私も……ここでお弁当食べようと思って……」
そう言うと、さくらは手に持っていた弁当箱を見せる。デフォルメされた動物が描かれており、とても女の子らしいデザインだ。
「そか……」
「一之瀬くんは?」
「俺も弁当」
「手作り?」
「……んなわけねえだろ……」
健吾はそう答えたが、本当は手作りだ。前日の夜に作っておいたものだったのだが、男子高校生が夜中に弁当を手作りしているのがバレたらどんなことを言われるか分からなかったので隠しておいたのだ。
「もしかして唯華ちゃんが作ったの?」
「……ま、まあな……」
「すごいね! 私なんて、一人じゃ無理だしお母さんに作ってもらったんだ!」
「そ、そか……」
「おーーい! 二人してイチャイチャするのはいいけどさ、俺がいるのを忘れるなよな」
と、一輝が少し離れた所から二人に声をかけた。
「イ、イチャイチャなんかしてねえっつうの!」
健吾はどういうわけか顔が熱くなるのを感じた。
「健吾、おかえりなさい」
帰宅した健吾を待っていたのは唯華ではなく母の
「……なんで、いるんだよ……」
「『ただいま』でしょ、健吾」
「うるせえ……」
「あ! お兄ちゃん、おかえりなさいなのです!」
と、唯華が自分の部屋から飛び出して言った。
「……ただいま……」
「手を洗ってごはん食べちゃいなさい」
「うっせえなぁ! なんでここにいるんだよッ!」
「私の家なんだからいるのは当然でしょ」
「親父死なせといてよく『私の家』なんて言えるよなッ!」
「お兄ちゃん、やめてほしいのです!」
唯華は健吾を止めようとするが、彼の耳には届いていないようだった。
「……出てけよ……。 出てけよッ! 出てけっつってんだろッ! 出てけよッ!」
早苗は健吾の言葉に一瞬だけ目を閉じた。
「……そう……。 分かったわ……。 それであなたが清々するというのなら私は出ていくわ」
早苗はそれだけ言うと家を出ていった。
「いいのですか? お母さんを追いかけなくてもいいのですか?」
「……あんなの……母親じゃねえよ……」
健吾はそのまま自分の部屋に閉じこもった。
********
「……てください」
誰かの声がする。健吾は目を覚ました。
「ん……。 な、なんだ……?」
「あ! やっと起きていただけましたね、一之瀬健吾さん!」
「うおッ!」
声の主の姿を見た健吾は思わず後ずさりする。と言うのも、話していたのはなんと
「そんなに驚かなくともよろしいではありませんか。 私は一之瀬健吾さんのことを待っていたんです」
「あ……あ……」
「……おっと、失礼しました。
そう言った途端、オオカミはみるみるうちにその姿を変えていった。まず耳がなくなった。尖った鼻も縮み、牙も人間の歯に近いものになる。体毛もみるみるうちに少なくなり、尻尾もなくなった。変化はまだ続く。長く伸びきった爪は徐々に短くなった。逆に、後頭部あたりからうねうねと髪の毛が伸びていく。胸元もじわじわとせり出し豊満な胸を形成する。目も細く鋭いものから大きく柔らかいものへと変わった。その姿はどこからどう見てもオオカミではなく人間の少女のそれだった。
「これで驚かなくてもよくなりましたね、一之瀬健吾さん」
「……いや……。 ありえねえって……」
「あ、あれ? ど、どうしてまだ驚いているんですか? 一之瀬健吾さんと同じように人間の姿をしているというのに……」
「いい加減にしろ、カンナ!」
と、どこからともなくもう一匹のオオカミが現れた。それはカンナと呼ばれたオオカミよりも貫禄のある感じだった。
「いくら人間の姿に化けたとしても、それは『真似事』にすぎんのだ! そんなことも分からんのか、未熟者め!」
「そ、それは分かっております……。 ですが……」
と、不意に少女の髪から耳が生えた。
「あッ! 出てきちゃダメだって! もうッ!」
「そら見たことか! これだから未熟者だと言うのだ!」
「うぅ……」
「……あ、あの……」
彼女らのやりとりを見ていた健吾が口を開いた。
「こ、これは一体どういうことなんですか?」
「ん? ああ! 実は……貴殿に頼みたいことがあってな……」
「……頼みたいこと?」
「我々オオカミ族はある一人の少女を追っているのだ。 その手伝いをしてもらいたいと考えておるのだ」
「少女を……追っている?」
「まぁ……少女と言ってもそれは見かけだけで、その正体は恐るべき魔物。 地上にあるものすべてを喰らう凶悪な奴なのだ」
「そんな奴を……俺が……?」
「承諾してくれればの話だ。 また
そう言うと、二匹のオオカミの姿が徐々に消えていった。
「ちょっと待ってくれ! まだ説明してほしいことが……」
健吾がそう言ったが、言い終わる前に二匹は完全にその姿を消した。途端に周りの景色が目まぐるしく変化していった。