渋谷としまむら   作:Luigi Bloom

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渋谷としまむら

 ……やばい。ついにやってしまった。

 

 卯月のタオルを握りしめて、レッスンルームで一人、鈍痛のような後悔にうなだれる。

 ひとつだけ言い訳をさせてもらうなら、これは決して盗んだわけではない。卯月が忘れていたタオルを拾ってあげて、返すタイミングを逃し逃ししているうちに卯月が帰るまで忘れてしまっていただけだ。完全にそのタイミングを失ううちに卯月はとっくに帰ってしまったなら仕方ないので、私が一度持って帰って後日渡すしかないよね。

 とりあえず、タオルに顔を埋めてみる。とりあえずでやることとしては普通じゃないのは自覚していたが、自分の中の好奇心にも似た熱には勝てなかった。

 持ち主に似たのだろうか、ふんわりと柔らかいタオルは、柔軟剤だけではない甘い匂いに満たされている。さっきまで私を押し潰そうとしていた罪悪感が、すべて幸福感に塗り替えられ、頭の奥からふわふわが出てきて充満して意識が曖昧になる。

 幸せすぎてどうにかなってしまいそうだ。あの愛らしい卯月は匂いまでこんなに愛らしくて、もはやそこに死角なんてないんじゃないかなってぐらい天使でもう本当に愛して

「ねーしぶりん何してんのーっ?」

「なわあああっ!?」

「縄?あー、今日のロープ飛びのトレーニングきつかったよねぇ~」

「いっ、いつから、未央っ」

「えっと、しぶりんが自分の鞄からしまむーのタオルを取り出して顔をうずめた辺りからかな?」

 迂闊だった……!卯月のタオルの魔力ですっかり未央を忘れてた……まだ帰ってなかったんだ!

「いやいや~しぶりんも恋する乙女だねぇ~大好きな人のタオルをこっそり、なんてさ」

「いやっ、ちがっ、恋とかっ」

 いろんな意味で動揺が過ぎてまともに文章にできない私を、照れ隠しととったのだろう。

「違うの?」

 未央の目がニヤニヤしながらも、まっすぐ私を射抜く。心の奥のほうにある後ろめたいものを見透かしているように。

「違わない……けど……」

「やっぱりね!」

「やっぱりって、私も卯月も女の子なんだよ!?」

 バレてしまった。女の子である私が女の子に、恋していることが。

「え、関係なくない?」

 さも当然のように言い放つ未央に拍子抜けする。私のこの普通とはちょっと離れた恋愛感情を、当たり前のものとして受け入れているようだった。

「だって、女の子同士って普通じゃないし……」

「あー、そういう偏見もあるよねぇ……でもいざなってみれば案外大丈夫だよ?そういえばあーちゃんも同じこと言ってたなぁ」

 まるで経験してきてるみたいな口ぶりで言う未央……え?

「今は私もあーちゃんも、全然普通にできてるしね」

「ええええええええっ!?」

 握りしめていた卯月のタオルを取り落とす……が、地面に落ちるまでにどうにか拾い直す事ができた。こんな宝物を床に落とすなんてできるわけない。

「ちょ、なにその反射神経……っていうか言ってなかったっけ?」

「聞いてないよ!?藍子と付き合ってるの!?」

「うん、ちょっと前のことだけどね」

 どうりで最近、未央と藍子の距離感が変わったっていうか、スキンシップが激しいと思ったら。

「それ、みんな知ってるの?」

「私やあーちゃんと仲の良い子は多分みんな知ってるんじゃないかな?」

 そこに私が入ってないことにちょっと凹む。

「違うよ!?しぶりんが仲良くないとかじゃなくって、あーちゃんがしまむーに話したって言ってたから、一緒に聞いたのかと思ってただけだから!多分あーちゃんもしぶりんには私が話したと思ってるんだよ!」

「そう、なんだ……」

 なんかもういろんなものが一気に……えぇー……。

「と、ともかく、少なくともこの事務所のみんなは全然そんな悪いふうに思ってないから!」

 うーん、言われてみれば確かにそうかも。美波とアーニャとかみんな普通にカップル扱いしてたし。あの二人が特別ってわけじゃなかったんだね。

「……で、しぶりんは告白とかするの?」

「……告白」

 口にして急に恥ずかしくなってきた。私が卯月に告白……。

「しまむーと付き合いたいーとか思ったりしないの?」

「私はそんな付き合うなんてそんなそんな可愛いなとか私だけのものになってくれたらいいなとかいっそ誘拐しちゃおうかなとか思ってるだけだし」

「そっちの方がやばいよ、しぶりん」

「はっ」

 もうちょっとで危険な願望を口にしてしまうところだった。

「もう口から出てたよ、しぶりん……」

 それにしても告白、か。

「もししまむーに気持ちを伝えるんだったら、この私が手伝っちゃうから大船に乗ってね!」

「ふふ、乗った気分で、じゃないんだ。ありがと、未央」

「うん!この未央ちゃんに任せなさいっ」

 どん、と胸を叩く未央に変な頼りがいを感じてしまう。

「早速作戦を練らなきゃ!それじゃあ、私は今日のところは帰るね」

「ありがとう……お疲れ様。私も帰らなきゃ」

 

「……やっぱりしまむーのタオルはちゃんと持って帰るんだね……あ、ジップロック袋なんてなんで持ってるんだろう……」

 さっき休憩の時にコンビニで買ってきたんだよ。

 

 

 

 夕飯後の空いた時間に、卯月を想って過ごす。こんなに有意義な時間の使い方は他にないと私は断言できる。特に今日は卯月を身近に感じる宝物を抱えているので、色々と捗るものがあるね。

「告白、かぁ……」

 今日何度目かもわからない単語を呟いて、頭を抱える。

 確かに卯月に気持ちは伝えたいし、もっと言えば付き合えるものなら付き合いたいし、結婚したいし、一緒のお墓に入りたい。手も繋ぎたいし、キスもしたいし、もちろんそれ以上のこともだ。具体的に言えば全身を舐め回したい。

「どうしよう、卯月……」

 私は今、この場所にはいない想い人に何を求めているのだろう。タオルに私の匂いが移ってしまわないようにと入れてあるジップロック袋を置いた瞬間、スマホが震えた。

♪~♪〜

 この着信は……藍子?未央が何か言ったのかな。

「こんばんは、藍子。どうしたの?」

『凛ちゃん、こんばんは。今大丈夫?』

「うん、大丈夫」

『今日ね、その……凛ちゃんと卯月ちゃんの事を未央ちゃんから聞いて』

「ああ、聞いたんだ」

『うん、あのね、私の方から聞いたの、なんか未央ちゃん悩んでたみたいだから』

「大丈夫、わかってるから。未央が面白半分で言いふらすような人間だなんて思ってないよ」

 藍子としても未央がそんな人間だと万が一にも勘違いされたくないんだろうね。私もそれはもちろん理解してるつもりなので、フォローしておく。

『あはは、さすがニュージェネレーションズだね』

「伊達にユニット組んでないよ」

『それならよかった』

 ふぅ、と電話の向こうから一息つくのが聞こえた。多分本題を切り出したいのだろう。

『それでね凛ちゃんと卯月ちゃん、今週末なんだけど、オフだったよね?』

「あ、うん。藍子たちもでしょ?」

『うん、それで、せっかくみんなでお出かけしない?』

「……藍子と未央はデートでしょ?邪魔しちゃ悪くない?」

『ううん、私たちはいつでも一緒におでかけできるし、オフじゃなくても一緒にいられるし』

「……ごちそうさまです」

『あ、い、今はそういう話じゃないの!』

 照れてる藍子、すごく可愛い。もちろん卯月ほどではないけど。

『そうじゃなくて、ダブルデートとかどうかなって』

「ダブルデートって、ダブルデート?」

 デートということは、つまり、そういう、ことなのだろう。

『まだ難しいなら無理にとは言わないけど……』

「行く!!」

「じゃあ、決まりだね!卯月ちゃんには未央ちゃんが電話してるから、集合場所と時間が決まったら後でメールするね」

 ありがとう、藍子、未央。そのまま了解の旨を伝えて『おやすみなさい』と通話を切った。

 

 卯月とデート……今日はもう眠れそうにない。

 

 

 

「それでは第一回!しぶりんを応援する会議~!!」

 デートのある週末を控えたある日、私たちは事務所の空いた部屋にいた。ご丁寧にホワイトボードに「しぶりんを応援する会議」とまで書かれている。いぇーい、にょわーと手を叩くのは藍子と杏ときらりの三人で味方(?)がいつのまに増えたのだろうか。

「で、なんで杏たちがここにいるのさ?帰っていい?」

「ダメだよ!頭脳担当は必要だからね!」

「えぇー杏としては別に誰が誰と付きあおうと自由だと思うけど、そこに巻き込まれたくないなぁ」

 あからさまに不服そうな杏を膝に乗せたきらりが、そっと杏の髪に手櫛を通す。

「まぁまぁ杏ちゃん、後で一緒に飴買いにいったげるから☆」

「んー……それならまあいいか。で、結局凛ちゃんはどうしたいの?」

 杏、いくらなんでもチョロ過ぎない?あのきらりの雰囲気に勝てないのはわからないでもないけど。

「どうって……彼女にしたいし、色々したい」

「「「「色々」」」」

 全員が真顔で私を見つめる。デートとかのことだよ。他意はないってば。

「とりあえず、今度のデートでしまむーに告白しちゃう?」

「うぇへへ、なんだかきらりが照れちゃうにぃ☆」

 あまりの展開の早さに、当事者の私が一番置いていかれてる気がする。

「えっ、いくらなんでも早くない?いきなり告白するの?」

「いやいやしぶりん、今までもずっとしまむーとはニュージェネとしても一緒に活動してきたじゃん?私たちにはそれだけ積み重ねてきた絆があるじゃないかっ!」

 な、なるほど……?

「っていうかどうせ卯月ちゃんだって凛ちゃん大好きなんだから上手くいくっt」

「杏ちゃーん!めっ、だよぉ?」

 きらりが杏の口を塞いで遮った。

『それはきらりたちが教えちゃ、いけないことだよぉ?』

『いやー、焦れったくてつい……』

 何事かを耳打ちしあって、解決したみたいだった。何を話してるんだろう?

「んじゃ、とりあえずデートコースから決めようか」

 我らの頭脳担当が宣言して、いつの間にかホワイトボードの前でマーカーを構えていた藍子がでかでかと『デートコース』と可愛らしい字で書き込んだ。

「デートコースかぁ……あーちゃん、どこか行きたいとことかある?」

「うーん、いつものとこは?……あっ、凛ちゃんたちがいるんだった」

「ちょっ、あーちゃんっ」

 二人きりの時は一体どこに行っているのだろう。二人の慌てようを見てると勘ぐりたくなってしまう。

「まぁ、手堅く水族館とかじゃない?」

「うわ、杏ちゃんからそんな発言が出てくるとは……」

「杏をなんだと思ってるの?杏は自分がやりたくないだけで、一般論は理解しているのだよ」

 どやぁ、と言わんばかりの杏にちょっと意地悪してみたくなる。

「じゃあ杏は普段どんなデートしてるの?」

「え?そりゃあ家できらりを抱き枕にしてごろごろ……」

 途中まで言ったところで、デートを否定しないどころかいちゃいちゃおうちデートまで暴露してしまった杏が硬直する。自分できらりの名前まで出して、さすがに恥ずかしいのか。

 っていうかみんなどんだけ仲良いの。何人か怪しい人もいたけど、そういう意味で仲良いとは思わなかったよ。

「うきゃー……はずかしいにぃ…」

 顔から湯気を出してるきらりと、照れと気まずそうなのが入り混じった杏が面白い光景だった。……あれ?

「もしかしてこの会議、私だけ独り身……?」

 今度こそ純粋に気まずそうに全員が顔を逸らす。この事務所、男性トラブルは無縁だけど他の意味でヤバそうな気がしてきた。

「は、話が逸れたね!で、しぶりんはどこか希望は?」

「卯月の家かな。両親にちゃんとご挨拶しないとね」

「……ねぇこれ、凛ちゃんが一番ヤバくない?」

 なにを、杏。失礼じゃない?

「はいはいはい!じゃあ方針は手堅いコースに決定!」

 未央がパンパン、と手を叩いて無理矢理私の意見を押し流した。ホワイトボードには『手堅い』と書かれている。

 その後も会議は踊りに踊り狂って、最終的に決定したコースは水族館を見て回ってお昼ごはん、その後ちょっとぶらぶらしたところで未央を藍子が二人で帰って、卯月と二人きりになったところで私が告白という流れになった。

 ついでに帰り際に杏が『ようやく決まったし杏たちは帰るけど、卯月ちゃんはそういうの疎そうだし、ガンガン押したほうがいいと思うよ。じゃあ行こっか、きらり』とアドバイスしてくれた。このあと飴買っておうちデートなのかな。

 

 

 

 デート前日の夜。

 本日はみんなに、私のとっておきの恋バナを聞かせてあげちゃうよ。

 ……なんて、これだと本番当日にアタフタしまくってヘロヘロプリンセスになっちゃうからやめておこう。明日の今頃、私は「とにかく大成功!」と言えるのかな。

 いくらデートとは言え、卯月と遊ぶことは問題ない。今まで何度も遊びに行くことはあったし、二人きりの時だっていっぱいあったから純粋に明日が楽しみに感じている。むしろ問題なのはその後で、今までの人生で一度も告白なんてしたことがない私はそのことで頭がいっぱいだった。

 アイドルとしては過去の恋愛はリスクになるだろうから良いことなんだろうけど、こういう時ばかりは自分の恋愛経験の無さが恨めしく思えてしまう。いやでも私の初めては全部卯月にあげたいし、これで正解だったのかも。

 そういえば卯月はどうなんだろう。今まで彼氏とか好きな人とかいたのかな?もしいたとして、どんな人なんだろう……あ、駄目だこれは考えれば考えるほどモヤモヤが溜まっていくやつだ。

「うううー……どうしよう、ハナコ?」

 撫でるとくるる、と小さく喉を鳴らして気持ち良さそうに擦り寄ってきた。私も卯月に撫でられたいなあ……。卯月の膝に包まって撫でられる自分を想像して至福に浸ってたっぷり五分ほど経ってようやく、明日のプレッシャーから現実逃避している自分に気付いた。前向きに行かなきゃね、なんて告白するか決めよう。

「みんながあんなに協力してくれたんだから、絶対に無駄にはできないね……!」

 そのためにはまずは卯月のタオルで英気を養って……うん、今日も眠れそうにないや。

 

 

 

 アラームに設定された歌が鳴り響く。あれだけ眠れそうにないと思っていた割には、気付けば眠っていたらしい。私が単純なのか、もしくは連日色々ありすぎて眠れなかった限界が来たのか。どちらにせよ目の下にクマができたり、寝坊して本番当日アタフタしまくりみたいな事態は避けられたしいいか。

 のそのそとベッドから這い出て、ろくに血の巡らない頭で今日の予定を思い描けば今日は卯月とデートの当日で、足先から順に活力と浮ついた感覚に満たされる。

 どこか現実味のなかった卯月との『デート』。いつもと違って変な緊張をしてしまうのはやっぱり心持ちのせいなんだろう。

 待ち合わせの時間までは身支度、移動時間を考えても余裕を持っている。念には念を、を重ねた賜物だろう。準備をしながらみんなのアドバイスを思い出す。

 

『凛チャン、デートの日は一切の妥協は許されないにゃ!ロックだから~とか訳の分からない理由でジャージで来るなんてダメだからね!』と、みく。

『えーその一周回ってって感じ、ロックじゃない?』と、李衣菜。

『だから李衣菜チャンはロックを履き違えてるにゃ!』みく。

『ロックはロックを感じたらロックなの!』李衣菜。

『何事にも限度があるにゃ!』みく。

『みくにロックの何がわかるのさ!』……ねえ。

『少なくとも李衣菜チャンよりはわかってるにゃ』ちょっと。

『何を~!?』ちょっとちょっと私をダシに喧嘩しないでよ。

 そのあとめちゃくちゃ解散と再結成した。なんかもうすっかりお家芸だね。

 

 そんな二人のやり取りを思い出して噴き出しながらブラウスに袖を通す。みく発案の、渋谷凛イメージカラーの蒼いブラウスだ。

 メイクも髪も服も、卯月に可愛いって言ってもらえるように今できる全力を尽くした。ステージに上がる時と同じぐらい、もしかしたらそれ以上の気合を入れて鏡の中の私と向き合う。

「まぁ、悪くないかな」

 わん、とハナコが同意してくれた気がした。

 

 

 待ち合わせ場所になってるのは駅から少し歩いたところの公園だった。まだまだこれからの身分とは言え、アイドルが四人も集まるのであればそれなりに人の多くないところが都合いいのだろう。

 その道すがらスマホに着信が入った。開いてみると、表示は藍子だ。

『もしもし、凛ちゃん?ごめんね!今日私たち行けなさそう……』

 藍子の焦ったような声が聞こえた。

「何があったの?」

 私たちって事は……多分、未央も?焦った声も含めて不安が私にも伝染する。

『未央ちゃん、熱があるみたいで、今ベッドに無理矢理寝かせたところなの』

 藍子がハンズフリーに切り替えてくれたらしく、電話の向こうから『この未央ちゃんが行かなくて誰がしぶりんを助けるんだ~』なんて呻くような声で聞こえてくる。

「大丈夫なの?今からそっち行くよ、何か必要なものある?」

『ううん、こっちは大丈夫だよっ!寝てればすぐ元気になるし、多分今日の凛ちゃんがこっちに来ちゃったら、未央ちゃんすっごく気にすると思うの』

 うーん、そうかもしれないけど……。

『……ね?凛ちゃん』

 私の沈黙を押し戻すように、大丈夫だから、と背中を押してくる。

「……わかった、確かに藍子がいれば安心だしね」

『うん、楽しんできてねっ♪』

『しぶりんすまぬ~私の分もどうか楽しんで……ばたり』

『縁起でもないことしないのっ』

『あいたっ』

 ぺちん、という音が聞こえる。思ったより元気そうかも。

 

 通話を切ったところで、気付く。

「卯月とふたりきりだ」

 待ち合わせの時間まで、あと二十分だった。

 

 

 

 そして約束の時間の十分前、なんでもないただの公園に女神が舞い降りた。

「凛ちゃんっ!おはようございますっ!」

 手を振りながら駆けてくる卯月は世界一まぶしい笑顔で、それを直視できない照れ臭さと、目に焼き付けたい気持ちが私を挙動不審にする。

「お、おはよう卯月」

「未央ちゃんと藍子ちゃんはまだなんですか?」

「あ、それなんだけど……」

 未央が体調不良なこと、それを看病するために藍子も一緒にいることを、出来るだけ卯月が心配しないように伝える。

「そうなんですか……でも藍子ちゃんがいるなら安心ですねっ!それに、その、未央ちゃんも藍子ちゃんとふたりきりの方が嬉しいでしょうし……」

 二人の関係を踏まえてのことだろう、ちょっと赤くなって照れながら言う卯月の可愛さに息が詰まった。本当にどこまで可愛いんだろう、卯月は。

「えっと、その、凛ちゃん、今日はいい天気になってよかったですねっ!」

「うん、そうだね。……じゃ行こっか」

 なんだか私よりも卯月のほうが緊張しているように感じてしまって、肩の力が抜けた気がする。

「はいっ!凛ちゃん」

 これは、私は試されてるのかな。はにかんだ卯月がこっちに手を出してるんだけど、素直に握ってもいいの?これってそういうことだよね?

 突然過ぎるぐらいに降って湧いた幸運に動揺しながら、そろそろと卯月の手を握る。これであってるよね?

「えへへ、行きましょうっ」

 私の心臓は最後までもつのかな。

 

 

 

 水族館入口の楽しげなポップにイルカやマンボウが踊っている。混雑を避けて平日に設定したのは正解だったのか、チケットはそれほど待つことなく買えた。

 ただ、券売所前で手を放した瞬間に小さく卯月が「あっ……」と漏らした時は思わずすぐに握り直してしまった。結局二人で手を繋いだまま、悪戦苦闘しながらチケットを買うはめになった。

「うわぁ……!」

 入館してすぐの水槽を見上げて、卯月が感動の声を上げる。

 光の当たる水槽は水中とは思えないぐらい色鮮やかで、黄色や赤、青色の魚たちが翻るたびにきらきらと光が反射していた。これは卯月じゃなくとも声が出ちゃいそう。

「すごいですねっ、きれいですねっ!」

 はしゃぐ卯月のほうが何倍も綺麗だし可愛いけれど、すごいね、と返しておいた。

 

 大きな水槽の前に構えられたベンチに座って、深く息を吐く。人が居ないこともあって、ほとんど音がしない静かな空間だった。左側にいる卯月と水槽だけが、世界の全部になってしまったような気分。

 大水槽には色の派手な魚こそいないが、小魚や大きなエイが優雅に泳いでいる。水中を滑るように泳ぐエイを目で追っていると、隣に座る卯月も同じように視線が動いているようだった。

 あらためて卯月を見つめる。水槽から漏れる青い光に照らされていても、弾ける光のような笑顔はいつもと同じで、ここが暗い水族館であることを忘れてしまいそうになる。

「綺麗……なんだか、深海にいるみたい」

「素敵ですけど、なんだか息ができるのが不思議な感じですね」

 すぅ、卯月の胸が確かめるように息を吸い込んで上下する。

 そんなしぐさがどうしても愛おしくなって、私も一緒になって息が苦しくなってしまう。許されるのなら今すぐにでも抱きしめてしまいたい衝動を、手を繋ぎ直してどうにか抑えこんだ。

 それでも詰まった息がどんどん膨れ上がって、肺から、喉から言葉になって溢れる。

「卯月、あのね」

「……なんですか、凛ちゃん?」

 次に息を吸った瞬間、頭が真っ白になった。あれだけシミュレートした告白とか、卯月がどんなリアクションしてくれるのかとか、考えておいたことが全部吹っ飛ぶ。何か言わなきゃという気持ちだけがどんどん先行して、私は――

「私、卯月の匂い大好きなの!」

 ――大バカになった。

 卯月がきょとんとしている。その表情も可愛いけどそれどころじゃないよそりゃそうだよ言うに事欠いて『匂いが好き』ってなんなの他にいくらでも言うことあるのになんでそこをこのタイミングで言っちゃうの私のバカ本当にバカ!

「私も凛ちゃんの匂い、好きですよ」

 ……え?いつもの笑顔の卯月に、今度は私が呆然とする番だった。

「凛ちゃんは、お花の匂いがするんです。……ね?」

 すんすんと鎖骨のあたりに顔を近づけられる。ね?と言われても。

「優しくて、いい匂いで、おうちでお花のお世話をしてる凛ちゃんが目に浮かぶんです」

「そんな凛ちゃんが、わたし、大好きなんです」

 触れている私だけがわかるぐらい少しだけ、手が震えていた。

「私も一緒。大好きだよ、卯月」

 あれだけ言えなくて悩みに悩んでいた言葉が、卯月の手を握っているだけですんなりと出てくる。

「違うんです!私の『好き』は……」

 これ以上、卯月をがんばらせちゃいけない気がした。

 いつもがんばっている卯月だけど、今日だけは、今だけは。

「それも一緒だよ」

「それも……?」

「うん、私は卯月を、恋人として愛してる」

「……うん、うんっ私もです、凛ちゃんっ愛してますっ!」

 口に出してみれば簡単だしありふれた言葉だけど、特別に言葉を贈りたい相手がいるだけで、こんなに重く強く、響くんだ。

「うづ、ぎぃ……」

「りんぢゃあん……」

 嬉しい気持ちと受け入れてもらえて安心した気持ちと、いろんな感情が跳ねまわって、二人で抱き合ったままぼろぼろ泣いてしまう。ほんと、誰もいなくてよかった……。

 

 

 

 

 

「……で、未央。いつから知ってたの?」

 アイドル二人が水族館という公共の場でぼろぼろ泣いた日からしばらくした事務所、休憩の合間にレッスンルームに戻る道すがらで未央を問い詰める。

「え?何を?」

「とぼけないで」

「お、怒らないでよしぶりん」

「怒るよ!私が今までどれだけ悩んでたと思って……」

「でもさー、私らが言うのもなんか違う気がしない?」

 むー、とむくれる未央。確かにそれは言うとおりかもね……。

「……そうだね。ごめん、未央」

「うむ、よろしーい。では、質問にお答えしましょー」

 未央が人差し指を立てて話し始める。感謝する立場なんだろうけど、なんかイラッとするなぁ。

「まず、二人がお互い大好きなのは、かなり前から知ってたよ。見てればすぐわかるよ……二人共、わかりやすいし」

「え、私わかりやすいの……?」

 まるで自覚が無かった。っていうかむしろ感情をあまり表に出ないクールタイプだと……。

「うん、だいぶね。それで、しまむーが告白したいって言い出したのが、私がダブルデートに誘った時」

「あ、もしかして」

「そうそう、私は風邪なんてひいてないし、あーちゃんとおうちデートに変更しました!」

 藍子の朝の電話、あれ演技だったんだ……女優になれそうだね。

「大変だったんだよー?急遽計画を変更して、前日の夜には『第一回しまむーを応援する会議』が開催されてさー」

 その安直なネーミングは一緒なんだ。

「で、その結果とりあえず押せ押せーって結論になって、あとは当日!ってね」

 どうやら私たちは、第三者たちが結果を知っている告白に緊張しまくってたみたい。終わってみればなんとも気の抜ける話だ。

「ふーん…………ありがと」

「ん?んん?しぶりんなんて?」

「も、もう言わないっ」

 なんだか手のひらで転がされていたような気がする悔しさがあるけど、でも確かに感謝はしている。未央たちに背中を押してもらわなかったら、きっと私たちは未だに気持ちを胸に押しとどめたままでいたと思う。

「みんなにも、お礼しなきゃね」

「私たちはしぶりんとしまむーが幸せになってくれればいいのだよ!」

 ふーん。卯月といる時とは違う意味で胸が熱くなる。でも照れくさい。

「さ、しぶりん、今日も今日とてレッスンですよ!」

「そうだね。じゃあ、残していこうか、私たちの足跡……!」

 レッスンルームの扉に手をかけたところで、中の光景が少しだけ見えた。ルームには卯月が一人。

「しぶりん……これ、私どこかで見たことある……」

「私ってはたから見たらあんな感じだったんだ……」

 卯月が一人。私のタオルに顔を埋めて幸せそうにしていた。

 悪い気はしないというか、むしろ嬉しいっていうか……恥ずかしいけど嬉しいし、もう少し眺めていようかと思ったところで、未央が扉を容赦なく開け放った。

 

「ねーしまむー何してんのーっ?」

「なわあああっ!?」

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