心が重くなって、軽くなる感じが好きなんです!!
「ごめんね凛ちゃん、私、やっぱり男の人が好きみたいです」
カチャリと置いたカップが音を立てる。それに合わせてレモンの輪切りが、茶色い液体の中で揺れた。
「卯月、それって、その……え?」
言っている言葉はわかるけれど、言っている意味がわからない。というか理解をしたくない。なんで、今になって、だって、あんなに。
考えもまとまらなければ、言葉も出てこない。
卯月のカップとは別の、カタカタという音を立てるカップ。そこで初めて自分の手が震えている事に気がついた。
「私、学校で同じクラスの男の子に告白されたんです」
蒼白になっているだろう私を無視して、卯月は言葉を続ける。
「サッカー部の子でね、エースなんだって言ってました。すっごいかっこよくて、それに優しいんですよ」
確かに卯月にはそんな完璧な男性がお似合いなのかもしれない。
そんな考えが過ぎってしまって、卑屈になり始めている自分をどうにかして押し殺す。嫌だ。私は卯月をとられたくない。
「ねぇ」
言葉を続けようとする卯月に割り込む。
「卯月、本気で言ってる?」
「うん、本気だよ」
まっすぐな視線をぶつけられる。いつもなら自然に笑顔につられてしまう卯月の目が、今日は私を冷たい底に突き落としていく。
「確かに凛ちゃんのことは好きだったけど、やっぱり私も凛ちゃんも女の子でしょ? きっとこれは恋愛の好きじゃないんだよ」
打ち砕かれる。
心の何処かで、これは何かの間違いじゃないか、趣味の悪いイタズラかなんかじゃないかと思っていた僅かな部分を砕かれてしまう。それだけ卯月の声は、目は、本気だった。
今までずっと見てきて、間違える事は絶対にない。
こんなに信じたくない言葉でも、積み重ねてきてしまった時間が、卯月の本気を裏付ける。
「私、その人の告白を受けようと思ってます」
目の前が真っ暗になって、頭が真っ白になる。それとは別に、事態とは切り離されてどこか冷静な頭が、紅茶が冷めてしまう事を気にしていた。
「でも、友達としては今でも大好きです! これからも一緒にアイドル、頑張りましょうねっ!」
こんなに残酷な『大好き』があるのか。
テーブルに投げ出された私の右手を握って、いつもの笑顔を私に向けてくれる卯月。
「それじゃあ私、行きますね?」
一つ一つの挙動を見つめて、呆然とすることしか出来ない私を尻目に、卯月が遠ざかっていく。
恥も外聞もなく縋ってしまいたい。なのに身体は一切の言うことを聞かなくて、私はただ背中を見送ることしかできなかった。
おはようございます、島村卯月です!今日もがんばりますっ!
事務所のドアを開けて一番、一人でソファーに座っていた凛ちゃんがこっちに気付きます。
私の大切な人、大好きな人です。
「おはようございます、凛ちゃんっ」
駆け寄って、さすがに事務所だから抱き着いたりはできないけど、両手をぎゅーって握ります。
「おはよう卯月……う、うづっ……うぅ…」
毎日やってるいつも通りの挨拶をしたはずなのに、なんと突然、凛ちゃんが泣き出してしまいました。……えっ、泣き!?
「ふぇっ!?なんでっ、どうしたんですか凛ちゃん!?」
どうしても心当たりが無くって、ただただ戸惑ってしまいます。
「卯月ぃ……よかったぁ卯月ぃ……」
泣きながら抱き着いてくる凛ちゃんなんて初めて見ました……。私にとってはとても新鮮で、こんな凛ちゃんも可愛いなぁなんて思ってしまうんだけど、きっと凛ちゃんにとっては一大事なのでそんなこと考えている場合ではありません。とにかく落ち着くまでは、背中をとんとん、ってすることにします。
凛ちゃんをあやしながら一度ソファーに座って、落ち着くのを待ちます。触れると鈴の音がするような黒い髪を梳いていると、花の香りがしてきます。私はこの匂いがとても好きです。でもどうしても好き過ぎて、いつだったか置いてあった凛ちゃんのタオルに顔をうずめてるのを見られちゃった時は恥ずかしかったなぁ。凛ちゃんも凛ちゃんで、未央ちゃんもいるのに『だ、大丈夫だよ!私も卯月のタオルで同じことしてたし!』なんて言うし。
そろそろ呼吸がが元に戻ってきたみたい。なんで泣いてるのか、聞いても大丈夫かな……?
「凛ちゃん、落ち着きましたか?」
「……うん、ごめんね、急に」
「何があったのか、聞いてもいいですか?」
「う……」
言いよどむ凛ちゃん。でも表情は辛いとか悲しいっていうよりも、恥ずかしいから言いたくないみたいです。私だって伊達に凛ちゃんを見てきてませんから、それぐらいはわかります。
「その……引いたりしない?」
「大丈夫ですよ。私は凛ちゃんのことならなんだって受け入れますから!」
もう一度手を握り直すと、ふっと力が抜けているのがわかります。でも泣くほどのことなんて、何があったんでしょう?
「あのね、昨日夢を見て……」
――
――――
――――――
事務所に入ってきた卯月の顔を見て、耐えきれず泣き出してしまった。
それだけでもう叫び出して穴に埋まりたいほど恥ずかしい話なのに、挙句の果てにはどうして泣き出してしまったのか、まで説明してしまっている。まさか「卯月にフラれる夢を見た」なんて理由だとは思わなかっただろう。
話すうちに少しずつ頭も冷静になってきて、事態の恥ずかしさを自覚していったんだけど……途中からもう目も合わせられないぐらいになってきて、いつも机の下に潜り込む乃々の気持ちがわかる。
「えへへ、凛ちゃんもそういう夢見るんですねっ」
「それどういう意味」
卯月にもたれかかったままの格好なのに、ついぶっきらぼうな物言いになってしまう。ただそこに含まれる照れ隠しはバレバレみたいで、楽しそうな顔をされてしまった。
「なんとなく、です」
笑いながら頬を指で突かれる。気恥ずかしいけど、嫌ではないので避ける事はしなかった。
「凛ちゃん」
「ん?」
楽しそうに私の頬引っ張ったりつついたり遊ぶのをやめないまま、顔を覗き込まれる。このタイミングで目を見られるのはちょっとむぅーりぃー……。
「どうしたら安心してくれますか?」
「違うよ。卯月を信じてないとかじゃなくって、私の心が弱すぎるだけ」
んー、と少しだけ考える卯月。唇に立てた人差し指を当てる仕草が可愛くて、思わず見とれてしまう。
「私も凛ちゃんから信じてもらってないって思ってるわけではないんだけど……やっぱり安心?してほしいなって」
私は卯月が大好きで、卯月も私を……その、好いてくれている。お互いにそれはわかっているはずだけど、信じていることと安心する事は別なんじゃないかと思う。今朝の夢の話ではないけれど、卯月が素敵な男の子に告白されることだってこれからいくらでもあるだろうし。
そのことを考えるだけで胃がキリキリと痛んでくる私は、やっぱり心が弱いのだろう。ダメだ、今日は何を考えても思考がマイナスに進んでいくし、涙もろいし……目の前が滲んでくる。
「よしっ、凛ちゃん!そこにちゃんと座って!」
「は、はいっ」
驚いて命じられるままにソファにぴしっと座りなおす。うわ、なんか今の私犬みたい。
卯月が立ち上がって、私の真正面に来た。なんの予告もなく、抱き締められる。
「私、島村卯月は渋谷凛ちゃんが大好きです。恋をしています。」
「うっ、卯月!?わぷっ」
いいからいいから、と言うように上から抱き寄せられた。ちょうどお腹の辺りに顔を押し付ける形になって、卯月のあったかさと匂いに包まれる。
「男の子とか女の子とか、私にはどうだっていいです。凛ちゃんだから好きなんです。これからだって、どんなに素敵な人が現れても、私にとっては凛ちゃん以上に素敵な人なんていませんし、凛ちゃん以上に好きになる人なんていません。凛ちゃんが許してくれるのなら、私が死んじゃうその時まで一緒にいて欲しいんです」
「……卯月に置いていかれたら、生きていけないよ私」
「それじゃあ気にならなくなるまで長生きしましょう? ずっとふたりで」
なんの保証も証拠もない言葉だけど、不思議と染み込んでくるように不安の隙間を埋めてくれる。そういえば告白の日から好きって言ってないし、言われてないことに気付く。それが原因での不安だったは思わないけど、改めて言ってもらえるとすごく嬉しい。
「私も、卯月が大好き。一生好き。卯月が嫌って言うまで、一生離さないから」
「はいっ!」
力いっぱい抱き寄せることで、離さない意思表示をする。言葉にするのがあまり得意じゃない私の、精一杯の愛情表現だった。
「おっはよー!しまむー、しぶりん……ってあれ?なんか変な空気?なんかあったの?」
事務所の扉が開いて、未央が顔を出した。危なかった。落ち着くのがあと数秒遅かったら、抱き合ってるのを見られてた。隠してるわけではないにしろ、やっぱり恥ずかしいし、気まずいでしょ。
「お、おはようございます未央ちゃんっ」
「おはよう。全然何もないよ」
「うーん、ならいいんだけど」
言わないのなら深く突っ込むまい、って言外に醸し出してくれる未央。なんだかんだで一番空気を読んで行動してるのは未央なんだなといつも思う。
じゃあ私は未央の優しさに甘えて、お先に部屋を出ることにしよう。
「それじゃ、私レッスンあるから先に行くね?」
「いってらっしゃ~い」
「いってらっしゃい凛ちゃん、それから、大好きですっ」
「……っ!?」
「わーお!しまむー大胆!」
「凛ちゃんは言ってくれないんですか……?」
「い、いってきます……大好きだよ、卯月」
うう、机の下に隠れたい……!
「はいっ」
卯月の満面の笑顔と、未央のニヤケ顔に見送られて事務所を出る。
足取りも心も来た時より軽くなっているのが自分でもわかるけど、次に会った時には未央にどれだけイジられるのかを思うとちょっとだけ足取りが重くなる。
……まぁ、こういう悩みだったら悪くはないかな。