城塞都市エモットで開催されている祭りは、その主役たる双子を抱きかかえた夫婦、ンフィーレア・バレアレと、領域守護者エンリ・バレアレを巨大かつ壮麗な輿に担ぐ戦妖巨人――小鬼軍団の配下に編入されている――十数名を中心に構成した軍楽のパレード部隊が、各都市や街道を練り歩くことを主目的としている。
無論、ただの人間である二人と双子を七日七晩不眠不休で乗せ続けることは不可能(アイテムで耐性を与えることは一応可能だが)。その為、もっぱら彼らを模した像を輿に担ぐことで、とりあえずの代行としている。ドワーフ謹製の大理石で出来た石像は見事な出来栄えで、この祭りが終わる頃には、都市中央の巨大広場に鎮座されることが確約されているのだが、モデルとなった夫妻は恥ずかしさのあまり像を直視できていないのは内緒である。人々は、像に見立てられた領域守護者とその夫、その双子への感謝として、花束や金貨を輿に投げ入れていく。輿はあっという間に花々で埋め尽くされ、戦妖巨人でも担ぎ続けるのが困難な量になる……ことはない。そういった贈り物は一定数たまった時点で、隠れて同乗している転移魔法が使えるシモベたちが転移させているわけだ。
祭りには真の意味で多種多様な種族や存在が集まり犇めき、イベントの狂騒に花を添えていた。
通りを並ぶ露店では商品と金銭が大量に遣り取りされ、軍楽隊の奏でる行進曲が喝采を浴び、広場では人と亜人の異種格闘技が白熱の度合いを深め、人々は公的に催されている賭場の熱に当てられているかのように選手たちへの檄を飛ばす。相も変わらず警邏のために遣わされた
そんな祭りの熱も、六日、七日も続けば沈滞していく――ことはありえなかった。
むしろ、ここからが本番とも言うべき大イベント、魔導王陛下御自らが、第十位階を超えた奇蹟の領域、神すらも覆す最高位の魔法“超位魔法”をお披露目してくれる時が迫っていた。
アインズは、誰一人として見たことのないような美しい魔法陣を展開する。
一度として同じ形状や紋様を保たない流動性に富む蒼く澄んだ光の収束は、御身を中心とした十メートルほどの空間を埋め尽くす巨大なドーム状の魔法陣が展開され、魔法の知識の有無にかかわらずそれそのものが偉大な魔法のようにさえ思われるだろう。
だが、アインズはさらなる奇跡を天上に向け解放する。
唱えられた魔法は〈
この魔法の効果は、フィールドエフェクトの変更というもので、これそのものに攻撃能力などは備わっておらず、また今回アインズがもたらしたエフェクトというものにも致傷性は絶無である。
魔法は天を覆い尽くし、やがて地の彼方にまでという広範囲を包み込んだ。
そうして、都市中の国民が固唾をのんで見守り続ける夜空の向こうから、それらは降り注いだ。
「……おお――!」
誰ともなく息を漏らしてしまうそれは、星空を駆ける流れ星。それが、無数。
雨のように、風のように、万華鏡のように夜空を覆い流れる流星群が、城塞都市を輝かせ、人々の瞳に魔導王がもたらした奇跡の大きさを実感させる。
静まり返っていった群衆が、夜の闇を弾かせるような歓声を上げた一瞬、終わりなき感動と祝福が世界に轟いた。
人が、亜人が、異形が、すべての魔導国の臣民が、魔導王万歳を斉唱し、領域守護者エンリへの万謝に熱狂した。
この流星雨は、およそ一日以上、祭りが終わる七日目の夜に至るまで、人々の営みの頭上を駆け巡り、魔導王の偉業の歴史に加えられることとなる。
盛大な祭りが都市中で催されて、七日目の朝。
祭りの一日~三日目、アインズは礼賛に訪れるべく大陸各地より訪れた有力者や豪族ら――友誼を交わし傘下に加えた者たちから、一度は矛を交え滅びの恐怖を植え付けた者たちまで――を、平等に都市へと迎え入れていた。
彼らから献上される贈り物や献上品というのは、名目上は祭典の主役たるエンリ・バレアレとその子らへの供物であるが、実際にはアインズ・ウール・ゴウン魔導王という超越者への恭順を新たに示すための贄の側面が大きい。無論、人間の赤子用に創らせた服飾や装身具はアイとンズ姉妹に送られるのだが、さすがに金塊の山やモンスターの剥製などは、エンリたち親子に処理できる物件ではないのだ。それらはとりあえず宝物殿のパンドラズ・アクターに鑑定させ、物によっては
四日目になってようやくアインズは、普段の通りに都市散策の幻術を張って、認識阻害のアイテムを身に着けたエンリたちと共に祭りを堪能し尽くした。すっかり友人関係を構築したネムとニニャも連れて。守護者複数が交代で護衛につきながらの散策を満喫したアインズは、一日中ご機嫌極まりない感じで、
その下見も万全である。
アルベドには衣装の製作を、シャルティアには衣装の材料を、エンリには土地と聖堂を、という具合に守護者たちにはアインズの企図する計画の一端を担わせている。実現までの期限は短かったが、皆の協力のおかげで、この時にはすでに準備は万端整えられていた。
五日目と六日目もまた、城塞都市で祭りを楽しみつつ、大陸に散る各都市守護者の地位を与えた現地人や、アインズ謹製の上位アンデッドたちからの政務報告に目を通し、油断なく国の運営に邁進していく。ニニャへの魔法授業も忘れることはない。
そうして、六日目の夜に流星雨という一大イベントを民らにプレゼントしたアインズは、城塞都市の屋上、バレアレ一家が住まう村のような邸宅の一角に造らせた一軒家――造りとしては、日本家屋のようなそこに寝泊まりしていた。
朝の陽射しが部屋を満たすと共に、アインズは読んでいた本を閉じた。
「では、私はこれで御前、失礼いたします」
「うむ。ゆっくりと休め、インクリメント」
アインズは正座の姿勢を取り続けていたメイドがお辞儀するのを見送りつつ、白黒のメイド服の少女が楚々とした仕草で物音も立てず開けた襖の奥へと消えていくのを確認する。
思わず、息を吐く真似をする。
メイドたちのベッド番は、数年たった今でも、相も変わらず続けられている。
否、この場所ではベッド番というよりも布団番という方が適切だろうかなどと、どうでもいいことを考える。アインズが身に着けている寝間着も、日本文化を象徴する爽やかな浴衣着であるが、それにしても、男女がひとつの部屋で夜を共にするというのは、やはり公衆観念から考えるとよろしくない印象が拭えない。おまけに、インクリメントもそうだが、その前までのメイドたちも寝ずの番の間中、誰一人として正座の姿勢を崩すものはいなかった。数時間も正座をさせっぱなしにするなど酷い拷問のようにも思えるが、ここは畳の青い香りが似合う和室である以上、彼女たちが正座の姿勢をとることは不思議でも何でもない。これ以上の礼儀などないほどに、あたりまえな行為ですらある。
彼女たちは一様に疲労や睡眠を感じないアイテムを与えているため、苦痛などありえないとわかってはいるのだが、部屋に二人きりな状態で正座をした少女に凝視され続けるというのは、ひどく心苦しい。かつてほどに辟易した感じをアインズが抱いていないのは、さすがに支配者としての振る舞いに慣れが生じてくれているおかげだ。
しかし、それでもうら若く美しい乙女からの不動の視線というのは、何とも言えない罪悪感をアインズの胸中にわだかまらせる。自分のことは放っておいて寝てくれてもいいのだが、そんなことを彼女らが承服しないことは判り切っている。主人が休まないのに、その主人の前で休み寝入るなど言語道断だろう。いっそのこと「一緒に寝るか」なんて発言したらどうなるのかとも考えなくもないが、さすがにヘロヘロさんたちをはじめ、かつての仲間たちの創った
この場所で寝泊まりと言っても、アンデッドであるアインズは、相変わらず睡眠や休息は不要であるため、あくまでこの都市での滞在場所として、最高の防御魔法を幾重にも張り巡らせた城の、さらに防御を重ねられた領域守護者たちの邸宅地が、一番安全であるからの選択に過ぎない。
普通に考えれば城の屋上に、村にも似た家屋が建立されているだけの様子は無防備かつ無警戒に見える措置なのだろうが、領域守護者に任命されたエンリは、もともとが単なる村娘であった。都市長としての絢爛豪華な住宅よりも、こじんまりとした村に普通にある程度の住居を、彼女と彼女の家族は好んだ。二階建てという構造は、村ではなく都市ぐらいでしかお目にかかれないものであったが、さすがに領域守護者が住まうものとしての威儀として、あの巨大邸宅はひとつの妥協点であったのである。アインズとしても、とある理由からエンリの意見に肩入れしたため、守護者たちの反対意見は引く波のごとく静かになった。
そうして、屋上の村において、その二階建てに唯一比肩するのが、アインズが特別に造らせた、この一軒家なのである。
造りは平屋ではあるものの、坪面積で言えばエンリたちのそれとほぼ変わらない。
それに何より、この場所はアインズの密かなお気に入りでもあった。
「……やっぱり落ち着くなぁ、ここは」
アインズが仮の寝起きをしているそこは、高級旅館のような、広さ数畳程度の畳敷きの和室だ。
干したてのようないい匂いの布団は柔らかく、アインズはその上に胡坐をかいて、ぼーっと開け放った障子の向こうの光景に見入っていた。
中庭は、松の木や灯篭が立ち並び、古池に橋のかかる日本庭園の装いである。
アインズはこういった和風の光景を見るのは初めてではない。ユグドラシルで遊んでいた時は勿論のこと、ナザリックにある露天風呂にも、これと似たような――しかし規模で言えばこちらの方が上である――光景は存在するのだ。さらに、図書館にある拠点内装用データを収録した建造物の参考資料があった為、この異世界で純和風な庭を再現することは不可能ではなかった。
しかし、本当に落ち着く。
日本人の原風景ともいえる中庭は朝日の薄明りに照らされ、慎ましく家主の視界におさまっている。
エンリに肩入れして、この屋上に小さな邸宅を建てる際に、アインズが自分の宿泊用に準備させた住居のなじみやすさが、日々国政に携わるストレスフルな生活を強いられた一般人の心根に束の間の安らぎを与えてくれる。
「やっぱり和室を作らせて正解だったなぁ……おっと」
次のアインズ当番が出入り口の襖の方から近づいてくるのを耳聡く察した。
アインズが読んでいた本は、重厚感のある難解な題名のハードカバーにすり替え、部屋の始末をするメイドに見られても良い工作を万全整える。
「おはよう、デクリメント」
無邪気に目を輝かせた瞳に、短い髪が特徴の活発なメイドが、やはり日本文化に則った姿勢で、襖の奥から現れた。
アインズはゆっくりと、しかしはっきりと意識を切り替えていく。
例の件の進捗をアルベドとデミウルゴスに確認せねばと思いつつ、デクリメントが用意した今日のコーディネイトに身を包むのだった。
祝賀祭七日目を迎えた城塞都市エモットの熱気は、留まるところを知らない。
都市を練り歩いてきた軍楽隊のパレードが、都市中央の城下町に戻ってきた。
いよいよ、七日続けられた祭りは、終局に差し掛かったのだ。
祭りの最後を告げる花火が、都市の鐘の音と共に轟く。
「いよいよ! 祭りも終わりですが! みなさん、最後まで楽しんでください!」
熱狂的な声の波濤にさらされながら、領域守護者は悠々と、己の役儀を務めあげる。
市民らが残る一日の時間に歓喜と寂寥、等分の感慨を大音声に滲ませながら、そこに座する超越者にして頂上者たる者たちに喝采を送る。
都市は、祭りの最後にふさわしい活気と共に、与えられた祝賀の時を甘受し、賛美の歌と、笑顔の花と、ここに存在する奇跡への感謝を謳い踊る。
そんな民たちの熱を間近に感じつつも、魔導王と守護者たちはステージを後にする。
各地より集った
この祭りで通算七度目となる英雄譚の上演は昼過ぎまで続き、しかしその人気ぶりはすさまじく、広場は円形闘技場のように増設された観覧席では収まりきらないほどの人ごみに溢れ、立見席まで満員御礼の盛況ぶり。
それもそのはず、この最後の劇は、『漆黒の英雄譚』の編纂者にして当事者――英雄モモンと肩を並べ、悪逆非道の魔王と戦い、世に平穏をもたらした至高の国主、アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下も御出演されるのだ。これまでの上演では、演じることすら憚られる魔導王陛下の役を、当事者本人が演じることなど初めてのこと。
「――ああ、モモンよ! そなたらの名誉の死を、私は決して忘れはすまい!」
随分と演技過剰に見える所作であるが、その演技っぷりは人気の役者や詩人すらも恥じ入るほどに洗練され、尚且つ語られる声音は聴衆の耳に心地よく、劇に見入る者らの種族に関わらず、その瞳に鮮烈な感動を描かせた。
魔法、国政、叡智、軍略――カリスマのみならず、魔導王は“俳優”としても万能であることを知らしめられる国民たちは、一層以上の尊崇と敬愛を、魔導王陛下へと注ぎ込むことになるのは言うまでもないだろう。
そんな劇を、
「へぇ、なかなかのものでありんすえ」
「マサニ、コレゾ御身ノ偉大サノ表レダナ」
「やっぱりアインズ様がいるのといないのとじゃ、全っ然、違うね!」
「う、うん。そうだよね、お姉ちゃん」
「先日までの漆黒の英雄譚も良かったですが、やはりアインズ様の登場されぬ劇というのは寂しいものであったと、再認せざるを得ません」
「珍しく意見が合うね、セバス。やはり漆黒の英雄譚において、アインズ様の存在は必要不可欠なもの。本当に惜しいものです。モモンとアインズ様の劇場での共演が、この一回のみというのは」
「仕方ないわ、デミウルゴス。漆黒の英雄モモン役を人間に代行させるのは、百歩、譲るとしても、至高の御身たるアインズ様を、低級な下等生物共が演じるなど。考えただけで……虫唾が走るわ」
「……」
守護者たちの感想を、城塞都市の王城、その最奥にある玉座の上で無言のまま聞き入るのは、舞台の上にいるはずの魔導王――アインズ、その人。
骨の指を泰然と組み、支配者の威厳溢れる佇まいで体を玉座に預けているが、その内実はもう羞恥に骨の顔面が茹で上がって赤面しているのではと錯覚しそうなほどである。
――言うまでもないだろうが、特設ステージの劇場で演技たっぷりに台詞を音吐朗々と紡ぐアインズの正体とは、彼の不肖の息子にして、宝物殿の領域守護者……パンドラズ・アクターの変身した姿に他ならない。
それにしても。
アインズの代役を務められるあいつだからこそ、今回の劇への登場を許したが、やはり早計だった気がしてならない。
しかし、守護者たちの熱弁する『“真の”漆黒の英雄譚』にあれが必要だと言われ、この最終日での限定出演を認めざるを得なかった。普段から割と自分の我が儘を押し通してしまうアインズは、珍しく守護者たちが我を通す姿に屈してしまった。
彼ら守護者としては、アインズが創り上げた英雄モモンが賛美されることに忌避感などないのだが、それ以上に礼拝され尊崇され敬服すべき御方を無為にしかねない中途半端な出し物――出演がほぼモモンだけで、アインズはほとんど姿を現さないように調整した脚本――を衆目にさらすことは許せなかった。しかし、この劇はアインズ本人の監修(という名のただの確認)のもとに完成された芸術である上、アインズの配役を務められるのは、アインズ本人か、アインズ謹製のパンドラズ・アクター以外にありえない。
故にこそ、この祭りの最終日に、真に迫った冒険活劇の上映と相成ったわけである。
アインズは微妙に精神が安定化するのを何とかこらえつつ、劇のクライマックスが終わったエンディングテーマの交響楽にまで耳を傾けていた時、とある企みを実行に移した。
アンデッドには無用なはずの咳払いが合図となり、アインズは唐突に、玉座の傍近くに控える執事に声をかけた。
「ああ、うん……そうだ、セバス。ちょっと、忘れ物を思い出した。至急、ナザリックに戻り、とってきてくれ」
「承知しました」
セバスはアインズが忘れたというエンリたちへの贈り物――ただの花束を取りに、城塞内の転移の間へと急行した。執事らしい落ち着いた足取りだが、その速度は
「……それでは、アインズ様。私も一度ナザリックに」
「ああ、頼んだぞ、デミウルゴス」
主人の下知を得た悪魔は、セバスとは別ルートの、自ら転移を使ってナザリックに向かう。
その左手薬指に、
「では、シャルティア。おまえも手筈通り」
「かしこまりんした、アインズ様」
真祖の吸血鬼もデミウルゴス同様に指輪を与えられているが、彼女が向かったのは、ステージをもっとも良い位置で観覧できたナザリック配下の者たちのいる特等席である。〈転移門〉を開けた少女は、ほどなくして領域守護者の家族、ツアレとマルコ、さらにニニャと、彼女たちの護衛を務めていた
「さて」
アインズはやってきたツアレを掌で招き寄せ、その腕の中の赤子を自分に引き渡させた。
マルコは、アインズの骨の身体では慣れていない手つきに、しかし泣き声をあげるどころか起き上がる気配さえ見せない。まるで、そこにある気配に、死の顕現たる超越者の力に敬服しているかのような従容とした態度で、変わらず寝息を立て続けている。
「祭りも佳境に差し掛かっているが、ツアレよ。これより私からお前たちに、出産祝いの贈り物を授けよう」
ツアレは主人のその申し出に驚き、目を瞠った。
「あ、あの、アインズ様……それなら、すでに妹を蘇生させていただいて」
「ふふ。何を言っているのだ、ツアレ?
私がニニャを復活させたのは、おまえたちが子を生してくれたことで示してくれた、ナザリックの未来の可能性への礼だ。つまり……この子への、マルコ個人への贈り物は、まだ渡してはいないはずだが?」
言われてみれば、確かにそうだ。
アインズはエンリとンフィーレアの生んだ双子――アイとンズ――に贈り物を授けたが、生まれてきたマルコ本人への贈り物については未贈与のままだ。彼女への名づけを贈り物と見做せば贈り物と言えなくもないが、それをアインズ自身は認めていない。NPCの子らへの名づけは、彼らの主人であるアインズの義務であり、当然な摂理の一環とも言えたからだ。
身内の幸福を何物よりも大切にする魔導王は、マルコ個人への贈り物を考えてきた。
そして、数日前から、今日このタイミングで贈ることを画策してきた。
「私からマルコへの贈り物として、おまえとセバスの婚姻を認め、正式な夫婦の契りを交わす儀を贈ろう」
アインズはツアレたちの傍に控えていた黒髪のメイドの名を宣した。
ナーベラルは委細承知したように会釈をすると、どこからともなく簡素なローブを取り出した。かつて、彼女が冒険者として愛用していたものだが、その中身は今回に限り、ツアレ用に調整を加えられている。
メイドが魔法のローブ……早着替えのローブをツアレの全身にかけた瞬間に、手品師のごとく素早い動作で布を取り払った。
「――ふわぁ……」
布の奥から現れたツアレは、我知らず柔らかな声をあげていた。
妹のニニャも、姉に起こった事象を見止め、感嘆の息をもらしてしまう。
一瞬にして、彼女の身を包んだものは、純白のドレス。細い指先までを覆うレース地の長手袋に、華奢な胸元を飾る白薔薇の刺繍も豪華かつ繊細の極致だ。透けるヴェールを垂らしたティアラにも、ふんだんに、されど慎ましく配置された宝石の輝きも見事に過ぎる。
美しいウェディングドレスに身を包んだ花嫁が、そこにはあった。
「これほどの仕立ては、都市最高の仕立屋でも、そう再現できないだろう。見事な働きだ、アルベド」
宰相は微笑みを深めながら、恭しく腰を折った。その裁縫の腕を遺憾なく振るい、これだけの衣装を用意した自分を褒めるように、隠れて拳を握る。いつか来る自分の婚礼衣装には些か……ほんの些少ながら、劣る出来であったが、ツアレにとってはこれ以上ないほどに美しい白無垢の芸術であることは、言うまでもないだろう。
感涙に口を両手で覆う花嫁姿のシモベに、アインズは堂々と宣言した。
「これより、セバスとツアレの婚儀を執り行う」
異論の是非を問うアインズであったが、婚儀の主役たるツアレを始め、守護者たちの口から不満や意見など出てこない。ニニャも瞳を輝かせて頷いてしまっていた。
「では全員、準備にかかれ。新郎……セバスが戻ってくる前にな」
主人の悪戯っぽい声に対し、承知という唱和が、都市の聖堂に響き渡った。
ナザリック地下大墳墓にて。
主人の執務室に無造作に忘れ置かれた豪奢な花束を恭しい手つきで取り上げたセバスは、部屋を出ると意外な人物に引き留められてしまっていた。
自分とツアレに子を授けた
忘れ物を届けるべく主のもとへと急ぐ執事を引き留めるというのは、ナザリックのシモベとしては失格な対応であるが、デミウルゴスは言葉巧みにアインズから忘れ物はゆっくりと届けてよい旨と、デミウルゴスが確認したいマルコについての事柄について答えよというアインズ本人からの命令修正を受け、彼と廊下で立ち話に興じることとなった。
彼の愛児であるマルコの成長についての意見交換と言われては、無為にすることも憚られた。マルコは自分の愛する娘であると同時に、御方に偉大な未来を示した可能性であり、御方がその成長に些か以上の関心と期待を寄せている混血種だ。そんな我が子の成長について意見を求められたら、答えないわけにはいかない。けっして、親バカというわけではない……はずだ。
「ありがとう、セバス。参考になったよ。やはり父親からの視点というものも、母子の成長には欠かせないものだからね」
「こちらこそ。常々二人を見舞って下さり、感謝の念に堪えません。デミウルゴス様」
「それでは戻ろうじゃないか。アインズ様
セバスは彼の最後の言葉に違和感を覚えたが、とりあえず彼と共に転移の間へと向かった。
指輪を持つデミウルゴスの転移であれば、転移の間を使う必要性は薄かったが、デミウルゴスの今回の目的は時間稼ぎに終始している。さらに雑談を交わしながらも、セバスの急ぎ足を鈍化させるなど、やることにはまったくそつがない。
そうして、二人は城塞都市エモットへの帰参を果たした。
二人が戻ってきたときには、都市は随分と陽が陰り始めている。
花束を両手に抱え、玉座に急行しようとするセバスを、デミウルゴスは別の方向へと誘導する。
疑念し、彼の行動を怪訝に思うセバスであったが、彼は仲がすこぶる悪いとはいえ、同じ主人を共に戴く仲間であり、その功績と実力は折り紙付きだ。自分を謀ることもなくはないが、直接的に危害を加えるような意図は――裏切りの疑いを持たれ、アインズの身の安全を確保した時以外――ただの一度も存在しない。もはや数年も前の出来事である。
二人はデミウルゴスを先頭にして、城の屋上――エンリたちの邸宅とは別――にたどり着いた。
「ここは?」
セバスの疑問は、瞬く内に悪魔が解消してくれた。
「見てわかる通り聖堂だよ?」
悪魔は聖なるシンボルを掲げる神の御家に、何の躊躇も抵抗も見せずに近づいていった。
まるでここに通うことに慣れ親しんだ信徒のように、行動には迷いや恐れは見えず、後続の執事を招き入れる所作もかなり堂に入っている。
正面入り口から入った聖堂内は暗幕が締め切られているのか、ほとんど黒い闇でしかなかった。
しかし、セバスというナザリックに仕えるシモベは、そこで蠢動の気配を見せる同族たちを、そして何より、主人の存在を確かに感じた。無論、セバスには恐れや疑いは一切抱いていない。ただ、何事だろうという戸惑いを覚えつつ、悪魔と共に通常よりも巨大な聖堂の中に歩み入った。
途端、入口の扉を締め切られる。
セバスの意識が完全な闇に包み込まれる刹那、
「な……なにを!?」
自分の背後に回ったデミウルゴスが、まるで執事を羽交い絞めするように何らかの布を被せた。
反射的に防御が遅れたのは、単純にデミウルゴスから敵意や殺意といった戦いの気配が絶無だったことと、布を被せるだけという行為を攻撃だと認識できなかったせいだ。無論、盲目や拘束といった状態異常をもたらす行為であれば難なく無効化されるのだが、この布――魔法のローブには、そんな攻撃性能は備わっていない。
故に、セバスは次の瞬間、訪れた柔らかな光の只中で、自分の装備――執事服が変貌していた事実に気づくのに、数瞬の時間を要した。
漆黒に彩られた執事の戦闘服が、今や完全に純白の
「こ……これは?」
猛禽のごとく鋭い視線が、その景色を前に、瞠目することは避けられなかった。
「驚いたようだな、セバス」
「ア、アインズ様?」
茫然自失の
アインズは執事が取り落とさなかった花束を受け取ると、とりあえずアイテムボックスに仕舞う。これで花束は役目を終えた。
「白のスーツも、なかなか似合っているじゃないか。やはりデミウルゴスにコーディネートを任せて正解だったな」
「恐れ入ります」
主人に褒められた悪魔は、輝かんばかりの笑みを浮かべて腰を折る。セバスはようやくデミウルゴスの行動が、敬愛する主人の企図によるものであったことに気づき、しかし疑問せずにはいられない。
「アインズ様……これは、いったい」
「私から、おまえとツアレの生んだ娘――マルコへの出産祝いを贈ろうと思ってな。それで思いついたのが、おまえたちに正式な婚儀を挙げさせようと……」
不満かと、やや不安を覚えるような口調で訊ねる主人に、執事は首を振って礼拝する。
「あまりにも勿体ないお言葉。甘んじて受け取らせていただきます」
「よかった。おまえのことだから、自分には過ぎた褒美だと言って断られるかとも危惧していたぞ?」
確かに。これがセバス個人への贈り物であったのなら、その過分に過ぎる褒美の重さに、セバスは耐えきれなかったかもしれない。
だが、これはセバスにではなく、生まれてきた我が子、マルコへの贈り物と聞かされれば、納得しないわけにはいかなかった。
あの
生まれた瞬間から、否、生まれるよりも前から、アインズが竜人と人間の混血となった存在を言祝いでくれていたが、正式かつ正統な贈り物というものは未だ受け取ってはいなかった。この城塞都市にて催された出産祝いの祭典、アイとンズの双子の姉妹に贈られた御身謹製の魔法の乳児服と同じく、これがマルコへの祝いの品なのだと言い聞かされれば、抗弁する余地など何処にもない。
「して……ツアレはどちらに?」
セバスの早着替えさせられた衣装が花婿の姿だということはわかった。
であるなら、自分の妻となる人間の女をセバスは探すが、少なくとも聖堂内には見当たらない。
信徒席――客席の長椅子にはすでに各守護者をはじめ、この大聖堂を提供してくれたエンリたちバレアレ夫妻に、その妹ネム。ユリやペストーニャ、一般メイドたち。アインズと親交のある白銀の鎧姿の竜王と、その友人である娘などが着席している。アインズ謹製の
「心配ない。彼女たちもすでに準備は万端だ」
アインズが振り返り見た先で、聖堂の出入り口が音を立て開放される。
扉を開け放った戦闘メイドのシズとエントマ、ナーベラルとソリュシャンを伴い、唯一の親族としてマルコを抱いたニニャの腕に僅か手をまわして現れた花嫁の姿に、
それはまさに花だった。
純白の布で編まれた白薔薇に飾られ、白金の糸を織り込んだとしか思えないほどに穢れのないヴェールで
これまた純白のブーケを握る美の結晶は、愛しい人へ向けて愛嬌のある笑みを浮かべて応える。
「おお……」
思わず感嘆の吐息を漏らしてしまう。
ぺこりと可愛らしく頷く伴侶の愛くるしい姿に、セバスは頬が赤くなってしまうのを止められない。
「ではこれより、我が名の下に、セバスとツアレの婚儀を執り行う」
すでに列席者に宣していた言葉を繰り返し、アインズはセバスを祭壇の方へと誘導する。
祭壇には、ナザリックが誇る神官のメイド、ルプスレギナが待っているが、祭壇は僅かに脇へと寄せられている。
魔導国での婚姻というのは、魔導王陛下の裁可のもとに公正なものという法が敷かれており、言うなれば、アインズこそが神の位置する正面に座することになるのが必然となる。ここ以外の通常の聖堂や教会では、アインズが玉座に座する姿をした偶像が備えられており、結婚するものたちはそのアインズ像に婚礼の報告と許可を求める構図となる。友人の子らの結婚式なのだから、大人しく客席に座っていたい気もしないでもないが、さすがに自分の立場では守護者や他の皆と同席同列になることはありえないとわかっているので、アインズはしぶしぶ祭壇の最上段に腰を落ち着けるしかない。
そして、この位置で腰を落ち着けるとなると、通常の位置にある祭壇だとアインズの視界を遮ってしまうため、祭壇で婚礼の宣誓を確認する神官は、正面からわずかに脇へと寄せるしかなくなるのだ。
何とも奇妙な婚姻の儀であるが、出席者たちは一様に真剣な様相で、新婦入場の聖歌に聞き入っている。
白く透き通ったドレスの端をシズとエントマ、ナーベラルとソリュシャンが支え持ちつつ、ツアレの足運びはしずしずと、しかししっかりとした歩調で、一歩、一歩を前に踏みだしていく。彼女は己の右脇に、死した父の代行にして、新婦の娘を除いて唯一の親族である妹を伴い、新郎の待つ場所にまで至った。
愛しき男は儀礼通り、祭壇まで至る中ほどで、新婦と新婦の介添えを務めた妹を迎え入れる。
ニニャとセバスが互いにお辞儀をし、妹は
二人は肩を並べ、真っ赤な絨毯の上を、さらに先へ進む。
置いてけぼりになるようなニニャであったが、彼女は微笑みさえ浮かべながら、新たな夫婦の後ろ姿を見送り、席に戻る。姉を送り出す重大な役目という緊張から解放されて、ニニャは静かに、だが大いに息を吐いた。腕の中のマルコは、まるで場の雰囲気を察しているかのように大声でぐずりだすこともなく、叔母のぬくもりにしがみついてくれる。えらいねと姪の髪を梳いて褒め称える。
新郎と新婦は腕を組み、一歩、さらに一歩を踏みしめ、アインズの待つ祭壇への歩みを止めることはない。
既定の位置にまで辿り着いた二人は、しかし臣下の礼として膝を屈する。
新郎と新婦は、脇の祭壇で宣誓の有無を確認する女神官の祝詞に聞き入りつつ、アインズへの敬服の姿勢を崩さない。
「ええ……セバス・チャン、ツアレニーニャ・ベイロン。
汝ら、太陽の生まれる時も滅び行く時も、終生、愛し続けることを、至高の御身たるアインズ・ウール・ゴウンの威光のもとに誓うか?」
「誓います」
「誓います」
二人の誓いの言葉を聞いたルプスレギナは、満足そうに、だが真剣な面持ちを崩すことなく、結婚の立ち合いができた事実を後背に座する御方に感謝しながら、次の手順に移る。
結婚指輪を新郎に託し、新郎はそれを、新婦の薬指に――介添人役のシズに手袋とブーケを預けてから――はめこんだ。
そうして、次なる儀礼を二人に促す。
「では、誓いのキスを」
わずかに二人の肩が震える。
セバスは覚悟を決めて立ち上がり、同じく立ち上がったツアレの方へと向き合った。
白無垢の奥に隠された女の顔を見るべく、男は真摯な手つきでヴェールを頭の上に。
純白と金糸の髪の中に映える、紅色の頬。
きっと自分も、これくらい顔を赤らめているに違いない。
そんな事実に目を瞑りながら、セバスは何度目とも知れぬ接吻を、愛しき者の唇に落とす。
「これをもって、二人は見事夫婦となった。アインズ様に、感謝を」
喝采と拍手が聖堂の吹き抜けに響き渡る。列席していた守護者やニニャ、メイドや客人らは勿論、参列を許されていたアンデッドたちまで、すべて定められていたかのように手を叩き囃し立てている。
その中にあって。
最後まで続いた骨の掌の奏でる音色が、何ものよりも音高く新たな夫婦の誕生を祝福していた。
「私より祝福を贈ろう。セバス・チャン。そして、ツアレニーニャ・チャン」
拍手をとりあえず終えて、二人を壇上から言祝ぐアインズ。
新たな門出を迎えたシモベたちに、アインズは最後に結婚の証明書として、祭壇に準備していたとある書類に二人の名をサインさせる。書類を受け取ったアインズは、それをデミウルゴスへと手渡した。
婚儀は滞りなく終了の時を迎える。
「おめでとう、二人とも」
言ってアインズは悠然とした手ぶりで二人に退場を促す。
最後の最後の儀式として、二人は並んで進んできた道のりを進む。
そんな二人の背中を見送るアインズは、一抹の寂寥感を覚えつつも、その晴れやかな姿をじっくりと堪能する。
何というか……本当に親になった気分だな。
そんな感慨を抱く自分が、しかし、まったく不快ではない。
「アインズ様」
いつの間にか傍らに立っている純白の悪魔が、そっと手を差し出してくれていた。
列席していた者たちと共に、アインズ自身もまた、二人の進む道のりを歩みだす。
外に出ると夕暮れの時はいつの間にか過ぎ去り、満天の星が都市を覆い尽くしている。
そうして、アインズが昨夜行使した超位魔法の流星雨が、優しく世界を包み込んでいる。
祭りは終わりを迎える。それでも命は続いていく。
まるで二人を、そうしてアインズたちナザリック地下大墳墓を祝福するかのような輝きを瞳の奥に刻み込みながら、アインズは彼らの幸せを、その前途に幸多からんことを約束しようと、神などにではなく、己自身に、強く、固く、誓うのだった。
アインズがセバスたちに記名させ、デミウルゴスに渡した書類。
そこに書されているのは、セバスとツアレの名と住居役職など。
その書類は、婚姻制度の根幹をなす書類――婚姻届に他ならなかった。