ニニャとナーベラルが、魔法都市でささやかな祝杯を挙げている頃。
アーグランド領域にて。
この世界の頂点に君臨するアインズ・ウール・ゴウンと、ほぼ対等な同盟・共生関係を結んだ“
しかし、これは公的な訪問ではなく、式典や礼典などを必要としない“友人同士”の語らいの場でしかない為、アーグランドの人々は誰一人として、アインズが真なる竜王の住居――清廉な、しかし朽ち果てたような、古代からの宮殿――を訪れていることを知らされていない。
「……それにしても」
ふと、アインズは宮殿の外に広がる光景、
「ここは変わらないな」
「そうだね。竜が治める土地は、あまり変化とは無縁なものだから」
彼と、彼の同胞である竜王――代表評議員らが治めるこの地、アーグランド領域(旧評議国領)は、魔導国の助力と、代表者である竜王による合議によって、目覚ましいまでの発展を遂げている――ことはなかった。
これは、ツアーたちの手腕が著しく稚拙であることを示すわけでもなければ、魔導国がこの領域に対して然るべき労力を注いでいないというわけでもない。
それどころか、この地は下手をすると、魔導国の如何なる都市よりも壮大なものと言っても、過言にはならないのかも知れない。
地平線と
竜は、非常に長命であることで有名な種族だ。
100年単位の寿命は当然として、個体によっては1000年を超える時を生きる者もいるという。大空を無限に舞う“
ツアーは、600年前の八欲王との戦いが勃発した折にようやく幼年期を終えた身で、比較的若い部類に入る。彼の口調に幼さが残っているのは、その表れと言ってもいい。下位の竜――火竜や霜竜などで言えば
「父の、いや、父の代以前から、ここはこういう場所だったようだから」
軽い微笑みの声は、むしろ誇るような音色をそのうちに宿しているようだった。
アーグランド領域は、非常に荘厳な都市と、広大に過ぎる自然とが見事に融合を果たした“自然都市”とも言うべき造りを成していた。大樹の上や中ほどに家々が建立され、浮遊する岩塊に下位の竜や鳥系モンスターが巣を作る。樹々の下にある広場では、魔導国の都市で開かれているような市場が営まれ、兵士とも冒険者とも見える人型の若者たち――人間や亜人が、互いの意思を持ち、連携を示しながら、教官の竜に向かって木剣を向け、魔法を唱える訓練をしている。
これは、アインズが初めて訪れた時から変わっていない。
多様な種族――人間、亜人、そして異形である“竜”――が共存共栄を謳歌する街並みは、平和そのものだ。
魔導国がそうするよりも先だって、アーグランド評議国は完成された共存形態を確立していたことは、割と広く知られた情報であったのだから、当然の光景だとも言えるだろう。
これは、種族間での差別や格差、文明の
人間が他の種族に劣等感を抱くように、人間を軽蔑する種族、人間を不快に思う種族、人間を食料に見ている種族という具合に、たった一個の種を眺め見るだけでも、様々な思考や信仰、習慣が存在し、それらが複雑に入り組み作用しあうことで、各亜人種や異形種との間で――時には人間種同士でも――不和を生じさせる。
誰も恐怖を隣人にできないように、
それが、この世界における常識であった。
だが、この大陸の北西に位置するアーグランドの大地は、いつの頃よりかは不明だが、そういった常識から相反した国家づくりが行われた。
竜という最上位者による、圧倒的な
その事実を前にして、アインズは疑問を――どうして、他の国家や土地で似たような運営がなされないのか?――抱いたものだが、答えは単純明快である。
彼らアーグランド評議国の国民は、竜たちによる平和統治を
肯定するものがいれば、否定するものも当然として存在する。
ただそれだけなのだ。
評議国の
人間は人間のみで団結せねばならないと信じた国があったように、亜人は亜人のみで団結せねばならぬと信じた国家も、当然ながら存在する。己と違う存在を、違いすぎる価値観を、許し、認めることができないという一点においては、人間も亜人も同質な気性気概の持ち主であったことは、何とも皮肉なことである。
彼らが互いに向け抱いた感情とは、けっして快いものばかりではなかった。
あるいは憎悪。
あるいは嫌悪。
悪意、悪気、悪業、悪習、悪声、悪徳、悪名、悪法――それぞれが抱くそれぞれへの悪感情が、種族間での抗争・対立・不和・軋轢を生じさせ、評議国が示した実例よりも意義深い“差別意識”を世界中に根付かせ育ませ続けた結果、人々は互いを尊重し互助し合うことよりも、互いを拒絶し否定し殺戮し食い破り合う関係こそが正しいという“一般常識”こそが
さらに。
六大神による、八欲王による、十三英雄による、世界各地に残された「ユグドラシルプレイヤー」などの爪痕、100年周期で訪れる世界の
無論、アーグランド領域が魔導国に編入されたことで、変わったこともある。
大小、老若、色合いなども様々な竜種が空を舞うのは珍しくもないが、その横を競争するかのように人間の魔法詠唱者が杖や箒に乗って飛行している。
魔導国の設立した“学園”や、魔導王の唱えた魔法普及政策(優遇制度)などによって、これまでの国家とは比べるべくもなく、魔法の力が広く、正しく、下々の民らにまで普及され配給された結果、魔法詠唱者への誤解や冷遇は消え去り、人々は様々な形で魔法の恩恵を甘受できるほどに生活レベルが向上していったのだ。
さらに、魔法の恩恵を受けた人々は、自らもまた魔法の恩恵を他者へ施せる道を、
まさに「魔を導く王」の智謀が成し遂げた偉業によって、魔法を使う存在は、それまで以上の幸福を謳歌できるようになり、また彼ら魔法詠唱者という使徒によって、世界の人々に魔法の恩恵が行き渡るようになっていたのである。
そうした結果として、このアーグランド領域にも魔法の良き恵みは供給され、竜と並んで飛行する存在がいる風景が、日常的に眺められるようになったのだ。
「ようやく――世界が対等になりだしてくれたわけだ」
「ツアー?」
独り言を言ってしまった己を自覚し、ツアーは静かに首を振っていた。
ちらりと、視界の端に剣と呼ぶには異様な形状の剣を眺め、ふいと逸らす。
アインズは友人の「何でもないよ」という言を飲み込み、改めて竜と向き合うことに。
〈
四人の名や特徴は、ツアーもある程度は知っている。というか、しっかりと面識も得ている。
まがりなりにもツアーもまたナザリックに在籍しているような立場なのだ。役職上で言えば、今の竜王はすべてアインズの配下と言ってもいいのだから、当然ともいえる。
だが、
「すまない、アインズ。人々に様々な助言をもたらしてきた僕でも、アンデッドの結婚相談は、やはり初めての出来事だからね」
「まぁ……だよなぁ」
苦笑する竜に対し、アインズもまた自嘲するように笑みをこぼした。
ツアーは厳密に言えば既婚者――婚姻を既に結んだ者ではない。
だが、別に相手に恵まれていないという意味ではない。
というか、むしろ恵まれすぎているといってもいいだろう。
彼の数多い子供には、義理とはいえ人間の娘までいるというのだから驚きだ。
彼は
竜たちにとって、寄り添うのも離れるのも、一時の気まぐれ。あるいは、ただの成り行き。
男か女、
彼らの結婚を無理やり定義化するのなら、事実婚というものがあてはまるのではないだろうか。
無論、一般的な日本人――というか童貞――には、あまり馴染み深いものではないので、アインズをしてもあまり理解が及んでいないというのが実際なのだ。
いずれにせよ、あの「事件」以来、ツアーと共闘せざるを得なくなった「一件」以来、アインズはツアーの人(竜)格者としての
故にこそ、アインズは彼からの助言を受け取ることを
何しろ、相手は“真なる竜王”、“
それに、アインズ個人としての盟友でもある。
むしろ、頼らない方が礼を失すると言ってもいいだろう。
「だが、そうだね……結婚することで、何か君にとって困ることがあるのかい?」
「困ることは……たぶん、ないな」
と、思う。
思いたいだけかも知れないが。
「だったら、別にいいんじゃないかな。結婚しても?」
「……そう軽く言われてもな……」
アインズは沈鬱な表情を浮かべかけるが、竜は無知なるものを諭す賢者としてではなく、気安く友人に提言する友人として、自らの言葉を補足する。
「あまり難しく考えても、
「あー、どうだろう。……離れることができるのか、どうか」
というか、ナザリックのNPCたちなんだから、離れようと思ったらナザリックから出ることになるかも知れない。それはちょっと遠慮したい気がする。
「いや。というか、離れることを前提に考えて結婚するというのは、少し違う気がするぞ?」
「でも、それだけ真剣に考えているくらい、その求婚してくれた四人を思っているのだろう?」
「……それは、まぁ」
「彼女たちは君を求めている。そして、君はそれにどう答えるべきか悩んでいる。アインズは複雑に考えようとしているけど、結局のところは、君が彼女たちとどうなりたいのか――それだけなんだよ、問題は」
アインズは、黙考する。
アルベドたちの想いに応えたい。
しかし、どう応えるのが正解なのか、わからない。
経験のなさや自分の立場などを引き合いに出すことで、事態は混迷の様相を呈しているが、友である竜の眼には、違う問題こそが浮き彫りになっていた。
「誰だって最初から経験者でいられるわけじゃない。誰の気持ちや想いにどう応えるにしても、一度応えてみてからでないと、応え方なんてわかるはずがない。正解を導き出すにしても、間違った選択をするにしても、『やってみなければわかりはしない』のさ」
彼は“転ばぬ先の杖”が必要なのではなく、“七転八起”を目指さねばならないと、そう告げた。
人が立って歩くことを覚え学ぶ上で、転ぶことがないなんてことはありえない。
転ぶことを恐れて歩みを止めていては、誰も前に進むことはできない。
ツアーの言葉に、アインズは思わず呻く。
「覚悟が足りない――という奴なのかな、これは?」
「いいや。むしろ、覚悟という“道具”に頼ろうとしているだけだと思うけど?」
「ん……なるほど」
アインズは目から鱗が落ちた気を味わった。
しかし、それでも――
「小賢しく振る舞うのは、止めた方がいいということかな?」
「……そうだね。愛というのは、小賢しいままではいられないものだからね」
遠い記憶を眺めるように、竜は瞳を細めた。
「アインズ。何故、僕たちのような異形が、永遠に近い時を生きる
伏せた眼に射抜かれながら、魔導王は真実を口にする。
「いや、考えたことはなかったな」
「まぁ、アンデッドが
ツアーは静かに、何か大切なことを思い出すような口調で、語り始める。
「長い寿命、途方もない時間、誰よりも先へと進むことができる存在なのに、どうして子を残す必要があるのか――」
竜の口調が問いかける風であることに気づき、アインズは思った解答を口にしてみる。
「自分を継ぐ者が必要だから、じゃないのか?」
「半分、正解」
竜は牙を剝き出しにする。微笑んでいる証拠だ。
「けれど、もしかしたら自分を継ぐ者が先に死んでしまえば、その子は無意味に生まれ、無意味に死んでいったことにならないかい?」
確かに。
しかし、アインズは疑問を深める。
「では、やはり異形種には、自分を継ぐ者を、子を生す必要はないのか?」
「自分を継ぐ者も、確かに僕たちには必要だ。それは異形種も違いはない。
しかし、それ以上に、僕たちは“たった一人では、孤独ですらいられないもの”なのだよ」
孤独。
その言葉は、思いの
「
「……自分さえ、なくなる?」
「僕たちは、触れ合える他者がいてこそ、自分という者の存在を認識できる。語らえる誰かがいてこそ、僕たちの言葉は意味を持ち、言葉たりえるのさ。誰もいない場所に自分一人でいては、何もできない。世界に自分ただ一人でいたとしたら、それはもはや孤独ですらない。自分というモノすら意味消失して、孤独というありさまさえ、不適当に成り下がる。――変に聞こえるかもしれないけれど、孤独とは、他人が存在してくれるからこそ、はじめて孤独となりえるものなのさ」
「ふむ……」
ツアーの思考は、アインズの想像を超えて余りある。
しかし、だからこそ彼との語り合いは非常に有意義なのだ。
「では、普遍的な――他者のいる孤独とは?」
「他者を拒絶すること。自分は一人きりだと思い込むこと」
ツアーの声は淀みなく、吹き抜ける風のように軽やかな口調で紡がれ続ける。
「他者を拒絶したところで、その他者たる人物が消えてなくなるはずがない。自分は一人ぼっちなのだといじけてみせても、世界を歩き回ればどうしたって誰かと巡り会う。巡り会えるものなんだ。ああ、そういう意味ではキーノもそうだったね。懐かしいな。
市場の露天商から食べ物は買うし、組合に赴いて依頼をすることもある。他にも役人とか農夫、教官や冒険者、通りを行き交う親子連れとだって出会えるだろう。人は、生き物は、たった一個では、寝床の確保も、知識の収集も、飲食すら満足に事足りることができない、脆く儚く、とても弱い生き物だ。
その事実を前にして、何をどう思うも個人の自由だけど、そんな状態を孤独だなんて言い募るのは、少し傲慢に過ぎるだろうね」
「確かにな。言うなればそれは、孤独ではなく孤立しているというべきかな?」
「ふふ……それは言い得て妙だ。けれど、確かに孤立しているというべきだね」
竜の
「僕は、こう考えている。自分は、誰かから受け継がれた存在である以上、自分に受け継いでくれた誰かのために、自分を継ぐものが必要なのだと。
自分は、いきなり一人で生まれてきたわけじゃない。
たくさんの命に支えられ、たくさんの命に育まれたから、僕という今が、ここにある。
そこに、一年や十年、百年、千年の違いなんてものはない。命とは、巡るもの。贈り贈られ、送り送られ、その繰り返しを続けていく。
命を生み、生まれ、生きて、そうして次を生んで――死んでいく」
竜は朗らかに、しかし、積み重ねてきた年月に相応しい思いを含ませた声で言い募る。
彼は竜帝の子として、国を治める者として、数多の同胞が戦い死んでいくのを見続けてきた。
八欲王と戦った父や兄ら、始原の魔法の使い手であったかつての竜王たち――評議国の代表として、多くの民らの生き死にを看取り――十三英雄の一員として、リーダーや仲間たちと共に戦い、あのような最後を迎え――それから200年後に、思いがけない者との対面を果たし、
そうして、今、
大陸を制覇した、骸骨姿の友を見下ろしている。
「悲しいな……私は、ただのアンデッドだ。生きてもいなければ、死んでもいない」
「でも、君は今、
ツアーはおかしそうに、自らの存在を残念がる不思議なアンデッドに相好を崩した。
「命は、まったく悲しいもの。
けれど、まったく不幸なものではないことは確かだ。
同時に、アンデッドであるから不幸なものだということは違うだろう? 少なくとも、
アインズは微笑むように肩を
「それで、肝心の結婚のことについては」
「いや、十分参考になったよ」
椅子に体を預けていた魔導王は、居住まいを正すように背筋を伸ばす。
「ありがとう、友よ」
「礼には及ばないさ」
軽く喉を鳴らす竜の姿に、アインズは胸のつかえが僅かに取れた気がした。
「至高の魔導王と呼ばれてはいるが、こうして見ると随分と不甲斐ないものだな、俺は」
謙遜でも謙虚でもなく、実直にそう思考するアンデッドの様子は奇妙だが、とても好印象なもので。
「僕たちは神ではないからね」
ツアーは考える。
神ほど
神はその完璧さ故、完全無欠であるが故に、何物も何者も、何一つとして受け入れる余地のない存在だ。失敗も敗北もなく、ただの一度も己を顧みることはない。そして、神と呼ばれるものたちの悲哀を、神を信仰するものたちは知らない。知ろうとさえしない。信奉者たちは助けを求め、救いを望み、己の窮状を陳情するだけの愚物であろうとする者の姿に他ならない。
故に、ツアーは神を嫌う。
同時に、哀れとさえ思う。
それとは逆に、神などとは程遠い者――目の前のアンデッドなどがそうだ――を好ましく思う。
彼個人への恩義もあるにはある。
だが、それ以上に、彼個人は信頼に値するのだ。
はっきり言えば、いい人なのだ。アンデッドではあるが。
たとえ、神のごとく尊崇されていようとも、神のごとく超然とした存在として奉られようとも、本当の神とは程遠い彼のような存在なら、きっと…………“彼”や、“彼女”のようにはならないだろう。
「すっかり話し込んでしまった。すまないな、こちらの依頼した指輪の製作中だったというのに」
「……なんの。僕も久しぶりに、いろいろと語ることができて嬉しかったよ」
少しばかり懐かしい顔を思い出してしまったことで苦笑を深める竜は、席を立つ魔導王への礼儀――というよりも敬意の証として、己の鎌首を会釈するように垂れてみせた。
「これぐらいのことなら、いくらでも相談に乗るから、気安く頼ってくれていいとも」
勢い込んでそう受け合ってみせる“
ただ、
「ああ、っと……もうひとつ、相談したいことが、あるにはあったんだが」
「うん? 何だい?」
「…………アンデッドの俺って、どうやったら子どもをつくれると思う?」
その相談には、ツアーをしても、さすがに口を
ほぼ同時刻。
ナザリックにて、主の留守を預かる元守護者統括にして、「宰相」の地位を与えられた女悪魔は、同じく留守を任されている第六階層守護者「導師」マーレを連れて、姉であるニグレドの協力の下、一つの会談の場を設けていた。
『何でありんすか、アルベド?』
『わざわざ〈
外の領地にて政務に励む守護者二人を呼び出したアルベドは、二枚の水晶板に映し出される少女らに、同胞であり恋敵であり、今では対等な妃候補たちに、静かに語りかけ始める。
「ええ、そうよ。シャルティア、アウラ、そしてマーレ。これは私たち四人にとって、もっとも重大かつ重要な会議となるわ」
アルベドの傍近くに
宰相の横顔はいつになく重い緊張に覆われており、常のような女神の微笑は
『……わかりんした』
『……お昼休憩は残り四十分だよ。早いところ始めちゃお』
二人はあっという間に、アルベドの語らんとする会議の内容に思い至ったらしい。
アルベドは頷き、貴重な時間を割いて招集に応じた三人に感謝を込めながら、会談内容を
「ではこれより、私たち四人が、アインズ様の
ここまで読んでくれたあなたに、感謝の極み。
第二章”ナザリックの婚姻制度”は終幕となります。
いよいよ、完結が見えてまいりました。ラストスパートです。
続く第三章”アインズの決断”にて、お会いしましょう。
それでは、また次回。 By空想病