魔導王陛下、御嫡子誕生物語 ~『術師』の復活~   作:空想病

15 / 22
第三章 アインズの決断
第1話


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ツアーとの会談――結婚相談を終えたアインズであったが、問題は解決していない。

 ナザリック内に婚姻制度を敷いてから、つまり守護者四名からの求婚から、数週間が経過した。

 

「今日のカップルは……あいつとペストーニャ、か」

 

 これはまた意外な新婚さんの誕生だ。

 近しい役職同士だからか、はたまた他の者たちと同様、あの二人――二匹?――の間でも、何かしらの秘め事があったのかもしれない。少し気にはなるが、あまり部下の恋路を詮索するのは野暮というものだろう。それぐらいのこと、近頃のアインズはわきまえていた。

 というか、さすがに数週間もすれば、ある程度の慣れが生じてくる。

 さすがに驚きこそするが、婚姻制度導入直後のようなじたばたしたい衝動は薄れてきてくれている。

 慣れって、本当に大事だ。

 

「それにしても……」

 

 アインズは少し物思いに耽る。

 自分の執務室を見渡し、その視界にアインズ当番のメイドと不可視化している護衛、

 そして、とある人物の姿を見つめ出す。

 ナザリックのNPCたちが続々と婚姻し、絆を深めていく状況下で、奇妙な静寂を保っている者が、今アインズの傍らに控えている。

 

 魔導国「宰相」――白い女悪魔――アルベド。

 

 彼女をはじめ、あの四人が、アインズの妃に名乗りを挙げた者たちが、この数週間、深い沈黙を保っているのも、それとなくプレッシャーになりつつある。

 何か、裏で密約でも交わしているのかというぐらいに、互いが互いを警戒するそぶりを見せず、かつ独断専行的にアインズに迫ってくることは一切ない。

 役職の都合上、ほとんどアインズと行動を共にする“盾”――白い女悪魔の宰相ですら、あの求婚からほとんど通常通りの業務をこなし尽してくれている。それ自体は歓迎すべきというか、さすがに自分の役職や立場などを考えて自重してくれているのだろうが、ここまでくると、もはや却って不気味ですらある。

 だが、おかげでアインズは冷静に、かつ厳格に、彼女たちからの求婚に応じる心理的余裕を得られた。

 それこそ、かつてのように、思いを暴発させて貞操の危機に陥りかけたり、守護者同士で(いさか)い合ったりするような光景を見せられたら、アインズはその対応や解消に追われ、十分な気持ちの整理をつけることは不可能だったろう。

 最悪、彼女らの想いをすべて反故にしてでも、ナザリック内の平穏を選択したかもしれない。

 アインズは思う。

 それすらも考慮して……なのかも知れない。

 最近のNPCたちの成長ぶりは、アインズをしても目を――眼球などないのだが――瞠るものがある。シャルティアも、アウラも、マーレも、コキュートスやデミウルゴス同様に、外の領地を預かり、ナザリックへ貢献する「六大君主」としての役儀に邁進してくれている。アインズのような物見遊山な都市巡りではなく、ナザリックの利益につながる都市作りや生産体制の拡充に尽力してくれているのだ。

 本当に、頭が上がらない。

 

「では、本日の政務は終了とさせていただきます」

 

 最後の書類仕事をつつがなく終えた主人に一礼し、宰相は受け取った書類を手に部屋を辞していく。

 

「アルベド」

 

 ほとんど無意識に、アインズは女悪魔の背中を引き留めていた。

 こんな時に思うのもなんだが、本当に、アルベドの姿には感嘆を禁じ得ない。

 純白のドレスとは相反する黒絹の髪。左右のこめかみから突き出る悪魔然とした角と、これまた対照的な天使然とした一対の黒翼を、腰の辺りから広げている姿も美しい。金色に輝く瞳はあどけなさと妖艶さを共存させ、主人の瞳を切なそうに、けれども謹直な姿勢そのままで見つめ返している。

 彼女たちの想いに応えるべき時が来た――そう言い訳する自分を自覚しつつ、アインズはとにかく、振り返った宰相の女神のごとき微笑みに、問いを投げる。

 

「……その……おまえたち、四人は…………本当に、いいのか?」

 

 何が、とは聞かない。聞けるはずもない。

 ここまで来ておきながら、しり込みしてしまう自分が極めて情けない。

 穴があったら埋まってしまいたい気分だ。そのまま土葬された方がいいかもと下らないことを考える。

 

「私は……」

「御心配には及びません、アインズ様」

 

 未だに迷い、戸惑いの中にある主に対し、アルベドは応える。

 聖母のような、深い慈しみの表情を面に浮かべて。

 

「私どもは皆、アインズ様の御心のままに――」

 

 どこまでも玲瓏(れいろう)とした、一人の女の声。

 アインズは、存在しないはずの心臓を締め付けられてしまうように思えた。

 

「――すまないな。こればかりは、その……初めての、ことで」

「いいえ、そのよう、な…………」

 

 アルベドは聞き逃せない情報を耳にしたかのように口元を塞ぎ、唐突に愛すべき男へ背を向け直してしまった。

 

「ア、アルベド?」

「はじめて……ハジメテ…………初…………」

 

 何ごとかを呟きながら肩を揺らし、激しく呼吸を繰り返し始める宰相の後ろ姿に、アインズは少しばかり嫌な予感を覚えるが、アルベドは落ち着きを取り戻したかのように、かわいらしい様子で一つ咳払いをしてみせる。

 アインズは勿論、メイドと、不可視状態にある護衛の八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)たちも、ほっと胸を撫で下ろした。

 

「そ、そういえば、アルベド。もうひとつ、聞いておきたいことが、あったのだが?」

 

 咄嗟に思い出したような雑事を口にしてみる。

 白い女悪魔は薔薇のように輝く笑みを浮かべ、主人の問いに答える姿勢を見せてくれた。

 アインズは冷静に、先日デミウルゴスからもたらされたとある食材アイテムの資料を、手元に広げ見る。

 

「えと……に、二等冒険者チーム“重爆”が、東の海上都市から採取・回収したという……「アンデッドを受肉させる果実」なるマジックアイテムについて、なのだが」

 

 ものすごい笑顔を花開いたアルベドが、アインズの傍へと舞い戻った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ナザリック地下大墳墓・第九階層・使用人室エリアの一角にあるツアレの私室。

 メイドに与えられたとは思えないほどに豪華な内装。慎ましくも煌く芸術のような調度品。来客をもてなすテーブルとティータイムセット。天蓋に覆われた、外の世界の何よりも柔らかく跳ねるベッド。エアコン……室内温度の管理維持のためのダクトまで完備されている、ただの使用人のものとは思えないような部屋の中に、この部屋の住人専用に、新しく設置されたものが、ひとつ。

 使用人たちが使うはずのない、純白の樹の囲いに覆われたベビーベッド。

 その中を定住地とする赤ん坊は、ナザリック地下大墳墓で、否、おそらくはこの世界において初めて誕生したと思われる“混血種(ハーフ)”――NPCと現地の人間との間に生まれた時代の寵児――アインズ・ウール・ゴウンが特に関心を寄せる奇跡の象徴にして、将来の萌芽――名を、マルコという、セバス・チャンとツアレニーニャ・チャンの愛娘(まなむすめ)である。

 

「あー」

 

 白い竜のぬいぐるみを掴み戯れるのは、近頃において、この赤ん坊のお気に入り(マイブーム)となっていた。

 このおもちゃを渡しておくだけで、マルコはほとんどの時間を――授乳をせがむ時、排便をした時、夜泣きの時以外――とてもいい子のまま過ごしてくれるのである。

 

「はーい、すっきりしましたねー?」

 

 娘のおしめを交換し終えたツアレは、専用のダストボックスの蓋を開け、娘の粗相の証たるものを捨て去った。娘のものであれば鼻水でも何でも啜れる母親ではあるが、神聖なナザリック内を汚物で汚すわけにもいかないのである。

 このダストボックスは各部屋に備え付けの物であり、ナザリック内の汚物回収の任を任されたモンスター汚穢喰いの女王(アティアグ・クイーン)に自動転送される優れものだ。

 

「はーい、もう大丈夫ですよー?」

「うー?」

 

 マルコはわかっているのかいないのかわからない返事を母に返すと、とてもふわふわな、けれどけっして壊れないという魔法のぬいぐるみに大いにじゃれつき始めた。

 マルコに与えられたオモチャというのは、無論、このぬいぐるみ一つきりではない。優しい音楽を奏で回る「メリー」や、「ガラガラ」などの音の出るものが多い。しかし、普通の人間の乳幼児であれば、この時期は目もそこまで発達しておらず、大抵は耳で感じ取れるものが大半を占める。ボールや手押し車、布絵本や積み木などは、今は無用の長物でしかない。

 しかし、マルコは普通の乳幼児ではない。

 竜人と人間の“混血種(ハーフ)”である影響からか、各種機能の発達具合が平均的な乳幼児の成長よりも微妙に、本当に微妙に違うのだ。これはおそらく、親離れをしやすい異形種の特性故なのだろうが、結論は今のところ不明だ。マルコ以外の混血が生まれてくれれば比較検証もできるはずだが、今のところ、ナザリックに属するNPCと現地人の女性との間に生まれた実例はマルコ一人きりなのだからしようがない。そのためにも、デミウルゴスあたりが一人頑張っているところなのだが、その辺りの事情はツアレたち親子には関係のない話であった。

 

「今日はこれからお散歩の時間ですからねー」

 

 ツアレはそういって、城塞都市へのお出かけの時のように、マルコを抱えるためのスリングや、替えのおしめなどをいれたウェストポーチなどを取りに向かう。

 マルコはアインズがその成長を楽しみにしている寵児ではあるが、部屋の中に閉じ込めっぱなしにするようなことはしていない。むしろ、マルコの将来に繋がればと、この母娘にはナザリックのほぼ全階層――無論、第八階層は閉鎖している――の訪問を許可している。叔母であるニニャと同様、彼女もひょっとすると魔法詠唱者としての才覚を発揮するのかもしれない。現地固有の魔法を扱う魔術師として、このナザリックに仕える未来を母親は幻視すらしてしまう。

 ツアレはまったくいつも通りに、娘とのお散歩の時間を楽しもうと、心を浮き立たせていた。

 昨日は、第六階層の大樹で、アウラ様やエルフたちと遊んでいただいた。

 今日は、第五階層の館にいるニグレド様に、ぜひにと招待を受けている。

 愛娘がナザリックの存在全てに祝福を受けている事実に微笑みを強くしながら、ツアレはベビーベッドのもとへ戻った。

 ……だが、

 

「マルコ?」

 

 応える声は勿論ない。

 生後ひと月もいかない乳幼児は、意味のあるのかないのか判然としない声をあげるくらいの会話能力しかないのだから。

 ――だが、

 

「マル、コ?」

 

 ツアレは、もう一度、我が子に声をかけた。

 そうせざるを得なかったというべきだろう。

 

 ベビーベッドの中は、もぬけの殻であった。

 

 つい先ほどまで、そこにいたはずの、そこに置いておいたはずの赤ん坊は、白い竜のぬいぐるみと共に、何の兆候もなく、母親の前から消え去っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 第九階層は、瞬く内に騒然の坩堝(るつぼ)と化した。

 

「マルコがいなくなったと!?」

 

 わけても、マルコの両親たる夫妻の動揺と狼狽のほどは群を抜くだろう。

 何しろ騒動の中心――いなくなった赤ん坊というのは、二人の愛する娘であったのだから。

 

「いつ、どうして! 一体、何があったというのです!?」

 

 夫は子守を務めていた妻を詰問した。その語気は比較的やわらかく穏やかといっても良いくらいのものに抑えられていたが、受け取る側にとって、今はそんなことは関係なかった。

 

「ごめんなさい、ごめんなさい、……ごめんな、さい」

 

 いなくなった娘を探し回る内に涙で溢れた母親の表情は、常のような愛嬌や謹直さは欠片も残っていない。夫の問いかけに応える声と表情は、罅割れた硝子よりも痛ましく、薄い氷の上を歩くよりも危うい印象に変じていた。

 

「セバス様」

 

 部下であるユリ・アルファに肩を掴まれ、セバスは自らの失態を恥じた。

 ツアレはしきりに謝辞(しゃじ)悔悟(かいご)を述べ立て続け、それ以上の意味ある言動をとれなくなっている。さすがに一般メイドたちも、その変貌ぶりには同情せざるを得なかった。

 セバスは、過日の彼女を幻視する。

 まるで、昔の、彼女を保護した時のような状態だ。ほうっておくと自らに刃すら突き立てかねない狂態である。

 

「ツアレ……申し訳ありません、私も少し、冷静さを失ってしまいました」

 

 妻は夫の励ます声に、何とか頷いてくれた。しかし、謝罪の言葉は相変わらず紡がれ続ける。

 

「安心なさい。マルコはきっと、無事に戻ってきます。ですから、あなたは部屋で休むのです。いいですね?」

 

 娘の大事だというのに休めるものかと抗弁しようとするツアレであったが、娘が目の前で消えた事態というのは、母親の精神を存外に疲弊させ尽くしていた。もはや、彼女は(セバス)が支え抱いていなければ、その場で立ち続けることすらできないほどの容態である。マルコを探しまわっているうちに、足腰にガタが来るほどの疲労が、母親の体力を削ぎ落とし尽くしていたのだ。

 セバスは一般メイドたち数人にツアレのことをくれぐれも頼み込むと、ペストーニャとユリたちに協力を願い出る。

 

「まず、マルコが何者かにかどわかされた可能性は?」

「ありえません。今週のナザリック防衛の責任者は、アウラ様。現在はナザリック上空を巡回飛行しておいでですが、侵入者などの報告は受けておりません……わん」

「だとするならば、アー……アウラ様や、アウラ様の魔獣たちの感知をすり抜ける強者の可能性が? しかし――」

 

 ユリの言葉にセバスは同意する。

 強者の可能性というのは、極めて低いだろう。

 今週のナザリック防衛の要たる闇妖精の少女、アウラは「群」に特化した階層守護者だ。

 彼女の率いる魔獣たちの強さは、アウラの能力で底上げすれば九十台にも届く。それだけの魔獣を百単位で運用指揮するアウラの感知網をすり抜けることは、この世界の存在程度では絶対不可能。無論、イジャニーヤをはじめとして、そういった隠形潜入能力を生業とする忍者(ニンジャ)であれば可能性は零ではないが、そういった力を発現できるとしたら、それはユグドラシルプレイヤー並みの存在でなければ説明がつかない。

 しかし、ユグドラシルプレイヤー単体(群れであれば、アウラの感知に絶対ひっかかるはず)だと考えるならば、第一から第七までの全階層を飛び越えて、いきなり第九階層の、しかもツアレの私室にいた赤ん坊を誘拐しようという企図を抱くはずがない。むしろ、さらに奥に控えているギルド長の寝首を掻きに行く方が自然だが、現在のところ、アインズの無事は確実である。

 マルコは現在、ナザリックに属する存在と、一部の外地領域守護者や信託統治者ぐらいにしか、その存在は知られておらず、外の世界にいたプレイヤーがその存在に気が付く道理がないのだ。外に出ている守護者やシモベの思考を読み取るなどの手段もなくはないだろうが、やはり、どうあってもマルコ一人を攫う理由には乏しいだろう。そのようなことを企み、実行し、無事にこのナザリックから逃げ果せることが可能だと、本気で思えるはずがない。

 もしも、仮に。

 そんなことを思う存在がいたとしたら、生きて帰ることは不可能だと知らしめねば。

 それは、ナザリック地下大墳墓に属するシモベたち、そして何より、この地を統治するアインズ・ウール・ゴウンへの侮辱に他ならないのだから。

 

「ペストーニャ。アウラ様とアルベド様、そしてデミウルゴス様に〈伝言(メッセージ)〉を」

 

 いつにも増して厳格かつ鋼のように硬質な声が、セバスの口から紡ぎ出される。

 

「アインズ様へは、私自らがお伝えに行きます」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時を少しだけ(さかのぼ)る。

 

 デミウルゴスは、第十階層図書館内にある、ちょっとした研究スペース――彼個人が実証し編纂した、『外の世界における実験記録』の保管庫――で、新たに判明した情報の執筆に勤しんでいた。

 これは業務ではなく、あくまで彼の趣味でしかない。言うなれば日記帳をつけているような気安さで、彼は新たに判明した情報の編纂と管理に情熱を注いでいるだけなのだ。

 

 彼は第七階層“溶岩”の守護者であると同時に、有事の際にはナザリックの防衛を一手に担う軍事においての指揮官という役職を賜っていたが、この世界に転移してから数年が経過するうちに、様々な役職を追加任命されている。「六大君主」の一柱にして、ナザリック空軍兵団を預かる総帥、アインズ・ウール・ゴウンの政務補助に徹する「参謀」などがそれだ。

 

 そして、デミウルゴスは至高の御身であるアインズへの忠義を尽くすべく、未知なる外の世界の研究と解明に明け暮れてきた。

 位階魔法を封じる巻物に必須な、羊皮紙などの材料供給。各種魔法の発動実験や応用技法などの開拓。異種交配実験にしても、その一環に過ぎなかった。

 すべては、アインズに宝石箱を――アインズ・ウール・ゴウンの名を全世界に轟かせる一大事業“世界征服”を成し遂げ、献上するために必要なことであった。

 そうして、現在。

 彼らの働きによって、この大陸世界はすべて、偉大なる御方の膝元に仕える臣民と成り果てた。

 しかし、まだだ。

 

「まだまだ、この世界のすべてを知り尽くせたわけでは、ありませんからね」

 

 思わず独り言を呟きつつ、悪魔は三日月のように鋭い笑みを口元に刻む。

 この世界のすべてを御身の下に。

 そう確約し宣誓した悪魔の手元にある資料には、ナザリックが誇る家令(ハウススチュワード)の異形種と、その伴侶となった外の人間の女の間に生まれた娘――マルコ・チャンについての特筆すべき項目が、整然と書き連ねられていた。

 竜人と人間の混血種(ハーフ)という、世界でも無二の存在。

 その成長速度、奇妙な特性、乳幼児らしい習慣や肉体能力。それらが一日おきどころか、一時間単位で鮮明に記録されている。その成長記録から採取された情報をもとに、今後生まれてくるだろう新たな混血種(ハーフ)――例を挙げれば、蟲王(ヴァーミンロード)雪女郎(フロストヴァージン)の子、最上位悪魔(アーチデヴィル)と人間or亜人or異形の子――の成長と比較研究する際に、大いに役立つことはまず間違いない。

 さらに、この間、とある冒険者チームより献上された、未知の食材――マジックアイテムの発見には、パンドラズ・アクターに鑑定と一時的な実験協力を願い出たことも、記憶に新しい。

 

「実に愉しみですねぇ」

 

 ナザリックの防衛については、アインズがこの世界で新たに生み出したアンデッド軍団のおかげで、万全以上の体制を敷かれている。あの「一件」によって、真なる竜王との盟友関係を構築したことにより、上位アンデッドの作成も軌道に乗ってくれたおかげで、蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)や各種死の支配者(オーバーロード)の生産もある程度の規模で行えていた。ここまでを読み切って、竜王らを取り込んだアインズの手腕は、まさに端倪(たんげい)すべからざると評するより他にない。デミウルゴス一人では、完全な敵対と殲滅しか思考できていなかった評議国に対し、御身は世界最強である竜種――その中でも強壮な竜王たちまでをも、己の手駒に加えてみせるとは。

 主との力量差を自覚し、デミウルゴスは恥じ入ると同時に、強い尊崇と敬服を増大させていくのを止められない。止める必要など皆無なのだが。

 しかし、至高の御身はそれだけでは、ナザリックの戦力拡大には不十分だと思考されていた。

 その証明ともいえるのが、外の現地勢力に過ぎない有象無象の強化と支配――アインズを絶対的存在と仰がせ崇めさせた上での、戦力化と従属化だ。アンデッドら無限労働力の積極的投入、冒険者組合の完全掌握、魔導学園機構の設立、分業都市建設による生産力の向上と安定化、どれもが素晴らしい智謀の王の偉業に他ならなかった。もはやその叡智は、デミウルゴスの思惑や予定を超越し尽くして余りあるほどと言える。

 改めて、参謀たる悪魔は己の作成する書類に目を通す。

 新たに判明した情報――世界級(ワールド)アイテム“ヒュギエイアの杯”によっての、異種交配実験の可能性拡張などは、デミウルゴスの豪胆かつ熱狂なる鼓動を震え凍えさせるほどのもの。

 まことに。

 このアイテムを勝ち取った御方々の栄光は、とどまるところを知らない。

 ナザリックNPCと、現地勢力の将来的な融和――そして、その混血として産み落とされる子らを戦力として強化し、従属と化していけば、現在以上の軍を構築できることは確実な未来となるだろう。

 これより100年の後、この世界に現れるだろうプレイヤーが、どれほどに強大な勢力であろうとも、このナザリック地下大墳墓を、アインズ・ウール・ゴウン魔導国が保有する新たな現地戦力を前にして、一体どれほどの抵抗ができるものだろうか。

 そして、これより生まれるであろう、アインズの子ども――偉大な継嗣(けいし)の可能性。

 

「っと、いけませんね。油断は禁物です」

 

 デミウルゴスは緩みっぱなしになりそうな表情を引き締め、己の慢心を厳しく律する。

 プレイヤーが仮にも世界級(ワールド)アイテムなどで武装していれば、圧倒的な物量差をひっくり返されることも考慮する必要に迫られる。それこそ、ナザリックと同等規模の兵力を召喚するアイテムや、無限無尽にプレイヤーを強化し続けるアイテムなどが存在すれば、億が一、兆が一、京が一という事態に陥るやもしれない。

 それだけは御免被る。

 油断。慢心。それは己の身より生じる強敵に他ならない。

 故にこそ、デミウルゴスは尚一層の克己心を胸に(いだ)きつつ、作業に没入する。

 しようとした、瞬間、

 

「……んん?」

 

 奇妙な視線を感じた気がした。

 視線、というよりも存在感、というべきかもしれない。

 デミウルゴスは部屋の扉の方へ視線を向ける。誰もいない。いないのだが、

 

「はて、扉は閉めたはずですが?」

 

 気のせいだ、とは思えなかった。ナザリックでも最高位の頭脳を与えられた悪魔が、扉を閉め忘れていたなんてことはありえない。無論、栄えあるナザリック地下大墳墓の扉が、立て付け不良を起こすはずもない。

 誰かが開けたのでもない限り、扉は開いている道理などない。

 

「どなたでしょうか?」

 

 問いかけに応じる声はないと思われた。

 

「あー」

 

 彼の予測に反して、その声と呼ぶには薄弱な、言葉を全く構築できていない様が聞き取れた。

 デミウルゴスは扉の周囲を見渡す。だが、やはり、誰もいない。

 ナザリックのシモベ固有の気配も感じられない。

 何者かの潜入を想起するには十分な状況であるが、不思議とデミウルゴスには焦りや戸惑いという感情が発生することはなかった。

 そう、この声は、どこかで聞いたことがあるのだ。

 

「……まさか?」

 

 僅かなひらめきにも似た可能性を感じつつ、悪魔は己の背後を振り返った。

 そこにあったものは、母譲りの愛嬌のある赤子の顔立ち。父譲りの白銀髪(プラチナブロンド)を生やした、小さな命。

 この世界において初となる混血種(ハーフ)――マルコ・チャンが、デミウルゴスのデスクの上に浮かんでいた。

 片手には、最近お気に入りとなっている、白い竜のぬいぐるみを携えて。

 

「……え……ええ?」

 

 悪魔は思わず変な声を漏らした。

 見えない何者かの手に揺られながら、赤ん坊が宙に浮いて漂っている。

 ふよふよ、という擬音が実に似合いそうだ。

 しかし、デミウルゴスの知覚する限り、マルコを不可視化・不可知化した存在が抱えているということは、ありえない。そもそも、それだけの強者がナザリックの第十階層の図書館に誰にも気づかれることなく潜入できる道理がない(不可知化を専門に看破するシモベや、そういった特殊技術使用者に対するデストラップなどが存在している)し、仮に、それほどの強者たりえる唯一の例外――アインズであれば、このような魔法をナザリックで発動させる意味は薄い。というか、不可知化をかけた存在に抱えられていると仮定するなら、マルコだって不可知化の影響を受けているはずなのだ。

 思いがけない光景に、さすがのデミウルゴスでさえ息を呑むしかない。

 

「うー」

 

 マルコは、そんな炎獄の造物主の視線など知らん顔で、デスク上の書類に興味を示し、ぬいぐるみを抱えている方とは逆の手で触れ、ペタペタと戯れている。その間にも、彼女の身体はやはり宙を浮き、何かの意思ある力によって、空を漂っているような様相を見せつける。

 

「こ、これは、いったい……?」

 

 デミウルゴスは自分が作成した書類が汚される可能性すら失念して、マルコの異様な状態に目を瞠る。眼鏡を押さえる指に力がこもった。

 魔法の力、これは一切感じられない。生後間もない赤子が、未知の特殊技術(スキル)などを保有している可能性はありえない。彼女のレベルは現在、竜人・混血種がたったのLv.1しかないのだ。そういった検査は、すでにデミウルゴス主導で行われていたのである。では、これはどういう力のなせる業なのか――光の速さで脳内を駆け巡った可能性のひとつを、デミウルゴスは咄嗟に口にしてしまう。

 

「もしや……生まれながらの異能(タレント)?」

 

 口にした途端、己の全身に雷が奔るような激震を味わった気がした。

 

 この世界特有と言ってもいい異能力。

 アインズが魔法の教練を積ませている人間(ニニャ)が保有する“魔法適性”などをはじめ、この世界の存在は一定の確率で不思議な能力を身に着けて生まれることがあるという。これは、ユグドラシルには存在しなかったもので、ナザリックの存在では容易に看破することのできないもの。おおよそ200人に一人という割合でしか生まれない上、現出する異能というのは強い力や弱い力、使い物になるものとならないものなどで、その差は千差万別と言えるほどに多様だ。

 明日の天気を七割の確率で的中させる力、召喚モンスターを自動強化する力、穀物の成長を早める力、竜の魔法を使う力の他に、ニニャが持つ“魔法の習熟期間を半分にする=魔力系魔法職取得経験値に限り獲得量二倍”というものもあるのだが、現在に至るまで、ナザリックの力をもってしても未知の多い領域にある能力なのだ。

 そもそもにおいて、

 どのようなメカニズムによって、異能を保持するのか?

 同じ異能同士で子を生すと、子は異能を継承しないのか?

 異能を強化あるいは弱体化、封印、奪略する手段の有無は?

 そういった一切合切が不明瞭かつ不可解なままの異能力だ。ナザリックの、魔導国の力をもってしても、その解明には数十年、あるいは数百年単位の研鑽(けんさん)が必要だろうという見方もある。

 この異能の有無を鑑定するための現地特有の魔法があるにはあるのだが、ナザリックの全シモベ、全魔法詠唱者でも取得不能な魔法であるため、デミウルゴスをしても、マルコに異能の有無を鑑定しようという気は起きなかった。マルコはこの世界で発生した史上初の混血種として、ナザリックで純粋培養……養育することを確約されたような存在なのだ。それだけの宝玉の原石を、外の世界の有象無象に触れさせ周知させようという段階には達していなかったことも多分に影響していたのである。

 この子が異能を発現できたことは、無論、マルコの母たるツアレが、異能の現出に影響を与えたものと推察すべきところだが、ツアレは(ニニャ)とは違い、何の異能も持たない普通の人間であることは確定検証済み。単純な因子継承とは言えないはず。

 デミウルゴスは瞬時に、ありとあらゆる可能性を脳内に羅列していく。

 その作業までもが、彼には得難き祝福であるかのように感じられてならない。

 

「ああ……なんと……何という事ですか、これは!!」

 

 これすらも、御身の智謀のなせる業だというのか!

 セバスとツアレの関係を認め!

 その懐妊を祝福した段階から!

 これほどの奇跡の成就を予見していたに違いない!

 それを思えば、ニニャという現地において高位の魔法詠唱者を囲っている事実も、違う見方が出てくる!

 

「ああ、アインズ様! あなたという御方は!」

 

 デミウルゴスは己の戴く主の壮大さと偉大さに、感激の相を熱く、厚く、篤くしてしまう。

 両手で押さえた両目からは、溢れる熱が止めどなく流れ落ち、これより訪れるだろう歓喜と幸福に熱狂しているかのよう。

 身に宿る猛火のような感動を鎮めることに苦労しつつ、デミウルゴスは栄光の(きざはし)の第一人者となりえる赤ん坊の方へと視線を移した。

 

「さっ、マルコ。一刻も早く、アインズ様に、ご報告へ向かいま…………おや?」

 

 滲む視界、手を広げた室内のどこにも、銀髪の赤子は見えなくなっていた。

 咽ぶ声は途絶え、極めて冷静になりつつ、デミウルゴスはもう一度だけ、赤ん坊を呼ぶ。

 

「……幻術……じゃあ、ないですよ、ね?」

 

 思わず首をひねるナザリックの「参謀」閣下。

 実際としては、書類と悪魔に興味を失った赤ん坊が、すでに部屋を辞していただけなのだが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 マルコ・チャンが発現させた生まれながらの異能(タレント)を名付けるなら、

 

『空中浮遊』――と、言うべきだろう。

 

 マルコは、この異能によって、「極めて宙に浮きやすい」性質を帯びており、適正体重であるはずの赤ん坊の彼女を、ツアレやニニャや、誰が抱きあげてみても割と軽い印象しか与えられなかったのは、彼女が常に宙に浮かぼうとするが故の現象に過ぎなかった。

 しかし、この異能は「宙に浮きやすい」というだけで、完全な飛行能力と呼べるものではない。

 今でこそ、ぬいぐるみをクッション代わりにして、無重力状態の宇宙飛行士よろしく、壁や床に竜人の混血としての腕力を当てた反動で浮かぶという技法を体得している(扉を開けることができたのは、ドアノブを彼女の身体が当たって偶然回せただけのことに過ぎない)が、この(のち)、彼女が修める父譲りの近接格闘能力との併用によって、マルコははじめてこの異能を純粋な飛行手段へと昇華することができるのだが、それはまた別の話だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。