魔導王陛下、御嫡子誕生物語 ~『術師』の復活~   作:空想病

16 / 22
第2話

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 捜索に駆り出されたメイドたちは、ツアレとマルコに与えられた私室を中心に、赤ん坊の姿を草の根を分ける勢いで探し続けた。

 部屋の天井やダクトの奥、果てはダストボックスから繋がる汚穢喰いの女王(アティアグ・クイーン)の住まう処理場にまで赴き、マルコがいる可能性のある場所――第九階層は詳しく調べ尽くしたが、どこにもマルコは発見できず、また彼女を連れ去っただろう存在の足跡を追うことも不可能であった。

 

 それはつまり、未知の侵入者――プレイヤーだろう存在の手がかりもないということを示していると思われた。

 

 まぁ、実際には。

 マルコがいなくなった時に、母親のツアレは可能性のある部屋の内部――ベッドの下は勿論、マルコが侵入できるはずのない風呂やトイレまで入念に調べ、クローゼットやキッチン棚、物理的に入り込めるはずのないタンスを、中の衣服や日用品すべてを床にブチ撒けてでも我が子の行方を捜し尽くしていたが、まさか赤ん坊が、天井の巨大なシャンデリアに浮遊して隠れているなどとは思うはずもなく、結果として「娘は何者かに連れ去られたのでは」と誤認してしまっただけなのだ。ツアレのレベルでは、不意な襲撃者には対処できない。そのため、マルコには専用の自己防衛としての魔法の道具が幾つも下賜されていた。それらがまったく発動する気配もなく、娘は母の前から消え去った。その事実はあまりにもツアレの精神状態を一挙に摩耗させるのに十分な威力を発揮したわけだ。

 そうして、マルコ喪失の恐慌のあまり、部屋を開けっぱなしにして外へ我が子を求め飛び出た母親の声につられ、マルコは自力で部屋の外へと赴き、宙を漂い、時に天井に張り付くようにし、時に警邏巡回中のシモベの死角に紛れ込みながら、ナザリック内を自由に行き来していただけなのである。

 そして、あろうことか。

 マルコは、第九階層の警備にあたるシモベの背後を通り過ぎ、メイドたちの本日の清掃ルートの外(この世界にてアインズが導入した休暇制度によって、清掃頻度はそれなり減少されていたのも影響している)を、偶然の中の偶然、奇跡の上の奇跡とも言うべき確率で漂っていってしまったのだ。誕生したばかりで、未だ脆弱な混血種の力は、ナザリック固有の気配や強弱の有無を推し量れるものでもなかったため、シモベたちは一様に、マルコを発見することがかなわなかった結果でもある。

 (のち)に、このことが判明した際には、マルコには捜索タグのような魔法効果を付与したメダルを首に下げられることになり、このような珍事が繰り返されることはなくなることになる。

 

 そうして、デミウルゴスから届けられたマルコ発見の一報により、とりあえず、ナザリック内への侵入者という不安は解決を見る。

 しかし、マルコは第七階層守護者の隙をつくという離れ業を駆使し(異能発覚に伴う彼の昂揚と興奮があったとはいえ)、また何処(いずこ)かへと姿を消してしまう。

 

 いなくなった赤ん坊はアインズ・ウール・ゴウンが庇護と養育を約束した、稀代の寵児。

 故に、マルコの捜索には、外へ巡回警備に出ていたアウラや、私室で何やらニヤニヤしていたアルベドなども緊急動員されることになり、ナザリック内は上から下までを揺るがす、前代未聞の“おにごっこ”と“かくれんぼ”――あわせた名称は“かくれおに”を、始めることに相なった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 荘厳にして壮麗、荘重にして壮大。

 一個の美術品と評しても不思議ではない、無数無尽の装飾と芸術が施されたそこは、ナザリック地下大墳墓の最下層、第十階層が誇る巨大図書館――名は、最古図書館(アッシュールバニパル)

 

「……うん?」

 

 その白い姿を目にしたのは、奇しくも同じく白色の顔に、対照的な漆黒の衣を纏った死者の大魔法使い(エルダーリッチ)の一体、図書館に勤める司書であった。左手上腕のバンドには「司書J」という文字を戴いている。

 

「……あれは?」

 

 彼が見定めた白い姿は、デミウルゴスの資料室から興味を失い、次なる探求を求め彷徨を再開した異能持ちの赤ん坊――マルコ以外の何者でもなかった。

 至高の四十一人が建立し集積した叡智の場に、まったく似合わない無知なる命の灯が、溢れるほどの蔵書を抱え乱立している蔵書棚の迷路の上、煌くように微細かつ彩美なフレスコ画の天井の下を、重力のくびきを感じさせないような自由さで漂っている。

 宙を漂う程度は、特段に珍しい現象ではない。〈飛行〉の魔法を使えば司書も宙に浮けるし、死霊(レイス)系モンスターに至ってはそれ以外の移動手段がないくらいだ。

 しかし、魔法も特殊技術(スキル)もろくに扱えなさそうな、ただの人間の赤ん坊にしか見えないものが宙に浮いている光景というのは、アンデッドの司書から見ても、常識から乖離している光景に映る。無論、第八階層守護者・ヴィクティムのように、見た目とは相反して特別な力を秘めた個体というものもいるにはいるが……あの赤ん坊からは大した強さは感じ取れないのだ。一般メイドと同じレベルか、多くてもせいぜいLv.2が妥当なところか。正直、見つけられたのが不思議なくらいに弱い存在感しか、あの赤ん坊は保持していない。

 司書は、その矮躯と呼ぶのも憚るほどに小さな命を見るのは、実はこれが初めてだ。

 初めてであったが、噂の端には聞き知っていた。

 ナザリック内にて生まれた、シモベと現地人との混血という稀少な存在は、その誕生と共に、アインズ・ウール・ゴウンの庇護下に加えられ、ナザリックの存在は誰であろうとも、あの赤ん坊を傷付けることがないように厳命されている。

 その折に、周知徹底すべき情報として、母子の姿は映像として見知ってはいたが、生で見るのははじめてだったのだ。

 故に、司書は疑問に思う。

 

「どうやって、この図書館に?」

 

 この最古図書館(アッシュールバニパル)は、ナザリックに属するものすべてを受け入れる。そういう意味では、マルコもまた立派なナザリックの一員なのだ。門番にして開閉装置を務める巨人の動像(ゴーレム)たちも、彼女の訪問を歓迎した。中に入れてほしいという意思表明さえすれば、それがどのような言語――ラテン語、ドイツ語、エノク語だろうと、巨人たちは扉を開けてくれる。マルコが「あうー」と発音するくらいの能力しかなくても、入室の意思さえあれば、扉を開けること自体は簡単なのだ。

 また、そういう自動開閉システムであるため、司書たちは図書館への来客というものを逐一把握できるものでもない。この図書館に蔵された叡智の管理と保全、そして来客の要望に沿う事こそが彼らの絶対順守すべき任務(つとめ)なのだ。来客の中には司書たちにも内緒で本を読み耽りたいという存在もいるし、至高の御身にして叡智の結晶たるアインズなども――いかなる理由でかは不明だが――足繫(あししげ)く図書館を訪問する際に、司書たちの手を借りることはしないのも影響している。故に、司書たちは特に求め乞われない限りにおいて、たまたま行き会った時は挨拶する程度に留め、来訪者には過ぎた干渉などせず、至高の叡智に触れる静かな時間を来訪者に供与するという、暗黙のルールが制定されていたのである。

 司書の疑問は、マルコの入館方法ではなく、彼女をここへ連れてきただろう両親の存在だ。

 彼はアンデッドの鋭敏な視覚と、生命感知専用の魔法を発動。さらに、ナザリック固有の気配感知も併用する。

 しかし、図書館内に感じられるLv.100NPCの強大な気配は、デミウルゴスのそれひとつきり。ツアレもナザリックの人間メイド長として、それなりの修練を積み、ある程度のレベルを獲得できていた。その生命の気配も見当たらず。

 両親は不在。

 なれど、赤ん坊だけが図書館にいるという事実。

 司書は頭に浮かんだ可能性に困惑する。

 まさか、ひとりで来たというのか?

 

「そんなはずはない……」

 

 ない、はずだ。

 本来であれば。

 だが、現実として、吹き抜けの空間をふよふよと漂う赤ん坊の存在は覆らない。

 とにかく、確保してから考えるべきだ。事情はよくわからないが、両親が不在で、赤ん坊という脆弱な命をひとりきりにさせておくのは、その生命維持に大いに悪影響を及ぼすだろう。それくらいの常識を、司書はわきまえていた。

〈飛行〉の魔法を唱え、死者の大魔法使い(エルダーリッチ)はフレスコ画の煌きに魅入るような赤ん坊の視線に飛び込んだ。

 

「ぅ」

 

 途端、マルコが怯えるように表情を蒼褪(あおざ)めさせたが、理由は司書には判らない。

 どう考えてもフードの下にある屍蠟化(しろうか)したアンデッドの死相が原因なのだが、そんなことアンデッドの彼に判別できるはずがない。

 

「さぁ、下へ降りま」

「うぇええええええええええええええええええええ!!」

 

 赤ん坊のあげた絶叫が、異様なまでに死者の聴覚を(つんざ)いた。

 

「な、がぁ!?」

 

 司書はあまりの事態に朽ち果てた耳を、骨と皮だけの掌で覆った。

 彼は知らなかったが、これは竜人の、それも混血種(ハーフ)Lv.1の基本的な特殊技術(スキル)とも言うべきもので、マルコは泣き出すと〈絶叫(シャウト)〉の魔法に近い音波を放つことができるのである。これは成長……レベルアップと共に、マルコ本人の意思である程度の調整や加減が可能になり、彼女のあげる咆哮は、体調や環境などの条件さえ整えば〈上位絶叫(グレーター・シャウト)〉に匹敵するような攻撃を、自由自在に繰り出すことができるようになる。

 しかし、この時のマルコは赤ん坊であるため、今はほとんど本能的に繰り出すことしかできておらず、またそれ故に、その鳴き声には調整や加減などは一切ない。彼女の世話をする両親は、どういう理屈でか彼女の鳴き声によってダメージを負うことはないのだが、適切な防御や対策を施していないと、両親以外の誰にも宥めることができないほどの攻撃を、マルコは周囲にまき散らしてしまうのだと、最近になって理解され始めた。

 その様はまさに、ただの(ひな)と言えども、竜の血を継ぐ存在にふさわしい威力。

 突如として現れた化け物の凶相に怯え、わけもわからず愚図り出す赤ん坊からの意外な一撃につんのめり墜落しかける司書であったが、床に激突するよりも先に体勢を立て直す。

 

「ふ、不覚」

 

 自らの無知と無警戒を叱咤する司書であったが、彼の意中には不意の悲鳴あるいは攻撃を受けたことへの憤慨は一片もない。そもそもにおいて、彼我の実力差が歴然としている状態なため、司書は驚愕こそ受けたが、ダメージらしいダメージは皆無だった。

 だが、至高の御身が建造し集積した、静謐と沈黙こそが尊ばれる図書館の中で、大声をあげて喚き続ける存在に不快感を抱くのは無理からぬこと。

 一刻も早く、あの音源を止めなければ。

 

「ッ、〈麻痺(パラライ)

「よしたまえ」

 

 魔法を唱えるべく伸ばした手を横合いから優しく掴み押さえられる。

 

「デ、デミウルゴス様!」

 

 この図書館で執筆作業に勤しんでいた最上位者――マルコの鳴き声を頼りに転移してきた悪魔の介入に、しかし司書は拘泥(こうでい)と抗弁の気配を掠れた声に滲ませる。

 

何故(なにゆえ)、邪魔を?」

「邪魔ではないさ。これは君のためだよ、司書Jくん」

 

 デミウルゴスは泣き喚く音源――やはり幻術などではなく、異能によって宙を漂い続ける赤ん坊――と、その産着に視線をやった。

 

「あの赤ん坊、マルコはアインズ・ウール・ゴウン様の名において庇護を約束された存在。いかに無思慮かつ無礼極まる振る舞いを取ろうとも、その命にいかなる危険や災厄、攻撃を加えることを、今は良しとされていない。それでも、君はマルコに魔法を叩き込むのかね?」

 

 司書は戦慄に呻き声をあげてしまう。

 悪魔の口から語られた事実は、ナザリックの全存在に知悉された決定事項。

 それを反故にするような振る舞いをとることは、御身の下命に泥を塗り、御方の眼前に唾を吐くがごとき所業に他ならない。

 そんなこと、できるはずがない。

 司書は頷き、魔法を込めようとしていた手を下げる。

 

「さらに言えば、マルコに与えられた純白の産着――あれは低位の魔法を反射するという効果が付与されている。君の扱える魔法では、逆に君の方が危険に陥るやも知れない」

 

 デミウルゴスはまさに、ナザリックの存在が相撃つような状況を回避してくれたのだ。

 その思慮深さに司書は深い感謝を抱くが、赤ん坊は泣き喚き続け、同僚の死者の大魔法使い(エルダーリッチ)死の超越者(オーバーロード)たちまでも頭上を見上げ集合し始めている。

 あれを、このまま放っておくわけにもいかなかった。

 

「心配はいらない。ここは私に任せてくれたまえ」

 

 ナザリックでも最高位に位置する悪魔がいてくれて助かったと、司書は安堵の礼を彼に送る。

 司書にかわって対処に向かうべく、デミウルゴスは飛行用の半悪魔形態への変貌を遂げた。

 一対の濡れた被膜の翼に、両生類のような造形と皮膚に覆われた異形の(かんばせ)

 赤子の絶叫など、Lv.100の存在であれば、そよ風ほどのダメージも通らない。

 

「さぁ、マルコ」

 

 今度こそ、アインズ様のもとへ報告に。

 歪んだ蛙のような顔をさらに歪め、悪魔は赤ん坊に手を広げた。

 悪魔にとっては何の気もない微笑でしかなかったはずだが、通常の人間の血が半分ほど流れる存在にとって、その表情はけっして安穏(あんのん)としたものとは思えないだろう。邪知陰謀の粋を凝らしたような魔の容貌が、赤子の生き血を啜り、小さな顔を丸呑みにせんばかりに近寄ってくる。

 その恐怖は、死者の大魔法使い(エルダーリッチ)の比であるはずもなく、

 

「うぁあああああああああああああああああああああああ!」

 

 さらなる悲鳴をあげて硬直するマルコの叫喚は、彼女の生命が著しく危険にさらされているような大音量となり、

 次の瞬間、

 マルコが固く抱きしめていたぬいぐるみが、強い光を放った。

 

「……おや?」

 

 デミウルゴスは失念していた。

 いかに異形の混血種であろうとも、その身に流れる血は普通の人間が半分であること。また、マルコは甲乙善悪上下左右の判断すらいまだつくはずのない無知な赤ん坊であること。

 そして、さらに。

 マルコに下賜されたぬいぐるみというのが、ただの“ぬいぐるみ”であるはずがないという認識を。

 

「しまっ――!」

 

 悪魔は与えられた衝撃と重量に、双眸をいっぱいに開いてしまう。

 図書館の書棚や長机を吹き飛ばす――ことは張り巡らされた魔法の防護によって不可能だったため、デミウルゴスはその上を、文字通り身を削られるように吹き飛ばされる。いかに、守護者の中でも身体能力(ステータス)的に劣る存在と言えど、Lv.100の最上位悪魔が見せていい姿ではなかった。その光景は、周囲で状況を見守っていたアンデッドたちの心胆をも寒からしめる。

 驚嘆の上に驚嘆を浮かべる司書たちは、そこに現れたモノを、見る。

 

 アインズがマルコ防衛のために下賜したぬいぐるみには、いくつもの魔法的なトラップが施されていた。

 発動条件は、保有者であるマルコの危機的状況を感知した場合。

 その条件を満たしたぬいぐるみは、まず第一の機能を発揮する。

 

『こぉああああああああああああああああああッ!』

 

 突如鳴り響いた蛮声は、竜王の怒りに濡れた轟音……をかろうじて真似た、かなり弱弱しく、なんとも間抜けで可愛らしい鳴き声。そこに立ち塞がる巨体は、バカみたいに膨らんだ、愛らしいぬいぐるみをそのままサイズアップした白竜だ。

 目は黒い宝石のようだが、実際は特大のボタンで縫い止められただけのもの。牙や爪、鬣や翼を(かたど)るのは極厚のフェルト生地。その身に纏い宿っているものは、幾百年の研鑽によって磨かれた鱗でもなければ、引き絞られた筋肉の砦でもない――ただの巨大な布と大量の綿の集合物に過ぎない。

 玩具の動像(トイズ・ゴーレム)

 普段はただのぬいぐるみでしかない白竜は、マルコの危難に際して、彼女を絶対守護する存在へと変身を遂げる機能をもったマジックアイテムなのだ。

 保有者に接近する敵性対象――この場合、マルコを泣かせた悪魔――を遠くに追い払うべく、真の姿を見せた赤ん坊の守護者は、守護対象を額に乗せて空を舞う。

 

「ぬ、ぐぅ……」

 

 己に降りかかった衝撃にめまいを覚えてしまうデミウルゴスは、壁に背を預け(あの白竜の攻撃は相手を吹き飛ばすだけのもの。ナザリックの第十階層の内装が、この程度の衝撃で破壊されるはずがない。実に素晴らしい場所だと感嘆してしまい)ながら、自らの失態を心から恥じる。助け起こしに来る司書たちに無事を伝える。あのぬいぐるみは、対象を容赦なく吹き飛ばすことに特化した魔法を発動させただけで、デミウルゴスでなくてもダメージらしいダメージを負うことはないが、彼の内心はそれどころではなかった。

 ぬいぐるみが、第一の機能を解放した。

 つまりそれは、続く第二の機能の発動を意味している。

 

「ま、待ちなさい、マルコ!」

 

 たまらず制止の叫び声をあげるデミウルゴスだが、もはやこうなっては、自我形成も未熟な、尚も泣き喚き続ける赤ん坊では止められるはずもない。

 白竜は、追撃してくる敵性対象がいないことを確認すると、また強い光を放つ。

 どうにかして、引き留めねば。そう思考し実行しようとする悪魔だったが、マルコへの魔法的な介入は攻撃とみなされ、あの竜の反射防衛を誘発する。それのみならず、アインズが庇護を厳命した存在に許可もなく攻撃や拘束の魔法をかけることは、大いに躊躇(ためら)われる。しかし、止めねば。

 その一瞬一秒の迷いが、すべてを決した。

 マルコは〈転移〉の光に包まれ、デミウルゴスたちの目の前から姿を消し、図書館には元の静寂が戻った。

 代わりに、マルコはまたしても、ナザリック内で行方をくらませることになってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 魔法都市から城塞都市の南にあるエ・ランテルを経由し、二人の魔法詠唱者が、この大陸の中枢――魔導国の首都にして聖域とされるナザリック地下大墳墓へ、向かっていた。

 

「ご苦労様です」

 

 傍らを並行していた都市防衛空軍の蒼褪めた騎兵(ペイルライダー)たちの編隊と別れ、二人は一直線に〈飛行(フライ)〉の魔法を行使し続ける。

 城塞都市の城の上空に到達し、そこに居合わせた領域守護者とその家族に手を振って挨拶すると、その城に守られる草原地帯――不可侵領域として、何人(なんびと)の立ち入りも禁じられた空域へと突入する。

 このエリアに許可なく入り込んだものは、まず警告の魔法音声が届けられ、さらに奥へ入り込もうとする者に、第一のトラップが発動。さらにそれを無視して入り込む場合、最後通告の魔法音声が発動し、侵入を続けるものを第二のトラップ……抹殺措置がとられることになる。

 だが、この二人の魔法詠唱者には、そういった魔法的な防衛措置は一切働くことはない。

 彼女たちは事前にナザリック地下大墳墓の空域への侵入を申請し許可された存在であり、また、ナザリック地下大墳墓に所属するアインズ肝いりの人間の少女と、その護衛兼教師兼小間使いのメイドなのだから、当然とも言えた。

 ニニャとナーベラルは、〈飛行〉訓練及びナザリックへの帰還のために、〈転移〉を用いずに魔法都市からナザリックへの飛行を敢行し、今や目的地とは目と鼻の距離にまで迫っていた。ナーベラルは相変わらず涼しげな表情をしているが、杖に乗ったニニャの表情も、随分と余裕のあるものを維持している。アインズとナーベラルからの教練によって、都市間移動程度の〈飛行〉にも手慣れていることは明白であった。ちなみに、この飛行距離は、魔導学園の卒業も十分可能なレベルに匹敵する。

 すでに、第四位階魔法の修得もあらかた済ませ始めているニニャは、もはや魔導国のどの都市でも、引く手数多だろう魔法詠唱者(マジックキャスター)に成長したことを物語っている。

 

「どうですか、ニニャさん?」

「はい。まだまだ大丈夫です」

 

 教師役を務めるメイドは、生徒の魔力切れを心配して声をかけるが、まだまだ十分な量をニニャは温存している。これならば、ナザリックの到達には問題ないだろう。

 問題が起こり得るとしたら、不慮の事故くらいのものか。

 

「それに、今日はナザリックでの教練ですから、少しは余力を残しておきたいですし」

「――良い心がけです」

 

 生徒の殊勝極まる意気込みに、教師は表情と声には出さないが大きな称賛の念を抱く。

 ナーベラルが油断なく警戒を続けていると、前方に巨大な影があるのを認めた。

 ちょうど、ナザリックの表装部、その上空を旋回するように。

 瞬間、

 

 ――ゾワリ。

 

 二人に身の毛もよだつような敵意が降りかかる。

 

「な……これは!?」

「ちょ、な、なにっ!?」

 

 一瞬、困惑し杖から転げ落ちかけるニニャだったが、さすがにナーベラルの助けを借りずとも、自分で体勢を立て直すことは可能だった。現れた敵意というものが、ほんの一瞬だけであったことも功を奏していたと言える。

 しかし、ナーベラルは疑問だった。

 

「やっぱり、二人だったか。ごめんね、驚かせて!」

 

 真正面から飛行してきた巨大な影は、一対の翼を広げた竜……というよりも蛇というべきモンスター。

 ケツァルコアトルにまたがった、第六階層守護者の片割れたる少女。

 歓迎するかのような突進から一転、翻ってニニャとナーベラルの横を飛行する竜の背に乗る闇妖精(ダークエルフ)の少女は、詫びるように笑みを浮かべた。

 ナザリック近郊の不可侵領域の巡回警備を自らが行っていたLv.100NPCの行動に、ナーベラルは己の抱いた疑問を率直に投げてみる。

 

「何かあったのでしょうか、アウラ様?」

 

 先ほどの敵意は、アウラが保有する特殊技術(スキル)によるもの。

 かつて、洗脳された守護者との戦闘に臨んだアインズを陰ながら助けた力。

 だが、ナザリックの同胞である自分たちに、アウラほどの存在が敵意を、特殊技術(スキル)を差し向ける理由とは何か?

 アウラは、ここ数年で若干膨らみの増した胸を張って説明する。

 

「うん。実は、マルコが!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方、第十階層にある、アインズの私室には、午前の政務を終えたアインズが、難しい顔で――表情は変化しない骨のままだが――ひとつの実験を試みていた。

 実際には、試みるべきか否か、悩んでいた。

 

「……うーん」

 

 先ほど、政務を終えた直後にアルベドからこれ(・・)の仔細を問い質そうとしたのだが、彼女はしきりに「もうお試しになりましたか?」と聞き込んできたので、そのあまりの迫力に護衛たちが「またもご乱心!?」という感じになってしまい、本人が即座に否定しアインズから身を離してくれた結果として……今こうして再び、このアイテムを前に黙考する作業が続いている。

 

「……う~ん」

 

 アインズがアイテムボックスから取り出し手に持っているのは、数日前、デミウルゴスから献上された、とあるマジックアイテム。

 ここ最近になって献上され、効果はパンドラズ・アクターなどの協力で実証済み。

 しかしながら、一抹の不安を覚えて仕様がない。

 それは、黄金でできたような、奇妙な果実だった。

 大陸の東にあるという海上都市に赴いた二等冒険者チーム“重爆”が、入手したというものだ。

 黄金の果物は、現実世界でいうところの林檎に近い外見なのだが、その表面を覆う金色の皮はそのまま貴金属なのではと思わせるほどに硬く、煌きを放っており、しかも傷一つ付けられない。かと言って、インゴットのように十分な重みがあるということはなく、アインズは掌の上でポンポン放り投げて遊ぶことができるほど軽い。はっきり言えば、そこらの果実かそれ以下の重量しかないのだ。

 だが、これはただの食料などではない。

 普通の人間は勿論のこと、金属を摂取する亜人やモンスターの牙でも、まったく歯が立たないという異様な頑丈さを保持しているのだ。実際、アインズが指で弾くとキンとした反射音を奏でる。この程度の大きさの果物であれば、物理的に丸呑みにできそうなほど巨大なモンスターでも、飲み込もうとした瞬間に吐き戻してしまうという。

 ただの果実であれば、生物の腹に収まって当然なはずなのに、この果実はいかなる生物からの捕食対象にもなりえない。

 この果実を摂取――というよりも使うことができるのは、ある特定の種族のみ。

 

「アンデッドのみが……か」

 

 様々な鑑定と実験の結果、これは異形種――特にアンデッドの中でも骸骨(スケルトン)系列に属する種族にしか摂取できないという、あまりにも珍妙に過ぎる特性があることが分かった。

 異形種、特に骸骨(スケルトン)系列のモンスターキャラは、当然ながら飲食は不可能。

 不可能でありながら、この世界の海上都市とやらには、その骸骨しか摂取捕食できない(より厳密には使用できない)果実が群生していたという。さらにより詳しく言えば、奇妙な粘体(スライム)系モンスターに守護され、管理されていたとか。

 彼女ら(粘体たちは幼い少女の形をしていたらしい)との熾烈極まる戦闘を繰り広げて――ということは一切なく、意外にも対話交渉の結果として、この黄金の果実を数個ほど譲り受けたのだとか。

 

 では、本題。

 この果実を、アンデッドが摂取した時の効力とはいかなるものか。

 

「やはり……一度は、試してみるか?」

 

 虎穴に入らずんば何とやら。

 アルベドとまた会った際に、しつこく使用されたかどうか尋ねられるのも避けたい。

 七転び八起きの境地で、アインズはヌルヌルくん三世を喉から取り外すと、寝室とは別のダイニングスペースに設置された飼育ケースにしまった。彼を装備したままだと、彼が果実を捕食しようとするので、摂取不可な状況になるためである。

 あらためて、黄金の果実を見つめ、口を開け、一噛みだけ、歯を立てた。

 瞬間、サクリとありえない柔らかさでアインズの前歯を受け入れた果実の内側から、黄金の溶液と言える果汁がアインズの骨の身体を流れ込み、奇妙な現象を引き起こした。

 果汁は骨の全身を意思持つ粘体のように這いまわると、つま先から指の先、さらには肋骨や頭蓋の内側までを満たしていく。どう考えても掌サイズの果物の容量を超えた果汁であるが、これはそういう食材、マジックアイテムなのである。

 

「お……おお?」

 

 やがて数秒ほどすると、アンデッドの触覚に、奇妙な実感が与えられるようになった。

 指で突けば、ぷにぷに沈み込む肌色。

 首筋や手首を流れる、血の脈動。

 生きている人間に近い感覚。

 

「す……すごいな」

 

 アインズは、部屋に備え付けの姿見に己を映し出す。ローブなどの装備はそのままだったが、そこに映った顔は、自分が幻術で作ったものと寸分たがわぬ造形があった。しかし、今のアインズは魔法を使っていないし、使うこともできない。

 頬をつねってみる。肉をつまんだ感触は勿論、つままれた頬の痛覚も、ちゃんと感じられている。ゴムマスクなどの触覚では断じてない。胸に手を伸ばすと、興奮の鼓動を刻む音――心臓の感触が掌から伝わってくるのがわかる。

 そこにあった姿は、アンデッド種族の、死の超越者(オーバーロード)としての形はどこにもない。

 ただの人間のような存在が、そこに存在していた。

 

「ふむ。意外と、悪くないんじゃないか……これは?」

 

 言うなれば、このアイテムは、アインズのアンデッドとしての骸骨の身体を、限定的に「受肉」させるもの。

 人間種への転生ということではなく、あくまでこれは一時的な身体機能の入れ替えで、この状態だとすべての魔法が使えなくなる(スキルは使用可能)、アンデッドとしての種族特性を一部失う(精神安定化も微妙に効きにくい)、一旦使うと数時間はこの状態でいることを強制され解除は不可能というデメリットがあるものの、人間としての生態活動を、異形種のアンデッドが体感することが可能になるという、非常に使い道が限定された代物であるのだ。

 ユグドラシルにも、アンデッドなどの特性による耐性持ちを攻略するためのアイテムというのは存在していたが、アンデッドが受肉するなんてアイテムは、アインズの記憶する限り聞いたことがない。ナザリックの宝物殿にも存在しないことは言わずもがな。

 何故そのようなものが存在するのか、あのデミウルゴスですら研究検分に値すると息巻いていた。

 しかし、

 

「……疑問だ」

 

 この世界特有の果実だと考えるのは、大いに疑問を覚える。

 聞けば、海上都市にいたモンスターというのは骸骨(スケルトン)ではなく、幼女然とした粘体(スライム)種たち。対話交渉可能・アイテムを譲渡する・アイテムの効能を熟知していたという話から、かなりの知性を持っていることは明白。鑑定する限り、この果実が粘体種への変身や転生のアイテムではなく、あくまで骸骨に「人間」の身体を受肉させるものに過ぎない。実際、このアイテムを使っているアインズの認識にしても、中身がスライムのような感じは一切受けないし、そういった幻術でもないことは装備したアイテムの存在からして確実だ。

 ならば、その幼女たちは何故、アンデッドの、骸骨(スケルトン)系モンスターにしか使えないアイテムを管理していたのか? 自分たちの食料や利益となるアイテムであればいざ知らず、自分たちが使えないアイテムを産出・管理していた意図とは?

 抱いた疑問と疑念が胸の奥で渦巻いていくのを実感するアインズの耳に――この状態だとちゃんと耳もついている。普段の自分は本当にどうやって聴覚を発揮しているのだろう――ありえざるノック音が。

 

「どうした?」

 

 私室前の扉に待機させていた当番の一般メイドは、ナザリックの家令(ハウススチュワード)から急を報せる旨を伝えられる。今はアインズの私的な休息時間だ。それを知っていて何事かを告げに来るというのは、ただ事ではない。

 アインズは僅かに戸惑った。「しばし待て」と告げて時間を稼ぐ。

伝言(メッセージ)〉を使ってこなかったことから、かなりの出来事なのだろうと推察できるのと同時に、今の自分の状態は、普段の自分の姿からはかけ離れている。ひょっとすると、アインズだと気づかれずに敵だと認識されないだろうかと、一抹の不安すら覚える。

 仕方なく、アインズはローブの胸元を閉じ、両手に籠手(イルアングライベル)をはめ、最後に仮面で顔面を覆った。

 この世界に来て、はじめてカルネ村を訪れた時と同じ格好になるわけだが、まさかナザリックのものを対象にしてやることになるとは。

 

「よし、入れ」

「失礼します、アインズ様!」

 

 緊張と緊迫によって強張った執事の声が、無礼にも室内に響く。

 思わず、アインズは少し肩を揺らして動揺するが、セバスは主人のそんな挙動にも気づかずに捲し立て始めた。それほどの精神的高揚が、普段は冷静かつ沈着した老紳士の内より溢れ出ているのである。普段とは違う主人の姿――玉体をすべて装備で覆い隠す姿にも逡巡する暇さえ惜しむ。

 あくまで忠勤なシモベは、室内の中ほどまで来て膝を折り、礼節の姿勢を取ってみせた。

 

「恐れながら、アインズ様! 由々しき事態です!」

「セ、セバス。どうした? そ、そんなに慌てて?」

「我が娘、マルコが!」

 

 言い終える刹那、セバスはこめかみに手を当てた。

 

「デミウルゴス様、今はアイ――――なん、ですと!?」

 

伝言(メッセージ)〉を受け取ったらしいセバスの反応は、まるで水を浴びせられた火蜥蜴(サラマンダー)のようだ。

 

「わ、わかりました。それを聞いて安心、いえ、まだ安心とは言い切れませんが……はい。それでは」

 

 声を届けた送り主へよろしくお願い致しますと添えたセバスは、その場で崩れそうなほどの息を吐いた。主人であるアインズから見ても、猛禽じみた視線や表情は、かなり穏やかなものに変わっている。

 

「どうかしたのか、セバス?」

「はい。実は先ほど」

 

 執事の口から、ツアレの私室から消えた愛娘の件と、それと並行して今しがたデミウルゴスから届けられたマルコ発見の一報が、語られていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。