魔導王陛下、御嫡子誕生物語 ~『術師』の復活~   作:空想病

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 序章第2話でお伝えしましたが、
 この物語は、拙作の短編小説・プレアデス逢瀬シリーズなどとリンクしております。


第6話

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 おいしい食事中、ニニャはナーベ改めナーベラル・ガンマと楽しいひと時を過ごす――なんてことはなかった。ナーベラルは“漆黒の英雄”モモンの従者的な存在として、ニニャたちと一度だけ冒険したことがあったが、その頃から相も変わらず怜悧かつ冷徹な態度は一貫している。

 二人はニニャ蘇生時にも一応顔を合わせていたのだが、あの時は蘇生直後ということでニニャは彼女を認識することはできず、ナーベラルの方も産気づいたツアレの運搬などに動員された為、二人は言葉を交わすことはできなかった。マルコ命名の時も、二人は互いを意識することすらなかったのである。

 しかし、ニニャはこの数日で落ち着きを取り戻し、ナーベラルのことを再認するだけの余裕を取り戻せた。言うまでもないことだが、二人がこうして対面を果たせたのは、ナーベラルの主人であるアインズの厚情に他ならない。

 他ならないのだが……

 

「あの、ナーベさん」

「なんでしょうか?」

「あの……この、スープ、お……おいしいです」

「そうですか」

 

 ナーベラルが短く答えると、会話はそこで途絶える。

 間が持たない。

 ニニャは一般メイドとそれなりに会話をすることもあったが、彼女たちは客人を遇する以上の感情をニニャに対して向けたことはない。その裏では、ニニャのことを本能的に避けようとしているような、そういう恐れにも似た暗い思いが根付いている気がしてならなかったが、ナーベラルの場合、徹頭徹尾にわたって無関心を貫かれている。

 ゴミやムシケラを見るようなものとは、とりあえず違う。

 まるで空気に話しかけられているように、ナーベラルは粛々と己の業務を行っているだけだ。

 相も変わらず他人に対して心を開くことのない女性であるが、逆にニニャにとってはありがたい気がするのも事実。自分が知っている存在が、自分が知っている姿のまま目の前に現れてくれたのだ。数年という時の隔たりに懊悩している少女にとっては、なるほどナーベラルを給仕に派遣するというのは理に適っている。

 ……適ってはいるのだが、如何せんナーベラル本人にとっては、そういった趣旨はいまいち伝わっていないのが、問題といえば問題であった。

 アインズからの勅命によってニニャの夕餉(ゆうげ)の支度や身辺の世話を仰せつかった黒髪の乙女は、少女を客人として遇してはいるが、親交のある存在としては扱っていない。ゴミ虫がようやく小動物――ペットに昇格されたのだなという認識しか、ナーベラルには存在していなかった。

 どうしようと思い悩むが、どうのしようもないため、ニニャは目の前に並べられた料理を、意外にも大きく響く食器とナイフとフォークとスプーンをカチャカチャ鳴らしながら味わう作業に没頭するしかない。だが、その作業もステーキの最後の一口を頬張り、スープの最後の一滴(ひとしずく)を飲み干してしまった時点で終わってしまう。

 誰か助けて。

 そんな切実な祈りが天に届いたのか、新たな訪問者を報せるノック音が扉を叩いた。

 

「失礼します」

 

 応じようとしたニニャを制して、ナーベラルが扉の方へ歩いていく。

 メイドは新たに運ばれてきたワゴンを受け取り、食卓へと戻ってきた。

 

「デザートが届きました。本日のデザートは、アルフヘイム産最高級栗をふんだんに使用したモンブランです」

「あ、はい」

 

 事務的に言葉を紡ぐ黒髪の乙女に、ニニャは頷くしかない。

 そして――また二人きりになってしまった。

 本当に、どうしよう。

 

「あ、あの、ナーベ、さん」

「はい――何でしょうか?」

「良ければ、一緒に食べません? この、もんぶらん? 一人で食べるには大き」

「ご遠慮させていただきます」

 

 ですよね。

 そんな気はしてた。

 ていうか、何だか敬語を使われるのが地味に堪えるな。共に冒険していた時はそこまで話をした仲ではなかったけど、ルクルットとかに向けていた慇懃無礼な言動が素だと判断すると、今のこの態度は完全に作られたものになるわけで。いや、お客さまを遇するメイドとしては、これが正しい姿なのだろうけども。

 モンブランの、口に溶けるような甘さがほろ苦い。

 こちらをじっと見つめる乙女の視線も鋭く肌に突き刺さるようだった。

 そうやって一人寂しくケーキをつつくニニャの耳に、新たな救いの音色が舞い込んでくる。

 再びドアの向こうからノックが響くと、ナーベラルは静かに、だが急ぐようにすばやく扉の方へ。

 

「アインズ様がお見えになりました」

 

 意外にも早い到着だった。アインズはニニャのために、仕事を早めに切り上げてきたのである。

 ニニャは自分の着ているものも忘れて、どうぞと入室を許してしまう。

 

「いやぁ、すまない。待たせてしまっ…………」

「どうかしましたか、アインズ様?」

「ニニャ、あの……その恰好は」

「え? ……あっ!」

 

 今更になって自分がとんでもない痴態をさらしていることに気が付いた。

 慌てて立ち上がったことでバスローブの前面が大きく開いているのみならず、足が太腿のあたりを露出してしまっている。下手をすると、その、下着の端も、見えていたかもしれない。

 

「す、すいません! うううっかり、わっ忘れてて!」

「いや……だいじょうぶ、大丈夫だとも。着替える時間ぐらい……ナーベラル、手伝ってやれ」

 

 粛々と頷くナーベラルに導かれるまま、ニニャは奥の部屋に数分こもった。

 

「あ、あの、ナーベさん、ちょっと、この服は」

「いいえ、アインズ様と対面を果たすに相応しい夜着として、これでも不足なくらいです」

「え、でも、だったらなんでバスローブの時から言ってくれなかったんです?」

「アインズ様の御許可なしに、アインズ様の与えた衣服を交換するなど――」

 

 なんて遣り取りが聞こえてくるのをアインズは努めて無視する。そうするしかない。

 そんな主人の様子を、アルベドとフォアイルはおもしろおかしそうに微笑みを浮かべ眺めていた。

 奥の部屋が静まり返り、メイドが扉を開け放った。

 

「お待たせしました、アインズ様」

「ああ、ご苦労、ナーベラ……ル」

 

 思わず、アインズは空虚な眼を奪われてしまった。

 黒髪の乙女に促され現れたのは、少女のイメージにぴったりの、(みどり)を基調としたドレス姿。

 

「綺麗だ」

 

 何の(てら)いもなく呟いた言葉を浴びて、ニニャは紅潮する頬をさらに真っ赤に染める。

 

「こ……こういうのは、私には似合わないです」

「はは。そんなことはないぞ! まるで見違えてしまったぞ、ニニャ!」

 

 魔導王の称賛に、少女はさらに萎縮してしまう。

 

「いいえ、そんな」

「普段からもそういう格好で過ごしてはどうだ? 何だったら、都市最高の仕立屋に頼んで、もっと質の良いものを特注させて」

「いえ! 本当に、結構です!」

 

 意外にも大きくなった声が部屋に満ちて響いた。

 少女は自分の失敗を自覚した。

 

「ニニャ……?」

 

 不遜にも言葉を遮られてしまった魔導王であったが、その理知的な瞳は一瞬で冷静な思考を紡ぎ出す。

 

「あ、あの……っ」

 

 対して。

 ニニャは声を詰まらせて謝罪の言葉を述べようとする。するが、舌がもつれてしまって仕様がない。

 

「気にするな」

 

 アインズは、ニニャへ――そして、場に控えるメイドや宰相にも――確かに語り掛ける。

 

「むしろ、そうやってはっきりと言ってくれる方が此方(こちら)も嬉しい。おまえは少し遠慮が過ぎる。かつての君の仲間たちのように……とはいかないだろうが、それでも、一度は同じ冒険の旅に出た仲であり、おまえの姉が私に示した未来を思えば、これでもまだ足りないくらいだ。思っていることは率直に言ってほしい。何がおまえの心の棘になっているのか。私はおまえを知りたい……知らねばならないのだ」

 

 アインズは真摯に、思うままをぶつけてくれる。

 それに対して、少女はどこまでも卑屈に過ぎた。

 あまりにも自分が恥ずかしい。

 こんなにも立派な衣服を与えられ、最高級のもてなしを受けながら、ニニャには何もない。

 彼が語ってくれた自分の“魔法適性”という異能だって、彼の期待する結果を生み出せるかどうか知れたものではない。

 ニニャは絶望の淵を歩んでいる己を自覚していた。断崖の端に立ち、そこから飛び降りようとする精神異常者。それが自分だ。

 

「ごめん、なさい」

 

 ニニャはそれ以上何も言えず、部屋を飛び出していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やはり難しいものだな。人間の心というのは」

 

 ニニャが部屋を出ていくのを、アインズは止めるでもなく見送った。

 アルベドやナーベラルは、無表情の鉄面皮の下で描写不能な表情を滾らせているが、アインズから制止の視線や手ぶりを向けられては何も言えない。だとしても――アインズの言葉を遮り、厚情を反故にし、あまつさえ与えられた部屋から逃げ出すなど。

 黒髪のメイドは、とりあえず己の感情を無視して、至高の御身の差配を伺う。

 

「アインズ様」

「ナーベラル、すまないがニニャを探してきてくれ。彼女の実力と装備だと、城内のギミックに四苦八苦するだろうからな。私はここに残る」

「探査の魔法を使いましょうか?」

「まぁ……それは最終手段だな。とりあえず、あのドレス姿は城内では目立つからな。あまり歩きやすい格好でもあるまい。戦闘メイドのおまえなら、見つけ出すのは容易いはずだろう? 見つけ次第〈伝言(メッセージ)〉を飛ばせ」

「かしこまりました」

 

 言って、ナーベラルはヒールの音も高く廊下へと姿を消す。扉を閉めていく姿も直角に近い腰の折り方であった。

 

「……アルベド。よくぞ耐えられたな」

「アインズ様の教えによって、日々鍛えられておりましたから」

 

 そう宣う純白の悪魔であったが、その裏ではどれほどの青筋が浮かんでいるのか想像できない。鳴るはずもない喉を鳴らし、流れるはずのない冷たい汗を額に感じながら、アインズはニニャがああした原因を考える。

 

「それにしても……ここまで深刻だったとはな」

 

 ニニャは男装を好む。

 アインズはニニャの蘇生前から一貫して、都市散策の際にも、彼女に女の格好をさせたことはなかった。

 彼女の日記から読み取れた、ニニャの男装の理由。

 これは、ニニャとしては冒険者チーム内に不和を持ち込まないという意図もあったが、別に本気で性別を変えたいという志向によるものではなく、彼女の半生――姉を性目的に奪われた現場を目の当たりにし、その挙句の果てに訪れるだろうたった一人の家族の破滅を思えば、答えは単純だ。ツアレは今でこそナザリックに保護され、真に愛するものと巡り合い、その一子を儲けることが叶ったが、セバスが拾った時には襤褸雑巾よりも使い古された状態だったと聞く。

 ニニャは、自分もそういう対象として、男に抱かれる女として、自分がそういうものになることを恐れたのだ。

 姉は、村一番の器量よしとして――ついでに家族が妹しかいないため都合がよいと――評判の娘だった。

 故にこそ、領主の貴族はツアレを無理やりに我が物とし、幼い家族から引き放して、放埓と虐待と性暴力を加え続け、娼館に売り飛ばしたことでさらなる暴虐の底へ沈め落した。

 多感な頃の少女にとって、性というものそれ自体に強い忌避感を植え付けるのに、これは十分すぎるほどに苛烈な経験であったことは言うまでもないだろう。

 だからこそ、先ほど彼女はアインズの申し出をきつく拒絶してしまったのだ。

 ドレスを着て、男性のアインズに喝采されるなど、たとえ大恩人であろうとも、許せるような戯れではなかったわけだ。

 

「おそれながら、アインズ様。あの娘・ニニャの処置は」

「言うな、アルベド。彼女は私にとっての恩人であり、我がナザリックに多大な可能性を示したツアレの唯一無二の妹だ。無下に扱うような真似は絶対に慎め」

「承知しております。ですが、ニニャの心に巣食う憂いを払うのは、生半(なまなか)な手法では不可能な御様子。いっそのこと記憶操作を施すことも、視野に入れてよろしいのでは?」

 

記憶操作(コントロール・アムネジア)〉は、魔力消費量が膨大である点に目を瞑れば、非常に有用な手段と言える。人の思い出したくない過去や忘れ去りたいトラウマを除去するのに、これ以上に的確な魔法は存在しない。

 しかし、アインズはその提案をすげなく棄却する。

 

「それは駄目だ。記憶操作は下手をすると現在の人格や自己形成にも影響を与えかねない。私は今のニニャの在り方を尊重したい」

 

 たとえば、ある姉妹の記憶を「自分たちを救ってくれた魔法詠唱者の姿を“骸骨”から“仮面”の姿に変える」程度なら、それほど重篤な影響を及ぼさない。だが、ニニャの悪しき記憶――幼少期に姉を連れ去られたことで、貴族どもへの復讐に焦がれた記憶というのは、彼女の根幹をなす重大な出来事だ。これを何とか悪影響を及ぼさない感じに改変しようとするのは、至難である以上に不可能なことである。アインズの一日分の全魔力を消費しても無理だろう。ニニャは姉を連れ去られたことから始まった不幸から、今の人生を、人格を構築していった。姉が連れ去られることなく、貴族への復讐も果たさない平民の道を進んでいたら、まず間違いなく魔法詠唱者としての才能を開花することはなかっただろうし、下手をするとモモン――アインズと冒険をした記憶まで忘失する疑いもある。否、そうならないほうがおかしいだろう。今、こうしてアインズ・ウール・ゴウンの庇護下にある現状との整合性も失われたら、確実に記憶が破綻する……それはそれで、良いサンプルにはなるのだろうが、そんな勿体ないことはできない。

 記憶操作は、それだけ難しい魔法なのだ。

 

「焦ることはない、アルベド。すべて、私に任せておけばよい」

 

 委細承知した宰相は腰を折ってアインズの言葉に従った。

 こういう問題は焦っても何にもならない。

 それぐらいの常識は、アインズも持ち合わせがあったのだ。

 その時、意外にも扉を叩く音が聞こえる。

 もうナーベラルが仕事を終えたのかと驚くアインズだったが、フォアイルが開け放った先にあったものは、あまりにも意外過ぎた。

 

「こちらでしたか、父上!」

「パ……パンドラズ・アクター!?」

 

 黄色い軍服を身に着けた卵頭の異形が、宝物殿に詰めているはずの領域守護者が、三人の前に現れたのだ。

 

「ど……どうして、ここに?」

「デミウルゴス殿のご要望により、とある実験に参加させていただいておりました。これよりナザリックへと帰還する前に、父上にご挨拶を申し上げたく、拝謁に参りました」

 

 かつて至高の四十一人――アインズのかつての仲間たち――の捜索チームに組み込まれ、アルベドの副官を務めたこともある経歴から、パンドラズ・アクターは必要に応じて宰相と参謀にある程度の助力を乞われれば受け入れるという体制が公認されていた。

 しかし、アインズは自分が聞いたフレーズが少しばかり気にかかって、鸚鵡のように唱え返す。

 

「じ、実験だと? ナザリックの、宝物殿で行えなかったのか?」

「父上――宝物殿は至高の御方々の集めた至宝が集う聖域。我らシモベの実験に使ってよい場所ではありません!」

 

 息子のような存在の殊勝な心掛けに、アインズはとりあえず「お、おう」と頷く。

 

「そ、それもそうだな。用が済んだのであれば、早々に宝物殿に戻れ。あそこを留守にしておくのは、おまえも心苦しいだろうからな」

「ありがとうございます! それでは!」

 

 おやすみなさいと部屋を辞していく自分の創ったNPCが立ち去る背中に、何か嫌な予感を覚えてしまう。

 ニニャとあれが遭遇したら――などという可能性に震えながら、アインズはとりあえず、ナーベラルからの報告を静かに待つことにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ニニャはアインズの予測通り、そんなに遠く離れたところには行っていなかった。

 たった五階分を駆けあがるだけでもドレスというものは重く、そして煩わしい。足に纏わりつく布がひたすら邪魔なのだ。これが普段身に着けているものであればマシなのにと思ってしまう自分が、ひどく薄情に思えてならない。これはアインズが厚意で用意し、ナーベラルが見繕って着せてくれた最高級のドレスなのに。それだけのものを、感謝こそすれ邪魔に感じるなんて。

 

「戻った方が、いいよね……やっぱり」

 

 それでも、こんな姿は誰にも見せたくはなかった。

 ニニャは自分が女であることを呪わしく思う。女であるから姉は連れ去られ、女であるから自分は姉を守ることができず、女であるからそういう対象として見られることは、とんでもなく苦痛だった。冒険者になる以前から、髪を短くし、男のフリを続けてきた。そうしなければならないというよりも、そうしておいた方が自分にも他人にも都合がよかったのだ。そういう意味では、男の冒険者として旅を続けていた時は、多少面倒ではあったが、充実感があった。真に胸襟を開いていたと言えばウソになるが、仲間たちは姉を攫われた自分の事情を理解し、貴族への愚痴もそれなりに受け入れてくれたのだから、感謝してもしきれない。

 ……もっとも、彼らは自分の目の前で殺され、死んだのだが。

 

「はぁ」

 

 戻らないと。

 嫌な光景を思い出す頭を振って、瞼の裏に浮かぶ死相を追い払う。

 せっかくのドレスだけど、やっぱり別なものに着替えよう。下手に動いて破いたり汚したりしたら、どう弁償してよいかわからない。

 いや、確か昼間、アインズがこの都市やナザリックなどでパワーレベリングを行うから、生活に必要な資金や物資は心配いらないと話していたっけ。恩人の提案ということ以上に、魔法詠唱者としての教練を積めるというのが魅力的だったので、二つ返事で了承してしまったのだった。

 何にせよ、人から借りたものはしっかり元の状態で返さないと、だ。

 とりあえず部屋に戻ろうと(きびす)を返そうとしたが、ニニャは奇妙な感覚に囚われる。

 

「あれ?」

 

 それは異様な光景だった。

 自分は廊下を歩いていた。しかし、今の自分がいるのは、どう見ても先ほどの廊下の内装とは違っている。幅もだいぶ大きくなっていた。四人分が並んで歩けるものが、十人が並べるだけのものとなったと言えばわかりやすいか。

 大きな城だとは思っていたが、さすがにこれは異常である。

 自分の感覚が馬鹿になってしまったのかと危惧したが、

 

「……幻術、かな?」

 

 ダンジョン探査などで、ごくまれに、マジックアイテムなどで奇妙な罠を張り巡らせたものがあることは、冒険者界隈では有名な話だ。当然、ニニャもそういう話は聞いていたし、実際に体験し体感したこともある。

 けれど、まさか都市の城の中にそういうトラップが張り巡らせてあるなんて言うのは聞いたことがない。昼前に簡単な説明を受けた時はとても信じられなかったが、実際に体験してしまうと何とも言えなくなる。

 これは魔導王の都市での居城すべてに言えることだが、城はナザリックほどではないが魔法的な防衛機構が敷設されており、万が一の襲撃などにも即応できるように常時発動されている。ニニャが体験したこれは、次元移動というよりも位置接続を応用した罠で、上階の廊下から下層階の廊下への転移を強制したものである。当然ながら、この罠というのはナザリックのシモベ基準だと抵抗・無効化するのも容易い部類のものに過ぎないため、専用の対策など無用である。例外である城内のメイドたちは罠から除外される効果を増設した魔法のメイド服を与えられているので、まったく問題はない。だが、ニニャはそういった加護を受けていない。というか、直前になって着替えてしまっていたので、そういう装備をつけ忘れてしまっただけなのだが。

 己の居城にまでこれほどの魔法を施してしまえる魔導王の実力に畏怖しつつも敬服してしまうニニャは、ここが何処なのか知りたくて、窓の外の小さなバルコニーを目指した。

 すると、誰かの声が聞こえてくる。

 

「ナーベさん?」

 

 バルコニーから下の中庭を覗き見ると、黒髪のメイドが黄色い衣服――軍服――に身を包んだ誰かと話し込んでいた。

 美しい噴水の前に佇む二人はとても仲睦まじく見える。少なくとも、月明かりの中でもわかるほどに頬を紅潮させた乙女を見るのは初めてのことだ。

 ナーベラルと対面している人物は、ここからだと帽子が影になっていて、その容貌を把握することはできない。コートから覗く手指が異様に長い気もするが、見間違いだろうか。彼――声の感じから男性――と話し込んでいる少女の様子はとても朗らかで、何の警戒も恐怖も抱いておらず、むしろ待ち侘びていた者との思わぬ邂逅に色めき立ってすらいた。その様は何故だろうか、(ツアレ)(セバス)と話している時の表情と重なってしまう。

 一目見て、理解(わか)った。

 

「ナーベさんの、いい人、かな?」

 

 アインズにアルベドがいるように、ナーベにも素晴らしいお相手がいたことに、ひそかな衝撃を受ける。ルクルットは玉砕(?)する前から勝ち目なしだったわけだ。かつての仲間が悔し涙を流す様子が目に浮かぶ。

 ナーベラルたちは最後に、互いの両手を握り合って別れの挨拶を交わす。

 陶然として、ピンと張り詰めていたポニーテールを柔らかくする少女の横顔に、ニニャはしばし見入ってしまった。

 そこにあったものは、恋する者のみに許された、とても幸せな表情(かんばせ)

 思わずうらやましくなってしまうほどに、乙女の表情は美しく、そして暖かだった。

 

「……いいなぁ」

 

 ニニャは自分が女として見られることを嫌っている。以上に、恐怖すらしている。

 けれども、ああして幸せそうな乙女の姿を間近に見ると、自分もそうなりたいなという衝動に、不意に襲われることがあるのは、至極当然な反応であった。

 ナーベラルのいい人は、颯爽とした身振りで乙女と別れ、何処かへと姿を消した。

 瞬間、ナーベラルの姿も消えた。

 

「探しましたよ、ニニャさん」

 

 降って湧いた声は、ニニャの眼下から消え去ったメイドのものに他ならない。

 転移魔法によって少女の背後に現れたナーベラルは、先ほどまでの昂揚とした様子が噓のように涼やかな表情を(あらわ)にしている。

 

「ナーベさん、すいません。覗いてしまって」

「別に……謝られる必要など、ありません」

 

 ナーベラルは怒ってなどいなかった。

 むしろ、少女が逃げだしてくれたことに感謝すら述べそうなほどに充実した表情で、ナーベラルはニニャに手を差し伸べた。

 はじめて――はじめて自分に向けられたナーベラルの微笑に、ニニャは数瞬の間だけ目を奪われた。

 

「部屋へ戻りましょう。アインズ様がお待ちです」

 

 恋する乙女(メイド)の表情はすぐさま硬く変質してしまったが、ニニャはナーベラルの意外な一面を見られ、安堵すらした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌朝。

 ニニャはありえないほどに柔らかな寝台の上で、小鳥の鳴く声よりも先んじる時計塔の鐘の音で、目が覚めた。まるで交響楽のような美しい音色に意識が透き通っていくほどの覚醒を味わう。

 鐘の音が止み、体を起こした瞬間、寝室の扉を叩く音が耳に心地よい。

 

「お目覚めですか?」

「はい……大丈夫です」

 

 ニニャは一応、自分の着崩れた白い服――結局、ドレスからバスローブに着替え直した――を整えて、入室を許した。

 

「おはようございます」

「おはようございます、ナーベさん」

 

 現れた黒髪のメイドは部屋の窓のカーテンを開き、未だ太陽の昇りきらぬ朝の薄明りを室内に取り入れた。ナーベラルはやはり涼しげな表情で、ニニャの世話を務め始める。

 メイドに導かれダイニングに向かう。すでに用意されていた朝食のパンとサラダ、温かなビーフシチューを平らげ、食後のデザートとホットマキャティアを嗜む。どーなつという油で揚げた菓子の甘さは絶品だった。こんなおいしい食事を、しかも毎日のように用意できるアインズたちの台所事情は驚嘆しても驚嘆し尽くせないと思い知らされる。

 食後の一服に至るまで、ナーベラルはメイドらしく謹直な立ち姿を崩さない。ニニャは割と早い時間に起きたはずなのだが、彼女はそれ以前からこれらすべてを用意していたのかと思うと、本当に申し訳なく思う。ナーベラルに食事はいつ済ませたのかと問うと、驚くことに飲食は不要なのだとか。それもすべて、アインズから賜った装備のおかげなのだと聞かされると納得せざるを得ない。

 バスローブ姿から新たに用意された服は、着慣れた男装。ナーベラルの手でしっかりと袖を通されるのだが、こうして着替えまで世話をされると自分が小さい子供か着せ替え人形のようなものになってしまったような気がして面映ゆかった。着付けを担当しているナーベラルは真剣そのもので、余計な笑みやおしゃべりをこぼすのも憚られる。同性とは言え他人に裸にされるというのは、胸の奥がじりじりしてたまらなく苦手なのだ。

 身支度を整えたニニャを、ナーベラルは部屋の外へ導く。

 ナーベラルの主が、魔導王陛下が待っていると告げられれば、否も応もなかった。

 ニニャはナーベラルに先導されるまま、アインズの待つ地への道を進む。天の橋を渡り、アンデッドが世話する花園を通り、ウッドデッキのテーブルセットに腰掛けていた彼と再会する。

 

「おはよう、ニニャ」

「おはようございます、アインズ様。……昨夜は、すいませんでした」

「気にすることはないさ、ニニャ」

 

 アインズは傍に控えている一般メイドに、空になったコーヒーカップと小皿を下げさせる。

 

「食後すぐで申し訳ない。早速だが、はじめるとしようか。我が魔導国最新鋭となる、魔法の授業を」

 

 昨夜、ニニャたちが戻った折に確約していた事柄をアインズは遂行する。

 少女は僅かな緊張を額の汗として浮かべつつ、きっぱりと頷いてみせた。

 

 

 

 

 

 ニニャはアインズが魔法都市カッツェでの政務に没頭する傍ら、魔導王陛下その人から、魔法についての手ほどきを、パワーレベリングを、受けた。魔導王としての政務がある時は、彼女の小間使い(レディースメイド)兼護衛として派遣された、戦闘メイドの中でも最高位の魔法詠唱者であるナーベラル・ガンマに、ニニャの教練が任されている。

 もと(・・)“漆黒の英雄”たる魔法詠唱者二人から受けた魔法の授業は、この世界に広く伝わるそれとは些か以上に意義を異にするもので、かつて帝国の魔法学院や王国の個人塾で開かれていた座学とは違っていたが、ニニャはその才能のおかげか、割とすぐにその授業方法に馴染んだ。アインズたちは教官系職業を持ち合わせていない為、これはニニャ本人の能力“魔法適正”が大いに働いてくれたことは言うまでもない。

 そして、いかに本職の教官ほどのスキルは持ち合わせていないとしても、この世界においては超絶の力を持つ二人の魔法詠唱者が行う授業というのは、それだけで尋常でない魔法の知識をニニャに施し、破格の経験値を少女に供与するようになる。

 

 

 

 ×

 

 

 

 この(のち)、一度は死んだはずの冒険者『術師(スペルキャスター)』ニニャは、復活から僅か数ヶ月という期間で――未だ十代の年齢でありながらも――逸脱者の領域にほど近い、第五位階魔法を習得するまでに至るのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

               【第二章へ続く】

 

 

 

 

 

 




ここまで読んでくれたあなたに、感謝の極み。

第一章”『術師』の復活”終幕です。

続く第二章”ナザリックの婚姻制度”にて、お会いしましょう。

それでは、また次回。       By空想病

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