第1話
ナザリック地下大墳墓、第九階層の使用人室の一室で、ニニャはベビーベッドの中で寝入る赤ん坊を見ていた。
「もうすぐお出かけだよー、楽しみだねー?」
言葉にはしかし返答などない。
代わりに赤子は、「叔母」である少女の人差し指を握る力を少し強める。
そんな様子までもが愛らしく、ここに存在する命の尊さを強く想起させられた。
マルコは実に活発な赤子だった。よく泣き、よく飲み、よく出し、そうして、よく眠るのだ。
竜人と人間の合いの子は、今のところ普通の人間の赤子と遜色ない成長速度を維持している。ペストーニャなどの日常的な定期健診に加え、長年の異種交配実験に一筋の光明を見出したデミウルゴスも、その成長記録を残すことに対し、執念にも似た情熱を滾らせている。暇を見つけてはツアレとマルコ母子の観察と手伝いに励み、時間が経てば自分が統治を信託されている生産都市群に転移を用いて帰還するというのが日課になっていた。二人がマルコを授かる起因となった世界級アイテム“ヒュギエイアの杯”を貸与されている身の上ということもあって、その様態はほとんど主治医じみた気概が伴っている。
マルコは、この世界でおそらく初めて誕生した、人と異形の混血だ。
その価値はあまりにも莫大で、その意義深さは底が知れない。
それほどの寵児を「姪」にもつことになった少女は、そこいらの都市で見かける赤子とまったく変わらないような――だがそれ故に、等しく大いなる将来の可能性を
ニニャは眠る赤子の髪を撫でる。
極上の絹よりも柔らかい指通りが掌をくすぐった。未だ生え揃っていない
「お待たせ」
「おかえり、姉さん」
ナザリックで産休し、マルコの養育に一身を賭す姉は、メイド服ではなく礼典用の私服に身を包み、赤子を抱くためのスリングを肩にしながら、家族たちの許へ。
「忘れ物はない?」
「おしゃぶりも、替えのおしめも、消毒用の
「粉みるくは?」
「哺乳瓶とポットと一緒に、バスケットの中」
「じゃあ、目を覚ます前に」
「ええ」
二人は慎重に、繊細な赤子をスリングに包む。
マルコはよく眠るが、当然ながらよく起きる子でもある。
そうして起きたら、とんでもない勢いでぐずりだすのだ。
まるで竜の咆哮のような大叫喚は、否が応でも彼女が竜人の血を受け継いでいることを理解させる。
消音の魔法をかけた“おしゃぶり”をマルコに与えていないと、軽くめまいを覚える者もいるくらいといえば、その威力の程が知れるだろう。両親たる二人――母たるツアレには、さしたる脅威になっていないというのが不可思議と言えば不可思議である。デミウルゴスあたりはこの案件を要研究としている。
何はともあれ、無事にお出かけの用意を整えた三人は、静かに、ナザリックに新たに設けられた転移の間に向かう。
「大丈夫、姉さん?」
「ええ。マルコは軽いから、これくらい平気よ」
マルコは他の赤子と比べて持ち上げるとあまり体重を感じない子なので、連れ歩くのにはそこまで苦労しないのだが、逆にいうと、体重が軽すぎるのは健康に悪影響がないか心配にもなる。デミウルゴスやペストーニャの管理には絶対の信頼を置いているので、二人ともあまり気にはしていないのだが。
バスケットを携え、転移の間にたどり着いたニニャは、そこにいたメイドの一人に声をかけた。
「ナーベラルさん」
ニニャの小間使い兼護衛兼魔法教師を務める黒髪の乙女は、相も変わらず見事なメイド服姿で三人を待っていた。他にも、ユリ・アルファとシズ・デルタ、二人の戦闘メイドの姿が。
彼女たちは慇懃に腰を折ると、戦闘メイドを代表して長姉が声を発した。
「これより、城塞都市での警護には我々が付き従います。どうぞ良しなに」
ニニャとツアレは、共に恐縮して腰を折り返してしまう。
そんな遣り取りを終えると、
「…………マルコ、触ってもいい?」
「こら、シズ」
一番上の姉が
「ええ、もちろん。でも、そっとですよ?」
まるで小さい子に言い聞かせるようにツアレが許すと、シズは右目を輝かせながら、母に抱かれる赤子の頬に指を伸ばした。ぷにぷにとした感触がたまらないらしく、シズは表情こそ変えないが、その声音は蕩けたように柔らかさを増す。
「…………やっぱり、柔らかい」
「まったく、この子は。ごめんなさいね、ツアレ」
謝られるツアレは、同輩であるメイドたちに微笑みを向けて応えた。
「さぁ、行きましょう」
ユリのきびきびした口調と姿勢に導かれ、一行はひとつの
六人が転移した先は、城塞都市エモット。
そこでアインズが待ちに待ったイベント、エンリ・バレアレの出産祝いの祭りが、盛大に催されるのだ。
城塞都市エモット。
かつては100人程度の人口しかなかった地方の寒村に築かれた城塞を第一の要害として、魔導国の国土――ナザリック地下大墳墓の隠蔽と防衛のため――に編入された歴史を持つ、大陸最大最上最強規模の都。この都市の基盤となった村をアインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下御自らが危機を救い、支援と助力を惜しむことはなかったが、その第一動因となったとある姉妹の存在に着目する者など、数年前はほとんどいるはずがなかった。
だが、救われた少女らの姉は、とある魔法のアイテム――小鬼将軍の角笛を下賜されたことから、その運命を目まぐるしく流転させることになった。
召喚したゴブリン軍団の主人として崇敬され、村の族長の役職に就き、オーガたちなどを傘下に加え、数々の難行と偉業の果てに、少女は普通の人間でありながらも亜人や異形と心を通わせ、その力は近隣諸国を攻め落とすことも容易な兵団を呼ぶまでに至った。
5000人のゴブリンたちからなる大軍団。
軍師、一人。医療団。重装甲歩兵団。聖騎士隊、十七人。騎獣兵団。長弓兵団。魔法支援隊。魔法砲撃隊、五人。暗殺隊。近衛隊――十三レッドキャップスが一人。軍楽隊。
正直なところ、近衛のレッドキャップス一人だけでも小国の軍を打倒しうるという過剰戦力ぶりである。この軍団とまともに戦えるものなど、大陸内ではほとんど存在しないレベルであったのは言うまでもない。
少女は、数国を滅ぼすに足る強大無比な軍事力を備え、その力を魔導国国主にして、救済者であるアインズ・ウール・ゴウンにより認められ、ナザリックの外、魔導国国土の一部を治める資格を持つ強者――「外地領域守護者」の役職を賜ることになったのである。
そんな少女には、一人の恋人がいた。
名は、ンフィーレア・バレアレ。
現在、魔導国で広く普及している、まったく新しい
ニニャたち六人が転移した場所は、城塞内部の転移の間である。
魔法都市カッツェと似たような構造であるが、この城塞は造形美というよりも機能美に特化した建造方式を採用されており、まさしく、ナザリックを守護する領域を鎮護する要塞の装いを設えていた。
「こちらです」
ユリに先導されたニニャもそうだが、ツアレもまた、この城に赴くのは初めてのことだ。
ツアレはかつての
転移の間を出たニニャは溢れる好奇心から、巨大な窓辺から眼下に見える光景に目を奪われる。
「う、わぁ……」
ここがかつて、自分も訪れたことのあるカルネ村だと聞かされて知っていたが、それでも度肝を抜かれてしまう。
あの魔法都市カッツェを数倍した裾野に広がる城下の光景。
城内の修練場として開放された芝生の上を見る。鎧を着た人間たちの数倍の数に膨れた亜人たちの軍団が
分厚い黒壁の向こうに、やっと街の様子が見えた。魔法都市の壮麗な様にも負けない、ひとつの意志によって築かれた街並みは、やはりニニャの想像をはるかに超える規模で展開され、山を湖を呑み込んでいる。その全貌を推し量ることは、もはや不可能であった。
驚いても、驚いても、尚足りない。
ニニャは自分の認識がさらに打ち壊されていく感覚に、一種の慣れすら感じ始めていた。
「すごい……」
「話には聞いていたけど……」
ニニャの隣にいつの間にか並んだツアレも、眼鏡の奥の瞳を見開いていた。
「二人とも、こちらへ」
ユリら三人に呼ばれ、ニニャとツアレは転移の間を抜け廊下に出る。
廊下は石畳の上に絨毯を敷かれており、六人はその上を進むのだが、その通りすがりに鉢合わせた亜人の集団が、通路の脇に寄って、敬服の姿勢として片膝をついていく様に、人間の姉妹は率直に驚嘆してしまう。ユリたちはまるで空気を見るかのように亜人たちの戦士たちを流し見ていく感じからすると、ここではこれが普通なのだなと納得するしかない。
亜人たちは基本的に、人間種を劣等と蔑み、食料と見做して暴虐の限りを尽くすというのが、かつてニニャが教わった常識であった。
しかし、屈強な獅子の頭が首を差し出し、膨れた巨体を屈める
あれだけの戦士団に恐れられる魔導王の配下であるメイドたちの強さというのは、ニニャも僅かに知っている。ナーベラルに魔法の教練の一環として、第八位階魔法を披露された時のことを思い出せば、いやでも彼女たちの強さが異様であることを知らしめられるというものだ。ナーベラルの姉妹が、彼女と同等の力の持ち主であることなど想像する必要もないほどに必然的である。
一行はやがて、大きな階段をひたすらのぼる。
この城の主が待つだろう玉座か居室だかを思い浮かべて僅かにでも驚愕を減らそうと思案したニニャであったが、意外なことにユリたちは屋上にまで階段をのぼりきってしまう。どうしたことかと先導が道を間違えたかと逡巡する少女に構うことなく、ユリは屋上へ続く扉の前に待機していた
一行は、城塞の屋上に建立された領域守護者たちの邸宅にたどり着いた。
ニニャはその意外な光景に目を瞠る。
そこにあったのは、まるで村だった。
太陽の光を燦然と浴び、五つほど並んだ、城に比べれば圧倒的に小さな、しかし頑丈そうな造りの簡素な家の群。
刈り込まれた芝生に、花々や樹木が植えられている。影には小鳥や小動物の姿もあった。
その中でもとりわけ大きな二階建ての家にユリたちは迷うことなく進んだ。放し飼いにされているらしい牧畜のような有角の獣の視線が一行を追っている。
ユリが、玄関に備えられたベル――どうやらマジックアイテムらしい――を鳴らして、そこに住まう者に来訪を伝えた。
「はーい。今、あけまーす」
極めて平凡そうな少女の声が、家の奥から聞こえる。
現れたのは、三つ編みを一房だけ結った、十代半ばくらいの愛くるしい少女。
「お久しぶりです、ユリさん、ナーベラルさん、シズさん、ツアレさん!」
活発で人好きな笑みを浮かべる少女は、見知った者たちの他に、
「はじめまして、ネム・エモットといいます!」
彼女は外地領域守護者エンリ・バレアレの、旧名エンリ・エモットの妹である。
「は、はじめまして」
ニニャは僅か気圧されるように声を絞り出した。ニニャと同世代と思しい背格好だったが、ニニャはかつて、カルネ村を訪れた際にも顔を合わせていた。
冷静に考えれば当然だ。
カルネ村を訪れたのは数年も前の話。
おさげが似合っていた十歳前後の幼女が自分と同世代になっていても、考えてみれば不思議でも何でもない。……いや、十分不思議なのだが。
記憶の齟齬を冷静に修正しつつも、ニニャはネムの活き活きとした様に面食らってしまっていた。
「ツアレさん、出産おめでとうございます! でも……何で教えてくれなかったんですか?」
「ごめんなさい。ちょっと事情があって」
ツアレの懐妊と出産をアインズあたりから聞いていたのだろう。ネムは彼女が抱く赤ん坊を、興味津々な眼差しで見つめ笑みをこぼす。
「マルコちゃんも、はじめまして」
潜めた声は実に涼やかで、しかも大人びていながら心地よく響く。
少々混乱しながらも平静を取り戻すニニャの前で、ユリは無表情なメイドらを代表し、笑みでもって挨拶に応じた。
「お久しぶりです、ネム様――アインズ様とエンリ様は?」
「アインズ様とお姉ちゃんは、いま二階にいます。お義兄ちゃんたちも一緒ですね」
すぐにお茶の準備をしてくると言って、快活な笑みは一行を二階に向かわせると、家の奥へ姿を消す。
客人を案内する必要などないと判っていての行動なことは、言うまでもなかった。ユリは慣れた様子で家の中に進み入り、他のメイドも姉を追って木造の階段をあがっていく。ニニャとツアレもそれに続いた。まるで親戚か何かのような待遇だが、ここではこれが普通なようである。
二階はほぼ全体がダイニングという開放的な構造になっており、目当ての人物たちは容易に発見できた。
「思ったよりも早かったな、おまえたち」
「アインズ様。ユリ・アルファ以下六名、御身の前に馳せ参じてございます」
大きなソファにゆったりと体を預ける主人に、ユリたちは臣下の礼として片膝をついていく。
マルコを抱いたツアレ、そしてニニャも、その儀礼に則った。
続けざまにユリは、アインズと応接机をはさんで対面するようにカウチに腰掛ける女性に声をかけた。
「本日はご招待いただきまして、誠にありがとうございます。エンリ様」
「ご招待だなんて、とんでもない」
長かった栗毛色を短めにカットした、一見するとただの村人の女性にしか思えない朴訥とした装いの女性は、ツアレと同じように乳飲み子を“一人”抱いて、慈母のような笑みを一行に差し向けている。
彼女こそ、この城塞都市エモットを治める都市長にして、ナザリック外の存在で初めて外地領域守護者の地位を賜った女傑であり、ゴブリン兵団などの軍事力を掌中に握る比類なき軍団統治者――実態はただの村娘だったなんて、誰も信じないだろうが――なのである。その証として、彼女はアインズから下賜された角笛と共に、アインズ・ウール・ゴウンのギルドサインを彫刻した魔法のネックレスを首から下げていた。
ナザリック訪問時、領域守護者就任式典時などで戦闘メイド三人とツアレは、エンリと面識を得ている。
そして、ニニャもまた、“漆黒の剣”の最後の冒険の際に、彼女と、その夫である少年――今では立派な青年である――ンフィーレア・バレアレと、顔を合わせていた。
ニニャは、“もう一人”の乳飲み子を抱きながら立ち上がる青年ンフィーレアに、目が釘付けとなる。
「お久しぶりです、ニニャさん」
研究に没頭するあまり、長く伸ばされっぱなしになっていた前髪は、今では適正な長さにカットされており、その奥に潜めていた美貌を隠すことはなくなっていた。
「話には聞いていましたけど、あなたもアインズ様に助けてもらえたんですね。よかった」
「はい。あの、えと……おかげさまで?」
「あらためてご紹介します。僕の妻の、エンリ・バレアレ」
「あらためまして、ニニャさん。もう何年ぶりでしょうか?」
健やかに笑う夫婦は、続けざまに腕の中で小さな手を伸ばして遊ぶ“双子の姉妹”に目を落とす。
「そして、この子は、アイ・バレアレ。エンリが抱いている子は、ンズ・バレアレ」
アイ、そして、ンズ。
ニニャは咄嗟に、その名づけの由来を把握することができた。
「アイ……ンズ?」
「ええ。アインズ様にお許しを頂き、この子たちの名前に付けさせてもらったんです」
二人が結婚し、子をすでに産んでいることは伝え聞いていたが、まさか双子だったとは。
驚きながらも微笑むニニャを見つめるアインズは、エンリたちの名づけを笑うに笑えない。
アインズとしては。
アインズの名は、かつての仲間たちと決めた思い出の結晶ではあるが、実際には仮の名だ。アインズ個人への恩義から子らにその名を受け継がせようとする二人の意思は尊重に値するが、つけられるのはやっぱり仮の名だ。しかし、アインズ・ウール・ゴウンという名には嘘も虚飾も偽りもない。であるなら、アインズは胸を張ってもいいのだろう。だからこそ、二人が我が子二人にアインズの名をつけることを許したが……なんというか……
「まったく、おまえたちは。
私の名を使わずとも、もっと別の名をつけても良かったのではないか?」
とりあえずの苦言を呈するアインズであったが、応じる二人の表情はどこまでも晴れやかだ。
「私たちは皆、アインズ様に命を救われ、こうして生きることができたんです」
「ゴウンさんがいなければ、この子たちも生まれることはなかったと思うと……やっぱり、この名前しかないだろうと思って。みんなで相談して、決めたことなんです」
二人の気負ったところのない言葉に、アインズは面映ゆそうに頬を掻く。
ニニャは理解する。
アインズの顔面は、いつものようにアンデッドの骸骨のそれであるが、二人はまるで意にも介していないように微笑みの相を深めている。幻術対策が未だ整っていないニニャが見ている光景は、確実に現実のそれだ。二人は魔導国の国主が、自分たちの恩人にして強大な魔法詠唱者である彼が、アンデッドである事実を完全認識していることになる。
人と異形が手を取り合える理想国家。
その縮図が、ニニャの眼前に広がっているのだ。
ふと、アインズは指先をこめかみに伸ばし、虚空に視線を彷徨わせる。
「アルベドか……わかった。皆を連れてすぐに会場へ向かう。〈転移門〉の用意を頼む」
〈
「すまない、ネム。向こうの準備が整ったようだ。悪いがユリたちへの茶は、向こうでいただこう」
「わかりました、アインズ様」
ネムが勢いよく頷くのと同時に、ダイニングから外へと開放されたテラスに、黒い靄のような空間の裂け目が浮かび上がる。転移魔法の中でも最上級に位置する〈転移門〉からは、純白の悪魔がしずしずとした歩調で姿を現し、主人たちへ会釈を送る。
アインズは朗らかな口調で全員を導いた。
「そろそろ祭りの時間だ。全員、会場へ向かうぞ」
正午を告げる鐘の音と共に、都市の噴水広場に特設された主会場にて、彼女は拡声器――マイクスタンドの前に姿を現す。傍らに夫のンフィーレアと妹のネムが従い、二人はそれぞれ、この祭典の主役たる双子を抱いていた。
深く息を吸い込む女は、どこか子供っぽく、されど都市を治める長としての威厳に満ちた声を張り上げる。
「これより! 祝賀会を開催します! 皆さん、十分たのしんでください!」
城塞都市エモットの都市長、外地領域守護者エンリ・バレアレが二子に恵まれたことを祝賀する祭りは、エンリ自身の短くも堂々とした宣言と共に、盛大に開催された。
居並ぶ人が、亜人が、異形が、雲が割れんばかりの歓声を上げて、魔導王陛下御自らが下賜した魔法の乳児服を着せられた双子の誕生を祝う。
わけても、エンリの側近として忠誠を誓う5000人のゴブリンたちの感激ぶりは突出していた。近衛隊隊長のジュゲムが同隊のレッドキャップスと肩を組み、軍師やコナー、ブリタやアーグたちがジョッキを打ち鳴らして快哉を叫ぶ。通りを練り歩く軍楽隊の演奏は、最初からクライマックスのような大音量だ。花火が盛大に打ち上げられ、魔法の花吹雪を会場どころか都市全体に降り注がせていく。
「すごい熱気だね」
ニニャは感嘆の声をあげるしかない。
「本当ね」
妹と共に貴賓席に座るツアレも、同意見だった。
朝早くから訓練に勤しみ、演習を繰り広げていた兵士たちも皆一様に、パレードの大歓声に加わっていた。空を駆ける航空騎兵――実体を得ている
ニニャは特設ステージで魔導王たるアインズ、そしてセバスをはじめ居並ぶ守護者各員と共に、各都市長や有力者らしい人や亜人や異形と簡単な挨拶や遣り取りを行うエンリを見つめる。こういう時の儀礼や作法にはとんと疎いただの魔法詠唱者のニニャから見ても、その様は堂に入った態度で、思わず尊敬してしまう。
あれが数年前まで、ただの小さな村の村娘だったなんて、考えるだけで凄すぎる。
エンリとアインズは、白銀の全身鎧を纏った奇怪な――こういった場で兜を脱がないというのは、さすがにニニャの目から見ても礼を欠いていると判る。否、もしかしたら魔導国ではあれが礼儀に適っている可能性もありえるが――人物と親身に何か話し込んでおり、その人物とは余程の友誼を交わしていることが推察できた。隣に立つ人物は、鎧の人の友人だろうか。
ニニャの視線は、広場を埋め尽くし、目抜き通りを南へと進むパレードを眺める。パレードは、城塞都市全域を平等に練り歩くと聞く。かつてはモンスターに襲われる危険もあった街道は、いまではすべて都市内部に組み込まれており、北はアゼルリシア山脈の麓、湖上に築かれた新都市から、南は三重の城壁という堅固な守りを布いていたエ・ランテルに至るまで、すべてが城塞都市エモットに再編されているとのこと。
その都市中央の草原――不可侵領域として、ほとんど誰の立ち入りも許可されていない場所の何処かに、ニニャが蘇生を果たしたナザリック地下大墳墓が存在しているのである。
つまり、現在ナザリック地下大墳墓へ侵攻しようとするならば、広大な草原を守護する、さらに広大無比な城塞都市を突貫する必要に迫られるわけだ。大陸が魔導王によって平定された今では、敵対勢力など何処にも存在しないのだが。
にも拘らず、魔導国は、アインズは再三再四にわたって軍拡を続ける旨を、ニニャに語って聞かせていた。
ニニャは不思議でならなかった。
これだけの力を、これだけの民を、これだけの魔法を、これだけの技術を保有する大陸国家が、さらなる軍備拡大に邁進する、その理由。
「ニ~ニャ~さんっ!」
「わっと!」
思わず、肩を震わせるほどに驚いた。
振り返った先には、活発な笑みを浮かべた少女の姿。
「ネ、ネム、さん?」
「一緒にお祭り、見て回りませんか?」
同年齢――もしくは年上――に成長したネムは、同じ妹同士で親交を深めようと誘いに来たようだ。
「いや、でも今日は姉さんとマルコに」
「私たちのことは気にしないで」
ツアレは妹の懸念を笑顔で否定した。
「私たちには戦闘メイドの皆がついているし、ネムちゃんにこの都市を案内して貰ったら?」
「……いいの?」
遠慮がちに姉とネムを見比べる。
ユリやナーベラル、シズの三人も微笑と瞑目、首肯を返してくれた。
「じゃあ、お言葉に甘えて」
好奇心に負けて、ニニャは首を頷かせた。
にっこりと微笑むネムに手を引かれ、喧噪渦巻く都市の祭りに駆り出される。
露店巡りにパレード見学、亜人たちの異種格闘技に、エルダーリッチたちの魔法の人形劇が見所なのだとネムは語る。
都市長の妹を護るように侍る屈強なゴブリンの護衛たちにどぎまぎしながらも、ニニャは新たな友人と共に、とても楽しい時間を過ごした。
やはり、ネムに頼んでおいて正解だったな。
アインズは内心で、自分の見事な差配ぶりにほくそ笑む。
「どうかしたのかい、アインズ?」
「いや、なんでもないさ。ツアー」
それまでの戦歴を示すかのような、傷だらけなれど降り積もった年月の重みが美しい白銀に輝く鎧をアインズは見やる。がらんどうの奥から響くような声に、魔導王は内心を隠すことのない朗らかな口調で応えた。
「ああ……あの
「そうだ。君に創ってもらっている指輪を与える魔法詠唱者だ」
全身鎧は納得したように首肯すると、兜のスリットの奥にはない、別の場所にある細い瞳を細めた。
「すまない、アインズ。友人の頼みはできる限り叶えたいけれど、指輪の製作はまだ――」
「難しいという事情は判っているとも、ツアー」
だが、不可能ではないはずだ。
そのために、アインズも協力を惜しむことはない。
ツアーが創れる“
ツアーは同盟者たる魔導王の言に笑みの気配を声にした。
「まったく。君の要求は毎度、ぼくを驚かせてくれるね」
「そうかな?」
「死霊術師というのは、竜王を驚かせるのが生業だったりするのかな?」
「それは……ふふ、どうだろうな?」
アインズは彼の言葉は否定しなかった。実際、自分の要求や提案が彼を驚かせたことは一度や二度ではない。
二人は笑みを浮かべ、在りし日の戦いに、その時に犠牲となった者らを等しく思い起こしていた。
亡き友人を思い起こす自分に苦笑しつつ、鎧は来た時と同じく軽い会釈を送る。
「そろそろ僕らは行くよ。都市をただ巡るというのは久しぶりだから、じっくり見ておきたいし」
「じっくりと見たいなら、宿をとらせようか? この都市最高の宿屋、バレアレ商会が誇る“小鬼たちの護り亭”に部屋を用意させるが?」
「気遣いには感謝するよ。けれど、ぼくも彼女も、休息の不要な体だ。君の手を煩わせるのも心苦しいし」
「それもそうだったな。要らぬ世話を焼こうとして、すまない」
「なんの。なんの。それでは友よ、僕らはこれでお
一週間後にまた会うことを確約しながら、ツアーの鎧と、鎧に同伴していた仮面にローブで全身を覆う娘は去っていった。
アインズは彼らを見送った後、広場を、そして都市を眺める。
少なくとも七日七晩は続けられるという祝賀祭は、まだ始まったばかりである。