千冬の心遣いにより、午後からの時間を学園見学に当てることになった兼一は戸惑っていた。
それは何も急に暇ができたからという理由ではない。そもそもこの空いた時間にはちゃんとした用事が設けられているのだから、戸惑う必要性は皆無なのだ。
では兼一は一体全体何を困惑しているのだろうか?
「どうしたんですか白浜先生」
その原因は、兼一の隣を歩き案内をしてくれている少女にある。
少女の名は更識楯無、この学園の生徒会長であり対暗部用暗部『更識家』の当主であり十七代目の『楯無』である。この水色の髪を外にはねさせている、猫のように気ままな少女と兼一の間は浅からぬ因縁があった。
「いや、そうやって気当たりをぶつけてくるの止めてもらえないかな。前よりも鋭くなってるってば。なんかその内、襲い掛かってきそうなぐらいあるよ」
「いえいえ、白浜先生に襲い掛かるだなんて、それはもう裸で宇宙に飛び出すのと同じ意味じゃないですか。そんな命知らずなことするわけないですよ。これはただの遊びです。あ、でも、あの日の雪辱を果たす機会も当然窺っていますから」
兼一に子供の様な理屈でそう返す楯無の手に握られた扇子には『虎視眈眈』と書かれていた。
先程の因縁とは少しばかり言葉が過ぎた。
この二人は数年前に出会った際、不幸な行き違いにより衝突した。その時、『子どもと女性は殴らない』という兼一の信念によって、一方的に殴れる状態であったにもかかわらず、楯無はいいようにあしらわれたのだ。
その誤解はすぐに解けたのだが、楯無はそれからというもの、時間を見つけては兼一の元に押し掛けるようになった。
そしてその度、自分の成長を見せつけるかのように、敵意を込めた気当たりをぶつけてくる。
とは言っても達人である兼一と、いまだ妙手に到るかどうかという楯無の実力には大きな隔たりがある。具体的には、兼一が目を閉じ、攻撃を大振りにし、心肺機能を意図的に鈍くし、機動力を亀並みにしても楯無が勝てる見込みはゼロに等しい。そしてそんな状態の兼一に一発いいのを当てることができれば、その日はある種の記念日になるだろう。
更に言えば、その差は現在進行形で広がっているのである。
であるから、これは楯無本人の言葉の通りただの遊びなのだ。ちょっと困らせてやろうという程度の戯れなのだ。
だが、毎回鋭くなる気当たりを受ける方としては、そろそろお灸を据えてやらねばと思い始めている。
そんなことをおくびにも出さず、兼一は言葉を返した。
「ハハハ、その時はお手柔らかに頼むよ。それにしても、かた……じゃなくて楯無ちゃん、しばらく見ない間に綺麗になったね」
「へ、変なこと言わないでください。美羽さんに浮気しているって言いつけますよ」
兼一の突然の言葉に驚き、口早にそう言い放つ。
嘘や隠し事が出来ない兼一の言葉に、敵意とは別の、隠し通さなければならない感情が顔を覗かせようとしたが、それを無理矢理に押しつぶす。
「こ、これは、違うから。そ、そういうのじゃないから」
楯無の言葉に今度は兼一が慌てる番だった。別段尻に敷かれているわけではないが、妻である美羽には中々敵わないのであった。惚れた弱みというやつだろう。
「でも、綺麗だなんて」
赤らめた頬でぽつりと漏らした言葉が、狼狽える兼一の耳に届くことはなかった。
「ふぅ、疲れた」
一日が終わり宛がわれた部屋に付くと、倒れ込むようにベッドに寝転がる。普段行っている地獄の修業に比べれば、肉体的な疲労など皆無も同然である。けれど、右を見ても左を見ても女性しかいない異質な空間にいたことによる、精神的な疲労は計り知れなかった。
女性だらけの所に一人でいるという点では、仲間である千秋裕馬と同じであるが、彼はまったくそんな風ではなかった。これは一緒にいる女性に違いがあるだけのことなのだが、兼一には不思議に思えた。
裕馬の場合、身近にいる女性は修行相手なのだから変な気苦労はなかったのだろう。
しばらくすると控え目に扉を叩く音がした。
「兼一さん、織斑です。今よろしいでしょうか」
「あ、はい大丈夫ですよ」
来訪者が来たことで居住まいを正し、返事をすると千冬が部屋に入る。
「兼一さん。今回の件、急なことにも関わらず応じて下さってありがとうございます」
頭を深々と下げ謝意を伝える。
「気にしないでよ。可愛い後輩の頼みなんだから先輩として聴かないわけにはいかないでしょ。それに……あの時は何もしてあげられなかったからね」
「あの件は別にいいんですよ、終わったことですし。それに、昨日の今日で来ていただけるとは思ってませんでしたよ」
千冬の言葉通り、兼一は昨日の夕方に連絡を受けると、頼みがあるという言葉だけで、具体的な内容も聞かず二つ返事で了承した。そして翌日、つまりは今日の朝にこのIS学園にやって来たのだ。
「ま、ボクの所は定職の人が少数派だから……ボクも多数派側なんだけどね」
目を逸らしながら語る兼一は乾いた笑い声を出した。
彼の生活拠点である梁山泊には兼一を含め八名の成人がいる。その中で定職に就いているものは三名。残り五名の内、それなりの頻度で稼ぎを得ることができる者も三名であり、兼一はどうにかこの三名の中にいた。
「それで、ボクに頼みたいことっていうのは何なのかな」
真剣みを帯びた兼一の声に、千冬は自然と襟を正し言葉を紡ぎ出す。
「午前の実習で兼一さんが見たとおり、専用機持ちである彼女達を始めとするこの学園の生徒達の意識の低さ、その改善です」
「うん分かった。まあでもそれは、彼女達の頭の隅っこにあるものをちゃんと理解させてあげればいいんだよね。簡単とまでは言わないけど、やってできないことじゃないかな。それで二つ目……というより本当の頼みは」
「……やっぱり、兼一さんには敵いません。もう一つの頼み、むしろ本命の、本当の頼みは、この学園の、生徒たちの警護です。
先日の襲撃を受けて感じた……というより教えられたんです。この先またこういったことが起きるのだと」
兼一は何も語らない。ただ千冬の瞳の奥を見つめるだけだった。
その瞳に険はないが、それでも射貫くように全てを見通すかのような視線は千冬に嘘や誤魔化しを、虚飾に塗れた言葉を封じさせた。元よりそんなつもりはないのだが、千冬は思いの丈を語り始める。
「こんな漠然とした感覚で危機を唱えたところで、誰も耳を貸したりはしませんでした。時間もなかったですし、何よりアイツのことを抜きにしてうまく説明できませんでしたから当然ですね。
でも、それでも、私はこの感覚が、私の想像が現実に起きるような気がしてならないんです。
そうなった時、私を含めこの学園の教師たちでは残念ながら力不足ですし、なにより人手が足りません。だから、どうにか話を付けて一人だけ教員として雇えるようにしました」
言い終わると千冬は目を閉じ、顔を伏せる。兼一の真直ぐな瞳を見るのが怖かった。自分たちの力不足の尻拭いを頼んでいるのだ、何を言われても甘んじて受け入れる覚悟はできていた。
けれど、目の前の人に嫌われるのが酷く怖かった。
そんな人ではないと知っている。けれど、どうしてもそう考えてしまうのだ。
千冬の心を沈黙と言う名の鑢が削る。
そして、どれだけの時間が過ぎた頃だろう。
「顔を上げなさい」
責め立てるように突き刺さる沈黙は、いつもよりも柔らかな兼一の声で破られた。
「こんな時にこんなことを言っちゃダメなのかもしれないけど、ボクはね、嬉しいんだよ」
顔を上げた千冬に兼一はそう言った。
「ボクみたいなダメな先輩に、こうして頼ってくれて嬉しいんだよ。千冬ちゃんが悩みを相談してくれたことが嬉しいんだよ。だから、そんな風に泣きそうな顔をしないでよ」
言葉に込められた優しいぬくもりが、千冬の体を包み込んだ。
「いつでも相談に乗るからね」
兼一からそんな言葉が送られたのはそれからしばらく経ってのことだった。
翌日、困惑した顔の真耶が教卓に立つ。教室の中も彼女の顔と同じように困惑で満ち溢れていた。
「えーっと、今日も嬉しいお知らせがあります。また一人クラスにお友達が増えました。ドイツから来た転校生のラウラ・ボーデヴィッヒさんです」
紹介された長い銀髪と左眼に眼帯を付けた小柄な少女、ラウラ・ボーデヴィッヒは直立不動であった。それは軍人であることを全く隠そうとしていない様子であった。
二日連続の転校生に当然疑問の声が上がる。それは意思を持った生き物のように教室中に広がっていく。
「みんな、静かにしようか。まだ自己紹介してないから」
そうして収拾がつかなくなりかけた時、教室の後ろから兼一がそう言った。決して大きいわけではない声だが、僅かな虚を突いたタイミングで発せられたために教室中に響き水を打ったように静まり返った。
「それじゃ、ボーデヴィッヒさんどうぞ」
虚を突かれたように静かになった後、兼一はそうバトンを渡した。
けれど、
「…………」
「あれれ」
ラウラは口を固く閉ざしたまま探るように兼一を見る。なぜこの場に男である兼一がいるのか、しかも教員として。それを考えているようであった。その様子を見た千冬は組んでいた片腕を話すと額を押さえた。
「挨拶をしろ、ラウラ」
「はい教官」
千冬の言葉で思考の海から出てきたラウラはそこで初めて口を開き、自己紹介を始める。
「ラウラ・ボーデヴィッヒだ」
名乗りを上げて数秒の沈黙。
「あのー、以上ですか」
たまりかねた真耶が、そう声をかけると、
「以上だ」
と、ラウラは返す。
そして一夏の前に進む。何だと言わんばかりに一夏が見ていると、ラウラの肩が僅かに動く。しかし、それ以上は何もなかった。
「私は認めない。貴様があの人の弟であることなど認めるものか」
小さい声であるが、確かな意思のある声でそう宣言した。
多分加筆修正します
楯無の武人の位階を若干修正