英雄の境界   作:みゅう

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第一章 生命の価値 (入試~USJ)
第1話 入試での出会い


 朝の通勤ラッシュはまだどうにも慣れない。特に今日みたいな特別な日なら尚更だ。そう、今日はあの名門たる雄英の入学試験当日なのだ。

 

 ただ時間に割と余裕を持って家を出たは良いが、上手く通勤ラッシュの荒波に見事なまでに捕まってしまった。英単語帳に目を通しながら有意義に移動時間を使うなんて夢のまた夢。痴漢冤罪防止のため両手をしっかり上げて吊り革にしがみつくだけの不毛な時間が過ぎて行く。

 

 俺の兄であるターボヒーロー、インゲニウムが栄養ドリンクの吊り看板に載っていることを見つけたのが、移動時間中唯一の嬉しかったことだ。

 

 掲げられた『頑張れ』の一言を見て、今朝兄さんから送られて来たメールを思い出す。期待に応えなくてはならないな。吊り革をグッと握りしめ、俺は誓いを新たにする。

 

 退屈な時間が終わり、電車からようやく解放されたと思いきや、洪水の如く氾濫する人の波に押し流され、気がつけばいつの間にか改札を潜り抜けていた。

 

 駅舎から一歩外へ出て、冷たさを帯びた新鮮な空気を肺に取り込む。やっと一息つけた。

 

 そう思った視線の端に映るのは俺の前方を歩くポニーテールの女学生の姿。今日この時間にこの場所を歩いているということは俺と同じ受験生だろう。雪のように白いダッフルコートに赤いマフラーがやけに目立つ。背丈は俺とほぼ同じぐらいだろうか。女性にしては割と大柄のようだ。

 

 前方の彼女は時折手元の地図を確認しながら進んでいるようだが、特に道を間違えているわけでもないのでその少し後ろを俺は歩き続ける。無論俺は昨日の内に下見済みなので迷うことはありえない。

 

 そう歩き続けること15分くらいのこと。20メートルほど先の歩道橋を降りる女性の姿が、ふと何気なく目に留まる。そして次の瞬間。グラリと、その体が傾いた。

 

「マズいっ!」

 

 俺の個性を使えば────いや、公道で使うのは危険だ。

  

「きゃっ!」 

 

 一瞬、小さな声が耳に届く。しまった、俺はあそこで躊躇するべきではなかった。前方を歩いていた女学生も女性の声に気付き、向かいの道路へと駆けだした。俺もその後を追う。

 

「大丈夫ですかっ!?」

 

 歩道橋から足を滑らせて転がり落ちた女性を女学生が介抱する。転落したのは20代後半ぐらいの臨月間近の妊婦。止まらないような大きな出血箇所は見当たらないが、お腹を押さえている様子からして、これは母子共に緊急事態だろう。

 

「ねぇ君、救急車をお願い! 応急手当ては任せて。私の個性は回復系だから。受験用に医療道具も一通り持って来てる!」

「わかった。だが無理や曖昧なことはしないようにな!」

「忠告ありがと。余計なことはしないし、状態把握も個性でできるから」

「了解した。そちらは任せるぞ」

 

 ならば電話は土地勘のある俺の方が適任だ。携帯に手をしながら時計表示に眼をやる。まだ大丈夫だ……

 

「もしもし、救急車の手配をお願いします────」

 

 連絡中に横目で見る限り、彼女の手際は実に手慣れていたものだった。彼女はマフラーを外して丸め、枕代わりに地面に置き、女性を移動させる。次に気道の確保と意識確認、手持ちの救急セットで軽い切傷の洗浄と止血を迅速に行っていた。そして今は両手を妊婦の腹部に当て続けている。

 

「救急病院までそう遠くない。あと五分もすれば来るはずだ」

「良かった。連絡ありがとうね」

「君こそ、その手際見事なものだ。それで女性の状態はどんな感じだ?」

 

 声こそ俺の方を向いているが、彼女の瞳は女性の腹部を見つめ続けていたままだ。それこそ瞬きさえしているのかも怪しいほどにその視線には鬼気迫るものが宿っていた。 

 

「お母さんの方は大丈夫だけど、赤ちゃんの方がちょっとまずいかも。私の個性:『活力(バイタリティ)』でなんとか繋ぎ止めてはいるんだけど」

「それは傷を癒す類の力なのか?」

「ううん、ちょっと違う。直接癒す力はないけれど体力を上げたり健康にするって感じかな。今の私は診断装置兼延命装置ってところ」

 

 ざっくりとした説明だったが、それでもかなり希少な個性だろう。事故はそのものは不幸だったが、彼女がたまたま居合わせたのは本当に幸運だった。白いコートが所々血で赤く染まっている。まるで外科医みたいだなという感想がふとよぎった。 

 

「そうだね。だから私が間に合ってよかった。今は赤ちゃんの体力を上げて、衰弱しないようにしているところ。多分、この後、帝王切開とかもあり得るから元気にしとかないと」

「緊急事態だから無断使用を咎めるつもりも、周りに伝える気もないが、君も将来の事を考えるならば今回の行為は秘匿するべきだ。幸い今は他に人がいない」

「うん、そうするね。口止めありがと」

 

 そして実際に救急車が到着したのは電話口で伝えられた倍以上の時間が経ってからのことだった。本当ならそろそろ試験会場に着いておきたい時間だ。あまり余裕はない。そんなことは彼女もわかっているのだろうが、彼女はこんなことを口にした。

 

「私、病院までは付いて行くことにしたから。君のおかげで大体の位置関係わかったし、病院からタクシーでいけばすぐっぽいし」

 

 そして彼女は俺の耳元に口を近づけて「手を繋いでいるだけでも効果があるから、少しでも長い方がいいと思うんだ」と小声で言った。こっそり個性使うのも自分の時間を割くのも、これはあくまでも彼女自身の判断だ。害がある個性ではなさそうだし、そうまで本人が言うのならば止める理由はなかった。

 

「確かにそこからタクシーならばおそらく間に合うな。だが俺はそろそろ向かわないと不味いだろう。それでは先に失礼する。君も雄英志望なんだろう? くれぐれも遅刻するんじゃないぞ!」

 

 雄英の学舎は広大だ。中に入った後も時間が取られることを予想すると、徒歩ではあまり余裕がない。軽いジョギング程度に走る必要はあるだろう。

 

「わかった。じゃあまた高校で会おう! ありがとね。未来のヒーロー!」

 

 背中に向けられた声は、通り過ぎる風よりも何故か心地よかった。

 

  

 

 

 

                  ×           ×

 

 

 

 

 

 

 そして再び彼女を見かけたのはテスト用紙を配布し始めたときのこと。窓の外から聞こえるサイレン。それは警察や消防ではなく、救急車のもの。 

 

 まさか、とは思った。そしてその通りにガラス越しの風景は移り変わっていく。正門前に飛び込んできた救急車から現れたのは血が滲んだ白いダッフルコートの人物。

 

 病院を連想させる特徴的な出で立ちは、歩道橋の下で出会った彼女に間違いなかった。

 

 そして学科試験の一限目終了後、放送で名指しされたときの心境はたまったものではなかった。病院側とのすり合わせのための事情聴取後、結果的に別室で受験できることになったものの、どこか落ち着かない気分だ。

 

「あれほど言ったのに君という奴は……結果的に受験できたから良かったものの、本来なら遅刻だったんだぞ」

「いやぁ、ちょっと容態が落ち着くまで離れにくかったしさ」

 

 一応罪悪感はあるらしい。ハキハキと喋る彼女にしては珍しく、ボソボソと歯切れが悪い。

 

「それで救急車か。職権濫用を招いていいのか?」

「誤報で雄英まで来たって設定らしいから大丈夫じゃない? 私は居ないことになってるけど。リカバリーガールに恩が大分あるみたいだよ、あの病院。受験のこと言ったら気を利かせてもらっちゃった」

「それで俺まで呼び出しか」

「それはゴメンって」

「ん? そう言えば俺は君に名乗って居なかったはずだぞ。どうして俺の名前を?」

「救急車に連絡するとき名乗ってたでしょ?」

「そう言えばそうだな。今更な気もするが改めて自己紹介しよう。俺は聡明中の飯田天哉だ」

「私は猪地巡理(いのちめぐり)。学校は九州のド田舎だからまぁ別にいいでしょ。できれば三年間よろしくね」

「あぁ。お互い級友になれるといいな」

「だね」

 

 そんな自己紹介もほどほどに二人だけの学科試験が始まる。学科ごとの休み時間に口頭で答え合わせをしてみたが、猪地くんは中々に学業が優秀なようだ。

 

 俺もボーダーラインは確実に超えている自信はあるが、彼女はケアレスミスがない限り、間違えていないとまで言い切っている。将来的に医師免許も取るつもりらしいので、その学力は疑いないものなのだろう。

 

 そしてなんとか全学科試験を終わらせたは良いが、昼休みを削っての試験だったため用意してくれた母には悪いが弁当を食べる時間が10分ほどしか残っていなかった。こうして今は二人でそれぞれ持参して来たオレンジジュースと果物を詰め込んでいる。弁当は実技試験後に食べるしかあるまい。

 

「猪地くん、初対面の女性に失礼かもしれないが、いくらなんでも間食にバナナ一房は多くないか? 緊張して食べすぎじゃないのか?」

「私の個性は果物とか生野菜を食べておかないといざと言う時に使えないから、沢山取らなくちゃいけないんだ」

「それは難儀だな。しかし栄養面ではビタミンたっぷりで良さそうだ」

「まぁね。でも肉とか果物以外の甘味を取る分の胃袋がね。いつも残らなくて……飯田君は個性に制約があったりする?」

 

 胸の辺りを押さえる彼女の声と表情は暗い。食べたい物をあまり食べれないのはさぞ辛いことなのだろう。

 

「あぁ、俺は100%オレンジジュースだな」

「ジュース?!」

「意外か?」

「ちょっとね。でも100%ってあたりが飯田君らしいかも。あ、そう言えばこれで私たち食事制限仲間だね。でも市販の果物ジュースなんて数年ぶりに飲んだなぁ。冬場はほぼ毎日ミカン食べてるけれど、オレンジジュースも結構良いもんだね」

「それにしてもさぁ……」

 

 オレンジジュースを片手にミカンを流し込むという暴挙を犯しながら、ぐるりと教室を見回すと彼女は言葉を続けた。それにしてもどれだけの果物が入っているのだその鞄は。

 

「教室を二人で貸し切りって凄いよね。何か優越感的なの感じない?」

「優越感という感覚には共感しかねるが、偉大な先輩方の過ごした教室だと思うと感慨深いな。その貴重な時間を邪魔する者がいないというのは悪くない」

「良いよね。この両手を広げられる感じとか」

「そうだな。今の内にストレッチでもしておくか」

 

 両手の指を組み頭の上へ。そして左右に揺らす様にして両肩の関節を動かす。

 

「のんびりしようという意味で言ったのに真面目だねぇ。それにしても実技って一体何やるんだろうね。どう思う?」

 

 眉のあたりで切り揃えられた前髪の下から覗くどんぐり眼をぐるりとさせながら彼女は問いかけてきた。

 

「二人一組の模擬戦や、個性の評価テストなどと言ったところか?」

「まぁ何かしらの形で戦闘能力や個性を総合的に見るんだろうねぇ。腕相撲とかなら絶対負けないのになぁ……ないかぁ」

 

 わざと聞こえる様な溜息をしながら彼女は言う。もしかしたら体力の増強というのは自らにも適応されるのだろうか?

 

「ないな。増強型の一強じゃないか」

「だよねぇ。レスキュー訓練か対人戦でありますように」

 

 両手の指を組んで願うように彼女は言った。しかし彼女に都合の良いことばかりは続かない。

 

 

 

          ×          ×

 

 

 

「ロボ、機械……全部非生物、しかも戦闘だけ?」

 

 プレゼントマイクから実技試験の説明を受けた後の彼女は顔を強張らせ頭を抱え込む。それこそ機械のように同じような語彙の言葉を繰り返していた。

 

「どうしよう。私の一番苦手分野じゃん……よりにもよってロボかぁ」

 

 物見遊山ならば帰れと、俺が叱責せざるを得なかった縮れ毛の彼に匹敵するほどに、猪地くんの独り言は酷いものだった。

 

 彼とは事なり彼女は場を弁えており、症状を発したのも会場を出た後のため、あまり強くは言いたくないが正直気が散る。彼女にも指摘せざるを得ない。

 

「それは何度も聞いた。得手不得手があろうとも、他の受験生とて相手は同じだ。君ばかり不幸だと言わんばかりの態度は良くないぞ」

「不幸とは思っていないけど。私は頭を動かしてなきゃいけないの。時間がないのはわかってるんだから真剣に熟考できるのは今だけだもん!」

 

 凄い剣幕で言い返された。俺ももっと他に言い方が俺にもあったのだろうか。眼を細めた彼女は独り言を再開した。

 

「拳でロボットと闘うの? 一番脆いのってのはどれくらいの固さだろう。拳戟通るかなぁ。通らなかったら私の個性、超役立たずじゃん。トラップなんて10分で大量には無理だしなぁ……」

 

 青い顔の彼女が言うには、彼女の個性は機械との相性は最悪らしい。だが顔色と裏腹に、滞りなく彼女は準備を進めている。

 

 一息の間に畳み掛けるようなシャドーや、鉤爪付きのワイヤーロープを巧みに扱う様子を見る限り、体術はなかなかのものなのだろう。

 

「でも、精神系なんかの攻撃手段がない個性持ちへの救済がないってこともないと思いたいけれど」

「確かに言われてみれば、それは気になるな」

 

 テレパシストやヒーラー、ステルスなどの強力な個性持ちであっても、この試験内容だとどれだけ役に立てるだろうか。雄英出身にもそういったヒーローが多数存在する以上、何らかの評価システムの存在は考えられるだろう。

 

「未知のメンバーで急造チームを組むことをあえて前提にしているのか、それともそもそもポイント制が虚偽であるか。うーん」

「疑うほどキリがないな。会場が同じとは言え、協力はできないぞ。何しろ敵の数や配置も未知数。そして時間もたった10分だ。まるで競争を煽るような仕組みみたいだ」

 

 俺自身は今回の戦闘に必要な機動力と破壊力は備えているので問題ないが、彼女たちにとっては現時点で運営側の意図を読み取ることを強いられている。

 

 そう思うと幾分居心地が悪いが、今の自分に手助けできるのはスタートまでの会話だけだ。

 

「こんな市街地で、互いの個性も分からない人たちがいっぱいで、しかもプロヒーローじゃなくて、おおっぴらに能力行使できない中学生たちばかり。同士撃ちの事故とか、建物の倒壊とか、もしかして……」

「何か気付いたのか?」

「あくまでも可能性の一つだけど、一般人役の存在がステージに紛れ込んでいないかなって」

「戦闘試験に見せかけたレスキュー試験か。有り得なくはないな」

「今の内にちょっと探知してみるね」

 

 彼女はステージの方をじっと見つめ、ときどき目をしっかりと閉じては見開く動作を繰り返している。回復に加え、索敵まで可能な能力か。汎用性が高いな。

 

「うーん、多分だけど内部に人間は居なさそう。自分で言ってみてガッカリだけど、小動物っぽい反応しか見当たらない。監督役っぽい人は四方の壁にいたけど除外していいよね」

 

 目を擦りながら、困ったと呟く彼女。落胆しているものの、これだけ事前に頭を回して行動できるのだ。ただただ彼女は真剣だった。そんなところに水を差してしまった先程の俺の言動を少し後悔した。

 

 近くで固まっているあの縮れ毛の彼や、そんな彼を笑い物にしている気楽な連中と、彼女との差は歴然としている。救急車の時の行動力といい、既に全力の知能戦をする様子といい恐れ入るばかりだ。

 

 不合格など有り得ない。そう思わせるものが確実に彼女には存在する。気付けば俺は慰めにもならない言葉を口にしていた。

 

「今さらだが、俺が聞いて良かったのか? 一つの可能性の否定ということも、君の能力による立派な成果だろう?」

「愚痴を聞いてくれたお礼でいいよ。まぁ飯田君はガンガン倒しちゃって。もう時間ないだろうし、私も方向性は決めた」

「これは興味本位だが、どうするか聞いても?」

「どうせ大量に仕留めるのが無理なら、あえて私は戦闘は避けられないもの以外は捨てる。そんで在りたいヒーロー像と、有用性を全力でアピールする」

 

 拳を空に掲げ、胸を一つ叩く仕草。さっきまでの歪んでいた口元が、三日月のようにつり上がっていた。

 

「救助しか能がないもんね。ポイントとか意図とか知るもんか。むしろそれで落とされたら見る目がない奴らだって笑ってやるつもり」 

 

 僅かにしか稼げないであろうとはいえ明らかにされた得点を得るチャンスを棒に振るなど、とてもじゃないが俺にはできない。不確実極まりない希望の入り混じった推測によるものなら尚のことだ。

 

「君が雄英を見定めるというわけか。豪胆だな。俺には絶対にできない」

「誉めてもらっても、これ以上果物とか持ってないよ?」

「いや、もう充分だ」

 

 手を前に突き出し制す俺と、両腕を組みながら背中を丸めて茶化す様な態度で笑う彼女。そんな気の抜けた会話をしていたのも束の間のこと。

 

「はい、スタート!」

 

 さらに気の抜けるような言葉が唐突に空から投げ込まれる。プレゼントマイクの次の言葉を受け取るまで、これが試験開始の合図だとは誰一人として思いもしなかっただろう。

 

 ようやく事態を飲み込んだ俺たち受験生は一斉に走り出す。当然、お互いに頑張ろうとか、励ましの言葉を送りあう間もなく、猪地くんと分かれた。


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