鼓膜が弾け飛びそうな程の轟音と共に放たれた、かっちゃんの全力での一撃。
視界全てが黒煙と赤熱で覆われる。とっさに回避行動をとったけれども、射線に近いところにいた僕は、広場の瓦礫と一緒に弾き飛ばされた。
「ったぁ」
肺の中の空気すべてを吐き出しそうな程に背中を地面に殴打した。でも指の痛みに比べたら大したことはない。
「……やったのか?」
「おい止めろ飯田。フラグを立てるな」
視界はまだ晴れない。茶化す訳でもなく上鳴くんが呟いた。正直なところ僕も同感だ。曲がりなりにもオールマイトを狙ってきた奴らだ。いくらかっちゃんの技が凄いと言っても本当に通用しているのか。あまり楽観視できない気がする。
喉を通る空気が熱く焼け付いている。燻る煙でむせてしまいそうだ。だけどそれよりもその中に混じる匂いに思わず顔をしかめる。肉が焼ける匂い。決して美味しそうな匂いではない。想像したくはないがこれは人間が……
「ていうか本当にアレ食らって死んでたりしないよな? 猪地、障子、どうなんだ?」
峰田くんの視線の先の二人に注目が集まった。二人とも眉間に皺を寄せ煙の奥を凝視している。これを険しい顔と言わずして何と言うのだろう。その表情が次第に周りに伝播する。そして次第に晴れてきた視界の奥に映ったのは巨大な人影。
予想しなかった出来事が、いやしたくないと目を背けていた出来事が今、僕らの前に立ち塞がる。
「俺のとっておきが、マジかよ……」
最初に口を開いたのはかっちゃんだった。今すぐ飛び出したい衝動を抑えて、最善のタイミングを窺い続けた上で放ったさっきの一撃に賭けていたのだ。
かっちゃんは茫然自失といった様子だ。自信やプライドを傷つけられたとかそういう次元の話なんかじゃない。ただ、目の前の事態に対して理解が追いついていなかった。
「あー危なかった。脳無連れてこなけりゃアウトだったな」
巨大な人影の奥から出てきたのは幾つもの手を身に纏う死柄木と呼ばれていた男。紙ヤスリのようにザラつきながらも脂汗のようにベトつくような、心底薄気味悪い声で死柄木は言った。
「いや、正直舐めてた。凄いな雄英は。入学したての一年でこれか。気持ち悪いぐらいの才能だ。でもこの脳無は対オールマイト用のサンドバックだ。相手が悪かったな」
脳味噌が剥き出しだから脳無か。でも殆ど炭化しているほどに黒焦げなソレにはシルエット以外、元の面影はどこにもない。だが炭と化した表皮の奥から筋繊維が幾重にも飛び出し絡み合い、炭状の部位を自己破壊しながら新たな体を構築していく。
全身から飛び出た筋繊維をまるで鞭のようにしならせ、増殖させながら元の形を次第に取り戻していくその様は、砂漠の荒れ地が一瞬にしてアマゾンのジャングルになったみたいに異質な光景だ。
「再生系の個性か、厄介だな。だがしばらくは動けん。今のうちにお前を確保する。それで終わりだ」
「っとお?! 第一線を退いても腕利きか。立て直しが早いな」
相澤先生が帯状の捕縛武器を死柄木に向けるが、ニヤついたまま一歩後退することでそれを躱す。
「先生、露払いは俺が!」
脳無と呼ばれた
そんな中未だに僕たちの多くは棒立ちのままだった。頼りの13号先生は生徒たちを庇って重傷、相澤先生には指示を仰げる状態ではない。八百万さんと猪地さんを中心に策を練っていたが、それで本当に大丈夫なのか自信などあるはずがなかった。きっと誰一人だ。
「どうしよう?! めぐりん、このままじゃ私たち……」
そう芦戸さんの不安は誰も口にしなかっただけで、きっとみんなの総意だった。八百万さんもかっちゃんも猪地さんも含めて全員の顔色が悪い。
「大丈夫だよ。三奈ちゃん! 透ちゃんも口田くんの使いも出発してる。援軍は絶対来るからそれまで耐えきれば良いんだ」
猪地さんの言葉は間違っていない。援軍が来れまで耐えれば良いと理屈ではわかっている。けれどもそんな宙ぶらりんな気持ちじゃ今は耐えれないんだ。でもだからこそ、こんなときのためにある魔法の言葉を僕は知っている。
「オールマイトは絶対に来る。オールマイトなら絶対にあんな奴らには負けない」
絶対の自身を持って、僕はその魔法を口にした。
「そうだぜ。あんなキショい野郎にオールマイトが負けるかよ」
「うん、そうだよ。オールマイトは絶対に来るって」
「あぁ、援軍が来るまで絶対みんなで生き残るぞ!」
瀬呂くんの言葉に麗日さんや周りのみんなが同調する。そうだ。少しでも希望は言葉にするべきなんだ。そして棒立ちだったメンバーがそれぞれの意志で動き出す。
「猪地さん、俺も飯田の援護に行ってくるよ! 俺にはみんなと違って特別な個性はないから、この状況を打開はできないけれど、ヒット&アウェイで時間稼ぎくらいならやれるはずだ」
「尾白、俺も同行する。俺のダークシャドウなら複数相手に有効だ。猪地、そちらの対策は任せたぞ!」
「二人共お願い! こっちは何とかしてみせる!」
飯田くんの奮闘に感化された尾白くんと常闇くんの遊撃組が再生中の
「脱出組2陣、3陣は予定通りそのまま待機、百ちゃん以外、個性は温存して。他は配置し直すよ。私も全力で考えるからみんなも何か思いついたら言って!」
「そんじゃ俺も……」
「切島くんは私のチームで脳無退治。あとで説明するから待ってて」
「アイツが相手か。やりがいあるじゃねぇか。わかった!」
続けて飛び出そうとする切島くんを制する猪地さん。そして彼女に助言する障子くん。
「段々と他のエリアから
「よっしゃ。なら模擬戦の要領だな。俺がトラップで進行を遅らせる、峰田お前も付いて来い!」
「チクショウ! この前までただの中学生だったっていうのに。なんで雄英に入った途端にこんなことに。でも、わかったよ。八百万のおっぱいを拝めないまま死ぬのはオイラも嫌だ。足元に撒くだけならオイラにだって」
模擬戦で猪地さんと組んだ瀬呂くんが率先して名乗り出た。峰田くんも震える声でありながらも、決意を決めたように拳を握りしめる。ちょっと不純だけど。
「猪地、こっちの前線の探知と指揮は俺に任せてくれ。あまり慣れないが、少しでもお前の負担は減らすべきだ」
「私も障子ちゃんのフォローに入るわね。二人の罠に誘導して時間を稼ぐわ」
「ありがとう。頼りにしてる」
拘束力の高い瀬呂くんと峰田くんを軸に、探知型の障子くんといつも冷静な蛙吹さんによる防衛組が新たに結成され動き出した。
「障子ぃ、オイラを背中に乗せてくれ! それならオイラもちょっとは安全だし、もっと早く動ける」
「確かにそのほうが効率が良いな。良し、乗れ! 俺達は右翼に展開する。瀬呂と蛙吹は左翼だ!」
「ケロ。わかったわ。行きましょう瀬呂ちゃん」
「おう、背中は預けるぜ!」
必死に頭を動かしているのは司令塔役を自然と担っている猪地さんだけじゃない。みんながそれぞれ自分にできること、仲間とできることを考え動いている。僕に出来ることは何だろう。考えろ。考えなきゃ、行動しなきゃ事態は良くならない。
「いつまでもボサッとしてんの爆豪! アンタならネタわかってるでしょ。あっちに吹っ飛んだ黒いのを抑えといて! もういつ動き出してもおかしくない」
「うるせぇ! 最初からそのつもりだ。指図すんな。デカ女ぁ!」
すごい剣幕だ。こんなときでもかっちゃんだけ名字の方で呼び捨てなんだね。そして当然かっちゃんも全力で言い返す。
「響香ちゃんと緑谷くんは爆豪の周りに
「おっけ! あっちだ。行こう緑谷!」
「わかった!」
耳郎さんに促され、少し離れた場所で倒れている霧の男を抑えに行ったかっちゃんの護衛に向かう。かっちゃんは牽制手段を他に見つけたみたいだけど、囲まれたり抜け出されそうな雰囲気があったらさっきみたいに吹き飛ばせばいいのか。回数制限がある僕はともかく、ノーモーション攻撃が可能な耳郎さんは確か有効な配置だ。
「基本ウチの個性で
「うん、そうだね。でもいざというときは躊躇わず使うよ。僕の腕の一本や二本であの一番動かれたくないモヤを抑えられるなら悪い交換条件じゃない」
前を見る。爆風を纏いながら先行するかっちゃんは、床に伏しているモヤのところにまで迫っていた。
「くっ、私はっ……?」
「かっちゃん!!」
拙い。気がついたみたいだ。思わず叫んだ!
「っるせぇデク! おらぁああああ!」
「ぐはぁっ!」
爆発を
「動くなっ! 今のは手加減した方だ。一度しか言わねぇからよく聞け、これから『怪しい動きをした』と俺が判断した時点で全力で爆破する」
「貴、様……」
かっちゃんはモヤの男の腹部に手を当てたまま恫喝する。嘘じゃない、アレは本気の目だ。脳無にとっておきを塞がれたから相当に気が立っている。だからこそ、その脅し文句には真実味が宿っていた。
「さっきのデクの一発で確信した。テメー、モヤの部分以外に見える胴体部はゲートにできねぇんだろ。じゃなけりゃ無様に吹き飛ばされるこたぁなかったはずだよな?」
「ぬぅう?!」
反応を見るに図星をついているようだ。抵抗する気配は見当たらない。あとはかっちゃんを守り通すのが僕の役目だ。絶対に全うしてみせる。
こちらに集結しようとする
「よし青山くん、奮発だ。持ってけ泥棒!」
「おおっ☆ これは凄い。力が漲ってくるよ」
「体調も万全に弄っておいた。これで腹痛はある程度抑えられるはずだから任せたよ。君にかかってるからね」
「うん、任されたよ☆ 今ならいつも以上に輝けそうだ」
後ろで準備を進める脱出組の声が聞こえる。青山くんの個性のデメリットである腹痛の発生を、猪地さんの体調管理能力で前もって予防したらしい。本人曰くおまけ程度の索敵能力が目立っているけれども、もしかして猪地さんの個性って、他の人の個性のデメリット抑制に使うのが最も輝くんじゃないだろうか。
「百ちゃん完成はまだ?!」
「急げ八百万、霧野郎が動けねぇうちに! 俺と青山の準備は終わった!」
「もう少し…………お待たせしました。できましたわ!」
轟くんと猪地さんが急かし、八百万さんが答える。ようやく待ちわびた僕らの作戦の本命が完成したらしい。気になって横目で見ると、体力テストのときよりも二回りほど大きなバイク。ビッグスクーターと呼ばれるタイプのものが完成していた。
いつの間にか猪地さんのコスチュームの上着を羽織った八百万さんがバイクに跨り、その後ろに轟くん、そして彼と背中合わせになるようにして青山くんが乗っていた。
「麗日頼む!」
「よし、これで全部重さは消えたよ」
轟くんに言われて麗日さんが三人の重さをゼロにする。これで速さは増すはずだ。
「操縦に八百万さん、氷での走行補助に轟くん、ブースターに青山くん。理想的な組み合わせだね」
ウチのクラスで最速かつ三次元的な機動を取れるのがこの組み合わせだ。そこに麗日さんと猪地さんの個性の補助で更に効率があがる。
おまけに追撃に備えて八百万さんの罠、轟くんの氷、青山くんのビームと全員が後続への牽制能力がかなり高い。流石八百万さんと猪地さんのペアだ、よく考えてる。
「でも見た目がアレってのもね」
「それは言わないでおこうよ」
「だってどう見たってシュールでしょ」
瀬呂くんのテープを予めもらっていた轟くんは青山くんと背中合わせになるようテープで固定していた。耳郎さんは笑いながら言うけれど、僕もシュールな光景であることは否定できない。
「走行中、無線も試してみますわね」
「運転中は危ないだろ。八百万、俺が持つから渡せ」
「青山くん。途中でモールス信号忘れないでね」
「モチロン☆」
「もたもたすんな早く行け、八百万!」
「はい、この場を離れるのは心苦しいですが、委員長として責任を持って全速力で応援を呼んできますわ!」
「青山も頑張れっ!」
「轟、二人を頼んだ!」
「行きますわよ。お二人とも舌を噛まないで下さいね!」
みんなの声援を受け、全力でアクセルを吹かし発進する八百万さん。氷で足場を作り、さらにレーザーで加速を付けつつ滑るようにバイクは進んで行く。
「行かせるか!!」
「キケケッ、ハチノスニナリヤガレ!」
防衛戦を抜けてきた射撃がバイクを襲うが、轟くんの氷がそれを阻む。別の方角から放たれた射撃に対しては青山くんがレーザーによってバイクの機動を変え、見事に回避していく。
「そうか、後ろに青山くんの目があるからこんなタイムリーな対応ができるんだ」
何重にも意味はあったのだなと改めて感心した。そして轟くんの氷で入り口の壁を突き破り、その氷塊を破砕したことによって生じた穴を通ってバイクが外へと脱出する。かっちゃんがモヤを抑えておいて正解だった。じゃなきゃ絶対にこんなにすんなりとは行かなかったはずだ。
「三奈ちゃんもそのまま口田くんと外へ。口田くんは動物の援軍を思いっきり集めてから戻って来て」
「わかったよ。全力で運ぶね」
「うん。すぐに連れてくるよ」
麗日さんの個性で浮かせた口田くんを担いだ芦戸さんが氷の道を酸で溶かしながら進んでいく。まるでスピードスケート選手のようだ。元々の身体能力も相まってかなり速い。
「よしこれで脱出組は行った。これからは私たちの出番だ。切島くん、砂藤くん。私と一緒に脳みその相手をするよ」
「おう」
「やるしかねぇな」
待ってましたとばかりに拳を鳴らす切島くんと砂藤くん。かっちゃんの全力さえ効かなかった相手に先生抜きで立ち向かわなければならない絶望的な状況。最も死線に近い立場を任された二人。でも迷いだとか、不安だとか、そういったものを外からは決して感じ取れなかった。
「オールマイト用のサンドバックって言ってたから、正直一番しんどいかもしれない。みんなの盾になりつつアイツの脚を止めて。隙ができたら私の個性でアイツの体を休眠状態に持ち込む」
「てかそろそろ完全復活ぽいな。行くぞ砂藤」
「あぁ!」
あんな桁外れの超再生能力は僕でさえ今まで聞いたことさえない。怖くないはずなんてないはずなのに。でも思い切りの良い踏む込みで二人が飛び出し、今まで司令塔に徹していた猪地さんもそれに続いて死地へと飛び出す。
「めぐりちゃん、私は?」
「俺は?」
「茶子ちゃんはバイク組のためにも個性の維持が最優先だから下がっていて。上鳴くんは茶子ちゃんと13号先生の護衛を!」
走りながら最後に残った二人に指示を送る猪地さん。その前を行く二人が脳無と呼ばれた
「緑谷! こっちにも来た。構えて!」
耳郎さんの声で戦線の方を見る。かっちゃんからモヤを開放しようと、テープをくぐり抜けて
「死ぃねぇええええええ!」
燃え滾る感情は全開に。でも個性の出力は最小限まで抑えて。
電子レンジの中の卵を爆発させないように最新の注意を払って…………だ。
言葉とは裏腹に死なないように手加減しつつ、指を弾く。
そして折れた。痛みで意識が一瞬遠のきそうになるのを必死で堪える。
「ぎゃぁああああ?!」
「ぐぉえっ……!」
床の瓦礫と共に
「ウチがやるって言ったじゃんか! 何してんの緑谷?!」
「かっちゃんみたいに牽制するなら一度本気を見せとかないと」
怒鳴られた。でもそうするべきだと思ったからやったんだ。好きで指を犠牲にしているわけじゃない。
「だって実際ほら、ちょっと奥の
「そりゃそうだけどさ、心配する身にもなれって言ってんの!」
「ごめん。だけど……もう次が来た。僕がまとめて数を減らすから撃ち漏らしたのをお願い!」
痛い、すごく痛いよ。痛いのは嫌だ。だけどみんな頑張っているんだ。僕だって体を張らないと。
個性を使う指だけじゃない。声に、眼光に力を込めろ。
来るな。怯め。恐れろ。僕にできるありったけの威圧と共に――――
「ぶっ飛べぇええええええ!!!」
もう一度弾き飛ばす。痛みが増えるのかなと思ったけれども、それほどでもなかった。段々と痛みにも慣れてきた気がする。
相澤先生や飯田くんたちの方は、物量戦に苦しんではいるけれども常闇くんと尾白くんの援護もあって圧が最初よりは下がっている気がする。先生が肘に多少大きな怪我を追っている。でも、制圧は厳しくても耐えるという点ではまだ行けそうな感じだ。
障子くんたち防衛組の方は峰田くんと瀬呂くんの個性でなんとか足止めをしている。こっち側を僕がかなり吹き飛ばしたので、瀬呂くんと梅雨ちゃんも障子くんと峰田くんに近い側へと配置をズラしていた。
「緑谷! 切島がっ砂藤がっ!!」
耳郎さんの悲痛な声が響く。そしてソレを見た。
「酷い」
そんな言葉しか出なかった。脳無の応戦に向かった三人は血に塗れた脳無によって制圧されていた。この状況を表現するには地獄絵図という言葉が最も相応しいのだろう。あまりにも一方的で、絶望的だった。
「ぐはぁっ! …………んな……ん、効くか、よっ」
背中にマウンティングされた切島くんは何度も顔面を地面に殴りつけられ、彼は苦悶の声をあげていた。硬化の個性で何とか耐え抜いているけれども地面もすごい抉れ方をしている。
彼の気が一瞬でも緩んでしまえばどうなるのか。それは殴りつける衝撃だけで粉々になった瓦礫片を見て理解できない人間はいないだろう。切島くんはただ耐え続けることで、他のみんなから最も恐ろしい敵を遠ざけていた。
「ぅごけ、うごけっ!」
砂藤くんはその傍らでに倒れている。頭頂部からは多量の流血。唇は裂け、鼻血は止まらず、左目のあたりは大きく腫れ上がっている。彼の個性は筋力の増強。切島くんのように防御に適した個性ではない。ダメージだけでいえば彼の方が圧倒的に深刻だ。だがそれでも彼は這いずり続ける。
「わたしが、やらなくちゃ。わたしがっ……」
猪地さんも少し離れたところに全身傷だらけになって転がって、なんとか立ち上がろうと震える手足を必死に動かそうとしている。
でも、立ち上がれるはずがなかった。彼女の右足のふくらはぎの辺りでポッキリと折れ、あり得ない角度で曲がってしまっている。彼女は腰元のポーチから何かのアンプル瓶を取り出すと、それをこじ開けて一気に飲み干し、今度は砂藤くんのように残る三本の手足で脳無へと這い寄っていた。
「切島くん!!」
助けに行かなきゃ。そう思い駆け出そうとしたタイミングで、ここぞとばかりに新たな
耳郎さんは個性で地面を割って足場を崩し、モヤを組み伏せているかっちゃんも開いている手で手榴弾を投げ
瀕死の向こうを助けるか。最も危険な敵を抑えるのに力を注ぐか。僕は無情な二択を迫られる。切島くんたちのところまで相澤先生のところや、障子くんたちのところからは少し遠い。一番近いのは間違いなく僕だ。
「くそっ!」
結局僕はその場を動けず衝動任せに目の前の
あぁ、頭が鈍る。指の痛みが、
助けに行きたい。でも
弾く、弾く、弾く。ただひたすらに弾き飛ばす。
お前たちは邪魔だ。
もう痛みなんてどうでも良い。
一秒でも早くやっつけて、僕は向こうに行かなくちゃいけないんだ!
「猪地には、手を出させねぇ」
「アイツさえ、残っていれば最悪は防げる」
切島くんと砂藤くんは這いつくばりながらも、それぞれが脳無の足にしがみつく。
「もう見てらんないよ、誰かアイツらを助けて」
涙する耳郎さんのその嘆き────
「ナイスガッツだぜ。2人とも!」
それに答えるかのように、威勢の良い声が轟く。
一番安全な場所で麗日さんの護衛をしていたはずの上鳴くんが全速力で脳無に駆け寄って来ていた。
「上鳴、なんで戻って来て…………」
「俺だけじっとしていられるかよ。みんな必死になってんのによ!」
砂藤くんの問いかけに即答する上鳴くん。ただの放電しか攻撃手段を持ち合わせていない彼は、お世辞にも戦闘の技量が長けているとは言い難い。白兵戦に長けた三人を打ちのめした脳無に向かう姿は無謀な特攻にも見えた。
でも────足元の二人は意地でも離さないつもりだ。二人はこの中でもっとも死に体でありながらも、未だ足止めの努めを果たそうとしている。
「構わねぇ、俺らごとやれ!」
「悪いな。猪地が居るから死なねぇとは思うが、恨むなよ!」
切島くんの叫びに応じる上鳴くんが右手を振り上げようとしたときだ。脳無が足元の二人を蹴り飛ばすようにして振り払った。
「切島、砂藤!!?」
呼びかけに応える声はなかった。脳無を足止めできなければ上鳴くんには攻撃を確実に当てる術がない。
雄叫びをあげながら立ち向かう上鳴くんを迎撃しようと一歩ずつ歩き始める脳無。
だが、突如その歩みが止まる。
「イノっぱいの仇だ、やっちまぇ!」
いつの間にか防衛ラインから離れていた峰田くんが、彼の個性で脳無の足裏を地面に拘束していた。
「本当にサンキューだぜ峰田! こんの、脳みそ野郎がっ! 女の子に手ぇ出してんじゃねぇよ!!!」
全力での一撃、青白い雷光を纏った上鳴くんの右手が脳無の胸板に触れた。
そして脳無は背中から豪快に地面に倒れる。
アレが効いていないはずはない。いくら再生能力持ちでも意識さえ落とせれば僕たちの勝ちだ。
「う、うぇ~い」
親指を立ててみせる上鳴くん。渾身の一撃を当てた彼に対し「かっこよかったよと」同じポーズを返してあげたいけれども生憎と僕の親指はもう両方とも使い物にならない。
「上鳴の馬鹿。間抜け面して一体アイツ何やってんの?!」
耳郎さんの声にいつもの冗談めいた感じはない。そんなことをしている場合じゃないと彼女は言っているのだ。
つまり、脳無はまだ健在だ。のそりと、ヤツは立ち上がる。そして峰田くんの玉に触れた足の皮膚の部分を指でちぎり取って放り投げる。瞬く間に抉り取られた部分が修復した。そして再び脳無は前進を始める。
「おい、早くオイラと逃げるぞ上鳴! 動けよ、なぁ早く!」
力技での離脱。それを相手が何度でも使える以上、峰田くんに勝機は一片もない。峰田くんが上鳴くんを揺さぶるが、個性の反動だろうか彼は放心状態といった様子だ。
「まだだよ!」
そして再び助けを求める声に応じる人が、まだもう一人動ける人が居た。上鳴くんに守ってもらっていたはずの麗日さんだ。
「私だって。私にだってやれるんだ!」
ただがむしゃらに、最短距離で真っ直ぐに、彼女は脳無に向かって突進していた。
「浮かせてしまえばっ!」
浮かせてしまえば無力化できる可能性は高い。でもそれには彼女が直接手を触れなければならない。
いや、ただ浮かせるだけじゃ駄目だ。もっと確実にやれる方法が必要だ。
だけどその前に────麗日さんを助けなくちゃいけない。
なんだかんだと理由を付けて、ためらっていたさっきまでと違い、自然と足が動いていた。
「緑谷!?」
無力であろう上鳴くんの横を素通りし、麗日さんの方へと向かう脳無。
駄目だ。このままじゃやられてしまう。早く、走れっ!
指じゃ足りない。
そもそも右手の指はもう全部使い物にならない。
なら────────
「SMASH!」
この腕ごとくれてやる!
「デクくん!!!」
再生能力持ちだから加減をしたつもりはない。
鳩尾にちゃんと拳は入れた。でも手応えが全くない。
増えたのは僕の怪我だけだ。
コイツ、再生能力だけが取り柄じゃない、なんて頑丈さなんだ。
でも、だからどうした。
「常闇くん、僕のポジションを代わって。コイツは僕と麗日さんで相手をする」
右肩から先の感覚がなくなった。でも両足と左腕が残ってる。
移動に一回と、全力での攻撃に一回。それで僕は打ち止めだ。
でも戦い方を、勇気を、僕はみんなに教えて貰った。
だから、まだ僕は戦える。僕はヒーローになるんだから。