第14話 心の傷跡
「皆、ちゃんと来ているかー?! 休みの者はいないか? 気づいたものは挙手を! 朝のHRが始まる前に席に着くんだー!!」
襲撃から2日の休みを挟み、ようやく迎えたいつも通りの学校生活。皆それぞれの無事を確かめては騒がしくなるのも仕方がないことだろう。だがいつまでも浮ついているわけにも行かない。相澤先生に叱責される前に、皆へと着席を促す。
「ついてるって。ついてねーのは副委員長おめーと……あれ、麗日と猪地もか」
ハッ、確かに俺も席に着かなければと、瀬呂くんに指摘されて気づく。しかし麗日くんと猪地くんは確か靴箱で姿を見かけたはずなのだが、彼女たちは一体どこへ行ったのだろう。呼び戻すべく携帯をポケットから取り出す。あまり好ましくはないと思うが、背に腹は代えられない。
「お早う」
教卓側のドアが開き、相澤先生が挨拶をした。包帯一つない姿を見て多くの者が安堵のため息をつく。俺もその内の一人だ。
「お前らも早く席につけ」
相澤先生が廊下の方を見る。すると口元をハンカチで押さえた麗日くんと、その背中を支えながら歩く猪地くんの二人の姿が現れた。
「すみません」
「おい、麗日大丈夫か?」
「麗日くん、あまり無理するんじゃないぞ」
「うん、すまんね。もう大丈夫、上鳴くん、飯田くんありがとう」
猪地くんが軽く頭を下げ、麗日くんを席へと誘導する。心配する上鳴くんに対して無理やり作ったような笑顔で答える麗日くんの姿は見ていて痛々しい。いつもリンゴのように赤みを帯びた頬も心なしか今日は深夜に降り積もる雪を連想させるくらいに青白い。先日の件がかなり堪えているのだろう。
猪地くんが俺の真後ろ、更にその後ろの席が麗日くんのため、座席についた後は麗日くんの表情を確認することができない。おそらくさきほどまで猪地くんの個性で麗日くんの体調を整えていたのだろうがそれにしては様子がおかしい。本当に大丈夫なのか?
「色々あったわけだが、こうして全員無事に集まれて何よりだ。だがボサッとしている暇はない。何より戦いは終わっていないぞ。雄英体育祭が迫っている!」
「クソ学校ぽいの来たぁ……って、え、先生マジでやるんですか?」
本来なら皆盛り上がって歓喜の声を上げる場面だっただろう。だが声をあげたのは一握りだけ。瀬呂くんが皆の疑問を代表して先生に尋ねる。
「昼の会見で校長が発表するとのことだが、開催することで雄英の危機管理体制の盤石さを示すつもりらしい」
「具体的に警備の強化はどの程度行われるのでしょうか? オールマイト相手ならまだしも、俺たち生徒へ
雄英体育祭は俺たちヒーローを目指す者にとっては確かに最重要なイベントだ。強行するのに否定的な感情はない。だがしかしこれは先に聞いておかなければならないと思い、副委員長として俺は発言した。
「座れ飯田。安心しろ警備は例年の5倍に強化するそうだ。エンデヴァーを始めとしたランキング上位のヒーローにも現在声をかけ始めている。何より俺たち教師の目の前で生徒が襲われるなんて無様は二度と晒さん。俺にも教師として、プロヒーローとしての矜持がある」
「そうですか。わかりました」
相澤先生は力強く言い切った。俺も勢い余って立ち上がってしまったので、後ろの迷惑にならないように速やかに着席する。
「日本において嘗てのオリンピックに相当する一大イベントそれが雄英体育祭だ。当然全国のトップヒーローもスカウト目的で注目して見ている。この前の事件でお前たちは良くも悪くも注目の的だがこれをチャンスだと思え」
「いつも以上に目立つことで将来の道もより広がりやすくなる。それは素晴らしいことだね☆ 」
相澤先生と青山くんの言うとおりだ。何も悪いことばかりではない。例年注目されるのは卒業間近の三年生が主だ。しかし今回の事件で世間、そしてプロヒーローたちの俺たちへの関心度は高い。兄さん曰く「一年目であれだけの戦力差を生き延びたのは凄い」という評価らしい。脳無による犠牲者の数や対峙し負傷したヒーローたちの体験談によって噂が大きなものになっているというのは皮肉な話だが。
「しゃあ! 燃えてきたぁ! あの
切島くんが入院組と猪地くんへ威勢の良い声を掛ける。
「そうだね。二度と部屋から出歩けないぐらいに見せつけてやらないとね。私たちに喧嘩売って来たこと、絶対後悔させてやんなきゃ」
「この前から何度もうっせぇぞクソ髪。ぶっちぎりで一番を獲る。やることはなんも変わんねぇだろうが」
「猪地、この前のブートキャンプを体育祭までみんなでやらないか。アレ一日でも全然感覚が違うぞ」
俺も彼らの意見に同意だ。それから副委員長としてクラス全体の底上げのため、これから本番までの二週間は放課後に合同練習を提言してもいいかもしれない。明日ぐらいに話し合うべきだろうか。猪地くんの個性を利用した効率の良いトレーニングや、万が一
× ×
そうしてHRが終わり、昼休みに俺は相澤先生に職員室へと呼び出された。肝心の用件は体育祭の選手宣誓を俺がやれということらしい。なぜクラス委員長の八百万くんや入学式での挨拶をすっぽかされた猪地くんではなく俺なのかと尋ねると建前は入試一位だからということらしい。だが――――
「人の前に立つということの重み、か」
それを一番痛感したのがお前だろうと相澤先生に言われ納得ができた。確かにこれは俺が引き受けるべき責任でもある。八百万くんは本当に危機的な状況の時はその場におらず、猪地くんを表に出すのはマスコミ対策的に入学式以上にリスキーだ。きっとそういう事情も絡んだ上で、あの事件の結末を引き起こしてしまった俺に白羽の矢が立ったのだろう。
「おーい、天哉こっち!」
食堂の窓際の席で猪地くんが手を振る。先に食堂の席と食事を確保してもらっていたので、スムーズに食事にありつくことができる。既に頼んであったビーフシチュー定食が机に置いてあった。混み合っている中、本当にありがたいことだ。猪地くんと八百万くんが向かい合わせに座っており、猪地くんの右隣の席に座る。
「猪地くん、八百万くんありがとう」
「いえいえ、どういたしまして」
「ゴメンなさい。飯田さん、お先に頂いてますわ」
「食事はできたてが一番だ。構わないさ。それでは俺も。頂きます」
手を合わせ、早速ビーフシチューの肉をすくう。今にもスプーンから零れ落ちそうなほどに大きな角切り肉だ。肉汁をたっぷり含んだルーが、スプーンの端から滴り落ちる。美味しそうだ。そして口へ含む。
「美味い」
母の手作りビーフシチューの次に美味しい。口に入れた瞬間、すぐに肉が解けるように口内で溶けていく。そして閉じ込められた牛の旨味が溢れ出していき、舌の感覚を支配していく。まさに至福の時間だ。
「いつも美味しそうに食べるね。一口頂戴! オレンジ一つあげるから」
そう言って八つ切りのオレンジを一つ俺のトレイに置いた。そういえば俺はいつも果物を貰ってばかりだな。大きめの肉を選び取ってスプーンにすくい、猪地くんに差し出す。
「やった! 大きい、ていっ!」
スプーンごと渡すつもりですくったのだが、箸で肉だけをつまみ取り口へと運ぶ猪地くん。
「わー久々の牛肉おいしー!」
「もう、お行儀が悪いですわよ」
「百ちゃんゴメン、ちょっと我慢できなくて」
ゆっくりと噛みしめて味を堪能する彼女。本当に美味しそうに食べるな。今日の猪地くんの昼食はタッパーに詰めたカットフルーツにカップヨーグルトを掛けたものと、レタスと卵を山盛り挟んだサンドイッチを持参していた。料理はそこそこ得意な方らしいが、どうしても個性の関係上サラダやフルーツをメインに食べるのでどうしても飽きというものが定期的に来るらしい。久々の牛肉ということだけでこの喜び様を見るに、母のビーフシチューを食べたらもっと喜んでくれるのだろうか。
「そう言えば緑谷くんの姿が見えないが、まだ並んでいるのか?」
「緑谷さんはオールマイト先生に『一緒にご飯食べよう』と呼ばれていましたわ。随分気に入ってらっしゃるみたいですね」
「そうそう。うさちゃん柄の包みのお弁当箱でさ。乙女みたいで可愛かったよ」
思い出し笑いをする猪地くんはハンカチで口元を押さえながら言う。オールマイト先生が乙女か。言葉だけではなかなか想像ができないな。
「それにしてもなんでしょうね。この前の1件のことか、緑谷さんの個性のことでしょうか。あのパワーは似ているところがありますし」
「うーん、どうだろう。私、実は超パワー以外にもかなり思い当たる節はあるんだけど、本人に直接聞いてからじゃないと口外したら拙いかも」
超パワー以外にか。爆豪くんと緑谷くんが中学の時に巻き込まれたときにオールマイトが助けてくれたときのことぐらいしか思いつかない。追々緑谷くんは話してくれるのだろうか。
「そうか。まぁ彼もその内話してくれるだろう。それから麗日くんのことなんだが、まだ彼女は……」
「茶子ちゃんは気分が悪いってまた保健室に行っちゃった」
俯き加減で猪地くんは言う。乱暴にサンドイッチを頬張り、さらにフルーツヨーグルトを口に詰め込む彼女。
「君の個性でも治せないのか?」
「完全に心から来てるもん。私の個性じゃ駄目だ。症状出てから後手後手では対処できるんだけど。悔しいなぁ」
「典型的なPTSDの兆候が出ていますわね。何とか私たちで元気づけてあげたいのですが。心の問題ですと精神科の先生の所へ連れて行ったほうが良いのでしょうか」
脳無を雄英から遠くの街へ追い払った一因として麗日くんの個性による無重力化がある。立案した緑谷くんもまだ吹っ切れていない部分が多そうだが、クラスで一番酷い顔色をしているのは間違いなく麗日くんだった。入試のときからの仲だ。何とか力になってあげたいのだが。
「兄の事務所にはかなり幅広い人材を揃えているからな。そういった分野を受け持つ人は居ないか。夜に兄へ連絡をとってみよう」
「うん、助かるよ天哉。心、心かぁ。カウンセラーかなやっぱり。うーんでも茶子ちゃんとこもお金の余裕なさそうだし、保険でなんとかなりそうなところが良いんだけど、学校でどうにかできないかな。心に対する個性で――――あれ、そういえば入試のときの人、何科に居るんだっけ」
緑谷くんと同じくブツブツ芸を披露して心当たりの人物を必死に思い出そうとする彼女。そしてその人物は――――
「あ、居た! 確か
帰りのHRが終わると、廊下には無数の人だかり。
「指差しは行儀が悪いぞ」
「ごめん、ってそれどころじゃないって。
「猪地巡理か。入試のときは世話になったな。だが体育祭じゃ―――っておい?!」
ぐいぐいと青白い顔の彼の手を引く猪地くん。困惑する彼の意思を無視しながら人の波を掻き分け、突き進んで行く。
「心操くん、ちょっと来て! 君に力を貸して貰いたいんだ。ていうか来い。借りを返せ!」
「オイ、どこの借金取りだよ。わかった。ついてくるからその馬鹿みたいな握力で握るのは止めろ!」
「緑谷くん、天哉、茶子ちゃんの荷物持った!?」
「うん!」
「あぁ、俺たちも行くぞ。道が塞がれてしまう」
先行する二人の後を緑谷くんと共に追う。この方向は保健室か。心に対する個性、もしかしなくとも彼がその力の持ち主なのだろう。入試と言っていたが、彼も猪地くんに救助された口なのだろうか。それにしてもさっきの猪地くんは珍しいぐらいの勢いだったな。自分の個性だけでは麗日くんを救ってあげられないことが、かなり堪えているのかもしれない。
そして麗日くんの居る保健室に辿り着き、リカバリーガールにアイディアを話す猪地くん。それを聞いたリカバリーガールは「なるほどね」と頷く。
「考えは悪くない。でも必ずあたしの目の前ですること。指示はあたしが出すから、心操はそれを復唱すること。猪地は副交感神経を活性化させつつ、血液のpH値が傾かないように呼吸量、心拍数を主に注意すること。他に少しでも異常があったらすぐ報告することいいね?」
「わかった」
「はい」
麗日くんが昼食を食べられなかったため点滴を処方されていたが、その針を抜きながらリカバリーガールは言葉を続けた。
「これから先はデリケートな作業だ。そこの二人はコレでも食べて外で待ってなさい」
ハッカ飴を持たされて、俺達は外へ追い出される。保健室の外の廊下に出た俺と緑谷くんはパイプ椅子に座り、ハッカ飴を乱暴に噛み砕いた。清涼感というには尖りすぎた刺激が口内いっぱいに広がる。痛いとも言えるほどにだ。
「僕たち、何もできないね」
「もどかしい気分だな。だがそんな不安そうな顔をしたら駄目だぞ。不安な表情は伝播するらしい、と昨日読んだ本に書いてあった。笑顔で迎えられるよう俺たちは信じて待たなくては」
ただ信じて待つ。俺たちにできるのはそれだけだ。廊下の窓からにこやかな顔で下校する生徒たちを遠目で眺めた。そしていつもの麗日くんの笑顔を思い出し、チクリと画鋲を踏み抜いたような痛みが胸に走る。
「本にか。飯田くんは誰かがこんな風になるかもって思ってたんだ」
両手を組み、額を押さえるようにして俯いた緑谷くんがぽつりと呟く。
「そうだな。兄や猪地くんに言われてその可能性は考えていた。そういえば昼休み、オールマイトは何と言っていたんだ。きっとアドバイスをもらったのだろう?」
「うん、『僕が来た』っていうのを一番を獲ることで周りに示して、皆を安心させてやれって」
「そうか。どうやって一番になれとは言われたのか?」
「心も助けてこそ真のヒーローなんだって。だからいつもオールマイトは笑うんだって。そう言ってた。笑っている人が一番強いから、考えることより、訓練することより、まずは笑いなさいって言われたんだ」
笑いなさい、か。ナンバー1ヒーローからのアドバイスだけあって疑う余地はないのだろう。実際兄さんもいつも笑っていた。どんなときもだ。だからその言葉は俺の胸にもスッと入ってくるものがある。きっと俺にはその部分が欠けているという自覚もより一層強くなった。
「僕は笑って表彰台の天辺に上るよ。僕自身のためだけじゃない。みんなのためにも、麗日さんのためにも」
口角に両手の人差し指を当て、上に引き上げて笑顔を作る緑谷くん。その指に伝う大粒の雫。
「オールマイトの師匠が、よくこうしていたんだって」
「こうか?」
緑谷くんの言葉に鼻をすする音が混ざる。俺も指で口角を吊り上げて真似してみた。
「飯田くん、変な顔。目が真顔だよ」
「涙目の君が言うのか?」
「泣いてないよ。ヒーローは泣かないんだ」
こうして二人で笑顔の練習をしているといつの間にか小一時間が過ぎていた。すると保健室の扉が開き、麗日くんと共に猪地くんと共に出てきた。どうやら上手くいったらしい。
「デクくん、飯田くん。心配かけてスマンね。もう大丈夫! 私めっちゃ元気になったから」
「よかった。顔色が全然違うね。安心したよ」
緑谷くんが笑顔で声を掛ける。その姿を真横から見たが今日一番の笑顔だ。二人で練習をした成果があったな。
「ふー疲れた」
思いっきり上方に肩を伸ばしながら普通科の心操くんが外へ出てくる。そして心操くんは大きなため息をつきながらこう言った。
「あーなんだ。成り行きで俺、全部知っちゃったから。騒がれていること以上に大変なことになってたんだな。同情するよ。リカバリーガールと約束したし、当然口外はしないようにするけどさ。まぁ、偶になら愚痴ぐらいは聞いてやる」
「どういう心境の変化だ? 先程クラスに来た時の君の態度は喧嘩腰に感じられたのだが」
「打算だってあるさ。俺は今回の体育祭で結果を出して本気でヒーロー科編入を目指す。後のクラスメイトになるかもしれない奴らと繋ぎを作っておくのは決して損じゃないだろ」
「って私が説得したんだよ。偉いでしょ」
どやぁー、っと言いながら胸を張る猪地くん。だが確かに良く言いくるめてくれたものだ。心に働きかけることで、麗日くんの感情を一時的にでも整理してくれた彼と繋ぎを作れたのは俺たちにとってもかなりプラスだろう。
「猪地巡理。お前、空気読めよ」
こうして俺たちは違うクラスに新しい仲間を得ることになる。