英雄の境界   作:みゅう

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第26話 二人だけの準決勝

 降り注ぐ爆音の弾雨とそれを相殺する氷結の刃。必殺技とも呼べる大技が飛び交う激戦に会場の熱気は最高潮に達していた。

 

「やっぱりこの二人は別格だねぇ」

「悔しいが認めざるを得ないな」

 

 順調に俺も巡理くんも勝ち進め、轟くんと爆豪くんの準決勝戦を二人で観戦している。次の試合は当の巡理くんと俺の試合だが、個性の関係上間違いなくステージの修復に時間がかかるため、同じ入場口から彼らの試合を二人で見守っていた。

 

 目を惹くのは何も大技だけではない。空を自在に舞い様々なフェイントを駆使する爆豪くん、氷壁で自在にステージを作り変えて相手の機動力を制しつつ、徹底的に鍛え抜かれた身体能力と体術を生かす轟くん。

 

「うーん。会場の温度を下げて、爆豪の出力を下げるのも悪くない選択だけど炎を使わない分、轟くんの消耗も激しいし、長期戦狙いで立ち回ってる爆豪の方が戦略面でちょっとだけ有利かな?」

 

 傍目から見れば互角の二人を冷静に評価する巡理くん。普段から手段、戦術面よりも戦略面を重視する彼女の視点での解説が横で聞けるのは中々に勉強になる。

 

「今からでも実況席に行ったらどうだ? 巡理くんなら歓迎される気もするぞ」

「それは褒めすぎ。相澤先生が居るから充分でしょ。言うべきことと敢えて口にしていない部分と使い分け上手いしあの人。それにしてもあの二人どっちが来ても厳しいね。正直、強すぎでしょ」

「総合面はともかく相性面の問題か。どっちが勝つにしても俺たちは中距離技がない。純粋な体術勝負に持ち込めるかがキーポイントだな」

「だね。でも、そこまで真剣に考えられるとちょっと拗ねるな。天哉は私との試合より決勝戦の心配の方が大事なんだ?」

「いや、そういったことでは」

「じょーだん」

 

 ドンと強く平手で背中を叩かれる。俺はもう慣れてしまったが、しっかり踏ん張らなければ、前につんのめるところだった。

 

 彼女の独り言を偶然聞いてしまった後、しばらくは気まずい雰囲気が続いたが、緑谷くんの治療や轟家の問題などのドタバタによって気が紛れたのか、彼女の苛立ちはどうやら収まったようだ。ヒーローネームを決める前にいずれ腹を割って話す必要があると思うが、少なくともそれは今ではないだろう。

 

「団体戦では負けちゃったけど、次は一対一だ。今度は私が勝つからね」

「こちらのセリフだ。最初の模擬訓練では良いようにやられてしまったからな。リベンジさせてもらうぞ。兄に絶対負けるなと言われているからな」

「また“お兄さん”だ。本当に天哉はお兄さん大好きだよね。実はちょっとブラコン入ってる?」

「ブラザーコンプレックスか。確かに俺は兄を敬愛しているが、世の中で言われている意味とは少し違うと思うぞ?」

「私は恋愛感情のことだけ言ってるわけじゃないけど……まぁいいか」

 

 何故かため息をついた後、巡理くんはオレンジジュースを喉に流し込む。俺の分を全て飲み干されそうな勢いの彼女を引き留めようとしたときだった。

 

 震えるズボンの右ポケット。身体が自然と共鳴する。このバイブレーションの長さからしてメールではなく電話か。一体誰からだろう?

 

「ぶっ!?」

「電話だ」

「ちょっ、不意打ちずるいって!」

 

 口から少量のジュースを吹き出した彼女は、ハンカチで口と喉元辺りを拭い取りながら「どうぞ」と片手のジェスチャーを俺に送る。

 

 画面を見ると母さんからだ。ひょっとして激励の電話だろうか。つながらなかったものの兄さんには一度合間を見て電話していたが、そう言えば母さんにはまだだったな。忙殺されていたとは言えども、俺としたことが完全に失念していた。巡理くんに甘え、その場で通話ボタンを押す。

 

「もしもし、母さん連絡を怠り申し訳ないです。でも何とか準決勝まで来ました」

『そ、そうだったの? 見てあげれなくてゴメンなさいね』

 

 電話越しの母の声はいつもより早口でどこか上ずっていた。あの母さんが俺の試合を見ていないのは不自然だ。

 

「母さん、一度深呼吸して落ち着いて下さい。何かあったのですか?」

 

 母さんに向けてではない。自分に言い聞かせるために、それを音にする。

 

『そうね。私が取り乱しちゃ駄目よね。天哉、落ち着いて聞いてね。天晴が……』

 

 胸の動悸が深く、大きく。まるで喉元に手をかけてくるように――――

 

『兄さんが(ヴィラン)にやられたわ』

「天晴兄さんが?!!」

 

 そんなわけがない。あの兄さんが(ヴィラン)にやられるなんて。絶対に嘘だ!

 

「怪我の具合は? どこの病院ですかっ!?」

『落ち着いて聞いて。天晴は無事よ。“今”は傷一つないわ!』

 

 傷一つない。なのに兄さんが(ヴィラン)にやられたと母さんは言う。そんな馬鹿なことが在り得るのか? 得体の知れない不安が頭の中を駆け巡る。もしあの時の巡理くんのように兄さんが原因不明の昏睡状態にでもなっていたら、と。

 

「一体何が起こったんですか?」

『ここでは……いいえ。私からは話せないの。警察と天晴の同僚の方が詳しく知っているわ。だから天哉、直接病院にあなたが来て欲しいの。もし天晴が元に戻るとしたら、多分あなたでないと駄目なのよ』

「もちろんすぐ行きます。でも俺でないと駄目とは一体?」

『――――来れば、わかるわ』

 

 すすり泣く母さんの声。母さんが泣いた姿を見たことなど、今まで一度あったかどうか怪しいぐらいだ。これがただ事ではないのは電話越しでも理解できる。

 

『でもね、生命に全く別状はないのよ。本当にね』

「しかし、母さん」

『天晴はあなたの優勝を期待していたのよ。だから天晴のためにもしっかり勝って来なさい。大会が終わってから出発しても夜には着くわ。学校、明日はお休みでしょう? 場所は保須市の保須総合病院よ。駅近だからすぐにわかると思うわ』

 

 俺の抗議を遮るように母さんは言葉を続けた。そうか、そうだな。生命に別状はないのだ。ここまで来たからには兄さんにいい報告を持っていかなければ。

 

「わかりました。保須総合病院、ですね」

『私はずっと病院に居るから、近くまで来たらまた連絡してね。ゴメンね。警察の人が呼んでいるから、また後で』

 

 そこで母の声は途切れた。通話ボタンを切ってポケットに携帯をしまい込む。

 

「端々しかわからないんだけど、お兄さん、大丈夫なの?」

「あぁ。(ヴィラン)にやられたらしいが生命に別状はないらしい」

「そうなんだ。良かった……って言ったら駄目だよね」

「不幸中の幸いといったところだろう。心配を掛けてすまない」

 

 差し出されたオレンジジュースのボトルに口をつける。落ち着けという意味合いを込めて出してくれたのだろう。しかし、妙に味気なく感じるのはきっと俺の感情の問題か。

 

「病院って保須市なんだよね。ちょっと遠いから早退するよね? 事情が事情だし、先に着替えて準備してなよ。私、相澤先生に言ってくるから」

「いや、その気遣いは結構だ。母さんにも体育祭が終わってから来いと言われたからな」

 

 母さんがそう言うのだ。今急いで行く必要はないのだろう。ならば俺は成すべきことをやってから向かうべきなのだ。

 

「義務とか、ルールとか、約束とか。そういったことを凄く大事にするの、天哉の良いところだと思うよ。でもさ。融通が利かないのが悪いところだって、前に何度も言ったよね?」

「そうだな。確かにな。以前君たちに言われてから自覚はしているつもりだ。しかし今なぜその話を?」

「君がどんな顔でそのセリフ言ってるか気づいてる? 鏡で自分の顔を見てきなよ」

 

 俺の両耳を摘み、ぐっと顔を寄せて来る彼女の眉間には深い皺が刻まれている。そんな彼女の手を下から軽く腕で払い、ゆっくりと口を開く。

 

「巡理くん、俺だってそこまで鈍感じゃないぞ」

「なら、なんで? すぐにでもお兄さんのところに行きたいって顔してるじゃんか!」

「選手宣誓であの女性に、皆に誓ったのは俺だ。だから俺がこの場を離れるわけにはいかない。俺が優勝しないと……」

「ふざけないで!」

 

 わかっているさ。でも兄さんとの約束、巡理くんとの約束、そして何よりあの宣誓が俺の足を縛り付ける。感情と理性の二律背反で身動きの取れない俺は相当に格好悪いのだろう。

 

「そんな状態で私やあの二人に勝てると本当に思ってるの? 恥ずかしくない試合ができるの思ってるの? 今だってちゃんと私のこと見てないでしょ。上の空じゃんか。舐めないでよ!」

「勝つしかないだろう! 俺は副委員長だ! インゲニウムの弟なんだ!」

 

 今度は俺の両肩を掴み激昂する彼女。肩を激しく揺さぶられる俺の口から溢れ出してきたのは、情けないぐらいに支離滅裂な台詞だった。

 

「わかったよ。私と試合をしよう――――今、ここで」

 

 そんな俺の言葉に怯むわけでもなく、反論するでもなく、両手を離し数歩後ろへ下がった巡理くんはそう告げた。

 

「私たちが決着つけるのに、二十秒も要らないでしょ。だから“今”だよ」

 

 何故だとか、そのような疑問を投げかけてもきっと答えてくれないだろう。半身の構えをとった彼女からは有無を言わせない威圧を放っていた。こうなったときの彼女は理屈では動かない。

 

「本気、なんだな?」

 

 ボトルを床に置いて、俺も構えを取る。

 

「本気じゃなかったらこんなことするわけないでしょ。戦わなかったらステージまで通してあげない。それで理由はできるよね? それから天哉、私が勝った何でも言うことを一つ聞いてもらうから」

「拒否権はないのだろうが、負けてやるつもりはないぞ」

「乗った、ってことでいいんだよね?」

 

 巡理くんはそう呟いた直後、俺から目を逸らすかのように足元に視線を移す。薄暗い廊下の影の中へと、存在感が溶けこむように消えていく。彼女の必殺技とも呼べる縮地法。

 

 彼女の無拍子の入りの瞬間は今の俺の力量ではまだ読みきれない。だが緑谷くんと一緒に何度もビデオで研究した。だから入る瞬間はわからずとも、入った直後の動きならば――――見える!

 

 試合じゃない、ただの私闘。先生方にバレたら大事になるだろう。副委員長の俺が規則を破るのは本来なら論外とも言える。でも、だからこそ彼女はこの場所を指定した。決まりよりも大事なものがあるだろう、と俺に伝えるために。わかっているさ。

 

 そして二十秒という制限時間を妥協点として示したのも、周りにバレないため。そして、出し惜しみするなという彼女の訴え。

 

「レシプロバースト!!」

 

 視界のギリギリ右端から拳を振りかぶる彼女の姿を捉えると、同時に軸足を踏み込み太ももの付け根を狙ってローキックを放ち――――入った。

 

「っ……たぁいな!」 

 

 カットされることもなく、綺麗に決まった。巡理くんは苦悶の表情を浮かべながらも、勢いで蹴り飛ばされないようその瞬間に俺のジャージの襟を掴む。そして直後、俺の左頬に痛みが走る。

 

 拳で頬骨を殴られたときのような鈍い痛みでない。甲高い音を響かせる彼女の掌。

 

「平手だと、君こそ本気なのかっ!?」

「本気で説教してるんだよっ。このわからずや、糞真面目っ!」

 

 まだ襟を掴んだまま再び右手を振りかぶる彼女を引き剥がすべく、スケート選手の様にその場で急旋回をし、遠心力で彼女の身体が浮いた隙に、手首に一当てして緩んだ指を外す。

 

 すると当然彼女の身体は遠心力で俺から離れ、体勢を崩したところへ臀部に中段蹴りを入れる。そしてここは狭い廊下だ。壁に上体をモロにぶつけ、受け身を取りそこねた彼女はすぐに立ち上がろうとするが、そこへ間髪を入れずに追撃の膝蹴りを――――彼女の顔面ギリギリで寸止めした。入れるつもりはなかったし、その必要すらなかった。 

 

「偉そうなことを言っておきながら何だ。このざまは」

 

 二十秒もかからなかった。エンジンはもう要らない。

 

「君の方が精彩を欠いているじゃないかっ!」

 

 こんなに簡単に追いつけるほど、君は弱くはないはずだ。

 

「だって、天哉が……また苦しいこと背負おうとしているのに、こんな馬鹿なことしかできない自分が悔しくて」

 

 彼女は片唇を噛み締めながら言う。

 

「脳無のことはともかく、今回は俺の家族の問題だ。だから君がそんな顔をする必要はないんだ」

「言ったじゃん!」

 

 そんな顔をしないでくれ。

 

「私にとって君は“特別”なんだって。私は真っ先に天哉の力になってあげたいんだって!」

 

 何で君が、泣いているんだ。

 

「ちゃんとした人付き合いなんて、本やドラマの世界でしか知らないんだよ。だからこういうときどうしたらいいのか、なんて言ってあげたら正解なのか全然わかんなくって、意味分かんないこと喚いたりして、本当にゴメン」

 

 以前は絵本を読み聞かせるかのように、淡々と語っていたこと。でもそれをもう一度彼女は感情を込めて告げる。

 

「でも、家族が居なくなる辛さは私はたくさん知っているから。天哉にはそんな思いをさせたくないってこと、それだけはわかって欲しい」

 

 そうか。父親を亡くし、母親と別れた経験があるからこそ、こんなにも彼女は取り乱したのか。兄さんの容態の詳しいことはわからない。母さんの言う通り今は無事だと言われても、万が一兄さんと二度と会えなくなるようなことがあったら、俺は一生後悔する。この体育祭で優勝を逃すことなんかよりも、ずっとだ。

 

「…………わかった。俺の負けだ。兄さんのところへ行くよ」

 

 彼女の真摯な気持ちに、俺のつまらない意地が負けた。結局の所、そういう話だ。勝ったら言うことを聞けなどというらしくない発言をしたのはきっと、俺にそう強制させるため。それ以外の理由はなかったのだろう。

 

 

 

 

            

 

 

              ×                 ×

 

 

 

 

 

 こうして俺たち“二人”は準決勝を放棄して、保須市へと向かった。巡理くんに付いてきてもらったのは、彼女の涙を振り切れなかった俺の弱さと、兄さんの容態をこっそりと“診て”もらえれば何か進展があるかもしれないという薄汚い打算。

 

 八百万くんに作ってもらった地味めな上着を羽織り、巡理くんは縁日のときのようにパーマした髪型に変えてメガネをかけ、俺はメガネを外して髪の流し方を変えた。そして念の為駅前で買った花粉症用のマスクをそれぞれ装着した上で新幹線の座席に座る。

 

「爆豪が優勝したんだって。でも私たちが棄権したのが気に入らなくて、すっごく暴れているみたい」

 

 片耳のイヤホンでネットラジオを聞いていた彼女が、ため息混じりの苦笑を見せる。

 

「彼らしいというか何というか。しかし俺たちのせいだから彼にはきちんと謝らないとだな」

「だね。爆豪に頭下げるのは嫌だけど、しょうがないね」

「下げるのか……」

「天哉、何なの。その顔?! 私だって嫌いな相手にも最低限の礼儀はあるよ?」

「冗談だ」

「冗談言う人じゃないでしょ。君は」

 

 彼女はポーチから昼に本来食べるつもりだったらしい、いつものタッパーの蓋を開ける。カットされたグレープフルーツを取り出して俺の方へと差し出すが、俺は首を振ってそれを断る。

 

「ありがとう。気持ちだけで充分だ」

 

 俺がそう言うと彼女が自ら頬張ると思いきや、タッパーを中にしまい込んだ。いつものお裾分けではなく、完全に俺を気遣っての行動だったらしい。

 

「今日は疲れたでしょ。少しの間だけでも寝とく?」

「いや……胸騒ぎと言うか、妙に冴えてな。確かに寝たほうが良い自覚はあるのだが」

「時間になったら起こすよ。私、ラジオ聞いてるから起きてるし」

 

 窓のブラインドを下ろしながら彼女が言う。

 

「だからおやすみ。ベスト4だって元気に報告しなくっちゃ」

「あぁそうだな。君の言う通りだ。すまない。少し言葉に甘えていいだろうか?」

「すまないじゃないよ。ありがとう、でしょ?」

「……ありがとう」

 

 瞼を閉じ、背中に体重を預けるようとすると「これ使うと良いよ」と巡理くんが丸めたタオルを首元に当ててくれる。至れり尽くせりも良いところだな。彼女には本当に頭が上がらない。

 

 そして乗客らの話し声などの雑音が徐々に遠のき、仄かに漂う柔らかな柑橘の香りが眠りへと誘う。トン、トン、トン。まるで赤子をあやすかのように、規則正しく胸元に刻まれる優しいリズム。

 

 恥ずかしさなど考えることもなく、ただ暖かな手に身を委ね、静かに眠りへと落ちていった。

 

 

 

 

 

 




かなり長くなってしまった体育祭編もこれで終了です。
初期プロット通りならもう二人で体育祭を抜け出して恋の逃避行的な感じになるかと思えば、本気の痴話喧嘩になっていました。

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