英雄の境界   作:みゅう

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今回はヒロインの奮闘編です。


第31話 不死の妙薬

 職場体験一日目、エンデヴァー事務所は保須での祝福(ハレルヤ)の捜査の急な引き継ぎのためサイドキックや事務員の皆さんはバッタバタの様相で、それはもう通勤ラッシュの改札口みたいな殺伐さを感じた位だった。

 

 元々警察から捜査依頼を受けていたインゲニウム事務所と一緒に事にあたるのかと思っていたけれど、ヒーロー殺しに襲われて休養中という事を表向きの理由に保須を去り、別の土地で極秘の潜入捜査を始めるそうだ。

 

 保須での捜査の全てを引き継ぐ羽目になったのに加え、ヒーロー殺しの捜査も並行して行うので実質仕事が二倍でてんてこ舞いらしい。とんでもないときに来てしまったのだと思ったけれど、これは全部私の報告のせいだったと思い出して大変申し訳なく思う。

 

 皆さんが懸命に働いている中、私はひたすらエンデヴァーと性能試験という名の対人戦闘訓練をひたすらに受けていた。炎を封印した状態の糞ひ────じゃなかった、エンデヴァーにひたすらボコられていた。強いというか強すぎでしょ本当。あの脳無をやっつけたその実力を嫌と言うほど思い知らされた。

 

 ひどい怪我はしなかったけど、容赦なくゲロまみれにされていた。私が個性のおかげでタフだからって、やりたい放題だ。でも良く言えば、私はただのお客様扱いはされていない。どこまでなら反応できるのか、どんな癖があるのか、どれだけの手札があるのか、体育祭で見れなかった部分に関して本気で私を試しているってのはヒシヒシと感じた。

 

 期待の裏返しだとサイドキックの皆さんは言うけれど、最悪なことにその言葉は嘘じゃないんだろうなと思う。とっておきのカウンタークロスをようやく一本決めたときにすっごく笑ってたもんあの人。戦闘狂とは違うけれど、これ多分育成マニアだ。私の体格や癖に合わせた体術の改善策を時折的確に提示してくれるあたり、すごく指導者として優秀なんだろう。

 

 まだ雄英に入ってまだ二ヶ月目ということもあるし、多数の生徒を同時に指導しているせいもあるだろうけれど、学校よりもかなり踏み込んだ指導をくれるのが嬉しくもあり、同時に小憎たらしい。

 

 轟くんの火傷痕が家庭内暴力によるものらしいということや、お母さんが心を病んで入院していること位しか家庭事情を知っているわけではないけれど、轟家の闇をこの数時間で思い知ってしまった。そりゃ父親を嫌いになるよね。轟くんの嫌悪っぷりにも、実体験として納得できた。

 

 休憩のたびに、部屋の隅に置かれた高級フルーツの山に齧り付きながら、どうやってやりかえそうかと、感謝と報復の念を唱えるという作業を繰り返し、あっという間に夜が来た。

 

 ちょっとした趣向返しの気持ちと、手土産のつもり半分で私はあることをエンデヴァーに持ちかけていた。そしてその結果、今の私は────

 

「ありがとうございます。本当にありがとうございます」

 

 泣きながら頭を下げ続ける羽目にあっている。でもこれは嬉し涙だ。想定の100倍くらいの幸せの波に私の心は完全に攫われてしまい、私は本題を完全に失念していた。

 

「鯛の身がほんとうにプリップリで、甘くて美味しいです。このお吸い物もはまぐりがとても大きいし、ふっくらして噛むたびにジュワーって旨味が染み出して来るし、本当に美味しいです」

 

 ちょっと二人で内緒話ができる場所を借りたいと言ったら、日本庭園が見渡せて、高そうな掛け軸やら大きな百合をたくさんあしらった生花が飾られているような料亭、テレビドラマのお見合いのシーンに出てきそうな感じの豪華な場所に私は連れて来られていた。

 

 辛抱生活に慣れきっている私に料理を選ぶ勇気があるわけもなく。エンデヴァーが料理を勝手に頼んでくれたけれど、覗き見たメニュー表には時価という恐ろしい文言がズラッと並んでいた。うん、二度とここには来ることないなと確信する。こうなったら存分にたかろうと30分前くらいまでは思っていたけれど、襲い来る美味しさの洪水に昼間のドロドロとした感情はすっかり浄化されていた。これだけ贅沢してしまうと、この職場体験が終わってからの私は元の豆苗生活にちゃんと戻れるのだろうか?

 

「それから特にこの車海老の踊り食いなんか最高です」

 

 手の中で暴れまわるエビの殻を剥くのはちょっと残酷だったけれど、活きているエビがこんなに美味しいなんて初めて知った。歯ごたえも甘みも私の知っているエビと全然違う。

 

「俺は酒と多少の肴があればいい。すぐになくなりはせんから、落ち着いて食え。足りないなら追加すればいい」

「流石トップヒーローとなれば、すごく羽振りが良いんですね」

 

 舟盛りから遠慮なく一番脂の乗ってそうなトロっぽいものを掴み取る。大トロか中トロかわからないけれど多分良いやつだ。口に含むとほとんど噛まなくても、スーッと口の中脂の甘みが口に溶け出していった。これが芸能人が食レポしている味か。私にはただただ美味しいとしか言えないや。

 

「昼間は俺もヒートアップし過ぎたからな。インターンならともかく、職場体験ではあれは流石にやりすぎだった。その詫びもないわけではない、が」 

 

 ビールのグラスをグイッと煽り、エンデヴァーは本題を切り出す。

 

「オラシオン、お前の目から見た、オールマイトについて。洗いざらい話してもらうぞ」

「えぇ。でもあくまで私の個性による観察と、周りの状況を加味しての推論って感じなので100%あっているわけではないと思いますんで、それを念頭に置いて話を聞いて下さい。でも全く自身がない事を言うつもりはありませんから」

「御託は良い。要点を話せ」

「ならまずは簡単な方から。多分気づいていると思いますが、ウチのクラスの緑谷出久。彼がオールマイトの後継だと思います」

「その根拠は? 個性が似ているというのは誰が見てもわかる。そうお前が言う自身はどこから来る?」

「酷似しているというより、ほぼほぼ同じなんです。彼とオールマイトの反応が」

「それはお前の個性で見た感覚だな?」

「はい。ただ、いつも感じ取ってる生命反応とちょっと違う気もするんですけど、オールマイト固有の周波数みたいなのがあって、緑谷くんが個性を使うときに、酷似した反応が出るんです。素は全然違うんですけどね。でも世界に同じような反応を出せる人はまず居ないと断言しても良いです。なんというか、オールマイトの反応は本当に変なというかデタラメな感じなので」

「アイツがデタラメなのは百も承知だ。それでその反応を感知した上でお前はどう考える?」

 

 ため息というか、でかい鼻息をついて、エンデヴァーは私に続きを促す。

 

「そうですね。実は緑谷くんと同じ中学出身の子がクラスにもう一人居るんですけれど、えっと大会に優勝した彼ですね。曰く父親が火を噴く個性で母親が物を引き寄せる個性だから、増強型の個性を発現するのは有りえないって言ってたんです。緑谷くんは中学まで無個性だったはずだとも。緑谷くん本人は入学直前から謎の超パワーを扱えるようになったと言っていたんですが、何か隠し事しているような雰囲気でしたし」

 

 あまり余計な言葉を挟まず、私の言葉をビールをすすりながら聞きに徹するエンデヴァー。グラスが空いたようなので、私は先程の女将さんの見よう見まねで瓶ビールを手に取り、空のグラスにビールを注ぐ。ちゃんとこぼさず注げたけど、泡が半分以上の比率になってしまった。なんか私の良く知ってるビールっぽい絵面ではない。

 

 エンデヴァーは文句も感謝のどちらも言わずビールに口をつけたけれど、察するに多分これあんまり上手にできていないんだろうな。未成年の私にはコレは難しい、要社会勉強だ。 

 

「緑谷くんは今のご両親に預けられたオールマイトの隠し子か遠縁の親戚、その線を私は疑っています。緑谷くんがオールマイトに呼び出されて二人でお昼ご飯を食べたりしたこともあったみたいですし、クラスメイトとしての視点から考えてもあの二人がただの生徒と教師の関係以上の中であることも間違いないと思います。実際、担任のイレイザーヘッドが贔屓し過ぎるなと注意していたくらいでしたし、傍目から見ても親密だと思われます。この件についてこれ以上のことは現段階では言えませんが」

「体育祭で見た限り、判断力などの素材は悪くなさそうだが、基本的な筋力も戦闘経験も足りていない。練度不足にもほどがある。後継勝負ならウチの焦凍の方が圧倒的に仕上がりは上だな。取るに足りん。だが非常に参考になった。やはりお前に目をつけた俺の目に狂いはなかったようだな」

「恐縮です。あの……非常に言いにくいんですけど茶碗蒸しだけ、冷めない内に食べて良いですか? 次の話がメインでちょっと長くなりそうなので」

「茶碗蒸しだけとは言わん、一旦落ち着くまで食え。その価値がお前の話にはある」

 

 なら遠慮なくと茶碗蒸しを平らげ、霜降り和牛の陶板焼きに舌鼓を打ち、サザエのつぼ焼きをほじくり返して、少しお腹を落ち着けてから私はメインの話に話題を移す。エンデヴァーは熱燗を嗜みながら私の話に耳を傾ける。

 

「オールマイトがなんで雄英の教師として赴任して来たって件について、さっきの話にもつながるんですけれどまず一つは後継の緑谷くんの育成、そしてもう一つは自身の療養のためだと私は思います」

「育成の方は辻褄が合うから良い。だがヤツが療養だと? それも貴様の目で見たのか?」

 

 手にしていたお猪口を乱雑に置いた衝撃で、残っていたお酒が飛び散った。さっきまでとは打って変わって目つきがより一層鋭さを増した。

 

「はい。何で入院していないんだろうかってくらいあの人の体はボロボロです。呼吸器官が半分位駄目になってますし、胃袋の反応がない感じからしておそらく全摘しているんだと思います。正直、ヒーロー活動どころか日常生活もかなり辛いんじゃないでしょうか。だからリカバリーガールの居る雄英に来て、ヒーローとしての出動回数も制限を掛けていると私は思っています」

「ふっ、ふざけるなっ!」

 

 エンデヴァー自身もかなり意識して先程までは感情を抑えていたのだろうが、もう流石に我慢できなくなったようで思いっきり声を荒げた。鼓膜が痛い。

 

「お前の推論が仮に事実だとして、何故その話を俺にした。極秘事項なんてレベルの話ではないだろう。アイツ一人の問題ではない。ヒーロー全体、いや国を揺るがすような大問題なんだぞ!」

「体育祭で実際に話しをしてみて、私なりに色々調べてみて、エンデヴァーというヒーローが本当に必死にオールマイトを追い越そうとしていたってことは凄くわかりました。実際事件解決数はオールマイト以上ですし、私は純粋にその点において貴方を尊敬しているから、祝福(ハレルヤ)の件で頼らせてもらいたいって思ったんです」

 

 オールマイトは偉大すぎるヒーローだ。他の国々では犯罪率20%近くある中、わずか一桁に抑えられているのは日本と極小数の小さな辺境の国ぐらいなものだ。平和の象徴という立場を維持し続けているオールマイトの存在がなければ、今の日本の治安はなかっただろう。

 

 そんな偉大すぎるヒーローに本気で追いつこうとしていたんだなと、エンデヴァーのことを私なりに調べてみて改めて思った。多分、憧れや好きの裏返しの気持ちをこじらせてこうなっちゃったんだろうなって私は考えている。だからこそ、私はこのオールマイトの件に関してもエンデヴァーに頼りたいと思ったのだ。

 

「怒らないで聞いて下さいね。当たり前だと思うんですけれど、オールマイトの弱体化なんて、貴方としては不本意な事ですよね?」

「当然だ。俺は、俺が駄目でも焦凍にヤツを超えさせると誓ったが、そんなみっともないザマのヤツを超えたことを誇って何の意味がある!?」

「そう言ってくれて良かったです。本当に平和のことを考えるなら、オールマイトは治療をもっと受けて療養するべきなんだと思います。そしてもっと踏み込んで言うなら、私の個性を使い倒してでも治すべきだとも。私とリカバリーガールの個性の相性は凄く良いんです。リカバリーガールだけでは治療に耐えきれない体力の落ちた人を私の個性でフォロー出来ますし。なんでもは出来ないけれど、機械だけでは足りない情報の読み取りだってできるんです。リカバリーガールもオールマイトも先生たちも、多分手段としてはわかっているはずなのに、全然声を掛けてくるそぶりもない。何とかして治療を受けてもらいたいんですけれど、どうしたら良いのかなって────」

「どうしたら良いのか、だと!? オラシオン、馬鹿か貴様はっ!」

「別に一人で治療するわけではないのだろう、ベテランのリカバリーガールの帯同する中で何を恐れている? オールマイトのヤツも、教師陣の頭の固さも大概だが。逆に貴様は意志が薄弱過ぎる! 俺の知っている最高の医者はな、とある新人ヒーローが加減を間違って敵を死ぬ直前まで痛めつけたとき、その馬鹿なヒーローの横っ面を引っ叩いて呆けさせた隙に敵を治療していたぞ。なんの戦闘力もない貧弱な女がだ。『私の手の届く所では誰も死なせない』とな、治療を拒絶する敵も引っ叩きながら治療するような苛烈な女だった」

「その医者ってもしかして────」

 

 そんな鮮烈な人物像に思い当たる医者は私が知る限りただ一人。

 

「そうだ。これは俺がエンドレスに出会った最初で最後の出来事の話だ。俺を殴った医者など、リカバリーガールを除けばあの女が唯一の存在だったよ」 

 

 手酌でお猪口に酒を注ぎ、軽く口をつけたエンデヴァーは言葉を続けた。

 

「強く意志を持て。親真似でもなんでも良い。オラシオン、貴様の生き方は小賢し過ぎだ。今日一日のやり取りだけでも十分にわかった。周りの戯言が多少うるさい環境に居たようだが。雑魚の話など気にするだけ無駄だ。大成したいのならば上を見ろ。先達の背中だけを追え!」

 

 オールマイトの後を本気で追いかけ、強さを求め続けてきたヒーロー。その極端な活動姿勢に対しての批判は決して少なくない。強さは頂点に届かずとも、事件解決数という領域に置いては既にオールマイトを凌駕している。その努力は、向上心は決して偽物なんかじゃない。だからこそ彼の言葉は私の胸に強く突き刺さった。

 

 周りの見下し方が酷いし、教え方は乱暴だし、言葉も粗雑だけれど、とても強く頼れる人だ。改めてエンデヴァーの人物評をそう更新する。この事務所に来たのはやはり正解だった。

 

「そして改めて問うぞ。何故貴様はその話を俺に振った?」

「オールマイトを救いたいと思ったからです」

 

 今にも倒れてしまいそうなのに、決して弱音を吐かず虚勢を張り続けている平和の象徴(オールマイト)。何とかしてあげたい、私なら何とかできるはずというちょっとした自惚れとお節介心。褒められた感情ではないのかもしれない。でもこの心は、ずっと感じていたもどかしさは私自身の気持ちで間違いないんだ。これは犬のおじちゃん(レスキューワン)との約束とは別の、私の意志だ。

 

「ならばやれ、迷うな、諦めるな、無理をも押し通せ。お前自身の意志でだ!」

「はい!」

 

 強く。大きく。私は私自身の意志を込めて返答をする。

 

「俺も雄英の出身だ。俺からも今度リカバリーガールたちの説得に行ってやる。平和の象徴を、俺の目指した頂点を、決して落ちぶれなどさせるものか」

 

 不敵な笑みを浮かべるエンデヴァーは、そう強く言い切る。

 

「ありがとうございます」

「だがまずは、眼の前の祝福(ハレルヤ)の件が片付いてからだ。詳細不明の非合法な薬品らしいが、まともな団体にまともな研究をさせればヤツの治療に役立つかもしれんしな」

「えぇ。インゲニウムの負傷からの復帰具合を考えると、リカバリーガールの個性並みの効果があるかもしれませんしね」

「それにヒーロー殺しの奴も絶対に逃さん。英雄回帰などバカバカしい。アイツがオールマイトの何を知っているというのだ。この俺が必ず牢獄にぶち込んでやる。そのためにお前の目を雇ったんだからな。働きに期待しているぞ」

「はい!」

「おい、ここの料理が気に入ったのだろう? オールマイトの治療費代わりだ。寿司でもデザートでも好きなものを頼め」

「────お酌させて頂きます」

 

 お金の力はとても偉大だ。ヒーローになりたい邪な理由が一つだけ増えた。

 

「……今日のことは轟くんには言えないな」

 

 黒蜜のたっぷりかかった葛切を頬張りながら、そう感じた罪深い一日だった。

 

 

               ×         ×

 

 

 

 

 

 翌日の朝イチで私たちは保須市に移動した。サイドキックと事務員の何人かは前の晩から移動していたみたいで、私たち現場組が臨時事務所到着した直後に祝福とヒーロー殺しの捜査網を同時に展開するための会議が行われた。

 

 ヒーロー殺しの行動パターンの分析によると目立たない路地裏などの狭くて暗いところを好み、単独行動しているヒーローを狙う傾向にあるという。そして対人戦闘においての戦闘力もかなり高いことも想定される。

 

 それに対するエンデヴァー事務所の方針は、いわゆる囮捜査だ。祝福(ハレルヤ)の捜査のために囮役が路地裏などを単独で歩き回り、もう一人の監視役が交戦時に即座に対応できるギリギリの距離に潜伏する。ヒーロー殺しとの交戦が始まれば他のチームも合流し、捕獲網を張るという作戦だ。

 

 正直なところ無難な作戦だよねと話を聞いている最初の内は思っていた。けれど、どこで交戦が起こっても一定の戦力を確保した強固な網を迅速に張れる人員配置の仕方などを、細かな計算に裏付けられた作戦詳細を聞いていく度に、流石事件解決数ナンバーワンの事務所だなとただただ驚嘆するばかりだった。一時間にも満たない会議だったけれど、最精鋭の捜査チームの実力をまざまざと見せつけられた感じだ。

 

 そして私ももちろん現場に出ることになる。監視役として私の個性による感知力が期待されての配置だ。そして私の組む相手は最大級の囮であるエンデヴァー本人。ヒーロー殺しの演説内容から考えると、おそらくエンデヴァーはヒーロー殺しにとっては偽物扱いの存在だ。エンデヴァーの戦闘力は他のサイドキックと一線を画しているので、戦闘に入っても私は戦闘に参戦しなくても良いということになっている。闇に紛れているであろうヒーロー殺しをいち早く察知して、無線でエンデヴァーに奇襲を知らせ、逃走時に備えた応援を円滑に呼ぶのが私に任された役割だ。責任重大な任務である。

 

 早速現場に出た私は路地裏を歩き回るエンデヴァーの後ろをコソコソと追跡し続ける。感応範囲は敢えて絞り込み、エンデヴァーから死角になりそうな部分を中心に、気配を潜めている存在がいないか入念に探し続けていた。

 

 無線での定時連絡で他のチームと連絡を取り合ったりするのは、スパイ映画で見たやり取りみたいでちょっと胸が高なった。すっかり私もチームのエージェント気分だ。

 

 そうしてスニーキングミッションをこなすこと二時間ぐらいのときだった。エンデヴァーが何らかのドラッグの取引現場に遭遇。個性を使うまでもなく、売人と購入者の二人の男にそれぞれ鳩尾に痛烈なパンチを一撃ずつ入れ、あっさりと場を制圧してしまう。戦闘にすらなっていなかった。

 

 私は装備の盾に格納していた信号弾を発射し、即座に無線で応援を呼ぶ。危険はないだろうからとエンデヴァーに呼ばれた私は、手持ちのロープで購入者の方の拘束の手伝いをした。売人の方は完全に気を失っていたので、エンデヴァーが体中をまさぐって錠剤らしきものや手がかりになりそうなものの確認を行っている。

 

「なぁ、教えてくれよ。エンデヴァーが出張ってくるってことは、やっぱりこの祝福(ハレルヤ)ってのは本物なのか?」

 

 購入者の男性、相澤先生より少し年上ぐらいの年齢だけど頬は痩せこけ、目元に酷い隈を作ったその人は神様にでも縋るような口調で手首を拘束作業中の私へ話しかけてきた。

 

「わかりませんし、言えません」

 

 そうとしか私は答えられない。決してその質問に答えてはいけない。

 

「抵抗する気はないんだ。俺の体なんかいくらでも、何年でも牢屋に入れてくれたっていい。でも、でもっ!」

 

 あぁ、嫌な役回りだ。この人は多分不老不死の言葉に群がる権力者だとか、そういった類の人なんかじゃない。ねぇ、お願いだから。おじさん、泣かないでよ。

 

「無茶だとも、駄目元だとわかっている。でもこの薬を妻のところに届けてはくれないか? ガンの末期で、どんな抗癌剤も効かなかったんだ。だからこれが効かなかったときは仕方ない。でもこの最後の希望を試さない内には妻の生命を諦めたくはないんだ。金はいくらでも積む。決して口外もしないと約束する。だから、だからせめて薬だけでもっ!」

「ならん!」

 

 エンデヴァーの鋭い怒声が薄暗い路地に反響する。

 

「これは未認可の薬だ。肉体的にも、社会的にも大きなリスクが想定されているからこそこうして取り締まっている」

 

 強い語気に圧倒されて、おじさんは沈黙するしかなかった。おじさんは放心状態になったように目線を宙にあてもなく漂わせている。まるで心がどこかに飛んで行って、体だけが蝉の抜け殻になったかのようだ。

 

「この人の罪の重さって、どれぐらいなんですか?」

「おそらく事情聴取と数日の拘束に罰金ぐらいで済むだろう。ギリギリで購入寸前であったし、使ってもいないからな」

 

 末期ガンと言っていたから、奥さんに残された時間はそう長くはないのだろう。でも数日で開放されるなら────

 

「薬は絶対に渡せないけれど、これを持っていって下さい」

「これは一体?」

 

 殴り書きのメモをロープで縛ったおじさんの手に持たせる。

 

「落ち着いて開放されたら、ここの窓口に相談してみて下さい。生命を救うことに必死な人たちがここには集まっています。症状を言ってくれれば、的確な病院や先生を紹介してくれるはずです」

 

 おじさんのメモには聖輪会(メビウス)の窓口の一つの電話番号を書いていた。生命を救うことが最大かつほぼ唯一に近い教義であるこの宗教は様々な怪我や病気で切羽詰まった人たちの最後の拠り所でもある。個人的にはあまり頼りたくない宗教だけど、本当に助けが必要な人たち、特にこのおじさんみたいな人には紹介するべきなんだと思っている。

 

「例え聖輪会(メビウス)系列の病院内で手が負えない状態だったとしても、最先端の研究をしている各地の専門医に繋ぎを作ってくれたり、そういうこともしています。私の、猪地巡理の名前を出してくれれば早く対応してくれると思いますので、その……これぐらいしか私にできなくて────」

「君があのエンドレスの、そうか。ありがとう。お嬢さん、本当にありがとう。これで希望が出来た。ぐすっ……」

 

 感極まって泣き続けるおじさん。助かると決まったわけでもないけれど、何とか希望を少しでも繋げられたみたいで良かった。

 

「おじさん、泣いたら疲れるよ。警察に着いたらしっかり事情を話して早く出られるように頑張ってね」

「わかった。そうするよ。うっ、すまない。本当にすまない」

「こっちはもう大丈夫ですね。そっちの売人の方はどうですか?」

 

 鼻水と涙でぐしょぐしょのおじさんの顔を拭ってあげながら、エンデヴァーに話を振る。

 

「粗方、めぼしいものは押収した。これが例の薬らしい。何か気づくところはあるか?」

 

 私に錠剤の入ったピルケースの内の一つを投げ渡すエンデヴァー。見た目は至って普通の白くて小さな錠剤だけど、手元のそれを見つめる度に妙な違和感が浮かんでくる。もしやと思った私は感応範囲を最小に絞って、代わりに感度を最大まで上げてみる。

 

「何これ…‥‥」

 

 なんてこった。私だけにしか見えない悍ましい光景に直面し、私はなんと説明するべきか言葉を一瞬見失う。

 

「どうした?」

「ドラッグの知識はまだまだなんですけれど、多分これが本物の祝福(ハレルヤ)で間違いないと思います。インゲニウムのときは注射タイプでしたけど、これもきっと本物のはずです。決して普通の錠剤が出していい反応じゃないですから」

「オラシオン、どういうことだ? 貴様は生物の反応しかわからないのではなかったのか?」

「そうです。これがただの錠剤なら私の個性じゃ反応を感知できるはずがないんです」

 

 そして一呼吸置いてからわかりやすい言葉で言い換える。

 

「これは生きています(・・・・・・)

 

 まるで植物の種子のように、この中には生命が眠っている。これは生命の定義を揺るがしかねない存在だ。

 

「なん、だと……?!」

「私、これだけは言い切れます。祝福(ハレルヤ)を作った人は、絶対に正気じゃない」

 

 目の前に死を振りまく敵が詰め寄ってきているわけでもないのに、まるで得体の知れない怪物に背中をざらついた舌で舐め回されているような感覚に襲われる。嫌悪感と困惑とがないまぜになったような奇妙な感覚。

 

 あぁ、そうだ。久々に私は思い出した。これが恐怖という感情だ。 

 

 




心操くん原作再登場ヤッター!
まさかウチのSSで編入させた二週間後に原作でもやってくれるなんて胸アツです。(想定外とも言います)

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