英雄の境界   作:みゅう

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初の心操くん回です。


第33話 心操から轟へ

 職場体験の初日。マニュアル事務所に来た俺と轟は午前中はこの保須の街を取り巻く情勢の話を聞いた。飯田の兄であるインゲニウムを負傷させたヒーロー殺しの出現に加え、非合法なドラッグの蔓延まで噂されているとのことで要警戒地区の一つであるそうだ。

 

 事前情報である程度はわかっていたつもりだったけれど、エンデヴァーが明日こちらに臨時事務所を設けるという話まで聞いたら、結構ヤバイんだなと改めて思った。

 

 そしてその話を聞いたときの轟は深い皺を眉間に刻み、下唇をぐっと噛みしめていた。あんまり感情を表に出さないタイプだと思ってたけど、爆豪や情緒不安定なときの猪地みたいだ。いや、それよりもっと酷いかもしれない。クラスから話半分には聞いていたけれど、随分とここの親子仲は悪そうだ。エンデヴァーの話題は地雷だな。俺からは絶対に話題を振らないようにしよう。

 

 テレビでお昼のニュースを見ながら情報収集しつつ、出前のざる蕎麦をみんなで食べた後、午後は地図を広げながらパトロールマップの講義を小一時間ほど行った。

 

 気が立っている人が多いゲームセンターやパチンコ店などの遊興施設の周囲をいざこざが発生しないように牽制のため巡回ルートに組み入れたり、スリが発生しやすそうな人混みや、恫喝などが行われても気づきにくい路地裏も漏れなく回ったり、小学校の下校時間には通学路を中心に、夕食時前後は中高生がたむろしそうなコンビニ前に比重をずらしたりなど、色々考えてルートも作っているらしい。

 

 マニュアルさん曰く「特別なことじゃなくて当たり前に考えればできる基礎的なことだからね」とのことらしいが、ヒーロー科の授業をまだ禄に受講出来ていない状態の俺はその基礎が全くできていないから、一つ一つがとても勉強になる。ただもしかしたら俺に気遣って、丁寧な座学も入れてくれているのかもしれないと思うと、轟に申し訳ないとも思う。本当俺なんかがクラストップと一緒で良かったんだろうか。

 

 そしていよいよ座学の後は実践編ということで街を実際にパトロール開始だ。道行く人に声をかけながら街を歩き、それとない日常会話から不審者の目撃情報を得たり、調子の悪そうな老人を玄関先まで送り届けて上げたり、眼の前で転んだ幼児の膝小僧に絆創膏を貼ってあげたりと、本当に地道な活動の積み重ねの連続だった。

 

 有名なヒーローというわけではないし、固定ファンも特出して多いわけではないけれども今日一日の活動を見ていれば、彼がどれだけ街に馴染んでいるか伺い知る場面は本当に多かった。

 

 マニュアルさんもヒーローの象徴そのものであるオールマイトのどちらも『良い人』の延長線上に居ることは確かだけれども、一般人から見て手の届かない頂きに居るオールマイトと凡庸さを装ったマニュアルさんだと後者の方が圧倒的に距離感が近い。相澤先生がこの事務所を強く俺に勧めてきたのはきっとこういう姿を見て来いということだったのかな。 

 

「さぁそろそろ日も暮れてくるし、寄り道せず気をつけて帰るんだよ」

 

 公園のベンチでカードゲームに興じていた小学生たちに声を掛けるマニュアル。その後ろで俺と轟も植木の陰に転がっていた空き缶や新聞紙を拾い上げ、設置されていたゴミ箱にきちんと捨てておく。

 

 街の清潔さも治安向上のための大事な要素だ。汚い場所にはより一層ゴミが溜まり、モラルの低い人間たちが集まっていくようになってしまう。そういった場所を減らすことも大事だが、ヒーローが率先してそういった姿勢を見せることで周囲の人々が自発的に清掃を心がけるようにするようにと考えているらしい。休日には清掃ボランティアの人々たちと一斉清掃イベントを主催することもあるそうだ。

 

「はーい。じゃーね、マニュアルー」

「飛び出しには気をつけてね」

「うん、雄英のお兄ちゃんたちもバイバーイ!」

「……ばいばい」

「──バイバイ」

 

 俺たちも手を振り返し、足元の小学生たちを見送る。

 

「ほら、二人共表情が硬いよ!」

「すみません」

「こう、ですか?」

 

 平謝りする轟と緑谷が保健室でやってたみたいに指で口角を釣り上げる俺。

 

「オールマイトみたいに満面の笑みをしろっては言わないけど、なんというかもっと力を抜いて自然体で行こう。肩の力を抜いてさ」

「気をつけます」

「意識してみます」

 

 何か似たようなこと言ってるな俺たち。そう言えば転科初日に俺のことを『初期ろき君みてぇ』と瀬呂たちが言っていたけれども、マニュアルさんからも俺と轟はそう見えるんだろうか。

 

「さて。今日はぐるりと要所は一回り出来たし、今日の夜は他の事務所の管轄だから、これから事務所に戻るよ。一旦着替えたらせっかくの初日だし一緒に晩ごはんでも行こうか。保須の美味しいところおごってあげるよ」

「いいんですか?」

 

 年下らしく素直に奢られるのが良いのか、しっかり拒絶するのが正しいヒーローのあり方なのか、俺自身奢られるという感覚があまり馴染みがなくて、そんな言葉しか出てこなかった。

 

「あんまり高い所だと親父が煩いから安い所で良いです」

「焦凍くん、大衆店だから大丈夫。エンデヴァーみたいに俺は稼ぎが良いわけじゃないからね。ハハッ」

 

 

 

            ×            ×

 

 

 

 そうやって連れて来られたのは60を過ぎたばかりぐらいの老夫婦が営む街の小さな中華料理店。マジックで手書きされた壁のメニュー表の油染みや、俺の祖母世代のアイドルのポスターなどがこの店の歴史を物語っているかのようだ。

 

 料理はマニュアルさんが適当に頼んでくれた。酢豚やエビチリ、麻婆豆腐に五目チャーハンなどの色とりどりの料理が空きっ腹の俺たちの目の前に並ぶ。できたてならではの湯気と、ゴマ油や香味野菜の香ばしい香りが食欲を刺激する。とても美味しそうだ。

 

「頂きます」

 

 食材とそれを作ってくれた人、お店の人とマニュアルさんに感謝の気持ちを込めて手を合わせる。

 

「気を使わず勝手に取り分けてね」

 

 そうマニュアルさんに言われたので、中華店ならではの回転テーブルをぐるぐるさせながらそれぞれが思い思いの料理に手を付ける。俺はチャーハンからだ。すごくパラパラなのに噛めば噛むほどにしっとりした食材の甘みが口内に広がる。すこし大きめの角切りのチャーシューがジューシーでパンチのある肉って感じだ。

 

「このチャーハン、ウチのと違ってすごく美味しいです」

「でしょ? 特にチャーハンが絶品なんだよここ。気に入ってくれて良かった。轟くんはどう……ってありゃ、美味しいんだけど先に言っておくべきだったか。ここ本格四川の店だから香辛料が結構効いているんだ」

 

 隣を見れば珍しく目頭に涙を浮かべた轟がお冷を一気飲みしていた。相当辛かったんだな。俺が空になったコップにお冷を追加してやると、轟は手振りで感謝の意を示した後もう一杯も一気飲みする。

 

「あーよく見れば結構ヤバイ色してるもんな、その麻婆」

「焦凍くん、落ち着いた?」

「はい、もう大丈夫……です」

 

 口直しだろうか、甘酢の効いてそうな酢豚を取り皿に入れながら轟はそう言う。安心したようにホッとため息を付きながら轟は酢豚をゆっくりと噛み締めていた。

 

 テーブルの上を空にした頃にはペコペコだったお腹も落ち着き、お店の好意でおまけしてもらったデザートの杏仁豆腐を頬張りながらマニュアルさんの話に耳を傾ける。規範的なヒーローとしての真面目な話も多かったけれど「明日のお昼は馬香亭のカツ丼にしようか」みたいな他愛のない話も多く、馴染みやすい人だなと改めて思う。

 

「それで今日一日、職場体験してみてどうだった?」

「ヒーロー科に入ってからまだ二週間も経っていないから、なんというか浮ついた感じで実感があまりなかったんですけど、パトロールに行ってみてやっとなんかその実感が湧いた気がします。それに俺、個性のこともあってあんまり人付き合いとか上手くやって来れてなかったって自覚があるんですけれど、マニュアルさんと街の人たちのやりとりを見て、その親近感とか馴染みやすさとかは真似したいというか、憧れるなと思いました。みんなから頼られるヒーローに俺もなりたいです」

「まさかのべた褒め?! そんな気を使わなくていいからね。俺は本当に普通だから」

 

 マニュアルさんが目を丸くして驚いているけれど、これは俺の素直な所感だ。そして轟も似たような言葉を俺に続けて言った。

 

「俺も、親父みたいな戦闘ばっかりのヒーロー像しかイメージなかったから、普通のヒーローがどんな活動をしているか知れて良かったと思います。ウチの親父だったら信頼感から来るあんな自然な聞き取り調査とかできないと思いますし」

「いやいやいや、エンデヴァー本人は聞き取り調査は不得意かも知れないけれど、あそこの事務所の本領はサイドキックの分業化による抜群の調査能力だから。それを統率して判断しているエンデヴァーは本当に凄いよ。ヒーローとしてもだけど、管理者・経営者としての腕の良さはエンデヴァーやインゲニウムあたりが同業者の間からも真っ先に名前が上がるからね」

 

 マニュアルさんは轟とエンデヴァーが不仲ということは察していながらも、エンデヴァーをしっかりとフォローする。確か事件解決数はオールマイトを超えているんだっけ。冷血な戦闘狂なイメージが頭にチラつくけれど、そうとう頭と要領が良くないと無理だよな。

 

 猪地はその辺りを見越してエンデヴァー事務所に行ったんだろうか。アイツはてっきり引っ付き回っている飯田とプッシーキャッツの事務所に行くと思ったけれど。ちなみにこれは俺だけではなく大体のクラスの奴らの総意だ。

 

「そうだ。職場体験だから基本的には俺の普段の活動について回る形にはなるけれど、何か見てみたい活動とかやってみたいことはある? 全部という訳にはいかないけれど、通常活動に支障をきたさない範囲ならできるだけ要望に応えるよ」

 

 あんまりエンデヴァーの話を続けるのは良くないと思ったんだろう。話題転換をするマニュアルさんの話に俺から先に乗っかることにした。 

 

「基礎トレとか、体術とか、その辺りが俺はクラスの皆より致命的に遅れているんで、少し見てもらえたら嬉しいです」

「うん、戦闘力は大事だよね。少しでも追いつけるように手伝うよ」

 

 ナイス要望、と言う意味なのだろうか。親指を上に立てて見せるマニュアルさん。

 

「俺も戦闘を見てもらっても良いですか?」

「勿論だとも。あの雄英体育祭で二位をとれる実力あるんだから、俺が教えられることは少ないかもしれないけれど、学校だと同じ相手ばかりになるから、たまには違う相手もいいよね。それに炎の制御訓練も水を操る俺と一緒なら安全だし」

「────炎の?」

 

 避けたはずの地雷源に再び戻ってきたマニュアルさん。今の話題変換は何のためだったんだ。ただ当のマニュアルさんは首をかしげながら再び口を開いた。

 

「ん? 俺の事務所を選んだのってそのためだと思ったんだけどもしかして違った? 体育祭の炎の使い方は見ていて危なかったし、てっきりそうだったのかなって」

「炎は、使いません。あのときだけです」

「えっ?」

 

 杏仁豆腐をすくっていたレンゲを置くマニュアルさん。

 

「────焦凍くん、『使えない』と『使わない』は全然違うよ。君はどっちだい?」

「使いたく、ありません」

「それは君がお父さんを嫌っているから?」

「端的に言えばそうです」

 

 マニュアルさんの目の色が変わった。その眼差しからは傍にいる俺から見ても、轟から一瞬たりとも目を逸らさないというような意志さえ感じる。

 

「ねぇ、焦凍くん。君の家庭事情を知っているわけじゃないけどね。ヒーローとして俺は尋ねるよ。君のそのこだわりは人命より大事なことなのかな?」

 

 人命より、か。轟はマニュアルさんがまさかそんなことを言うとは思っていなかったのだろう。何も言えないでいる。そしてしばらくの沈黙の後に絞り出すように轟は声を出す。

 

「その質問は卑怯じゃないですか? 人命より大切なものはないでしょう。それに俺は氷の力だけでも強くなります」

「うん、卑怯だったかもしれないね。人命より大切なものはない。それは俺もそう思うよ。そして確かに君は氷の力だけでも将来トップヒーローになれる可能性だってあるだろうね。なら今度は人使くんに聞こうか。君はどう思う?」

「俺は轟じゃないけれど、俺は救けるためにだったら何でもやります。俺の個性は人から信頼されないし、これまで良い思い出はないけれど、それでも皆のためになるんだったら使いこなしてやります。個性だけじゃない。サポートアイテムでも体術でも心理学でも、何でも使えるものは使って強くなります。夢のためなら、人の助けになる立派なヒーローになるためなら手段も選ばないし、努力も惜しみません。俺はそう覚悟して来ました」

 

 ここで一旦言葉を区切る。今度はマニュアルさんではなく轟の方をしっかりと見て、俺は本音をぶちまける。

 

「だから轟、正直言うとさ、お前を見てるとムカつくんだよ。爆豪だって決勝で言ってただろう『片方だけの力で戦うなんて、全力出さないなんて巫山戯るんじゃねぇ。俺を舐めるな!』ってさ。アイツは口も性格も最悪だけれどこれに関しては俺も100%同感だね」

「随分と饒舌じゃねぇか」

「この際だからハッキリ言ってやるよ。青山みたいにデメリットがキツイヤツ、尾白みたいにほぼ没個性に近いヤツ、緑谷みたいに個性の発現が遅くて出遅れたヤツ、猪地や麗日みたいにお金が無いヤツ。環境や個性に恵まれてなくても努力しているヤツらの姿を、転入したての俺なんかよりもお前の方がよっぽど見て来ているだろう。お前は何も感じなかったのかよ、変わろうとしなかったのかよ? それとも全く眼中になかったのかよ!?」

「人使くん、ちょっとヒートアップしすぎ。気持ちはわかったから、ちょっと声を抑えて」

「いいよマニュアル。青春しているじゃねぇか。他に客も入っていないし言わせてやんな」

 

 思わず声を荒げてしまった俺を抑えようとするマニュアルさんに対して店のご主人がそう言う。でも感情に任せて叫ぶのもカッコ悪いな。声量はいつもぐらいに抑えながらも、気持ちはしっかり込めて嘘偽りのない気持ちを轟に伝える。

 

「俺は変わるぞ。変わってやるんだ。もう一度言うぞ轟。俺は強くなるためになら何でもやってやる。そして自分の力を過信しているお前なんかよりもずっと沢山の人を守れるようになってやる。お前の顔の火傷のこととか、家族のこととか知らないけどさ、なんかトラウマがあるんだろう。お前、ヒーロー目指すんだったらさ、まずは自分のことぐらい乗り越えろよ。プルス・ウルトラしてみせろよ! お前ちゃんと麗日のこと見ていたか? アイツはトラウマを乗り越えたぞ。ちゃんと個性を前みたいに使えるようになったぞ!」

「お前に俺ん家の何がわかるんだよ」

「んなもんわかるかよ! でもわかることはあるぞ、轟。お前、あんまり人前で笑わないだろ。俺や爆豪も似たようなものだけどさ。なぁ。周りを、クラスを、ちゃんと見ているか? よく笑うんだよ、A組のヤツらは。笑顔は人に移るんだよ。緑谷なんかあの潰れていた麗日を笑顔にさせたぞ。アレはヒーローの大事な素質ってもんの一つなんだろうな。お前も爆豪も体育祭でトップとれる位強いのはわかるけどさ、俺は緑谷や上鳴たちの方をずっと尊敬しているぞ。逆にそういった意味じゃ俺もお前も爆豪も三人でクラスのドベ争いだ。きっとな」

「人使くん、一旦そこまでにしようか」

 

 俺の右肩にマニュアルさんの手が置かれる。テーブルの上のコップはさり気なくお冷が満タンになっていた。全然、見ていなかったな。「お冷、ありがとうございます」と口をつけて、乾いた口内を湿らせる。

 

「焦凍くんにも言い分はあるよね。言いたくない事情まで言えとは言わないけど、これだけ熱く語ってくれた人使くんに対して君はどう思った?」

「言われて初めて気づきました。確かに、俺は自分のことばかりしか考えていなくて周りを全然見ていなかった。それは認めます。でも、心操の話を聞いた後だとしても、俺は左の力は使いたくありません。俺はこの力が、お母さんを追い詰めた親父の力が心から、憎いです」

 

 左の前髪を今にも引きちぎりそうだと思えるほどに、握りしめる轟。

 

「母さんは『俺の左半分が親父に段々似て来て怖い』って言ってたんです。親父は人を笑顔になんかさせない。(ヴィラン)も周りも怖がらせるだけ。だから俺は親父みたいにはなりたくなくてこの左半分を、親父の個性は使わないって決めたんです」

「そうか、言いにくいことを告白してくれてありがとうね。でもね、思い違いをしているところもあるから訂正しておくよ。怖がられてるの君のはお父さんであって、焦凍くん自身じゃないよね。人使くんの言うように、笑顔の似合うヒーローになればいいんじゃないかな。君のお母さんは君の左半分を通して、お父さんの影を見ているようだけど、君自身がちゃんとお母さんと向き合えば、お母さんだってきっと本当の君のことを見て、父親とは全然違うんだってわかってくれると思うよ」

「でも、俺お母さんと何年も会ってなくて……」

 

 何年もって、そんな次元の話だったのか。肩を落とし、うつむく轟の声には全く力が感じられない。

 

「なら今度会いに行こう。会って、話をしなくちゃ何も変わんない。猪地や緑谷は麗日に対してそうしていたぞ。それにお前一人で行きにくいなら俺もついて行ってやるから」

「いや、そこまでは別にしてもらわなくても」

「いやだって俺も流石に言い過ぎたって思ってるし、お前発破かけないと意外とウジウジしそうだしな。いっその事、会いに行けって洗脳してやろうか?」

「人使くん?」

「……冗談ですよ?」

「少し話は逸れるけどさ、なんで僕たちの力を超能力や異能、他の名称じゃなくて『個性』って呼ぶか、考えたことはあるかい?」

「いいえ、特には」

 

 素直に俺はそう答える。急にどうしてそんな話をするのだろう。

 

「個性の黎明期、大きな社会の混乱が起こった話は学校で習っただろう? 不可思議な力の発現に皆が戸惑い、そしてそれを恐れた。その力が危害を加えはしないかってね」

「はい、そう習いました」

 

 沈んでいる轟に変わって俺が返事をする。

 

「その力を『個性』と呼び始めた曰くに関しては諸説あるけれども、俺は言葉通りの意味だと思うんだよ。個性はその人のパーソナリティ、うーん、砕いて言っちゃえばそれぞれの個人の人格そのものを表すものだから、忌避や排除をするんじゃなくて傷つけ合うことなくお互いに尊重しあいましょうってね。それに個性って語感の方が、超能力とかの呼び名よりは、謎の怖い力っていうイメージも薄れると思わない?」

「確かにそっちの方が、柔らかい感じがしますね」

 

 俺は頷きながらそう言った。

 

「焦凍くん。確かに個性は親から子に受け継がれていくものだけどさ、でも君の左半分も含めてそれは君自身のものなんだよ。君のお父さんのものでも他の誰のものでもない、君自身の力であるだけでなく、特徴づけるパーソナリティであり、君という人間を形作る要素の大事な一部だ」

 

 少し上体を浮かせたマニュアルさんは、轟の赤い頭をトントンと軽く叩いてから言った。

 

「炎はお父さんの個性じゃない。君の個性は君自身のものなんだってことを忘れないでくれ」

「くー、良いこと言うじゃねぇかマニュアル。お前も立派な大人になったなぁ」

「ねぇ。あの気弱な男の子がおっきくなったもんだねぇ」

 

 こちらの話を聞き入っていたらしい店主夫婦が注文していないはずのゴマ団子が入った小皿をテーブルに置いてくれた。ありがとうございますと三人で礼を述べる。

 

「ちょっと、堅苦しい話をし過ぎちゃったね。ごめんよ。まぁ、簡単にまとめたら、個性は君自身なんだからまずは君自身を見つめ直してもいいんじゃないかな? 炎はそのうちね、君の気持ちが変わったら練習すれば良いと思うよ。戦いの手段、引いて言うなら人を守るための手段が多いのに越したことはないからね。さぁゴマ団子食べよう。揚げたてで暖かい内が美味しいんだ」

 

 そう言って俺たちの取り皿にゴマ団子をよそおってくれるマニュアルさん。前歯で半分に割って見れば、火傷しそうな程に熱されたアンコが口内で縦横無尽に暴れまわる。でも美味しいな。

 

 横目で轟を見れば、吐息で冷ましながらゴマ団子を頬張っている。心なしか表情が柔らかくなったような気がした。これはきっとゴマ団子が美味しいからだけじゃない、よな?

 

 そして食事後に轟の方からマニュアルさんへ話を切り出した。

 

「マニュアルさん、もしよかったらこれから鍛錬に、炎の制御に付き合ってくれませんか?」

「勿論いいけど大丈夫、焦ってない? 無理しなくていいんだよ?」

「それは、焦っていないって言ったら嘘です。でも少しでも早くお母さんに堂々と向き合えるように、俺もまず自分自身()と向き合ってみます」

「わかった。明日の活動に支障の出ない範囲で少しずつ慣らしていこう。まずは事務所に帰ってコスチュームに着替えようか」

「はい」

 

 俺は横で筋トレしとこうかな。二人のそんなやり取りを見て俺はそう思う。そして、コスチュームという言葉に改めて嫉妬を感じた。

 

「早くコスチューム欲しいな……」

 

 マニュアルさんに聞こえないぐらいの声で俺はボソリと呟く。体操服に職場体験中と書かれた腕章をつけているのは正直恥ずかしい。職場体験の唯一の不満はそれだけだ。

 

 

 

 

            ×            ×

 

 

 

 

「何で、ここに?」

 

 それは職場体験三日目の夕方のことだった。お馴染みとなったルートのパトロール中、突如足元に現れた黒いブラックホールのようなものに吸い込まれ、路地裏を巡回していたはずの俺たちは何故か突如、見知った保須の街の公園で尻もちをつく羽目になっていた。

 

「いてて、大丈夫か轟?」

「あぁ」

 

 訂正だ。尻もちをついていたのはどうやら俺だけだったらしい。身のこなしの差をつくづく感じる。

 

「それにしても、ここはいつもの公園だよな? どうして俺たちはいきなりここに?」

「心操、多分(ヴィラン)連合だ。あの黒霧っていうらしいワープさせる個性持ちがいた。きっとソイツの仕業だ。何で俺たちがここに飛ばされたのかはわかんねぇけど」

 

 麗日の治療の際、飯田たちからおおよその話は聞いている。しかもその(ヴィラン)は参謀クラスのはずだ。体育祭の後に俺たち生徒を襲撃する可能性があるとは聞いていたけれど、まさか本当に来るなんて。

 

「なぁ轟、携帯使えないのって俺だけか?」

「いや、俺もだ。そもそも電波のマークが立ってねぇ。ジャミングされているか、電波関連の施設がやられているかどっちかだ」

 

 万が一でもこういう時のためにと、八百万から渡されていたものがある。体育祭でクラスの皆が付けていたプラスチック製のリストバンドだ。緊急時用のボタンをためらわず押す。

 

「押してみたけれど、電波届くかな?」

「わからねぇ。でも、俺のリストバンドもヴァイブレーションしてるし、作動事態はしていると思う。どこまで届いているかわかんねぇが。俺も一応押しとくぞ」

 

 轟が押した後、俺のリストバンドも緊急サインを示す振動が始まった。

 

「マニュアルさんが受信機持っていれば良かったけど、持ってるのは飯田と八百万、それに相澤先生だけだよな?」

「あぁ。あまりにも距離もあるし、受信機が作動しているかもわからねぇ。アテにはできないぞ」

「轟、取り敢えず場所を移さないか? 電波が入る所があるかも知れないし。近くに(ヴィラン)が居る可能性が高いからここに留まるのは良くないと思う」

「そうだな。問題はどっちに行くべきか────おい、心操。行くぞ!」

 

 公園の入り口近くの道路。視界の端に見えたのは地面に蹲る女性の姿とその横に立つツインテールの幼児の姿。駆け出す轟の後を追い、幼児たちの元へ向かう。だが何か様子が変だ。未就学児と思われる子供が見つめているのは地面に倒れている母親ではなく、ちょうど俺たちの位置からは見えない場所に居る何かから視線を離さない。

 

 これが虫の知らせ、というものだろうか。根拠のない悪寒が背中に走る。そしてようやく状況全てを確認できる位置に辿り着いた俺たちは、黒霧が何故俺たちをここに連れてきたのかその意図を察することができた。

 

 脳を剥き出しにした黒い肌の異形。障子よりもその体躯はデカイ。そして何より目を引いたのは手足を始め体中に埋め込まれた大小様々な瞳の数々。アレが噂に聞く脳無か。棒立ちした脳無は車椅子だったらしきものを、飴細工で遊ぶかのように螺旋状に捻じ曲げて路上に放り投げた。急げ!

 

 不味いな。車椅子はあの女性のものか。足が不自由だとしたら女性も幼児も逃げない理由がわかる。

 

「……つわざはだいじなひとをまもるときに。くらえ! お、おじろふらーしゅっ!」

 

 (ヴィラン)に向けて携帯のフラッシュを浴びせている幼児が泣き顔で叫ぶ。歩けない母親をかばっているのだろうか。こんな子供でさえ立ち向かっているのに、俺たちだけが逃げる訳にはいかない。

 

 そして子供はともかく、足が不自由な女性を抱えて逃げ切れると思うほど楽観的じゃない。ワープ能力の奴も近くで俺たちの様子を伺っているとしたら尚更だ。ここで抵抗しなきゃ、みんなここで死ぬ。

 

 許可だとか、言っている場面じゃないことは間違いない。少し距離があるけれど、俺の個性なら! 

 

『おい、そこの能無しやろう! 足を止めやがれ!』

 

 アイツを洗脳してやると、力を込めて念じ叫ぶ。だが返答がない。

 

「無理だ。アイツが雄英に出たのと同じタイプなら多分知性がない。俺が行く!」

 

 轟の十八番である氷壁のぶっ放し。瞬殺男という言葉がクラスで流行るぐらいには速く、そして強力だ。しかし────

 

 脳無の胸元に埋め込まれた瞳から放たれた火炎放射が無残にも轟の氷壁を相殺する。(ヴィラン)は、無傷だ。冷やされた空気が一気に膨張して突風が吹き荒れる。一瞬足が止まってしまった。

 

「俺が引き付ける! お前は二人を下がらせろ!」

 

 よろける上体を持ち直して、脳無の注意が子供たちとは反対方向に動いた轟の方に向く隙に、俺は親子の元へ向かう。

 

「わかった!」

「遠慮はしねぇ。最大出力だ! おとなしく凍ってろっ!」

 

 体育祭で見せた最大級の氷壁。相殺しようと脳無も対抗して炎を放出するが、今度は轟の勢いが強く氷山で脳無の体を拘束する。

 

 だが油断は一切できない。拘束できたとは言え、轟とは最悪の相性の炎の個性持ちだ。あの目の配置からしておそらく全身からアイツは炎を生成できる。それがわかっているからこそ、じわじわと溶けていく氷壁に轟は氷を絶えず重ね続ける。

 

「お母さんは大丈夫だ。俺たちが絶対に救けるからな」

 

 笑い方がわからない。でも少しでも安心させれるように、マニュアルさんのように子供の頭の撫でながら言う。

 

「うわぁあああああっ!」

 

 恐怖を必死で抑え込んでいたのだろう。その一言の後、子供が俺の胸元に縋り付いて離さない。

 

「あなたは雄英の学生さん?」

「はい」

「私のことは良いからその子だけでも安全なところにお願いします。私が囮になりますから、せめてその子だけでも……」

「うぉがあざぁああん!」

「安心しろ大丈夫だ。えぇ、大丈夫です。発信器で救援も呼びました。それに轟は俺たちのクラスで一番強いです。俺たちはあの化物に一度勝っている。だから絶対に負けません」

 

 轟に体育祭で勝った爆豪や、あれだけ丈夫な切島たちを瀕死まで追いやり、緑谷の怪力を持ってしても追い払うだけが精一杯だったと聞くあの脳無に対して俺たちはたったの二人。俺はまだまだ素人できっと轟のお荷物だ。でも轟は俺にこう言った。 

 

「あぁ、絶対に負けらんねぇ。心操、二人で守るぞ」

 

 俺だってもうヒーロー科の一員だ。強いとか弱いとか関係なく、守らなくちゃいけない立場なんだ。ここで逃げたらきっと俺は心が折れて、もう二度とヒーローを目指せなくなる。根拠はないけれどそんな確信が合った。だから俺は力強く一言で答える。

 

「うん。守ろう。守ってみせるんだ、俺たちで」

 

 全身に炎を纏った漆黒の悪魔が氷山を一瞬で溶かし尽くすという、絶望的な光景を見つめながら、絶対に見捨てるものかと、震える弱気な膝に喝を入れた。

 


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