英雄の境界   作:みゅう

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第36話 燃える街へ◆

 それが発覚したのは、俺がプッシーキャッツの元へ職場見学に来て三日目の昼食前のことだった。

 

「マンダレイ、此度の依頼がダブルブッキングとは一体どういう事なのだ?」

「ごめん、東京でのイベントの依頼が時期が天候不良でズレちゃってたんだけど、他の依頼が重なってしまったから、ずれちゃった側はお断りしていたはずだったんだけどね。ただ向こうの上の人にちゃんと断りの件が伝わっていなかったらしいのよ」

 

 サイドキックなしチームを組んでいるプッシーキャッツでは仕事は全てチーム内での自己完結しなければならない。報告書などの手続きはもちろん、依頼の調整もしなければならないのだが、どうやら面倒なことになっているようだ。

 

「うむ、ではこちらには否はないということだな」

「うん、アチキもスケジュール調整のときにマンダレイと断りの件を確認したから間違いない」

「でも向こうの担当さんが代理のヒーローを見つけられなかったらしくて“一人でもいいから来てくれ”って泣きつかれたってわけなの」

  

 マンダレイはスケジュール帳に何かをメモしながら大きなため息を吐いた。

 

「うーん、本当なら突っぱねたいけど、チームイメージ的にこことの繋がりは大事だからしっかり保っておきたいわよね。危ない依頼じゃないし、何とかして一人は向かいましょうか。みんなはどう?」

 

 ピクシーボブが「しょうがないわね」と、残りの二人に確認を取る。

 

「異議なしにゃん!」

「そうであるな。それで割り振りだが、元々引き受けていた依頼ではマンダレイとラグドールの二人は必須であるから、我かピクシーボブの二択になるがどう分ける?」

「保護猫の譲渡会イベントだもんね。虎よりは私の方が向いていると思うわ。お付きに天哉も連れて行くわよ」

「うむ、それが良いだろう。我一人だと圧迫感がある故な……」

 

 どこか寂しそうに肩を落とす虎。まぁまぁとマンダレイがその寂しそうな背中をなだめる。

 

「いいなぁ、猫ちゃんと触れ合えて。アチキも行きたかった」

「ねこねこねこ。みんなの分も私がモフって来るからね。天哉にも猫の良さを教授してあげるわ」

「保護猫の譲渡会ですか。そんな活動もしているのですね。ただイベントというと気軽なイメージがありますが、これは猫たちの生命に関わる重大な案件なのでは?」

「よく言ったぞ、天哉!」

 

 バシン、と背中に鈍く響く音。虎の豪快な平手に俺は一瞬前につんのめりそうになるが、グッと踏みとどまる。これもこの数日しっかりと体幹を鍛えた成果の一つだろう。皆からすれば本当にささいなことかもしれないが、俺は小さな成長を心の中で噛み締める。

 

「そうよ、これは保健所の猫ちゃんたちが処分される前に里親に巡り合わせるための重大任務なのよ!」

「なるほど、猫の生命も大事な守るべきもの。ヒーローを目指すものとして微力ながら俺も全力でお手伝いさせて頂きます!」

 

  

 

 

 

              ×         ×

 

 

 

 

 

 そんな流れで俺たち二人は現場に前日入りするためその日の夕方には新幹線に乗り、譲渡会イベントへ向かうことになった。

 

「新幹線と言えば、やっぱり駅弁よね。舞茸の風味がもち米に染み込んでいて最高! これでビールがあれば完璧だけどねぇ」

「仕事中です。ホテルまでは我慢ですよ」

 

 ビール替わりにと炭酸水をグイっとあおるピクシーボブ。私服での移動ならば夜の仕事はもうないので飲酒でも問題なかっただろうが、生憎とコスチュームを着ての移動、つまりパトロールの一環だ。特段車両の見回りをするわけではないが、ヒーローが車内にいるというだけでも置き引きなどの犯罪抑止効果にもなる。

 

「わかってるって。そういえば天哉って出身は東京って言ってたわよね?」

「えぇ。そうですが何でしょう?」

「ホテルの近くで美味しそうな居酒屋はないかしら? できればお魚が美味しいところで」

「……俺は高校生ですよ。そもそも居酒屋には行ったことがありません。ですが、最近グルメサイトの使い方にも慣れました。魚介が美味しい店選びですね。俺に任せて置いてください!」

 

 誕生日のケーキ屋探しで随分と慣れたという自負はある。複数の口コミサイトを併用して、駅弁を食したら早速リサーチするとしよう。

 

「そうだったわね。天哉、知らないならそこまで張り切らなくてもいいって! その代わりに詳しいお兄さんの事務所の男性に聞いてもらえたら……」

 

 身をよじらせながらピクシーボブは上目遣いで俺にそう言う。似たようなやり取りを繰り返せば、さすがに俺も対応がわかって来た。居酒屋ではなく、兄さんの事務所の男性陣の方が本命か。でもこの手の話をピクシーボブが出してくるのは場を和ませたいときということも俺は知っている。

 

「俺も詳しくは教えてもらえませんでしたが、兄は入院中との公式情報を利用して関西の方へ潜入捜査に向かっているらしいのでメインのメンバーはおそらく出張中ですよ」

「ブー、そんな無慈悲な。なら素敵な雰囲気のお店を検索しといて! もしかしたらイケメンと相席になるかもしれないし」

「素敵なお店ですね。了解しました!」

「張り切りすぎなくてもいいからね。それにこれはただの移動なんだからもっとリラックスしてご飯食べてたらいいのよ?」

「緊張しているように見えましたか?」

「だって山籠もりからの初出張でしょ? まじめなノリは知ってるけど、意気込みが顔に出てるわよ。新幹線ジャックみたいな事件が早々起こるわけじゃないから、本当にゆっくりしていていいからね。明日は君のちょっと苦手そうな笑顔いっぱいで、一日中対応してもらわなくちゃいけないんだから」

「そうですね。逃亡が難しい新幹線で犯罪を起こす者など早々……」

 

 そう口にしていたときだった。アーマーの下につけていたリストバンドが急に震え出す。

 

「プッ、どうしたの天哉? 体ごと震えてるけどまた電話? 電話スペースなら前の車両よ」

 

 口元を抑えながらピクシーボブが言うが、そんな事態じゃない。これを鳴らしたのは誰だ?

 

「いえ、電話ではありませんが。クラスメイトに何か不味いことが、起こっているかもしれません」

 

 GPSの受信器は確かカバンのこのポケットにしまっていたはず……あった。早速電源をオンにして機能を立ち上げる。

 

「どういうこと?」

「この前の体育祭から、敵連合に襲われることを懸念してGPS機能と緊急信号発信機能をつけたリストバンドをウチのクラス全員が装着していたのですが、その信号が鳴りました」

「用意周到ね。いえ、よく対策していたわね。それは良いとして、職場体験中なんだから敵との交戦はかなりありえると思うけれども、その利用の判定の基準は?」

 

 ピクシーボブの顔つきが変わった。彼女は弁当を台において受信機の画面をのぞき込む。

 

「敵連合と接触したとき、その他の敵と接触したときでも現場のヒーローで対応できないような事態に陥っているときの二択のみです」

「この赤く光っている二つのマーカーが救援要請を出しているのね? マーカーについてる数字の意味は何?」

「これは出席番号順ですので、轟くんと心操くんの二人です。場所は保須市」

「ステインが出現した場所ね。噂の火薬庫じゃない」

「えぇ、兄が襲われた要警戒地域です」

「ちょっと操作変わるわよ」

「どうぞ」

 

 ピクシーボブが二人のマーカーが指し示す地域を範囲拡大してみると、さらに二つのマーカーが近くに表示されていることがわかった。これは巡理くんか。東京に移動したとは聞いていたが保須だったのか。それに緑谷くんも近くだが、新幹線の高架沿いを高速で移動している様だ。俺たちとは別路線に乗っているのか。彼にピンチはなさそうだが異常には気が付いていることだろう。

 

 この二人が近くに居ること、相澤先生も同じ受信機を持っていることを伝えると、ピクシーボブは先生に電話を始めた。俺には現場のメンバーに連絡を取るように指示され、轟くんと心操くんに電話をしてみるも通信障害が起こっているようで何の反応もない。次に巡理くん、緑谷くんにかけてみたが同様の結果だ。

 

 頭の周るあの二人は直接巻き込まれていなくても、何かしら現地で対策に走ってくれていることだろう。そう信じる他はない。心操くんと轟くんのマーカーも二手に分かれた。状況的に轟君が囮になっているのだろうか。

 

 何もできない苛立ちが募る。仲間がピンチなのを理解していながら、俺は何もできないのか。考えろ、副委員長として俺に何ができるのか。スマホを握る手に思わず力が入る。

 

 ピクシーボブが先生と激しいやり取りをしているのを傍らで見ている中、俺もできる限り高速で思考を巡せ始めたところ、思考を切り裂くかのように車内に緊急停止の放送が流れた。保須の近くの路線でトラブルがあったらしい。そうして俺たちの車両も線路上に立ち往生することになった。

 

「降りるわよ。オレンジジュースだけ別の袋に急いで詰めて残りの荷物は乗務員さんに預けて!」

「はい、急ぎます!」

 

 電話を終えた彼女に促され、急いで用意をし降車する。保須まではまだ遠い、この場所から一体何をすると言うのだろうか。

 

「天哉、よく聞いて。どうやら保須は大規模な通信障害が発生中よ。無線類は一部使用可能なものもあるらしいけれどね。そしてあの街にはエンデヴァーも来ている。連絡元の二人が預けられていたヒーローも地味だけれど、固い仕事をする歴戦のヒーローよ。ステインのこと以外にもあの街はよくない噂が流れていて、他のヒーローだって警戒をかなり高めていたはずだわ。なのに、通信といい新幹線といい、これだけの事態が起こっている。はっきり言ってかなりの異常事態よ」

 

 ヘルメット越しに見えた、今までで一番真剣なピクシーボブの目つき。俺はただその言葉に無言で頷きをもって返す。

 

「チームのみんなとイレイザーには伝えたわ」

 

 両肩をしっかり掴んだ彼女が俺に命じる。

 

「プロヒーロー、プクシーボブの名において全責任を取ります。天哉、君の個性で保須市まで私を連れて行きなさい」

 

 個性の使用許可。この前の襲撃事件は雄英の敷地内だったため、自己防衛のためということもあってギリギリでお咎めなしだったが、これは状況が違う。職場体験中とはいえ、仮免未満の身なのだ。普通の判断ならピクシーボブは俺が向かうと言い出したりしたときに止める立場のはず。だが今回は全く逆の判断だった。

 

「下の道も恐らく渋滞し始めて、新幹線も止まっている。つまり足がない状態な訳だけど、逆に言えば全車両が止まっている今の線路ならば、何の邪魔もなく前を気にせず走行できる。君の最速ならそこらの車よりずっと早いでしょ。足場もいいとは言えないけれど、極端な悪路でもない。だから────」

「やります。俺にやらせて下さい」

 

 ピクシーボブの言葉を遮り、俺はそう告げる。

 

「俺には万能な個性が備わっているわけでもなければ、こんなときに素早く対策を打ち出せるほどの機転も足りないです。でも走ることだけは、早く救けるために走ることだけは、誰にも負けません。それにこのオーダーがどれだけイレギュラーなものかという自覚もあります。でもヒーローの卵として、友として、副委員長として、俺にやれることは全力でやりたい。だからどうか俺に任せて下さい。誰よりも早く駆けつけて見せます!」

「やっぱりスカウトしたのは正解だったみたいね。任せるわよ。これだけの長距離の直線、今まで走ったことはないでしょうけれど、ここは君の独壇場。観客は私しかいないけれどね、君の最速を見せなさい!」

 

 彼女はそう言って俺の胸元に拳を突き当てる。激励が胸に突き刺さったような気がした。

 

「えぇ、十五分で現地に────いいえ、それを切って見せます!」

「いい眼をするじゃない。それから戦闘は厳禁よ。君のやることは私を現場まで運ぶことと、保護対象を抱えて戦闘現場から最速で離脱、できるわね?」

「できます。最速で救助する、これが我が家の家訓ですから!」

「なら早速向かうわよ。まずは二手に分かれた方の内、戦闘能力のない心操くんのほうからね。移動速度も極端に遅いからケガをしているのかもしれない。そちらを回収後もう片方の回収に向かうわよ。行けるわね?」

「えぇ事前補給も済みました。いつでも出れます」

 

 俺はしゃがんでピクシーボブを背負う。拘束用のロープを念のために互いに巻き付けて落ちないように万全を整える。

 

「舌を噛まないように、そして絶対に手を掴んで離さないで下さい」

「オッケーよ。最速で私を運びなさい!」

 

 心操くん、後少しだけ耐えてくれ。必ず俺たちが救け出す!

 

「────天哉、出ます!」

 

 

 

 

 

 見通しが甘かった。そう痛感して俺は強く、奥歯を噛みしめる。今、何キロ走ったのだろうか。既にギアは最高まで上がっている。衝突を気にせず進めるのもいい。だがしかし、当初計算していたよりも進みが遅いことは確実だった。高架の上ということもあり、強い向かい風。ピクシーボブを背負っていることにより腕の振りが使えないこと。そして、砂利と枕木による想定以上の足場の悪さ。

 

 時折足をひねりそうになったり、爪先を枕木にひっかけそうになったりしながらも、何とか転倒しないギリギリで走行を続けていた。

 

 進行方向、保須市がある方に見えるのは炎上するビルや立ち上る黒煙。それも一つ二つでは済まない。あの戦火のどこかにみんながいる。早く、たどり着かなければならないのになんて様だ。

 

「天哉、悪い知らせよ」

 

 暴風に曝されているため、耳元に口元を近づけてピクシーボブはそう言った。悪路での高速移動による振動は半端なものではない。舌を噛む可能性を減らすため、極力しゃべらないように伝えていたのにも関わらず、ピクシーボブが告げるのなら、つまりそれほどに悪い事態に陥っているということだ。

 

「猪地さんの番号が赤く点滅したわ。エンデヴァーたちと一緒のはずだし、彼女の性格と交戦を極力避けれる個性を持ちながら、これを鳴らすなんて多分余程の事態よ」

 

 鳴っていたのか。走行による振動で全く気付かなかった。だがピクシーボブの言葉は最もだ。逃げることに特化させてしまった個性と経験を以てして、エンデヴァー事務所ではなくクラスメイトに助けを求めざるを得ない状況。相当に不味いと巡理くんも判断したのだろう。

 

「心操くんの反応は全く動かなくなったわ。隠れてやり過ごしているか、動けなくなったのか。轟くんはこの動きからして一か所に留まって多分交戦中だと思う。まずは心操くんを優先するのは予定通りよ。深刻な怪我の可能性も否定できない。まずは彼を救出後、状況を確認して残り二人の回収に向かうわよ。いいわね?」

「はい、了解しました!」

 

 巡理くんも、轟くんのことも不安だ。だが二人の強さは俺が良く知っている。やはり、心操くんを優先させるピクシーボブの判断は的確だ。俺はそう信じてただ走り続ける。

 

「天哉、もっと急がないと!」

「これでも全速力を出しています。これ以上は無理です!」

「この三日、私たちが何を教えたと思っているの? 山じゃないけれど、やってることは一緒よ! 前を向きなさい天哉っ!」

 

 弱音を吐いてしまった俺に、叱咤の声がを浴びせられる。

 

「……何をやっていたんだ俺は」

 

 前を向け、先を読めとそう教わったではないか。

 

 顔を上げる。

 そうだ、まずは思考をこの速度に追い付かせろ。

 

「そうよ、君の速度では見てから動かすんじゃ間に合わない。戦闘も走行も一緒よ。流れは自分で作るの!」

 

 足元見て走るのではない。

 ラインを読んで、動きを最適化させろ。

 

「そう、軸は極力ぶらさない。足をただ回すんじゃない。地面を強く蹴り続ける! そうすれば君はもっと早くなるわ。そうでしょ!? 飯田家の家訓はなんだったっ?」

 

 そうだ、他の分野で例え敵わないとしても。

 

「誰よりも早く救けに行くことです!」

 

 ただ走ることだけは。早く救けに向かうことだけは。

 

「雄英の校訓は!?」

 

 誰にも絶対に負けたくない。

 

限界を超えろ(プルスウルトラ)です!」

 

 俺自身が作ってしまっていた限界を、今ここで超えて行け。過去の自分は置き去りにしろ。

 

「そうよ。君の最初の走り(デビュー)、私がしっかり見届けるわ。頑張りなさい、天哉!」

 

 酷く冷たい向かい風なのに、なぜか背中から暖かな追い風が、吹いたような気がした。

 

 

 

 

              ×         ×

 

 

 

 

 そうして新幹線の高架から飛び降りた俺たちは、保須の燃え盛る街を走り抜けた。途中、色違いの脳無らしき敵とヒーローたちとの交戦も目にしたが、あそこは現地のヒーローに任せろとピクシーボブに言われ、心操くんの反応があった地点俺たち二人は目的の地点、とある路地裏へたどり着く。

 

「ここですね。ここのはずなんですが、ここにはごみ箱ぐらいしか。でも、心操くんが隠れられる大きさではないし、まさかリストバンドだけ捨てたのか? いや、そんなことをするはずが……」

「悩んでもしょうがないでしょう。戦闘の跡もないのが気になるけれど、考える前に、開けてみる!」

 

 小さなプラスチック製のごみ箱の中で頭を抱えてうずくまっていたのは、どこかで見たことがあるような幼児とも呼ぶべき年齢の子供だった。

 

 そしてその手には心操くんが持っているべきリストバンドを強く握りしめていた。

 

「もう大丈夫だ。救けに来たぞ」

 

 恐々と顔を上げた幼児の頭を軽くと撫でた後、その華奢な体を持ち上げてごみ箱の外へと下す。体中汚れているものの、特に外傷はなさそうだ。

 

「怖かったね。でも、もうヒーローが来たから大丈夫よ」

「うわぁあああん!」

 

 泣きじゃくる幼児がピクシーボブの胸元に飛び込む。よしよしとあやしながら、ピクシーボブは言葉を続けた。

 

「痛いところはない? 大丈夫?」

「……うん、いたくないよ」

「ねぇ、これは誰にもらったのか教えてもらえる?」

「ねこみたいなおめめのおにいちゃんが、わたしにくれたの。ひーろーがきてくれるおまもりだからもっておけって」

 

 少し落ち着いた幼児はそう言った。猫目のお兄ちゃんというのは心操くんのことで間違いないだろう。そうか、彼は自分よりもこの子の身を案じて、俺たちの誰かが見つけてくれるであろうリストバンドを託したのか。だが、そうなると今、心操くんはどこに行ったのだ。

 

「そのおにいちゃんはどこにいったかわかる?」

「あっちのみどりのやねのところっていえっていわれたの」

「なるほど、あの建物ね。ちゃんと覚えていて偉いね」

 

 よかった。見える位置にその建物は確認できる場所にあった。この子を安全なところに送り届けてすぐにも迎えるだろう。

 

「おかあさんはね。あるけないの。だからとおくにはいけないからあそこにいくって」

「お母さんとお兄ちゃんは一緒なのね?」

「うん」

「誰か怖い人に追いかけられたりしたの?」

「おめめがいっぱい、のーみそがみえてるひとからおにいちゃんたちがたすけてくれたの」

 

 この子が言っているのは脳無のことで間違いないな。歩けない大人を連れながらの逃走に限界を感じ、子供だけでもここに隠したのか。無事だといいが、状況を聞くにできるだけ急ぐ必要があるな。

 

「天哉、よく聞いて。ここからは別行動を取るわ」

「別行動、ですか?」

 

 ピクシーボブは心操くんのリストバンドを手にはめながらそう言った。

 

「幸い心操くんのいる場所はかなり近い。土魔獣も小さいけれど、なんとか何体か街路樹の土から生成できたわ。この子を私の土魔獣で避難場所に送り届けつつ、私はまず心操くんの救出に向かうわ。そして猪地さんはわからないけれど、少なくとも轟くんの方は脳無と接敵している可能性が濃厚よ。だから心操くんから状況を確認して私は轟くんの方に向かうわ」

「なら、俺は巡理くんの方に向かう、ということですね?」

「えぇ。ポイントは私も覚えたから、轟くんの安全を確保次第そちらに向かうわ。でも最初に言ったように戦闘は厳禁、彼女を確保して全速力で離脱よ。やれるわね?」

 

 カバンからオレンジジュースを俺に渡し、補給を促しつつ彼女はそう言った。

 

「わかりました。時間との勝負ですし、それがベストですね。最終合流地点は先ほど通り過ぎた避難場所でよろしいでしょうか?」

「全てが終わったらそこで合流しましょう。それから天哉、離脱が難しい事態になったら迷わずにそのリストバンドのアラームを鳴らすのよ。そのときは私もそちらに最優先で向かうから」

「わかりました」

「あと猪地さんのいる地点に応援をよこすように、ヒーローたちを見かけたら声をかけること。いいわね?」

「はい」

 

 そう返事した俺はオレンジジュースを一気に飲み干して補給を終える。これでガソリンは満タンだ。

 

「大丈夫、猪地さんは無事よ。君の足なら間に合うわ。さっきの走りを見たこの私が保証する」

 

 親指を上に突き立てて、ピクシーボブはそう笑顔で言った。

 

「はい、行って来ます!」

 

 送り出された俺は踵を返し、全速力で巡理くんの元へと向かう。

 

 戦闘などによる瓦礫で足場が悪かったりもしたが、先ほどまでの走行と比べたら何のことはない。山で修業した甲斐があったというものだ。

 

 

 

 

              ×         ×

 

 

 

 

 そうして俺がたどり着いたのは暗い商店街の路地裏だった。

 

 鼻につく鉄錆色の臭い。

 紅い海に倒れ伏す三人の男女の躰。

 

 凄惨な光景に俺は言葉を失い、立ちすくむしかなかった。

 

 そしてその奥で甲高い金属音をぶつけ合いながら、闇の中を交錯する二つの影が眼に入る。

 

「えっ、天哉っ?!」

 

 あまりにも聞きなれた声。振り返った彼女は俺のことを今しがた認識したようだ。

 

「巡理くん!!?」

 

 俺は言葉を誤った。

 いや、その前に俺は駆け出すべきだった。

 

「────眼を離したな?」

 

 返り血に染まるその男が冷酷にそう告げた次の瞬間。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼女の胸の中心を、凶刃が貫き────────赤い華が一輪咲いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「貴様ぁああああああっ!!!」

 

 

 

 

 

 

 心の深い奥底へと沈め、かき消していたはずの憎悪が、再び熱を帯びる。

 

 より、苛烈に。より、鮮烈に。

 




職場体験より巡理もNEWコスチュームです。


【挿絵表示】

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