英雄の境界   作:みゅう

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前話より少しさかのぼります。
巡理回です。


第37話 凶刃

「オラシオン、この書類人数分コピーお願い!」

「はいっ!」

「それが終わったらプロジェクターの準備と、インゲニウム事務所との通信回線立ち上げお願いしてもいい?」

「わかりました。コピー終わるの待っている間にやっちゃいます! 皆さん、3番のコピー機しばらく使うんで、急ぎの方は他のやつで印刷お願いします!」

「オッケー!」

 

 職場体験3日目の朝。私がお世話になっているエンデヴァー臨時事務所内は今日も今日とて大絶賛炎上中だ。実際に燃えているわけじゃないけれど、物の例えだ。

 

 体験生の私でさえも、一息つく暇なんか全くない。覚えがいいからと褒められるのはいいけれど、書類仕事やら本当は苦手なパソコン関係やらで下っ端の私でさえも雑用まみれだ。多分他の事務所よりかなり忙しいのは間違いないと思う。

 

  そもそも今日はいつもより出勤が1時間早くなっているのにこの状態だと、明日明後日はどうなっているんだろう。事件解決数ナンバーワン事務所の労働過密度は伊達じゃなかったなと、この2日ちょっとの間だけでも私は痛感している。徹夜組はさすがにいないみたいだけど、ほとんど寝ていないメンバーもたくさんいるらしい。私の個性でみんなの疲労回復をしていなかったらどんな地獄絵図になっていたかと思うと、背中にブルっと悪寒が走る。

 

 人手不足でも人員の能力不足でもなく、単にオーバーワークの極地にあるこの事務所において、レスキュー兼索敵要因としての私よりも、疲労回復係として非常に求められていた。嬉しいけれど、正直なんだかなぁ。

 

 サイドキックや事務員さんたちからは「お願いだからウチに来てくれ!」「インターンの件もボスには私から強く推すから!」「このメロンは俺のおごりだ、遠慮するな!」などの血涙に混じりな勧誘の結果、今現在私の机の上は露天商でも開けそうなぐらいな量の果物の山で溢れている。

 

 自分の力を求められるのは嬉しいけれども、インターンはレスキュー系の事務所に行く予定だから、もうこの事務所にお世話になることはないなと申し訳ないなと思いながら、頼まれた仕事を順にこなしていく。でも今の仕事は今ベストを尽くさなきゃ。

 

「電話ーっ! 誰かとって!」 

「ごめん、オラシオン出てくれる?」

「はいっ、取ります! 大変お待たせ致しました。エンデヴァー臨時事務所です」

 

 お客様気分って言っていた三奈ちゃんたちがちょっと羨ましい。津波のように押し寄せるタスクの激流に飲まれないよう、並行作業で進めていく。あぁ、このソフト起動遅いなぁ……

 

 

 

 そしてあっという間に会議、議事録作成、トレーニング、昼食、パトロールと時間が流れ、とある路地裏で私とエンデヴァーはちょっとした捕り物を1つ無事にやり遂げた。

 

 足元で気絶しているのはハレルヤの売人である、よれよれスーツの冴えない中年のおじさん。鑑定にかけなくても私が偽物とハレルヤ本物を見分けるのに一番手っ取り早くわかる特徴である“生命力の有無”。散々偽物を掴まされたりしたけれども、久々にこれはアタリだった。

 

 でもかなり保須市全体の警戒度も上がり、検挙件数も増えているのにまだ売人全員が撤退していないのは妙だ。というのが今朝の議題に上がっていたけれど私もそう思う。まるで何らかの意図があって、ここから動けない、動かない理由があるのだと。

 

 開発施設や工場、仕入れの大きな窓口が近くにあれば手っ取り早いけれど、まだそれらしきものは保須市では見つかっていない。けれど保須市以外では実は目星が1か所付いたとの朗報もある。インゲニウム事務所とファットガム事務所が合同で大捕り物の計画を進めているらしい。薬の解析も進んで来ていて、段々と大きな事態になっているようだ。

 

 とりあえず他のサイドキックのメンバーと警察を読んで連絡しようとしたときだった。新調したコスチュームに付属しているインカムの調子がおかしいのか無線が繋がらない。周波数のチャンネルを三段階試してみたがダメだった。

 

「すみません、無線の調子がおかしいみたいです」

 

 腕組みしながらこちらを睨んでいるエンデヴァーにそう一言報告して、私は携帯を取り出す。

 

「電話で連絡を────」

 

 通話ボタンを押したが、電波が入っていませんとのポップアップが表示される。どこか確信めいた、嫌な予感がした。

 

「エンデヴァー、携帯の電波が入ってません。そちらの調子はどうですか。もしかしたら電波障害かもしれません」

 

 何だと、と不機嫌に返事をしたエンデヴァーも携帯を確認したがどうやら同じ状態らしい。苦虫を潰すような顔をしたエンデヴァーに何と進言するべきか。とりあえずはこのおじさんを署か事務所まで連行しつつ、周囲の状況を把握するべきだろう。

 

 そんなことを考えていたときだった。腕に装着していたリストバンドのバイブレーションが鳴る。これが鳴るのは通常の職場体験レベルでは想定できないほどの緊急事態が起きたとき、もしくはヴィラン連合と接触したときのどちらかのはず。

 

 それがこの通信障害が起きているタイミングで鳴った。嫌な予感が一層深まる。誰がピンチを知らせているのかは天哉と百ちゃんと先生にしかわからない。そしてその3人に連絡を取る手段を今の私は持ち合わせていない。だけど状況的に怪しいのは轟くんと心操くんの線が濃厚だ。何しろこの街にはあのステインが潜伏している可能性があるのだから。

 

「何かなっているぞ。どうしたのだ?」

「もしかしたら、焦凍くんがピンチかもしれません」

「どういうことだっ!?」

 

 私が息子の名前を出したせいか、急に詰め寄って来たエンデヴァーに強く肩を掴まれる。

 

「このリストバンドは敵連合などと接触したり、大きなピンチのときに鳴らそうってそれぞれ渡されたものなんです。この通信障害が発生している状況と、この街の治安を考えると焦凍くんたちの線が濃厚だと私は思います」

「濃厚とは何だ? 焦凍かどうかわからんのか? ハッキリしろ?!」

「すみません、誰がサインを出したかわかるのはウチの委員長たちと先生だけで、私には誰かがSOSを出しているってことしか……ただ、無線全ての周波数がおかしいというわけではないことはわかりました」

「何とも中途半端な仕様にしてくれたものだ。そして、どうして貴様はそんな大事な装備を先に申請していなかった?!」

「申し訳ありません」

「周波数の件はわかった。少し表に出るぞ。その辺のタクシーかバスの無線をまず借りる。それでダメなら迅速に事務所に戻り対処する」

「はいっ!」

 

 判断が早い。走るエンデヴァーの後を追い、20メートルほど真っすぐに歩いて大通りに出る。ちょうど回送中のタクシーがあったのでエンデヴァーが無線を借りるも結果は同じだった。私も道行く人に声をかけ、携帯を借りれないか尋ねるが、キャリアが違う携帯でも障害が発生していた。ここまで来ると作為的な臭いが強くなる。

 

 そしてそれを確信させたのは、鈍い地響きと遠くから聞こえる爆発音。音の方を振り向けば、もくもくと黒煙が立ちのぼっていた。多分、飛来物は大丈夫そうかな。火災への備えも────ひとつだけ消火弾をバックラーの中に格納している。消火栓の位置って……

 

「オラシオン、色々と頭の中で考えいるだろうが貴様は所詮見習いだ。いいな? 抱え込み過ぎるな。俺はあそこに向かう! 貴様は売人が目覚める前に拘束して事務所に直接連れていき、そこでサイドキックの支持を仰げ。わかったか?」 

「わかりました。お気をつけて!」

 

 私の返事を背中で聞きながら、エンデヴァーは颯爽と現場へと向かう。

 

「焦凍ぉお、今行くぞぉおお!」

 

 そりゃ息子のピン千の可能性が濃厚なら、気合も入るよね。轟くんやそのお母さんへの今までの仕打ちを聞く限り、全く擁護ができないぐらい酷い父親だとは思う。けれども、ひねくれていようとそれだけ愛してもらえている轟くんが少しだけ妬ましい。 

 

 さぁ、こんな余計なことを考えている場合じゃない。感応範囲を広く薄くしたら人の流れも把握できる。いざというときに誘導もできるだろうから、と私は個性のレンジを広げようとしてとんでもない失態に気付いた。

 

「しまった! 起きるの早っ?!」 

 

 売人のおじさんを気絶させただけで安心していたのが間違いだった。拘束をさっさとするべきだったし、突然の事態に集中力が切れておじさんの動きを個性でしっかり捉えていなかった。

 

 すぐさま私は個性による生命力の探査範囲を広げ、売人らしき人の動きを捉える。生命力の波長はちゃんと覚えていないけれども、この裏道を全速力で走っているなら十中八九この人が黒だ。

 

 それにしても意外とあのおじさんも素なのか個性なのか、なかなか足が速い。個性フル活用の筋肉疲労ガン無視モードで私もずいぶんスプリントしているのに、なかなか距離を詰められない。持久力でも私が圧勝できるけど、街がこんな状態なのに時間はかけていられない。

 

 そして感応範囲を限界値まで一瞬広げてみてまたもとのレンジに戻す。どうやら状況は悪化しているみたいだ。大通りの方では人の流れが混乱している中心部らしき場所が私にわかるだけで三か所存在している。一定方向に流れている場所は警察かヒーローの誘導が行われている場所だろうか。

 

 追跡を打ち切って大通りで手伝いをした方が役に立てるとは思うけれども、ハレルヤだって絶対に碌な薬じゃない。言いつけは絶対だと自分に言い聞かせて、私は追跡をどうやって早く終わらせるべきかに思考を戻す。

 

 まだお互いに姿は見えていないけど私だけは位置を把握できるのを生かしてルートを読んで先回りしよう。どこかで足を止めてやり過ごそうとするのならば、それはそれで儲けものだ。

 

 そう判断した私は別の路地に入り込んで少し進んだときのこと、すぐ傍の探査範囲、具体的にはもう一本裏の通りにおかしな反応があることに気付く。段々と弱っていくこの反応、出血の類に似ている。もう一人が近くにいるみたいだけれど、このペースだとせめて応急処置はしないとマズそうだ。

 

 この失態は悔しいけれど、目の前の人命(約束)の方が優先だ。売人は感応範囲内で居場所をマークできていたらいい。すぐに私は問題の地点へと駆け込み予想外の事態に遭遇する。

 

 敵だ。

 

 壁にもたれかかって刀傷を抑えるインディアンのようなコスチュームのヒーローの男性と、その眼前に立つ葉こぼれが目立つ刀を手にした赤い布を巻いた男。

 

 何度もその姿はビデオで繰り返し見た。見違えるはずはなかった。アイツがヒーロー殺し、ステイン。やっぱりこの街にいたんだ。情報だけでもって思っていたけれど、よりにもよって最悪なタイミングで出会ってしまった。

 

 幸い、まだ相手はこちらを視認していない。でも次の一瞬で多分気付かれる。

 

「────死んで正しき社会の供物となれ」

 

 ステインが刀を振りかぶった。もう考える暇はない。最速でできる策を行動に移す。

 バックラーに格納していた消火弾を投げつけた。今だっ!

 

「ちっ?!」

 

 完全に視覚から投げたはずだったのに、あっさりと私が投擲した弾は刀で真っ二つに切り割かれる。

 でもこれでいい。その可能性は織り込み済みだ。 

 

「煙幕だとっ?」

 

 弾に充填されていた消火剤が即席のスモーク弾代わりになった。

 ステインが私を見失っているうちに、負傷したヒーローを抱えて全速離脱する。

 

「なっ?」

「静かに」

 

 私の腕の中で驚くヒーローを小声で制する。

 わかっていたけれどお姫様抱っこしている負傷者は体格が良い。そのせいで私の足は思ったように進まない。

 

 この人が自力で走ってくれたらいいけれど、それはどうやら無理そうだ。

 個性で観察してみると何故だかこの人の全身の筋肉がほとんどマヒ状態になっているようだ。

 おそらくインゲニウムの言っていた、ステインの個性の影響だろう。

 

 このままだとすぐに追い付かれてしまう。早いところ巻かなくちゃ。

 次の曲がり角までの歩数は覚えている。そこまでが勝負だ。

 

 あと6、5、4────

 

「あぁああっ!?」

 

 突然右肩に激痛が走り、抑えていた声が漏れてしまった。

 

「ぐっ?!」

 

 抱えていたヒーローを地面に投げ出してしまう。 

 ごめんなさい。でももう、私には拾える余裕はない。

 

「そこだなっ!」

 

 次第に薄くなっていく煙幕から飛んで来た4つの物体。

 私の煙幕のせいで発見が遅れ、後手に回ってしまう。

 

 足に怪我をすれば全てが終わる。だから大腿部を狙ってきた1つはそのまま回避。

 それをステインは見越していたのだろう。

 さらに態勢を崩すために時間差で顔面に投げられたナイフを、私はバックラーで弾いて対処。

 

 そして“負傷者に向けられた残り2本”の内の片方はバックラーでさらに弾く。

 けれども、これで私の態勢はぐちゃぐちゃだ。

 

 そして負傷者にとどめを刺すはずだった最後の1本は、無理やり右手で受け止めるしかなかった。

 

「うぅっ……」

 

 奥歯を強く噛みしめて、嗚咽を堪える。

 掌に突き刺さるナイフが私の体を内側から燃やしているみたいだ。

 

「ほう、そこで身を挺したか」

 

 ほとんど引きつつある煙幕の向こうから悠々と歩いてきた男の低い声が路地裏に反響する。

 

「反応も上々、俺が相手でなければ状況判断も悪くなかった。おい、ヒーロースーツを着た子供」

 

 鋭い視線が突き刺さる。

 この眼を私はよく知っている、何人も殺してきた眼だ。

 間違いなくステインは本気だ。

 

「何、見逃してくれるの?」

「それはお前次第だ。幸い奴らが起こした通信障害で増援の心配もない」

 

 でも何故か口元だけは無邪気な子供のように、にっこりと笑っている。

 刀の切っ先を私の心臓部に突きつけるように向ける。その距離、約3メートル。

 戦うしか、ない。

 

「お前の価値を見せてみろ」

 

 じゅるりと音を立てながら自らの下唇から上唇に舌をはわせるステイン。

 気色悪いくらいに、とても楽しそうな声でアイツは私にそう言った。

 

 

 

 

 

 

 


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