英雄の境界   作:みゅう

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第39話 揺れる正義

 眼前で行われた凶行。

 あまりにも突然の出来事に、俺は呆然と足を止めてしまっていた。

 

 決してその光景に恐怖したからではない。

 ただただそれを現実だと俺は受け止めることができていなかったからだ。

 

 まるで時そのものが止まったかのように、思考も感情も停止していた。

 血の海に沈みゆく彼女の躰を抱きかかえることも、駆け寄ることさえもできなかった。

 僅かにでも生存の可能性にかけて、病院へ運び込むべきだった。

 

 あと少し、あとほんの少しでも早ければ。

 でも俺は遅かった。間に合わなかった。

 

 あと少し、あとほんの少しでも冷静でいれば。

 でも俺は愚かだった。やるべきことを何もわかってはいなかった。

 

 あと少し、ほんの少しでも彼女のことを気にかけていれば。

 でも俺は動向に気付いていなかった。そもそも彼女をこの土地から引き離すべきだった。

 

 ────だがこのときの俺はそんなことなどを考えるだけの余裕などなかった。

 

 怒り、絶望、憎悪、後悔。さまざまなものがない交ぜになった感情がとめどなく溢れ出す。

 そしてそれは一瞬で激流と化し、全てを押し流していた。

 

「貴様ぁああああああっ!!!」

 

 流れに、身を、心を任せ、俺は駆け出していた。

 

「また新手か、速い!?」 

 

 全力でコイツを叩き潰す。それしか俺の脳内には残っていなかった。

 俺は愚直に最短最速を以て奴に突撃した。

 

「だが、それだけだ」

 

 動き全てを見透かされていたかのように、俺の進路上の空間に刃がそっと添えられていた。

 奴が何をせずとも、次の瞬間に俺は自ら凶刃に飛び込んでいくことになる。

 

 避けようとして無理やり重心を右に傾けながら走ろうとした俺は────

 

「くっ!?」

 

 血で滑りやすくなった地面に気付かず足を取られた。

 無様に俺は紅い海へとバレルロールを決めるはめになった。

 しかしその醜態によって俺は窮地から間一髪逃れることに成功する。 

 

「動きは無様そのもの、だが運が良かったな。おまえは何者だ?」

 

 血で転がるように滑って勢いを逃せたおかげか、地面に叩きつけられたダメージはほとんどない。

 決して目を逸らさず、俺はゆっくりと立ち上がる。

 

「俺は……僕の名は『天哉』! お前が襲ったインゲニウムの弟で」

 

 もう、時間は巻き戻らない。ならばせめて。

 

「友の仇を討つ者の名だっ!」

 

 こいつの凶行の連鎖はここで断ち切る。

 俺がやらなければならない。

 それが間に合わなかったことに対するせめてもの罪滅ぼしだ。

  

 そう。例え、俺の全てを投げ出したとしても。

 

「ハァ、そうか、おまえも学生だったか。仇討ち、結局は私怨に染まるか。おまえも相応しくないな」

 

 倒れ伏す巡理くんの亡骸を一瞥だけしてステインはそう言い捨てた。

 

「何故彼女を殺したっ!」

「自身の生活を優先するその考え、それはそのために他者を虐げるに近しい者の考え方だ。一般人ならまだしもヒーローを目指すものとしては不適格だ」

「お前に巡理くんの何がわかる!?」

「不要なことなど知る必要はない。不適格だと断じるに十分な材料があった。殺す理由はシンプルだ」

 

 俺たちは両者とも足を止め、互いの主張を交わす。

 ただ単にこいつを“殺すだけ”ではダメだ。

 あいつのふざけた理念ごと砕き折らなければ、倒れた人たちは────巡理くんは報われない。

 

「ふざけるなっ、俺だって全ては知らない。だがエンドレスの娘だった彼女が堕ちるだけの機会は、理由はいくらでもあったはずなんだ」

 

 飢餓、貧困、庇護者の不在、差別、偏見、母親との比較。

 道を外れる機会には困らなかったはずなのに。

 

「それでも、それでもだ。彼女は真っすぐに生きようとしたんだ。そんな彼女を殺す理由など、どこにもあるものか!」

「ヒーローが(ヴィラン)と近しい考えを持つなど言語同断。ヒーローを目指すのならば、断罪者としての自覚が必要だ。さらにアイツは偽物の間引きを邪魔し、狂信者を盾に己の保身を図り、道を誤った。断罪する理由には困らない女だ」

「道を誤ろうとするものがいるならば、それを諭すのが、手を差し伸べるのが。互いを理解しようと努めるのが、そうでなくても互いの折り合いを探って行くのが、今の社会を変える道じゃないのか? それにそもそも彼女は決して間違ってなんかいない!」

 

 全ての障害、障壁をなくすことはできなくとも、俺は、俺たち1-Aはそうやって友情を築いて来たんだ。

 

「理解、折り合いだと? おまえもあの女と似たようなことを言うのだな。だがそれでは遅い、変革するには余りにも脆弱過ぎる!」

 

 声を荒げ、ステインはそう主張する。

 

「実感の伴わない小さな訴えでは届かぬのだ。大きな痛みが、恐怖がなければ。誰かが血に染まらねば、社会は気付かぬのだ!」

「暴力によって解決しようだなんて(ヴィラン)の考えそのものだ! ふざけるな、何が英雄回帰だっ!」

「その言葉、そのままおまえに返すぞ。目先の憎しみに溺れ、力を奮わんとするおまえと(ヴィラン)になんの差がある? 私怨に走るおまえこそ最も正義から遠い存在だ」

「お前が、正義を決めるな! ────そんなこと」

 

 まさにブーメランを投げ返された形だ。

 奴の言葉が嫌というほどに鼓膜へと突き刺さる。だがしかし俺は。

 

「そんなことなんて、とっくにわかっている!!」

 

 理屈ではとっくにわかってはいるんだ。

 

 でも、それでも俺の意思は変わらない。

 巡理くんの命を奪ったアイツに対しての許容などできない。

  

 アイツと同じところまで堕ちたとしても、そうするべきだと。

 俺の心が、感情がそう叫んでいる。

 

 この誤った選択をきっと一生、後悔するだろう。

 

 ただ、今だけは。巡理くんを殺した張本人と対峙しているこの瞬間だけは。

 道を外れることにもはや何の躊躇いもなかった。

 

「レシプロ バ―スト!!」

 

 これは余程の条件下の戦闘でない限り開幕直後に使う技なんかじゃない。

 でもこのときの俺はそんな簡単な理屈などどこかに吹き飛ばしていた。

 

 血で滑って転ぶだなんて無様はもう晒さない。

 確かに地面を踏みしめて、ステインへと接敵する。

 

 アイツの個性はわからない。

 だが兄さんの証言と映像から推測するに、おそらく斬り付けられた時点で拘束されると考えていい。

 

 決して相手の攻撃を食らわずに、この一瞬で片を付ける。

 

 経戦能力を全て放り捨て、圧倒的な速さを手に入れたこの僅かな時間。

 この短い時間内に流れを作り、主導権を握り、確実にステインを仕留めろ。

 

 速さは間違いなく俺の方が上だ。

 だが戦い慣れているステインの反応は超人的だった。

 

「死ね」 

 

 俺の動きに合わせるかのように、日本刀を袈裟切りに振り抜く。

 このまま突撃したのならここで俺は終わりだ。

 

 そのまま進んでも、とっさに軌道を横に逸らそうとしてもあの刃からは逃れられない。

 俺には爆豪くんのような機転もなければ、巡理くんや緑谷くんのような読みのセンスもない。

 

「うぉおおおおおっ!」

 

 だから俺は更に前へと進んだ。

 

 俺の個性のギアの重さは、エンジンの回転数にはこれ以上の数値はまだ存在しない。

 

 だが走り方は変えられる。

 より鋭く、より効率的に走るために俺は鍛えてきたのだから。

 

 あと必要なのは躊躇せず前に進む覚悟だけだ。

 恐れるものなどもう何もない。何も為せずに、ここで終わること以外には。

 

 それで限界点である本来のレシプロバ―ストの速度よりも更に加速できる。

 もう半歩、一歩分だけは奴の懐に潜り込める! 

 

「何……だとっ?!」

 

 振り抜かれた日本刀の鍔元をつま先で蹴り飛ばす。

 衝撃に耐えきれずステインは刀を手放した。

 

 宙に回転しながら投げ出された日本刀、その行方を一瞬だけでも追ったステインの視線を俺は見逃さなかった。

 

 次で、決める!

 

 刀を蹴り飛ばすために振り上げた右足を利用し、そのまま脳天を目がけ踵を振り下ろす。

 それに対し、とっさにステインがとった行動は真下へしゃがむことだった。

 

 本来ならばそれは愚策中の愚策だ。

 より低く、蹴りの勢いのついてしまう位置で攻撃を受けてしまうのだから。

 

 しかし俺は油断していた。

 相手が刃物使いだという固定観念に囚われ過ぎていた。

 

「なっ!?」

 

 軸足を掬われる。まさか相手が蹴りを使ってくるだなんてほんの少しさえも考えていなかった。

 さっきの目線もフェイントだったのかもしれない。

 

「じゃあな」

 

 仰向けに倒れ伏そうとする俺に対し、奴はナイフを頭上に振り上げた。

 

「やられるかっ!」

 

 地面に背中をぶつける寸前、受け身の要領で地面を両手で弾く。

 反動を利用して、ヘルムの額部分を奴の鼻元へとぶつける。

 

「……がっ」

 

 最早なりふりは構っていられなかった俺はさらに、とっさに血を掬って投げつけた。

 

 腕で目元をガードされたため、目つぶしにはならなかったが視界が一瞬でも塞げた。 

 だがステインはそんな状況でも後方に飛び退きながら、ナイフを俺の首元目がけて正確に投擲する。

 見えていないはずだというのに、ステインの挙動は奇襲後の俺に完璧に対応していた。

 

 こちらも態勢が崩れていたために左右に避ける余裕はなく、左腕部で受けとめることで窮地を脱した。

 

「ぐはっ!!」

 

 筆舌に尽くし難い痛みが俺を襲う。

 致命傷ではなくとも、俺の集中力を奪うのにその一撃は有効だった。

 

 さらに愚かなことに俺は痛みのあまり目を一瞬瞑ってしまった。

 それはステインが俺の視界から消え去るのには、余りにも十分すぎる時間だった。

 

 背後から迫る刃の気配に気づいたときには、俺はもう悟ってしまっていた。

 俺は、ここで終わるのだと。

 

 俺が兄さんのように強ければ。

 私怨に囚われず、兄さんのように高潔であり続けることができたのなら。 

 

 この結末も、何かが変わったのだろうか?

 

 嫌だ。こんなところで、何もできないまま終わりたくない。

 でも力が足りなかった。

 

「救けてくれ……兄さん」

 

 決して届くはずのない声、しかしそれに呼応するかのように────

 

『天哉っ!』

 

 死の間際の幻聴だろうか。

 ほんの一瞬、兄さんの声が聞こえたような気がした。

 

『俺を、信じろっ!』

 

 そしてその瞬間から俺は体の制御権を失った。

 

 背中を晒した状態から上体を急反転させ、刃の腹部分をアーマーの右腕部で弾くように受け流す。

 だがそれだけでは終わらない。

 

 俺の体は上体をねじった勢いを利用し回転しながら、ステインの巻物を掴んで背負い投げようとする。

 それに対してステインは握っていた刃物を地面にすて、投げの衝撃を受け流そうと両手を地面へと伸ばす。

 

 そしてさらに先の風景を俺は見た。

 

 ステインの指先が地面に着くか否かの瞬間、地面に脳天を衝突させる直前に蹴りを側頭部に叩きこむ。

 完全に無防備な瞬間に痛烈な一蹴を受けたステインは、成す術もなく建物の壁へと叩きつけられる。

 

 俺が使えるはずのない煩雑な挙動。

 だがあれが洗練された理想の動きだったということは、俺本人が誰よりもわかっていた。

 俺の個性を、体格を知り尽くしたかのように最適化された動きだった。

 

 そして傍観者だったような感覚からいつの間にか開放された俺は、ただただ状況に困惑する。

 

「なんだ……今の動き、いやあの感覚は?」

 

 拳をゆっくり開き、そして握りしめる。

 いつも通りの自分の体だ。先ほどの動き以降、エンストでレシプロが切れてしまったこと以外は。

 

 ステインの方を見るが、起き上がってくる気配はない。引導を渡すなら今だ。

 

 少し離れた建物の壁面上部に突き刺さった日本刀に視線を動かす。

 あれがいい。巡理くんを貫いたあの忌々しい日本刀で同じ場所へ送ってやる。

 

「ぁたしぁ……いき、っんだ」 

 

 そう俺は決意して、ゆっくりと日本刀の方に向かおうとしたときに背後から声が聞こえた。

 

「────私はいきるんだっ、願いを、託されたんだからっ!!」

 

 もう二度と聞くことはない、そう思っていた声が。

 

「巡理、くん?」

 

 だらしなく開けてるであろう口元から、そんな間の抜けた音が漏れて来た。

 

「久し振りだね、天哉」

 

 かけるべき言葉が分からなかった。

 それ以前にだ。これが現実だと信じることができなかった。

 

「怖い顔しないで。大丈夫、私はここに居るよ。ちゃんと生きているよ」

 

 歩み寄って来た彼女はその柔らかな手で、俺の右手を包み込んだ。

 

「……夢じゃ、ないんだな?」

「夢なんかじゃないよ。ほら、胸の傷もふさがってるでしょ? リカバリーガールみたいなことできるようになったんだよ」

 

 努めて明るく笑おうとする彼女は最近新調したコスチュームのファスナーを胸元まで下げ、心臓部あたりにあった傷跡がもう残っていないことを示す。

 

「良かった。生きていてくれたんだな」

「そうだよ。私はちゃんと生きている────だから」

 

 彼女は俺の両肩の、アーマーで覆われていない部分をグッと掴む。

 

「いつもの、いつもの天哉に戻ってよ」

 

 痛みを感じるほどに強く、強く。

 

「怖い眼はもう止めて。生真面目で、鈍感で、空回りして、公平で優しいいつもの天哉に戻ってよ。私は生きているから。大丈夫だから。夢も何もかもを棒に振るようなことだけは絶対に止めて!」

「あぁ、わかった……君が死んだと勝手に思い込んで、さっきまでの俺は正気じゃなかった」

 

 そう言った俺に対して、ヘルムの両頬に手を当てた。

 

「いつもの眼だね。よかった」

「心配をかけてすまないな。それよりも──」

「アイツだね」

 

 彼女が視線を向けた先には、ふらつきながらも再び立ち上がって来たステインの姿。

 

「生きていたのか?」

「生憎と簡単に死ねない個性でね」 

 

 腕で顔に付着した血糊を拭いながら彼女は言った。

 

「チッ、あまりにも効きが悪いと思ったがそういうことか。まさか同類だとはな」 

 

 舌打ちしながら、何かを一人で納得しているステイン。

 

「何が一緒なもんか。あんたと一緒だなんて、一生ごめんだ」

 

 奴の言葉は俺には理解できないが、巡理くんはステインの言葉が何を意味するのかがわかったのだろう。

 

「天哉」

「なんだ?」

「絶対に生き残るよ、二人で」

「当たり前だ。しかしすまない、レシプロを早々に使ってしまった。だからしばらくは離脱もままならない」

「仕方ないよ。博打だとしてもサシならアレしか勝機はなかっただろうし、現にコイツ相手にまだ生き残ってるなら大正解だって。それで私たちの勝利条件なんだけど、そのときまで生き残るでいいよね」 

 

 “エンジンが再び使えるまで”という言葉はステインに伏せて言う巡理くん。

 

「いや、もう一つだ。“猫”もこの場所を知っている。どっちが早いかわからないが────」

「うん、それは朗報だね。オーケー、希望が出てきたよ」

 

 ピクシーボブのこともちゃんと伝わったようだ。

 救援が来るか、エンジンを使って二人で離脱するか。それまで粘るしかない。

 

「あとアイツに血を舐められたら、動きを止められる。どっちも他の人の血で塗れてるから多分リスクは少ないけれど、斬り付けられた直後は気を付けて」

「了解だ」

 

 血を舐めるか。兄さんと戦っていた映像でも確かにその挙動をしていたな。

 

「それから脚部の負傷はなるべく避けてね。前提条件が崩れちゃう。盾を持っている私がなるべく引き付けるから、天哉はそれに合わせて隙をついて」

「あぁ任せろ。俺たちほど息の合うコンビもそういまい?」

 

 例えエンジンが使えなくとも、連携を知り尽くした相棒との二対一。勝機はゼロではない。

 

「ジュース持って来てる?」

「あぁ、だが無防備に飲んでいる暇なんてないぞ」

 

 巡理くんは差し出した缶を拾ったナイフで上部を一気に切り取った。

 そして俺のアーマーのラジエーター部分に直接ジュースをぶちまける。

 

「ぬるいけど気休めにはなるでしょ?」

 

 少しでも早くラジエーターが回復してエンジンが使えるように。

 確かに気休めかもしれないが、何も行わないよりずっとマシなはずだ。

 

「ハァ、たかが子供が二人。まとまったところで何もできん。しかしその潜在能力は認めよう。だからこそお前たちが社会に仇為すその前に、ここでまとめて死んで行け」

「やだね!」

「あぁ、まだ死んでたまるものかっ!」

 

 どっしりと盾を構えた巡理くんを先頭に、俺たちはステインへと立ち向かう。

 盾で防ぎにくいように、そして二人同時に対処しやすいようにだろうか。

 ステインはナイフの二刀流で巡理くんと相対する。

 

 手数において巡理くんが押されているならば、まずは隙を作るのが俺の役目だ。

 路地裏に積まれていたゴミ袋を巡理くんの陰から投げつける。

 

 案の定ステインはバックステップしながらもそれを切り裂き、あたりにはゴミが散乱する。

 宙に散らばったその内の一つを掴んだ巡理くんがゴルフボール大の何かを投擲するが、次は身を反転させることで躱したステインが無駄な動き一つなく前へ進み、巡理くんへ接近してくる。

 

「目くらましにするには挙動が雑過ぎる。せめて先ほどのように血を浴びせるくらいはしろ」

 

 ステインは強者の余裕ゆえか、講釈を垂れ流しながら刃を振りかぶる。

 

「どうせ私は、大雑把なO型だよっ!」

 

 例え、個性が今は使えずとも。

 個性だけが俺の得た強さじゃない。

 

 ────キャットコンバット

 

『必要なのは充分なタメとそれを生かすしなりだ』

 

 虎の教えが俺の脳内で反響する。

 

『鞭のような軌道で、視界の外から刈り取れっ!』

 

 合図など不要だ。

 巡理くんはとっさにその場へとしゃがみ込む。

 

 その空いたスペースに飛び込んできたステインの顔面に向かって渾身の蹴りを解き放つ!

 

「先ほどまでの勢いはどうした? 良い蹴りだが、パワー不足だなっ」 

 

 交差した両腕で俺の蹴りは受け止められる。

 だけどこれでいい。両腕を使わせた。この事実だけで充分だ。

 

「パワー担当は、私だってのっ!!」

 

 しゃがみ込んで相手の視界から消え、全身のバネを使って伸びあがるようなパンチが炸裂する。

 ガラ空きになった鳩尾に叩き込まれたステインは後方へと殴り飛ばされた。

 

「綺麗に飛ばされ過ぎ、半分は自分で飛んでるね。勢いを殺された」

「すまない、俺がもう少し強く態勢を崩すことができていれば……」

「怪我一つ増えてないんだから、それだけで上出来中の上出来。高望みはダメだよ天哉」

 

 そうだ相手は遥かに格上。

 接近戦しか手段を持たない俺たちがこれだけの手練れを凌げるのならばそれだけで十分すぎる成果だ。

 

「今のは悪くない拳だった。だからこそ惜しい。俗世に染まっていなければ共に歩めたかもしれないというのに」

「少しでもダメージ入ったかなって思ったけど、ピンピンしてんじゃん」

 

 巡理くんの頬に一筋の汗が流れる。いくら阿吽の呼吸で合わせることができても、ステイン相手に切れる手札はそう多くはないことは二人ともよくわかっていた。

 

 早く俺のエンジンさえ元に戻れば、彼女を抱えて逃げるだけで済むというのに。

 未だ俺のエンジンはラジエーターごと過剰発熱をしていて役に立つ気配はない。

 

「……天哉」

 

 ステインには聞こえないくらいの小さな声で彼女は言った。

 

「……彼が来てくれた。私が合図したら右の壁際に向かって避けて」

「……わかった」

 

 探知能力に優れた彼女と言えど、見えない場所で断定できる個人はそう多くない。

 彼女が波長を覚えるほどに親しくそして特徴的な人物、つまりはそういうことを意味するのだろう。

 

「随分と余裕だな。追撃はいいのか?」

「要らないよ。だって私たちは────」

 

 アイサインが送られた。壁にぶつかるぐらいの勢いで指示通り右へと飛び退く。

 

「SMASH!!」

 

 吹き荒れる暴風がステインを突き飛ばす。

 彼は左手の小指一本を犠牲にしながらも、俺たち二人に欠けていた圧倒的な範囲制圧力を見せつけた。

 

「やっとビンゴだ。ごめん、遅くなった!」

「緑谷くん!」

「サンキュ! 超ナイス!」

 

 土煙で良く見えないが、完全に避け切ったということはあるまい。

 接敵される前に互いに情報を交換する。 

 

「脳無かヒーロー殺しか、正直迷ったんだけど、やっぱりこっちだったか。しらみつぶしに路地裏を見て回ったのが正解だったよ」

「そんな当てずっぽうで良くここに着いたね。すごい確率だよ。いや、超助かったけどさ」

 

 巡理くんの言うとおりだ。嬉しい偶然だが、怖いぐらいに出来過ぎていた。

 しかし緑谷くんは理路整然とした口調でこう告げた。

 

「救護場所に向かう轟くんと途中で会って脳無の話を聞いたんだ。でも心操君を考慮してもアラームの回数がおかしい。でもエンデヴァーが来ているもわかったから必然的に発信元は猪地さんだ。それもヒーローの援護が見込めない状況、それなら人目につかない場所が優先順位になるし、脳無は目立つところで暴れるから却下。猪地さんとインゲニウムとのつながりを考えて必然的にステインと遭遇した前提条件で探し回ってみたんだ」

「ブラボー、流石緑谷くん。素晴らしい分析力だ」

「まさか飯田君まで来ているとは思わなかったけれどね」

 

 受信機もない状態でそこまで状況を推測して、この場所を探し当てたその慧眼。やはり彼は尊敬するに足る人物だ。

 

「あとそれから心操くんの方にはエンデヴァーが向かったから大丈夫だと思うよ」

「それは心強い。心操くんの居場所は俺からも担当のプロヒーローに伝えてある。問題ないはずだ」

「そして、これは確認なんだけど……あの人たちもう死んでいるんだよ、ね?」

 

 緑谷くんの声のトーンが一つ落ちた。よく見れば彼の両肩は細かく震えている。

 俺は怒りで我を忘れ、動揺する暇などなかったが、惨殺死体を目にした彼の反応は至極まっとうなものなのだろう。

 

「うん、私を庇って。あんまり直視しない方がいいよ。吐き気、これで収まる?」

 

 緑谷くんの背中をさする。個性で調子を整えたのだろう。

 

「猪地さん、ありがとう。ごめん、ヒーローを目指しているのにこんなの情けないよね」

「ううん、それが普通の反応だよ。私はそれを羨ましくさえ思う」

「俺なんて、彼らのことを悼む余裕すらなかった。だから君の方が俺なんかよりずっと正しい」

 

 彼らが流した血を復讐者として活用した俺なんかよりもずっとだ。

 

「ねぇ、他の人はもう救けられないのになんで二人は逃げなかったの? ヒーロー殺しなんて僕らの手に負える相手なんかじゃない」

「すまない、それがレシプロを使った直後なんだ」

「そういうことか。なら僕が引き付けている間に二人は先に逃げて」

 

 悩む素振りなど一切見せず、彼はそう提案した。

 

「緑谷くん、君は何てことを言うんだ!」

「でもそれしかないと思う。僕の足ならきっと単独でも逃げ切れるし、回数限定だけど接近戦を避ける術もある。今の状況なら絶対に僕の方が適任だ」

「しかし君一人を囮にするなどっ!?」

「飯田君はUSJで僕たちのためにしてくれたじゃないか。誰よりも真っ先に名乗り出てさ。だから次は僕の番だ。それだけの話だよ」

 

 緑谷くんは口角を両方の小指で釣り上げて笑う。

 

「大丈夫。それに怪我だって、この小指一本分だけだ」

 

 自分自身にも言い聞かせるように、彼はそう言い切った。

 

「ハァ、今日は次々と邪魔が入ると思ったが、今来たおまえは良いな」

「僕のスマッシュを真正面から受けてあの程度のダメージ? どう受け流したらそうなるの?」

「それはあの変態に聞いてよ。私たちとは違って君だけは気に入られたみたいだし」

 

 ため息をつきながら巡理くんはそう言った。

 俺の投げ技からの側頭部への一撃に、巡理くんのカエルパンチ、そして緑谷くんのスマッシュによる暴風。

 

 決してステインも無事ではない。特に先ほどの一撃による全身打撲や擦り傷の跡が見受けられた。

 だがしかしそれでも奴が倒れないのはきっと、緑谷くんのように過剰分泌されたホルモンが痛覚を麻痺させ、体を動かしているのだろう。

 

 認めたくはないが、どこまでも揺るがない強い意志こそが奴の体を突き動かしているのだろう。

 

「先ほどスマッシュと言ったな。それに先ほどのパワーは増強系だな。おまえはオールマイトのフォロワーか?」

「そうだよ。子供の頃から大ファンで、救けてくれた憧れの人で────そして僕たちの先生だ」 

「ハァ、なるほどな。貴様の自らを省みぬ献身。ここに辿り着いた頭脳、そして先ほどのパワー。オールマイトに師事しているのなら納得が行く。だが反面そこの二人はどうだ。オールマイトの下に居ながら、おまえたちは何を学んだというのだ!? おまえたちこそが本来誰よりも先陣を切って、この腐った社会を変革しなければならないのだと何故気付かないのだ!」

「ふざけるなっ! 人殺ししかできないお前が。オールマイトを、ヒーローを語るなっ!」

 

 普段は絶対に使わない粗野な言葉が緑谷くんの口から発せられる。

 そしてそれと同時に彼はフルカウルを発動し、ステインへと一人立ち向かう。

 

「緑谷くん、気をつけて! 相手の血を舐めたら動きを止める個性だから」

「わかった!」

 

 巡理くんの言葉を受けて、適切な間合いを保ちながら立ち回りを続ける緑谷くん。

 

「巡理くん。俺は、逃げないぞ」

「わかってる。そう言うと思ってた。絶対に三人で生き残る。いや、勝つよ」

「あぁ」

「ちょっと待って、今の天哉じゃ足手まとい。大丈夫、ちょっとの間だけ緑谷くんを信じよう。彼は強いよ。少しでもジュースを補給して万全にしてから行って。ここまで随分と走って来たんでしょ? スタミナも今から分けるから」

「ありがたい。後はエンジンさえ戻ればいいが、まだ発熱が厳しいな」

 

 素の速度では緑谷くんの高速戦闘に合わせることは困難だ。

 オレンジジュースを補給しながら、しばしの間、俺は緑谷くんの戦いを見守る。

 

「どんなに苦しくたって、あの人はっ! みんなの笑顔のために戦っていたんだ!」

「笑顔だと、そんなものでは何も変わらん!」

「変わる。絶対に変わる。救われるんだよ、心が! だからオールマイトはどんなときだって笑うんだ」

「それは弱者の詭弁だ。悪を断罪し、本当の正義を為すのに必要なのは確かな力だ!」

 

 投擲されたナイフが緑谷くんの左肩に突き刺さる。

 だが彼はおかまいなしにと左拳でステインの顎を殴りつけようとするが、刀の鞘に阻まれる。

 

「何が正義だ、何が悪だっ。知るかよっ! そんな難しいことを語る前に、おまえは今までその力で、誰かを笑顔に出来たのかよっ!」

 

 俺は巡理くんが準備する間、そう叫ぶ緑谷くんの主張を聞き入っていた。

 

「お前の作ろうとする社会の先に、笑顔はあるのかよっ!!?」

 

 そうだ、君こそ相応しい。正しく彼はオールマイトのフォロワーだ。

 笑顔というキーワードこそが、今の緑谷くんを形作っている。

 

「よし、補給オッケー! 行くよ天哉!」

「あぁ!」

 

 飲みかけのジュースは再び脚にかけて走り出す。

 

「何故分からないのだ。理解しようとしないのだ。遠くない未来、再び社会は混迷する。敵連合などが出てきたのがその良い例だ。悪意はより強い悪意へと集わんとするだろう。そのときに今の平和ボケした偽物たちに何ができるというのだ?! 正義もより強さを洗練させねばならん。でなければオールマイトが出てくる以前の……」

 

 ステインが二振りのナイフで常に視覚へ回り込もうとする緑谷くんの動きを牽制する。あれでは容易に近づけない。

 

「ごちゃごちゃ五月蠅い!」

 

 さればこそ、刀身から身を守る手段を持つ巡理くんが緑谷くんの前に出て、とっさに庇った。

 そして刃が弾かれたその一秒にも満たないその一瞬だけ、わずかな硬直時間が発生する。

 

 その一瞬の間だけでいい。

 

 本来エンジンが使えないのはわかっている。

 おそらくその代償が小さくないであろうことも。

 

 だが次の瞬間にエンジンが灼けついたとしても。

 もう二度と個性が使えなくなったとしても。

 

 この脚が再び速さを取り戻すのならば、俺に後悔はない!

 

 行くぞ、緑谷くん!

 

「レシプロ────」

「5% デトロイト────」

 

 アイコンタクトを送り、彼も頷き返す。

 

「リミテッド!!!」

「スマッシュ!!!」

 

 蹴りと拳で挟み込むように。

 ステインへの背面と顔面へと、俺たちは全力を叩き込んだ。

 

 今度こそ完璧に、間違いなく大きなダメージが入ったはずだ。 

 

「流石に、これで立って来るなんてことはないよね?」

「緑谷くん、USJ思い出すから止めて。そういうのをフラグっていうらしいから」

 

 半ば茶化しながら巡理くんはそう言っていたが、奴が叩きつけられたはずのゴミ捨て場からガサリと、何かが動く音がした。

 

「まさか、まだ立つのっ?!」

「どれだけタフなんだよ。今のスマッシュとレシプロで決められないなんて」

 

 覚束ない足取りながらも、再びステインは立ち上がる。

 裂けそうなほどに痛む脚に、エンジンがかかる気配は微塵もない。

 それでも向かえ討つために、俺たち三人はそれぞれ駆け出した。

 

 だが────急に体が痺れ、倒れ伏した。

 

「ぐっ?!」

「しまったっ、僕たちの血をっ!」

 

 俺だけではなく緑谷くんもだったようだ。

 アイツが握っているのはさっきまの得物とは違うものだ。

 

 さっきの一撃のときに俺たち二人に刺さったままのナイフを引き抜いていたらしい。

 本気の動きを甘んじて受けて、ここまで持ってくるだなんて何て執念だ。

 

 俺はさっきまで血まみれで戦っていたから失念していた。

 

 不味い。ピンチの度合いがさっきまでとは段違いだ。

 もう巡理くんしか残っていない。

 

「逃げろっ! 君一人だけでもっ!」

「僕らはもう……」

 

 一人ならともかく二人同時に庇いながら戦えるわけがない。

 ならばせめて巡理くん一人だけでも生きてくれ。

 

 そう思い発した言葉は緑谷くんも同じだったようだ。

 そんなときだった。

 

「下がりなさい、キティ!!」

 

 サッカーボール大の土の弾丸が二つ飛来する。

 この見覚えのある技は────

 

「ピクシーボブ!」

「何て酷い光景、でも、良く生き残ったわね。もう大丈夫よ」

「プロヒーローまで来たか。流石に潮時だな」

「させないわ。さぁ遠慮なくやりなさい!」

 

 樋熊サイズの小ぶりな土魔獣に跨った彼女は、背中にしがみついている彼に向かってそう言い放った。

 

「おい、よく聞けそこの勘違い野郎! お前がこの人たちを殺したのかよっ!?」

「当然だ。偽っ────……?!!」

 

 ステインは急に無言になり硬直する。

 最強の援軍(心操くん)が俺たちの窮地を救ってくれた。

 

「嘘っ、本当にこれでお終い? 理不尽なまでに強いわね、君の個性。素晴らしいわ」

「そんなことないです。さっきは脳無を轟に押し付けて逃げることしかできませんでしたから。俺はまだまだ無力です」

 

 彼はそう謙遜するが、やはり初見殺しの個性としての強力さは抜群だ。

 俺たちがここまで追い詰められた相手をいとも容易く拘束して見せた。

 

「た、たすかったぁ~」

 

 大きなため息とともに緑谷くんが安堵の息を漏らす。

 

「よっしゃぁ! 心操くん、グッジョブ!」 

「ありがとう、本当に助かった」

 

 でも俺が生き残ったのは心操くんだけのおかげじゃない。

 

 命綱となったリストバンドを作ってくれた八百万くんが。

 俺を叱咤激励し、いち早くこの街に向かわせたピクシーボブが。

 脳無から心操くんを引き剥がしてくれた轟くんが。

 幼くとも恐怖に耐え、言いつけを守りきったあの子供が。

 理屈はわからずともきっと兄さんが。

 俺を正気に引き戻してくれた巡理くんが。

 少ない状況証拠から颯爽と駆けつけてくれた緑谷くんが。

 みんなが救けてくれなければ俺はこの世にいなかった。

 

 そして血の衣でステインの個性から守ってくれていた、名前すら知らない犠牲者の三人が。

 

「これで動けるはずだよ。やっぱり自分の体以外だと難しいや」

 

 巡理くんに個性による拘束をうんうんと捻りながらも解除してもらって、俺と緑谷くんはようやく動けるようになった。

 

 そして俺はむせかえるような鉄錆の匂いに包まれた路地裏で、物言わぬ彼らに頭を下げた。

 

「……ありがとう、ございました」

 

 貴方たちのおかげで、今の命があることへの感謝を。

 他のみんなもそれぞれが手を合わせたり、頭を下げたりと彼らに祈りを捧げた。

 

「悠久へと旅立つ同志たちよ」

 

 そしてあれほど宗教は嫌だと言っていた巡理くんは、両膝をついた態勢で眠る人々へ祈りの言葉を捧げる。

 

「命は巡り、想いは託された。人の命に終わりは在れども、人の世は永遠なり。汝らの行いが、還るべき一へと世界を繋がん」

 

 おそらくあれが聖輪会(メビウス)の別れの言葉なのだろう。信者だったという一人が身に着けていたメビウスの輪を模したペンダントを手に彼女は堂に入った様子で祈りを続ける。

 

「姿見ること能わずとも、声を交わすこと能わずとも、ただ我らは汝らと共に在らん」

 

 そうしてしばしの間、彼女は黙とうを続けた。そして借りていたペンダントを信者の胸元に再び返す。

 

「ごめんなさい、お待たせしました」

 

 苦笑いしながら巡理くんはそう言った。あの体育祭以来、宗教家として久々に見る彼女の姿は、いつもと異なりいかにも儚く、すぐにでも崩れ落ちそうな弱々しいものだった。

 

 被害者のうちの二人は親しくはなくとも面識があった人たちだったらしい。身を挺して守られたことに対して、様々な思いがあるのだろう。

 

 俺も巡理くんが死んだと思ったときには、俺自身が今まで全ての理念を投げ出そうとしてしまったほどだった。

 それほどまでに死という概念は、どこまでも人を狂わせる。

 

 きっと彼女のショックは、敵連合のときの比ではあるまい。兄が傷ついたときは彼女に支えてもらった。

 

 だから今度は俺が支える番だ。そう強く、心の中で俺は誓った。

 

 

 


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