「大分周りの音も小さくなっているみたいね。一旦近くの救護施設に向かうわよ。貴方たち、歩けるわね?」
押収した刀剣類を土魔獣の内部へと埋め込み、被害者たちの亡骸をその背に乗せながらピクシーボブがそう語りかけてくる。
「はい、大丈夫です。応急手当も猪地さんにしてもらいましたし」
「俺も歩く分には支障はないです。ただ先ほど無理したせいか、エンジンは焼け付いて当分使える気はしないのですが」
「心配しなくても貴方たちにもう戦わせることはないわ。ただ何があるかもわからない。隊列を組んで行くわよ。まずは私が先頭ね」
「なら僕は二番目を行きます。飯田君の足の状態と、猪地さんの装備状況を考えたら僕が一番ベストです」
「私は最後尾で警戒態勢をとります」
緑谷くんがそう言って前に出て、巡理くんもそれに続く。
「えぇ、いい判断よ。デク、オラシオン、頼むわね」
「では俺は足を休めている間、ステインの監視に専念します。万が一にも外部からの衝撃があれば洗脳が解けてしまいますから」
「俺も同じですね。ないとは思うけれど躓かれたりしたら笑い話じゃすまないし」
ステインは手錠をかけ、洗脳で自ら歩かせているが、念には念をということで心操君と二人でしっかりと監視態勢をとることにした。
「無事に辿り着くまで気を抜かないでね。襲撃だけじゃなくて足元の瓦礫とか、建物の倒壊にも注意よ。それから耳と目もしっかり使って怪我人とかいないかしっかり確かめるのよ。オラシオンがいるからその点今回はかなりやりやすいけれども、集中力が散漫になっているでしょうから貴方たち三人も頼りすぎちゃだめよ。キティたちオーダーは理解したら返事!」
こういうときに頼れる大人、ヒーローが傍にいるのは非常に心強いと改めて感じた。要救助者の捜索も基本であることは理解はしていれども、この非常事態下での俺はすっかりとその点が思考から抜け落ちていた。
「はい!」
ピクシーボブが示した指針に俺たち皆で声を合わせて返答した。
こうして俺たちは警戒態勢を取りながら荒れ果てた街の中を進んでいく。溶けたアスファルトや、ドリルで抉られたビルディング、散乱するガラス片。
「酷いね。死人とか他に出てないといいけれど……」
沈んだ声で巡理くんが言った。幸か不幸かまだ道中で怪我人や死人には出くわしてはいないが、それが逆に見えない不安を扇ぎ立てた。
「僕が一旦轟くんとすれ違ったときに聞く限りでは他に聞いてないけど、でも重軽傷者は多いみたいだよ。彼が担当してもらっていたヒーローは片腕を失くしていたし────」
「おい、緑谷! それはマニュアルさんのことだよな? 俺は聞いていねぇぞ。なんで黙っていた?!」
「心操くん、やめたまえ。焦る気持ちはわかるが、そんなことを言っても状況は変わらないぞ」
緑谷くんの胸倉を掴みながら珍しく激昂する心操くんを引き剥がす。そうか轟くんと心操くんは一緒の事務所だったな。
「……ゴメン、言おうと思って完全に忘れてた。でも命に別状はないって言ってたから大丈夫だと思うよ」
「俺もすまなかった。ひとまずマニュアルさんの命が無事ならいい」
「轟くんの方は大丈夫そうだったの?」
「うん、左腕が僕みたいに腫れ上がっていたけれど他に目立った外傷はなかったと思うよ」
「そっか良かった」
何をしたら緑谷くんの自傷技みたいな腕になるのか気になるところではあったが、轟くんもその怪我程度の範囲で収まったのなら良かったと思うべきか。そう考えながら、ふと心操くんに聞こうとしていたことを思い出した。
「そういえば君がリストバンドを託した子の母親は大丈夫だったのかい?」
「……いつか話す。だから飯田、今はその話をしないでくれ。俺にはまだお前たちみたいに現実を受け入れられるだけの勇気がない」
心操くんはそう言って、左頬から口元にかけての殴打跡をさする。心操くんには大きな怪我こそないが顔面を何度か殴打された跡が残っていたのは気になっていた。
「天哉、悪いわね。彼女の尊厳に関わる話だから私も簡単には口外できないわ」
「……天哉」
彼以外に状況を知っているピクシーボブもそう言葉を続け、後ろから巡理くんが俺の肩を掴み首を横に振る。今じゃない、ということか。俺は彼女に頷き返した後、心操くんの方に向き合って言う。
「今でなくても構わない。ただ吐き出すことで少しでも楽になるのなら、いつでも俺たちに言ってくれ」
「貸し借りとかそういうのは……」
「違うよ。僕たち友達だろ?」
「ありがとう。飯田、緑谷」
鼻頭を手の甲でさすりながら心操くんはそう言った。
「ねぇ私も。私もいるから。仲間外れにしないでよっ!」
「猪地の性根の悪さは知ってるし、ちょっと……」
「ナチュラルに酷い?!」
真顔でそう言った心操くんの様子にショックを受けたらしい巡理くんは、この後とんでもない言葉をポツリと漏らす。
「爆豪に峰田、そんで……うん、心操くんは四番目でいいかな」
「猪地待て。その名前の並びはなんだよ?!」
洗脳が怖いから黙秘権を行使しますと言わんばかりに両手で自らの口を塞ぎ、首を横に振る巡理くん。
「碌なことじゃないって想像つくからその並びは止めてくれ。謝るからさ」
「冗談、ちょっとは顔もほぐれた?」
「僕には冗談には見えなかったけどなぁ」
「緑谷くん、何か言った?」
「いいえっ!」
「キティたち、気を緩め過ぎよ。酷なことを言ってるのはわかってるけれどちゃんと着くまでは気を抜かないで。誰か向かってくるわよ」
ピクシーボブの声が俺たちの意識を引き戻す。彼女の視線の先、路地から飛び出してきたのはヒーロースーツに身を包んだ小柄な老年の男性。
「小僧!」
「グラントリノ!」
「おまえ、座ってろって言ったろうが! 馬鹿もんがっ!」
「もがっ」
早い。あれだけの老体にも関わらず、一瞬で間合いを詰めたグラントリノと呼ばれたヒーローは軽い前蹴りを緑谷くんの顔面に見舞った。
「無事なら良かったが……何やら色々あったようだな」
ステインと土魔獣に乗せられた遺体を交互に見たグラントリノは神妙な面持ちでそう言った。
「バケモンの次はヒーロー殺しか。まずはコイツを警察に引き渡さんとな────伏せろっ!?」
「は?」
そう叫んだ声の意味を理解したのは、突如吹き荒れた風に態勢を崩し倒れ伏してしまった後だった。
「巡理くん!」
巡理くんは羽を生やした脳無と思しき
「あぁああああっ!!?」
巡理くんの悲鳴が上がる。あの大きな足による怪力で締め付けられているのだろう。
救けなければ!
これ以上高いところに上がられる前に、早く!
「今行くぞ! レシプ──────糞ッ、エンジンがっ!?」
先ほどの無理による後遺症だろう。エンジンのかからないまま俺は全速力で走りだす。
「チッ、こんなときに弾幕が足りないなんて!」
土が碌に残ってない街の中、土魔獣の体を一旦崩して弾を生成し、ピクシーボブは脳無を撃ち落とそうとするが一向に当たらない。
「下がれ、小僧! 俺が行く!」
グラントリノが俺を追い越し、足裏から空気圧をジェット噴射させながら上空へと上がっていく。
「凄い個性だ。これなら……なっ!」
グラントリノが追いすがる前、急に翼をはためかせることを止めた脳無が地上へと向かって落下していく。
なんだ、この現象はまるで────
「不味い、今度はあっちか!」
グラントリノが踵を返し、元に居た方へ全速力で跳躍していく。
「しまった! 今転んだからコイツ!?」
心操くんの声で振り返らずとも状況を把握した。転倒の衝撃によりヒーロー殺しが洗脳の呪縛から解き放たれてしまったのだ。
後ろは任せるしかない。まずはそれよりもっ!
「天哉っ!」
「巡理くん!」
落下した彼女を腕の中に受け止める。
できるだけ転がって衝撃を逃がす。背中に鈍痛が走るがフルアーマーの俺が庇わなければ。
彼女に無事かと声をかける間もなく状況は急転していく。
「いかん、抜けられたっ!」
グラントリノの声がした。
「英雄気取りも、
手錠をかけられたまま日本刀を手にしていたステインが地に堕ちた脳無の頸椎を一突きする。
「ハァ、全ては正しき世界のために……」
そして逆胴に刀を構えたステインと目があった。
アイツは巡理くんが回復できそうな刺突ではなく、完全な切断を以て俺たちを終わらせるつもりなのだろう。
今の俺では迎撃も、抱きかかえての回避も間に合わない。
グラントリノも駆け出すが、あの速度では数歩が届かない。
怖い。
人目をはばからず、みっともなく泣き叫びたいほどに。
本当は怖くてたまらない。
全ての矜持をかなぐり捨てて
でも。それでも俺は────今まで過ごした時を、培ってきた想いを嘘にはしたくない。
道を間違えるのはさっきの一度だけでもう十分だ。
これは決して理性的な判断ではない、と。
そんなことは動き出した瞬間にはわかっていた。
俺とステインの前に引かれているのは、他の誰にも見えない一本の境界線。
弱さが、迷いが、恐怖が作り出した、奈落へ繋がる大地の裂け目。
その一線から、あとたった一歩だけ踏み越えられるかどうか。
俺に残されていたのはそれだけの問題だった。
俺の体に染みついていた想いが、足を半歩分前へと進める。
────そして何よりも、救けたいのだと。
あと足りない半歩分は一生分の勇気を振り絞って補う。
そうだ。これでいい。
伝えたいことはたくさんあった。
伝えるべきこともたくさんあった。
「嫌ぁぁああああああああっ!!」
猪地さんの絶叫で風景が埋めつくされる。
無造作に飛び散る臓物と、噴き上がる血飛沫。
あまりの光景に他の誰もが言葉を失っていた。
僕もただ棒立ちするしかできなかった。
飯田君が万が一にも生きている可能性なんてどこにないのは明白だ。
何しろ胴と体が上下に絶たれていたんだから。
猪地さんやリカバリーガールの個性を以てしても、絶対に助かるはずはなかった。
「野郎っ!」
「アンタっ!」
すかさずグラントリノが後頭部に蹴りを入れて意識を奪い、ピクシーボブがありったけの土を首以外の個所に被せて完全拘束する。
これで当面の危機が去ったなんて呑気なことは言えなかった。
「うぉ、おぇぇえろっ」
嗚咽とともに、心操くんは膝から崩れ落ちる。
「ごはっ……うぇっ……」
僕も彼につられてこみ上げてきた全てを地面に吐き出した。
「あまり見るな、小僧。ここで折れたら二度と立ち上がれなくなる」
グラントリノが自身のマントで、吐瀉物塗れの僕の口元を拭う。
「彼もこれ以上は抱え込ませるのは酷ね」
そう言ってピクシーボブは心操くんの鳩尾に一撃を加えて意識を奪い、優しく彼の体を抱きとめた。
その様子を見ていたグラントリノが視線で同じことをしようか、そう問いかけてきたけれど僕はそれを手で制した。この現実から逃げちゃダメだ。
「……なして」
絶叫から一転、しばし沈黙していた猪地さんが消え入るような声を漏らした。
「なして皆おらんくなっと?」
とても聞いていられなかった。
「置いてかんでよ……」
彼女は涙し続ける。でもそんな量ではとても洗い流しきれないくらいに、猪地さんの全身は飯田君の鮮血で塗れていた。
「そうだ」
彼女が何かを思い出したように取り出したのは錠剤のパッケージだった。
錠剤をじっと見つめているその顔は、何故か段々と笑顔を取り戻しているようにさえ見えた。
「ダメよ!」
だけどピクシーボブが錠剤を猪地さんから取り上げた。
「なんばすっとね! 返してっ!
「現実を見なさい!」
ピクシーボブが狂乱する猪地さんへと平手打ちを見舞った。
「よく聞きなさい! 天哉は、死んだの。何をどうやっても生き返らないの。それに、これが噂の
「それに──」
猪地さんが抱きかかえていた飯田くんの上半身から、ピクシーボブはヘルムを脱がせた。
「綺麗な顔ね」
本当だった。笑顔は最強なんだと、オールマイトの教えを僕は信じている。けれど、自分が死ぬってわかっているときに笑えるなんて、飯田くんの心境を少しだけ理解することはできても、自分が同じように振舞えるなんて想像が全くできなかった。
「痛かったのに、怖かったのに。それでも最期に笑って見せたのね。偉かったわ」
ピクシーボブはまるで子供をあやす様に飯田くんの頭を優しくなでる。彼の頬に大粒の涙を垂らしながら。
「貴女にきっと笑顔を覚えていて欲しかったのよ。猪地巡理、貴女の中で飯田天哉はずっと生き続けるわ。貴女が彼のことを覚えている限りね」
そう言って彼女は猪地さんの頭も優しく撫でる。
「私の中で……ならっ!」
しかしその手はすぐに跳ね除けられた。猪地さんは何かに気付いたのか、飯田くんの上半身と下半身の断面を近づけた状態に配置する。そしていつもの治療のときのように腹部に掌を当てて力を込めるような素振りを見せた。
「無理だよ、猪地さん!」
「アドバイスならいいけど、邪魔はしないで緑谷くん。理論の基礎は整ってる!」
いつの間にか普段の口調に近くなっていた。苛立ってはいても、少しだけ冷静さを取り戻しているのかもしれない。
「猪地さん、もし足りないのなら僕の命を使って!」
「何、言ってるの?」
「君の個性に必要なのは、本当はきっと植物だけじゃないんでしょ? 麗日さんのときだってきっと……」
「流石緑谷くん、よく見てる。でもそれじゃ半分。それに今の容量自体は充分足りているから」
瞳を閉じて何か集中しながらも、猪地さんは言葉を続けた。
「私の個性の本質は命の付与でも吸収、蓄積でもないんだ。流動化は本質の半分で、もう半分は命の情報の書き換え。だから私は書き換えるべき部分が欠損した怪我なんかの治療は極端に苦手な代わりに、体調を弄るのは一瞬でできるってこと。自分の怪我なら辛うじて治せるようになったけどね」
命の付与、蓄積。それは散々見てきた。デメリットに見せかけた吸収についても薄々感づいていた。個性についての申告で何かしらの嘘をついていることも。でも情報の書き換えっていったい何だよ。抽象的過ぎて全く理解が追い付かない。そして何よりわからないのが……
「なんでそんな大事なこと僕に明かしたの?」
「君には痛い腹探られたくないからね。遅かれ早かれ答えに辿りつくだろうし、変に疑われるのは嫌だったから。それに私だって君の秘密を抑えているようなものだから、お互いに協力できるでしょ? 君が口添えしてくれるなら多分あの人の治療も前進する」
この口ぶりと騎馬戦のことを思い返してみると、多分ほとんどバレていると見ていいのかもしれない。
「わかったよ。僕は何をすればいい?」
「誰にも邪魔をさせないで。誰にも。私は天哉を絶対に生き返らせるから」
「小娘、お前はさっきから一体何を言っているんだ? 生き返らせるなんぞアイツだってできやしない。馬鹿なことは止めるんだ」
「友達を救けるだけだからおじいちゃんは座ってて」
猪地さんは怒気を隠そうともしない。絶対に退かない目をしている。だから僕もそれに乗るしかない。少しでも飯田くんが戻ってくる可能性があるのなら、それに賭けたい。
「グラントリノ、お願いです。少しだけ時間を下さい」
「師が師なら、弟子も弟子か。……あと3分だ。好きにやれ。それ以上留まるなら気絶させてでも引き剥がす。野次馬が集まる前にな」
「ありがとう、おじいちゃん」
「猪地さん、そんな顔ができるんだね。でもその顔は絶対飯田くんには見せない方がいい」
とても綺麗なのに、どこか死柄木やステインを思い出すような、そんな歪んで見える笑顔。
「そう? でも君がそう言うのなら気を付けるよ。良し、大分整ってきた。あとは
上書きだなんて、まるでゲームのセーブのような言葉を彼女は発する。
「私の怪我しか治せない状態なら、私の定義を天哉に広げて適用する。それで天哉の怪我も治る」
「は?」
こんな言葉を聞いて誰か一人でも正確に意図を理解できる人間は居ただろうか。僕には無理だ。
ただ事の成り行きを僕は見守ることしかできない。
「一緒に生きよう」
白雪姫のワンシーンのように、猪地さんは飯田くんの亡骸に口づけを交わす。
効果はあまりにも劇的だった。
まるで超再生能力を得たかのように、絶たれたはずの胴体が見る見るうちに塞がっていく。
「キティ、嘘でしょ……」
呆然と口を開いたままなのはピクシーボブだけじゃなかった。
「ありえねぇ、あっちゃいけねぇ。万が一にでもアイツに奪われたら」
青白く冷え切っていたような顔色が、血色を取り戻していくのを見て、グラントリノは何かに怯えるようにそう呟く。
恋慕なのか、親愛なのか僕には判断がつかない。けれど、その異常なまでの執着が、一つの奇跡を強引に手繰り寄せた。
彼が戻ってくる喜びと共に、至極当然の懸念が僕の脳裏に浮かんでくる。
「本当にやっちゃった。こんなの他にバレたらエンドレスどころの騒ぎじゃない」
力を失っていたはずの指先が、確かに今かすかに動いた。
「おはよう、天哉」
もう、僕たちは引き返せない。
二章これにて完結です。
巡理の個性について、あいまいな部分は多いですが概ねの開示はさせて頂きました。
命の流動化(付与、吸収、蓄積)と生命情報の書き換え(それに付随する生命情報の可視化)が本当の個性です。
オーバーホールにエリちゃんという上位互換に取れそうな個性持ちが本作執筆開始後に出てきたので、別方面に盛りました。
また保須での影響が全く別方面に出てくるので
三章からはオリジナルシナリオに段々寄っていきます。
感想もいつでもお待ちしております。