職場体験明けの初登校日。その日のヒーロー基礎学は運動場γを用いた救助訓練レースということで、どこかから避難信号を出したオールマイトの下へ如何に早く辿り着けるかというものだった。
この前の保須で飯田や緑谷がやったみたいなやつか。最も緑谷の方は位置情報を持たず、推測で猪地達に合流しやがったんだから、位置もわかって敵と鉢合わせる危険もない状況なら、幾分条件は今回の方が生ぬるいのかもしれない。
「所詮は訓練か」
思わず零れ出た言葉の続きを慌てて引っ込める。
「轟、慢心は良くないぞ」
『ソーダゾ』
小声だったはずだが、隣に居た常闇とダークシャドウは聞いていたらしく、俺を嗜めるように言う。
「いや、舐めてるとかそういうわけじゃないんだが、すまん。まとまってなくてうまく言えねぇ」
「ならば良いが」
そう返した常闇の奥に、無言で首を横に振る猪地の姿が映る。具体的にどう考えてるかははわからないが、アイツも何かしら思うところはあるんだろうな。
訓練が大切なのはわかっている。そこでベストが尽くせなければ本番でうまくやれるはずなんてないことも。
ただあの燃える街の緊迫感のなかで行動の選択迫られる状況とはあまりにも違うこの場の空気に、何とも言い表しがたい違和感ともどかしさが俺の胸の中で渦巻いていた。
そして最初の組の5人のレースが終わり、待機場所頭上の巨大ディスプレイ越しにオールマイトによる講評が行われた。機動力の良いメンバーが揃った1組目だったが、瀬呂、飯田、尾白、芦戸、緑谷の順だった。
最近力のコントロールを掴んだらしい緑谷が最下位に甘んじているのは、途中の足場の選び方が悪かったのとコントロールがぶれたせいで、足場を自分で破壊して落下するという事態になってしまったからだ。
対空性能の高い瀬呂はステージ的に妥当な結果だが意外だったのは飯田だ。順位ではなく、その行動すべてが今までのアイツらしくなかった。
『それで飯田少年。君が一番の問題だ。順位は優秀なものだったがその内容について聞かせてもらおう』
『はい、なんでしょうか』
『君はスタート開始の合図後、10秒ほどその場から動かなかったね。それは何か意図してのものだったのかね。もしあれが────』
『いいえ。俺は皆を侮っていたわけでもありませんし、自分自身にハードルを設けたわけでもありません!』
飯田が勢いよく挙手して遮る。
『ふむ、では何故だい?』
『道を見極めるのに必要な時間でした。勿論全ての場所を見通せたわけではないですが、スタート地点の見晴らしの良いところでしたので、闇雲に向かうより効率が良いかと判断しました』
『ならばよし。私の杞憂だったようだね』
そんな画面越しの2人のやりとりを見ている待機メンバーの方では、飯田の変貌ぶりが少し話題になっていた。
「ねぇ、めぐり。飯田ってあんなんだったっけ? ウチのイメージだと、こういうとき、ノータイムで突撃しそうな感じだったけど」
「体験先が山岳救助特化のプッシーキャッツだったしね。天哉の個性に合わせて、足場の選び方とか、ルート選択や体重移動のイロハを徹底的に仕込んだらしいよ」
「なるほど、アンタら本当仲良いねぇ」
「確かに着地の動きとかが柔らしかったわね。私と最初の模擬戦で組んだ時とは随分と変わったわ」
そのうちに女子たちの話題が職場体験中の食事は何を食べたかなどの雑談になっていた。少し喧しい状況だが、俺は今のうちにやるべきことのイメージを組み立てる。
緑谷と飯田に見せつけられたんだ。俺も変わったところを見せなくちゃなんねえ。なぁ、心操。
× ×
「次の組は位置についてくれ!」
俺が組み込まれた3組目は猪地、峰田、爆豪、上鳴、八百万の計6人。オールマイトの掛け声とともに始まったレースは実況の声を聴く限り、上空を最短経路で突き進む爆豪が最速、僅差で次点が俺、すこし離れてワイヤーアクションを駆使しつつすすむ猪地が3番手のようだった。
俺はいつものように氷で足場を作りながら突き進む。だけどいつものままじゃあ、ハングリー精神の塊である爆豪には多分届かない。だから俺はゴールまで残り1割の時点で勝負に出る。
もともと建物の天井部を起点にして次の地点を結ぶ橋をつくるように氷を発生させていたが、これから作るのは橋じゃない。ジェットコースターのレールだ。
高度を稼ぐ必要がある分、氷も余計に作んなきゃなんねぇし、距離もロスする。そして体もどんどん冷えてくる。だけどこれでいい。充分に予冷ができた!
「
姿勢を低くして風の抵抗を抑え、この前みたいに渦巻く炎の扇風をブースターに。
「見ててくださいマニュアルさん。俺はもう親父の炎には囚われない」
充分な高度をつけた氷の滑走路の天辺から、
「────自分の
炎のアクセルは全開に。それを気を抜けば一面に拡散する炎を無理やり押さえつける形にて渦を成型する。
はやい、速い、迅い! 今までに経験したことのないスピードだ。風が目に突き刺さる。
さらに速度を上げてゴール間近となっておれはようやく気付いた。
「着地のこと考えてねぇ。このスピードを殺す氷の壁を作るには距離がっ!」
このままだと地面と直撃すると思ったその矢先、後ろから力強く抱き留められた。
「着想は良いが、プランは綿密にな。轟少年」
「……はい」
「しかし殻を破るに値する、良い出会いがあったようだね」
子供の頃に憧れていたあの人は、とびっきりの濃い笑顔でそう言った。
「はい!」
そして全員がゴールした後、講評が始まる前に俺は猪地に声をかける。
「肩外れた」
「うん、それは見たらわかる。『外れた』じゃなくて、『外れたから直してください』でしょうが。まぁ治すけどさ」
「ツンデレ乙」
「乙」
「あーもう。外野は下がってて、百ちゃん!」
手振りで追い払われた上鳴たちを冷たくあしらう代わりに、猪地は気心の知れた八百万を呼びつける。
「はい、なんでしょう?」
「こんな感じでさ、ここ抑えといてくれる?」
「わかりましたわ」
八百万の手が俺の肩に触れる。そういえばTVでみたときの脱臼の治療はこんな2人がかりでするような大げさなものだっただろうか。ふと湧いた疑問を口にする暇もなく、猪地は作業を進めていく。
「んじゃ、私は押し込んでいくよ。ちょっと痛いけど、せ-のっと!」
「たっ!?」
ガキッという幻聴と共に、肩のあたりから鈍い痛みが体中を走る。
「はい、終ー了ー」
「轟さん、大丈夫ですか」
「左肩回るようになったみたいだ。ありがとな」
「良かったですわ」
「癖になるから気をつけるんだよ」
「善処する」
まだ変な感じはするが、普通に回るようになった。個性とは関係ねぇけど、やっぱ便利だな猪地。
「そういえば轟さ────」
「オイ、半分野郎っ!」
何かを言いかけた八百万の声を怒号が遮る。
「火ィ、ようやくついたようじゃねぇか」
「あぁ、それから体育祭のときは……」
「俺が勝った。舐めプしやがったあん時も、そして今日もだ」
勝ち誇る爆豪は息が触れそうなほど近づいて言った。
「そうだな、でも次は勝つぞ」
「ハッ、次も良い踏み台にしてやんよ。まぁ、まずはその糞な制御をどうにかするこったな」
「あぁ」
そう言い捨てて爆豪は俺の下から離れ、そして「男のツンデレかよ」「ないわー」などと妙な噂を立てる上鳴と峰田の問題児コンビのところへ突撃して行った。
「キショいこと言ってんじゃねえ。そこのアホども! ちょっと面貸せや!」
「オイラ暴力反対!」
「反対!」
「コラ、止めたまえ爆豪少年」
「放せっオールマイトっ!」
漫才と講評が終わり、待機場所へ帰る中、八百万が先ほど言いかけていた言葉の続きを投げかけた。
「轟さん、今日の放課後お時間はありますか?」
× ×
「それで何を猪地に吹き込まれたんだ?」
「体験先のヒーローのこと伺いましたので。それに先ほど心操さんからお母様の病院のことも。今日は付き添えそうになくてゴメンと仰ってましたわ」
本当は事情を知っている心操に付き添ってもらうことも一瞬考えていたが、アイツもアイツなりにかなりこの前の事件が響いているみたいで、緑谷と尾白と3人でサポート課の方に行ってしまった。
猪地には今週どこかでお母さんのところにいくつもりだという話はしていなかったが、そういえば体育祭で塩崎と一緒に親父に説教かましてたし、インターンも行ってたからな。それなりに察する要素はあったな。自分はすぐ情緒不安定になる癖に、無駄に気遣いするよな。猪地は飯田と用事があるみたいですぐに帰った。
それで今の状況というわけか。多分何言っても心配させるだけだろうし、仕方がない。
「花を選ぶの、手伝ってくれるか?」
「勿論ですわ!」
母さんの入院している病院までの移動がてら八百万とは色々と話した。
これまできちんとは心操とマニュアルさんぐらいにしか言ってなかった俺の火傷の理由のこと。
マニュアルさんが庇った一般市民とは俺だったこと。
親父の機転と技量でマニュアルさんが救われたこと。
脳無を圧倒する親父の隔絶した強さのこと。
思っていたよりも多くのことを話す時間があった。それ以上にここまでぺらぺらと俺の口から言葉が出てきたことが自分でも意外だった。八百万は時折わずかに言葉を返すだけで、俺が話したい分だけを聞き届けてくれた。
「俺の存在が親父を思い出させてきっとお母さんを追い詰めてしまうと思って会わないようにしていたんだ。でも、ちゃんと胸を張ってヒーローを目指すんなら、まずはお母さんの心を救けなきゃって思ってな。お母さんを笑顔にできないようなやつが、きっと他の誰かを笑顔になんてできないから」
「大丈夫ですわ。きっと笑ってくれます」
ぐっと、胸の前で握り拳を作って八百万は断言する。
「親は自分の子供が元気で居てくれるのなら、それだけで元気になるものです。轟さんが笑えばお母様も笑ってくださるはずです」
「そうだといいな。でもすぐには無理かもしんねぇ」
「すぐではなくてもいいじゃありませんか。時間と回数をかけて轟さんの気持ちを伝えれば、これまでのすれ違いのこともきっとなんとかなりますわ」
「八百万」
「なんでしょうか?」
「ヒーローしてるな。俺よりずっと」
「私はまだヒーローではありませんが、どうしたのですか?」
「……なんでもねぇ。いや、確か紅茶に詳しかったよな。少し買い物に寄っていいか?」
紅茶というキーワードとともに瞳を見開いた八百万に、その返事は聞くまでもなかった。
そうしている間に辿り着いた病院の外壁はすでに橙色に照らされていて、待合ロビーも診察時間終わり間際なのに未だ多くの人がいた。そうして面会の受付を済ませ、目的の315号室へと辿り着く。
震えている手に気付いた。それにどれだけの間俺はこの扉の前で立ち尽くしていたのだろう。
「轟さん、私も」
八百万の手がドアノブを握る俺の手に重なる。
「いや、俺がやる。俺が開けなきゃ意味がないんだ」
俺は八百万の手を引っ込めさせて、ノックをした後にドアを開けた。
部屋の中に居た女性は、視線を窓辺から俺たちの方へと移す。
「……焦凍なの?」
窓から差し込む夕日のせいで目が少し痛い。
「会いに来たよ。母さん」
病院に向かう途中のようにスラスラとは言葉が出てこなかった。八百万に淹れてもらった紅茶で喉をときおり潤しながら、一つずつ言葉を選び取っては、それを丁寧に繋げてゆっくりとした音に変えていく。
学校のこと、友達のこと、兄姉のことなど、ときおり八百万が促してくれたおかげで話題は尽きなかった。
「俺、本気でヒーローを目指すことにしたよ。憧れの人ができたんだ」
ヒーローという言葉に母さんの顔が一瞬強張る。
「そう、どんな人なの?」
「すごく地味だけど、実直で気が利く優しい人だよ。親父とは真逆で、世話焼きなところとかはちょっと姉ちゃんぽいかもしんねぇ」
「そういえば昔はお父さんに隠れて、一緒にオールマイトのTVを見たわよね。好みが変わったの?」
懐かしい思い出だ。オールマイト嫌いの親父が居ない時間に、幼かった俺は母さんに抱きしめられながらオールマイトのTVを見ていた。
『いいのよ、おまえは。血に囚われることなんかない、なりたい自分になっていいんだよ』
優しかったころの母さんは親父の訓練に苦しみ、こっそりとオールマイトを応援していた俺にそう言ってくれた。その言葉が俺にとっての
「オールマイトも先生で、今日も授業とかしてもらったし凄いと思うけれど、俺が目指すべき人って意味ではオールマイトでも親父でもなくてマニュアルさんだから」
「すごく慕ってるのね」
「その人のおかげで、俺はようやく自分自身に向き合えた。なりたい自分がわかったんだ」
大きく呼吸を吸い、そして吐く。
「炎を使えるようになった。雄英に行って、八百万たちと会ってから」
親父の呪縛から決別し、俺が俺であることを始めたと、母さんに伝えるために。
「誰が父親だとかは関係ない。俺の炎は俺らしさ、語源通りの意味での個性なんだって。マニュアルさんが言ってた。その言葉の意味を痛感したよ」
母さんの罪の意識を少しでも薄れさせるために。
「この炎は俺自身なんだ。怖がりで冷たい氷の中に隠れてるくせに、そのくせぐちゃぐちゃな
俺はグルグルと渦巻く不明瞭な感情をきちんと言葉にしなきゃなんねぇ。
「そして炎も全部ひっくるめて俺が俺であることを証明するよ。オールマイトもエンデヴァーも関係ない。みんなを笑顔にできるヒーローに俺はなる」
今日一番伝えたいことを、俺の気持ちを外に出す。内に秘めたままじゃダメだってことは十分すぎるぐらいにもうわかったから。
「俺、頑張るから。母さんに笑顔になってもらえるように頑張るから。だからまた会いに来てもいいか?」
「息子がお見舞いに来てくれるのを喜ばない母親はいないわよ」
今、笑ったのだろうか。今日ずっと淡々としていた母さんが。
「こっちにおいで。もっとあなたの顔、よく見せて」
「……うん」
強い西日のせいで俺も母さんの顔がだんだん見えなくなってきた。目が灼けるように痛い。
「少し、外に出ていますわね」
「申し訳ないんだけど下の売店で牛さんヨーグルトを買って来てくれるかしら? 焦凍の好物なのよ」
「えぇ、わかりましたわ。お2人でごゆっくりなされてください」
牛さんヨーグルトは俺が小さい頃好きだった飲料だ。
「一緒に飲みましょう、焦凍」
母さんの中に俺はちゃんと居たのだと、そのことがわかった俺は八百万の去った病室で声にならない嗚咽を吐き出していた。
ひどく懐かしい温もりに包まれながら。