「よくもまぁ5分でここまでって感じね」
「俺も同感だ。想定以上だな。これは」
予想していた事態が早速目の前に広がっている。が、ここまで見事だと感心を通り越して半ば呆れた様な声になるのも仕方ない。
俺が加速できないように見えにくい釣り糸のようなものを扉などの通路の要所に張り巡らされて塞がれている。当然の如く入口の第一歩めの時点で糸の罠が貼られていた。それも玄関マットで隠す様にして二重にだ。最初から警戒していなければこれは絶対に気付かない。
「構造が単純なものとして、糸を即座に作らせたのだろうな。数こそ少ないが何かの作動装置のようなものに繋がっている糸もある。フェイクも多いかもしれないが触らないに越したことはない。あそこの繋がっている先は……備え付けの消火栓か。最速で最大限の効果を狙って来ているな」
まずは慎重に進みながら相手の出方を確かめる。手榴弾状の物騒なものが見えるかと思えば、最もよく見かけたのは何故かマトリョーシカ、所謂ロシアの人形に繋がっているものだった。触らぬ神に祟りなしとはいうが、一応様子見で一つ開けて確認すると同じ顔の小さな人形が次々出てきた。これでもフェイクのつもりなのだろうか。
「単純だけど嫌らしい手。遅延作戦のお手本ね。でもこの階はちゃんと見ていれば問題なく進める密度だと思うわ。上の階でもっと準備が進む前に急ぎましょう」
「あぁ! 俺は一つギアを上げて正面から突破する。梅雨ちゃんは壁伝いで罠を回避してくれ」
「えぇ」
時間が最大の敵だ。急がなくては。さぁ
ギアを上げていくのは厳しいが、走って突破できないこともない。
奥に行くほど趣向が少し変わって来た。だがペースを維持したまま。順調に突破していく。
天井近くの壁周りには流石に罠を用意できなかったらしく、そこを通る梅雨ちゃんも順調に追って来ているようだ。通信状態も良好。
階段が見えた。しかし良く見れば階段が光っている。油の類だ。
不味い。足をかけた────滑る!!
「飯田ちゃん!」
背中から呼ばれる声。そして腹部に巻き付く長い舌。
勢いよく後ろ上方に身体が引かれ、壁に張り付いた彼女に抱きかかえられる。男としては多少恥ずかしい絵面だ。
「君のおかげで助かった。感謝する」
「今のは気付かなくても仕方ないわ。近くの窓が目張りされて暗くなっているもの」
「段々手口が巧妙になってきているな」
「えぇ。だからこそ二人で目を凝らして協力していきましょうね」
そして辿りついた2階の小部屋。見取り図を確認する限り、3階に続く階段を通るにはこの部屋を通る必要があるのだが────それは扉を開けた瞬間だった。
足元に転がって来たのは例のマトリョーシカ。だが転がって来たのは初パターンだ。
陽動か────いや、人形の繋ぎ目の部分から白い煙が漏れ出して来ている。しまったっ!
「うぉおおおっ!」
急いでソレを蹴り返す。反対側の壁に跳ね返ったソレは勢い良く白色の煙を撒き散らし始めた。
「扉を閉めて一旦下がるぞっ」
煙幕に紛れて迎撃する算段だったのだろう。当然相手側はマスクを用意しているに違いない。俺もヘルメットがあり、梅雨ちゃんもゴーグルはあるが、あの煙幕が単なる目くらましではなく催涙効果などを有していた場合詰んでしまう。故に煙が引くまで撤退が筋だと即座に判断した。
「やってくれる。1階の人形を無害にしていたのも反応を鈍らせるための布石か?!」
「でも対応が間に合って良かったわ。でも煙が引いてから再突入となると時間が厳しいかも」
「予定変更になるが階段は諦めて使わずあちらの窓から直接侵入してみるのはどうだろう。俺の体重だとちょっと厳しいと思うが、さっきのように頼んでもいいだろうか?」
「それしかなさそうね。素早い動きは無理だけど、少しの間抱えるだけならやれないことはないわ。急いでやりましょう」
幸いあの部屋以外にはトラップは設置されておらず、すぐに2階のガラス窓へ向かい、身を乗り出し安全を確認する。特に何か罠が張られている気配はない。
「全ての階に侵入できそうなガラス窓が見える。いけそうだな」
「ケロ。思ったんだけどこの感じだと直接舌を伸ばして飯田ちゃんを5階まで送り込んだが楽そうよ。抱えたまま移動するより、私も早く動けるもの。私は4階から侵入してみようかしら」
「名案だ。かなりのショートカットになるな」
彼女の舌が再び俺の腹部に巻き付く。壁に貼りついた彼女と共に俺も外へと一旦身を乗り出す形になった。
「真上のあの窓を狙うわね。舌を怪我しちゃうから、ガラスは自分で蹴破って頂戴」
「了解だ。早速頼む」
目標とする窓を定めたそのときだった。
「対策しないと思ってた? 残念でした」
4階の窓、ちょうどここから真上のところから顔を出した猪地くん。不敵な笑みと共に黒い物体が次々とその手から放たれる。
放射状に広がるのは黒い投網、そして群れを為すようにして振って来るのが大小様々な紐状の物体たち。
「ケロッ!!?」
「蛇かっ!?」
梅雨ちゃんの蛙という個性からイメージされる苦手
「不味い。早く俺を上に!」
梅雨ちゃんも動きを止めたのは本当に一瞬と呼べる程度で、すぐに彼女は投網の範囲外へと俺の身体を一旦出し、そして一気に上へと放り投げた。
「えっ。投げれるの?! 百ちゃん!!」
猪地くんにもこの展開は予想外だったのか、即座にビルの奥へと消えて行く。
だが今は他人の事より自分の事だ。舌に投網が覆い被さったせいで舌から自由の身となった今も、窓へは2mほど届いていない。
「だがこの距離ならばっ!」
エンジンを稼働。反作用を利用して窓へと突入する。豪快にガラスへとダイビングヘッドを決めた形だ。しかし────
「なんだこれはっ!!?」
その突入先が問題だった。窓より低い位置に敷き巡らされた螺旋状の有刺鉄線。気付くのが遅かった俺は思いっきりその中に身体を突っ込む形になってしまった。
「何て悪辣な。フルアーマータイプで良かった。だが俺でなければ酷いことになっていたぞ」
それでも布地の部分は裂け、多数の切り傷を負ってしまった。勢いがあったためか、下手に絡みつくことなく有刺鉄線の外へと抜けられたが、致命傷にはならない程度の出血と痛みを強いらてしまった。
訓練で許される怪我の範囲を的確に見越しての罠。遅延目的の1階と比べると明らかに危険度が増している。ならばこの先もより厳しいと見るべきか。いやその前にやることがある。
『そちらは無事か?』
『────────』
『もしもし? 梅雨ちゃん?!』
『─────────────』
連絡を取ろうと試みるが、耳に入って来るのはノイズ音のみ。突入前は支障なく作動したはずだが急に故障したのだろうか。いや、あり得ない。ぶつけてもおらず、ガラス窓にも近いため通信環境が悪すぎることもないだろう。そんな不良品を渡されるとは思わない。残された可能性からすると、ジャミングされているのか?
だがこれ以上足を止めている暇はない。連絡がとれないことに彼女もおそらく気付いているはずだ。適切な行動を取ってくれると信じて俺も進むしかなかった。
× ×
そして残り4分。ようやく目的の場所に辿りついた。目の前には大きな核を模したオブジェクトと
「流石飯田くんだね。思ったより早かったよ」
「でも残念でしたわね。絶対に核は奪わせませんわよ」
「奪わせないという意気込みは分かった。だが、これはいささか卑怯ではないか?」
この部屋はそんな言葉が勝手に口をから零れて来るほどの有様だった。
訓練的にはルール違反ではないが、核の周りに圧倒的な密度でセットされた鉄条網。しかもご丁寧なことに八百万くんの足元には電源らしきものも見える。
何重もの網を無視して破れる者や、専用の工具がある者ならばともかく、俺たちコンビでは手が打てない。完全に核の奪取という道を塞がれた。これは酷い。
「
「えぇ。今の私たちは
煽り文句と共に至極悪い笑みを浮かべる彼女たち。真剣に
俺の方へ近づいてくるのは猪地くん。八百万くんは何かを手に持ったまま後方で待機してる。
「それじゃあ飯田くん。正々堂々私と1対1だ。今日は私の本気見せてあげるよ。百ちゃんは手筈どおりの対応でよろしく。警戒だけは怠らないでねって────早っ!? 言ってる傍からもう来た。百ちゃん、窓っ!」
ガラスを蹴破って突入と同時に舌を伸ばして八百万くんへと攻撃を仕掛ける梅雨ちゃん。しかしお好み焼きに使うヘラを巨大化させたようなものを肘から瞬時に出し、的確に防御する八百万くん。
本来は陽動は俺の役割だったが、タイミングは今しかない。エンジンを加速させ、猪地くんへと突進する。
しかし彼女は後方の騒ぎにも関わらず、俺から目を全く逸らす素振りがなかった。不意打ちは無理か、油断ならないな。
「行くぞっ!」
まずは左足を水平に薙ぐ様にして腹部を狙う。
対する彼女は蹴りの下を潜るようにして回避────いや回避ではなかった。
「うりゃぁああああっ!!」
残った軸足へ向けてのタックル。右脛の部分にしがみ付かれた。
前のめりになる身体、寝技にでも持ち込まれて捕獲されたら一貫の終わりだ。
右のエンジンを一気に噴かす。
「うわっ!?」
たまらず彼女も後方に吹き飛ばされるが、上手い事受け身をとっておりダメージは見込めない。
それにしても先程の蹴りは妙に軸がぶれた。さっきのタックルでアーマーの排気筒が歪んだのか。確かめるべく視線を一度猪地くんから外し、自身の右脚に向ける。
「なんだこれはっ!?」
通りでぶれるはずだ。右脚の6気筒の内、3つが灰色のプラスチック状の何かがで塞がれていた。
「百ちゃん特製の硬化剤だよ。専用の薬剤がないと溶けないから訓練中は諦めることだね」
「だが詰めが甘かったようだな。塞がれたのはアーマーだけだ。外してしまえば済むことだ」
「そんな暇与えると思う?」
右腕を振りかざし飛び出して来る彼女。
すかさず左のローで迎撃に入る。すると彼女が突如
そして直後、後頭部に走る衝撃。彼女が左腕部に装着した円盾による裏拳か。
「くっ」
ヘルメットをしていなければこれで終わっていたかもしれないほどに勢いのある一撃だ。たまらずバランスを崩しそうになり後退を余儀なくされる。
「ったぁっー。腕がジンジンする。緩衝材もっと仕込んでもらおうかな」
猪地くんの方も盾の裏側、左腕部を撫でるようにしていた。
「百ちゃんそっちは大丈夫?」
「今は凌げていますが、もしあなたが飯田さんに抜かれてしまうとお手上げですわ。予定より早いですが印籠を使いましょう!」
「印籠?!」
「こっちは多分行けそうだけど、万が一が怖いもんね。わかった。やっちゃって百ちゃん!」
「控えなさい! お二人共そこまでです! これが目に入りませんか?」
そんな疑問はすぐに解消される。伝統的に続く時代劇で定番のワンシーンのように八百万くんが何かを掲げながら声を上げた。手に収まるサイズの小さい箱。赤いスイッチらしきものがあり、彼女の親指がいつでもそれを押せるようにと構えていた。
「ケロ?」
「これは核の起爆装置ですのよ。今回は小型の爆弾をオブジェクトの側面に括りつけていますけれど、ごく小規模ですが本当に爆発しますわ。つまりこれを本物の核と見なすのならば、これを爆発させるような事態になれば
「ハァッ!!? それは完全にルール違反ではないか?」
オールマイトの想定した戦闘から逸脱しているとしか思えない。先程の鉄条網はともかく、そんなことを許せば訓練の前提が崩壊してしまう。
「そうかな? たしかに爆発させたら私たちも死ぬって事と同義だから
言っていることが無茶苦茶だ。だが彼女たちが本当に
「でもそんな横紙破りをオールマイトが許すのかしら?」
「いいえ、抗議は無駄ですよ。オールマイトには予め全て作戦を無線で伝えた上で了承を貰ってますわ」
「くっ、交渉も立派な戦いってことか」
「その通り。だって追い詰められた
まさか屋内での対人戦闘訓練で交渉を行う必要に迫られるとは思ってもみなかった。
「それで交渉というからには、君たちも何らかの要望があるのだろう? そうでなくてはオールマイトが許可を出すとは思えない」
「そうだね。百ちゃん、パターンBの方でよろしく」
「さっきの破滅思考の話は極端な例でしたがもう少し交渉の余地がある設定に変えますわね。実は私たち、目的は蛙吹さんへの復讐でしたということはどうでしょう。あ、これは訓練での話ですわよ。組織の命令で蛙吹さんを炙り出して核と共に確実に抹殺するつもりならばどう対応されますか?」
気圧されている場合ではないこともわかっている。
だが俺たちはそもそも核の捕獲が封じられ、戦闘が封じられ、そして苦渋の二択を迫られている状況だ。何故、どうしてこうなった。
「今の私たちは訓練そのものの結果はどうでもいいんだ。
「ノリノリみたいですから続けていいですわよ」
「じゃあ言うね。私たちはこの核を放棄してもいい。でもそれは彼女の殺害が条件だ。この場合は訓練だからテープで捕獲という形でいいかな? さぁ仲間を犠牲にして目的を果たすか、皆の命を優先させるか。君ならどうする?」
そうだ。兄さんならばどんな危機的な状況だって、最後まで絶対に諦めない。
「飯田ちゃん、どんな選択をするにしても私はあなたの判断を支持するわ」
彼女は笑顔でそう言った。何故そこまで俺を信じてくれる?
「わかった。すまない……梅雨ちゃん、俺の前に来てくれないか?」
だが彼女の信頼に応えるためにも演じきれ。きっと油断が生じるハズだ。
梅雨ちゃんに巻きつけようとしたテープをそのままに、レシプロバーストで加速して二人を捕獲する。それが最善だ。
だがテープを引き伸ばして梅雨ちゃんに巻きつけるフリをしようとしたそのとき、俺はふと気付いた。
「梅雨ちゃん、そう言えば今何分だ!?」
「今さら? 飯田くん、もう遅いよ」
今日一番の不敵な笑みを浮かべる
「────3、2、1、ゼロですわ」
『15分経過、タイムアップだ。
オールマイトの太い声が虚しく耳に残響する。まさか先程の口車は全て――――
「猪地くん、最初から時間切れを狙っていたのか?」
「時間切れ
時間切れ
先程の戦闘だけとって見ても、猪地くんはしっかりと対策を練って来てそれを実践してみせた。
俺の動きも読まれていた節も見受けられる上に、瞬き一つしていないにも関わらず俺はあのとき一瞬彼女を見失った。
今思えば裏拳ではなくテープで捕獲されていなかったのが不思議なくらいだ。俺が勝てるという保証はどこにもなかった。
擁護したいはずの自分自身からですら、そうとしか言えなかった。
「猪地くん、八百万くん、見事だ。俺たちの完敗だな。裏をかこうと思ったのだが梅雨ちゃんもすまなかった」
「いいのよ。飯田ちゃん。呑まれてしまったのは私も同じだもの。時間も言われるまで忘れてしまってたわ」
やれることはやったつもりだったが相手の方が何枚も上手だった。こうまで見事に負けると逆に清々しくさえもある。蒸れたヘルメットを外し汗を拭う。
「飯田くん、梅雨ちゃん、意地悪い事してゴメンね。飯田くん、その切り傷は有刺鉄線のかな、痛みは大丈夫?」
「痛みと出血はあるが、傷そのものは対したものではなさそうだ。入試と比べれば軽いものだ」
「そっか、一応体力分けとくね。それから消毒も。染みるから我慢してね」
「痛っ!?」
腰のポーチから取り出した消毒液を染み込ませた布で傷口を拭う。
「猪地ちゃん、私も何か手伝いましょうか?」
「ありがとね。じゃあ拭き終わったところにこのテープを貼るのお願いしてもいいかな?」
「わかったわ」
「さっきは本当にゴメンね。せっかくのトップバッターだし敵側だから、他のチームができないように禁じ手になりそうなことを先に出し尽くした方がいいかなってことで色々二人でやってみたんだけど……」
「ちょっと脅かし過ぎたみたいで御免なさいね。それから飯田さん、これを塗ると排気筒が元に戻りますわ。後で塗って下さいね。猪地さん、終わり次第モニタールームに戻りますわよ。私はやれることがなさそうですし、一足先に戻らせて頂きますね」
「うん。消毒はこれでいいかな。あとテープをお願い。待ってよ百ちゃん、歩くの早いって!」
意気揚々と帰っていく二人。ここまで完封できればさぞ気持ちいいことだろうな。
「これで貼り終わったわ。飯田ちゃん、私たちもまずは講評を受けに帰りましょう。勉強は復習の方が大事だもの」
「あぁ、そうだな。俺たちも戻ろうか。次の組が控えている」
梅雨ちゃんだって悔しくないわけがないだろうに、どこまでも冷静だ。本当に頼りになる。彼女の言う通り、今回の敗北は糧としなければならないな。そう自分に言い聞かせて、重い脚を前へと進めた。
× ×
「お、おかえり! 初っ端からいいもん見せてもらったよ」
「皆、すごかったよ。お疲れ様ー!」
「飯田と蛙吹はドンマイだな。ありゃ誰だって相手したくねぇって。無理ゲー過ぎる」
「……許せねぇ。なんだよアイツだけ女子に囲まれて手当されやがって」
モニタールームに到着後、皆から慰労や激励、慰めの言葉が送られる。
だが確かに聞こえてはいるのだが、言葉が耳に入って来ない。そんな気がしていた。
「なんて言うか────猪地って、
だから俺は見逃した。
猪地くんに向けられる好奇と畏怖の視線に。
そして忘れていた。
僅か一、二か月前のあの日の出来事を。
訓練の捕捉
効果はありませんでしたが蛇は玩具です。