学校生活における新年度の大きなイベントであるクラス委員決め。雑多な役回りで敬遠されがちなイメージが付きまとう役職だが、この雄英は他の学校とは異なる。将来のリーダーシップを示す肩書きとして誰もが自薦するほどの花形だ。
収集がつかなくなってしまったため、他薦のみの選挙を俺が提案して採用され、今投票の真っ只中だ。
クラス委員長として相応しいのは誰か。そう迷う暇もなく、気がつけば猪地くんの名を投票用紙に連ねようとしていた。
いや落ち着け、と右手を止める。本当に彼女でいいのか?
知力、協調性、慈愛、そして視野の広さ。リーダーの資質として必要なものを彼女は多く備えている。雄英のヒーロー科のクラス委員長として推薦するに相応しいと俺は思う。
しかし意外な事に猪地くんは立候補していなかったのだ。しかもクラスでただ一人だけ。なぜ君ほどの人物が名乗りでないのか、事情を知らないときの俺ならばそう言いかねないが、今は違う。理由の一部ならば推測するのはそう難しいことではない。
ならば他に推薦するべきは誰か。成績や分析力においては八百万くん、冷静さや協調性では蛙吹……梅雨ちゃん、いざという時の覚悟や決断力ならば緑谷くんの名が頭に浮かぶ。きっといずれの三人も立派に務めあげるだろう。だがしかし……
「あと三十秒だ。書き終わった奴から紙を畳んで前に持って来い。最後の二人は開票だ」
相澤先生の気だるげな声。時間がないな。
「よし」
俺は再びペンを手に取りその名を綴る。直感でもなく、期待でもなく、ただ願いを込めて。
「えーっ! 僕が二票ー!!?」
緑谷くんの声が教室に響き渡る。黒板に書かれた正の字を見ると八百万くんが三票、次点で緑谷くんが二票だ。まぁ妥当な結果だろう。
「なんで俺が一票でデクが二票だと?! 一体誰が……!!」
昨日は青白い顔で帰って行った爆豪くんだったが、すっかり元の勢いを取り戻していつもの怒声を上げていた。
「まーおめぇに入るよかわかるけどな! この前ボロクソに言われてたけど、俺は緑谷と対峙してたとき、ちょっと気圧されたからな」
「あ?!」
「まぁ落ち着けって爆豪」
瀬呂くんが緑谷くんを擁護すると爆豪くんに因縁を付けられ始めた。ヒートアップしそうな雰囲気だが、対人調整が巧そうな切島くんが割って入ったので問題ないだろう。それから他人の事より自分の事はというと……
「俺は一票。わかってはいたが流石に聖職といったところか。だが、一体誰が俺に……」
「私も一票入ってる。誰が私に入れてくれたんだろう……」
後ろの席の猪地くんが隣に来て首を傾げながら言った。その一票は俺だ、と言おうと開きかけた口を閉じる。「誰か」などは問題ではない。「誰かが支持してくれている」ということを知ることそのものが、今の彼女にはきっと重要なのだから。
「ケロ、飯田ちゃんは他に入れたのね」
「何がしたいんだ飯田。あれだけ委員長やりたそうだったのに推薦とか言い出すから……」
梅雨ちゃんと砂藤くんがため息交じりで言う。
「でも律義で偉いと思うけどな。天哉のそういうとこ、私はいつも尊敬してるよ」
「猪地の言うこともわからんでもないが、クソ真面目も大概にしないと損するぜ。天や……アレ。いつの間に?」
クソ真面目か。この学校で言われるのは初めてだな。上鳴くんの言うことは一理あるかもしれないが、この性分は既に身に染みついてしまっている。一朝一夕でどうにかできるものではないだろう。
「委員長は八百万、副委員長が緑谷だ。じゃあさっそくそこのプリントを配ってくれ」
「はい、任されましたわ!」
「じゃあ僕が半分を……」
「あー、これで少しは楽できる」
せ、先生?!
× ×
「ほらデクくん、飯田くん、こっちこっち!」
緑谷くんと二人で手を振る麗日くんの下へ向かう。猪地くんと八百万くんを加えた女性陣に席の確保を任せておいて正解だった。今日も食堂は満員に近い賑わいぶりだ。
「なんとか纏めて席取れてよかったね。はい、猪地さん。約束のサラダうどん」
「サンキューね。遠慮なく頂きます!」
目を輝かせてトレイを受け取る猪地くん。ポーチから取り出したバナナ2本をその上に乗せる。彼女の食欲は相変わらずだ。
「でも言っておくけどこれは罰ゲームなんだからね。緑谷くん、あんまり無茶しすぎちゃ駄目だよ」
「うん。制御頑張ってみるよ。相澤先生にも今日言われちゃったし」
「麗日くんがBランチ、八百万くんがカツカレーでよかったな」
「ええ。ありがとうございます」
「飯田くん、ありがとう!」
俺のチョイスも八百万くんと同じくカツカレーだ。八百万くんの頼んだものが美味しそうだったので、つい同じものを頼んでしまった。ボリューミーなロースカツ、鼻孔を刺激する異国の香り、一目で違いの分かるツヤツヤのライス。それを真近で見て頼まない理由などない。
「じゃあ皆で頂きますだね。ほかほかの内に食べようぜ!」
「頂きます!!」
麗日くんに合わせて皆で手を合わせ唱和する。
「お米がうまい!」
「ドレッシング最高!」
学食の鉄板であるカレー。美食の体現者たるランチラッシュの作った物ならば、このボリュームでもすぐにきっと消えてしまうだろう。だからこそしっかりと味わえる一口目こそが肝要だ。
まずはカレーとライスを1:1の黄金比ですくって口に含んだ。瞬間、香りが弾ける。これは辛さではない。清涼感とも呼べる爽やかさが口から鼻、そして全身を駆け巡るかのよう。この香辛料の配合はまさに奇跡そのものだ。いつも食べ付けている母のカレーとは全く違う。
ベースにはしっかりとしたニンニクの風味。そしてシナモン独特の甘苦いとでも表現すべき味がさらに深みを与えている。俺の舌では果物かはちみつか判別は出来ないが、まろやかな甘みがそれをうまく一つにまとめているのだろう。そして程良い粘りと甘味を醸し出す米の一粒一粒がカレーのルーの味を更に引き立たせる。充分に噛みしめた後、喉の奥へと落とし込む。
次の一すくいはルーのたっぷりかかったジャガイモだ。面取りされた美しい造形のジャガイモを口に入れる。カレーの強烈な香辛料の中でさえも自己主張する土のかぐわしい香りが咀嚼するたびに溢れ出す。
そしていよいよ本命のカツだ。スプーンを突き刺す。カレーがかかっていながらも、サクッっという軽い音が衣から発せられる。肉は柔過ぎず、固すぎず。スプーン越しに感じる適度な弾力。富士山が噴火したかのように流れ出す肉汁がルーの上に広がる。室内灯を反射して黄金のような輝きを見せつける肉汁の溶岩。口内の唾液も濁流のように溢れ出さんとする勢いだ。意を決して口に含む。
あぁ、これこそがカツカレーだ。求めていた期待通り、いや期待の遥か高みの味だ。端的に且つ誠実にこの味を言葉で表現するならば────
「うまい!」
それ以外の言葉は不要だ。
「ええ、それしか言葉がありませんわね」
斜向かいの八百万くんが目を合わせてそう言った。俺と考えていることはどうやら同じらしい。口直しにオレンジジュースを流し込む。これで口の中をリセットすれば再び同じレベルの感動を味わえるはずだ。
「百ちゃん、味見させて……ってもうほとんどないじゃん!」
見ればもう8割方無くなっている。俺が遅すぎたのかもしれないがそれでも早い。
「八百万くん、意外と早いな」
「私の個性は脂質を原子に変換することで創造していますので、沢山蓄えるほど沢山出せるのです。ですから早く沢山摂取することで……」
「うんこみてぇ」
「確かに。あ、ここ席良い?」
声のする方を見る。瀬呂くん、そして同調したのが上鳴くんだった。いきなり現れて何を言い出すかと思えば……
「ここは食堂だぞ。マナーというものがあるだろう! 君たち!」
「いくらなんでも女の子にあんまりじゃない……百ちゃん大丈夫?」
「だりゃああああ!!」
一閃。どこからともなく飛んできた鉄拳が瀬呂くんの頬に突き刺さる。そしてもう一閃が上鳴くんに。
「ぐへぇっ!?」
「何でおれぼっ?!!」
「ウチもカレーなのに食べる気無くすわっ! このアホども!」
「おー、耳郎さん今日も良いパンチ」
耳郎くんか。麗日くんの評したように腰の入った気持ちの良いストレートだった。
「この席良いよね?」
「やほっ、三奈ちゃんも一緒だったんだ。どーぞどーぞお二人さん」
「じゃあ遠慮なく。なかなか二人席が見つからなかったから良かったよ」
芦戸くんと耳郎くんに席を勧める猪地くん。
「えっ、俺らの席は?」
「ちょっ、また緑谷と飯田ばかり?!」
「ご飯を不味くする馬鹿共はあっちだあっち」
頬を押さえながら訴える二人を追い払う耳郎くん。何事もなかったかのようにカレーを口にするその姿は逞しい。
「何で親指下向けてんのさ響香ちゃん」
「ロックやわぁ」
「校庭で食べろってことではないのか?」
「いや、僕は違うと思うよ」
緑谷くんが親子丼をかき込みながら言う。ふむ、下に食べれそうな所はあっただろうか。いやここは一階だぞ?
「しょうがねぇ。瀬呂、他探そうぜ。蛙吹はどこに居っかな?」
肩を落として二人が去ろうとしたその時だった。窓ガラスが共振するほどに大きなサイレンが響き渡る。
「警報!?」
『セキュリティ3が突破されました。生徒の皆さんは速やかに屋外へ避難して下さい』
「さ、3ってどれくらいなん?」
皆が箸を止め立ち上がる。
「すみません先輩方、セキュリティ3ってなんでしょうか?」
食堂の入口へ向かう先輩たちへと声をかける。まずは事態の把握が大切だ。
「校舎内に誰か侵入してきたってことだよ! こんなの俺も初めてだ。君等も早く出るんだ!!」
「では俺達も……」
「天哉、駄目! 皆もストップ!」
俺の袖を掴んで制したのは猪地くん。そして同調するように耳郎くんが意見を言う。
「ウチもそう思う。廊下に人が殺到してパニックになってるのが聞こえてる」
「私の探知でもそんな感じがしてる。生命反応が過密状態だ」
「耳郎と猪地の言う通りにしとこうぜ。こういうとき探知型は心強いよな。なぁ、一回水でも飲んで落ちつこうぜ」
上鳴くんが俺の肩を叩いて座るように促す。彼のいう通りだ。まずは僕が落ち付け。そう言い聞かせてジュースを一気に飲み干した。そして切り出す。
「さっきから一つ気になっているんだが、この雄英に昼間から堂々と侵入する者など本当に居るのだろうか?」
「オールマイトも居ることですし、
「実は最近校門の近くで指輪をしている人たちを見たんだけど、もしかしたら……」
「それは
緑谷くんの疑問に猪地くんが断言で返す。だがそれは……
「めぐりちゃん、それってどういう……やっぱり今はいいや」
先のやり取りは一体どういう意味なのか。麗日くんと同じく俺にも全く理解ができない。『
「ねぇ、私思ったんだけど、最近朝のマスコミすごかったよね。もしかしたら、それじゃない?」
「確かに芦戸の言う通りあるかもしんねぇな」
瀬呂くんのオールマイト就任の報を受けて最近マスコミが正門前に殺到していた。例外なく今日もだ。
「百ちゃん、双眼鏡を用意できる?」
「えぇ。簡単なものならすぐに。正門はあちらの窓側でしたわね」
左手から瞬時に取り出した八百万くん。簡単と本人は言ったが重厚なフォルムは明らかに高級品のソレだ。これだけの品質でもこの速度で創造できるのか。先日はすごい実力者と対峙していたのだなと改めて実感する。空き始めた食堂の窓際へ皆で移動して確認を取る。
「ビンゴですわ」
「
「良くないと思うよウチは。聞いた感じ多分廊下で転んだりして怪我人が出てるっぽい。完全にパニックだ。どうにかしないと」
彼女の言う通りだ。考えろ。状況がわかっているこのメンバーで何が可能だ? 兄さんならばどうする────そうだ。
「八百万くん、拡声器で皆に知らせよう。まずは食堂、そして廊下にの皆に!」
「わかりましたわ。でも飯田さん、廊下と言っても、この混雑状態では奥の方までは……」
「俺に考えがある。麗日くんの個性で俺を浮かせてくれ。後は俺のエンジンで天井伝いに奥の方へ向かう。なるべく目立つ場所で拡声器を使えば聞いてくれるはずだ。それから瀬呂くんは自身の個性で天井伝いに放送室へ。校内放送で事実を伝えてもらうんだ!」
麗日くんの個性で足場がなくとも俺の個性ならば姿勢制御も推進も可能だ。入試のときのような瓦礫の雨のなかの空中飛行でない分、まだ難易度は低いはず。
「なるほど天井伝いか。任されたぜ飯田。この前の
「百ちゃん、瀬呂くんにも拡声器をお願い。他に混雑しているところあると思うし」
「了解ですわ! 瀬呂さん、飯田さん、よろしくお願いします」
「よ~し、私も本気出さんとね。飯田くん、ほいタッチっ!」
麗日くんから肩を叩かれると身体が宙に浮き始める。成程、これが無重力か。
「皆、それでは行って来る! まずは食堂の入口が目立つな」
拡声器を手にエンジンを噴かす。左右の足の角度で調整しながら掴みやすそうな入口の看板を目指す。
雄英生として、ヒーロー志願者として。この任務、兄のように立派にやり遂げて見せる!
息を吸いこめ。短く、端的に、それでいて……
『皆さん、大丈ー夫!!』
× ×
あの騒ぎの後、警察が到着してマスコミが撤退。大きな怪我人も出ることなく無事に事態は収拾した。そのせいもあってか今日はマスコミを見かけることもなく、久しぶりに楽に登校できた。特に入試の件もあって俺の合羽の背中に猪地くんを隠しながら登校せざるを得なかったからだ。
そして────
「よっ、非常口飯田!」
「おめでとう、非常口!」
こういう流れになるとは思わなかったが────胸を張り、手を伸ばして宣誓をする。
「副委員長の指名ならば仕方ない。この飯田天哉、この一年全力で副委員長の任を務めあげよう!」
「任せたぜ! 非常口副委員長!」
副委員長である緑谷くんの強い推薦により俺がクラスの副委員長を代わることになった。名誉ある雄英で副委員長を務めることができるのも喜ばしいことだが、緑谷くんが俺の事を推薦してくれたということ、そして皆もそれを認めてくれているということが誇らしかった。
決してその期待に恥じることのないよう、俺は常に正しく人を導き、まとめあげられる人間でありたいと思う。
そうだ。このときの俺は、確かにそう誓ったのだ。