シュレディンガーのゴミ箱   作:テンガロン

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01.衝動に身を任せた者の顛末

 

 柊 冬樹《ひいらぎふゆき》はこの上ない程に冷静だった。彼の過去15年に及ぶ短い人生の中で、一番緊張していなかったと言っても過言ではないだろう。

 まだ幼さの残る顔立ちだが、その眼窩には覚悟の光が宿っており、そして右の掌に包丁を握り締めているとあれば、彼が仕出かすであろう事を想像するのは難しくないと言う物だ。

 

「……」

 

 彼の心臓の鼓動は普段通り。休日の早朝という事もあって住宅街は閑静としている。朝の日差しが眩しい。もうすぐ冬を迎えようとしているというのに、汗でも掻きそうな位だ。人通りが無い事もあって、これ以上無い程に絶好の機会だが、決して焦る事は無い。

 何せ、彼がこれから明確な殺意を以てして挑もうと言う相手は、『ポケモンリーグのチャンピオン』に君臨した事のある男。殿堂入り――、という行為を成し遂げた、偉大なる存在。

 その相手の家の玄関に潜み、インターホンを押すタイミングを静かに伺っていたとしても、それは臆病なのではなく、慎重なだけだ。

 

(でも、ポケモンが強いってだけで――)

 

 人間は、脆い。

 例え皮膚が鋼鉄よりも分厚いドラゴンだろうが、包丁の一本二本を瞬時に溶かしてしまうような炎の怪物だろうが、モンスターボールから出てくる前に、トレーナーを殺してしまえばいい。

 

(貴方が強いわけではない)

 

 ポケモンに対する指揮力。瞬時の判断。命令の的確さ――それがどうした? 無意味だ。心の中で渦巻く負の感情を制御して、冬樹は一度深呼吸。感情を落ち着かせ、そして覚悟を決めた。

 

 

 ピンポーン

 

 

 高い音が響く。この家には男以外が住んでおらず、一人暮らしである事は有名な話なので冬樹の耳にも入っていた。だからこそ、この計画を実行する事を決意したのだ。

 朝早く、出るかどうか。寝ていたらどうだ? 一つ一つの疑問を制御して、声を待つ。もしくは、そのままドアが開く事を。あくまでも冷静に、感情的にならずに。

 

「……はい」

 

 やがて、声が聞こえてきた。ノイズ混じりのテンションの低い声。今起きたばかり、という所だろうか。何にせよ、ここまでは順調だ。

 

「朝早くすみません、速達です」

 

 なるべく大人のような声を出そうと、低い声を喉から振り絞る。不信感を持たれてはいけない。……最も、朝早くから自分が殺される、という事など、夢にも思わないだろうが。

 どたどたどた、と足音が近づいてくる。手に汗が滲む。どくん、と一度心臓が跳ねる。今までの光景が頭を過ぎる。足元がふらつく感覚に襲われて、よろけそうになる。

 

 

 でも、冬樹は堪えた。ここで失敗すれば全ての希望が潰える。世界の全てに復習をする機会を手に入れる為に、ぐっ、と両手両足に力を込めて、ドアが開くのを――待った!

 

 

 

「はいはい、今でま――」

 

 

 

 声が途切れた。

 突き出した右の掌に握られた、包丁の先端部分が、ずぶり、と嫌な感触を残して、まるで泥の中に沈んでいくように、吸い込まれていく。

 胸に突き立てられた、悪意の塊。少年の目には、後悔の念など一つも無い。無表情、という言葉がこれ程までに似合う表情は、他にないと断言出来るだろう。それくらいの、無表情。

 かは、と声が漏れた。無論、少年ではない。男の、表情を苦痛に歪ませた声。だから、少年は包丁を胸から引き抜いた。

 

「う」

 

 返り血が自らに降りかかる事など恐れずに、少年は引き抜いた包丁を再び男の胸へと突き刺す。二度の襲撃で、男の生命は風前の灯――、いや、既に絶命していたのかもしれない。

 

「ごめんなさい」

 

 一言だけ、口にした言葉は謝罪。

 恨みは無い。ただ、彼が殿堂入りという偉業を果たした、強者だったから――、それが、死因だ。

 ドアを大きく開き、ぐらりと倒れ込む男の身体を突き飛ばす。玄関に飲み込まれていく男から目を背け、振り返った冬樹の視界には、人影は見えなかった。

 

(……ここまでは、順調)

 

 音を立ててドアが閉まる。犯行は誰にも見られる事なく、完遂された。そこで始めて冬樹はふぅ、と大きく溜息を吐いた。

 羽織っていた上着を脱ぎ捨て、長ズボンを降ろす。返り血を浴びる事は予想していたので、ズボンは長ズボンと半ズボンの二枚を着てきていた。

 幸いな事に、靴下には血は付着していないようだ。靴には多少付着したが、黒い靴であり、赤い血液は特に目立つ事は無いであろう。

 

「……さて、と」

 

 一人暮らしで一軒家というのは、中々豪勢な物だ。チャンピオンともなると、相当の報酬が出るのであろうか? どうでもいい、と呟いて、死体に手をかける。まだ胸からは生温い血液が流れ、玄関のタイルを汚しているが、気にする事はない。

 服装は寝巻きではない。数分の待ち時間があったし、急いで着替えたのだろうか。腰元を見る。ビンゴ。腰のベルトに6個付けられた、モンスタボール。生前使用していた物だろう。恐らく、愛用のポケモン達が入れられている。……目的は、これだ。

 しかし、寝起きだというのに、身に着ける辺り、こういう事態に備えていたのだろうか? ただ、一瞬の内に起きた不幸に対処できず、命を落とした――それだけだ。

 

 ベルトごとボールを回収する。この中のポケモン達はトレーナーの死に気付いているのだろうか? わからない。が、今ここで無意味に出現させでもしたら、怒り狂って冬樹を殺そうとしてくるだろう。

 

 

 だからこそ、必要な物があった。

 

 

「さて、お次は」

 

 

 胸ポケット。そこには財布と一緒に、トレーナーカードが入っていた。名前は……ダイヤ。冬樹は知ってはいる。が、別に興味は無い、本当に欲している物はこんな物ではないからだ。

 

「漁るか……」

 

 彼は臆する必要も無く、靴を履いたまま家の中へ足を踏み入れる。もう、本来の家主はいない。命は、驚くほど簡単に、あっさりと、この世から絶たれてしまったのだから。

 

 

 

 残されたのは、絶望。

 




トレーナーデータ

なまえ:フユキ
おこづかい:3000円

手持ちポケモン

???:Lv94 おや:ダイヤ
???:Lv91 おや:ダイヤ
???:Lv90 おや:ダイヤ
???:Lv86 おや:ダイヤ
???:Lv84 おや:ダイヤ
???:LV??? おや:???
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