シュレディンガーのゴミ箱   作:テンガロン

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始まりは湾曲された報道だった
この物語の第二の悲劇があるとしたならば
それは無実の罪で破滅に追いやられた僕達家族の件であろう

テレビや新聞に映し出された
捻じ曲げられた真実に似せられた嘘
その報道は有無を言わせず白を黒に塗り替え
無実の父親は大勢の命を奪った虐殺者へと
平和な家庭は大勢の人々から迫害されて
石を投げられた 暴言を吐かれた
脅迫の電話は鳴り止まなかったから電話線を切った
ポストは恨みを書き連ねた手紙で埋まった

「お前って『もう』ポケモントレーナーじゃないんだろ?」
「あんな人殺しの子供と喋ってはいけません! 恐ろしい血が流れてるんですからね!」
「お前らのような奴等に売る薬など無い!」
「返してよ! 私のお父さんを、返してよ!」
「あはははは! 見ろよ、何やっても逆らって来ないぞ! 石もっと投げてやろうぜ!」



  そして



「……もう、俺は疲れたんだよ、冬樹」



  第三の悲劇があるとしたら





05.谷底に沈むは慈悲を求めた掌

 

 

「君自身に、この街の人間の殺しをしてもらおうと思ってね」

 

 

 宗次朗は最初、何を言われたのか理解が追いつかなかった。困惑する頭の中で、表情を驚きに塗り固めて、それから何度も言葉を繰り返し記憶から再生させて、ようやく意味を理解する。

 

「こ、殺し――俺が、殺せって、言うのか」

「正確にはそのブーバーンに命令を下して街を焼き尽くして欲しいんだ。こうやってメガヤンマのエアスラッシュで一々切り刻んでたら、それこそ日が暮れちゃうし」

 

 絵里と呼ばれた少女。叫びに反応してやってきたおばさん。二人は血の海に深く沈み、ぴくりともしない。鋭利な切断面から覗く骨の断面は、いくつもの線と点で構成されていて、視界に入るだけで何故か宗次朗の喉下に吐き気を覚えさせた。

 

「な、なんで俺がやらなくちゃいけない」

「天秤にかけてくれ。君とブーバーンの命。これに君の家族も入れていい」

「か、母さんや父さんは関係ないだろ!」

「ううん、関係あるよ。……無罪の父親が逮捕された影響で、とある平和な家族は街中の、いや、この地方中の人達から恨みの対象とされた。僕達は何もしてないのに。……だから、君が僕を苛めた罪を、僕は何の関係も無い――君の家族に負わせるんだ」

「ふざけるな――」

「まだそんな事が言えるんだね。メガヤンマのエアスラッシュひとつで、君もブーバーンも、あらら不思議、真っ二つにずばしゃあん、と血を撒き散らして地獄行きだというのに」

 

 すっ、と指先をブーバーンに向けると、ひっ、と情けない声を出して、宗次朗は後ずさりをした。膝が震えている。目元にはじわり、と熱い何かが込み上げてきていた。

 

「そして――それ以外の命だ。この街中の人間と建物とそれからポケモンを焼き尽くしてくれればいい。ただそれだけ。簡単だろ? 命が惜しかったら、全部燃やせ。単純明快に気分爽快も加えよう」

 

 

  「ね―― 宗次朗クン?」

 

 

「あ、ああああ、なんで、俺が、そんな事を」

「ハンムラビ法典の有名な条文。目には目を、歯には歯を。今風に言うのならやったらやり返されるって奴かな? ……それと、僕の場合には、痛みには痛みを――

 

 

                ――死には、死を」

 

 

 今まで薄ら笑いを浮かべていた冬樹の表情に残されたのは、これ以上ないという程に、強い激憤。虚ろな瞳に反射する、負の感情に圧倒されて、宗次朗は何も返答出来なかった。ただ、膝をぺたん、と地に落として、目を逸らすのが精一杯だった。

 

「……ま、その話は今はいいんだ。大事なのは! 君が! この街を! 焼き尽くして焼き尽くして業火の限り荒ぶって灼けた世界で包み込んで――それでいいんだ」

 

 熱弁する冬樹の顔には仄かに紅く染まっていて、上機嫌だという事が誰にでも分かるようだった。俯き、最早涙が溢れて止まらない宗次朗。対照的に、晴れ晴れとした笑顔の冬樹。……朝から騒ぎっぱなしで人がまだ一人しかやってきていないのはおかしい、と思うかもしれない。

 だから、ここで更に第三者がやってくる。いや、やってきた。更に表現を変えるなら、やってきていた――そう、もう既に、宗次朗の後ろに、罪の無い(冬樹に言わせれば存在が罪であるが)一般人が――

 

「そ、宗ちゃん……これは一体……」

「おやおや、真っ青になって喋らないから、これまでずっと僕が延々と喋ってた甲斐もあったかな? ……少し前から後ろにいた……お爺さん」

「え……」

 

 半ば土下座に近い体勢で這い蹲っていた宗次朗が反射的に振り返ると、そこには杖で支えをしないと歩けないような、弱弱しい老人の姿があった。

 この光景は、衝撃に衝撃を重ねて、衝撃でデコレーションしたような、非日常が弁当箱一杯に詰め込まれた、そんな光景だろう。真っ二つになった人間なぞ、そう簡単にお目にかかれる物ではない。それも、なんと二人だ。いや、もう二体か。死体は人ではないのだから。

 

「さて、宗次朗クン。決断の時間だ。君はそこの老人をブーバーンに命じて焼き殺し、生き長らえるか。それとも、手を下せないと偽善者のような事を言い張って、ブーバーンと一緒に、一瞬の内に絶命するか。あ、勿論老人もセットね。目撃者はまあ一応消しておきたいし」

「う、ううううううう」

「制限時間5秒。あ、でもいいよね。だって自分が殺すんじゃないんだもの。ポケモンという便利な兵器かつ道具にやらせればいい。僕のように自分で人を殺害しないと言うのは、案外精神的に楽なのかもね」

「いあああああああああああ」

「おっと、つい面白くて僕にしては饒舌になってしまった。いやあ、人を殺すのなんてちっとも面白みが無くて快楽殺人鬼なんてのに唾を吐き掛けたい気分だよ。こうやって人を上手く扱って絶望を伝染させていく方が、とっても楽しい。楽しすぎる。だからこんなに舌が動くんだ。溶け掛けて零れそうなアイスを必死に舐めてるような舌の動きってのが自分でも分かるよ」

「この異常者……気狂い……お前は、どうしようもない、最悪な人間以下の存在だ……」

「あらら、もう僕を侮辱するまで回復したんだね。いやいや、そんな事言う暇があったら漫画の登場人物みたいにその絵里って子の亡骸を抱えてあげたらどうかな? ま、二つに分かれた物を抱えるのなんて金魚掬いを左手でするくらい難易度高いと思うけどね。僕としては。だって、右半身と左半身、どっちにしようか迷っちゃうもんなあ! 僕だったらどっちかなー? あ、顔が苦痛に歪んでない方がいいな! でも其れは無理! だってその絵里って子、どっちも顔がこの世の物とは思えないくらいに「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!」

 

 掻き消された言霊。これまでで最大の咆哮。喉から血が出るか、というくらいに振り絞られた『あ』という言葉は、叫び終わった後に奇妙な静寂を残した。

 

「……じゃ、5秒前」

 

「なんで、なんで、なんでこんなことになった」

 

「4、あ、メガヤンマ準備しといてね。エアスラッシュ三連の」

 

「絵里……なんで、死んだんだ」

 

「3、なんか臭いと思ったらそこに死体、漏らしてない?」

 

「う、うううううう」

 

「2、勿論真っ二つの方。あ、両方か。そうだね、少女の方だよ」

 

「俺は……お前みたいに、死にたくない……やだ」

 

「1、それでは決断を」

 

「分かったよ尾おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!???? やる! やればいいんだろおおおおお!!!!!!!!!!! 生きたい! 俺はやだ! 死にたくなんてない!! 怖いんだよ、そのメガヤンマが!! ダイヤさんが鍛えたポケモンに、勝てるわけが無いんだ!!!! もうやだよ!!! でも、死にたくない!!!!!!!!! たすけてたすけてたすけてたすけて――」

 

 

 

  ――少年は、堕ちた

     ――悪魔の、誘いに

  ――生命を、護る為

     ――老人を、生贄に

 

 

 

「じゃ、ブーバーンに命じて炭火焼にしてくださいな」

「そ、宗ちゃん……これは、どういうことな」

「ぶうばあああああああああああんんんんんん!!!!?? 俺の後ろにいるジジイをおおおおおおおおおお!!!!??? 大文字で炭火焼にしてしてしてしてしてしてしてえええええ!!!!???? お願いだ嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼」

 

 

 ブーバーンは躊躇いなどしなかった。炭火焼にして、という一文が唇を飛び出し、空気を振るわせた刹那、ぐるり、とその細い足を交差させるように捻り、俊敏すぎる程の動作で振り返った時には、既にその両腕の筒状の兵器が構えられていた。標準は言わずもがな、老人。

 え、と老人が顔を恐怖に歪ませた時には既に遅かった。炎に弱い人間を一瞬で灰塵に還してしまう、圧倒的かつ無慈悲な殺意が、距離を喰らい、間一髪地面に激突するか否かという幾分の狂いも無いかのような、計算された攻撃が、速度と勢いに支えられて、滑空する。

 避ける事など、出来る筈もない。だって、相手は杖で身を支えた老人なのだから。その、嘘だと疑って、夢だと信じ込んで、現実だとありえないと鼻で笑うような、光景なんて、全部、蜃気楼だ。そう、駆け巡る走馬灯の片隅で無意識に感じていた。

 だから、目の前を覆いつくしていく紅蓮の塊が、その身を飲み込み、恐怖に駆られて喉から飛び出した叫びが喰らい尽くされるまで――、老人は、この世の物とは到底考えがたい灼熱の激痛を全身で味わい、そして――肌色を黒一色に塗り替えて、ものの数秒で絶命した。

 

 

 

「あ、ああああ、ごめ、ごめえええ、ごめんなさぁい……」

「……さて、始めようか――」

 

 

 

 これは火葬だ。

 そう、火葬なのだ。

 冬樹の、葬式すら開かれずに埋葬された、母に対する火葬。

 

 

 

「逃げ惑え、そして死ね。僕の手ではなく――この街の期待株、宗次朗少年に身を焦がされる恐怖に悶えて、そして死ね」

 

 

 

 街全体を標的とした殺戮劇の幕は、止める手立ての存在せぬまま進行していく。

 

 

 

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